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カテゴリー: 司法

憲法は政府に対する命令である

カテゴリー:司法

著者  C・ダグラス・ラミス 、 出版  平凡社ライブラリー
初版は2006年8月、小泉内閣の前の第一次安倍内閣のときに刊行されています。
第一次の安倍内閣は憲法改正を始める力はなかった。しかし、第二次安倍内閣には憲法改正のための政治力があるかもしれない・・・。
 そして、自民党は2012年4月、憲法改正草案を発表した。この草案の正確は、国民に対する命令である。草案102条にある「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」という条項は、主権者にいう言葉ではない。
 安倍首相のいう「日本を取り戻す」とは、大日本国帝国政府のよさを取り戻すという意味だ。しかし、明治憲法が現憲法に変わったとき、日本がどれほど変わったのかを思い出す必要がある。
憲法とは国の政治を形づくるものである。
 近現代の憲法の多くは、国家権力の制限を基本としている。
 明治憲法のもとでは「臣民」が存在していた。明治維新より前には「国民」という言葉は存在もしなかった。政府は、社会契約の相手であり、その契約を守るかぎりにおいて市民も、それを守る。つまり、市民は、「政府」として認めて、法律に従う義務がある。日本国憲法に命令として従う義務があるのは国民ではなく、政府である。厳密にいうと、政府を構成する人間である。
 問題は押しつけ憲法がどうか、なのではない。誰が誰に、何を押しつけたのか、ということである。日本の民衆は、総司令部(GHQ)の大日本帝国政府への新憲法の押しつけに参加した。
 施行されてしばらくして、アメリカ政府は、とくに9条に関して、後悔した。しかし、それは後の祭りだった。
 交戦権とは、兵士が人を殺す権利である。
 交戦権とは、侵略戦争をする権利ではなく、戦争自体をする根本的な権利である。
 交戦権とは、兵士が戦場で人を殺しても殺人犯にはならないという特権だ。それは兵士個人の権利ではなく、国家の権利である。
 侵略戦争を起こしたときには、それが禁止されているものである以上に、交戦権は成り立たない。自衛戦をする場合のみ、立派な交戦権が成り立つ。
日本国憲法において重要なのは、その国家の正当暴力の権利を、すべてではないが、その一部の交戦権を放棄しているということ。
 自衛隊は軍隊の組織をもち、軍服を着、軍事訓練を受け、そして戦争のための武器をもつ。しかし、軍事行動はできない。このように、かなり訳のわからない組織である。
 不思議な自衛隊である。このように矛盾した状況だが、結局、憲法ができてから今までの60年あまり、日本の交戦権の下では一人の人間も殺されたことはないという現実がある。
 自民党の改憲草案は、戦争で日本は害を受けたが、害を与えたことはないという歴史観に立っている。
 いやはや、なんという間違った、狭い考えでしょうか・・・。情ないです。いまは沖縄に住むアメリカ人の著者による歯切れのいい憲法を論するの文庫本です。一読をおすすめします。
(2013年8月刊。1000円+税)

