法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: 司法

秋田に土着して半世紀

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 沼田 敏明 、 出版 秋田中央法律事務所
最近の司法修習生の7割は東京・大阪。そして多くが企業法務かテレビCMなどで全国展開する大手事務所を志向している。
若者の大都会志向が強まっていることに加えて、その主たる理由の一つが、東京のほうがいろんな事件を扱えて勉強になると若者たちが考えていることにあると聞きました。
ええーっ、東京より地方のほうが、千差万別、多種多様な事件に触れる機会が多く、勉強になると思うのですが…。きっと、地方の弁護士が、どんなことを実際にしているのか、してきたのか若い人に伝わっていないのですよね。
私も、最近、自分の扱ってきた事件を『弁護士のしごと』(花伝社)としてまとめ出版しました。田舎の弁護士の実際の仕事ぶりを若い人に伝えたいと思ったからです。
この本は、北海道出身の著者が秋田での50年間の弁護士としての活動を振り返ったものです。第22期の司法修習生ですから、私より先輩にあたりますが、本当にいい仕事をし、世の中に大きく貢献してきたこと、また、私生活では40歳から山登りを楽しむなど、悔いない人生を歩んできたことが実感として伝わってきます。
130頁ほどの小冊子で、フツーの本の格好ではありませんので、少し読みにくいところもありますが、内容は、ぐぐっと濃いもので、後進の弁護士にとって、大いに勉強になります。
なかでも秋田県が「塩サバ事件」と名づけた、生活保護をめぐる加藤人権裁判はその勝利判決は全国にもいい意味で、大きな影響を与えました。
リューマチにかかり重度の障害者になった加藤さんは、一匹の塩サバを小さく切って何日ものおかずにして節約し、付き添い看護費用に充てるため預金したのです。その預金が73万円になったのを知った秋田県が収入認定し、墓と葬儀費用以外に使ってはいけないという「指導・指示」処分をしたのでした。しかし、加藤さんは、すでに墓は確保してあり、献体を約束しているので、葬儀費用は不要なのです。生活保護費を切り詰め、付き添い看護費用に充てるための預金を収入認定するというのは、あまり人間性を無視した冷酷・無比の行政です。さすがに秋田地裁は、加藤さん側の圧勝。被告の秋田県知事は控訴もできず、福祉事務所所長は、加藤さん宅を訪問して謝罪したのでした。
このほか、国保税裁判では憲法87条違反(一審)、それに加えて憲法92条違反(二審)を判決で明示するという画期的判決を勝ちとっています。秋田市は、最高裁でも負けたら、年間50億円もの国保税収入を5年前にさかのぼって市民に返還しなければならなくなることから、「和解」を申し出て、「申請減免制度」がつくられたとのこと。すごいです。
大王製紙誘致反対の裁判でも、秋田県440億円の補助のうち240億円の支出をしてはならないという。地方公営企業法違反による差止判決を得ています。この結果、大王製紙は進出を中止したのでした。
著者は、法廷において主導権を確保することが大切だと力説しています。まったく同感です。
法廷で、裁判所から質問されたり、相手方から釈明を求められたりして、なんとなく回を重ねているというのは、大変まずいこと。そういう雰囲気にならないよう、毎回、必ず声を出し、こちら側から相手に説明を求めていく。そうやって、法廷で被告行政の側がおかしいことをしているというムードをつくりあげていくことが大切だ。本当に、そのとおりです。
著者がまだ40代の若手弁護士のころ、弁護士会の会長や副会長がボス(長老)弁護士の談合で決められているのを透明化していったということも語られています。福岡でも、かつてはそうでした。そもそも選挙規定すらきちんとしていなかったのです。全会員の投票による会長選挙が実現するまで、容易ならざる困難がありました。弁護士会館には、福岡部会以外の副会長は机すらなかったのです。
とても読みごたえのある在職50年のあゆみです。引き続きのご活躍を心より祈念しています。
(2022年6月刊。非売品)

