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カテゴリー: 中国

チャイナ・セブン

カテゴリー:中国

著者  遠藤 誉 、 出版  朝日新聞出版
 赤い皇帝・習近平というサブタイトルのついた、中国を分析した本です。
中国共産党の政治局常務委員(チャイナ・ナイン)の一人だった周永康が逮捕された。本来、このチャイナ・ナインは逮捕されないという不文律があった。それを習近平は破った。
 捕まった周永康は江沢民派なので、習近平と江沢民との権力闘争だとみられている。しかし、著者は権力闘争ではないとみています。なぜなら、習近平自身が江沢民派だから。
 少なくとも腐敗問題に斬り込まなければ、中国共産党による一党支配体制は必ず崩壊してしまうから。
 最近、中国で腐敗により摘発・処分を受けた人数は18万人をこえ、チャイナ・ナインの一人だった周永康、さらに中央軍事委員会副主席だった除才厚まで捕まった。前代未聞の事態である。
 習近平は、利益集団の解体を狙っている。利益集団解体の先には、利益を独占している国有企業の改革が待っている。国家の60%の富を0.4%の者が独占しているような現状を打破することだ。富の極端な一極集中化をもたらしている利益集団を解体してからでないと、抵抗勢力が巨大化しすぎていて、前に進めない。
 チャイナ・セブンは「共青団」「紅二代」あるいは「江沢民派」というように、きれいに分けることができない。7人のうち紅二代が3人もおり、かつ「江沢民派」に偏っているのが特徴だ。
 もっとも重要なことは、チャイナ・セブンの圧倒的多数が習近平、またはその父母と接点があること。
 チャイナ・ナインがチャイナ・セブンになっても、中共中央政治局常務委員会では多数決による議決を鉄則とする集団指導体制を実行していることに変わりはない。
 もし今、国家主席が習近平でなかったとしたら、中国は、この10年間の政権のなかで、あるいは崩壊したかもしれない。
 社会主義が生き残るのか、資本主義が生き残るのか。あるいは、一党支配体制が生き残るのか、という壮大な実験に習近平は挑もうとしている。
習近平は、毛沢東に次ぐ力を持った指導者としての地位を気づきつつあると言ってよい。
 2012年1月、胡錦濤は、「腐敗を撲滅させなければ、党が滅び、国が滅ぶ」と、中共中央総書記として最後の言葉を述べた。しかし、この腐敗を招いたのは、共産党の一党支配体制だ。その支配体制を崩すことなく、腐敗を撲滅することなど、できるはずがない。
 腐敗撲滅へ向かって進めば進むほど、共産党統治は政治体制改革を余儀なくされ、政治体制改革を断行すれば、共産党の一党支配は必ず崩れる。進んでも留まっても、崩壊はまぬがれない。
 習近平は、1953年6月15日、北京で生まれた。父親は習仲勛。父親は16年間の囚われの生活を送った。
 習近平は、文化大革命のとき、延安地区へ追放されて苦労している。そして、文革末期になって清華大学に入学することができた。
 中国の四大利益集団は、鉄道閥、石油閥、電力閥、電信閥である。そこは腐敗の巣窟でもある。
 チャイナ・セブンのうち、習近平と李克強以外の5人は、みな2017年の党大会で定年退職してしまう。
 中国の前途を考えるうえで読んでおくべき書物の一つだと思いました。
(2014年11月刊。1600円+税)

