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カテゴリー: 司法

犬として育てられた少年

カテゴリー:司法

著者:ブルース・D・ペリー、出版社:紀伊國屋書店
 アメリカの子どもの40%は18歳までにトラウマになりうる経験を一度はする。
 2004年、アメリカ政府の児童保護機関に児童虐待あるいはネグレクトが300万件報告された。そのうち90万件近くが事実だと確認されている。17歳未満の子どもの8人に1人が過去1年内に大人からなんらかの深刻な虐待を受けていて、27%の女性、 16%の男性が子ども時代に大人から性的虐待を受けている。
 アメリカでは、1000万人の子どもが家庭内暴力のある環境にいて、毎年15歳未満の子どもの4%が親を亡くしている。毎年80万人の子どもが里親のもとで暮らしている。虐待を受けた子どもの3分の1は、それが原因で明らかな精神的な問題を抱えている。
 人間は学ばなければ人間的にはなれない。すべての人間が人間的な心を持っているわけではない。
 彼女は、とても幼い時期に性的虐待を受けたせいで、脳のシナプスが非常に不幸な形につながりを作ってしまった。彼女のごく幼いときに関わった男性たちと、加害者の少年が、男性とはどういうものかという概念と、異性への対処法を決めてしまった。幼いころ周囲にいた人々によって、人間の世界観は形づくられてしまう。
 男が自宅に入ってきて母親を強姦殺人し、そばにいた3歳の女の子まで殺そうとしたが、奇跡的に子どもは助かった。その子はいったいどうなるのか・・・。
 ノドを切り裂かれた3歳の子どもは、泣きながら手足をしばられ冷たくなっている血まみれの母親の死体を元気づけようとし、自分も慰めを得ようとしていた。どれほど心細く混乱し、恐ろしかったことだろう。だから、医師の質問を無視したり、隠れたり、特定のものを怖がったりするという症状は、トラウマを寄せつけないために彼女の脳が築き上げた防衛手段なのである。このような子どもを治療するには、この防衛手段を理解することがとても重要だ。
 呼び鈴、そう呼び鈴からすべてが始まった。呼び鈴の音が殺人者の到着を告げたのだ。日常的にありふれたものが、彼女を終わることのない恐怖に陥れる記憶を呼び起こす合図に変わってしまった・・・。
 脳は、おびただしい量の情報を処理するため、世の中がどういうものかを予期するため、パターンに頼らざるを得ないのだ。
 脳は、いつも、現在はいってくるパターンを、過去に貯蔵されたひな型やつながりと比較している。この比較のプロセスは、最初、脳の最下部のもっとも単純な部分、危険に反応する神経系の始まりの部分で行われる。情報が処理の最初の段階から上がっていくとき、脳は、このデータをもう一度見直し、より複合的に検討と統合を行う。けれど、最初に脳が知りたいのは、今入ってきているこのデータには危険の可能性があるのか、ということだけだ。その経験が安全だと分かっているなじみのあるものだったら、脳のストレスシステムは活性化しない。しかし、入ってきた情報がとりあえずなじみがなく、初めてあるいはよく知らない体験だったとき、脳はすぐにストレス反応を始める。このストレスシステムがどこまで活性化するかは、その状況がどれだけ危険に見えるかによる。重要なことは、何もない状態では受け入れるのではなく、疑うのが基本だということだ。少なくとも、新しい、未知のパターンの活性に直面したときには、さらに警戒する。この時点での脳の目的は、より多くの情報を得て、状況を検討し、どれだけ危険かを判断することだけ。人間が出会う、もっとも危険な動物は常に人間なので、声や表情や身ぶりなど言葉以外の部分に悪意が感じられないかをじっと観察する。
 落ち着いた状態なら、人は脳の皮質部分だけで楽々と生きていける。脳の最高の能力をつかって、抽象的なことを考えたり、計画を立てたり、将来の夢を考えたり、読書したりできる。しかし、何かに注意をひかれ、思考を破られたとき、人間は警戒し、現実的になり、脳の活動の中心を大脳皮質より下の領域に移し、危険を察知するために知覚を鋭敏にしようとする。刺激に反応しつづけ、やがて恐怖を感じるようになると、脳の下部のもっとすばやい反応をする領域に頼らざるを得なくなる。たとえば、完全なパニック状態になっているときに起こる反応は反射的なものであり、事実上、意識ではコントロールできない。恐怖は、文字どおり、人間の頭を鈍らせる。これは、短いあいだ、すばやく反応し、その場を生きのびるための性質だ。
 幼い脳には適応力があり、愛情や言葉をすばやく学ぶことができるが、不幸なことに、そのせいでネガティブな経験の影響も受けやすい。3歳児までの、脳の重要な社会的回路が発達する時期にネグレクトされていたので、誰かを喜ばせたり、ほめられたりすることの喜びが本当には理解できない。教師や友だちを怒らせて、拒否されても、それが辛いという気持ちにならなかった。正常な発達をしておらず、人間関係を喜びに感じることができないので、他人の思いどおりにしなければならないという必要性を感じなかったし、人々を喜ばせてもうれしくなかったし、他人が傷つこうと傷つくまいと気にならなかった。
 社会病質者が他人に共感できないのは、他者の感情を感じとれないのと同時に、他者への同情心がない。つまり、他人の気持ちがまったく分からないというだけでなく、他人を傷つけても気にしない、あるいは、積極的に傷つけたいと思うのだ。
 虐待やネグレクトでトラウマを受けた子どもに対して何かを強制したり、威圧したりするのは逆効果で、さらにトラウマを与えるだけ。
 いやはや、とんでもないケースが世の中にはあるものですよね。子どもたちの心の闇が、大きくなって手のつけられないほど肥大化して社会に対して復讐する。そんなことにならないよう、温かい目で子どもたちをしっかり受けとめ、抱きしめてやりたいものだと、つくづく思いました。とても勉強になる本なのですが、こんな残酷な現実があるなんて信じられない、信じたくないという気になったのも事実です。でも、とりわけ弁護士にとって必読の本だと思います。
(2010年2月刊。1800円+税)