日本国憲法の初心

カテゴリー:司法

著者  鈴木 琢磨 、 出版  七つ森書館
『路傍の石』の山本有三が日本国憲法の成立に深く関わっていたことを初めて知りました。直接的には、口語化ですけれど、広い意味では日本国民の意思を体現して現憲法の成立を推進したと言えると思いました。
 山本有三は1887年7月、栃木県で生まれた。一高から東京帝大独文科に入って学ぶ。一高時代、同級の近衛文磨と生涯と友となる。
 山本有三は強度の近眼のため、微兵検査で不合格となり、兵役は免れた。
 1920年に文壇にデビューしたが、1933年、共産党との関係を疑われて検挙された。
 戦後、日本国憲法をつくるというとき、山本有三は口語体にすることを強く主張し、口語体の文案をつくった。政府は山本有三の口語体文案をおおいに参考にしながら、現在の憲法をつくりあげた。
 山本有三は、戦後、1947年の参議院選挙に全国区から出馬し、9位で当選した。そして、無所属議員による緑風会に所属する。そして、文壇の大先輩である幸田露伴の死去にさいし、参議院本会議で追悼の演説をした。
 1956年の参院選挙のとき、自民党が憲法改正を叫んだのに対して、山本有三は次のように主張した。
 押しつけられた典に不満もないわけではない。いつかは改正しなければならないと思う。しかし、憲法改正は非常に重大なことであるから、軽々しく取り扱うべきものではない。
 本当にそのとおりですよね・・・。次に、山本有三の戦後の反省のコトバを紹介します。
 軍部や右翼がのさばったのは、たしかに不都合には相違ない。しかし、それをのさばらせたのは、国民の中にも何かがあったからではないのか。官僚や議員や報道陣が、常にときの権力に屈従しているのは、必ずしも彼らだけが悪いのではなく、そうさせるものが国民の中にもあるからではないか・・・。
 いのちを投げ出すことを最高の美徳と考えたり、それをほめたたえる思想は、封建主義的な思想だ。ヤクザ仁義の思想であり、軍国主義的な思想だ。こういう考え方、気風というものは、ぜひとも根だやしなければならない。
 日本は領土を広めようとして海外に乗り出したときは、必ず失敗している。
 「もし他国から攻撃を受けたとしたらどうするか」「武力をもたない日本は、ひとたまりもないではないか」
 この質問に対しては、逆に問い返したい。
 それなら、どれだけの兵力をもっていたら侵略をくいとめることができるのか?
 デンマークとナチスの例を考えたら、国防軍を備えていたところで、なんになったろうか・・・。問題は、どれだけ武力をもつかということではない。そんなものは、きれいさっぱりと投げ出してしまって、裸になることである。そのほうが、どんなさばさばするかもしれない。裸より強いものはない。なまじ武力なぞ持っておれば、痛くもない腹をさじられる。それよりは、役にも立たない武器なぞは捨ててしまって、まる腰になるほうが、ずっと自由ではないか。そこにこそ、本当に日本の生きる道があるのだと信ずる。
 戦前の厳しく辛い経験をふまえた山本有三の指摘は、今も生きているものだと思いました。
(2013年8月刊。1600円+税)
 稲穂が垂れて、畔に紅い彼岸花の咲く秋になりました。久しぶりに庭に出て、花を整理しました。
 夏のカンナを刈り、夜に芳香を漂わせる夜光木をカットしました。その隣には、エンゼルトランペットが黄色い花を咲かせています。
 娘が庭に植えていた芋を掘りあげました。なんとか食べられそうな芋を収穫することができ、さっそく秋の味覚として美味しく、みんなでいただきました。