法制度からみる現代中国の統治機構

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著者  熊 達雲 、 出版  明石書店
 中国共産党の党員は8513万人(2012年末)。1949年の建国時の19倍であり、全人口の6.3%を占める。労働者出身は8.5%で、農業・林業・漁業出身者が3割弱を占めている。そして、知識人党員が32%と、もっとも比率が高い。
 共産党員になるのは容易ではなく、煩雑な手続が必要であり、要件も厳しい。
共産党は、中央指導部に設置されている「中央政法委員会」を通じて司法とつながっている。中国は裁判権を独立した権力とみなさず、それを検察権、捜査権、行刑権等の権力に入れて政法権としてまとめて一括して指導している。最高人民法院は、この中で他の機関と並列する一機関にすぎず、特別な地位を与えていない。裁判所の地位は低い。行政機関の国務院、軍事機関の中央軍事委員会と比べ、裁判機関の最高人民法院、検察機関の最高人民検察院は、地位が何段階も低い存在である。裁判機関、検察機関の長は、いずれも共産党中央委員会の委員にすぎない。
 法律解釈権は、最高人民法院のみしか行使できない。人民法院の院長、副院長、各裁判廷の院長から構成される裁判委員会は中国の裁判所内のユニークな裁判組織だ。裁判委員会は、二つの業務を担当する。一つは、重大・難事件を討議し、判決を決定する。二つは、裁判の経験を総括する。合議廷は裁判委員会の結論に従って判決文を作成する。 人民法院で言い渡された判決は、人員法委員長及び裁判委員会によって容易に改正できる。裁判機関の独立は確立されていない。中国には20万人近い裁判官がいる。
裁判官は腐敗の多発する職業である。1995年から2013年にかけて、84人の裁判所所長と副所長が汚職腐敗で摘発された。2008年から2011年にかけて、712人、795人、783人、519人の裁判官が検挙された。集団腐敗事件が増加する傾向がある。2002年には、武漠市中級法院の13人裁判官と44人の弁護士が関与していた。中級法院は、腐敗がもっとも深刻である。
 中国の弁護士は23万人をこえる(2012年)、法律事務所も2万に近い。弁護士は弁護事務の独占権が認められていない。
 司法試験の受験者は年々増加し、2013年には40万人に達している。
 中国の司法の実情を知ることのできる本です。
(2014年6月刊。2800円+税)

「この命、義に捧ぐ」

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著者  門田 隆将 、 出版  角川文庫
 日本陸軍北支那方面軍の司令官だった根本博中将の戦後の業績を紹介した本です。
 その一は、戦後といっても、昭和20年8月20日からのことです。日本の敗北が決まり、武装解除が命令されたのに、在留邦人を内地に無事に帰国させるため、あえて侵攻してきたソ連軍と戦ったというのです。
 8月15日、根本司令官はラジオで次のように宣言した。
 「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ連軍を断乎撃滅すべし。これに対する責任は、指令官たるこの根本が一切を負う」
 6日前の8月9日から始まったソ連との戦争で、関東軍は総崩れとなり、満州全域でソ連の蛮行が横行していた。
 張家口に2万人の日本人が終結していた。それを北京・天津方面に後送するため、駐蒙軍司令官の根本中将は支那派遣軍総司令官の命令を拒否したのだった。根本元中将が日本に帰国したのは、翌昭和21年(1946年)8月のことだった。それまでに支那派遣軍の日本への復員は105万人をこえた。
 そして、戦後、1947年7月、蒋介石の国民党軍が中共軍との戦いで敗色濃いなかで、根本博は招かれて台湾に渡った。ところが、根本は密航者として逮捕され、投獄された。運良く、それが台湾警備司令の耳に入って、救出され、ついには蒋介石と面会することが出来た。
 その後、根本は、中国国民党軍の軍事顧問となった。そして、廈門(アモイ)に渡った。しかし、ここは、守備に適していない。根本は軍事顧問として、共産軍を迎え討つのは、金門島をおいてほかにないと進言した。廈門を放棄せよというアドバイスだ。
 根本は、林保源という中国名で呼ばれた。林保源将軍として、汽車に乗って作戦指導をした。根本は、金門島の陣地構築と塹壕戦を指導した。
 共産軍は勝ちに乗じて、敗走を重ねる国府軍をなめている。そこで、共産軍を中国本土から運んできた船を焼き払い、増援部隊がないようにして、そのうえで、戦車で叩く。ジャンク船で運んでくる火力は銃くらいしかない。
 上陸させた敵を海岸線から引き入れて包み込めば、一気に殲滅できる。根本の指摘したとおりに国府軍は動き、共産軍を完全に殲滅してしまった。
 上陸した共産軍は2万人。うち死者が1万4千人。捕虜は6千人だった。
 59歳の根本元中将の面目躍如だった。蒋介石は根本の手をとって感謝した。
 しかし、世間の評判は、そうはならなかった。あくまで国府軍の勝利であり、しかも、国府軍の内部抗争により、根本とともに戦った湯将軍は忘れ去られてしまった。当然、根本も忘却の彼方となった。
 同じころ、日本から国府軍の立て直しのために台湾に渡った旧日本軍将校たちは「白団」と呼ばれ、高額の給与が支給されていた。これに対して、根本のほうは身を捨て、家族を捨て、恩返しに言ったのだから、そのような保障は何もなかった。
 そもそも、蒋介石が日本人の手を借りて金門島を守ったことが分かれば、それは蒋介石にとって大きな恥となる。そのため、台湾側の史料の中には、日本人は一切登場してこない。なーるほど、それは、そうでしょうね・・・。
 それでも、その後、台湾国防部は、根本の遺族に対して最大限の敬意を表したのです。知られざる歴史の一コマです。よくぞ掘り起こしてくれました。
(2013年10月刊。680円+税)
東京の有楽町でインド映画をみてきました。『バルフィ!人生に唄えば』です。インド映画らしい歌と踊りも少しだけありますが、それよりも私は良質のフランス映画をみている感じでした。
 もちろん、映画ですから美男・美女が主人公です。美男の俳優(ランビール・カプール)は、顔の表情が実に豊かです。というのも、彼は、耳が聞こえず、話もできない役柄なのです。その主人公バルフィが恋する美女はイリヤーナー・デクルーズ。絶世の美女でほれぼれしてしまいました。ところが、ここに、もう一人の美女が登場します。しかし、彼女は、自閉症の女の子という役柄です。プリヤンカー・チョープラ-という有名な女優なのですが、映画をみているあいだは、ひょっとして本物の病気もちかしらんと思ったほどでした。話の出来ないバルフィが縦横無尽にかけめぐり、甘く切ない恋心を表現します。そして、大切なのは、100の言葉より、愛にみちたひとつの心。3時間近い大作ですが、終わったとき、胸いっぱいの熱い思いで、しばらく立ちあがれませんでした。みなさん、ぜひ時間をつくって、みてください。おすすめします。

