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カテゴリー: 人間

さずきもんたちの唄

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 萱森 直子 、 出版 左右社
瞽女(ごぜ)の小林ハルさんの最後の弟子であった著者による瞽女の話です。とても面白くて、ぐいぐい惹き込まれて車中で一気に読みあげてしまいました。
瞽女は難しい漢字ですが、打楽器の「鼓」と「目」から成るもので、身分や生まれを指すのではなく、職業の名前。起源は室町時代と言われている。
三味線をもってうたうことで暮らしを立てていた、目の見えない女性たちの職業。新潟・越後では昭和の中頃まではその姿を見ることができた。
越後の瞽女たちは一本の三味線とその声でみずからの人生を切り開き、人々の暮らしに深く入り込んでパワーあふれる娯楽を提供する、誇り高き芸人集団だった。
瞽女は、ひとりで旅をすることはない。少なくとも親方と弟子と手引きの三人づれ。五人の組になると、縁起がいいと村人から喜ばれた。うたうときも、みんなで座を盛りあげる。
瞽女唄では、物語をうたうことを「文句をよむ」と表現する。
物語を伝えればいいのだから、機械のように毎回、一字一句、ハンで押したように同じようにうたう必要はない。繰り返し繰り返し稽古して身にしみこんだ文句と旋律で、その場で臨機応変に物語を再現していく。
瞽女唄は脚色も演出もしない。これは棒読みするというのではない。伝えるべきは物語の中身。聴く人が、それぞれに自分の頭の中で物語を思い描いていく。うたい手の作為的な飾りをつけ加えるのは、かえって、その邪魔をしてしまう。
「葛(くず)の葉の身になってうたえ」
「童子丸の身になってうたえ」
しかし、それなのに、「声色(こわいろ)を使ってはならない。声の調子を変えてはならない」と厳しい師匠。
単調、無作為と共存する感動。ここには、他の芸能とは重ならない独特の声と音の響きがある。
「あきない単調さを初めて知った」
「何の変化ももりあげもないのに、どうしてこれほどまでに心に訴えてくるのだろうか」
「単調さを貫くことが、うたい手の存在感を消すのではなく、かえって重くしている」
これらは聴衆の感想。いやあ、瞽女唄をぜひ聴いてみたくなりました。
物語を伝えるためには、自分のリズム感や自分の感覚で語ることが必要。
瞽女唄をうたうとき、見台や譜面台は決して使わない。目に頼らないでうたう。耳で伝える。これは、瞽女唄であるための、芸としての根幹に関わるもの。
瞽女は津軽三味線のルーツでもある。
瞽女だった小林ハルさんにとって大事だったのは、「お客人が喜んでくれなさるかどうか」の一点のみだった。
瞽女唄は、瞽女さんたちが、その耳で伝えてきた唄。なので、すべての文句について、できる限り、余計な解釈を加えず、耳で受けとったまま声を出すように著者はつとめている。
たとえば、牛頭(ごず)をハルさんは、「ごとう」とうたう。これはおかしいと批評されると、「おれはこう習うたから、こううたうんだ」と怒りをこめて言った。
うたう前に解説文などは下手に配らない。話と唄だけ。お客は著者の表情をじっと見つめ、あるいは目を閉じて、その瞬間の響きそのものに耳を傾ける。うたい手とお客とが一体となって物語に入り込んでしまうような濃密な時間を過ごすことになる。
知識や教養は役に立つものだけど、ときとして素直な感動を妨げることがある。
「さずきもん」とは、個人の能力や人との縁など、人生において「さずかったもの」のこと。
小林ハルさんが瞽女になると決めたのは5歳のとき、稽古を始めたのは7歳、瞽女としての初旅に出たのは8歳のときだった。最初の師匠には10年間ついた。それはとても辛かったようです。
「おれは人から悪いことをされたことは絶対に忘れない。死ぬまで忘れられない。死んだって忘れねぇ。だから、おれは人に悪いことはしないんだ」
なーるほど、そうなんですね…。
小林ハルさんは、2005年4月25日に死亡。105歳だった。
ハルさんをモデルにした映画があるそうです。著者が瞽女唄指導として関わっているとのこと。ぜひみてみたいものです。
著者は乳ガン、そしてパーキンソン病にもかかって大変のようですが、ぜひこれからも元気に瞽女唄をうたい続けてください。ご一読を強くおすすめします。
(2021年10月刊。税込1980円)