『西岡芳樹先生を偲ぶ』

カテゴリー:司法

(霧山昴)
西岡芳樹、 自費出版
大阪の西岡芳樹弁護士(20期。以下、西岡さん)が昨年8月に77歳で亡くなって1年たとうとしているとき、すばらしい追悼文集ができあがりました。
 私も寄稿者の一人です。それは、西岡さんが日弁連の憲法委員会(今は憲法問題対策本部に発展的に改組された)の初代委員長で、私は、その次の次の委員長を3年間つとめたことによります。私の直前の委員長は村越進弁護士で、日弁連会長選に出馬するというので、なぜか福岡の私に声がかかったのです。
そして、この3人は、みな大学生のころセツルメント活動にいそしんだという共通項があります。私が川崎セツルで、西岡さんは亀有セツル。
この本によると、西岡さんの配偶者の恵子さんもセツラーで、ダンパで初めて出会ったらしいのに、西岡さんには何の記憶もなかったらしいとのこと。
灘中、灘高卒の西岡さんは、麻雀、パチンコ、ダンス、ボーリング、なんでもござれだけど、「何をしても虚(むな)しい」と言っていたのでした。
長めの髪をオールバックにして耳にひっかけ、細身のマンボズボンに明るい紺色のブレザー。これは、まことに生真面なセツラーにはそぐわない、「派手くるしい格好」。亀有のハウスにも、法相部ではなく、文化部に土曜日ごとにそんな格好でやってきたそうです。いやあ、川崎にはそんな派手な格好のセツラーはさすがに見かけませんでしたよ…。
弁護士になってからも相変わらずのダンディーぶりは変わりませんでした。この文集でも何人も指摘しています。
ちなみに、この冊子の編集責任者の岩田研二郎弁護士(33期)も、亀有セツルと同じ足立区の鹿浜セツルのセツラーです。
恐らく、このセツルメント活動をきっかけとして西岡さんは労弁になることを志向して、駒場で司法試験の勉強を始め、本郷の3年生のとき、さっさと合格したのでした。
そして、結婚するときに恵子さんに言ったのは…。
「ぼくはビジネスで弁護士をやるのではない。ワークでやるのだから、経済的には期待しないでほしい」
似たようなことを、娘(三女)にも西岡さんは言ったそうです。
「商売で弁護士をやってるんじゃない」
西岡さんは、文字どおり人権派弁護士として最後までがんばりました。
西岡さんが弁護士として取り組んだのは、弁護士会の人権擁護委員会(医療問題)、そして憲法委員会を別にすれば、中国在留日本人孤児国賠訴訟とマンション問題。実は、私は今も築20年以上のビルの建築瑕疵の修理代をめぐる裁判を担当していますが、その消滅時効の問題をいかにクリアーするか悩んでいて、インターネット検索したところ西岡さんの論文がヒットしたのです。それで、旧知の仲なので西岡さんの自宅兼事務所に電話をかけて教えを乞いました。いつものように優しい口調で教えてもらって助かりました。まさか、それほど西岡さんの病状がひどいとは夢にも思いませんでした。
西岡さんは、へビースモーカーだったようで、死因も肺ガン。それでも、何回も死の淵から生還し、娘や孫たちを励まし、喜ばせたようです。西岡さんがすごいのは、そのときの食事。好きなものを好きなように食べたのです。抗ガン剤のあとも、食欲があまり低下せず、恵子さんの手づくり肉じゃが、虎屋の羊かん、そして店のカレー、うなぎ弁当、かりんとう万十、チーズケーキ、プリン。いやはや、なんとも…。
実は西岡さんは自ら料理人でもありました。でっかいマグロを自分でさばいたというのには私はびっくりたまげてしまいました。
いやあ、すばらしい追悼文章です。
「自分の人生に悔いはない」と西岡さんは家族にもらしたとのこと。まことにそのとおりです。でも、昨今のキナ臭い状況をみると、西岡さんは、彼方から、なにしてるんや、なんとかせいやと渋いダミ声で叱咤激励されそうです。いえ、先生、なんとかがんばりますから…、と返したいものです。
(2022年6月刊。非売品)

