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カテゴリー: 人間

吉永小百合、青春時代写真集

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 日活 、 出版 文芸春秋
 私は何を隠そう(昔も今も隠してなんかいませんが…)サユリストなのです。
 その小百合ちゃんの青春時代の写真集が出たと聞いて、すぐに注文しました。いやあ、良かったですね、すごい写真で、改めて小百合ちゃんにほれぼれしました。
 映画女優デビュー65周年記念という企画です。私の弁護士生活50年をはるかに上回ります。それでもって、今もバリバリの現役女優なのですから、本当に尊敬します。
 小百合ちゃんと私の共通項がたった一つだけあります。それは、水泳です。私は週に1回、プールで自己流のクロールで1キロ泳ぎます。40分かかります。小百合ちゃんは、どうやら、週に何回か泳いでいるようです。それでいてゴーグルの跡が顔に片リンも見られませんから、よほど、泳いだあとの顔面マッサージを丹念にしているのでしょう。
この本には出てきませんが、高校1年の入学式に日活に入り、それからまともに学校に行っていない(行けなかった)小百合ちゃんは、早稲田大学第二文学部に入学して無事に卒業しています。それもまた、すごいことです。よほど勉強熱心なのですね…。
 この本には小百合ちゃん主演の映画が写真とともにたくさん紹介されています。残念ながら、そのほとんどを私は観ていません。私が観たのは、まずは「キューポラのある街」です。小百合ちゃん17歳、1962(昭和37)年です。まだ私は中学生でした。「青い山脈」とか「伊豆の踊子」は観ていません。小百合ちゃん18歳、1963(昭和38)年の作品です。
 「パリの小百合ちゃん」という写真もあります。セーヌ川のほとり、そしてベルサイユ宮殿の庭に腰かけた小百合ちゃんがいます。そして、さらに残念なことに、「戦争と人間、完結篇」(1973年)も私は観ていません。「ああ、ひめゆりの塔」(1968年)も観た覚えがありません。本当に残念です。
 まあ、それにしてもいい写真集です。私が吉永小百合を心から尊敬しているのは、大女優でありながら、地道な平和を求める取り組みを一貫して続けていることです。
 原爆反対の声をあげ続けていることに、ひたすら共感したいと思います。
(2024年6月刊。3200円+税)

アイヌもやもや

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 北原モコットゥナシ ・ 田房 永子 、 出版 303Books
 アイヌ民族と差別について、マンガをふくめて問題点が手際よく紹介されている本です。私自身も読んで大いに反省させられました。
 沖縄の人から見ると、九州・四国・本州の人々は「やまとうんちゃ(やまとの人)」です。同じように、アイヌ民族からすると「シサム」と呼びます。初めて知りました。
 日本は「単一民族国家」だとか「一民族一国家」という、アイヌ民族という少数民族の存在を無視した言い方をする人が少なくありません。これは、たしかに間違いだと私も思います。
 ちなみに、「奄美・琉球民族」という表現は、私には正しいものとは思えませんが…。
 在日コリアンを含めて、多数の外国人労働者が現に日本に存在していることも無視してはいけない現実です。私は福岡市内でフランス語を学んでいますが、そのフランス人講師は、フランスの歌手にもサッカー選手にも起源はフランス外の人が驚くほど多数いることを紹介していました。国際交流が進んで世界平和につながっていくことを私は願っています。ところが、今、ヨーロッパでは移民排斥を主張する極右勢力が支持を集めているという悲しい現実があります。
 1899年に制定された北海道旧土人保護法は、名称からして「旧土人」といういかにも差別的な法律ですが、アイヌの農耕民化・和風化をすすめるため、アイヌに農地が用意された。しかし、和民族に対しては1人あたり10万坪なのに、アイヌに対しては1戸(1人ではなく)あたり1万5千坪だけ。ケタ違いでした。
 1980年代、札幌市の高校で、社会科の教師が、「誤ってアイヌと結婚しないように」と言って、授業でアイヌの「見分け方」を解説した。信じられません。これって偏向教育そのものですよね…。
 マイクロインバリデーションとは、相手の感情、経験を排除・否定・無化すること。
 「北海道には歴史がない」とか、「開拓」「フロンティア」を礼賛するというのは、アイヌの歴史・被害の否定なのだ。そのとおりですよね。
 そもそも平安時代の書物(新撰姓氏録)を見ると、当時の貴族の10人に3人は渡来人だったし、平安京を開いた桓武天皇の実母は、百済(くだら。朝鮮半島にあった古代国家の一つ)の人だった。これは歴史的事実です。
 アイヌ人なんていないというのは、見ようとしないから見えないというだけ。なるほど、そのとおりです…。
(2024年6月刊。1760円)