リクルート事件、江副浩正の真実

カテゴリー:司法

著者:江副浩正、出版社:中央公論新社
 今は昔の事件となってしまいました。リクルート事件です。
 1988年、51歳の著者は30年ほどつとめた社長をやめてリクルート会長に就任。このとき、グループ売上1兆円、経常利益1000億円。そして、リクルート事件が「始まった」のは1988年6月18日の朝日新聞。川崎市助役の川崎テクノピアビル建設疑惑から。この助役は、結局、起訴されなかった。
 著者は、映像の力は強い。新聞を読むよりテレビをみる方が辛かったと言います。
 私は日ごろ、テレビを全然みませんが、それはテレビ映像の生々しさが嫌だからでもあります。事故や事件の生々しい映像は私の心にグサリと突き刺さってしまい、映像のインパクトが強烈すぎて、何ごとも考えられなくなるのです。
 著者を病院で取り調べたのは今の検事総長(樋渡利秋検事)でした。
 当時のリクルートグループは500億円の利益をあげていた。その1%の5億円なら、寄付は非課税になる。その枠内で政治家のパーティー券を購入していた。
 つまり、現体制を維持することにリクルートは利益があると考えていたわけです。そのこと自体についての反省は、この本にはまったくありません。残念です。
この本には、検察官の取り調べ状況が「再現」されています。
「特捜の捜査がどんなものか見せてやる。捜査を長引かせているのは、おまえだ」
「バカヤロー!検察官に対して何たる態度だ。検察官をバカにするのもいいかげんにしろ!おまえの態度は、あまりにも自分本位で、傲慢だ!」
 「実に不愉快だ。これまで、キミに好意をもっていたが、憎しみと変わった。憎しみが倍加した。なぜ素直に罪を認め、調書に署名しないんだ!」
 「実に不愉快だ。罪名拒否の調書は裁判で不利になるぞ!今日は、もう調べをやめる。帰れ!」
 拘置所の接見室における弁護士との面会について、本当は秘密は保持されていないのではないのかと著者は指摘しています。
 極小カメラ分野で、日本は世界一の先端技術の国である。取調室内の天井ボードの穴に極小電子カメラを組み込んだビスのようなものを貼って、そこから髪の毛ほどの細い高速デジタル回線か、マイクロウェーブで映像を本庁へ送信する。マイクは小型の1センチ四方、2~3ミリの厚みで、接見室のテーブルや椅子の下に設置し、無線で音声を送る。本庁では、隠しカメラやマイクで取調室の様子をモニターしている。
 以上は想像だという断りがついてます。本当だとしたら、恐ろしいことですね・・・。
 検事が机を持ち上げる。積み上げられた書類がドーンと音を立てて落ちる。
 「立てーっ!横をむけーっ!前へ歩け!左向け左!」
 壁のコーナーぎりぎりのところに立たされ、すぐそばで検事が怒鳴る。
「壁にもっと寄れ!もっと前だ」
鼻と口が壁にふれるかどうかのところまで追い詰められる。目をつぶると、近寄ってきて、耳元で
 「目をつぶるな!バカヤロー!!オレを馬鹿にするな!オレをバカにするな!俺を馬鹿にすることは、国民を馬鹿にすることだ。このバカ!」
 鼓膜が破れるのではないかと思うような大声で怒鳴られた。鼻が触れるほど壁が近いので、目を開けているのは非常につらい。検事は次のようなことも言った。
 「そのような態度だと、弁護士の接見を禁止する。弁護士の逮捕も考える」
 「おまえは嘘をついていた」
 検事は、たたみかけるように、怒鳴った。
 「立て、窓際に移れ!」
 「オレに向かって土下座しろ」
 新聞が書くことは世論。新聞が書いているのに立件しないと捜査の権威が失墜してしまう。
特捜の人員は、たかだか30数名、新聞、テレビ、新聞やテレビなどの記者は、我々の数十倍いる。こっちは手が足りない。
 特捜は、疑惑があると報道されたなかから、あげられそうな立派なものを選ぶ。
 それにしても、検事の自白強要はいつもながらのやり方なのに驚いてしまいます。
(2009年10月刊。1500円+税)

