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カテゴリー: 司法

とらわれた二人

カテゴリー:アメリカ / 司法

著者  ジェニファー・トンプソン、ロナルド・コットンほか 、 出版  岩波書店
 レイプ犯として11年も刑務所に入っていた黒人がDNA鑑定と、それにもとづく真犯人の自白によって無罪となった話です。そして、もう一方でレイプ被害にあった白人女性の心の痛み、しかも、間違って無実の犯人と名指ししたことによる罪の呵責(かしゃく)をどう考えるのかという重いテーマもあります。実は、本書はこの二つの視点からスタートします。
 そして、この本は、その両者を結びつけ、冤罪の被害者とレイプの被害者とがついに手をとりあって和解したという感動的な実話なのです。
 それにしても、目撃証言というのは、本当にあてにならないもの、信用できないものなんですね・・・。
私は単なるレイプ事件の被害者ではなく、記憶力が最低のレイプ被害者で、そのため、ある人が11年間も無駄にしてしまった。どうして、私は、そんな愚かなことをしてしまったのだろう・・・。
 ロナルド・コットンが犯人だという思いに捕らわれ、過剰なほどの自信をもってしまった。あの夜の記憶は鮮明で、理屈というよりも直感的で、意のままに再生できるビデオテープのようなものではなかったのか。
ロナルド・コットンの顔を面通しで見て、さらに法廷で見ることは、つまり、次第に彼の顔が私を襲った犯人の元々の像にとって代わっていくことを意味した。法律の専門書で、それは「無意識の転移」と呼ばれる。要するに、私の記憶が歪められたということだ。私は自分を襲った人を30分も見たし、彼の顔は私と数インチしか離れていなかった。それなのに、私は完璧に間違ってしまった。
 無実の被告人を弁護した弁護士たちは、まったくの無報酬でがんばっていたのでした。これまた、すごいことです。そして、無罪になったときに言ったのは・・・。
 「我々の仕事に対しては、一切、報酬はいらない。ロン、ただ、君の自由を最大限活用してくれたらいい」
 「生産的な生き方をしてほしい。それが、我々の求める最良の報酬だ」
 すごいですね。アメリカにも、私たちと同じようにがんばる弁護士はいるのですね。うれしくなります。
刑務所で生きのびるためには、鍛えて強い身体を維持しなければならない。走ったり、腹筋運動や腕立て伏せしたり、あらゆる方法で身体を動かした。
 刑務所に収監された直後は、とても重要だ。戦いの勝敗が、そこになじめるかどうかを左右する。刑務所では、弱虫に見られないようにするのが大切だ。そうすれば利用されずにすむ。たとえ負けたとしても、やり返すことで、一目置かれるようになる。
 刑務所では、多くの者が身を守るために、自分を殺人を犯して服役しているという。そうすれば、たちの悪いやつに見えると思っているのだろう。ここでは、誰を信じていいのか、決して分からない。
 アメリカでは、DNA鑑定によって、300人以上の有罪判決がくつがえっているとのことです。これは、すばらしいことであると同時に、実に恐ろしいことです。そして、それは、被告人とされた無実の人だけでなく、被害者にも二重の苦しみを与えることになるわけです。よくぞ、本にしてくれたと思います。感謝します。
(2013年12月刊。2800円+税)