中国のメディアの現場は何を伝えようとしているのか

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著者  柴 静 、 出版  平凡社
 中国のテレビって、すべて国家統制のきいた官製報道ばかりかと思っていました。
 この本を読むと、中国でも一生懸命に現場から問題点を報道しようとしている人がいることを知って、うれしくなりました。
 日本のNHKも、籾井会長になってから、とりわけニュースは安倍首相の広報番組オンリーという感じですから、中国を批判することなんて出来ないと思っています。
 2003年4月、北京で大流行したサーズ、死亡率の高いウイルス性肺炎について、著者は病院まで突撃取材したのでした。
 著者は全身防護服を着て、戦々恐々として病室に入り、救急センターに戻ってから40分間消毒し、周囲の人まで緊張して汗をかいたとき、人民医院の医師と看護師は、もっとも基本的な防護服すらない状況下で、中庭で20数人の患者と向きあっていた。
 中国にも、もちろんDV(ドメスティック・バイオレンス)があります。そのあげくに女性(妻)が男性(夫)を殺してしまいます。女性犯罪には、夫殺しが多く、ある地方では70%になる。男は死に、生き残った女は執行猶予付きで死刑、無期懲役などに処せられている。
 十数人の少年の窃盗グループ。リーダーは15歳、最年少は10歳、全員が中途退学だった。彼らは、敵討ちのために、お金のために、ときには単なる楽しみからケンカした。ナイフはもちろん、チェーンや有刺鉄線を付けた自作の棍棒まで使った。ケンカが一番強い子どもに尋ねた。
 「怖くない?」
 「いいや」
 彼は昻然と胸をはった。怖くないのではなく、生死の概念さえなく、憐憫の情がないのである。自分が大切にされていないと、大切にされた実感のないまま大きくなると、生死までが、どうでもよくなる。というわけだ。
 愛と教育を得られなかった人が社会に対して責任感をもつはずがない。
 最近の鶏肉事件は、日本の毒入り冷凍食品事件と共通しているところがあるように思います。どちらも、働く人が大切にされていないということです。日本も、安倍首相のような間違った教育と労働者切り捨て政策がすすめば、今の中国と同じ事態になりかねません。
ネットで猫を虐待する映像を流した女性は、次のように語った。
 「憎しみ、それと未来に対する絶望ね」
 「離婚した女の憂鬱や生活の悩みを誰が理解してくれるというの。この重苦しい気持ちや悩みのせいで、生活していく自信を失い、無辜の小動物の身に向かって鬱憤を晴らすという情けないことをする羽目になった」
 「内心の圧迫感や抑鬱を発散させなかったら、崩壊していただろう」
 「心の奥底にいびつなものがある・・・」
 この本が中国でベストセラーになったことに、私は救いを感じました。
世の中の現実をなるべくありのままに伝えたい。しかし、そこには単純にシロかクロかに割り切れないことがたくさんあるし、いろんな人々の利害損失が微妙にからんでいる。
 そこを、映像メディアとしての制約のなかで、がんばって報道しているのはすごいです。
 それにしても、最近のNHKにはひどいですよね。集団的自衛権について、その問題点を国民に分かりやすく伝えようとしていません。あくまで安倍首相の側に「理解」を示して、それを前提として、反対する人もいくらかいるというニュアンスでの報道です。本当にデタラメです。安倍首相の妄念から一刻も早く脱却しないと、本当に日本は戦争に巻き込まれてしまいます・・・。心配です。マスコミ人の良識に大いに期待しています。
(2014年4月刊。1800円+税)

