法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: 人間

わたしの心のレンズ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 大石 芳野 、 出版 インターナショナル新書
高名な写真家である著者が50年に及ぶ取材生活を振り返った新書です。
まだ駆け出しのころ、「女流カメラマン」と呼ばれたとき、著者は「私は流れていません」と反発した。すると、「かわいくないねー」と嫌味を言われた。なるほど、そういう時代があったでしょうね・・・。
 まずはパプアニューギニアへの取材旅行を紹介します。1971年、まだ著者が20代の娘だったころのことです。そんなところに若い女性が一人で行くなんて、とんでもないと周囲から何度も止められた。もちろん止めるでしょうね。それでも著者は出かけました。
 パプア人とは、縮れ毛の人という意味。ここでは、一夫多妻の習慣をもつ部族が多い。でも、ひとりの母親は3人の子までしかもたない。なぜか・・・。「森が壊れてしまうから」。 人口が増大すると森が壊れ、結局、打撃を受けるのは自分たちだと、みんなが考えている。
 著者は、山中の村に長く滞在し、ロパという女性と親しくなった。現地の言葉も話せるようになったのでしょうね。女性は特殊な草を食べて避妊していた。
 そして長く村に滞在していると、著者を「見に来る人」が増えて、「人気者」になったとのこと。ノートにメモをとっていると、その一挙手一投足まで皆がじっと注目し見つめる。そこで著者が、「私は動物園のサルではない」と訴えた。それに対して返ってきた言葉は、「サルより面白い」というもの。なーるほど、そうなんでしょうね。明治初期に東北地方から北海道まで日本人の従者一人を連れて旅行したイギリス人女性(イザベラ・バード)が、まさにそうだったようです。
 ここでは、男女ともに、自分たちの祖先はワニだと信じていたる。そして、男性はワニと同じように強くなるための苦行を経なければいけない。村人、とりわけ女性を守るのは勇敢な男性なので、そのために男性は心身を鍛えなければならない。ワニの化身になった男性の肌にはワニ柄が彫られている。これを、男女とも、みんなが「美しい、たくましい」と言ってあがめる。
 背中にカミソリをあて、傷口に黄色い粘土をすりこんでいく。とても痛いらしい。それをじっと耐える。この背中の傷がいえるまでに、少なくとも1ヵ月はかかる。いやはや、「勇敢な男」になるのも大変なんですね・・・。
 世界各地のドキュメンタリー写真をとってきた著者はベトナム、カンボジアを含めて、世界各地に足を運んでいて、鋭く問題提起をしていて考えさせられる新書です。
(2022年6月刊。税込1089円)

おしゃべりな脳の研究

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 チャールズ・ファニーハフ 、 出版 みすず書房
 スポーツのコーチング界では、セルフトークがきわめて重要だと思われている。やる前に「おまえならできる」というほうが、「おまえには無理だ」というより、プレイヤーの成績は良い。これは、私もよくしていることです。内面の自分に話しかけ、励ますのです。
 以前は読むという行為は、一般に声を出してすることだった。日本でも明治初期まで人々は音読、つまり声を出して読みあげていました。今のように新聞を黙読するという習慣はなかったのです。
 ほとんどの子どもは音読をまず覚え、その後、しだいに声を出さなくなり、最後には完全に黙って読むようになる。脳内で読むほうが、音読するより速い。視覚情報を音声にもとづく符号に変換し、それから意味を引き出すかわりに、音声の段階を省き、視覚情報から意味情報へと直行できる。こちらのほうが、脳の仕事は少ない。
 すらすら読める人でさえ、とくにテキストが難解なときは、読みながら舌を動かす。
 読むときに引き起こされる内言は、ときに自分自身の声であり、自分のなまりの特徴も備えている。そして、著者を知っているときには、その人の声が内言で聞こえることすらある。
 著述家は、著者のページを通じて、文字どおり話しかけることができる。
 小説家がもっとも興味を抱いている声は、おそらく登場人物の声だろう。声は登場人物の私的な思考プロセスや内言でさえありうる。これこそ、小説を読む醍醐味のひとつだ。頭の中が声でいっぱいになる。
 過去について記憶違いをしているとき、その一因は、古いほうの記憶が現在の自分の物語と合致しないことにある。それで、物語に合うように事実を変えてしまう。 
 私たちは、みな断片化されている。単一自己など存在しない。誰もが、みなバラバラに分解した状態で、その瞬間ごとに、まとまった「私」の幻影をつくりあげようと格闘している。どの人も多かれ少なかれ解離状態である。
 私たちの自己は絶えず構築され、再構築される。これは多くの場合、うまくいくが、失敗に終わることも少なくない。
 私は弁護士として、たまに多勢の人の前に立って話をすることがあります。以前は、あらかじめ原稿を用意していましたが、今では、せいぜいポイントとなることを、いくつか小さなメモ用紙に書き出すだけにしています。大勢の人が自分を見ていると、その場の雰囲気をつかんだ私の脳が、即座にストーリーを組み立ててくれますので、それを文字どおりなぞって話を展開していきます。不思議なことに、話の展開は、私の内面から湧きあがってくるのです。まさしく内なる自然現象に身をまかせます。
 ジャンヌ・ダルクは、神の声を聴いたということでした。同じように、聴覚的に、視覚的に、身体的に知覚できないときでも、知覚することがある。なんとなく分かります。
 何かがいる気配というのも実際にあることなんですよね。その内なる声に耳を傾けたほうがよいことが多いということです。
(2022年4月刊。税込3960円)