半夏生

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 佐田 暢子 、 出版 本の泉社
古希の誕生日は遅滞なくやって来た。
この本の書き出しの文章です。本当にそうなんです。まだ10年早いよ、出直しておいでと言いたいのに、カレンダーをめくるまでもなく私も古希を迎えました。
尻をつつかれて、しぶしぶ階段を上ったような気分だと著者は書いています。これは私にはちょっとピンときませんでした。階段を上ったというより、なんだか知らない世界が近づいてきているという感じです。なので、今のうちに、身の回りの世界をもっと見つめ直しておきたいという気になります。
65歳を過ぎると、思ってもみないことが起こるんだと生命保険の外交員が保険を勧誘するときに言った。それからは、なんでこうなるの、ということばかり。著者は、まったくそのとおりだと肯定しています。私も同じです。突然、駅のホームをフツーに歩けなくなるなんて、若いころには予想したこともありませんでした。
著者の夫はスライムのような人だと書かれています。えっ、何、このスライムって何のこと…。夫は、本質は変わらず、器に合わせ形を変えることができる。年をとって疲れやすくはなったものの、愚痴をこぼすこともなく、うたた寝などして適当に調節している。何より気持ちの切り替えがうまい。見ず知らずの妻の郷里に来ても、情緒の水位も生活の質も変えずにいられるのは、何か強いものをもっているからだろう。
私も疲れたら早目に布団に入って、ぐっすり眠ることにしています。そして、じたばたすることなく、毎日の生活パターンを変えず、下手にテレビなんかを見て心がかき乱されないようにしています。ささくれだった気分のままでは安眠もできませんし、疲れを翌日に持ち込します。
小学1年生の授業をリモートでやっている小学校があると聞いて、腰を抜かしてしまいました。1年生が画面を見て本当に分かるのでしょうか。親の付き添いが必要で、親が付き添えない子は、何人か集めて、まとまって授業を受けさせるというのです。いやはや、これでは子どもは本当に可哀想です。学校は友だちがいて学校なんです。先生との一対一の画面上のつながりは、テレビのお笑い番組と同じで、あとに頭の中に残るものがあるはずがありません。ゲームを買って遊んでいるうちにはネットは便利だけれど、それより明らかに時機早尚という声も強かった…。人間的触れあいの場をいかに保障するか、それを考えるのが、国であり政府の責任でしょう。
インターネットがますます社会の隅々にまで普及し、デジタルの変革が生活の隅々にまで急速に広がっている。そうすると、インターネットが十分に使えない人間は、社会と関わる手だてがますます少なくなっていく。これは、単に技術を習得すれば解決する問題ではなく、人間が機械に管理される社会を開拓しているように思えてならない。本当にそのとおりですね。
半夏生というのは珍しい草。白い小花が密生していて、そのすぐ舌の葉だけが緑と白の二色に分かれている。対照的な色合いが、互いを際だたせる。匂いはどくだみに似ている。
半夏生って、何と読んだらいいのでしょうか…。はんげしょう、ですよね、きっと。
東京で公立学校の小学校の教員をしていた著者が郷里に戻ってきてからの日々が見事に切り取られた短編小説が並んでいる本です。
(2022年1月刊。税込2400円)

