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カテゴリー: 人間

わたしたちの体は寄生虫を欲している

カテゴリー:人間

著者  ロブ・ダン 、 出版  飛鳥新社
 1850年のアメリカの平均的寿命は40歳。1900年に48歳となり、1930年に60歳に延びた。
 いま、北米には60万人のクローン病患者がいる。クローン病は遺伝的傾向があり、タバコを吸う人に発症しやすい。クローン病にかかった人の家には、必ず冷蔵庫がある。
 このクローン病の原因は、寄生虫が体内に存在しないことではないか・・・。免役システムが機能するには、寄生虫の存在が必要なのだ。寄生虫がいなければ、免疫システムは無重力状態に置かれた植物のようになる。
 寄生虫は万能薬ではなく、誰にでも効果があるわけではない。
 人間の腸には、1000種類以上の細菌が棲んでおり、人体の他の場所にはさらに1000種が生息している。それらのほとんどは、見つかった場所でしか生きられない。
 パスツールは、細菌と人間は相互に依存して進化してきたのであり、腸内の細菌を殺せば、人も殺すことになると述べた。
 シロアリは腸内の細菌が死ぬとまもなく死んでしまう。細菌がいないと、分解しにくい好む食べ物を消化できないからだ。
 おとなの犬は牛乳を消化することができない。乳牛、ブタ、サル、ネズミなど、哺乳類の成体すべてに言える。哺乳類にとって、乳はあくまで赤ちゃんの飲み物なのだ。
人間の祖先たちも牛乳を消化できなかった。しかし、今日、西洋人の大半は、おとなになっても牛乳を消化することができる。マサイ族は、牛の群れを追って移動しながら暮らし、大量の牛乳を飲む。
 サバンナザルは、「ヒョウ」「ワシ」「ヘビ」という三つの言葉をもっている。おそらく人間の祖先も同じだ。そして、その次は「走れ!」という動詞だった。
 チンパンジーは、一般に高さ3メートル以上のところに巣を作る。それは、ヒョウがジャンプできる高さより上だ。
地上で暮らすようになってから、ゴリラは大きく強くなった。それは、捕食動物に対する防御手段だろう。
 人間の出産は午前2時前後が多い。夜中に赤ちゃんを産むのは、その時間帯なら周囲に身内が集まって眠っていて、何かあれば、起きて出産途中の母子を守ってくれるからだ。
進化の途上において、体にいい食べ物を美味しいと感じた人は、生きのびる可能性が高かった。舌は、人間の祖先をおだてて、正しい選択をするように導いた。味蕾が脳に味を感じさせるのは、食べ物の取捨選択を誘発するため。
 人間の祖先がまだアフリカにいたころ、体毛がなくなると同時に、皮膚のすぐ下の細胞でメラニンが生成されるようになり、肌が黒くなった。その後、祖先の一部は暑い気候の土地を離れていったが、メラニンは相変わらず日光を遮り続けた。日光が遮断されると、体はビタミンDを生成することができない。日照量の少ない地域に移住した祖先のうち、肌が黒い人ほどくる病にかかりやすかったので、白い肌の遺伝子が優勢となった。
そもそも体毛を失わなければ、人類の肌の色はこれほど変化に富んでいなかった。
 人間と細菌、寄生虫の関係をよくよく考えさせてくれる本でした。
(2013年8月刊。1700円+税)

井上ひさしの劇ことば

カテゴリー:人間

著者  小田島 雄志 、 出版  新日本出版社
 井上ひさしの本は、それなりに読んでいますが、残念ながら劇はみたことがありません。
 遅筆堂と自称していた井上ひさしの劇の台本は、きわめて完成度が高いことに定評があります。
 著者は、井上ひさしの劇の初日に必ず行って、終了後にコメントするのが常だったそうです。すごいものです。
 井上ひさしの劇は、ことばがコントロールされず勝手に飛び出してくる。その多彩さに、自由でムダな部分が面白い。
 井上ひさしのことばのもつ遠心力のエネルギーには、ものすごいものがある。
 ことばは、真実を掘り出すツルハシ。
 ことばは、ボディーブローのように効く。
 ことばは、常識を覆す。
 ことばは、肩すかしを食らわせることができる。
 ことばは、同音異義語で駄洒落ることがある。
 ことばは、「死」と「笑い」を同居させることがある。
 ことばは、ドラマティック・アイロニーを生むことがある。
 ことばは、人間世界を俯瞰することができる。
 ことばは、造語することができる。
 ことばは、願い、誓い、呪いを短く強く発することができる。
 ことばは、あらゆるものを対比・総合することができる。
 井上ひさしは、思い切って「ことばの自由化」をやった。自由にことばの枠を広げたところから始め、近代劇の論理にとらわれないで、ことばが自由に飛び出た。
誰が演じても観るものを泣かせる芝居。それがすばらしい劇曲の証拠だ。
 井上ひさしの本や劇をもっと読みたかった、観てみたかったと思いました。
 井上ひさしも偉いけれど、この著者もすごいと思ったことでした。
(2014年5月刊。760円+税)

