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カテゴリー: 人間

海馬を求めて潜水を

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 ヒルデ・オストビー、イノヴァ・オストビー 、 出版 みすず書房
子どもたちに幸せな人生を支えるのは、親が語って聞かせる、子どもの小さいころの楽しい話だ。親の話を聞くことにより、子どもは、自分が楽しく生きてきたという、ポジティブな感情をもつことができる。夕ご飯を食べるとき、一緒に過ごした思い出をほんのわずかな時間でも語りあうことによって、子どもたちの心の傷を癒し、自信を与える。これは、すてきな記憶のプレゼントだ。うーん、そうなんですね…。
記憶の定着には眠りが必要。人は、眠っているあいだに、その日の出来事を見直し、大脳皮質に定着させている。
PTSDを負った人の海馬は、通常の人よりサイズが小さい。
私たちの記憶は、都合よく改ざんされる。自分が体験したと思った出来事も、すべてが事実とは限らない。虚偽記憶はさまざまな方法で形成される。他の人の記憶を「盗む」ことさえある。証人は、あてにならない。多くの場合、本当に間違って覚えている。
人々は睡眠不足に苦しむと、通常よりも記憶に影響を受けやすくなる。
刑事被疑者がにせの自白をするのは3つのパターンがある。その一つは、やってもいない罪を自由意思で認めるもの。目立ちたいから、というのもある。その二は、強制による拷問や時間の心理的圧迫を受けたあと、今の抑圧から逃れるための「自白」。三つ目は、自分の自白を信じていて、自ら虚偽自白を生み出してしまうケース。
記憶術トレーニングは、一般的な記憶力の向上に効果があるとは言えない。
人口の12%という、信じられないほど多くの人々がうつ病に苦しんでいる。彼らは、記憶力の低下に苦しんでいる。
健忘症にかかった人の多くは、程度の差はあれ、古い記憶は維持しているものの、新しい経験を記憶するのに苦労している。
私たちは、年齢(とし)をとれば、とるほど、過去を振り返る。
記憶とは、将来起こりうる危険を予測し、それに向けて備えるための大切な機能だ。私たちの記憶は柔軟で変形しやすく信頼性が低い。その理由は、記憶は、美術館の展示品ではなく、実際に使われるべきものだから。記憶は、将来のビジョンや計画、夢、空想にとって不可欠のもの。将来を想像することは、記憶の自然な機能。記憶をはっきりと認識するプロセスと、未来を想像するプロセスは同じだ。生き残るためには過去が必要なのだ。
ゾウの集団を率いるリーダーは経験豊富なメスのゾウ。彼女は過去の記憶をたどって、いつ、どこに水と食べられる植物があること、そして、そこにたどるルートを知って覚えているからこそ、群れを率いて生きのびることができる。
未来思考は、文字を書くという創造性を生み出した。
人間とは何かを考えさせられる本です。著者はノルウェー人姉妹です。
(2021年6月刊。税込3740円)

