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カテゴリー: 司法

裁判を住民とともに

カテゴリー:司法

著者    板井 優  、 出版   熊本日日新聞社
 私と同世代の熊本の活躍している弁護士の半生記です。ええっ、早くも自伝なんか出したの・・・、と驚いていましたところ、地元新聞(熊日新聞)が45回にわたって「私を語る」という連載記事をまとめた本でした。それにしても、たいした人物です。こんなに社会的影響のある事件で勝ち続けているなんて・・・。改めて見直しましたよ。
 沖縄出身です。幼いころはナナワラバー(沖縄弁で悪ガキ)と呼ばれていたそうです。今を知る私なんかも、いやはや、さもありなんと、妙に納得したことでした。
 一般民事事件で相手方となったことがありますが、著者のもつド迫力に、私の依頼者は恐れをなしていました・・・。
 著者の両親は沖縄出身ですが、終戦直前に沖縄を離れていて助かり、大阪で結婚し、戦後、沖縄に戻って著者が生まれたのでした。ですから、私と同じくベビーブーム、団塊世代ということになります。
たくましい母親の姿には圧倒されました。土木所を営む父親が気の優しさから保証倒れで差押えされるのを見て、自ら合名会社を設立し、経営の実権を夫から奪って、オート三輪を乗りまわして会社を切り盛りしていたのです。日本の女性は昔から気丈なんですよね・・・。これは何も沖縄に限りません。私の家でも似たようなものです。小売酒屋を営んでいましたが、亭主(父)は酒・ビールの配達に出かけ、母ちゃん(母)が財布をしっかり握っていました。
 沖縄の激戦地でシュガーローフのすぐ近くで育ったとのこと。この『沖縄シュガーローフの戦い』は以前に紹介しました(光人社)。
 小学校は1クラス60人の21クラス、中学校は1クラス60人の18クラスだった。私の場合は、小学校は1クラス50人の4クラス、中学校は1クラス55人の13クラスでした。沖縄のほうがはるかに多いですね。
首里高校2年生のときに生徒会長になったそうですが、私も同じく県立高校で生徒会長(総代と呼んでいました)になりました。何ほどのこともした覚えはありませんが、他校訪問と称して四国や広島の高校まで泊まりがけで出かけたこと、役員になって先輩たちと楽しい関係が出来たことだけは良い思い出として残っています。
著者の場合は、国費で日本留学(大学入学)したのでした。ええーっ、という感じですが、まだ当時の沖縄はアメリカ軍の支配下にあって日本に返還されていなかったのです。
 著者は熊本大学に入り、そこで、今の奥様(医師)にめぐりあいました。弁護士になってから、水俣に法律事務所を開設し、水俣病訴訟を第一線で担いました。9年近い水俣での活動は大変だったようです。それでも、アメリカやギリシャ、そしてブラジルのアマゾン川にまで行って日本の水俣病問題を訴えたのです。すばらしい行動力です。そして、大変な努力のなかで水俣病の全面勝訴判決を勝ちとっていったのでした。
 また、税理士会の政治献金問題訴訟(牛島訴訟)にも関わり、見事な判決を引き出しました。この判決は憲法判例百選に搭載され、司法試験問題にまでなったというのですから、本当に大きな意義をもつものでした。
 ハンセン病訴訟でも実に画期的な勝訴判決を得ています。熊本にある菊池恵楓園があるのに、福岡で提訴する動きがあったそうです。やはり、地元の裁判所でないとダメだと主張して熊本で裁判はすすめられ、裁判官の良心を握り動かすことができたのでした。
川辺川ダム問題にも取り組みました。熊本地裁で敗訴したものの、福岡高裁で逆転勝訴しました。流域2000人の農家の調査をやり遂げたということです。その馬力のすごさには頭が下がります。
 以上で100頁たらずです。あと300頁は、著者の論文集が話を補充するものとして搭載されています。関心のある部分を読めば、さらに理解が深まります。
 板井先生、これからもますます元気でご活躍ください。
(2011年3月刊。2000円+税)

