法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: 日本史(江戸)

江戸藩邸へようこそ

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 久住 祐一郎 、 出版 インターナショナル新書
江戸の市街地の7割は武家地が占め、残る3割を町人地と寺社地が半分ずつ分けあっていた。武家地の55%は大名屋敷。江戸の市街地全体の4割弱を大名屋敷が占めていた。
屋敷は大名家に与えられるもので、領地に付随するものではない。江戸藩邸の持ち主が変わることは頻繁だったが、それは国替えとは無関係。
江戸藩邸に暮らしていたのは、大名とその家族だけではない。一つの大名家につき、数百から数千人の家臣が働いていた。
江戸で勤務する家臣には2種類あって、国元から単身赴任でやってくる勤番と、家族とともに常時江戸で暮らす定府(じょうふ)があった。
江戸の武家人口は60万人と推定されている。各藩の財政支出のうち6割以上が江戸で費やされていた。大名は複数の江戸藩邸をもっていた。上屋敷(居屋敷)は江戸城に近く、江戸滞在中の大名が住む、大名の正室(妻)もここで暮らし、藩の行政機構もここに置かれた。中屋敷は上屋敷のスペアで、隠居した大名や大名の世継ぎが暮らした。下屋敷は、江戸城から離れたところにあり、上屋敷が火事にあったときの避難場所となった。
幕府からの拝領屋敷であるが、実態は貸与であって、幕府から屋敷替えを命じられたら、明け渡さなければならなかった。屋敷の持ち主同士での交換もあり、相対替(あいたいが)えといった。これは事実上の売買だった。
松平伊豆守家のように、幕府の要識についた譜代大名は頻繁に屋敷替えをしていた。
松平伊豆守の谷中下屋敷のうちには、長屋が24棟も立ち並んでいた。そして、191年間に42回も火事にあっている。4年半に1度という頻度だ。
藩主の起床時間は通常なら午前7時半ころ。しかし、予定があるときには、午前4時半ころや午前5時半ころには起床した。ええっ、これって早すぎますよね…。藩主の起床時間は、家臣たちの仕事もあるので、好き勝手に早起きして、動きまわることはできなかった。
食事は、1日3食。午前9時半ころ、着替える。それも、近習たちにしてもらう。
江戸城への登場行列で混雑が予想されるときには、いつもより早く屋敷を出る。老中は、午前10時に登城して、午後2時には退出した。藩主の就寝中は、当番の近習が不寝番をつとめた。
江戸藩邸には、武士だけでなく町人(商人)や百姓も出入りした。吉田藩の江戸藩邸に出入りする御用達商人のなかで特別扱いされたものを「御三階下町人」と呼ぶ。そのメンバーは12人前後で推移した。その多くは、藩財政の不足を補うために才覚金(御用金)を負担していた。別に、江戸を代表する米問屋の兵庫屋弥兵衛も特別扱いを受けていた。このほか、多くの町人が出入りしていて、「惣出入町人」と呼んでいた。
江戸藩邸の吉田藩士の半分は定府藩士だった。藩邸内の居住者は1000人を優に超えていた。吉田藩には家老が常時4人か5人いて、そのうちの2人が江戸家老をつとめた。
江戸における藩の役職のなかで、特に重要なポストが「留守居(るすい)」だ。留守居は江戸城に登城して幕府との折衝、上書の提出を担当し、他藩の留守居と交流して情報交換した。外交官の役割を果たした。
江戸時代も後期の吉田藩の江戸藩邸には250人前後の武家奉公人が働いていて、まとめて「中間(ちゅうげん)」と呼んでいた。給料は1年で4両ほど。家臣の武士が藩を抜け出して浪人になることを脱藩といったが、実は脱藩者は多かった。60年のあいだに184件の脱藩者が出たと記録されている。
江戸藩邸で働く奥女中は、20人から30人ほどいたようだ。奥女中は、一代限りか年季奉公だった。奥女中の給金は、最高の老女が150万円、最低が15万円。10代半ばで採用され、10年間の年季を終えて20代の半ばで夜下がりした。
江戸藩邸の実際がよく調べてあって、イメージをつかむことができました。
(2022年6月刊。税込880円)

山本周五郎、人情ものがたり(武家篇)

