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カテゴリー: 日本史(戦前・戦中)

日本軍「慰安婦」問題すべての疑問に答えます

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

「女たちの戦争と平和資料館」 編著 、 出版  合同出版
 「朝日」叩きは異常です。済州島から「強制連行」があったかどうかだけが「慰安婦」問題ではないことは明らかです。にもかかわらず、「吉田証言」の嘘でもって「慰安婦」問題そのものがなかったかのようなキャンペーンは異常です。こうやって思想統制、マスコミ操作をしていくのかと思うと、背筋に冷たいものを感じます。
 日本軍がアジア各地へ侵略し、ひどいことをしたのは厳然たる事実です。それに目をつぶって、「美しい日本」だなんて、それこそ愛国心の欠如そのものではないでしょうか。あるがままの日本をきちんと受けとめ、少しでも住みやすい社会を目ざして努力することこそ、今を生きる私たちの責務だと私は思います。
 この本は、たくさんの資料と豊富な写真、そして加害者と被害者双方の証言によって、「慰安婦」問題を全面的に明らかにしています。60頁あまりの、カラー図版が満載で、すっきり分かりやすいテキストです。ご一読を強くおすすめします。
 「従軍慰安婦」という言葉は、「自らすすんで軍に従った」と誤解されかねない。そして、これは戦後になって使われはじめた「造語」である。そこで本書では「慰安婦」とした。
 国際社会では、より正確に実態を示す「日本軍性奴隷」という言葉が使われている。
「慰安所」には、三つのタイプがあった。一つは、日本軍直営の慰安所、二つは、軍が民間に慰安所の経営を委託した日本軍専用の慰安所、三つには、軍が民間の売春宿を日本軍用に指定した慰安所。いずれのケースでも、日本軍が慰安所経営について統制し、監督していた。
 軍側の証言の一つとして、中曽根康弘元首相の本がある。海軍の主計大尉だった中曽根康弘は、自著(『終わりなき海軍』)において、「私は苦心して、慰安所をつくってやった」と書いている。
戦後になって、オランダの戦犯裁判において、慰安所を開設した責任者である岡田少佐には死刑、6人の将校と4人の慰安所業者には2年から20年の禁錮刑が言い渡された。
 もと日本軍兵士の慰安所体験記と強姦したことの自白も紹介されています。
被害者となった女性の証言がいくつもあり、胸が痛みます。
 「慰安婦」が「高収入を得ていた」という点については、激しいインフレのせいもあり、結局のところ無価値でしかない「軍票」をつかまされていただけだった。このようにコメントされています。
 「慰安婦」とは、居住、廃業、選客、外出、休業の自由のない、まさしく「性奴隷」そのものだった。
 アメリカの新聞に日本人が「慰安婦」を否定する意見広告を出しました(2007年6月14日)。政治家でいうと、稲田朋美(自民党)、河村たかし(民主党)、ジャーナリストでは桜井よしこ、学者として、藤村信勝そして、作曲家のすぎやまこういち、などの人たちです。この人たちこそ、低レベルの日本人がいるという見本をアメリカに示したのではありませんか。私は、恥ずかしいです。
 しかし、肝心なことは、このような逆流の下で、「河野談話」が出されるとともに中学校の歴史の教科書にあった「慰安婦」記述が、今ではほとんど消えてしまっているという事実です。「美しい日本」を後世に伝えるという掛け声の下、不都合な真実は「抹消」(隠匿)されているのです。そんな国を愛するわけには生きません。いいところも悪いところもある。あるがままの日本をしっかり受けとめ、みんなで少しでも住みやすい国にしたいものです。
 国連の勧告(2013年)は、「複数の国会議員をふくむ国および地方の、高い地位の公人や政治家による、事実の公的な否定や被害者に再び心的外傷を負わせることが継続していること」に、深い懸念を持ち続けていると指摘しています。
 日本がますますおかしな国にならないように声をあげていきたいと思います。そのための教科書として絶好です。
(2014年7月刊。1500円+税)

日本軍と日本兵

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

著者  一ノ瀬 俊也 、 出版  講談社現代新書
 第二次大戦中の日本の将兵は本当に強かったのか、敵側(この場合は、アメリカ軍側)がどう見ていたのかが紹介されています。結論からいうと、日本軍の将兵はそれほど強くはなかった。やっぱりフツーの人間だったということです。死を恐れない不屈の神兵などでは決してありませんでした。
 日本の将兵は勝っているときには勇敢だが、負けそうになると、とたんに死を恐れ、弱くなった。勝ち目がないと、明らかに死ぬのを嫌がり、総崩れになると、豚のようにわめいた。
 日本兵は、上官の命令どおりに動く集団戦を得意とする。個人の技能や判断力に頼って戦うのは不得手だ。
 日本軍の将兵を捕虜にすると、厚遇に感謝し、実に協力的になる。
 いったん捕まえた日本兵の捕虜は実に御しやすく、有用だった。尋問官がうまく乗せれば、喜んで、何でもしゃべる。命が救われたと知ると、そのお返しをしようとして、求められている情報を与えようとする。
 日本軍ほど宗教性の薄い軍隊はいない。世界史的にも異質な存在なのではないか。神道はあるわけですが・・・。
 ガダルカナル島で日本軍3万人あまりが倒れたが、そのうち3分の2は病気で死んだ。戦死者は1万人をはるかに下まわっている。他方、アメリカ軍の戦死者は1000人だけ。
日本軍の将兵の最大の弱点は、予期せざる事態に、うまく対処できないこと。戦闘機械の優秀な歯車ではあっても、急速に変化する状況に対応する才覚も準備もない。
 このような生来の弱点は、自由な志向や個人の自発性をきびしく退け、管理されてきた人生と、少なくとも部分的には関係がある。
 第二次大戦における日本軍の戦い方の実際を敵(アメリカ軍)側の資料によって紹介した貴重な本だと思いました。かの軍事オタクのイシバ氏にはぜひ読んでほしい本だと思いました。
(2014年1月刊。800円+税)

