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カテゴリー: 人間

狩女のすすめ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 ジビエ ふじこ 、 出版 緑書房
 いやあ、すごい女性(ひと)です。読んでいると、なんだか愉快になって、笑いとともに元気が出てきます。ユーチューブ「ジビエふじこチャンネル」も一度のぞいてみることにしましょう。
「バツ女、シングルマザー、女猟師」というのは、本人が売り出しているキャッチコピー。40歳にして狩猟そしてジビエの世界に出会い、45歳にしてママになったのです。いやはや、すごーい。
 著者は1回目の離婚のあと、母親(離婚経験者)から「男性を見る目を養いなさい」と言われて、店をもたされてラウンジを始めたとのこと。これまた、すごい母親です。たしかにラウンジで働いたら、男性を見る目は肥えてくることでしょう。
 そして、著者はいくつもの職歴があります。教育教材の営業、喫茶店、革細工教室、ブライダルで司会業もつとめています。だから人前で話すのは苦にならないのでしょう。マスコミの取材にも対応できた(ている)のですから、偉いです。
 2014年に狩猟免許もとりました。「狩女の会」を2016年に立ち上げるとロイター通信から取材を受け、マスコミに登場。やがて、首相官邸にも出かけて会議メンバーとして大胆に発言。並の人にはマネできませんよね…。
 今は猟師ですが、著者も、かつては、虫が苦手で、運動も苦手、魚をさばくのも吐き気がして無理だったとのこと。まさしく、ウッソー、です。
 イノシシ肉を著者は敬遠しています。というのも、豚熱ウィルスが流行したため、その免疫をもたせるため、ワクチン入りの餌(エサ)を野外散布しているため、ワクチンをとったイノシシばかりなので、食べる気がしないそうです。知りませんでしたよね、こんな事情があるなんて…。
 クマの肉は山菜と非常にあう。秋クマは冬眠前に栄養をたくわえるので、赤身より脂のほうが多くなるが、この脂はどんなに食べても胸やけがしない。脂ののったクマ肉は本当に甘くて、日本酒にも白飯にもよく合う。筋肉質のクマ肉はとくに歯ごたえが強いので、なるべく小さく薄切りにする。
 クマ肉は高級品。100グラムで1000円以上もする。そのかわり10日間連続して食べても飽きない味。クマ肉のもっとも美味しい食べ方は、すき焼き。牛肉より極上。
 シカ肉は、たまらない甘みがある。そのためには、じっくり低温調理する。
 猟師はキツネやタヌキは食べない。食べると祟られるから。
 ジビエ肉は、かめばかむほど、甘みがギューとしみ出てくる。
猟師として狩って、解体して、調理して、販売する。そして、ジビエの肉も皮もムダなく利用させてもらう。
 山の中に入って長く待機させられるわけです。すごい辛抱ですよね。私にはとても出来そうもありません。でも牛肉より極上というクマ肉のすき焼きは一度ぜひ味わってみたいと思いました。
(2022年11月刊。税込1870円)

心はこうして創られる

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 ニック・チェイター 、 出版 講談社選書メチエ
 速読とは、単なる飛ばし読みである。一行とか一段落とかの文章を脳が丸ごと取り込むことはありえない。人が見ることのできるのは、大まかに言って、一度に一単語だ。
 視線は1秒間に平均して3回か4回、ジャンプしている。視覚入力とは、途切れのない流れではなく、周囲の後継や本のページを操った「スナップ写真」の連なりなのだ。眼球は決して滑らかには動かない。
 私は、今年は単行本の読書が12月初めに400冊を超えました(この読書記は1日1冊ですから年に365冊です)。年末までに430冊までは到達できないでしょう。ともかく、コロナ禍のせいで、電車に乗る機会が減りました。裁判もインターネット画面上になって、味気なくなりました。
 心そのものが不可能物体である。心が確固たる存在に感じられるのは、表面的な見せかけでしかない。浮かんでは消えていく意識の流れの内容以外、心には何もない。自分の農に騙されているのが、私たちだ。
 人間には、物体としての整然とした形をもたないバラバラなものをひとまとめにする能力がある。
 人間が素晴らしく賢いのは、単純な計算を猛烈にこなすからではない。それはシリコンの行う計算法だ。脳がする計算は、ニューロンという処理単位が数多く結合した協働の結果なのだ。1個1個のニューロンは遅いけれど、脳のなかの各ネットワークや各主要領域が、多数のニューロンの協調的な活動のパターンを産み出す。
 従来型コンピューターと脳とを同類のものであるかのように比較するのは、大きな誤解。
 ニューロンという、のろまな計算ユニットは、問題を無数の小さな欠片へと分割し、高密度に相互接続されたネットワークの全体で暫定的な解答の数々を同時並行的に共有する。脳が用いているのは、多数のニューロンから成る広大なネットワークの協働的な計算だ。
 作業を休みなく続ける人に比べて、休憩後に再開した人は急に成績が向上する。休憩すると、心機一転、すっきりとした頭でのぞむ。このほうが成功の見込みがある。
 ハンズフリー電話で会話しながら、両手で運転したとしても、同じくらい危険だ。会話の流れと、運転の流れは、思った以上に深刻に邪魔しあう。実は、同乗者との会話にも、多くの危険がある。
 無意識とは、ヒトの緩慢で意識的な経験を創り出し、支えているところの神経活動のきわめて複雑なパターンなのだ。
 チェスの名人たちは、長い経験を通じて、駒の配置の意味をすらすらと見てとらえられる。それをできるのは目の前の盤面を、過去数千時間に及ぶ試合経験から得た駒配置の記憶の痕跡とを結びつけるから。
 知覚と記憶とは、複雑にからみあっている。
 想像の飛躍という驚くべき能力は、大きな飛躍も小さな飛躍も、やみくもな反復から自由にしてくれる。
 誰もが過去を手引きとし、過去に形づくられた一つの伝統なのだ。
 私たちは、改善、調整、再解釈そして大規模な改革をする能力がある。
 現在を意図的に変えることができる限り、そこには未来を変える希望がある。人間の脳は、すばらしく敏感に顔に反応する。
 脳は、倦(う)むことなき迫真の即興家であり、一瞬また一瞬と心を創り出している。新たな即興は、過去の即興の断片から組み立てられる。
 人間と、脳と、心について考え直すヒントが満載の本でした。
(2022年10月刊。税込2145円)