負けない議論術

カテゴリー:司法

著者 大橋 弘昌、 出版 ダイヤモンド社
 アメリカ(ニューヨーク州)の弁護士が、アメリカで鍛えた議論術を紹介しています。
 アメリカと日本はまるで違うかと思うと、そうでもなく、意外なことに似たところ、共通するところが多いようです。
 相手を説得したいときは、自分と相手の共通点を探してみる。出身地、学校、職業、家族構成、趣味など、何かひとつくらいは共通点があるはず。相手にその共通点を示し、同類の人だと思われるように議論を進める。そうすると、相手は賛同しやすくなる。
 自分の誇らしい話をしたいときには、自分の失敗談や弱点をまじえて話すのが良い。
 大きな目的を達成するためには、小さなことには目をつぶることも必要。すべてが自分の思い通りに動くとは考えないことである。
 陪審員のいる法廷では、法律理論をふりかざしたからといって裁判に勝てるわけではない。むしろ優れた弁護士は、クライアントを有利に導く証拠をストーリー仕立てにして、陪審員の心の中に植え付けていく。陪審員の心に染みいる話を聞かせるのだ。
 人間の判断は感情によって大きく左右される。合理的かつ論理的に判断しなくてはいけないときでも、実は感情にしたがって判断している。感情に訴えることは、議論に負けないための大きな力となる。
 アメリカには、ルール・オブ・スリーという言葉がある。物事を説明するときに三つの要素で構成すると説得力が増し、受け手に覚えられやすくなり、スムーズに受け入れられる。
 私は、いつも「2つあります」といって、指を2本たてて、「一つは……」、「もう一つは……」と話すようにしています。そして、これをたいてい2回は繰り返します。このとき、相手の顔つき、表情を見て、本当に分かってもらえたか、測りながら話をすすめるのです。
日本の弁護士にとっても、大変役に立つことが、たくさん書かれている本でした。
 
(2009年11月刊。1429円+税)