憲法改正のオモテとウラ

カテゴリー:司法

著者  舛添 要一 、 出版  講談社現代新書
 今や東京都知事である著者が、野に下っていたときに書いた本なので、自民党を激しく批判しています。なにしろ、自民党から「除名」されたのですから、批判するのも当然です。ところが、この本が出るころには、自民党推薦で東京都知事候補になっていたのでした。ですから、報道によると、この本でも批判のトーンが当初よりも緩和されているといいます。
 それでも、自民党の改憲草案と鋭く批判しているところは、幸いに残っています。
憲法改正とは、政治そのものである。これは、私も、まったくそのとおりだと思います。
 立憲主義を分かっていない国会議員に任せて大丈夫なのか・・・。
 これまた、私も同じで、大きな不安感が募ります。
著者は、自民党の改憲草案(第一次)のとりまとめの責任者だった。
 ところが、第二次草案を一読して驚いた。右か左かというイデオロギーの問題以上に、憲法とは何かについて基本的なことを理解していない人が書いたとしか思えなかった。
先輩が営々として築いてきた、過去における自民党内の憲法論議の積み重ねが、まったく生かされていない。
 憲法とは、国家権力から個人の基本的人権を守るために、主権者である国民が制定するもの。つまり、法によって権力を拘束するもの。
 「個人」を「人」に置きかえてしまうと、「人」の対極は犬や猫といった動物のこと。「個人」のような「国家権力」との緊張感はない。
 家族構成員間の相互扶助などは、憲法に書くべきようなことではない。
 自民党内部でも、それなりに意見交換していた。自民党内の独自派は、中曽根康弘、安倍晋三の両氏のみ。協調派は、宮澤喜一、橋本龍太郎、与謝野馨、福田康夫であった。
 自民党内で改憲草案を作成するに至る政治の動きがよく分かり、面白く思いました。
(2014年2月刊。900円+税)

パワハラに負けない

カテゴリー:司法

著者  笹山 尚人 、 出版  岩波ジュニア新書
 とても分かりやすい、労働法の入門書です.大学生向けの教科書として、広く普及できたら、日本は、もっとまともな国になるのではないかと思いました。
なにしろ、今の自民・公明政権は財界言いなりで、労働者の使い捨てをギリギリすすめていますから、労働者の権利なんて絵に描いた餅ほどの軽さでしかありません。ひどい社会です。そんな社会だから、秋葉原事件や食品工場での毒物混入事件が起きるのではないでしょうか。中国の毒入りギョーザ事件も同じだと思います。
自分が大事にされていると思わない労働者は、追い詰められたら、とんでもないことをして社会に報復してしまうのです。もっともっと、働く人を大切にする社会にする必要があります。
 それにしても、この本は読ませるストーリーになっています。まだ40代の若手(中堅)弁護士ですが、これで何冊目なのでしょうか。読みやすさと、解説の深さに息を呑んでしまいそうになります。
 主人公は、望まずして労働弁護士になった阿久津弁護士です。パワハラ事件の相談を受け、裁判を担当するなかで、事件と先輩弁護士たちに鍛えられ、物の見方がぐんぐん変わっていき、人間としても大きく成長していく姿が生き生きと描かれています。そして、話の途中では、なんと、自分自身がパワハラの加害者になったというエピソードまであるのです。心憎いばかりの筋立てです。いやはや、完全に脱帽です。
労働契約とは何か、が語られています。
 労働者は奴隷ではない。だから、対等の立場で契約する。これは、口で言うのは簡単ですが、実践するとしたら、それこそ血のにじむ思いをせざるをえなくなります。
 日本にはブラック企業が現に多く存在している。使用者と労働者が、まるで昔の殿様と家臣のような関係になっている。これは、おかしい。明らかに法律の考え方に合致していない。
身の危険があるようなら、労働者は、たとえ業務命令であっても就労義務は負わない。これは、千代田丸事件についての1968年12月の最高裁の判例。
パワハラ事件では、ICレコーダーによる録音が決め手になることがある。
 民事訴訟では、音声記録が相手の承諾を得ていないから証拠としての価値がないとされることはない。パワハラの被害者は、自分が今まさに人格の崩壊をさせられようとしているのだから、自分の身を守る手段として録音するのは、必要やむえをえざる対抗手段なのだ。
 まことに、そのとおりだと私も思います。大変基本的で大切なことが盛り沢山の入門書です。若手弁護士、そして子どもたちに大いに読んでほしいものです。
(2013年11月刊。840円+税)

