法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: 司法

見直そう!再審のルール

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 安部 翔太 ・ 鴨志田 祐美 ほか 、 出版 現代人文社
 大崎事件で再審開始決定を取り消した最高裁はひどかったですね。許せないと私も思いました。担当していた鴨志田弁護士は、一時は責任をとって自死することまで考えたそうです。早まらなくて本当に良かったです。今や日弁連あげて再審法改正に向かって全力をあげていますが、本当にいいことだと思います。
 この本で、またまた、いくつか発見しました。
 その一は、道路交通法違反事件で、441人について再審開始が決定されたこと。これは自動速度違反取締装置の誤操作があったとして、検察官が再審請求し、それが認められたというものです。そんなことがあったなんて、私はまったく知りませんでした。
 2017年から2021年までの5年間に再審事件の手続を終えた人が13人いて、この全員が無罪になっています。有名な松橋事件、湖東事件といった殺人事件があります。そして、商標法違反事件まであります。
 その二は、再審には2つの型があり、ファルト型再審は偽証拠型再審。ここでは、証拠の偽造・変造などが確定判決によって証明されていなければならなかった。このハードルは、きわめて高い。もう一つは、ノヴァ型再審で、こちらは「新証拠」を必要とする。でも、現実には、こちらのノヴァ型再審が大部分を占めている。新証拠は「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」でなければならない。
 その三は、韓国で現職の女性検察官が果敢に内部告発したこと、それは、検察幹部の告発でもありましたので、その地位が危いところでした。
 再審開始決定に検察官の異議申立を認めるわけにはいきません。開始決定は、あくまで審理を開始するだけのことなのです。始まった再審で検察官は自分の主張を述べる機会が十分に確保されているのですから…。
(2023年7月刊。2400円+税)

評伝・弁護士・近内金光

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 田中 徹歩 、 出版 日本評論社
 栃木県に生まれ、京都帝大を卒業後、農民組合の顧問弁護士として活発に活動していたところ、「3.15事件」で逮捕され、懲役6年の実刑となり、刑務所に収監された。獄中で発病し、弁護士資格を剝奪され、1938(昭和13)年に病死。享年43歳。
 近内(こんない)弁護士の歩みを、同じく栃木県出身の著者が丹念にたどった本です。
「これほど純粋無垢な男は見たことがない」
「典型的な革命的弁護士」
「栃木弁まる出しの弁論は、熱と力に充ち、いささかの虚飾なく、冗説なく、一言一句、相手方の肺腑(はいふ)をえぐる鋭さがあり、裁判長や相手方弁護士を狼狽(ろうばい)させた。農民にとっては、実に小気味よく、思わず嘆声をあげ、随喜の涙さえ流した」
「弁護士というより、闘士として尊敬されていた」
「包容力があり、芯に強いものをもっていた」
近内は二高に合格したあと、さらに翌年(1918年)、第一希望の一高に合格して入学した。1918年というと、前年(1917年)にロシア革命が起こり、7月には富山などで米騒動が起きていた。そして、翌1919年3月、朝鮮では三・一独立運動、5月に中国で五・四運動が発生した。まさに世界が激動するなかで一高生活を送ったわけです。
また、1918年12月には、東大新人会が結成された。1918年9月には原敬内閣が誕生してもいる。
近内と同じく一高に進学した学友の顔ぶれを紹介しよう。いずれも有名人ばかりだ…。吉野源三郎(「君たちはどう生きるか」)、松田二郎、村山知義、前沢忠成、戸坂潤、など…。そして、近内たちの前後には、尾崎秀実、宮沢俊義、清宮四郎、小岩井浄などがいる。いやあ、驚くほど、そうそうたる顔ぶれです。
近内は一高では柔道部に入った。柔道二段の腕前だった。
近内は、1921(大正10)年3月、一高を卒業し、4月、京都帝大の法学部仏法科に入学した。
京都帝大の学生のころ、近内は目覚め、社会主義への関心を持つようになった。
近内は一高そして京都帝大に在籍した6年間、フランス語も勉強した。モンテスキューの「法の精神」やシェイエスの「第三身分とは何か」を一生懸命に翻訳した。
近内は1925(大正14)年12月、司法試験に合格した。
このころ、弁護士が急増していた。1915(大正4)年の弁護士数は2500人もいなかったのに、10年後には5700人になり、1930年には6600人になった。弁護士人口が急速に増加していった。このころも「弁護士窮乏」論が出ています。
そして、1921(大正10)年に自由法曹団が誕生した。同じく、翌年(1922年)7月、共産党が結成された。
このころ、大阪は、人口211万5千人で、200万人の東京を上回る、日本一の大工業都市だった。
近内が弁護士として活動したのは27歳から30歳までのわずか2年4ヶ月のみ。近内は、信念にもとづき、妥協を排し、まっすぐに主張を貫く姿勢で弁護活動を展開した。野性横溢(おういつ)、叛骨(はんこつ)稜々(りょうりょう)という言葉は那須(栃木県)の地に生まれ、農民魂を忘れることがなかった近内の真髄を表している。
1926(大正15)年1月の「京都学連」事件は完全な当局によるデッチあげ事件(冤罪事件)で、近内は、その学生たちの弁護人となった。この事件の被告人には、鈴木安蔵(憲法学者)や、岩田義道などがいる。
近内は、日本農民組合の顧問弁護士として全国各地で多発していた小作争議の現場に出かけていって、農民支援の活動を展開していった。
まだ30歳の若者が、「父の如く慕われている」「トナリのオヤジ」として親しまれた。
裁判所は昔も今も、大地主や資本家の味方で、小作人の味方は決してしない。
近内は、争点を拡げたりして一見無駄に見える時間の使い方をしていた。それによって、小作人は少しでも長く耕作できるからだ。
今日の公職業法には重大な制約が二つあります。小選挙区制と戸別訪問の禁止です。「二大政党」なんて、まったくの幻です。
この本で、著者は、高額(2000円)の供託金制度も問題にしています。まったくもって同感です。もう一つは小選挙区制です。
労働農民党の40人の立候補のうちの30人は自由法曹団員だった。そして、うち11人は日本共産党の党員だった。
近内も労農党から立候補したが、見事に落選した。この選挙では、無産政党の3人が当選できた。山本宣治のほか水谷長三郎(京都一区)がいた。
近内弁護士について、初めて詳しく知ることができました。ちょっと高額な本なので、全国の図書館に備えてもらって、借り出して読んでみてください。
(2023年8月刊。6300円+税)