「小説・弁護士のしごと」

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 霧山 昴 、 出版 花伝社
「小説・司法試験」、「小説・司法修習生」に続く第3弾、シリーズ完結編です。幸いなことに、前2作も増刷が決まりました。
新書版で6冊出していたなかから、一般の人にも読んでもらえそうな、いえ読んでもらいたい事件を9つ選びました。
小説としているのは、たとえば統一協会(教会ではありません)の霊感商法によって、いかに騙されていくのか、フツーの主婦の心理を描きながらも、ついに弁護士が被害を全額回復する過程を紹介していることによります。それは直接交渉でした。同じことを先物取引被害の回復でも試みましたが、こちらは懲戒申立されてしまいました。それをいかに切り抜けたのか、その点も小説として再現しています。
直接交渉のワナにも危く陥りそうになります。この話は絵になると見込んだテレビ局(「アフタヌーンショー」)が東京から飛んできて、突如としてライトで煌々と照らし出されるのです。いやはや、悪徳弁護士そのものとして全国の茶の間に登場させられようとしたのです。
電柱に選挙向けのポスターを貼っていたところを見とがめられ、警察に逮捕された若者2人の弁護人としての活動も、その2人と公安係警察官との思想闘争が再現されます。弁護人として接見しようとするのを警察は妨害します。それでも2人の若者は完全黙秘を貫き、外で応援する人たちの支援を受けて、ついに不起訴にもち込みました。これまた小説でなければ再現できない迫真のやりとりです。
コラムも興味深い内容です。まず、日本の女性はみんな弱いわけではない、昔も今も強いことを江戸時代の文献を紹介しつつ実感をもって語ります。そして、江戸時代の人々が裁判を嫌っていなかったこと、また、それを支える公事師(くじし)が活躍していたこと、訴状が寺子屋の教本として使われて普及していたことが明らかにされています。いやはや江戸時代の人の戦闘的な生き方を現代日本人はもっと学ぶべきではないでしょうか。おとなしすぎませんか…。ストライキがほとんど死語となり、街頭でのデモ行進もあまり見かけません。コロナ禍対策の政府の無策ぶりにもっと怒って当然です。年金が減らされ、病院の窓口負担が倍になるというのに、軍事予算は倍増しようというのです。もっと怒りましょう。
弁護士にとっては、証人尋問、とくに反対尋問のすすめ方という、とても実践的なコラムもありますので、明日からの実務にきっと役立つ思います。
最後に、学生セツルメントで活動していた著者は、弁護士になってからも、草の根民主主義を強く育てるために大いにがんばっていることも明らかにされます。
360頁なのに1500円の安さは、ロースクール生だけでなく高校生や大学生にも読んでほしいからです。ぜひ、手にとって読んでみてください。そして、周囲の若い人に広めてください。よろしくお願いします。
(2022年6月刊。税込1650円)

普通のおばちゃんが冤罪で逮捕?

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 禰屋 町子 、 出版 倉敷民商弾圧事件の勝利をめざす全国連絡会
信じられますか。起訴した検察官が立証計画を出せないため、4年以上も公判が開かれていないなんて…。岡山地裁で有罪判決が出たのを高裁が破棄して、差し戻しを命じたのに、検察官は4年たっても有罪立証の計画をまとめることができないというのです。こんな起訴は、公訴権の乱用として裁判所はさっさと棄却すべきではないでしょうか。信じられない検察官の怠慢です。
しかも、被疑者・被告人とされた禰屋さんを逮捕したあと、裁判官はなんとなんと、428日間(1年2ヶ月)も保釈を認めませんでした。ひどい、ひどすぎます。涙が出てきます。
禰屋さんの容疑は民商事務局員として、建設会社の脱税を幇(ほう)助したというものです。しかし、その「主犯」の社長夫妻は有罪にこそなっていますが、逮捕されていませんし、さっさと執行猶予判決で終了しているのです。
そして、脱税幇助といっても、肝心の建設会社の社長夫妻には、「隠し財産」(「たまり」と呼ばれています)は発見されていません。私も「脱税」事件の弁護人をつとめたことがありますが、脱税事件で肝心なことは、この「たまり」があるかないか、なのです。私の担当した事件でも、「たまり」は発見されておらず、苦しい自転車操業をしていたのを国税局が資金繰りに余裕があると勘違いして摘発したのでした。帳簿の記帳に問題があり、早く裁判を終わらせたいとの社長の意向から、容疑を認めて、無事に執行猶予判決で終わりました。
禰屋さんが逮捕されたのは、今から8年以上も前の2014年1月のこと。起訴されたあと、2017年3月に、岡山地裁(江見健一裁判長)は有罪判決(懲役2年、執行猶予4年)を言い渡した。控訴審の広島高裁岡山支部(長井秀典裁判長)は、2018年1月12日、一審判決を破棄して、岡山地裁に差し戻しました。
3年間で「6000万円の脱税」を手助けしたというのですから、当然、そのお金はどこかにあるはずです。しかし、税務当局も警察・検察も、「たまり」を発見することができませんでした。つまり、「たまり」はなかったのです。要するに、売上金の計上時期を先送りしたこと、棚卸高もきちんとしていなかったという手続上の問題があっただけなのでした。
そのうえ、本件の調査を担当した国税調査官の報告書を一審の裁判官は、あたかも客観的な鑑定書であるかのように扱って、有罪の根拠としたのです。もちろん、そんなことは許されません。
わずか30頁あまりの小冊子ですが、読んでいて、国税当局そして、それに追随した警察・検察のでたらめさ、それを放任しているかのような裁判所に腹が立って仕方ありませんでした。ぜひ、あなたも手にとってお読みください(パンフの入手先は03-5842-5842)。
(2022年5月刊。税込100円)