庭仕事の真髄

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 スー・スチュアート・スミス 、 出版 築地書館
私は日曜日の午後は庭に出て庭仕事にいそしみます。冬は花の手入れというより、花を咲かせる準備です。夏は炎天下で雑草とりするのが大変ですし、蚊にやられますが、冬は蚊がいませんし、雑草もそれほどではありません。クワをふるって掘り起こすと汗をかくほど、身体が温まって、ちょうどいいのです。今、庭のあちこちにチューリップの球根を植えていますから、3月になるのが楽しみです。300本以上は咲いてくれるはずです。
チューリップの前にスノードロップが白い可愛らしい花を咲かせます。この本には、スノードロップは私たちの庭での新しい生命の最初の兆候だとあります。
庭にすんでいるネズミは他の球根を食べてもスノードロップの球根は食べないので、どんどん増えていくとも…。わが家の庭にネズミを見かけたことはありませんが、モグラはよく見かけます。モグラは球根を食べませんが、せっかく植えつけた球根を地上にはね上げてしまうことがあります。自分のトンネルを邪魔しているというのでしょう。
植物は人間よりもはるかに折りあいが良く、威圧的ではない。植物と働くことを通じて、私たちは生命を育(はぐく)みたいという衝動を再び持てるようになる。
子育てと同じで、庭も完全に人間のコントロール下におくことは不可能だ。庭自体が生き物で、人間がそれを完全に支配し、管理することは不可能。そうなんですよね、折りあいをつけるしかありません。
庭には人間を平等にする効果がある。土に触れて働くことは、人と人とのあいだに真のつながりを育てる。そこには気どった態度も偏見も存しない。なので、刑務所のなかでのガーデニングはとても効果がある。
トラウマは、過去が常時、現在に侵入してくるから、心が経験を時間的に処理するのを邪魔する。植物の世話に没入し、現在の瞬間に集中すると、これを変えることができる。
庭で土を掘り起こすことで、土壌中の他のバクテリアが直接働きかけてセロトニンを調整している可能性がある。ええっ、そんなことって、聞いたことがありません。本当でしょうか…。
ガーデニングは、テクノロジーをほとんど必要としない。
地味な普通の家庭菜園は、私たちだけのためにあるのではない。私たちが何かを始めると、多様な生物が存在するようになり、それによってさらに鳥や虫のための環境が生まれ、私たちの周囲は豊かになっていく。
わが家では生ゴミは結局のところ庭に植えこんでいきます。すると、庭はふかふかの黒い土となり、ミミズがたくさん生まれます。なので、モグラが繁盛するわけです。そして、ヘビが代々庭のどこかに棲みついています。
庭仕事は繰り返しの多いタイプの活動。そこにリズム感に気づくことができる。すると、心と身体と環境が一緒になって調和をもって機能するようになる。そして、心身を大きく回復させる力が発揮される。副交感神経の機能を強化し、脳の健康を増進させる。エンドルフィン、セロトニン、ドーパミンといった、抗うつ性の神経伝達物質のレベルが上昇し、同時にBDNFのレベルも上がる。これらが統合されると、楽しい気分の、リラックスした状態での集中ができるようになる。
今の瞬間を生きる力を引き出すことが、今日のストレス治療において強調されているが、同時に将来の方針をもつ力も深める必要がある。庭には、計画したり、楽しみにしたりすることが常にある。一つの季節が終わると、次の季節がとって代わる。このような何かを期待する前向きの感情は、生命の連続性といった、心を安定させる効果のある感覚を引き起こす。
美しい花は、真の、そして思わず出る微笑(ほほえ)み、デュミエンヌ・スマイルと呼ばれる微笑のきっかけになる。これは礼儀上の微笑と違って、顔全体を明るく照らし、心からの喜びを表すもの。緑の植物や花の存在は、信頼感や安心感を強めてくれる。
ガーデニングを読書とともに、主な喜びの一つとしている私にとって、とても意を強くしてくれる本でした。
(2021年11月刊。税込3520円)

母の背中

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 真木 和泉 、 出版 自費出版
宮崎出身の著者による短編小説を1冊にまとめた本。宮崎の大淀川近くに住んで小学校に通っていたころの思い出を描いているものが多い。
私と同じ団塊世代の著者は、7人姉弟の末っ子として、親からほったらかされ、ほとんど野生児のように育った。何のしつけも受けていないというけれど、祖母をふくめて10人家族なので、上の姉兄たちから、それなりにしつけを受けていたはずです。
貧しい家庭ではあったが、姉兄たちは、それぞれ個性的で、母親をふくめて人間的な、泥臭いぶつかりあいの絶えない日々だったようです。
そして、著者は小学校について、「なんとすてきな場所だったことだろう」と手放しで絶賛しています。
何も知らない野生児の自分に文字を教えてくれた。あの感動は今も忘れることができない。街を歩くと、今まで単なる模様に過ぎなかった看板の文字が読めるようになっていた。字についても面白いことは何もなかったが、学校はキラキラと輝いていた。そこで、どんどん利口になっていった。いつのまにか、お使いに行って釣銭の計算もできるようになった。
小学校で、人間として解放されていった。1クラス55人もいた小学校での日々によって、自分の人生に刻印されたのを一つひとつ自覚していったように思う。
小学校で、著者は今でいうイジメにもあったようです。たしかに身体が大きいほうが強かったと思いますが、1クラスに50人もいると、かえって陰湿なイジメになかったようにも思うのですが、どうなんでしょうか。私自身はイジメにあったことはなく、イジメる側にまわったことも、本人としては、ないと思っています。中学校には、いわゆる「不良」がたくさんいるというので、小学6年生のころ、中学校へ進学したらどうなるのかなと、漠然とした不安を抱いていました。
実際には、小学校は4クラス、中学校は13クラスもあって、生徒がうじゃうじゃいましたので、「不良」グループの標的になることもなく、仲良しグループとともに平穏な3年間を過ごすことができました。
大学時代の友人のすすめで、本にまとまったとのこと。やはり、こうやって一冊の本にまとまると読みやすいし、いいですよね。著者の今後ますますの健筆を期待します。
(2021年9月刊。)