世間と人間

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 三淵 忠彦 、 出版 鉄筆
 初代の最高裁判所長官だった著者によるエッセーの復刻版です。
 最高裁長官というと、今ではかの田中耕太郎をすぐに連想ゲームのように思い出します。
 砂川事件の最高裁判決を書くとき、実質的な当事者であるメリカ政府を代表する駐日大使に評議の秘密を意図的に洩らしていたどころか、そのうえアメリカ政府の指示するとおりに判決をまとめていったという許しがたい男です。
 ですから、私は、こんな砂川事件の最高裁判決は先例としての価値はまったくないと考えています。ところが、今でも自民党やそれに追随する御用学者のなかに、砂川事件の最高裁判決を引用して議論する人がいます。まさしく「サイテー」な連中です。
 ということを吐き出してしまい、ここで息を整えて、初代長官のエッセーに戻ります。
 片山哲・社会党政権で任命されたこともあったのでしょうが、著者の立場はすこぶるリベラルです。ぶれがありません。
 厳刑酷罰論というのは、いつの時代にも存在する、珍しくもない議論だ。つまり、悪いことをした奴は厳しく処罰すべきで、どしどし死刑にしたほうが良いとする意見です。
 でも、待ったと、著者は言います。厳刑酷罰でもって、犯罪をなくすことはできない。世の中が治まらないと、犯罪は多くなる。生活が安定しないと、犯罪が増えるのは当然のこと。だから、人々が安楽に生活し、文化的な生活を楽しめるようにする政治を実現するのが先決だ。こう著者はいうのです。まったくもって同感です。異議ありません。
 東京高裁管内の地裁部長会同が開かれたときのこと。会議の最中に、高裁長官に小声で耳打ちする者がいた。そのとき、高裁長官は、大きな声で、こう言った。
「裁判所には秘密はない。また、あるべきはずがない。列席の判事諸君に聞かせてならないようなことは、私は聞きたくない。また、聞く必要がない」
その場の全員が、これを聞いて驚いた。それは、そうでしょう。今や、裁判所は秘密だらけになってしまっています。かつてあった裁判官会議なんて開かれていませんし、自由闊達で討議する雰囲気なんて、とっくに喪われてしまいました。残念なことです。上からの裁判官の評価は、まるで闇の中にあります。
「裁判所は公明正大なところで、そこには秘密の存在を許さない」
こんなことを今の裁判官は一人として考えていないと私は確信しています。残念ながら、ですが…。
江戸時代末期の川路聖謨(としあきら)は、部下に対して、大事な事件をよく調べるように注意するよう、こう言った。
「これは急ぎの御用だから、ゆっくりやってくれ」
急ぎの御用を急がせると、それを担当した人は、急ぐためにあわてふためいて、しばしばやり直しを繰り返して、かえって仕事が遅延することがある。静かに心を落ち着けて、ゆっくり取りかかると、やり直しを繰り返すことはなく、仕事はかえってはかどるものなのだ。うむむ、なーるほど、そういうもなんですよね、たしかに…。
徳川二代将軍の秀忠は、あるとき、裁判において、「ろくを裁かねばならない」と言った。この「ろく」とは何か…。「ろくでなし」の「ろく」だろう。つまり、「正しい」というほどの意味。
訴訟に負けた人の生活ができなくなるようでは困るので、生活ができるようにする必要があるということ…。たしかに、私人間同士の一般民事事件においては、双方の生活が成り立つように配慮する必要がある、私は、いつも痛感しています。
著者は最高裁長官になったとき、公邸に入居できるよう整うまで、小田原から毎日、電車で通勤したそうです。そのとき67歳の著者のため、他の乗客が当番で著者のために電車で座れるように席を確保してくれていたとのこと。信じられません…。
私の同期(26期)も最高裁長官をつとめましたが、引退後は、いったい何をしているのでしょうか。あまり自主規制せず、市民の前に顔を出してもいいように思うのですが…。
(2023年5月刊。2800円+税)