原発を止めた裁判官

カテゴリー:司法

著者   神坂さんの任官拒否を考える会、 出版  現代人文社
3.11の前、画期的な原発運転差止め判決を書いた井戸謙一・元裁判官が講演した内容を本(ブックレット)にしたものです。
 著者は私より5歳ほど若いのですが、大学時代には私と同じようにセツルメント活動をしていました。著者はいま彦根で弁護士です。65歳の定年退官前に弁護士生活をスタートするという人生計画を立てていたというのですから、司法当局ににらまれて裁判官を辞めたということではありません。32年間、ひたすら現場で裁判官をしてきた。出身が大阪(堺)なので、常に大阪地裁での仕事を希望してきたが、ついに勤務できなかった。神戸や京都、金沢そして大阪高裁で仕事することは出来たけれど・・・。ただし、金沢と京都では部総括(いわゆる部長)もしているので、決して冷遇されたわけでもない。
裁判官の世界が一番自由闊達だったのは1960年代の半ばくらい。
 青法協(青年法律家協会)の裁判官部会には360人の裁判官が加入していた。これはすごい比率であり、人数です。そして、司法反動の嵐のなかで百数十人の裁判官が脱退していく。それでも200人の裁判官が青法協に残った。
 全国裁判官懇話会というのが1971年に始まり、議論していた。それも、当初は210人あまりの参加があって、毎年のように開かれていたが、次第に参加者も減り、ついに2007年に解散した。
 著者は修習31期。同期の裁判官の結束は固く、配偶者も「奥様同期会」をつくり、「風の便り」という同期会誌を発行していた。
これには驚きましたね。そんなに仲が良くて、交流できていた時代があったとは・・・。だからこそ裁判官懇話会への参加の呼びかけ人になったのが30人をこえたのでしょう・・・。それにしても、すごい人数です。感嘆するほかありません。
 勾留請求について、1日1件は却下するくらいの心構えでのぞむべきだと高言していた大阪高裁の裁判官がいた。いやはや、驚くばかりです。
 志賀原発2号機の差し止め判決を書いた著者は、福島第一原発事故を受けて、自分の考えが甘かったことを痛感させられた。
 第一に、原発の集中立地の恐怖に思い至らなかった。
 第二に、使用済み核燃料がこれほど怖いものがという点で、認識を新たにした。
 第三に、国家というものは、こんなに国民を守らないのかということ。
 裁判所は、これまで、原発裁判について、専門家の判断に異議を唱える決断ができなかった。
 この点は、私のもよく分かります。国の判断にタテついたときの反動が、裁判官だって怖いのです。表面上はともかく、内心はヒヤヒヤしているのです。だから、そんな裁判官を励まし、安心させてやる必要がどうしてもあります。それが大衆的裁判闘争の狙うところです。
 今では、裁判所内での露骨な人事差別はほとんどなくなった。しかし、それは差別的な人事をする必要がなくなっているということでもある。裁判官の自主的な集まりというものが、ほとんどなくなっている。
 個性豊かな裁判官が裁判所のなかにいないし、いづらくなっている。
 上司におべっかを使うような裁判官は実は出世しない。物腰が穏やかで、人当たりがよくて、発想はリベラル。若いころには裁判官懇話会にも参加したような人こそ出世していく。問題が生じたときに柔軟に対応できるだけの人柄の良さ、そして枠を踏み外さない。そんな人が出世していく。
 たしかに、私の知る限りでも、そう言えると思います。
 著者から贈呈していただきました。ありがとうございます。今後とものご活躍を祈念します。
(2013年8月刊。900円+税)

法服の王国(下)

カテゴリー:司法

著者  黒木 亮 、 出版  産経新聞出版
読みすすめているうちに、思わず背筋を伸ばしてしまいました。それほど緊張感にあふれる裁判所の内外の動きがつぶさに再現されています。最大の魅力は弓削晃太郎として登場する矢口洪一にあります。
 青法協を目の敵にして血も涙もない司法反動の権化と思われていた(私も、もちろん、そう思っていました)矢口洪一が、実は最晩年に、青法協裁判官部会の後身にあたる裁判官懇話会に出席して講話したのでした。この内容は判例時報で紹介されました。
 この本の末尾にある参考文献は、司法反動の実態、そして司法改革とは何だったのかを知るためには欠かせない本ばかりです。司法界と無縁だった(と思われる)著者がこれだけの本を読み込んで、小説に仕立て上げた筆力には驚嘆します。
裁判官の内情をさらけ出す小説として『お眠りの私の魂』(朔立木、光文社文庫)はショッキングでした。
 もちろん日本裁判官ネットワークの本も紹介されています。
 じん肺訴訟については、福岡の小宮学弁護士の『筑豊じん肺訴訟』(海鳥舎)が紹介されています。
 しかし、なんといってもすごいのは、原発訴訟を一貫して取りあげているところです。この点については海渡雄一弁護士は実名で登場していますし、最新作である『原発と裁判官』(朝日新聞出版)も踏まえているところが、すごいと思いました。
 つまり、裁判官も人の子。行政にタテつく判決を書くのは、とても勇気のいることなのです。これから出世できないのではないか・・・。夜も眠れないほど悩むのです。
 実名と仮名で多くの裁判官が登場する、とても刺激的な本です。司法反動そして司法改革を知りたいあなたに、必読の本です。
(2013年7月刊。1800円+税)