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 山本 周五郎 、 出版 本の泉社
いやあ、しびれます。久しぶりの周五郎の2冊目です。短編ですので、毎晩、寝る前に2編ずつ読み、幸せな気分で安らかに寝入ることができました。
町人の人情話もいい(えがった)のですが、武士と女性たちの話も、胸にストーンと落ちて泣けてきます。
自分の暮らしさえ満足でないのに、いつも他人のことを心配したり、他人の不幸に心から泣いたり、わずかな物を惜しみもなく分けたり…、ほかの世間の人たちとはまるで違って、哀しいほど思いやりの深い、温かな人たちばかりでした…。
貧しい者は、お互いが頼りですから、自分の欲を張っては生きにくいというわけだろう。
他人を押しつけず、他人の席を奪わず、貧しいけれど真実な方たちに混って、機会さえあれば、みんなに喜びや望みをお与えなさるあなたも御立派です…。
人を狂気にさせるほどの恋も、いつかは冷えるときが来る。恋を冷えないままにしておくような薪(たきぎ)はない。友達を憎むことで、いっとき愛情をかきたてた。しかし、それも長くは続かなかった。憎悪という感情のなかには、人間は長く住めないもののようだ。
あやまちのない人生というやつは味気のないもの。心になんの傷ももたない人間がつまらないように、生きている以上、つまずいたり転んだり、失敗をくり返したりするのが自然。そうして人間らしく成長していく。でも、しなくてすむあやまち、取返しのつかないあやまちは避けるほうがいい。どんなに重大だと思うことも、時がたってみると、それほどではなくなるものだ。
いやあ、しびれるようなセリフのオンパレードです。俗世間にまみれた心がきれいさっぱりと洗い流される気分に浸ることができます。
そして、この本の究極のセリフは次です。
「もし、およろしかったら、お泊りあそばしませぬか。久方ぶりで、下手なお料理を差し上げましょう。そして、若かったころのことを語り明かしとうございますけれど…」
わけあって遠くに行ってしまった初恋の女性に久しぶりに会ったとき、その女性からかけられた言葉です。ああ、なんという幸せ…。これぞ、まさしく小説を読む醍醐味というものです。
(2022年4月刊。税込1320円)

山本周五郎、人情ものがたり(市井篇)

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 山本 周五郎 、 出版 本の泉社
今から50年前、司法修習生になった私はクラスメイト(正確には実務修習地が同じ横浜だった人)から、「この本、面白いよ」と言って勧められて読んでみた。それが山本周五郎だった。それまで聞いたこともない作家だった。いやあ、しびれました。はまりましたよ。だって、江戸情緒いっぱいで、市井(しせい)の人々の長屋で健気(けなげ)に生きている喜びと悲しみが、実に見事に描かれているのですから…。読んでいる自分が、いつのまにか江戸の長屋にタイムスリップした気分になって、同じように泣いて、笑っているのです。その筆力にはドカーンと圧倒されました。藤沢周平もすごいと思っていますが、その数段上をいく凄みがあります。
オビにこんな文句が書かれています。「周五郎は罪つくりだ。忘れていたものを思い出させる。人の温もり、生きる誇り、涙がにじんで、心が丸くなる」。
本当に、そのとおりなんです。
「人間は、みんながみんな成りあがるわけにはいきゃあしない、それぞれ生まれついた性分があるし、運不運ということだってある。おまえさんには、それがないんだから、しょうがないじゃないか」
「お前さんの仕事が左前になって、その仕事のほかに手が出ないとすれば、妻のあたしや子どもたちが何とかするのは当然じゃないの。楽させてやるからいる、苦労させるから出ていく。そんな自分勝手なことがありますか」
「自分で自分にあいそが尽きた。おらあ、このうちの疫病神だ。頼むから止めねえでくれ。おらあ、どうしてもここにはいられねえんだ」
「そいつは、いい考えだ。どうしてもいたくねえのなら、このうちを出よう」
「出てゆくんなら、ちゃん(父親)一人はやらねえ。おいらもいっしょしていくぜ」
「あたいもいくさ」と、お芳(3歳)が言った。
「女はだめだ。いくのは、おいらとあんちゃんだ。男だからな」
「みんないくのよ。放ればなれになるくらいなら、みんなで野たれ死にするほうがましだわ」
「よし、相談は決まった。これで文句はねえだろう。ちゃん、よかったら、支度をしようぜ」
「おめえたちは、みんな、ばかだ、みんな馬鹿だぜ」
「そうさ、みんな、ちゃんの子だもの、不思議はねえや」
これを聞いて、お芳までが、わけも分からず笑い出した。
どうですか、周五郎ワールドの雰囲気が少しは伝わったでしょうか。
長屋には善人だけがいるのではありません。人を騙して楽しようという悪人もいるのです。でも、全体を包む雰囲気が、どこかしらほっとする安心感があります。
解説には、具体的な人間は、それぞれに嫌なものを持っていると指摘します。
意地の悪さ、愚劣さ、偏狭さ、貪欲さ、ずるさ、卑屈、頑迷などなど…。人間のいやらしさをもっている。しかし、周五郎は、それでも人間を信頼しようとする。登場してくるのは、「哀しいほど思いやりの深い人間たち」。
いやあ、周五郎の作品を毎晩、寝る前に一遍ずつ読みました。いわばすこやかな安眠導入剤でした。自然に流れている涙は、目にたまったゴミを洗い流し、心のオリまで掃き清めてくれるのでした。
(2022年4月刊。税込1320円)