生きる力、絵本の力

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 柳田 邦男 、 出版 岩波書店
 孫たちが来たら、絵本を読んでやるのが私の楽しみです。一番直近は「ダンプ園長やっつけた」でした。「どろぼう学校」(かこさとし)は私のお気に入りの一つです。福井県にある「かこさとし美術館」には、ぜひ行ってみたいと考えています。
 「コルチャック先生」とう絵本があるそうです。知りませんでした。コルチャックは26歳のとき医師(軍医)として、日露戦争に従軍して満洲の地にやってきていたとのこと。ポーランド人のコルチャックは、ポーランドがロシア領だったことから、軍医として召集されたのでした。そこで、戦争の現実をコルチャックは知ります。戦争はしてはならないものだと確信したのです。
 30歳台になったコルチャック医師は、ユダヤ人やポーランド人の孤児たちの施設をつくった。ここでは、子どもたちの可能性を引き出し伸ばすために完全な自治制だった。子どもたちが自分たちで議会を開き、法律に相当する規則をつくり、裁判所まで設けた。そのなかでコルチャックが強調したのは、許すという寛容の精神の大切さだった。
 ふむむ、なんだかすごいことですね。まったく私の発想にありませんでした。
 そして、ナチスが子どもたちをゲットーから強制収容所へ連れ出すとき、コルチャックだけは助かる機会があったのに(この本では脱走する方法があったとされています。当局も対象から除外しようとしたという説もあります)。ところが、コルチャックは、子どもたちの信頼を裏切るわけにはいかない、不安に陥れることはできないとして、自分だけ助かることは拒絶したのでした。そして、コルチャックは、子どもたちの命を救うことはできなかったが、最後の最後まで、子どもたちの不安や恐怖を少しでもやわらげようと、そばから離れなかった。
 いやあ、すごいことですよね。私には、とても出来ません。人間って、こんなことが出来る人もいるんですね。信じられません。涙が止まりませんでした…。
 大人は子どもが言葉で表現することができないと、何も分かっていないと決めつけてしまう。しかし、子どもは言葉による表現力がまだ十分に発達していないだけであって、分かっていないのとは違う。感覚的には、生きることや生命に関わる大事なことは分かっているのだ。
 孫たちに接していると、自分の子のときと違って、少し距離を置いて客観的に眺める(観察する)ことができますので、人間の発達過程がよく見えてきます。子どもは自分本位で、わがままな存在ですが、差別されることは敏感です。ちょっとした違いにもすぐに反応します。そのとき、年齢(とし)や男女の違いは問題になりません。あくまで一個(ひとり)の人間として、自分が大切にされていると感じられるか否かが判断基準になります。その鋭い感覚には呆れてしまうほどです。
 この本には、子どもをほめることの大切さが強調されています。大人だって、ほめられたらうれしいものです。子どもは大人以上でしょう。
 子どもなのだから、失敗するのは当たり前。それよりも、「ちょっとだけ」の成功を見落とさず、しっかりとほめてあげるのが大切。そのとおりです。
 子どもは叱られてばかりいると、どんどん自己肯定感をもてなくなり、粗暴になったり、逆に引きこもったりして、素直に自己表現することができなくなる。子どもを見ていると、その親の子への接し方が分かる。弁護士として、依頼者に接したとき、ああ、この人は子どものとき、人間は信頼できるという安心感をもつことができないまま大人になったんだなと実感させられる人が少なくありません。
 著者は「絵本は人生に三度」と言ってきた。一度目は、自分が子どものとき。二度目は、子どもを育てるとき。三度目は、とくに人生後半になったときや思い病気なったとき。三度目は、私のように幸いにも孫がいるときをふくむのでしょうね。
 絵本は子どもだけのためではなく、大人のためでもあることを気づかされる本でした。
(2014年1月刊。税込1650円)