中国とモンゴルのはざまで

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著者  楊 海英 、 出版  岩波書店
 モンゴル出身で、中国共産党の指導者の一人だったウラーンフーの伝記です。
 ウラーンフーは、モンゴル出身で、内モンゴル自治区委員会書記、内モンゴル軍区司令官、国務院副総理などを歴任した。
そのウラーンフーが、文化大革命のとき、打倒されてしまったのです。モンゴル人として、どんな人物なのか、以前から気にかかってしまいました・・・。
 1966年に中国で文化大革命で勃発したとき、内モンゴル自治区には150万人弱のモンゴル人が住んでいた。少数民族のモンゴル人は全員が粛清の対象とされ、34万6000人が逮捕され、3万人近くが殺され、2万人に身体障害が残った。モンゴル人の犠牲者は30万人に達する。
清朝が用いた内モンゴルと外モンゴルは、モンゴルを分断するための政治的な概念で、モンゴル人自身はそうした悪意にみちた名称を好まなかった。
 南モンゴルが中国の領土にされてしまった原因の一つに、日本の大陸進出があげられる。モンゴル人民族主義者たちは、帝国日本の力を借りて中国の独立を実現させようとして、蒙古連合自治政府や蒙古自治邦を樹立した。
ウラーンフーは、20世紀のアジアが産んだ重要な政治家の一人である。彼ほどレーニンとスターリンの民族自決の理論を東アジアで実践した革命家は、ほかにいない。
ウラーンフーは、内モンゴルを「中国と日本の二重の植民地」だと認識し、抑圧された少数民族のモンゴルを国際共産主義の理論で解放し、中華民主自由連邦を創成しようとした。
 1947年5月、内モンゴル自治政府が成立した。この日まで草原のモンゴル人のほとんどが雲澤という男を知らなかった。雲澤は無名の革命家だった。この時期、雲澤という名を赤い息子を意味するウラーンフーに変えた。
 「親愛なる中国人共産主義者の友人」たちは、側面からの援護を惜しまないが、決して軍権をモンゴル人に渡すようなことはしなかった。
 内モンゴル近代史上最大の謎は、なぜ何十万人もの独立志向のモンゴル軍が中国人に帰順したのかということ。
 モンゴル人といえば、世界各地に分布している人々をさす。モンゴル民族は、ただ中国55の少数民族の一つにすぎない。矮小化された存在となる。
 モンゴル人民共和国の首都であるウラーンバートルは赤い英雄を意味する。内モンゴル自治政府の首都であるウラーンホトは赤い都だ。もう一つのモンゴル人の自治共和国の首都であるウラーンウードは赤い扉の意。
 モンゴル人はユーラシア大陸の各地に分布しているが、チンギス・ハーンの子孫だという理念は、民族ぜんたいに共通している。
 毛沢東と周恩来は身近にモンゴル人のウラーンフーを立たせることで、多民族国家・中国における少数民族の地位向上を演出しようとした。
 モンゴル内に中国人がモンゴル人の7倍にも膨れあがるという前代未聞の現実を前に、モンゴル人は途方に暮れた。
もっとも親中国的で、かつ中国化したモンゴル人であるゆえに、中国政府と中国人は、ウラーンフーをまず失脚させてから、一連のモンゴル人粛清運動と大虐殺の口火を切った。
 ウラーンフーは、全国の省・自治区の指導者のなかで、もっとも早く打倒された人物で、また少数民族の指導者のなかでも、最初に狙い撃ちされた人物である。
 モンゴル人の苦難の歩みを体現した人物だったことがよく分かる本でした。
(2013年11月刊。2400円+税)

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