法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: 人間

記憶の科学

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 リサ・ジェノヴァ 、 出版 白揚社
 人間の脳は驚異的だ。脳は毎日、無数の奇跡を起こしている。これは、まさしく最近の私の実感でもあります。年齢(とし)をとって認知症になるのを心配している私ですが、毎日、こうやって書きものをしているのも、できるのも、脳の活動のたまものです。
 物忘れのほとんどは、性格上の欠陥でも、病気の病状でもなく、心配すべきことですらない。忘れることは、乗り越えなければならない障害ではない。しっかり覚えておくためには、忘れることが欠かせないことも多い。
 そうなんです。私がこうやって書評を書いているのは、実は、安心して忘れるためです。書いてしまえば残ります。なので、忘れることに心配無用なのです。
 退職した日本人エンジニア(原口證、あきら)は、69歳のとき、円周率を11万1700桁まで暗記した。うひゃあ、な、なんということでしょう。とても信じられません…。
 記憶の形成には、4つの基本的段階をたどる。1つ目は記銘。2つ目は固定化。3つ目は保持(貯蔵)。4つ目は想起(検索)。意識的に思い出せる長期記憶をつくり出すためには、この4つの段階がすべて機能していなくてはならない。まず、情報を脳に入れる。次に、情報同士を糸のように織り合わせる。それで出来あがった情報の布を、脳の持続的な変化という形で貯蔵する。最後に、望んだときは、いつでも情報の布を取り出せるようにしておく。海馬は、記憶をつなぎあわせる。いわば記憶という布の織工だ。新しい記憶を作るためには、どうしても海馬が必要になる。海馬が損なわれると、新たな記憶をつくる能力が正常に機能しなくなる。
海馬は新たな記憶の形成に欠かせないが、できた記憶は海馬にとどまるわけではない。記憶銀行などというものは存在しない。長期記憶を宿す、脳の特定の部屋は存在しない。記憶は、脳のあちこちに貯蔵される。記憶は、関連する情報をつなぐ神経回路という形で、脳内に物理的に存在している。
昔ならったスキルを再現できる能力は、「筋肉の記憶」(マッスルメモリー)と呼ばれている。ただ、このマッスルメモリーは、筋肉ではなく、脳内にある。新たなエピソード記憶や意味記憶の形成には海馬が欠かせないが、マッスルメモリーの形成には海馬はまったく関与していない。一度習得したマッスルメモリーは、意識して思い出そうと努めなくても、再生される。この過程は意識にはのぼらない。
 脳内に保管されるデータは、すべて意味記憶である。脳は、つまらないことや重要でないことを熱心に知ろうとはしない。知識を増やしたかったら、情報を意味のあるものに変える必要がある。感情をともなう経験のエピソード記憶は、感情をともなわない経験よりも記憶に残りやすい。エピソード記憶の形成と保持には、感情、驚き、意味が必要だ。
どのようなエピソード記憶であろうと、何度か想起されているうちに、オリジナルからは相当逸脱してしまう危険をはらんでいる。人間の脳は、誘導的な質問を受けると、まったく経験していないことまで覚えていると思い込むことがある。目撃者と称する人々の証言は、だから、実はアテにならないことが多い。
 ヒトは、見えないものは忘れてしまう。私は、司法修習生のとき、電車の網棚に乗せた大切な書類を忘れて、大変な目にあったことがあります。見えないと忘れてしまうものなんです。
記憶の最大の敵は、時間だ。脳内に貯蔵できた情報を保持したいなら、絶えず活性化させること。情報を思い返し、反復練習し、繰り返すことだ。
 忘れることは、きわめて重要。忘却は、人間の機能を、毎日ありとあらゆる形で助けている。忘れるという人間の能力は、記憶する能力に負けず劣らず、必要かつ不可欠なもの。
 常にストレスを抱えていると、海馬のニューロンが徐々に失われていく。ニューロン新生は脳の多くの領域で一生を通じて起こっているが、とくに海馬で顕著だ。
睡眠は、健康を保ち、生き残り、最高の機能を発揮するためには欠かせない、生物学的には忙しい状態だ。明らかにスーパーパワーと言えるはたらきをしているのが睡眠。睡眠によって、マッスルメモリーも最適化される。人体は、睡眠というプロセスによって、毎晩、心臓病とガンと感染症と、精神疾患と必死に戦い、これらを撃退している。脳をふくむ体内のあらゆる器官の生命力は、十分な睡眠によって向上する。睡眠が足りないと、健康と記憶力は大幅に低下する。
 アルツハイマー病は、ある日突然に発病する疾患ではない。アミロイドプラークが蓄積し、症状があらわれるまで15年から20年の歳月がかかる。アルツハイマー病の予防策としておすすめは、新しく何かを学ぶこと。その新しく学ぶことは、できるだけ意味が豊かで、景色、音、連想、感情を伴うものであることが望ましい。
 いやあ、実にすばらしい指摘のオンパレードです。あなたに、強く一読するようおすすめします。
(2023年5月刊。2700円+税)

