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カテゴリー: 中国

三体

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 劉 慈欣 、 出版  早川書房
中国発のSF小説です。さすがにスケールが壮大です。
この「三体」3部作は、中国では2100万部も売れたというのですから、これまたスケールが日本とはまるで違います。
物語の始まりは1967年です。私にとっては東京で大学生としてスタートした記念すべき年でもあります。まだ大学内は嵐の前の静けさでした。ところが、隣の中国では文化大革命が深く静かに(実は、にぎにぎしく。静かだったのは報道管制下にあったことによる)進行中だったのでした。
文化大革命の本質は、実権を喪いつつあった毛沢東が権力奪還を企図して始めた武力を伴う権力闘争だった。ところが、表面上は文化革命というポーズをとっていたのでした。そこは毛沢東の巧みなところだ。そのため、この毛沢東が始めた文化大革命に全世界の文化人の一部が幻想を抱いて、吸い込まれていった。
武力をともなう残酷な権力闘争(文化大革命)の過程で、物理学教授である著者の父親は若い紅衛兵によって死に至らしめられた。
周の文王が突然登場したり、紂王(ちゅうおう)も出現したり、時代背景は行きつ戻りつします。そして、地球外知的生命体を探査するプロジェクトも関わってくるのでした。
やがて、秦の始皇帝まで姿をあらわします。いったい、この話はどんな結末を迎えるのだろうか…と心配にもなってきます。
三体時間にして8万5千時間、地球時間で8,6年後、元首が三体惑星全土のすべての執政官を集める緊急会議を招集した・・・。
ともかく、スケールの大きさが半端ではありません。縦にも横にも限りなく広がっていくのです。不思議な感覚に陥って、それを楽しむことができる本でした。
私はひたすら、すごいすごい、とてつもない発想だと驚嘆しながら読み通しました。
(2019年7月刊。1900円+税)

中国が世界を動かした「1968」

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 楊 海英 、 出版  藤原書店
あのフランス人歴史人口学者のエマニュエル・トッドが1968年ころ、17歳でパリ郊外の高校3年生のとき、フランス共産党系青年組織の一員だったというのには驚きました。
校内では権威的な校長を面罵してストライキを打ち、校外ではゼネストの労働者と一緒だった。政治うんぬんの前に単に楽しかった。
これは、日本の全共闘シンパに共通するものだと私は思いました。
中国における紅衛兵の造反は、フランスの学生運動など世界情勢に影響を与えた。
「欧米にしろ、日本にしろ、キャンパスの内外を問わず、もっとも活躍し、威張っていたのは、みな毛沢東派だった」
さすがに、ここまで言うと、明らかに言い過ぎです。毛沢東主義者は、日本ではML派などといって、目立ちはしましたが、しょせん新左翼党派のなかでは弱小セクトの一つでしかありませんでした。東大闘争のなかでも、全共闘のなかに、そう言えばML派もいたよね、という程度でした。
中国の紅衛兵のなかに、パリ・コミューンにあこがれる人物はあらわれたが、それは中国共産党の一党独裁に脅威を与えるものとして、たちまち「反革命」とされた。
毛沢東は、1958年からの大躍進政策や人民公社という惨憺たる失策から権力政治の中枢から外れ、地方を流離するなど、孤立状態にあった。
毛沢東が反逆の狼煙(のろし)に点火したのは、日本と中国両共産党のコミュニケが破棄された1966年3月末のことだった。毛沢東は、地方にあって劣勢な権力者が、中央にあって優勢な権力者に向けて蜂起するという、権力内部のクーデターを発動した。
この毛沢東による文化大革命による犠牲者は500万人にものぼるとみられている。
学生たちを辺境の地に追いやり労働させるという「下放」事業のなかで、学生たちは現実を直視せざるをえなかった。レイプや暴行、自殺、劣悪な労働環境下での事故死が相次いだ。
人間関係のない「よそ者」の青年たちは、移送先では、まったくの「社会的弱者」だった。
現実と直面するなかで、プロパガンダに対する疑問と抵抗感を抱くようになっていった。
ドイツでは、元毛沢東主義者が今も活躍している。1人はバーデン・ヴュルテンベルグ州の首相であり、もう1人は議員である。この2人は、首相が緑の党、もう1人は今では右翼政党に所属している。
ドイツには、左右を問わず、もとは毛沢東主義だったという政治家やジャーナリストが少なくない。とりわけ、緑の党に目立っている。
西ベルリンには、北京派ドイツ共産党が存在した。かつての毛沢東主義者は、教師・弁護士・ジャーリスト・研究者・作家・経営者・政治家として成功した者が少なくない。
彼らは、政治的な一面的思考を免れ、規律正しさと自己犠牲精神を身につけていた。
中国は「革新」を全世界に輸出することを夢見ていた時期があったようですが、そんなものがうまくいくはずがありません。
国際社会の歴史的動向をうかがえて、読んで良かったと思いました。
(2019年5月刊。3000円+税)