世事見聞録 その3

カテゴリー:司法

 江戸時代も今と同じで、不倫・不貞が流行していたようです。日本人って、この点も変わらないのですね。
「下賤の娘たるもの慎みの体更になく、不義をなすこと珍しからず。親を憚る心なく、外見外聞を厭ふにもあらず、或は親の元を遁れ逃げ去り、親の勧むる縁組を拒み、馴れ合ひ夫婦などのこと多く、或は父母へは不通になりて夫を持つ事、常の風俗となり、また人の妻妾なるもの、密通のこと尋常の事になりて、互ひに犯し合ひ奪ひ合ひ、また欲情に拘り、男を欺くあり、女を欺くあり、また夫婦馴れ合ひなどありて、金銀をゆすり取るもあり、また密通するのみならず、男の意地など言ひて、無体に人の妻を貰ひ懸け、貪りとるあり、また実夫の身上を奪ひて、密夫の方へ送りたる上に逃げ行くあり、人の身上を狂はせ、或は夫婦仲よくして子のある中をも、誑(たぶら)かして連れ出し、よんどころなく離縁に及ばせ、親は懸るべき娘を奪はれ、夫は家を守るべき妻を失ひ、父母を失ひて誑かさるゝもの多し」
 「享保の頃に至っては余多ある事なりし故、大岡越前守工夫にて、密通の男へ過怠金一枚出させしといふ。金一枚は小判七両二分になる。尤もその頃の金一枚は今の三十両余にも当るなり。この過怠始まりて却つて密通のこと多くなりしゆゑ、間もなく止みしといふ」
 「当世はさほど重き事に思はず、只密通数多き事ゆゑ、明白にして詮なきといふ懦弱なる了簡にて取扱ふ故、実夫密夫ども猥りに嘲弄し、そのうち止まる処、実夫は空気(うつけ)ものになりて恥辱を十分に被り、密夫は怜悧なる奴となりて仕廻ふ故、密夫たるもの身の過ちを知らず」
 日本の女性が昔から強かったことは、次の記述からも、よく分かります。
「猥りに女の道乱れ、子孫にして或は親を侮り偽り、或は夫をないがしろにし、我儘気随の振廻ひ、常の風俗となれり。今軽き裏店(うらだな)のもの、その日稼ぎの者どもの体を見るに、親は辛き渡世を送るに、娘は髪化粧よき衣類を著て、遊芸または男狂ひをなし、また夫は未明より草履草鞋にて棒手(ぼて)振りなどの稼業に出るに、妻は夫の留守を幸ひに、近所合壁の女房同志寄り集まり、己が夫を不甲斐性ものに申しなし、互ひに身の蕩楽なる事を咄し合ひ、また紋かるた、・めくりなどいふ小博打をいたし、或は若き男を相手に酒を給べ、或は芝居見物そのほか遊山物参り等に同道いたし、雑司ヶ谷・堀之内・目黒・亀井戸・王子・深川・隅田川・梅若などへ参り、またこの道筋、近来料理茶屋・水茶屋の類沢山に出来たる故、右等の所へ立ち入り、又は二階などへ上り金銭を費して緩々休息し、また晩に及んで夫の帰りし時、終日の労をも厭ひ遣らず、却つて水を汲ませ、煮焚きを致させ、夫を誑かして使ふを手柄とし、女房は主人の如く、夫は下人の如くなり。邂逅(たまさか)密夫などのなきは、その貞実を恩にきせて夫に嵩り、これまた兎にも角にも気随我儘をなすなり。