『男はつらいよ』、もう一つのルーツ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 吉村 英夫 、 出版 大月書店
 50本もの映画シリーズ『男はつらいよ』のルーツに、実はフランス映画のマルセル・パニョルの戯曲『ファニー』があったという本です。著者は、山田洋次監督の映画すべてを研究している人です。私にとって、マルセル・パニョルは、映画『愛と宿命の泉』とか、南フランスを舞台とする映画(名前をド忘れしました)の原作者という存在なのですが…。
 山田洋次監督の次の言葉には共感を覚えます。
 「楽観主義が物事を動かしていくこともある。絶望するのは簡単。むしろ楽観するのは大変なこと。でも、楽観しなければ人間は生きていけない。なんとかなるさという思いがなければ困難な状況を変えていく努力もできない」
 映画『男はつらいよ』は、笑って泣いて楽しさを堪能する映画。
 私にとって、『男はつらいよ』は、大学生のときからずっと見続けてきた身近な映画です。ところが、若い人たちと話すと、実はみたことがないという人も少なくないのです。唖然とします。どうして、こんないい映画をみないのかな・・・と、寂しい思いがします。
 今や世界の映画史にも残る大監督というべき山田洋次監督にも、実は、気持ちが折れそうになる若い修行時代があったというのです。まあ、そういう時期もあったのでしょうね、とても想像できませんが…。
 山田洋次は、民衆の生活を誠実に暖かく描く、民衆派でありたいとする心情(信条)だ。
 『男はつらいよ』で描かれる放浪と定着とは、盾の裏表であり、合わせて一つの関係。定着することを基本とすることと、何かを求めて放浪することという相反する力、あるいは両者をともに求める気持ちは、人間の中に内在する本能なのだろう。両者には互いに自分にはないものがあって、それぞれに優位的、同時に劣位的側面をもつがゆえに、両者は憧れあう関係にあることができるのではないか。
 山田洋次は次のようにも言っている。
 「悲しいことを笑いながら語るのは、とても困難なこと。でも、この住み辛い世の中にあっては、笑い話の形を借りてしか伝えられない真実というものがある」
 いやあ、世の中の真実、そして社会の奥深くにうごめいている生きようとする人々の力、そんな気持ちを引き出して映像にするなんて、実にすばらしいことだと私は思います。
 最後に、フランス人のクロード・ルブランという人が、フランス語で「山田洋次から見た日本」という本を刊行したそうです。フランス語を長く勉強している私ですが、原書ではなく、日本語で読みたいです。また、現在、パリにある「日本文化会館」では『男はつらいよ』全50作が来年(2023年)まで1年半かけ上映中とのこと。いやあ、これまた、すごいことですよね…。
(2022年10月刊。税込2860円)

