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カテゴリー: 日本史(古代史)

日本史のツボ

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 本郷 和人 、 出版  文春新書
天皇家は、地域の王から出発して、中国大陸から押し寄せてくる外来文化を積極的にとり入れながら、その文化に独自の改変を加えることで、大陸文化とは異なる「日本文化」をつくり上げることに寄与した。
ヤマト朝廷が支配していたのは、畿内を中心として、東は新潟県、西は九州北部まで。関東や東北、そして九州南部は「化外(けがい)の地」として、支配対象ではなかった。そして、ヤマト朝廷にとって死活的に重要なのは、中国大陸と朝鮮半島の情勢だった。
ヤマト朝廷って、意外に国際情勢に敏感だったのですね・・・。
戦国時代のあとは、天皇は権力を失っていて、天皇の位は権力闘争の対象にはならなくなっている。
鎌倉時代に起きた承久の乱のあと、次の天皇を誰にするかは、朝廷の一存では決められず、鎌倉幕府の承認が必要だった。
室町時代、足利政権は、思うがままに天皇をつくり出すことが出来た。
江戸時代、将軍の代替わりには必ず改元が行われているのに対し、天皇の代替わりでは改元されていない。
天皇は御所から出ることを禁じられ、外出するにも幕府の許可が必要だった。
江戸時代の一般の人々にとって、天皇は視野に入ってなかった。江戸後期になって、庶民が力をつけてくると、天皇を「再発見」した。
天皇家では、新道より仏教が重視されてきた。江戸時代まで、天皇家の葬儀は、神式ではなく、仏式で行なわれていた。神式にしたのは、明治以降のこと。
北条政子がいて、日野富子がいて、日本史のなかで女性が力を発揮した時代があったことは事実。ただし、彼女ら個人に限定された権力だった。女性は、政治というシステムの外側に置かれていた。
戦国時代の墓は夫婦墓が多い。つまり、夫婦で二つ墓が並んでいた。夫婦別性を反映している。江戸時代の元禄期になって以降、家族墓がふえてきた。夫婦同姓になっていった。
江戸時代になって女性の地位が低下したが、これは、世の中が平和な時代になったから。
日本史の現実を考えるときのヒント満載の本でした。いろいろ勉強になります。学者って本当にたいしたものです。
(2018年3月刊。840円+税)

文明に抗した弥生の人びと

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 寺前 直人 、 出版  吉川弘文館
いま、弥生時代研究は百花繚乱のさまを呈しているのだそうです。たとえば、弥生時代のはじめの数百年間は、世界的には新石器時代に属する可能性がきわめて高くなっている。  
縄文時代は、ゆうに1万年をこえる長期間である。これは弥生時代の10倍以上となる。縄文時代の人々が栽培植物を利用していた可能性は高い。しかし、それが主なカロリー源となり、人口増加に大きな影響を与えた可能性は低い。
土偶は、縄文時代草創期の後半期(1万2000年前)に登場する。この土偶の分布は地域的にかたよっていて、縄文時代の前・中期では滋賀県より西では土偶が出土していない。西日本に土偶が出土するのは縄文時代後期になってからのこと。ハート形土偶が出土する。
弥生時代の前期、水田耕作とともに、短剣をつかう社会となった。携帯できる武器、石製短剣が登場した。弥生時代中期の遺跡には磨製石剣が刺さった人骨が発見されている。
弥生時代中期に入って金属器が普及しはじめても、各地で磨製石斧や石包丁などの石器が利用され続けている。鉄斧と併用されていた。石製短剣は、人々の半数ほどが所有できるアイテムだったと考えられる。
石という伝統的な材料で製作された武威の象徴を幅広い構成員が所有することによって、武威が特定個人に集中することを防いだとみられる。これは近畿南部の人々のすがたである。
弥生時代と農耕水田との関わり、エリートへの権力集中と、それに抗する動きと、さまざまな社会構造の可能性が大胆に問題提起されています。
すべてを理解できたわけではありませんが、弥生時代の複雑、多様な社会のあり方に触れることができました。
(2017年10月刊。1800円+税)