弁護士を生きるパートⅡ

カテゴリー:司法

著者    北海道弁護士会連合会 、 出版   民事法研究会
お待たせしました。弁護士を生きるパートⅠは福岡県弁護士会の編集によるものですが、今度のパートⅡは北海道の弁護士たちが登場します。南と北が出そろいましたので、次は中部か近畿あたりがいいですね。
北海道だけあって、南の九州ではとても考えられない弁護士像も紹介されています。
まず、トップバッターは、半農半弁で暮らす女性弁護士です。大阪から移り住み、馬を飼って乗馬を楽しんでいる弁護士がいることは知っていましたが、新聞記者をやめて農業で生きる決意した夫とともに北海道に移り住み、1年の半分だけ弁護士として活動している女性の弁護士がいるなんて、驚きました。しかも、さすが北海道の冬は厳しくて農作業が出来ないため、弁護士業務は11月から雪の溶ける4月までの半年間のみ、5月から10月までは弁護士業務をほとんどお休みしているというのです。依頼者にも、そのことをあらかじめ了解してもらって受任しているそうです。だから、法律事務所の看板も依頼者にしかわからないほど小さい。なーるほど、ですね。ただし、「のんびりした半農半弁生活」とはまったくかけ離れていて、気軽に進める気にはなれないとのこと。まあ、それでも、広い北海道の大地の一角で有機栽培に挑戦し、ファームレストランを維持するとは、たいしたものです。
二番手に登場してくる佐々木秀典弁護士は私が駆け出しの弁護士のころに東京で青法協の議長として活躍していました。故郷の旭川に戻って自民党代議士だった父親の後を継いで社会党の代議士になり、国会でも活躍しました。金大中氏が韓国のKCIAに東京から拉致されて殺害されようとしたとき、人身保護法による救済を東京地裁に申立したとのこと。最高裁は同法22条による自主処理権限で韓国大使館に金大中氏の存否を照会する処置をとった。このことは、アメリカの圧力とあわせて金大中氏の生命を救ったのです。のちに大統領になった金大中氏からとても感謝されたというのも当然ですね。
三番手の中村元弥弁護士は元裁判官。『こんな日弁連にだれがした?』という本を意識して、「左翼系」ではない元「世間知らずの判事補」として司法の現状を批判的に解説しているのも面白いところです。私自身は、そもそも「左翼系」とかというレッテルを貼って弁護士会を面白おかしく書こうとする『こんな・・・』の視点自体が根本的な弱点をもっていると考えています。
以下、いろんな分野における弁護士の活動が紹介されているのですが、福岡とは違って本人の書きおろしのため、学術的かもしれませんが、読みものとしての面白さに欠けるという難点があります。やはり、福岡のように本人に若手弁護士の前で語らせ、その面白さをキープしつつ、編集者のコンセプトをふまえて本人が手を入れていくという作業にしたら、もっと読みやすい本になったのではないかと思いました。
(2011年3月刊。2200円+税)

労役でムショに行ってきた

カテゴリー:司法

著者  森  史之助     、 出版  彩図社   
 
 罰金を支払えないときには労役場で働かされます。その状況をレポートしてくれる本です。著者は酒気帯びでつかまり、罰金25万円を命じられます。1日5000円として50日間の労役場留置です。著者は、川越少年刑務所に収容されました。収容されるとき、タバコや危険物を持ち込もうとしていないか調べるため、お尻の穴を両手で広げて見せなくてはいけません。
ペニスは異物を埋め込んでいないか、埋め込んでいるとしたら何個かを調べる。
刑務官は、労役場留置の人間に対しては、何かと「独房行きだぞ。一人は寂しいぞ」と脅す。それしかない。労役には、そもそも仮釈放という制度がない。相当な規則違反をしても、懲罰を受けたものはいない。
 労役場留置の多数派は、飲酒がらみの道交法違反である。労役受刑者は、寝るのも作業するのも、朝から晩まで24時間を雑居房の中で過ごす。くさいメシといっても、メシ自体は臭くない。そうではなく、臭い場所でメシを食わなければいけないのである。
著者に充てがわれた作業は、紙袋にヒモを通すこと。ショッピングバックの製造の一過程である。ノルマはなく、何かやっていないと6時間がたたないので、ひたすら手を動かす。完全週休2日制。しかし、土日も働いている計算としてカウントされる。これだけでも労役は、軽作業をさせることより留置することに重きを置いていることが分かる。
 
