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カテゴリー: 司法

冤罪の軌跡

カテゴリー:司法

著者  井上 安正 、  出版 新潮新書
 事件が起きたのは、今からもう60年以上も前のことです。1949年(昭和24年)8月でした。弘前大学医学部教授夫人が就寝中に殺されてしまったのです。犯人はなかなか捕まりませんでした。やがて、近所の警察官志望の青年が逮捕されました。事件のあと警察官まがいの行動をしていたことから、逆に不審人物とされたのです。とても不幸なことでした。
 有名な弘前大学教授夫人殺害事件について、当時、マスコミの一員として関わった著者が新しい視点で事実を再発掘して紹介しています。
それにしても、真犯人が名乗り出ているのに、その「自白」を疑わしいとした裁判官がいたというのには、驚きというより呆れてしまいます。そんな節穴の裁判官は過去だけでなく、現在もいることでしょうね。信頼できる裁判官がいることは私も大勢知っていますが、逆に、話にならないくらいにひどい裁判官にも何回となくぶちあたりました。決して絶望しているわけではありませんが、裁判官は間違わないというのは単なる幻想だというのは日頃の私の実感です。
 この事件では幸い真犯人が名乗り出たから、無実の人が救われたわけです。逆にいうと、真犯人が名乗り出なかったら、濡れ衣は恐らく晴れないまま死に至ったことでしょうね。それこそ、まさに無念の死でしょう。
 その冤罪の根拠となったのは、高名な古畑東大教授の鑑定書ですし、その「材料」を提供した警察です。なにしろ返り血を浴びたはずのシャツに、当初はなかった血痕があとになって出てくる「怪」がありました。そうまでしても、警察は「犯人検挙」の実績をあげたいのですね・・・。
 古畑教授は、法医学は社会の治安維持のための公安医学であると高言していた。ええーっ、そんな馬鹿な、と思いました。同じ法医学者でも、本村教授は、法医学は無実の者が処罰されることのないようにする学問だと言い切ります。まさにそのとおりだと私は思います。
 世の中は本当に怖いことだらけですね。殺してもいないのに殺人罪で有罪となったという人が日本でもアメリカでも何十人もいて、刑死させられた人も多いというのですからね・・・。
 
(2011年1月刊。700円+税)