ぼくらは人間修行中

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 二宮 敦人 、 出版 新潮社
 子育ての悩みも一瞬忘れてしまいそうになる本です。赤ちゃん、そして幼児のときの子どもたちの生態がよくとらえられ、それが見事に文章化されています。
 子どもってのは、もぞこい。もぞこいは東北の方言。哀れだ、無残だ、不憫(ふびん)だという意味。親の愛は慈悲の愛。
 私の近辺では、むそがるとか、むぞかね、って言います。これは可愛いだと思います。
 子どもはたいしたもの。あれだけ高熱だったのに、けろりと治った。すると、うれしそうに走り回り、キャッキャッと笑っている。そして、大人が相手にしてくれないとみると、居間や台所を荒らしはじめる。水をこぼしたり、調味料の瓶を放り出したり、コンセントをいじったり…。
 ホント、子どもって、いっときもじっとしていません。だから目が離せないのです。マンションの上層階のベランダからの転落死亡事故が相次いでいますけど、ベランダに出て、イスを運んできて、その上に乗って、身を乗り出して外を眺めようとしたのでしょうね、きっと…。 
 転んで痛がったときは、本気で号泣する。しかしご飯だからといってテレビを消されたときには、口だけで、泣いてみせる。それっぽい声だけど、涙は出ていないし、明らかに勢いが弱い。いわゆる「ウソ泣き」だ。ウソ泣きしながら、ときどき薄目を開けて、親の反応をうかがう。効果がないとみるや、無理やりテンションを上げて泣き、やがて本気泣きへの移行に成功することもある。テンションが上がりきらないときには、途中でぴたりと泣き止んでしまう。そして、「さっきの見たかった。お父さん、しないでほしかった」と寂しそうに言う。
 子どもって、本当に天性の役者なんですよね…。
 初めてのコトバはパパかママか…。実は、「やーんだ!」でした。「嫌だ」なんです。
 自分のおならでびっくりして、あたりをきょろきょろ見回す。お風呂場でおしっこをしながら、「なんか出てきたんだが、何コレ」と不審げに股間をつまみ、親の顔色をうかがう。
 よくぞ観察記を文章化したものです。面白かったです。
(2022年7月刊。税込1595円)

客席のわたしたちを圧倒する

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 井上 ひさし 、 出版 岩波書店
 私のもっとも敬愛する作家である井上ひさしのエッセイを発掘した本です。映画、テレビ、マンガそして野球といったジャンルに分けられています。私は映画とマンガは好きなほうですが、テレビはほとんど見ませんし、野球にいたっては全然関心がありませんので、そこは読み飛ばしました。
 私にとって一番だったのは、なんといっても洋画マイベスト10と日本映画ベスト100です。そのコメントがすばらしいのです。
 あとがきに妻ユリさんが自宅でDVDを一緒にみていたことが紹介されていますが、井上ひさしは本当に映画が好きだったようです。私も同じで、映画紹介コーナーのチェックは怠りませんし、できたら月1本は映画をみたいと考えています(なかなか実現できませんが…)。
 人々の楽しみごとには、いつもかたよった見方、考え方の存在が許される。そして、そのことが現在(いま)の隆盛を招いているのだ。人々がかたよらなくなったら、おしまいだ。かたよっているとは、個性的と決して同義ではない。もっと無邪気で自由なもの。なーるほど、そうなんですね。かたよっていて、いいんですね。堂々とかたよっていきましょう。
 井上ひさしは、しばらくオーストラリアに住んでいたことがあります。そのとき、大学で、日本映画をふくめてたっぷり映画をみていたようです。三船敏郎と仲代達矢の出演する映画『用心棒』が上映されるときの観客の反応が面白いのです。決闘場面を、それだけを何回も学生たちが映写するよう求め、3回も4回も繰り返してみるという情景です。いやあ、これには驚きました。同じように『生きる』や『七人の侍』なども、何回も何回もオーストラリアの学生たちが繰り返し見ているというのです。たしかに、それだけの価値のある映画だと思いますが…。
 黒澤明はこう言った。
 「まず技術をもって職人として生き、次に職人を超えて芸術家になれ」
 井上ひさしは、これを次のように言い換えた。
 「まず面白さに徹せよ。徹することができたとき、その作品は一個の芸術になっている」
 この『七人の侍』と『生きる』は井上ひさしの評では、1位と3位になっています。『用心棒』は19位ですが、『砂の器』が55位という低さには不思議な気がします。番外の101位に登場する黒澤明の『素晴らしき日曜日』という昭和22年制作の映画をみてみたいと私は思いました。
 井上ひさしは戯曲を書くとき、紙人形を机の上に並べて、毎日、ああでもない、こうでもないと動かしていたそうです。栄養剤の空箱でつくった三角錐に出演俳優の顔写真を貼りつけ、紙人形にして、役名を書き込むのです。やがて、紙人形に生命のようなものが宿り出して、勝手に動きはじめるその動きを細大漏らさず記録して、筋立て(プロット)をつくる。
 私も長編小説(と言えるか分かりませんが、7巻本です)を書きすすめるときには、紙人形こそつくりませんでしたが、詳しい登場人物のプロフィルを目の前に置いて書きすすめていきました。やがて、登場人物が勝手に話しはじめるような錯覚に陥ったのは、本当のことです。
 井上ひさしは、なるべく腹を立てないことをモットーにしていると書いています。実際には、腹の立つことばかりの世の中なので、心の平穏を意識的に保つようにしていたということでしょうね。これまた私も同じです。
 最後に、野球をラジオで実況中継するアナウンサーがすごいという話は、本当にそのとおりでした。私も子どもが小学生のころ、野球場のナイター試合を1回だけ見に行ったことがあります。私自身も子どものころ、ラジオで野球の実況中継は聞いていました。アナウンサーが試合を分解し、それをひとつひとつ言葉で再構築して、聴き手に送ってくる。アナウンサーの脳味噌の上で展開していくゲームを聞いているのだ。まったくそのとおりです。それで十分に試合展開が手にとるように想像できました。
 やっぱり、井上ひさしはコトバの天才です。
(2022年6月刊。税込2200円)

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