調理場という戦場

カテゴリー:人間

著者  斉須 政雄 、 出版  幻冬舎文庫
 私とほとんど同世代の著名なシェフの体験記です。
 フランスに渡って、その料理界に12年間いて、日本に帰って東京の「コート・ドール」の料理長に就任し、1992年からは、オーナーシェフとして活躍しています。
 フランス料理界での苦労話は身につまされます。ひたすら堪え忍んだのです。
 ひとつひとつの行程を丁寧にクリアしていなければ、大切な料理をあたり前に作ることができない。大きなことだけをやろうとしても、ひとつずつの行動が伴わないといけない。裾野が広がっていない山は高くない。日常生活の積み重ねが、いかに大切か。
 窮地に陥って、どうしようもないときほど、日常生活でやってきた下地があからさまに出てくる。それまでやってきたことを上手に生かして乗り切るか、パニックになって終わってしまうか。それは、日常生活でのちょっとした心がけの差だ。
イザというときに、あきらめることはないか。志を持っているか。
 相手に不快感を与えることを怖がったり、職場でのつきあいがうまくいくことだけを願って、人との友好関係を壊せないような人は、結局、何にも踏み込めない、無能な人だ。
 自分の習慣を変えず、流れるままに過ごしていたら、きっと10年後も人をうらやんでいるだけだろう。だったら、仕事以外のものは捨てよう。
言葉は、人と人とのかけ橋であり、自分とまわりが一緒に生きていくうえでの潤滑油でもあり、個人がやすらぐメロディーでもある。そして、言葉は、体をつくるものでもある。
 こいつは牙をむくかもしれないなという部分を相手にきちんと認知させないと、こちらがグロッキーになるまで、相手方からやられてしまう。
 いい人なだけではないということを体から発するためには、勤勉なだけではダメ。のべつまくなしに働く甘さだけでなく、必要なときに必要な力を出せることが大切なのだ。
乱雑な厨房からは、乱雑な料理しか生まれない。大声でわめきたてる厨房からは、端正な料理は生まれない。
 掃除することは、料理人としての誇りを保つための最低条件である。
 日常性をすり込ませることで、お客さんとのコミュニケーションをとることができる。超絶技巧の積み重ねだけでしか出来ないものを出していては、お客さんは疲れてしまう。
 一緒に食べている人との楽しい会話を促すような料理こそすばらしい。
採用するときの基準は二つ。気立てと健康。入ったら、まず片付けものと掃除。次にお菓子。その後、魚を下ろさせる。次はオードブル。
 いやはや、料理の世界も本当に奥が深いですね。
(2014年8月刊。600円+税)

虹の岬の喫茶店

カテゴリー:人間

著者  森沢 明夫 、 出版  幻冬舎文庫
 不思議なストーリー展開の本です。でも、それでいいのです。多少あいまいで、ええっ、どうしてそうなるのと不思議感があるくらいが、ちょうどいいのです。何事も論理的にきちんとしすぎると、ギスギスしてきます。心にゆとりをもたせるためには、いくらかのミステリーがあったほうが前向き思考になじむのです。
 映画「ふしぎな岬の物語」も早速みました。この本を読んでいましたから、本にあって映画にないもの、映画にあって本にないものが分かりました。両者あいまって、映画を見終わったとき、ほんわかした気持ちになって帰路につきました。いい映画をみた後は、いつも、ありがとうございましたと心の中で叫んでしまいます。
 この本、そして映画は、吉永小百合のために書かれ、つくられたようなものです。彼女も年齢(とし)をとりました。でも、本当に美しいです。反核・平和のために今も大きな声をあげているのも偉いものです。ギラギラしたところがなく、ちょっととぼけた味わいすら出しているところが、たまらなくいいのですよね。
 吉永小百合の、私にとっての秘密は、週に何日もプールで泳いでいるというのに、顔にゴーグルの跡が見あたらないことです。私なんか、週に1回しか泳いでいませんが、目のまわりには、はっきりしたくぼみがあります。
 ゴーグルの違いなのでしょうか・・・。誰か、その秘密を知っていたら、教えてください。
岬の先にある古ぼけた喫茶店が舞台です。実際に、房総半島に、こんな喫茶店があるそうです。誰か、ブログで紹介してくださいな。でも、常連以外の客はなさそうですから、きっと採算はとれないでしょうね。それでは長続きしないのではないかと心配になります。
 毎朝、湧き水を汲みに行って、コーヒーを湧かします。そして、「おいしくな-れ、おいしくなーれ」と呪文をとなえるのです。
 ブラックのコーヒーって、私はあまり好みではありませんが、本当においしそうです。そんな青息吐息の喫茶店に、食いつめた刃物職人が夜中に泥棒に入ります。女主人は、「泥棒さんも大変ね」と声をかけ、心を通わせるのです。
 私も、弁護士として、同じような思いを何度もしました。食いつめたあげく、無人の倉庫に泥棒に入ったところ、たまたまやって来たパトカーにライトを浴びせられ、逃げようとしたけれど、何日も食べていなかった空腹のため、何歩も走れないで倒れてしまったというケースを担当しました。私と同世代の人たちが食うに困って「犯罪」には知る姿をみると、本当に身につまされます。
 安倍首相の進めている弱者切り捨て政策は本当に許せません。たまには、ほんわり、じんわり感を味わいたい人には、強くおすすめの本であり、映画です。
(2014年6月刊。648円+税)