国民のための刑事法学

カテゴリー:司法

著者  中田 直人 、  出版 新日本出版社
 
 戦前、戦後の司法制度の歩みがよく分かる本です。
 戦前の日本では、検事のほうが裁判官よりも実質的な地位は高かった。裁判官の人事権を握っているのは司法省である。だから、裁判官から検事になって司法省に役人として勤めるほうが出世は早かった。司法大臣の中には検事総長出身者がたくさんいた。しかし、裁判官出身者は一人もいない。裁判官は検察官出身者によって握られていた。
 日本の裁判所の中には、戦前もそのような司法省支配による裁判のあり方に抵抗し、裁判官の独立をかち取る必要があると考えて研究していたグループがあった。これが「さつき会」である。戦後、HGQのオプラー法制司法課長は「さつき会」の人たちと接触しながら司法制度の改革をすすめようとした。しかし、オプラー課長は「さつき会」の力を過信していた。「さつき会」は非公然のグループであって、当時の裁判官たちの広い支持を得ていなかった。むしろ、裁判官層は猛烈に反発した。
「さつき会」がかついだ細野長良・大審院院長に対しては猛烈な反発があり、細野氏は戦後の最高裁判事の推薦名簿にも載せられなかった。このとき、反対派は謀略的なニセ電報まで打って細野氏とその一派を引きずりおろした。そのなかで三淵忠彦という初代の最高裁長官は選ばれ、司法省の役人の経験者が最高裁事務総局に流れ込んでいった。
最高裁事務総局が今日に至るまで全国の裁判官の人事を統制しています。配置から給料から、すべてを決めて一元支配しているというのも恐ろしいことです。
 もっとも、最近では、あまりに統制が効きすぎて、現場の裁判官たちが自分の頭で考えなくなってしまったという反省も出ているようです。ですから、むしろ最高裁判決の方が時代の流れに敏感な、大胆判決を出すことも数多く見受けられます。
 裁判は公正であるという幻想が、裁判の作用をいっそう狭いものにしようとする。これらが相互に影響しあって、裁判官が真実と正義の要求に目を向けることを妨げる。世論を作り出すことは、この妨げをまず除去することである。しかし、世論は、やがて裁判官を動かす主要な要素に転化する。
個々の裁判官は、大衆運動なんかには影響されないぞ、自分の知恵と学識と両親によって判断したんだと、個人的な意識のうえでは、それなりに自負しているに違いない。裁判官の置かれている現実世界の広さ(むしろ狭さ)に目を向けたい。大衆的裁判闘争こそが、そうした現実世界を変革する。大衆的裁判闘争は、世論を新たにつくり出す以外に公正な結果を得ることができないという客観的情勢があるとき初めて必要となり、また可能となる。裁判闘争はすべて大衆運動に訴えるべきものでもなく、また、そのように発展するものでもない。大衆的裁判闘争は、裁判所を物理的に包囲したり、裁判官個々に威圧を加えたりはしない。
裁判官も人間である。人間を動かす力は、人間による人間としての批判である。裁判官の弱さ、その世間の狭さによって、裁判における予断と偏見が生まれる。
裁判官だけでなく、どんな人でも、自分のやろうとしていることについて多くの人が関心を寄せていることを感じると必ず、これは一生懸命にやろう、誰からもケチをつけられないよう、批判に耐えられるようなしっかりしたことをやろうと思う。これは人間の心理として当然のこと。たくさんの投書が裁判所に届き、書記官がもってくる。ほとんど読まない。それでも、なるほど、これだけ関心を持たれているんだったら、きちっとしっかりした裁判をしなきゃだめだという気持ちになる。そんなプラスの効果をもっている。
誤った判決をだす裁判闘争のなかで署名を広く集める運動の意義は決して小さくないことが分かります。
メーデー事件、松川事件、狭山事件などの戦後の裁判史上あまりにも有名な事件の弁護人としての活動、さらには公安警察のスパイ行動を裁く裁判にも触れられていて、大いに学べる本となっています。若手弁護士の皆さんにとくに一読をおすすめします。
(2011年1月刊。4000円+税)

労働の人間化とディーセント・ワーク

カテゴリー:司法

著者  牛久保  秀樹、    かもがわ出版 
 
 ディーセント・ワークという言葉は耳新しく、まだ聞き慣れません。ディーセント・ワークについて、この本では、人間らしい労働と訳すことを提案しています。ディーセントというのは、こざっぱりとしたという感じの言葉です。
 著者は日本の労働事件をたくさんあつかうなかでILO(国際労働機関)の果たしている大きな役割に注目し、ジュネーブの本部へ何度も足を運んだのでした。九州大学の吾郷真一教授はILOで働いたこともある人物で、そのすすめもあったということです。実は、著者も吾郷教授も、そして私もみんな大学の同級生なのです。そして、著者は1968年に始まる東大闘争で活躍したヒーローです。私などは、いつも著者のアジ演説を聞いて、すごいなすごいなと励まされていた一兵卒でした。
 吾郷教授は、日本の弁護士は、もっと国際法を勉強しないとだめだと叱っているということです。そうなんでしょうね。でも、語学力のなさからつい国際法を敬遠してしまうのです。
 天下の野村證券が社員の女性差別をして裁判になったとき、日本での裁判と同じく影響力を持ったのがスウェーデンにあるGESという投資適格情報提供会社であった。この会社は、裁判所で判決が出て、ILOから是正勧告が出ているのに野村證券はそれを守っていない。そんな会社は投資不適格であるというレポートを全世界に公表した。つまり、国際基準を守らない企業は投資先としても不適格だとしたのである。
 なーるほど、ですね。日本では天下の野村證券であっても、国際的には違法なことを平気でやり通す横暴な企業の一つに過ぎないと判定したわけです。痛快ですね。
著者は日本における労働の意義がおとしこめられていることを鋭く告発しています。この社会の未来を担う若者たちにこそ労働が魅力あるものに、人生をかけるためにふさわしいものとならなければならないと力説しています。まったく同感です。
 私の事務所で働いている30代の女性が、こんどの一斉地方選挙に立候補することになりました。彼女は法律事務所で働きながら、弱い人たちの支えになればと思って一生懸命にがんばってきたが、さらに飛躍してがんばりたいという決意を語ってくれました。私も精一杯に応援するつもりです。若者が働くことに意義を感じることの出来ない社会では、日本に未来はありません。私の好きな言葉は、未来は青年のものというものです。久しぶりに20代の熱き血潮をも思い出させてくれる本でした。
 この本には、このほかフランスやスイスなど、ILO訪問のあいまに訪問した観光地の紹介も載っていて、楽しく読みました。幸い私の行ったところも多く、アヌシーなど再訪したいと思うところもたくさん登場しています。
(2007年3月刊。1800円+税)