ある裁判の戦記

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 山崎 雅弘 、 出版 かもがわ出版
 竹田恒泰は、「人権侵害常習犯の差別主義者だ」と論評したことから、竹田が原告になって著者を被告として裁判を起こしてきた、その顛末が語られています。
 2020年1月に始まり、裁判は2年以上も続きましたが、地裁、高裁そして最高裁のすべてで著者が完全に勝訴しました。まったくもって当然の結論ですが、それに至るまでには並々ならない努力と苦労がありました。
 竹田恒泰が著者に求めたのは500万円の支払いと謝罪。著者は、名誉棄損の裁判では第一人者の佃(つくだ)克彦弁護士を代理人として選任した。
竹田は、今もユーチューブで自分の差別的な言動をまき散らしているようです。たまりません。ここで引用するのをはばかられるような口汚いコトバで差別的コトバを乱発している竹田のような差別主義者を「差別主義者」と明言して批判する行為が訴訟リスクに陥るなんて、あってはならないことです。それでは差別やヘイトスピーチは良くないといっても実効性がありません。ダメなものはダメだという正論は社会的に守られる必要があります。
日本の社会は差別に甘い。最近ますますそう感じている。著者の嘆きを私も共有します。岸田首相自身が良く言えばあまりに鈍感です。はっきり言って、社会正義を実現しようという気構えがまるで感じられません。だから、竹田のような、お金のある「差別主義者」がユーチューブでのさばったままなのです。若い人たちへの悪影響が本当に心配です。
 アメリカでは、人種差別に抗議しなければ、何も言わなければ人種差別を容認しているとして批判されます。ところが、日本では人種差別を含む差別的言動に対してマスコミが「ノーコメント」、まったく触れないまま黙っている状況が今なお容認されています。ひどい状況です。
 著者が裁判にかかる費用を心配し、インターネットでカンパを募ったところ(今はやりのクラウドファンディング)、2週間で1000万円も集まったとのことです。心ある人が、それほど多いことに救われます。まだまだ日本も捨てたものじゃありません。
 日本人は、世界に類を見ないほど優れた民族である。竹田は口癖のようにいつも言っていますが、これってヒトラーがドイツ民族について同じことを言っていたことを思い起こさせますよね。
 竹田は、自分について、身分はいっしょだけど、血統は違う(旧竹田宮の子孫だということ)と称して、血統による差別を正当化しようとしている。でも、それこそ差別主義者そのもの。いやになりますよね。自分は「宮家」の子孫だから、血統が違うんだと強調しているのです。呆れてしまいます。
 竹田の語る思想を「自国優越思想」と表現するのは、論評の域を逸脱するものではないという判決はまったく当然です。差別主義者の竹田は、自分は明治天皇の「玄孫」にあたると高言しているとのこと。まったくもって嫌になります。そんなのが「自己宣伝のキャッチコピー」になるなんて、時代錯誤もはなはだしいですよね。
 この本のなかで、著者は、竹田について、「この人は本当に、天皇や皇族に深い敬意を抱いているのだろうか」と疑問を抱いたとしています。まさしく当然の疑問です。司法が竹田の主張を排斥したことは、評価できますが、主要なマスコミが、この判決をまったく紹介せず無視したというのに驚き、かつ呆れつつ、心配になりました。日本のメディアは本当に大丈夫なのでしょうか…。
(2023年5月刊。2200円)