夢を見るとき脳は

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 アントニオ・ザドラ、ロバート・スティックゴールド 、 出版 紀伊國屋書店
夢とは何なのか、夢を見るとはどういうことか…。
このテーマは私にとっても最大の関心事の一つです。
夢とは、睡眠中に出現する一連の思考、心象、情動である。これは辞書の説明。
ところが、研究者のあいだでは、何をもって夢とみなすのかということについて一致した見解はない。なので、夢を一つの定義にまとめるのは不可能。
夢の映像は、想像より10倍も鮮明で説得力がある。
6~8歳になると、夢が非現実であり、自分以外の誰にも見えていないことが分かる。そして、夢が個人の内面に出現するものであり、実体がないことを完全に理解するのは11歳ごろ。
睡眠中には、どういった精神作用が継続、停止、変化するのか…。
夢と思考の根本的な相違はどこにあるのか…。
以上の二つは、今日の夢研究においても中心的な疑問になっている。
フロイトは、自らの心理学的理論をそれまでの学説にない斬新なものとして売り込むのに成功したが、実は、その前に、フロイトと同じようなことをいっていた学者・研究者はいた。
レム睡眠は急速眼球運動(REM)が認められるもので、およそ90分おきに出現する。ノンレム睡眠よりレム睡眠のほうが夢を語ることのできる人が10倍以上いたという実験結果がある。
脳波というのは、1ボルトの1万分の1程度。レム睡眠は脳波だけからみると、覚醒しているとしか思えないのに、実際はぐっすり眠っている。レム睡眠では、まるで目覚めたように脳波が速くなるのに対して、筋肉の緊張が失われ、制御がきかないアトニアという状態に陥っている。
睡眠不足が何日か続くと金しばりを経験することがある。ラットをずっと眠らせないでおくと、1ヶ月以内に必ず死に至る。極度の睡眠不足は悲惨な結果を招く。アメリカで肥満が深刻化している原因に睡眠時間の減少も関係している。
成長ホルモンが分泌されるのは眠りの深い徐波睡眠のとき。横たわって眠っているあいだに背が伸びていく。抗体を産生するのにも睡眠が必要。そのメカは実はよく分かっていない。
脳内の老廃物を洗いながしてくれるのは脳脊髄だが、睡眠中に脳脊髄液が大波となって勢いよく流れる時間がある。これはノンレムの徐波睡眠の時間。
取り込んだ新しい情報は、とりあえずためておく。そして、眠ったあとに情報を見直し、修正を加えて、その意味を確定させる。
記憶の狙いは、過去ではなく、未来だ。また同じことを繰り返さないようにするため。幼児はノンストップ学習マシーンなので、小さな脳が取りこんだ新情報を昼寝で一度処理しておかないと、負荷がかかりすぎる。休憩なしで大量の情報が入ってくると、おとなだって対応しきれない。
夢を見たことなんて一度もないという人の脳波を見てみたりして夢を見ていたことが判明した。
生まれたときから視覚をもたない人の夢に視覚映像は出てこない。
女性と男性とでは夢を見る内容が違う。女性は夢のなかには男女ほぼ同数以上。男性の見る夢は、男性が女性より先に出てくるから。
夢の特徴の一つとして、登場人物どうしのやりとりがある。
夢のなかに性的な内容が登場する頻度は高い。
衝撃的な体験のあと、何度も悪夢を充みるのはPTSDの前兆である、
優れた芸術と同じく、夢も私たちを導きながら、生活を豊かにしてくれる。脳は筋肉とちがって休むことを知らず、昼も夜も働きつづけている。
夢の解明はすすんでいるようで、まだまだ未解明のところが大きいことを知りました。人間のことがすぐに分かるはずもありませんよね。脳と夢について、大変興味深く読みました。
(2021年9月刊。税込2420円)