 1日5000円換算の仕事をしているから、何ももらえないかと思うと、1日40円の「給料」をもらえる。1日8時間、ショッピングバック800個にひもを通して40円がもらえる。
 1日5000円の罰金を免除してもらって、3食付で、40円がもらえる。では、ここにまた入りたいと思うかというと、みんなNOという。そりゃあ、そうですね。自由がありませんからね。
 土日の休みの日(免業日)は、昼食を終えると(午睡)の時間がある。夕食まで横になっていい。著者は免業日には、合わせて16時間も布団に入って、なかで過ごしたといいます。
雑居房には時計がない。労役受刑者は、一日の行程のすべてが時間によって管理されているのに、時計を見ることができない。その必要もないからだ。
労役場留置の貴重な体験記として一読をおすすめします。
 
(2011年1月刊。619円+税)

企業法務と組織内弁護士の実務

カテゴリー:司法

著者  東弁研修センター委員会、    出版  ぎょうせい
 
 私は、分類されるとマチ弁護士になるのでしょう。いわゆる労働弁護士(労弁)を目ざしたような気もしますが、労働事件はほとんど依頼されることがありませんでしたので、労弁ではありません。草の根民主主義を大切にしたいと考えてきましたから、自分としては民主的弁護士(民弁)と言いたいのですが、民弁といっても韓国と違って定着した呼び方ではありませんので、しっくりきません。仕事の大半は多重債務をふくめた消費者被害を扱うものですから、やっぱりマチ弁としか言いようがありません。だから、企業法務なんか、あんたには関係ないでしょうと言われると、実はそうではないのです。マチ弁は、実のところ、零細な中小企業を主たる依頼者としています。だから、いわゆる企業法務ではないのですが、スケールを何桁も小さくした企業法務を扱うのは主要な日常業務の一つなのです。その意味で、この本は私にとっても大変勉強になりました。
 契約書の作成と審査にあたっての大切な視点として、2つあげられる。一つは、契約書において依頼者の利益が確保されていること。二つは、リスクの回避がきちんとできること。契約条項が明確になっていることは第三者によって検討が可能であること、そして、当事者間による契約条項の内容の共通認識である。
 契約条項において、文章で権利・義務の主体を表示するときには、受動態ではなくて、できるだけ能動態をつかうことが重要である。
 リスクの回避には3段階ある。まず、リスクを指摘する。そして、次に、そのリスクを取れるリスクか取れないリスクかを評価する。さらに、そのまま受けとめるか、軽減するか対応する。この指摘、評価、対応という3段階をふんでリスクを検討する。
 法律事務所の弁護士と企業内の弁護士との違いの一番大きいのは、リスク評価に対する対応だ。企業内弁護士は、企業の一員として、ある程度はビジネスに関与して責任を負う。だから、リスクを指摘するだけではなく、この中で取れるリスク、取れないリスクをイニシアチブをもって指摘する。リスクがあるからNOというのは簡単だが、それはダメ。リスク回避の観点から、ビジネスを動かすためにはどうしたらいいのかを考えていく必要がある。企業法務部は、建設的な提言をする必要がある。そのためには、ビジネスに対する共感が大切だ。
 法務部のコメントは、こうすればビジネスは動きますよと、ビジネス部門を法的に武装してあげるものでなければいけない。ビジネスに対する共感を持ち、ビジネスを円滑に進め、そしてそこから発生する法的なリスクをいかに回避するか、ビジネス部内の人たちと協力し合うことが必要である。
 マスコミとの対応では、マスコミに迎合せよということではない。正しくマスコミをリードするのも危機管理の一つなのだ。
 危機管理の実務は三つある。一つは、被害を最小限に食い止める。二つは、自浄作用を働かせる。三つは、プロセスを社会に示す。説明責任は会社内だけでなく、社会に示して完結するもの。
 不祥事は厳罰に処するというポリシーを経営者が日ごろ口にしていると、現場はまず隠そうとする。そういう企業文化が必ず生まれる。そうではなくて、不祥事があったら、いち早く報告させる。過ちを速く報告したら、1点加点してやるくらいの組織体制が必要だ。もともと大した不祥事でないものを、役員の事後対応のまずさから大きいニュースバリューのものに育てあげていくことがある。それが、役員の善管注意義弱違反である。
 拙速な公表は、たしかにまずい。しかし、分かっている事実と分かっていない事実とをきちんと区別してプレス・リリースするのはとても大切なこと。これは鉄則である。取締役会で法務部が議論をリードするのは危険なこと。
 企業が自浄作用を働かさないと外圧がかかる。外圧とはマスコミ、捜査当局、監督当局そして行政だ。危機管理コンサルタントは、おじぎの仕方、派手なネクタイはいけない、金ピカの腕時計ははずせとか、小手先のテクニックを使いたがる。しかし、結局のところ、会社がどういう姿勢で、何をしてきたかが勝負どころだ。
 マスコミは、相手が期待する以上の情報を提供しないと、何日も記事を書きつづける。
 こんな研修だったら、還暦を過ぎた私でも、今からでも受けてみたいなと思うほど、内容の濃い本でした。
(2011年1月刊。2095円+税)