チャップリンとアヴァンギャルド

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 大野 裕之 、 出版 青土社
 さすがチャップリン研究最高峰の著者だけあります。知識の広さと分析の深さについ、うなり声をあげてしまいました。とても面白く興味深い本です。チャップリンに関心のある人には欠かせない本だと思います。
 チャップリンのもっている杖、あのよくしなる杖は日本の竹なんですね…。チャップリンの杖は、滋賀県の根竹。体を支えるためのものではなく、いろんなものの代用品となる。
 チャップリンの傑作の一つ、「街の灯」は、戦前の日本で新作の歌舞伎として演じられ、またチャップリンの遺族の了解を得て、最近、再演されたそうです。「街の灯」を歌舞伎で演じるなんて、想像もできませんでした。
映画「街の灯」が日本で初上映されたのは1934(昭和9)年のこと。アメリカでは1931年1月30日に上映された。ところが、日本ではなんとなんと、映画より3年も早く1931年8月に歌舞伎座で上演されたというのです。ただし、タイトルは「蝙蝠(こうもり)の安さん」。
 しかも、それより早く、1931年5月には東京の新歌舞伎座で辰巳柳太郎主演の「チャップリン」なる演劇が新国劇として上演されていたのでした。いやあ、すごいです。
 映画「移民」に出てくる揺れる船のシーン。実は、カメラに振り子をつけて画面のほうを揺らして撮影したというのです。つまり、船の甲板は水平のままなので、滑ることはない。そこで、チャップリンは、片足で立ったまま小刻みに足を動かして移動して、揺れる甲板の上を滑っているように見せている。いやあ、まいりましたね、そんなことまでチャップリンは出来たし、したのですね。身体能力の高さの極致です。
 チャップリンは1932年5月に日本に来ています。危く五・一五事件に巻き込まれそうになったのでした。このとき、チャップリンは歌舞伎座を訪れ、初代の中村吉右衛門とも話しています。チャップリンには日本人秘書(高野虎市)もいて、大の日本びいきでした。
 チャップリンは日本では、インテリ層には芸術哲学者として、一般庶民にはドタバタ喜劇の人気スターコメディアンとして幅広い層から圧倒的な人気・支持を受けていたのです。なにしろ、チャップリンが東京駅に来ると分かって、日本人が4万人も押し寄せたというのです。東京駅の入場券がこの日だけで8千枚も売れたというのですから、恐ろしい。
そして、2019年12月、再び国立劇場で『蝙蝠の安さん』が88年ぶりに再演された。それをチャップリンの息子が鑑賞して絶賛したというのです。うれしいことですね。
 チャップリンのトレードマークであるよちよち歩きは、両足のかかとをつけたまま、左右の爪先を外側に開いた状態で歩いていくもの。これはバレエの足の形で「1番」のポジションで動いているということ。しかも、歩くとき、上半身を決して左右に揺らさない。体幹をまっすぐに保ったまま歩く。これはバレエに通じるもの。というのも、チャップリンは俳優である前に、9歳のときから舞台に立ったダンサーだった。すごいですよね。
 チャップリンの「独裁者」が世界中でヒットしてから、ヒトラーは、大勢の群衆の前での演説をやらなくなった。チャップリンに笑い物にされたことで、ヒトラーの最大の武器が奪われた。いやはや、言葉の力は、スクリーン上の表現とあわせて、かくも偉大なんですね。
 チャップリンは反共の嵐の中、アメリカから追い立てられるようにして立ち去ります。その前にチャップリンが言ったコトバは、「私は共産主義者ではありません。平和の扇動者です」というものでした。チャップリンの究極の目的は世界中の人を笑わせること。
私は40年近く、毎年、市民向けの法律講座を開いていますが、初めのころはチャップリンの短編映画を毎回上映していました。ドタバタ喜劇ではありますが、単なるナンセンスものというのでもなく、少しホロリとさせたりして、一味ちがっています。
 チャップリンの天才ぶりを改めて認識させられました。
(2024年1月刊。2400円+税)