まちがえる脳

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 櫻井 芳雄 、 出版 岩波新書
 ヒトの脳には、1000億ものニューロンがあり、そのうち800億以上は小脳にある。脳の大部分を占めている大脳には100~200億のニューロンがあり、そのほとんどは大脳皮質に集まっている。大脳皮質のニューロンの特徴はシナプスの多さであり、一つのニューロンが数千以上のシナプスをもっている。そこでは、多数のニューロンが複雑につながることで、緻密な神経回路を形成している。大脳皮質の1ミリメートル四方には10万個以上のニューロンがあり、ニューロン同士をつないでいる樹状空起と軸索の長さの合計は10キロメートルにも及び、接続部位であるシナプスは10億ヶ所以上になる。
ニューロン間の信号伝達は30回に1回ほどしか成功しない。
 脳の活動がまるでコンピュータの動作のように定常的で安定していると考えるのは誤解。同じ運動が常に同じニューロンの活動から生じるわけではない。同じニューロンが活動しても、常に同じ運動が生じるわけでもない。一つの運動には、毎回、少しずつ異なるニューロンの集団が関わっている。ニューロンの発火は不安定であり、ニューロン間の信号は確率的にしか伝わらない。ニューロンは刺激がないときでも発火を繰り返している。脳全体で、常に自発的でリズミカルな同期発火が生じている。
 脳の信号伝達は確率的であり、しかも、その確率はニューロン集団の同期発火がゆらぐことで刻一刻と変動している。ときに信号の伝達がうまくいかず、まちがいが起きてしまうのは当然のこと。このまちがいの中から、斬新なアイデア、つまり創造が生まれる。
 つまり、進化とは偶然の結果にすぎないが、その偶然が起こるためには、生存できず消えてしまう多くの突然変異が必要なのだ。
 ヒトの脳は、単純な神経回路の単なる集合ではない。言語と左脳の関係も決して固定されておらず、絶対ではない。男女で差があるというより、個人差のほうが圧倒的に大きい。
 脳は5%とか10%しか動いていないというのは根拠のない迷信であって、脳は常に全体が活動している。脳は寝ているときも、起きているときも、常に全体が休みなく活動している。
 脳は、生きて働いている脳については、まだ十分に解明されてはいない。脳は依然として、手強く未知な研究対象である。
 脳の解明は、心の解明でもある。脳はいいかげんな信号伝達をして間違えるからこそ柔軟であり、それが人の高次機能を実現し、一人ひとりの成長を生み、脳損傷からの回復を促し、個性をつくっている。
 なーるほど、そうなのか…と、何度も思い至りました。心とは何か、人間とは何かを改めて考えさせてくれる、大変刺激にみちみちた新書です。ご一読をおすすめします。
(2023年4月刊。940円+税)