未来のだるまちゃんへ

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著者  かこ さとし 、 出版  文芸春秋
 88歳の絵本作家が自らの生い立ちを語った本です。
 わが家でも、さんざんお世話になりました。「だるまちゃんとてんぐちゃん」、「カラスのパンやさん」、そしてなんといっても「どろぼうがっこう」です。私は、子どもたちに何回も何回も読み聞かせてやりました。子どもたちは、何回読んでも、飽きることなく、いつも喜んで聞いていました。知っているセリフが出てくると、私と一緒に言うのです。それが読み手の私にも快感でした。
 独特の雰囲気の絵です。なんだか素人っぽく、やさしい絵です。1000万人の子どもが読んだ絵本だとオビに書かれていますが、長く読み継がれる価値のある絵本だと思います。
 著者は、私が学生のときに打ち込んでいた川﨑セツルメントの大先輩にあたります。
 著者は東大工学部を卒業し、昭和電工に入り、会社員として仕事しながら、川崎市古市場でセツルメント活動に関わりました。
 私も、同じ、この古市場でセツルメント活動に3年あまり、勉強そっちのけで従事しました。といっても、私は子ども会ではなく、青年労働者の山彦サークルという名前の若者サークルに加わっていました。アカ攻撃が加えられたりするなかで、ハイキングやオールナイトスケート、そしてグラフ「わかもの」を読みあわせたりしていました。そのなかで、社会の現実への目が開かれていったのです。それまでは、自分一人で大きくなってきたかのような錯覚に陥っていました。今では、残念ながら学生セツルメントはほとんど絶滅していますが、私の学生のころは全国大会に1000人以上の学生セツラーが全国から参集し、大変な熱気でした。楽しい思い出です。
 著者が川﨑・古市場でセツルメント活動に関わったのは、1950年(昭和25年)ころ、24歳のときです。そのころの古市場は、焼け野原のあとにたてられた木造のバラックみたいな平屋がずらりと並んでいた。私が古市場でセツルメント活動していたときには、労働者の多くの住む住宅街でした。高層ビルはまったくなく、個人住宅と木造二階建てアパートが混在していました。決してスラム街ではありません。
 セツルメント診療所は今もありますが、私のころは木造二階建ての小さい診療所でした。私は古市場に下宿、レジデントしていましたから、診療所の職員のみなさんに大変可愛がってもらいました。
 子どもというのは、ときには大人よりも鋭い観察者だ。
 古市場では、何より子どもたちのエネルギーに圧倒された。
 セツルメントで運動会をすると、町じゅうの子どもたちが500人くらいも押し寄せてきて、てんやわんやだった。
 子どもたちは、遊びでも何でも、時間や場所さえ与えてやれば、自分でつくり出して楽しむ力を持っているし、紙芝居をつくって見せてやらないといい成長ができないというものでもない。自分で楽しみを探し出し、その楽しみが次のエネルギーとなって伸びていく。それが生きる力であり、子どもというのは、そういう生き物なんだ。
 川﨑のガキどもが、起承転結がちゃんとあって、人間がきっちり描いていれば、見てやるよ、と教えてくれた。だから、絵本を描くときの時間配分は、お話の骨組みを作るのに8割、絵を描くのに2割としている。
 大人は先回りして子どもの心を読みとったように思っているけれど、それはたいてい早合点だったり、見当違いで、かえって子どもに辛い思いをさせていることも多い。
 大人が自分のためを思って、そうしてくれたのが分かるから、その気持ちを傷つけたら悪い、否定したら悪いと思って、子どものほうが我慢している。
 家庭環境がいいに越したことはないけれど、どんな家庭に育とうと、やっぱり肝心なのは本人の力であり、人格であり、感性だ。
 子どもというのは、本当に好きなことなら、何としてもやるのだ。どうしてもやりたいのなら、大人や先生の目をごまかしてでもやればいい。そのくらいの知恵は子どもにだってあるはず。そして、それくらいの意気込みがなかったら、自ら水準を高めて、何かを達成するというのは難しい。本当にやりたいことなら、誰になんと言われようと、やらずにはいられない。それに向かって自らの意思で自らの力を注ぐのが、子どもというものだ。
 子どもについての考え方を、根本から改める必要があると思わせる大切な指摘です。
 がこさとしの絵本を一つも読んだことがないという人が、このブログの読者のなかにおられたら、それは明らかに人生の不幸です。今すぐ本屋が図書館に行ってください。そして絵本ですから、ぜひ声を出して、できたら子どもに向かって読んでみてください。心がほんわかしてくること間違いありません。
 先輩、いい本をありがとうございました。引き続き、絵本を楽しみにしています。
(2014年6月刊。1450円+税)

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