あしたのお嬢

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 山田 一喜 、 出版 講談社
 「あしたのジョー」が「週刊少年マガジン」で連載が始まったのは1968年1月1日号から。私は大学1年生でした。駒場寮の6人部屋で毎日、楽しく忙しく暮らしていました。東大闘争が始まったのは6月からです(本郷の医学部では既に1月からもめていましたが、駒場はいたって平穏でした)。
 「あしたのジョー」は寮生に大人気で、みんなで争って読み回していました。貧乏学生だった私は「少年マガジン」を買った覚えはありません。寮にいたら、いずれまわってくるからです。週刊マンガの発売日には誰かが買ってきて、読み終わったのが回ってきます。じっと待っていればよいのです。
 このころ、日本は高度経済成長期の真っ只中にあった。こう書かれていますが、私自身はその恩恵を受けたという実感はありません。ただ、世の中が不景気で、どうしようもないという実感はありませんでした。今もある霞が関ビルが竣工したのも1968年だそうです。弁護士になってからは入ってみましたが、学生のころは霞ヶ関なんて、ベトナム反戦デモのとき以外、近寄ったこともありません。
「あしたのジョー」は、ともかくカッコ良かったです。作者のちばてつやはそれ以来のファンです。丸味のある登場人物は、なんだかほのぼのとしていて、いい雰囲気です。というか、丸顔の作者の顔にそっくりですよね…。
 発刊から55年たったと言われると、ええっ、そ、そうなんか…と、ついうろたえてしまいます。
 でも、私も弁護士生活を丸50年もやっているのですから、それもそのはずです。
 この本は、「あしたのジョー」が活動していた舞台を、マンガ原作に出てくる脇役たちと訪ね歩くという趣向です。「お嬢」とは、父親から「あしたのジョー」全巻を読むように言われて読破したという陽菜(ひな)です。
 「あしたのジョー」は累計発行部数が2500万部といいます。とんでもない部数です。
 「あしたのジョー」で、ジョーと死闘を重ねた力石(りきいし)徹が誌上で亡くなったあと、実際に告別式があったというのも驚きですよね。1970年3月24日、講談社の講堂には護国寺のお坊さんに来てもらって読経まであげてもらったのでした。参加したファンは、なんと700人。
 いやはや、とんだ告別式です。まあ、私は参加していませんが、参加した人の気持ちはなんとなく分かります。決して馬鹿な奴らだ、なんて思いません。
 コミックスで全20巻だそうです。読んで、学生時代の雰囲気にしばし浸ってみたいかな…と思いました。
(2023年12月刊。1980円)

スピノザの診察室

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 夏川 草介 、 出版 水鈴社
 現職の医師による心温まる医療小説です。電車のなかで一気読みしてしまいましたが、読み終えたあと、胸のうちに爽やかな温かい風が吹き抜けていく気がしました。
 いったい「スピノザ」って何だろうと思っていると、医療行為をめぐる哲学問答が展開されるのです。それがまた、妙にしっくり来るのです。そこで、タイトルにも違和感がありません。
 主人公は京都の下町の小さな病院に勤める医師です。お酒は飲まず(飲めず?)、甘いものに目がありません。虎屋の羊かんをはじめ、京都の有名な甘い物が何度も登場してきます。ついでに伊勢の赤福とともに大宰府の梅ヶ枝餅まで紹介されるのは愛敬です。
 「お前さんが、教授や学長を目ざしているバリバリの野心家だとは思っていない。だけど、いい仕事はしたいと思っているはずだ。どうせやるなら、一流の仕事をな。野心はなくても矜持(きょうじ)はあるだろ?」
 私も弁護士として、「一流の仕事」をしようとは思っていませんが、誇りを持って仕事を続けたいとは常日頃から考えています。
 「薬をうまく使えば、最後の時間も楽に過ごせるという考えは、まだまだ幻想にすぎない」
 「この病院の患者の多くは病気は治すことがゴールではない。ガンの終末期や老衰の患者に寄り添うだけ。結局、死亡診断書を書くのがゴールになってしまう」
 「患者の顔が見えることは、共感するということ。共感するのは心にはなかなかの重労働。悲しみや苦しみに共感するには、十分な注意が必要。度が過ぎると、心の器にヒビが入ることがある。ヒビではなく、割れてしまったら、簡単には元に戻らない」
 「病気が治るのが幸福だと考えると、どうしても行き詰ってしまう。病気が治らなかったら不幸なままなのか・・・。治らない病気の人、余命が限られている人が幸せに日々を過ごすことはできないのか・・・」
 「世界には、どうにもならないことが山のようにあふれている。それでも、できることはあるんだ」
 「人は無力な存在だから、互いに手を取りあわないと、たちまち無慈悲な世界に飲み込まれてしまう。手を取りあっても、世界を変えられるわけではないけれど、少しだけ景色は変わる」
 医師でなければとても描けない「手術」の様子が詳細に書き込まれていて、ぐぐっと手術室の世界に引きずり込まれてしまいます。そのうえ、深遠な問答が展開されるのですから「本屋大賞第4位」にも、なるほどと思ったことでした。
(2024年5月刊。1700円+税)

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