一見落着、再び

カテゴリー:司法

著者 稲田 寛、    出版 中央大学出版部
 元日弁連事務総長だった著者によるエッセイです。先輩弁護士の話は、いつ聞いても(読んでも)参考になります。
 市役所の相談窓口で法律相続を受けるとき、著者は、しばらくは口をはさまずに耳を傾けるようにしているとのこと。なかなか本題に入らない人については、「途中で口をはさむようですが、今日は何を一番お聞きになりたくて見えられたのですか」と質問して、話を本題にもっていけるように誘導する。冒頭から相続内容や結論を探ろうとして質問を重ねてみると、萎縮してしまい、十分に話が聞き出せないおそれがある。うむむ、これは私にはなかなか出来ないことです。気の短い私は単刀直入、ずばり質問ことが多くて、自分でもああしまったなとか、反省することも多いのです。ただ、市役所の職員が事前に質問内容を聞きとってくれているときには、すごくはかどります。30分という制限の中で、著者のような対応をするのは、決して容易なことではありません。
著者は1994年(平成6年)に土屋公献会長の下で、日弁連事務総長に就任します。 横浜で坂本堤弁護士一家がオウム真理教によって殺害されましたが、まだ真相が究明さていないときのことです。土屋会長をはじめとする日弁連執行部は、横浜市内にあった坂本弁護士宅を訪問調査しました。私も、このとき、日弁連理事の一人として参加しました。どこにでもあるような普通のアパートの2階が坂本弁護士宅でした。その室内にオウム真理教のバッジが見つかったのですが、警察は犯人をオウム真理教ではなくて、「過激派の内ゲバ」では・・・、なんてとんでもないことを言うばかりでした。
司法試験の改革が議論されていました。このころの合格者は700人でした。丙案という、合格者の3割は3年内の受験者とするという、大変いびつな制度が試行されていたころのことです。
12月21日に日弁連は臨時総会を開きます。荒れる総会が予測され、それを心配したグループが執行部案とは別の議案である関連決議案を総会にはかったのです。今後5年間は800人の合格者とするというものでした。この関連決議案は圧倒的多数の賛成によって可決されましたが、執行部案も6対4で辛じて可決、承認されました。このときの総会を陰謀があったという本(『こんな日弁連に誰がした』)が出ていますが、この本を読んでも、この総会で陰謀があったなどとはとても思えません。私自身も、この12月21日の総会に出席していたとばかりに思っていましたが、当時の日誌をみてみると出席はしていませんでした。しかし、いずれにしても陰謀論は単なるタメにする議論にすぎず、根拠はないと私は思います。要は、現状維持ではなく大幅増員容認へ舵を切っていった(まだまだ、その後も会内では激しい抵抗が続いていましたが)総会の一つだとみるべきだと私は考えています。
大変読みやすく、しかも味わい深い内容でしたから、一気に読み通しました。
(2010年10月刊。1900円+税)
日曜日の午前中、フランス語の口頭試問を受けました。3分前に2問を知らされ、うち1問について3分間スピーチをします。今回の1問は、日本の自殺者が年に3万人をこえていることをどう考えているか、というものでしたから、迷うことなく、こちらを選択しました。といっても、フランス語で話すのですから大変です。いくつかの理由があることを話しはじめたのですが、なかなかうまくいきませんでした。そのあと、に、試験官と問答します。フラ為すでも自殺者は増えているような話が出ていました。
 この試験にむけて、朝晩、フランス語をずっと勉強しました。今回はともかく話さなければいけませんので、いくつか文章を暗唱するよう努めました。試験官の前に出ると、頭の中が真っ白になって、簡単な単語すら出てこないようになるからです。
 わずか10分間の試験なのですが、終わったときには何だか人生の重大事をやり遂げたという疲労感がありました。今回はペーパーテストの成績が悪くなかったので、恐らく最終合格していると思います……。