戦争の日本古代史

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者  倉本 一宏 、 出版  講談社現代新書
 高句麗好太王碑は有名です。413年に亡くなった好太王の墓の近くに大きな石碑が建てられ、今に残っています。
 明治13年(1880年)に発見され、1884年に陸軍の情報将校(酒匂景信)が拓本を日本に持ち帰った。この碑文について、酒匂が石灰を塗って碑文を改ざんしたという説があったが、今では完全に否定されている。
 この碑文では、倭国は大敗を喫している。ただし、倭国の将兵が渡を渡って朝鮮半島南部に上陸したというのは史実だと考えられる。倭国軍は、朝鮮半島に渡って、百済や加耶(かや)と共同の作戦をとって高句麗と対峙していた。
馬を「うま」と訓じるのは、中国語のマ(バ)が転じたもの。倭語には、この動物をあらわす言葉がなかった。倭に馬はいなかったし、見たこともなかったので当然のこと。また、馬を駒(こま)というのは、高麗(こま)から来ていて、高句麗の動物という意味だ。
筑紫磐井(つくしのいわい)は新羅(しらぎ)と結んでいた。倭国の継体大王は新羅遠征軍を派遣した。倭にとって「任那(みまな)復興」など、いかにも非現実的な願望にすぎないし、すぎなかった。そして、倭国の軍事出動が「平和を望んだ聖徳太子」なるものは、まったく史実に反する誤りである。
 鎌倉時代の蒙古襲来前に、刀伊(とい)が1019年に入寇(にゅうこう)してきた。刀伊は、東部満州のツングース系の民族。女真族は、このころ、しばしば高麗を掠奪していた。
 「ムクリ、コクリが来るよー・・・」と泣き叫ぶ子ども相手に叱る言葉。ムクリは蒙古つまりモンゴルのこと、コクリは高句麗・高麗のこと。
 古代日本が古代朝鮮半島の国々と、どのように関わったのかを考えさせてくれる本です。
(2017年5月刊。880円+税)

古墳時代の南九州の雄・西都原古墳群

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 東  憲章 、 出版  新泉社
宮崎県の真ん中ほどの台地(丘陵地帯)にある西都原(さいとばる)古墳群をまだ見たことがない人、行ったことのない人は少なくないと思いますが、日本古代史に少しでも関心があるなら必見ですよ。ぜひぜひ見学されることを強くおすすめします。ちなみに私は数回行っています。
佐賀県にある吉野ケ里遺跡、青森県の三内丸山遺跡も素晴らしいと私も思いますが、なにしろ西都原古墳群は規模が大きい。300基以上の古墳が丘陵のあちこちにあるのは、実に壮観です。
南北4.2キロ、東西2.6キロで、面積58ヘクタールというのですから、その広大さは想像を絶します。そして、古墳時代の全期間を通じて古墳の築造が続けられています。前方後円墳だけでも、32基もあります。
男狭穂(おさほ)塚古墳、女狭穂(めさほ)塚古墳の二つには対になった古墳で、いずれも同じ全長176メートルもの巨大さです。男狭穂塚古墳は日本列島最大の帆立見形古墳であり、女狭穂塚古墳は九州最大の前方後円墳である。
ここからは、鉄製の甲冑(かぶと)が出土しています。さらに、埴輪(はにわ)船や埴輪子持家(こもちいえ)も出土しているのです。見事なものです。
鉄製短甲(要するに胴まわりの防具です)を3コも入れてもらった被葬者もいます。畿内中央政権につらなる九州屈指の上位首長とみられます。
古墳の様子と出土品が多数のカラー写真で紹介されています。まずは、ぜひこの本を手にとって、次には現地へ出かけてみてください。一見の価値ある偉大なるパワー・スポットです。
(2017年10月刊。1600円+税)

沖ノ島

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 藤原 新也 、 出版  小学館
海の正倉院とも呼ばれる沖ノ島の写真集です。
8万点に及ぶ宝物があるそうですから、宝島とも呼ばれるというのは当然です。
女人禁制なのですが、この島自体は、田心姫(たごりひめ)という女神そのもの。むしろ女性上位だといいます。
男は、島に上陸する前に素裸になって海中に入って、身を清めなければいけません。歴史作家の安部龍太郎が海中で禊(みそぎ)をしている情景も紹介されています。
沖ノ島での祭祀を司(つかさ)どっていたのは宗像(むなかた)一族。古事記にも登場する豪族でしたが、秀吉の九州征伐の直前に宗像氏貞が病没し、後継ぎがいなかったので、宗像家は断絶した。
昭和29年から同41年までの学術調査によって、島内から10万点もの宝物が採集され、8万点が国宝に指定された。
写真で紹介されていますが、純金製の指輪や金銅製龍頭など、最高級工芸品と呼べるものが本当にたくさんあります。見事なものです。
ササン朝ペルシア製のカットガラス椀片は、明らかにシルクロードの交易品です。
島内には、たくさんの巨岩があちこちにありますが、ともかく人間は神職以外にはいないわけですので、まったく荒らされずに今日に至っています。
ところが、自然天然のまま林に埋もれてしまっているわけではありません。道があり、人の踏み歩く渡り石があるのです。そして、この渡り石は、大勢の人の足によって踏み荒らされていないので、青々と苔むしているのです。私も、これには驚きました。人の手が入っていながら、人が踏み荒らしてはいない自然状態があるのです。
いかにも神様がそこに存在し、生活しているのかのような沖ノ島を活写した価値ある写真集です。
(2017年4月刊。1200円+税)

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