生き直す免田栄という軌跡

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 高峰 武 、 出版 弦書房
この本の表紙裏に簡潔に免田事件が要約されています。免田(めんだ)事件とは、日本で初めて死刑囚として確定した人が、再審で無罪になった冤罪(えんざい)事件。
事件は、1948年12月末に熊本県人吉市で起きた一家4人の殺傷事件。翌年1月に免田栄さんが強盗殺人事件容疑者として逮捕された。免田さんは一度容疑を認めて自白調書がつくられた。その後、容疑を否認し続けたが、1952年1月に死刑が確定した。その後、6回もの再審請求がなされたあと、1983年7月に免田さんのアリバイが認められて無罪判決となり、即日釈放された。免田さんは釈放後は福岡県大牟田市に居住し、2020年12月に95歳で亡くなった。
免田さんは1925(大正14)年、11月熊本県球磨(くま)郡免田町(現・あさぎり町)に生まれた。免田さんが強盗殺人などの罪で逮捕されたのは23歳のとき。それから34年間も獄中生活にあり、「自由社会」に出てきたときには57歳になっていた。
免田さんは筆まめで、獄中から家族に充てて400通もの手紙を書いて送った。この本によると、その手紙の原本は残っていないものの、コピーが残っているとのことで、その一部が本書で紹介されています。
死刑判決を受けてヤケになっていた免田さんに、再審請求という手だてがあることを教えたのは、同じ死刑囚のUだった。免田さんの再審請求には何人もの弁護士が手伝っていますが、日弁連も後押ししています。
免田さんは死刑囚として、拘置所で長く過ごしていますが、花壇をつくり、カナリアを飼っていた。拘置所で死刑囚がカナリアを飼っていた、飼えるというのを始めて知りました。
熊本について、「ねずみ講」が始まったところ、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の生まれたところだと紹介されています。騙される人は多いけれど、騙す側の人も熊本は生み出しているということです。
「よう生きてきたなあ」という免田さんの述懐が紹介されていますが、本当にそのとおりです。
一度は死刑判決を受けて最高裁で確定しながら、再審裁判で無罪となり、その後は、「自由社会」で結婚し、全国に出かけて冤罪を生み出す裁判の問題点を鋭く告発していました。
95歳まで長生きできた免田さんの生涯、とりわけ無実の人がなぜ自白してしまうのか、その心理は究明されるべき現象です。ご一読を強くおすすめします。
(2022年1月刊。税込2200円)
 土曜日の夜、近くの小川にホタルが飛びかうのを見に行きました。
 フワリフワリと飛んでいるのを、ひょいと両手でつかまえ、手のひらに乗せて明滅するホタルを間近に見ます。心がなごむ瞬間です。
 竹やぶにとまっているホタルたちが5匹か6匹ほど、同時に明滅していました。初めてです。
田舎に住む良さは、歩いて5分でホタルを眺めることができることです。
 日曜日の夕方。庭のジャガイモを掘り上げました。大きなバケツ2箱ほど収穫できました。メークイン、男爵、キタアカリです。当分、ジャガイモ料理が食卓をにぎわしてくれます。初日は、小粒のものをオーブンで焼いて、塩こしょうをふりかけ、また、マーガリンを塗って食べました。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.