法廷で裁かれる日本の戦争責任

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著者  瑞慶山 茂 、 出版  高文研
 太平洋戦争は正しかったなどとNHKの経営委員(百田茂樹)が暴言を吐くのを社会が許容しているようで、本当に残念です。日本国憲法の前文には、政府の行為によって、戦争の惨禍を再び、くり返してはならないと明記しています。
この本は、強制連行、「従軍慰安婦」、空襲、原爆、沖縄戦・・・など、戦後日本で裁判所によって明らかになった事実が紹介されています。そして、担当した弁護士がその判決について解説しています。
 本当に、アジアへの侵略戦争を始め、無数の人々を苦しめた日本軍とそれを支えた日本の政財界の責任は重大です。そのことに目をつぶっていてアジアで日本はやってけるはずがありません。加害者は忘れても、被害者は末代まで忘れるはずがないのです。
 2段組みで600頁もの大作です。読んで気の重くなる本ではありますが、「自虐史観」などという前に知るべき歴史的現実だと思います。
 戦後世代である私たちの責任は、国家に対し国家責任を履行させるための個人責任であり、個人として直接的に対外的対内的に賠償責任を負うわけではない。いわば間接責任の一種である。そして、ここでの戦争責任は、法的賠償責任ではなく、政治的責任と道義的責任である。だからこそ、戦後世代は国のあり方について積極的に考え、参加し、発言すべきなのである。私も、この考えにまったく同感です。
 山口地裁下関支部の判決(1998年)は、「『慰安婦』としての性的強制は重大な人権侵害であり、人類にとって許すべからざる犯罪である。・・・・戦後、これを放置してきた国には、この被害回復義をつくさなかった違法があり、損害賠償をすべき責任がある」とした。
 東京高裁の判決も、「業者を監視し、慰安所の実質的管理をしていたのは軍であったから、軍は業者の使用者としての管理を怠った責任がある」とした。
 このように、「従軍慰安婦」の問題は、単に「強制連行」されたかどうかだけではありません。
 河野談話について、アメリカ政府がその見直しを止めるように安倍政権に忠告しているのは当然のことです。これは不当な内政干渉というべきものではないでしょう。なぜなら、日韓政府はもっと仲良くしてくださいと言っているわけですので・・・。
 日本軍のトップにいた岡村寧次・北支那派遣軍総司令官は、「現在の各兵団は、ほとんどみな慰安婦団を随行し、兵站の一部となっている有様である。第六師団のごときは、慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である」と述べた。
 間(はざま)組は、中国(主として河北省)で拉致した中国人1500人を1949年4月に日本へ強制連行し、福島、長野、群馬などの発電所で苛酷な労働を強制した。この強制労働の16ヶ月間のうちに53人もの死亡者が出ている(死亡率8.7%)。このほか、負傷率も43%と異常に高い。
 長野地裁の辻次郎裁判長は、判決言渡のとき、「私的見解」と断りながら、次のように述べた。
 「提訴から8年かかったことをお詫びします。また、和解が成立しなかったことを残念に思い、お詫びします。私は団塊の世代で、全共闘世代に属するが、率直に言って私たちの上の世代に人たちは、ずいぶん酷いことをしたという感想を持ちます。
 裁判官をしていると、訴状を見ただけで、この事案は救済したいと思う事案があります。この事案も、そういう事案です。一人の人間としては、この事件は救済しなければならない事案だと思います。心情的には勝たせたいと思っています。でも、結論として勝たせることができない場合もあります。このことには個人的葛藤があり、釈然としないときがあるのです」
 ここまで言うのなら、もう一歩踏み込んで原告勝訴の判決を書けばいいのに・・・と思ったことでした。
 戦前、中国から強制連行されてきた中国人は4万人近くで、そのうち死亡者は7千人近く(17.5%の死亡率)、しかも1~2年のあいだに死亡している。ところが、国は、終戦直前に三井や三菱に対して6千万円近くの国家補償をした。これは、三井鉱山や三菱鉱業が、1日あたり5円の賃金を支払ったとして国に対して損失額を計上したことを根拠とする。しかし、現実には、中国人に賃金を支払ってはいなかった。それなのに、巨額の賠償金を国からもらっていたのである。ひどいものです。このような国の大企業優遇は今も変わりませんよね。
 貴重な文献であり、大いに活用してほしいものです。
(2014年3月刊。6000円+税)