こうして生まれた日本の歌

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版 新日本出版社
『心の歌よ』シリーズ第2作です。前回は21曲でしたが、今回は3倍近い57曲です。その分、1曲あたりの紹介文が短くなっていて、歌詞を思い出せない曲もありました。
福岡県大牟田市出身の荒木栄の歌も紹介されています。大牟田市の中心部に「九条の会おおむた」の事務所があり、そこには畳4枚分の大看板があって「平和への力、憲法九条」と訴えている(今はそこにはありません。事務所が移転しました)。
『がんばろう』は、筑豊の炭鉱の売店で働いていた森田ヤエ子の詞を荒木栄が作曲し、たちまち全国に広がった。
「沖縄を返せ」は、全司法福岡高裁支部(土肥昭三)が作詞し、荒木栄が編曲した。
荒木栄は1985年に亡くなったが、その碑は今も「米の山病院」の正面玄関前にある。
柳川市出身の北原白秋は、「からたちの花」を作詞した。柳川市には、鋭くて長い棘(とげ)のあるからたちの木が生け垣として、町のあちこちに植えられていた。
同じく北原白秋が作詞した「この道」は、北海道の風景を描いているが、同時に、幼いとき、母に手を引かれて歩いた玉名郡南関町の道も重なりあっている。うむむ、そうなんですか…。
サトーハチローは、少年のころは「神武以来の悪童」と呼ばれた悪ガキだった。落第3回、父(作家の佐藤紅緑)からの勘当は17回。山手線の内側にあるすべての警察署で捕まった。父の浮気癖にたまりかねて母親が家を出て、長男として父親のもとに残ったハチローは母を失った寂しさと父へのあてつけから不良になった。そのため、15歳のとき、小笠原諸島の父島へ追いやられて、そこの民家で4ヶ月のあいだ謹慎することになった。ここで、島の教会のポルトガル人宣教師の娘に恋をし、童話や詩集を熟読。島を出るとき、ノートが詩で埋まっていた。サトーハチローが一生のうちに書いた詩は2万1千編。そのうち3500編が母を慕う詩。これまた、すごいものですね…。
「ぞうれっしゃがやってきた」という歌もいいですね。戦争中、全国どこの動物園でも猛獣は殺せという命令がおりていたのに、名古屋の東山動物園では、4頭いた象のうち2頭を軍人もひそかに協力して生きのびさせることができた。いやあ、これってすごいことですよね。食糧難のなか、象のエサの確保は大変だったことでしょう。
そして、戦後、東京の子どもたちが象を見たいという。でも、2頭の象を離そうとすると、嫌がって暴れる。それなら、逆に東京の子どもたちを名古屋まで連れていこうということで、象を見る専用列車を仕立てた。1949年のこと。この列車で、6万人の子どもたちが東山動物園にやってきて、象を見た。この話が絵本となった。そして、それが合唱曲となって、大勢で歌うようになった。1986年の初演には定員850人の会場に1200人が集まった。うたが生きていた。2015年に名古屋で開かれた「日本のうたごえ祭典」では、2000人が舞台に上がって大合唱した。東山動物園の人たちは戦争の時代でも、あきらめず、仕方がないと思わず、守り抜いた。そのすごいことをみんなで歌うことで体感していく喜びがそこにあった。
著者が週刊「うたごえ新聞」に連載した記事をもとにした本です。私も、学生セツルメントの思い出を本(『星よ、おまえは知っているね』)にしたとき、この「うたごえ新聞」に紹介してもらったことを思い出しました
歌は、生きる力、明日への希望を心のうちに呼び起こす力をもっていることを実感させてくれる良書です。ぜひ、ご一読ください。
(2021年5月刊。税込1760円)

文体の舵をとれ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 アーシュラ・K・ルグウィン 、 出版 フィルムアート社
小説教室というのですから、モノカキを自称する私はすぐに飛びつきました。
なんと、この本の初版は1998年。そして、徹底的に書き直されているそうです。著者は3年前(2018年)に亡くなっています。
ともかく、まずは書いてみる。そして、1日か2日あけて、読み返す。すると、欠点と長所が見えてくる。
この本は、コトバのひびき、リズムを大切にすることを強調しています。なるほど、と思いました。
いい書き手は、いい読み手と同じく、心の耳をもっている。書き手は、ぜひ楽しく書いてほしい。遊ぶのだ。自分の書いた文章のひびきやリズムに耳を澄ませて、おもちゃの笛をもった子どものように戯(たわむ)れてみよう。自作は声に出して読んでみよう。
構文も簡単な短文ばかりで構成された文体は、単調でぶつ切れなので、いらいらさせる。
短文ばかりの文体のときには、会話のとき以上に、考えたうえで文章をつづる。
文体とは、つまりは、すべてリズム。アクションとプロセット(筋書き)しかない物語は、とてもお粗末な代物(しろもの)だ。プロットは、複数の出来事をふつう偶然という鎖でつなげて物語を紡(つむ)いでいく、ただの一手法にすぎない。
いつも似たような人ばかり書いてしまうときには、まったく別種の人物について書いてみるのが良い。ときに飛躍するのも大事だ。
神は細部に宿るというが、悪魔が細部に宿ることもある。詰め込みすぎの描写は、物語を行き詰まらせ、自分の首を絞めてしまう。いったん書いた文章を書き直すとき、出だしが削れるなら、削ったほうがいい。冗漫なところをすっきりさせると、かたちができあがっていく。
本の合評会に著者が参加するときは、沈黙するのが肝心。前もって説明や言い訳するのは、なし。そして、参加者のコメントとメモする。弁解はしない。最後にきちんとお礼を述べるのを忘れないこと。
自称モノカキの私にとっても実践的に大変役立つ本でした。
コロナ禍のせいか、相談も受任も減りましたので、事務所内の待ち時間で読みはじめました。私の読んでいない本、読めそうもない原書などがたくさん出てきています。
(2021年8月刊。税込2200円)