日本国憲法の旅

カテゴリー:司法

著者  藤森 研、    出版  花伝社
この本の序文(はじめに)に著者は次のように書いています。日本国憲法の大切さを自分の仕事と生活のなかで実感したというのはすごいですよね。弁護士をしていても、憲法を日頃意識するのは、実は私にしてもそんなに多くはないのです。反省させられました。
この35年間、新聞記者として事件や司法、教育、労働、戦後処理、ハンセン病、メディア問題などを取材した。その時々の課題を追う社会部記者の暮らしのなかで、いつもどこかで気になっていたのは、私の場合は、日本国憲法だったように思う。
著者は大学時代に、小林直樹教授の憲法ゼミに所属していたとのことです。そして、今は新聞社を退職して、専修大学で学生を教えています。
日露戦争のとき、与謝野晶子が「きみ死にたまうことなかれ」と反戦詩を発表したのは有名ですが、その前に、ロシアの文豪トルストイもイギリスで同じような反戦の論文を発表していました。いったい、晶子はトルストイの論文を読んでいたのか。著者は読んでいたと断言しています。時期として矛盾しないし、内容に類似性があるということが根拠になっています。実は、私は別の本でも、このことを追跡しているのを読んだばかりですので、著者の考えに同感です。
そして、晶子が日露戦争のあと、変節したのかと問いかけています。晶子は満州旅行に出かけたとき、ちょうど奉天で日本軍による張作霖爆殺事件に遭遇したのでした。この事件は、当時の日本では満州某重大事件として真相が秘匿されていましたから、晶子が真相を知っても、その考えを発表することはできなかったでしょう。
軍隊を持たないコスタリカにも著者は行って現地で取材を重ねました。モンヘ元大統領は次のように語ったそうです。
私たちは軍隊を持っていないだけに、どんな小さな紛争も看過せずに調停と仲介を通じて、積極的に平和をつくり上げていく。私たちの中立主義はイデオロギー的な立場で唱えているのではなく、人間の自由と人権を守る方向で考えている。アメリカは複雑な国だ。ペンタゴン(国防総省)やタカ派は反対であっても、アメリカ議会は我々の立場を承認する方向にあった。
そして、コスタリカでも注目すべきは選挙です。サッカーと選挙は国民的な祭典である。投票日直前になると、全国一斉に禁酒となる。過熱によるケンカの予防のため。ただし、これはコスタリカだけではなく、他の多くのラテンアメリカの国と同じ。そして、子ども選挙が行われている。高校生たちが企画・運営し、10歳前後の子どもたちが大人と同じように本物そっくりの投票箱に投票用紙を入れる。こうやって、子どもたちは民主主義とは何かを体験し、学んでいく。実践的な公民・政治教育が盛んにすすめられている。いやあ、これっていいことですね。日本で政治に無関心な人が多いのは、子どものとき学校できちんと教えられていないことにもよりますよね。
 コスタリカ政府がアメリカのイラク侵攻を始めたのを支持する声明を出したとき、一人の法学部生が憲法に反対すると提訴した。そして、最高裁は政府によるアメリカ支持の声明を違法とし、その声明の取り消しを命じる判決を出した。
 うむむ、これってなかなかすごいことですね。こうやって憲法をつかい、定着させていくわけですね。日本では、その点の努力がまだまだ弱いですよね。
 著者は本の最後を次のように締めくくっています。これまた、とても大切な言葉だと思いました。
 日本国憲法を世界に活かしていく歩みは可能だと思う。望めば、その歩みに直接かかわることもできる国に暮らしていることを、恵まれたことだと私は感じる。
 実は、著者は私と同じころ大学(駒場)にいたのでした。学生のころは面識がありませんでしたが、今では年賀状などをやりとりする関係にありますので、この本も贈呈していただきました。ありがとうございました。じっくりと読むに価する本だと思います。 
(2011年1月刊。1800円+税)

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