法の番人・内閣法制局の矜持

カテゴリー:司法

著者  阪田 雅裕 、 出版  大月書店
 第61代の内閣法制局長官だった阪田雅裕弁護士に、愛知県の川口創弁護士がインタビューして出来あがった本です。テーマが憲法9条と集団的自衛権ですので、どうしても難しくなりがちなのですが、問答形式の本ですので、かなり分かりやすくなっています。
 内閣法制局が憲法を守ること、政府(権力)には憲法の縛りがかかっていることをよくよく自覚して法令の解釈をしてきたことが、実感をもって伝わってきます。
 ある意味で、それは綱渡りのような解釈作業なわけですが、憲法の下ですべてを統制するという使命感にあふれていますので、その言いたいことがよく伝わってきます。
 安倍首相が任命した小松一郎長官は、国会での答弁において、憲法の文言自体を何回も言い間違えていましたが、本来、そんなことはありえないことも、よく分かります。
小松氏は辞任後まもなく病気(どこかの癌です)にかかってしまいましたので、こんなストレスの多い長官職なんか就任すればいいと私も思いますが、それを指摘した共産党議員に対して、ムキになって言い返したと報道されました。よほど人間が出来ていない長官のようです。残念ですね・・・。
 著者は護憲の立場から9条を守ろうという主張ではない。一貫しているのは、立憲主義を守るという観点である。
 著者は、東大法学部を卒業する前に、国家公務員の上級職試験と司法試験の両方に受かり、大蔵省に入省した。これは、超エリートのコースですね。
 大蔵省に入って、いくつか出向して、アメリカなどにも留学したあと、15年目に内閣法制局に移った。内閣法制局には、生え抜きはいなくて、15年ほど官庁に勤めた人が入ってきて、参事官となる。参事官は、専門性をもったスタッフとして働いている。70人あまりの構成のうち、30人以上が部長、課長、参事官という構成である。
 内閣法制局は、審査事務と意見事務を扱う。法律どうしが、お互いに矛盾せず、全体として整合性が保たれているかをチェックする。
 法案の素案が出来ると、その省庁の担当者とチェックする。3時間では終わらず、少なくとも半日はかける。
内閣の閣議のときにも、法制局長官は陪席する。他には、官房副長官が3人のみ。国会で首相が答弁するときにも、法制局長官は、すぐうしろに控えている。
 法制局長官は、質問に対しては、ともかく答える。答えるのが、長官としての最低限の責務である。ただし、国会の質疑は、良く聞いて理解しようというものではない。
たまたま、ときの政権が違う考え方もあるからと言って変えてしまえば、逆に戻してもよいことになり、あってないようなものになる。
憲法9条は縛りとして現に機能してきた。ベトナム戦争でもイラクだって、9条によって犠牲者を出すことがなかった。
 国連の集団安全保障措置であっても、それが武力行使にあたる行為であれば、憲法9条が禁止している。
自衛隊の役割は、外国から侵略があったときに排除するということ。だから、武力攻撃がわが国に対して加えられることが大前提になる。この武力攻撃というのは、わが国の領土に対する攻撃が想定される。集団的自衛権をいうのなら、アメリカ本土に対して武力攻撃が加えられたときと言ったほうが、分かりやすい。
 しかし、アメリカ本土を攻撃するような国が、現在、考えられるのか・・・。そのとき、日本の自衛隊が出ていって、本当に役に立つのか。日本は本当に守れるのか。
 集団的自衛権というのは、個別的自衛権とは違って、非常に新しい概念である。戦後に、国連憲章51条で初めて登場したものの、この集団的自衛権というのが実力行使に限られることがはっきりしてからは、その行使は一切出来ないという解釈に内閣法制局は固まった。
 集団的自衛権の行使は国際法上の義務ではないので、国際法と整合性である必要はないというのが従来の政府の立場だ。
憲法規範というのは、一内閣がこうしたいと思ったからといって変えられる性格のものではない。憲法の枠内で動くのでなければ立憲主義は成り立たない。
 気に入らなければオレたちはこう解釈する。なんていうことは許されないのです。
(2014年2月刊。1600円+税)