ちひろダイアリー

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 竹迫 祐子 ・ ちひろ美術館 、 出版 河出書房新社
東京のちひろ美術館には一度だけ行ったことがあります。コロナ禍がなければ、昨年は長野のちひろ美術館に出かけるはずでした。
コロナ禍がまだ完全終息しているとは言えないのに、政府はGoToトラベルに残る1兆円の予算を支出して再開するとのこと。まるで優先順位が間違っています。それより前に、PCR検査の充実、保健所の復活、そして「自宅療養」と称する入院拒絶の解消のほうが、よほど優先順位として政府は取り組むべきものです。
それはともかくとして、55歳で病死してしまった、いわさきちひろの生涯を豊富な写真とちひろの描いた絵で紹介している、心あたたまる本です。
何度と見ても、どんなに繰り返し見ても眺めても、ちひろの絵って、不思議なほど心が癒されますよね…。
子どもは、全部が未来だし…。
ちひろの実際の人生は、少しもふわふわ甘い人生ではなかった。あの溶けだしそうなパステルカラーの水彩画の世界は、ちひろのこの世にないものへの祈りであり、こうあってほしいものへの希望だった(上野千鶴子)。
ちひろは、幼いころから絵を見るのも書くのも大好きな女の子だった。
どこに行っても物おじしない子どもだった。
小学校入学記念のときのハカマを着たちひろの写真があります。いかにも知的で、精神(意思)力の強そうな子どもです。圧倒されます。
2人の妹のいる長女だったのですね。ハイカラな洋服を着た三姉妹の写真がありますが、きっとしっかり者のお姉ちゃんだったことでしょう。
戦前に結婚し、それに失敗して、ちひろは戦後、もう結婚なんて絶対しない。絵と結婚したと宣言…。ところが、ついに、年下の男性を愛するようになったのです。
30年来、私は、こんなに人を愛したことはないもの…。人は変わるものなんですよね。
ちひろは31歳、8歳も年下の松本善明23歳と結婚しました。まだ弁護士になる前だったでしょう。
神田のブリキ屋さんの2階の部屋は、千円の大金で花をいっぱい買って、結婚式。ぶどう酒1本とワイングラス2つだけ。二人だけの結婚式。
この情景を上條恒彦が歌っています。いい歌です。
そして、一人息子(猛)が生まれ、3人家族となりました。
ちひろの描いた絵のなかには、いつも自分の子(猛)を入れていた。うむむ、すごいですね。母の愛は、ここまで貫くのですね…。
ちひろの夫・松本善明は弁護士で、私が上京した1967年に衆議院議員になりました。中選挙区制でしたので、共産党の国会議員として連続当選を重ねました。その夫をちひろは支えました…。
いやあ、何度みても、いつ見てもちひろの絵っていいですよね。子どもたちのかわいらしいしぐさのひとつにハッとさせられます。
大人というものは、どんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思う。うむむ、そ、そうなんでしょうか…。考え直させられます。
こんな才能あふれていた女性が55歳で亡くなるなんて、本当に残念でした。一刻も早く安曇野のちひろ美術館に行ってみたいです…。
(2021年7月刊。税込2145円)

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