尼寺のおてつだいさん

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 まっちゃん 、 出版 アルソス
 私は美味しいものを食べるのが大好きです。でも、若いころと違って、肉料理もいいけれど、素材を大切にした料理にどんどん心が惹かれるようになりました。今では、毎日の料理は野菜中心で何の不満もないどころか、感謝感激です。
 そんなわけですから、精進料理、それも、自然のままの素材を生かし、そのうえ人の手をたっぷりかけた精進料理となると、思わずごっくん、ツバを飲み込んでしまいます。
 NHKの『やまと尼寺精進日記』は私の大好きな番組でした。日曜日の夜、録画しておいた(正しくは録画してもらっていた)番組を90分間だけ、寝る前にみるのです。その常連が『ダーウィンが来た』と、この『精進日記』でした。
 この『精進日記』に、尼寺の「おてつだいさん」として登場してくる「まっちゃん」が絵を描けるというのは、番組のなかで時に紹介されていましたので知っていました。その「まっちゃん」が描いたマンガも載っている本だというので、早速、手にとって読んでみました。
おてつだいの「まっちゃん」はなんとなんと、バックパッカーとして世界40ヶ国を放浪していた行動派だったのです。これには驚きました。
 高校では漫研、そしてデザイン専門学校にも通っています。なので、マンガを描くのは子どものころから大好き。よく分かります。ところが、そんな「まっちゃん」が人間関係に悩んでひきこもりだった時期があるとか、食いしん坊なのに料理は全然できなかったとか、意外づくしです。
 「尼寺のお手伝いさん」として7年間暮らした様子が四コマ漫画と文章で雰囲気がよく伝わってきます。そして、犬のオサムや猫のトラたちまでが…。
 住職の密榮さんは本当に料理が上手のようです。テレビで、その美味しさがひしひしと伝わってきました。1万円出しても決して惜しくないお膳を見て、私は何度もため息をつきました。超高級ホテルの4万円コースの料理(もちろん食べたことありません)に匹敵すると確信します。精進料理は、とても奥深い。野菜や豆腐などの限られた食材で、こんなにも美味しく、美しくなるなんて…。
 まったく同感です。1回でいいから、味わってみたいものです。テレビ番組をみていた人には、おすすめの本です。でも、1年ちょっとで8刷ですから、やはり売れているのですね。これまた、うらやましいです。
(2022年11月刊。1980円)

くもをさがす

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 西 加奈子 、 出版 河出書房新社
カナダで乳ガンが判明し、手術を受けた著者の体験記です。
がんはゴジラと同じ。彼らの存在それ自体が、私たち人間と相容れないだけ。どちらかが生きようとするとき、どちらかが傷つくことになっている。
 がんにかかった人は、原因を考えてしまう。暴飲暴食のせい、睡眠不足、仕事のストレス、いや水子の供養をしていなかたから、先祖の墓参りをしていなかったから…、いろいろとありうる。でも、がんは誰だってかかるもの。もし、がんになったら、それはそういうことだったのだ。誰にも起こることが、たまたま自分に起こったと考えるしかない。
 がんは怖い。できることなら、がんにかかりたくなかった。でも、出来てしまったがんを恨むことは、最後までできなかった。自分の体の中で、自分がつくったがんだから。なので、闘病というコトバは使わない。あくまでも治療であって、闘いではない。
 うむむ、なんだか分かるようで、まだピンとは来ません。でも、実感としては伝わってくるコトバです。
遺伝子検査の結果が出た。乳がんは右側にあるが、左の乳房へ転移する可能性は80%で、再発の可能性も高い。予防のため、両乳房の全摘が望ましく、卵巣も、いずれ取るほうがいいだろう…。いやあ、この確率というのは、どれほど正確なものなんでしょうか…。
 カナダでは、日本と同じような感覚でいたらダメ。とにかく自分でどんどん訊いて、どんどん意見を言わないといけない。自分のがんのことは、自分で調べて、医師まかせにしないのが肝心。少しでも治療に疑問があったら、遠慮なんかせず、どんどん尋ねること。うむむ、日本では、これが案外、むずかしいのですよね…。自分の身は自分で守る。そう言われても…、ですよね。
カナダで、乳がんの切除手術を受けると、その日は泊まりではなく、日帰り。ドレーンケアも自分でやらないといけない。手術したら、当日から、とにかく動くこと。術後の回復には、それが一番。痛み止め薬を飲んでまで運動したほうがいいということ。うひゃあ、す、すごいことですよね…。
著者は両方の乳房を切除した。乳首もとった。
 でもでも、平坦な胸をしていても、もちろん乳首がなくても、依然として女性であることには変わりない。坊主頭だけど、それでも女性なんだ…。自分がそう思うから、私は女性なのだ。私は私だ。私は女性で、そして最高だ。
 「見え」は関係ない。自分が、自分自身がどう思うかが大切なのだ。
 日本人には情があり、カナダ人には愛がある。この「情」と「愛」には、どれほどの違いがあるのでしょうか…。
発刊して2週間もたたずに8刷というのもすごいですが、それだけの読みごたえのある本です。カナダと日本の医療体制、そして社会の違いも論じつつ、がんにかかって乳房摘除の手術を受けて、人生、家族、友人との関わりなどを深く掘り下げて考察しているところに大いに共感することのできる本です。
(2023年5月刊。1540円)