日本の最高裁を解剖する

カテゴリー:司法

著者  ディヴィッド・S・ロー 、 出版  現代人文社
日本の最高裁判所について、多くの裁判官は「サイコー」と呼びます。若いときの私は、それを聞くと、いつも心の中で「サイテーじゃないか」と、あざけっていました。
 ところが、今では、高裁のほうがむしろ「サイテー」で、かえって最高裁のほうが積極判断を示すことがあるようになりました。司法反動のとき、裁判官統制がききすぎるようになって、「ヒラメ裁判官」(上ばかり見て、保身か立身出世しか考えない裁判官のこと)ばかりになってしまって、むしろ上に立つ裁判官のほうがやきもきして焦っているという構図が成立していると言われるようになりました。今や、その傾向はますます強くなっている気がします。たまに覇気のある元気な裁判官にあたると、ほっとします。
 アメリカの学者が、日本の最高裁をインタビューもふくめて分析した本です。
 日本は積極的に実現するに値する憲法に恵まれている。日本国民は世界で最古の部類に属するが、にもかかわらず、最先端の憲法を有している。
 日本国憲法は、制定して66年になるが、ほとんど陳腐化していない。日本国憲法はそれが施行された当時、かなり先進的なものだったが、今でも世界に立憲主義の主流にしっかりとどまっている。
 改憲を意図する保守派は、外国からの押しつけ憲法と特徴づけることで、その正当性を掘り崩そうとしてきた。しかし、反動的な政治家に憲法を押しつけることと、日本国民に憲法を押しつけることには重要な相違点がある。
 アメリカ人の学者である著者は、このように日本国憲法を高く評価し、改憲派を厳しく批判しています。最高裁判所が1947年に発足してから、違憲無効として法令は、わずか8件のみ。ドイツの連邦憲法裁判所は600件以上の法律を違憲無効としている。
 司法部は一群のエリートの幹部裁判官に牛耳られている。彼らは最高裁長官を含む重要な司法行政ポストに就き、強大な権限を行使して、自分たちの好む見解を司法部の隅々まで常に押し通すころができる。
 彼らが統一性と継続性を達成するために用いる官僚機構は、保守的な政治のルールを保守的な司法部の行動へ常に忠実に翻訳してきた。
裁判官の再任審査を外部に対して透明化するために設置された下級裁判所裁判官指名諮問委員会は、任命過程をとりまく透明性を向上させることにはつながらなかった。委員会の議事要旨をみても、委員会の議論の中味はわからない。委員は政府のために働いている。
 日弁連から選ばれた委員は、委員会にとっての厄介者だった。弁護士からの任官が目立って拒否されている。弁護士が司法部左派であるのは広く知られているので、弁護士任官に司法部が難色を示すのは、法廷のイデオロギー的バランスからみても当然のことかもしれない。
 青法協から脱会した裁判官のなかには、その後、順調なキャリアを重ねた者も多くいる。そのなかの一人の町田顕は最高裁長官にまでのぼりつめた。
 もっとも有力な司法官僚は最高裁人事局長である。事務総局は、より人気のある任地を特定の裁判官に割りあてている。人事局長ポストは、現役局長がたいてい自分の後継者を指名する。
 日本の最高裁について、かなり踏み込んでインタビューし、分析している面白い本です。
(2013年6月刊。1900円+税)
 炎暑の夏がようやく終わったようです。お盆過ぎから大雨が続いていたせいか蝉の鳴き声もぱったり止んでいましたが、ツクツクボースが鳴きはじめました。一気に秋の気配となりました。芙蓉のピンクの花が咲き、彼岸花も見かけます。車中にある温度計も19度を表示したり、8月の36度の表示が表示が嘘のようです。
 季節の変わり目です。みなさん、風邪などひかないようにしましょう。

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