11通の手紙

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 及川 淳子 、 出版  小学館
1989年6月4日に想いを馳せて・・・。
あの日、君は、分厚い法律書を、肩にかけた布鞄にしまい込んだ。
「弁護士を目指す大学院生だから、条文はしっかり覚えているよ」
君の一番のお気に入りは、憲法35条だ。そこには「自由」が記されている。
「おかしいことは、おかしい」、「それは間違っている」、そう言いたいだけ。ぼくらの声に耳を傾けてほしい、ぼくらの声が届くようにしてほしい。何のために学ぶのかって・・・。決まっているじゃないか、困っている人を助けるためさ。だから、ぼくは弁護士になる。
そんな君が、ついに逮捕されて、弁護士に資格を奪われた。信じた道を歩むことが、いったい何の罪だというのか・・・。
あの日、君はカーキ色の軍服に身を包み、銃を抱えていた。君は人民の兵士だから、人民のために働くと、そう信じていたはずだ。
君も、君の仲間たちも、疑うことなどなかっただろう。
兵士は、軍の命令に従わなければならない。けれど、人は誰にでも、自分の心の声にしたがう「自由」がある。
君は、それを学ぶ機会がなかったのだと、「あの日」気がついただろうか・・・。
銃口を突きつけられたとき、言葉は無力かもしれない。
戦車の前に立ちはだかったとき、詩は無力かもしれない。
それでも、人は言葉で生きていくものだから、ぼくは言葉の力を信じていたい。
ぼくは、ここにいる。
ぼくは、ここで書き続ける。
ぼくは、ここで生きていく。
第二次天安門事件が起きたのは1989年6月4日。
2010年12月10日、中国の民主活動家である劉暁波にノーベル平和賞が授与されましたが、授賞式は本人不在のまま実施されました。
中国の民主化は、中国の人々の課題です。そして、日本人の私たちも日本の民主化をすすめるべき責任を負っています。ところが、現実には日本人の6割が投票所に行く自由が保障されているにもかかわらず、足を運びません。そのなかで、安倍一強の「独裁」政治が進行しています。どうせ私の一票で世の中なんか変わらないというあきらめ感が日本中を覆っています。そして、嫌中・嫌悪が大手を振ってマスコミをにぎわせ、まあ、仕方がないやね、悪いのは中国・韓国であって、日本はいつだって正しいことをしてきたんだから・・・。そんな偏見から目の覚めない日本人がいかに多いことでしょう・・・。残念でなりません。
尊敬する内田雅敏弁護士から贈呈していただきました。
(2019年5月刊。1200円+税)