 今大小名の閨門を始め、女の気随我儘も奢り頂上し、下々卑賤の末々に行くに随ひ、右の如く夫婦女子の道乱れしなり。この風俗また国々在々に押し移り、父母を粗略にして女房を大切に取扱ひ、親類を疎遠にして縁者なるを懇切にする事になれり。これ世の信義を失ひ、淫犯の増長せしなり」
 江戸時代の百姓がみな貧困にあえいでいたかというと、必ずしもそうではなかったのです。
「富める百姓は身分を忘れて、都会に住める貴人も同じやうに奢りを構へ、家居も古今雲泥の相違にて、門構・玄関・長押・書院・床・違棚など結構を尽し、書院そのほか物数寄(ものずき)を尽し、或は公儀へ冥加と号して金銀を上げて奇特ものとなり、苗字帯刀などを御免を蒙りて権威に募り、或は領主地頭へ用立金などして、その功に依つてこれまた苗字帯刀・扶持切米など免(ゆる)されて近辺に威を振ひ、小前(こまへ)百姓を誣げ遣ひ、或は小身なる地頭を侮り疎みて、宮門跡方そのほか有職の家へ取り入り、金銀賄賂を遣ひて用達または家来分などとなり、愚昧の民を恐れしめ、様々我儘をなし、また村役人その外すべて有余なる族は、耕作を召仕ひの下男女に任せ置き、己れは美服を著し、或は婚礼・婿取り・諸祝儀・仏事など、すべて武家の礼式に倣ひて大造なる招請饗応などなし、又は常に浪人などを囲ひ置きて、身分に非ざる武芸を習ひ、或は師匠を撰みて詩文章を志し、唐様を書き、和漢の書画風を学び、又は茶陽師・歌俳諧師・音曲の芸者などを抱へ置きて遊芸を学び、我が遊興の相手とし、或は繁花の地より美女を連れ来たりて妾となし、日々酒宴を催し、又は秘かに繁花の地へ遊びに出て、田舎には妻妾を置きながら、都会の地にも囲ひ女などを致し、或は遊里に泊り、妓女に戯れ子を拵へ、或は公事出入りを好み、己が身に不足なく隙あるに任せ、人の腰押しを致し、わづかなる事をも大なる出入りに及ばせ、人の身上にも拘るべき事をも厭ひなく、又は己が心に叶はざる時は、変死そのほか非義非道の事をも、訴訟の取次を致さず、無体に押し噤みて内済など致させ、或は大体の訴訟の事を始め、領主地頭の用向きなどに出て、その用事を次にし、世に自分の遊び事をなし、繁花に心を奪はれ、公事出入りの落著を長引く手間取りを却つて歓び、永遊びをいたし大金を費すなり」
 この本を読むと、江戸時代って現代日本と同じように大変な時代だと思わざるを得ません。しかし、解説者(滝川政次郎)は誤解しないようにと、現代の私たちにクギを刺しています。
「江戸時代は嫌らしい、下らない時代であったという先入主を持っている現代人が、本書を読んで、江戸時代はこのように腐敗堕落、淫靡の極にあった時代であったという誤った認識を深めることを懼(おそ)れる。江戸時代の社会は、本書に述べられているほど悪いことばかりの社会であったわけでもない。
 世事見聞録は、右に述べたような、貴重な江戸時代史の史料であり、且つ興味深き読み物の一つである」
 あなたも、ぜひこの本を読んでみてください。江戸時代の日本人、ひいては日本人とはどんな人々であるのか、大いに目が開かれると思います。
 