かこさとしと紙芝居

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 かこさとし、鈴木万里 、 出版 童心社
私は大学生時代の3年間ほど、川崎市幸区古市場でセツルメント活動にうち込んでいました。1967年4月に入学し、1970年9月ころまでのことです。著者のかこさとしは同じ古市場のセツルメント子ども会の大先輩のセツラーだということは聞いていました。
かこさとしは1970年まで現役のセツラーとして活動していたとなっていますが、私は同じ古市場でも子ども会ではなく、青年部に所属していましたので残念ながらまったく接点はありませんでした。そして、学生時代はかこさとしの絵本にも紙芝居にも縁がなかったのです。
かこさとしの絵本は、私が結婚し、子どもたちが保育園児となり、小学校低学年まで、よく読んでやりました。「カラスのパン屋さん」、「わっしょい わっしょい ぶんぶんぶん」は子どもたちに大人気でした。でも、この一冊と言うと、やはり「どろぼうがっこう」です。本当によく出来た絵本で、何度も何度も読み聞かせをしました。
かこさとしはセツルメント活動をしたといっても、東大工学部を卒業して化学会社に就職したあとのことです。大学時代は演劇研究会に入って、舞台美術を担当していたとのこと。
かこさとしは、大学生になったらセツルメント活動に加わりたいと高校生のときから思っていたそうですが、戦時でセツルメントは閉鎖されていたのです。戦前の帝大セツルメント活動はイギリスに発祥の地があり、関東大震災のあと、被災者救援活動に始まっていて、医学部生や法学部生が中心になっていたようです。
私が大学生のころは、学生セツルメントは全国にあり、全国交流集会も年2回あり、毎回1000人もの参加者があるほど活発でした。東大駒場にも、氷川下、川崎、亀有、菊坂などいくつも実践の場があって、その連合体(駒セツ連)のメンバーは50人ほどもいたように思います。そして、東大闘争が1968年6月に始まると、セツラーの多くがアンチ全共闘の立場で民青かクラス連合(クラ連)の活動をしていました。
かこさとしは、会社員とセツラーという二足のわらじを履いていましたが、子ども会では、広場で紙芝居をすることが多かったようです。人形劇とか劇団だと何人かいないといけませんが、紙芝居だと一人で演じられるからです。
セツルメントの子ども会にやってくる近所の子どもたちには、かこさとしは思いきり遊び、自分たちで楽しむために、さらに工夫を重ねて遊びをつくりだしていってほしい。それを手伝うのが自分の仕事だと考えていた。なので、かこさとしは自ら紙芝居をつくるだけでなく、子どもたちにも一緒に紙芝居をつくりあげていたようです。
一人ひとりの子どもはガキでしかないが、集団にまとまると、恐るべき力を発揮するものだ。
「大事なことは、すべて子どもから教わった」
これは、かこさとしの言葉です。私の場合は、「大事なことは、すべてセツルメント活動に教わった」と言っています。
「どろぼうがっこう」など、いくつもの絵本は、もともと紙芝居として子どもたちに読み聞かせていたものでした。私も小学生のころ、広場に紙芝居のおじさんがやって来たのを遠まきにして眺めていました。親がこづかい銭をくれなかったので、参加資格がなかったのです。
紙芝居の魅力は演じる人にある。先生とか母親が、常日頃の人格とは違うことをやってくれる。人格を通じてのコミュニケーションに、その魅力がある。かこさとしは、このように強調しています。
紙芝居のうしろに顔を隠すのではなく、素顔をさらして、いろんな役を演ずることから子どもの心に響くものがあるというのです。なーるほど、ですね。それにしても、かこさとしはたくさんの紙芝居を考え、絵を描いています。そのアイディアは尽きることがありませんでした。この本には、その多くが紹介されています。
かこさとしの生地の福井県越前市には、「かこさとしふるさと絵本館」があります。コロナ禍がおさまったら、ぜひ行ってみたいと考えています。
(2021年8月刊。税込2420円)

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