絶望の裁判所

カテゴリー:司法

著者  瀬木 比呂志 、 出版  講談社現代新書
 最高裁中枢の暗部を知る元エリート裁判官、衝撃の告発。これが本のサブタイトルです。著者は私より5歳だけ年下の元裁判官です。現役時代から、たくさんの本を書いていましたが、今回は、裁判所の内情は絶望的だと激しい口調で告発しています。
 市民の期待に応えられるような裁判官は、裁判所内で少数派であり、また、その割合はさらに減少しつつある。そして、少数派、良識派の裁判官が裁判所の組織に上層部にのぼってイニシアチヴを発揮する可能性は皆無に等しい。
 訴訟当事者の心情を汲んだ判決はあまり多くない。
 日本の裁判所、裁判官の関心は、端的に言えば、「事件処理」ということに尽きている。とにかく早く、そつなく、事件を「処理」さえすれば、それでよい。司法が「大きな正義」に関心を示すのは好ましことではない。
 日本の裁判所は、「民を愚かに保ち続け、支配し続ける」という意味では、非常に「模範的」なところである。
 裁判官と呼ぶにふさわしい裁判官も一定の割合で存在することを認めつつ、裁判所のトップと裁判官の多数派については、深く失望、絶望している。
 1959年の砂川事件の最高裁判決における当時の田中耕太郎最高裁長官のとった行為、要するに当事者であるアメリカ大使に裁判所の合議の秘密を政治的な意図でもたらしたことが、ここでも大きく問題とされています。まったく同感です。これが、日本の司法の現実、実像なのである。
 著者が最高裁調査官をつとめていたとき、ある最高裁の裁判官が、「ブルーパージ関係の資料が山とある・・・」と高言したといいます。最高裁が青法協に加入していた裁判官を「いじめ」、きびしい思想統制を始めた事件のことです。「ブルー」とは青法協をさします。
 ブルーパージとは、いわば最高裁司法行政の歴史における恥部の一つ。それを大声で自慢げに語る神経は、本当にどうにかしています。しかし、最高裁の内部では、それが当たり前に堂々と通用していたのですね・・・。
 現在、多くの裁判官がしているのは、裁判というより事件の「処理」である。そして、裁判官というよりは、むしろ「裁判をしている官僚」「法服を着た役人」というほうが、本質に近い。当事者の名前も顔も個性も、その願いも思いも悲しみも、その念頭にはない。裁判官を外の世界から隔離しておくことは、裁判所当局にとって非常に重要である。裁判所以外に世界は存在しないようにしておけば、個々の裁判官は孤立した根なし草だから、ほうっておいても人事や出世にばかりうつつを抜かすようになる。これは、当局にとって、きわめて都合のいい事態である。
 石田和外長官の時代以降に左派裁判官の排除にはじまった思想統制・異分子排除システムは、現在の竹崎長官の体制の元で完成をみた。一枚岩の最高裁支配、事務総局支配、上命下服、上意下達のシステムがすっかり固められた。個々の裁判官の事件処理については毎月、統計がとられて、「事件処理能力」が問われている。
 だから、裁判官はともかく早く事件を終わらせることばかりを念頭に置いて、仕事をする傾向が強まっている。
 しかし、裁判において何よりも重要なのは、疑いもなく「適正」である。これを忘れて、裁判官は、とにかく安直に早く事件を処理できて件数をかせげる和解に走ろうとする傾向が強い。日本の裁判所の現状を、つい最近まで裁判官だったにた意見をふまえて鋭く告発した本です。
うんうん、そうだよねと深くうなずくところが大半でしたが、少しばかり視野が狭くなってはいないかと思ったところもありました。たとえば、著者は裁判官懇話会には一度も出席したことがなかったのでしょうか。
 「左派裁判官」というレッテル張りよりも、いかがなものかと私は思いました。
 要するに、親しい裁判官仲間がいなかったのかなという印象を受けたということです。大変インパクトのある本だと私は思いましたが、裁判所内部では、どうなのでしょうか。結局、変な男の変な本だとして、切り捨てられ、排除されてしまうのでしょうか・・・。
(2014年2月刊。760円+税)

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