黒田官兵衛

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著者  渡辺 大門 、 出版  講談社現代新書
 黒田氏は、播磨国(姫路周辺)の一土豪だった。何かの契機で小寺氏と結びつき、その配下におさまった。そして、自らの貴種性をアピールするために、佐々木黒田氏や赤松氏の支族とするに至ったのではないか・・・。
 小寺氏が赤松氏の有力な支族というのは誤りで、小寺氏は「年寄」だった。この「年寄」とは、赤松氏一族ではない有力な氏族で構成される重臣、奉行人という地位にあった人々の呼称。
 官兵衛の叔父にあたる休夢は、秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)として登用された。
 御伽衆とは①咄(はなし)がうまいこと、②咄に適応する体験や技術を有することが条件だった。その目的は、主人を楽しませることだった。
 休夢は茶道だけではなく、和歌や連歌にも通じていた。
黒田家にしたがった播磨出身土豪層は、姫路を中心として勢力基盤を築いた土豪層だった。「黒田二十四騎」と称された土豪たちは、黒田家の発展とともに重臣に取り立てられた。
 黒田氏は現在の西播磨基盤をもった土豪であり、土地集積を行いながら発展を遂げていった。その間、黒田氏は周辺の土豪層を従え、やがて小寺氏の配下に加わった。
 官兵衛には、三人の弟と三人の妹がいた。そして、兄弟たちは、仲違いすることなく、一致団結して黒田家を守り立てていった。
 官兵衛が村重によって幽閉され、かえって黒田家中は一致団結した。官兵衛の幽閉生活は一年にも及んだ。
 官兵衛の主家である小寺氏は秀吉に対して、最終的には逃亡した。その子孫は、のちに福岡藩主となった黒田長政に仕えた。
 官兵衛は死ぬ直前、家臣たちを枕元に呼び出しては悪態をついた。ののしられた家臣たちは、身に覚えがなく、ただ困惑するだけだった。たまりかねて、息子の長政が理由を問うと、官兵衛は、次のように答えた。
 家臣にひどい仕打ちをすることによって自分が疎まれ、一刻も早く長政の時代が到来することを願ったのだ。
 つまり、死にのぞんだ官兵衛は、あえて嫌われ役を演じてみせたのでした。
 なかなか実証的な本だと感嘆しました。
(2013年9月刊。800円+税)

検証・真珠湾の謎と真実

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著者  秦 郁彦 、 出版  中公文庫
 日本軍の真珠湾攻撃が成功したことについて、当時のアメリカ大統領であるルーズベルト陰謀説というのがあります。要するに、ルーズベルト大統領は日本軍の真珠湾攻撃を予知していながら、わざと初戦で負けてアメリカ国民を対日戦争に駆り立てたというものです。もっというと、ルーズベルトは好戦主義者、イギリスを助け、ドイツと戦争をするために日本との戦争を始めたかったということです。でも、それはありえないことだったと思います。
 そして、日本では、太平洋戦争を美化しようとする人々は、「ABCD包囲陣」なるものがあって、それと日本は戦わざるをえなかったと言いたいようです。
 しかし、「ABCD包囲陣」なるものの実態はなく、戦前の日本の新聞がつくり出した造語にすぎない。ましてや、ルーズベルトの陰謀ではない。それは、太平洋戦争が植民地解放のための戦争であったというのと同じである。
 真珠湾攻撃は、史上まれにみる希有壮大な大作戦であり、このような戦術を実行する人間がまさか日本にいるなどとは、アメリカの当局者たちは、ルーズベルトをふくめ誰も考えていなかった。
 山本五十六というのは、それだけの大戦術家だった。もし、あらかじめアメリカに発見され、待ち構えていたら、悲惨な敗北になった可能性のある大博打(ばくち)だった。その背景としては、アメリカは日本の戦力を過小評価していたという油断があった。
 日本海軍は最後までアメリカ軍の暗号が解読できなかった。これに対して、アメリカ軍は日本軍の暗号は1940年には完全に解読していた。日本外務省のパープル電報は、アメリカ軍によって、ほとんど解読されていた。
 12月5日、アメリカ軍の情報部は、日本はアメリカを攻撃しない、タイの占領の可能性があると報告した。
 開戦後の半年たって起きたミッドウェー海戦において、日本軍は秘密保全と敵情把握を軽視し、逆に日本の暗号を解読したアメリカ軍は日本艦隊を待ち伏せし、日本軍の大敗、アメリカの大勝利となった。
アメリカは、真珠湾では失敗したが、その後は失敗の教訓を生かした。日本軍は、真珠湾で成功したが、勝って兜の緒を締めよという先人の教えを忘れ、大敗したのだった。
 陰謀史観というものがありますが、この本を読むと、なるほど、ごまかされてはいけないものだと思いました。
(2011年11月刊。686円+税)

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