長崎年金二重課税事件~間違ごぅとっとは正さんといかんたい!

カテゴリー:司法

税理士江﨑鶴男著  清文社  2010年
今年7月6日、最高裁第3小法廷で「年金型生命保険金の受給権に相続税を課税した上で、更に個別の年金に所得税を課税した更正処分が法の禁止する二重課税に当たるものとして、その更正処分を取り消す」旨の判決が出された。
著者は、平成14年分の所得税の確定申告から始まり、更正処分、異議申立て、裁決を経て、長崎地裁の勝訴判決、福岡高裁の敗訴判決、そして今回の最高裁の逆転勝訴判決に至るまでの長い道のりを納税者と共に闘いぬいた税理士である。私もまた、その闘いに共感し、支援者として訴訟に参加した。著者は、判決宣告から5か月を経て、その闘いを振り返り、本書を上梓した。
考えてみれば、税務訴訟とは不思議な法分野である。弁護士からは「私は税法は苦手だから」と敬遠され、税理士からも「私は裁判を知らないから」と敬遠される、いわば鬼っ子である。勝訴率が低いことの一因も、この辺りにあるのであろう。このことは、本裁判の主任弁護士として活躍された当会の丸山隆寛弁護士も、本書の巻頭言で「エアポケット」という言葉を用いて、同趣旨のことを述べられている。私たち弁護士が、正しい課税のために税務訴訟を勝ち抜くためには、税理士との共同作業が必要であるとの思いは深い。
私どもは、最高裁に本件を上告した時、実質論に立脚すれば必ず最高裁は応えるであろうと思いつつ、他方でルールなき実質論は法的安定性を害することも懸念し、どのようなルールを最高裁に提示すべきかで大いに悩んだ。そして率直に申すならば、私どもは、二重課税の是非を判断するための明確なルールを最高裁に提示するには至らなかった。この辺りの悩みは弁護士に特有のものであり、江崎税理士たちは「必ず勝てる」とひどく楽観的であったことが印象に残る。
良い風が吹き始めたのは、上告後、金子宏東京大学名誉教授から、本件について現在価値の概念を持ち込み、「運用益から切り離された元本部分に対する課税は二重課税に当たるであろう」とのご意見をいただいた時期からである。金子教授の意見は明確なルールの提示であり、結局は最高裁もこのルールを採用した。
上告審の弁論で思い出に残る場面がある。それは江崎税理士が居並ぶ最高裁判事の前に「私は煙草を吸う。現在の課税の実務と高裁の判決は、私が一箱の煙草を買う時に税金を課し、更に私が一本の煙草を吸う時に税金を課すことを認めるものにほかならない。このような不当な実務と判決は、断固是正されなければならない」と口頭弁論を行ったことである。これは比喩であるが、本件の本質を射抜いている。
さて本書は、以上のような7年間にわたる闘いを納税者である未亡人と共に闘った税理士の自分史であるが、さまざまな苦労が描かれているものの、そこに一貫して流れている論調は、「間違ごぅとっとは正さんといかんたい!」という至って素朴な副題に見られる、ひどく明るい楽観主義である。訴額わずか2万円の訴訟を支えてきたのは、このような素朴な正義感なのであろう。
私たち弁護士は正義を実現するためにこの職業を選んだはずであるが、現実社会の中のさまざまな壁に阻まれて正義を貫くことに苦痛と苦労を感じ、時に正義に懐疑心を抱く。しかし、このような壁を打ち破る最大の原動力は、その正義感そのものであることを、本書とその著者の闘いに見たと思うのである。

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