女性弁護士のキャリアデザイン

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 菅原 直美 ・ 金塚 彩乃 ・ 佐藤 暁子 、 出版 第一法規
 いま、女性弁護士は8630人で、全体の20%弱(2022年5月末)。女性医師が23%であるのに、近づいてはいる。
 日弁連では、女性会長こそまだ実現していないが、女性副会長クォータ制が導入されているため、年度によっては女性副会長が3分の1近くを占めるようになっている。単位会の女性会長は珍しくないし、女性の日弁連事務総長も実現している。
 日弁連は、地方の裁判所支部に弁護士がいないか、1人だけという状況(「ゼロ・ワン地域」と呼ぶ)を解消しようと努力してきて、一応、その目標は達成した。しかし、支部管内に女性弁護士がいない(ゼロ)ところが63支部もある(2022年1月時点)。
 この本には、16人の女性弁護士が自分の活動状況を報告し、あわせて女性弁護士のかかえる問題点を具体的に指摘しています。
 「弁護士になって本当に良かった。自由に、自分らしく、やり甲斐のある仕事ができる、この仕事が好き」
 私も、これにはまったく同感です。それこそ天職です。
 仕事とプライベートの時間はきちんと分ける。男性の依頼者から食事に誘われるのは断る。信頼関係を築くのが難しそうだと感じたら、初めに断る、途中でも断る勇気を出さなくてはいけない。この点も、同感です。ただ、私にはネイルをする趣味はありません。
 睡眠・食事・運動の三つは大切にしている。仕事をするうえでは、身体的にも精神的にも元気でいることを意識している。そうなんです。元気じゃないと、困っている人の相談に乗るのは難しいし、前向きな解決方法を一緒に考え出すことは無理なのです。
 金塚さんはフランスで育ちましたので、フランス語はペラペラで、フランス弁護士の資格も有しています。私のような、せいぜい日常会話レベルのフランス語を話せるというのと、格段の差があります。すごいと思うのは、週末は乗馬かピアノにいそしんでいるというところです。
 私は週末はボケ防止のフランス語の勉強のほかは、ひたすら本を読み、またモノカキに精進します。
そのほか、金塚さんは自分の好きな服装・アクセサリーを大事にし、メイクとネイルは必須とのこと。そこも私と違うようです。
 人の悩みや紛争と常に直面する仕事なので、できるだけ仕事以外の自分でいられる時間をもつこと、何でも相談できる同期や同僚を大事にするよう勧めています。これもまた、まったく同感で、異議なーし、です。
新聞記者から弁護士になった上谷さんは、「弁護士の仕事の9割は、自分の依頼者を説得すること」だと先輩弁護士から教えられたとのこと。「9割」かどうかはともかくとして、依頼者を説得するというのは大きな比重を占めます。そして、そのとき、日頃の信頼関係がモノを言うのです。
 弁護士の仕事において、争うのは、あくまで手段であり、目的は紛争の解決にある。このことを常に念頭に置くべきだ。この点を強調しているのは、沖縄の林千賀子さん。林さんはマチ弁ですが、この本には企業内弁護士も、大企業を依頼者とする弁護士も、国際分野で働く弁護士など、多彩な顔ぶれです。
 弁護士は、めんこくない(かわいくない)、相手にしたくない、面倒くさいと思われてナンボの存在。いやはや、こんな断言をされると、まあ、そうなんですけど…と、つい言いたくなってしまいます。
 最後あたりに、札幌弁護士会が顔写真つき名簿を会の外にまで配布しているのは問題ではないかという指摘が出てきて驚きました。この名簿は福岡県弁護士会にもあり、私が執行部のときに札幌にならって始めたのですが、福岡では会の外には出さないということになっていて、私の知る限り、会員からのクレームはありません(自分の顔写真を提供したくない人は、昔も今も少なからず存在しています)。
 女性弁護士ならではの困難をかかえながらも、元気ハツラツと活躍している女性弁護士が全国的にどんどん増えているというのは本当にうれしいことです。タイムリーな本として、ご一読をおすすめします。
(2023年5月刊。3740円)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.