鷗外追想

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 宗像 和重 、 出版 岩波文庫
 明治の文豪・森鷗外が亡くなったあと、故人を偲んだ文章がまとまっている文庫本です。
 鷗外という人の性格と生活の様子が分かります。
 鷗外は、淡泊な野菜類、ナス、カボチャ、サツマイモを好んだ。
 とりわけサツマイモが好物で、砂糖をつけて食べた。
 晩年には、料理屋のものは一切食べなかった。
 本をたくさん買ったが、値切ることはしなかった。著者の苦労を思えば、そんなことはできないと言った。
 服装は1年中、軍服で通すことが多かった。
 留学してからは風呂に入ることなく、朝夕2回、桶1杯の湯と水を入れたのと穴のあいたバケツを2個そろえて、頭の先から足の先まで拭い清めた。
 タバコをすい、葉巻を愛用したが、晩年にじん肺になってからはやめた。
 酒は飲まなかった。
 日清戦争に従軍したあと、台湾へまわされ、そのあと東京ではなく、小倉師団に転任を命じられた。これは明らかに左遷であり、本人も「隠流」という雅号を名乗って、自分の心境を表明した。
 鷗外は、相撲を好んだ。
 鷗外も妻も、最初の結婚に失敗した同志だった。
 医者でありながら、自らは医者にかかりたくなかったようです。60歳で亡くなったのも、そのせいではないでしょうか…。
(2022年5月刊。税込1100円)

東北の山と渓(Ⅱ)

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 中野 直樹 、 出版 まちだ・さがみ総合法律事務所
1996年から2018年まで、著者が東北の山々にわけ入って岩魚(いわな)釣りをした紀行文がまとめられています。いやはや、岩魚釣りが、ときにこれほど過酷な山行になるとは…。
 降り続く大雨のなか、道なき藪(やぶ)の中を標高差500メートルをはい上れるか、幅広い稜線に濃霧がかかって見通しがきかないときに目的とする下り尾根の起点を正しく把握することができるか、三人の体力がもつか、などなど心配は山積み。でも、より危険のひそむ沢筋を下るより、このルートしかない。
 夕食は、昨夜までと一転して酒もなし、おかずもなし、インスタントラーメンをすするだけ。
 源流で釣りをしていて夕立に見舞われ、雨具を忘れたので、Tシャツ姿でびしょ濡れになった。雨に打たれながらカレーを待っているとき、空腹と体温低下のために悪寒が走り、歯があわないほど、がたがた震える状態になった。
 カレーが各自にコッフェルに盛りつけられたので、待ってましたとばかり口にしようとしたら、先輩から叱責された。みんな同じ状況にあるのだから、自分だけ抜け駆けしたらだめ、苦しいからこそ、みんなを思いやり、相手を先にする姿勢が必要。それが苦楽を共にする仲間というものだ。こんこんと説教された。そして、三人で、そろって「いただきます」をして、カレーを食べた。
 いやはや、良き先輩をもったものですね。まったく、そのとおりですよね。でも、なかなか実行するのは難しいことでしょう。
 午前5時、藪に突入して、藪こぎ開始。枝尾根とおぼしき急勾配を登りはじめる。足下にはでこぼこの石があり、倒木があり、ツタがはう。足がとられ、ザックの重さによろめく。背丈(せたけ)をこえる草木からシャワーのように雨しずくが顔を襲う。
 予想をこえて悪条件の藪こぎに体力が消耗し、1時間半、果敢に先頭でがんばった先輩がばてた。昨夜、インスタントラーメンしか食べていないことから、糖分が枯渇しまったのだ。頼みのつなは、昨夜つくったおにぎり6個だけ。いつ着けるか、何があるか分からないので、おにぎり1個を3つに割って、3人で口に入れる。精一杯かんで味わい、胃袋に送る。こんなささやかな朝食だったが、さすがは銀舎利。へたった身体に力がよみがえった。
 よく見ると、ブナの幹に細い流れができている。コップを流れに差し出し、たまった水を飲み、喉をうるおし、あめ玉をほおばった。
 午後1時半、ついに廃道と化している山道にたどり着いた。やれやれ、残しておいたおにぎり2個を3人で分け、ウィスキーを滝水で割って乾杯。
 なんとまあ、壮絶な山行きでしょうか…。軟弱な私なんか、とても山行なんかできません。
 それにしても著者は、こんな詳細な山行記をいつ書いたのでしょうか…。帰りの車中から書きはじめ、家に着いたら、ひと休みするまでも書き終えたのではないでしょうか…。それほど迫真的な山行記です。くれぐれも本当に遭難などしないようにお願いします。
 この冊子は、奥様の中野耀子さんの素敵な絵が随所にあって冊子の品格を高めています。また、先輩弁護士である大森剛三郎さん、岡村新宜さんを偲ぶ冊子にもなっています。
 つい行ってみたくなる、ほれぼれする、写真集でもあります。贈呈、ありがとうございます。
(2022年7月刊。非売品)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.