文化大革命五十年

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 楊 継縄 、 出版  岩波書店
私にとって中国の文化大革命とは高校生のころに隣の中国で始まったなんだか変な運動であり、いかにも行き過ぎた出来事でした。ですから、直接体験は何もしていませんが、見逃せない重大事態が隣の中国で起きていると思ってウォッチングを続けてきたのでした。
この本の著者は、私より8歳も年長で、1966年(昭和41年)から67年末まで、清華大学において学生として文革に参加していて、1968年1月からは、新華社の記者として文革を取材しています。ですから、自分の体験と取材を通じて文化大革命とは何だったのかを語る内容には説得力があります。
現代中国当局による官製の文革史は、文革の悪しき結末は、「反革命集団によって利用された」結果だとしている。これは毛沢東に責任を負わせないためのものであって、歴史を歪曲している。
毛沢東が残した二大問題は、経済面での極度の貧困、政治面での極端な専制だった。この二つの問題を解決する方法は経済改革と政治改革である。
今日の中国では、学士、修士、博士の学位を手にしても、自分の社会的地位を高めるのは非常に難しい。
2009年に「蟻族」という言葉があらわれた。「蟻族」とは、大学を卒業したが、低収入のため、雑居生活をしている人々のこと。北京だけでも、少なくとも10万人以上の「蟻族」がいるとみられている。高知能でありながら、自信は弱小で、群れで生活している。「蟻族」の多くは農村出身で、両親と本人が大変な苦労と努力して大学を卒業したのに、依然として社会の下層にいる。
毛沢東は、はじめ半年あるいは1年から3年で文革を終えようと考えていた。
文革は疾風怒涛のごとき、大がかりな大衆運動だった。官製イデオロギーは、中国人の魂のなかにまで浸透し、多くの者がきわめて大きな政治的情熱を抱いて運動に参加した。
文化大革命以前の制度が文化大革命を生み出す根本的な原因だった。
中華人民共和国は、中国の皇帝専制の土壌の上に構築されたソビエト式の権力構造だった。
毛沢東は、中国に特権階級が出来た現実を認めつつも、文化大革命を通じて、この「新しい階級」を転覆させることができると信じていた。しかし、毛沢東としても、文化大革命を発動させることによって生まれた無政府状態を長引かせることはできず、秩序を回して「天下大治」を実現するためには官僚を必要とした。
造反派は毛沢東の左手であり、官僚体制をたたくには彼らが必要だった。官僚集団は毛沢東の右手であり、秩序回復には彼らを必要としていた。
文革は、毛沢東、造反派、官僚集団が織りなしたトライアングルのゲームであり、このゲームの最期の結末では、官僚集団こそが勝者となった。敗者は毛沢東であり、敗者のツケを払わされたのが造反派だった。
文革は、ひとたびは旧制度を破壊したが、その後期に旧制度は完全に復活した。中国人は、文革のために重大な代価を支払った。
文革の失敗は、イデオロギーという大きなビルを崩落させ、中国人は、数十年来の精神的枷(かせ)から抜け出し、荒唐無稽なイデオロギー神話から覚醒した。多くの民衆が共産主義を信じなくなった。
「階級闘争をカナメとする」という残酷な虐殺用の刀は一般庶民を傷つけただけでなく、全官僚集団、とくに鄧小平ら高級幹部を傷つけた。そこで、「経済建設を中心とする」を実行することが、すでに全社会の共通の認識となっている。
文革で打倒された官僚は、造反派への怨みを心に刻み、報復するだけでなく、文革以前にもまさる特権と腐敗をやり始めた。
文革以後の中国は、まぎれもなく権力を得たものが富裕になる世界である。
毛沢東が死んだのは1976年9月9日。もう43年もたちます。今でも、毛沢東の信奉者がいるようです。もっとも同じような現象は、スターリンにも、ヒトラーにすらありますので、世の中は複雑怪奇としか言いようがありません。
本文では文化大革命の日々を具体的に振り返っていますので、なるほど、そうだったのか・・・と思うところが多々ありました。50年前の大学生時代、アメリカのベトナム反戦運動(これは少しずつ広がっている印象でした)、中国の文化大革命の推移(その情報がほとんど入ってきていませんでした)、そしてベトナムでのアメリカへの抵抗戦争(ベトナム人民の不屈の戦いに感動して身が震えていました)に、絶えず目を配っていたものです。
(2019年1月刊。2900円+税)

顔真卿伝

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 吉川 忠夫 、 出版  法蔵館
唐の顔真卿(がんしんけい)は、中国の書家として、東晋の王羲之(おうぎし)と並んで、あまりにも有名です。
先日も東京・上野で顔真卿の書画展があっていました。
顔真卿が生まれたのは、唐の中宋のとき(709年)。詩人の杜甫(とほ)も、ほぼ同じころの人です。
顔真卿には「世捨て人の趣味人」というイメージがありましたが、本当は唐の王朝で高い地位についていた高級官吏でもあったのです。
その最期は、唐王朝に叛旗をひるがえした人物に派遣されたあげくの壮絶な死でした。
唐代において顔氏は、名家だったが、政治上で華々しい活躍をしたというのではなく、あくまでも学問を家業とする一家であった。
顔真卿は、26歳のとき、高等文官資格試験である科挙試験に合格した。
安禄山が突如として挙兵し、唐政府と戦うようになった。そして、安禄山は、寝ているところを息子に殺された。ときに55歳だった。
顔真卿なる人物を知ることが出来ました。
(2019年2月刊。2300円+税)

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