(2005年4月刊。3500円+税)

世事見聞録 その2

カテゴリー:司法

 江戸時代でも借金取立は苛酷なものがありました。武士はこの点でも泣かされていたのです。
「借り手は右体の不始末にて返すべき手段なきに、様々利口弁舌虚偽計略を尽し、借りる時は神仏の如く敬ひ、返す時は仇敵の如く悪(にく)むなり。借りたるものは貰ひたるものの如く心得、返すべき心底更になく、もし返す時は奪ひとらるゝ如く、呉れて遣はす如く心得るなり。また貸し手は猶更心底悪しく、いさゝか心切にて人の難儀を見継ぐにあらで、利足を奪はん為の強欲にて、少しも誣げとるべき目当てあるものへは、困窮ものまた不実ものをも恐れず、相手の見嫌ひなく、高利を貪り、もし元利の返済方違ふ時は、強催促、途中催促など、悪口雑言に及び、又は頭支配などへ訴へ出で、種々の事を申し懸けて恥を与へ、或は奉行所へ願ひ出で難儀を懸け、真に双方不実同志の所業、敵同志の掛引きに似たり。」
「体家士の困窮を付け込みて、金銭を貸す業体のもの余多ありて、座頭或は高利貸・日成(ひなし)貸などと唱ふる者も入り込むなり。然るに今日を凌ぎ兼ぬるに任せて、幸ひに右の高利なる金銭を借り、後の難儀ども見かへりなく急場を凌ぐなり。さてその利倍に責められて、終に勤め向きも出来兼ぬる仕合せになり、或いは虚病を構へて引籠り、又は返済滞りの筋にて留守居役・目付役などへ届け出られ、表向きの沙汰になりて押し込められ、また品により永の暇にもなり、或いは門前払ひなどになり、またその身に堪へ兼ねて出奔などいたす族もあり」
 「依つて右体借金の筋を奉行所へ訴へるなどいへば、何より以て恐れて、たとひ今日の食料を欠きても利足などを入れ詫言いたし、甚しきにいたりては老父母及び妻子の衣類を剥ぎても済ます事なり。その償ひ出来兼ぬる時は大体身分に過失を得るなり。その行跡を見込んで、貸付業のもの諸家中へ入り込むなり。借金の筋にて侍の身分に拘るなどは、余りとやいたましき事どもなり」
 「金貸しの流行するは、世に非道の起る基、貧人を拵(こしら)ふる基なり。また月なし銭・日なし銭・損料貸し・烏金(からすがね)などの貸し方あり。これは身薄なる貧人に貸して、殊のほか高利なる者なり。烏金といふは、朝烏の鳴く頃貸し出して、夕晩烏の塒に帰る頃取り返すをいふ。わづか一日の融通に1ヶ月に当る高利を取るなり。損料貸しといふは、衣類・夜具・蒲団・蚊帳など、一日何程といふ損料を極めて貸すなり。貧人はこれを借りて、それを又質に入れ、日々の損料と利の二重に費すなり。当世悪人は右体世に逢ひて金貸しとなり、わづかの金銭を忽ち大金に育て上げ、遣り上げ、善人は時世に後れて金銭を借り、利に利を奪はれて、忽ち貧人となり行くなり」
 「当世、貸借の筋にて、世の中の混雑大方ならず。公事訴訟も十に八九はこの筋の事なり。くれぐれも貸借は貧福の偏る媒(なかだち)にて、悪人は貸し手となりて身を労せず、結構に過ぎ行く者多く出来て、人情鬼の如くにして、恩がましく毒を与へて利を貪り、善人は借り主となりて餓鬼道に堕ちたる如く、折角金銭を借りて一時を凌がんとすれば、忽ち炎々となりて、高利を取られ身を焦がすなり。右体鬼の如く行勢をなしても、もし滞りたる時は、或は家蔵を取り立て、又は家財・雑具・衣類・鍋・釜など押し取りにいたし、また妻娘などを売らせても取る。なほ届かざる時は、公辺へ訴ふるなり。借りては奉行所の詮議に逢ひ、身上のありたけを責め取られ、手鎖または牢獄の苦患に及び、親類または証人等までも困難に陥るなり。これまた吟味役人は、鬼の如くになりて、取り立てるなり」
 「今の座頭は、先づ官金と唱へて、貧人に金銭を貸し附け、高利を貪り、或は利足一割二割を取る。また礼金と号して、これまた一割二割を取る。右の礼金・利息とも、貸し附ける時、本金の内にて引き取るなり。また証文は無利足にて、預り金の積りなどにて、もし返済滞りたる時は、右の預かり金の威にて取り立てるなり。その上僅か三ヶ月四か月の期月にて貸し附け、その期月に返済出来兼ぬる時は、また証文を書き替へ、新しき貸金に直し、その度毎に最初の如く礼金を取り、利足・月踊りなどいうて、一箇月を二三箇月となし、また月なし・日なしなどの極めにて、強欲非道に貪るなり。よって借りたる者は、利金・礼金・月踊りに引き落され、一箇年の内には本金の倍増しにも費えるなり。右体強欲非道を行つて、官職に有り付く事を今の風俗となり、当時の座頭の仲間に入り、初め半折懸(はんおりか)けとなるに、金拾両といふ」
 「貸金の滞りたる時、先づ武士ならば、玄関の真中へ上り、声高に口上を述べ、居催促・強催促など云ひて、外聞・外見を構はず、また町家ならば、いかにも近所合壁へ聞ゆるやうに、悪口を並べ罵るなり。さればとて、全体借りたる筋が不義理になりたる上なれば、何程の事にも言葉返しも出来ず、もし云ひ返す時は猶更募り立つ故、何も尤もと会釈するの外なく、たとひ騒ぎたりとも、縛りもならぬもの故、それを見込みて強気に構へ、もしまた少しにても手を付くれば、大騒に申立、身体を傷つけしなど申し懸け、又は身の官職など唱へて、難渋を申し懸くるなり。尤も盲人にも限らず、当世流行の高利貸、日成貸の類はみな右似寄りたる流儀にて、やゝともすれば、人々の持て余すやうに仕懸くるものなり。そのうち目明きは少しは人情にて持ち合ひし所もあるゆゑ、左様にはなく、勘弁の品もあるなり。盲人はいはゆる無面目に仕懸くるなり。借り手は右の外聞外見を厭ひて、或は今日の食糧を欠きても調進いたし、或は老人小児などの衣類を脱ぎとりても返済する事になれり」
(続)

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