イワシとニシンの江戸時代

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 武井 弘一 、 出版 吉川弘文館
イワシとニシンは、江戸時代の社会を支える重要な自然だった。
えっ、ええっ、どういうこと…。イワシもニシンも大衆魚とは聞いていたけれど…。
江戸時代の後期、百姓にとって、肥料の確保は切実な悩みの種だった。江戸時代、中期以降は自給肥料が足りなかった。このころの自給肥料とは、人糞、厩肥(きゅうひ)、草肥などの総称。
イワシが生(ナマ)で食べられる時間は、きわめて短い。また、イワシは腐りやすいので、乾燥して干物になった。干されたイワシは値が安いうえに肥料として作物に与える効果が高かった。それに大量にとれるので、イワシの価格は安い。
干鰯(ほしか)は、水揚げされた生の鰯をそのまま海沿いに敷きつめて、天日で乾かすだけでつくった。
もうひとつは、〆粕(しめかす)。はじめにナマのイワシを窯で煮たあとに油を搾る。その脂を絞ったあとののこり滓(カス)が〆粕。こちらは、干鰯より価格が高い。
このように、イワシもニシンも江戸時代、日本の農業を支える肥料として活用されていたのですね。
近世の村むらが幕府に国を単位として連帯して訴えた運動を国訴(こくそ)という。肥料価格の高騰・菜種・木綿の自由取引を求めた。文政2(1819)年の幕府の物価引下げ令を契機として、摂津・河内の619ヵ村幕府領村むらの大坂町奉行所に干鰯値下げなどの訴願を起こし、この訴願が先導役となって、文政6~7年の木綿・菜種国訴につながっていった。
国訴というコトバを初めて聞きました。歴史も、まだまだ知らないことだらけです。世の中は未知なるものばかりなんですよね…。
(2022年2月刊。税込2640円)

江戸で部屋さがし

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 菊池 ひと美 、 出版 講談社
江戸の人々、とくに長屋に暮らす庶民がどんな生活をしていたのか、カラー図版で家の間取りや室内の様子が再現されている読んで楽しい本です。家賃も現代の円に換算してあります。
裏長屋に、夫婦と小さい女の子の3人で住む。畳部分は4畳半の一間で、家賃は月2万5千円。「手頃な値段」とありますが、ちょっと高いのでは…。
部屋にはタンスがなく、押し入れもない。布団は部屋の隅に重ねておいて、昼は屏風で囲っている。
便所は外便所で長屋の人たちが共同で使う。掘り抜き井戸ではなく、玉川上水などを井戸の形にして利用している。室内は板敷きで、畳は敷いていない。
長屋に住む職人のうち、日雇職人は出居衆(でいしゅう)と呼ぶ、臨時の手伝い人。
職人には、外で働く出職(でしょく)と室内で働く居職(いしょく)の二つがある。出職は、大工や左官そして棒手振り(ぼうふり)。居職は、塗物師、錠前づくりなど…。
商売人は、住み込んで働く。通いの番頭になったあと、結婚できる。
江戸の後期、町内に必ずあるのは、湯屋(風呂屋)、髪結い床(理容店)、口入屋(人材派遣)。
江戸には、男も女も独り者が少なくない。
商店の大店(おおだな)と小店(こみせ)の違いは、仕入れ先の違いにある。大店は産地で直接、大量に仕入れる。小店は、産地から直接に仕入れるほどの資力はないため、問屋から仕入れた商品を売る。
酒やしょう油など身近な商品はツケで買っておき、6ヵ月ごとに決済して支払う。
江戸にあった越後屋は、道の両側に広がっていたのですね。その様子を歌川広重が描いた絵もあります。
店は2階がある。地下には大きな穴倉が掘られていて、火事のときには反物を投げ入れてフタをした。
新妻を「ご新造さま」と呼ぶのは、新妻を迎えるため、新築したり、建て増しをしたり、専用の座敷をつくったりしたから。なあんだ…と言いかけて、思わず、結婚するときに家を建てられるだけのお金をもっていたのですかね、とつぶやいてしまいました。
江戸時代の情緒と雰囲気をたっぷり味わうことのできる、楽しい本です。
(2022年5月刊。税込2200円)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.