ムラブリ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 伊藤 悠馬 、 出版 集英社
 ムラブリとは、タイやラオスの山岳地帯に住む少数民族のこと。山間の傾斜地で、焼畑農耕をしている、裸足(はだし)で森と共に生きる狩猟採集民。畑仕事はしないし、定住もしない。
 ムラは人、ブリは森。だから、ムラブリとは、森の人。
 ムラブリは、今や500人ほど。ムラブリ語は文字がなく、いずれ今世紀中には消滅するだろう。著者は世界で唯一のムラブリ語研究者。
 ムラブリは文字をもたず、暦もない。スケジュールとか時間割にしばられず、日々を森の中で過ごす。明日のことは明日の自分が決める。言い争いもしない。お互いに意見を言い合うこともない。
 ムラブリ語研究者の著者は、リュックにおさまるだけの日用品しか持たない。爪切りと歯ブラシと手拭いがあれば生活できる。
ムラブリの調査をするにはタイの公用語であるタイ語が話せることが必須、森へ猟に出かけ、サル、リス、モグラ、ネズミそして竹の中にいる竹虫をとって炒めて食べる。芋やタケノコも食べるが、キノコにはあまり興味がない。
ムラブリ語には、「おはよう」「こんにちは」などの挨拶コトバがない。その代わりに、「ごはん食べた?」「どこ行くの?」などの質問が挨拶の代わりになる。挨拶に意味を求めてはいけない。意味のないことが挨拶にとっては何より大切なこと。
 言語の消滅は、ひとつの宇宙が消えるのに等しい。
 「心が下がる」は、うれしいとか楽しいとの意味。「心が上がる」は、悲しいとか怒りを表す。ムラブリは、自分の感情をあらわすことがほとんどない。ムラブリ語には、感情も興奮もない。
 ムラブリは他の民族との接触をできるだけ避け、森の中に息をひそめて生きてきた。
 ムラブリは歴がないし、曜日もない。月はあるが、1ヶ月が何日かは人によって異なる。つまり、気にしていない。年もあるけど、自分が何歳か知らない。
 ムラブリ語には数字が1から10までしかない。「4」はたくさん。なので、大人は、みんな「4歳」。
 ムラブリの男性は時計を身につけるのが好きだが、まともに動いている時計は少ない。
 ムラブリは暴力を嫌う。人間関係でトラブルがあったら、争うよりも距離を置くことを好む。
ムラブリは年歳(とし)をとって夫や妻を亡くすと一人で暮らすようになる。息子や孫が高齢の身内の老人を介護することもしない。まずは自分で生きていくのが前提の社会だ。
 狩猟採集民は獲物をシェアすることで、富が集中することを避け、権力が発生しないような仕組みをもっているからこそ、森の中で生き残り、今日に至ったのだろう。
 ムラブリには、いかなる専門家もいない。分業はしない。
 ムラブリは製鉄技術をもっている。地面に穴を掘り、竹によってふいごを用意し、玉鋼(たまはがね)をつくる。
 著者は、ムラブリについて、農耕民の生活になじめなかった人々の集まりだと考えています。農耕の定住生活が嫌で、森に住むことを選んだ人々だろう。
 ムラブリは結婚するのに儀式もなければ、婚姻届けもない(だって文字がないのだから…)。別れたいと思えば別れる。ただそれだけ。
 ムラブリは遊動民であり、森の中を10~20人単位で移動しながら暮らしている。
 ムラブリは、10代になればほとんど寝床を自分の手でつくれるし、資源がある限りは、食料や薪を森から調達する術を身につけている。ムラブリは体調が悪くても、病院には行きたがらない。
ムラブリの物質文化は乏しい。民族衣装もなく、ふんどし一丁。
ムラブリは自由が好き。強制されることが嫌いだ。いやあ、なんとなんと、こんな人たちがいるのですね…。そして、日本の若者がそこに飛び込んで、ついにムラブリ語を自由に話せるようになったなんて、すごいことですよね。あまりに面白くて、車中で一気読みしてしまいました。ご一読をおすすめします。
(2023年4月刊。1800円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.