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カテゴリー: ヨーロッパ

世界一空が美しい大陸・南極の図鑑

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 武田 康男、    出版 草思社
 楽しい、不思議な気持ちにさせる写真集です。南極大陸なんて、行こうと思っても簡単に行けるところではありませんが、そこで撮られた美しい写真を眺めていると、なんだか心が落ち着いてきます。なぜでしょうか・・・?
 オーロラは本当は昼間にも起きているが、人間は暗い夜しか見られない。南極の夏は白夜なので、オーロラは見られない。オーロラは太陽活動が激しいときに多く見られる。オーロラの緑色も赤色も、空気中の酸素原子が出す色である。
 オーロラは、太陽圏のプラズマ粒子(空気を帯びた粒子)が地球磁気圏のなかに入り込むことで起きる現象だ。高さ100キロメートルの空気分子にぶつかって発光している。
さまざまな色と形のオーロラが紹介されています。
 オーロラは空気が光っているので透き通り、オーロラのうしろにも星が見える。
 南極の夕焼け、そして朝焼けも素晴らしい。絶景です。
 南極の夜にダイヤモンドダストが漂う。ダイヤモンドダストの正体は、六角形の柱状の形をした雪の結晶である。表面で光を反射したり、内部で屈折したりして、さまざまな光の現象をつくる。
一度はぜひ見てみたい、夢幻的な現象です。
南極の夜空には、たくさんの人工衛星が見える。衛星の集合場所のようになっているからだ。しかも、南極では高い空に太陽光が当たりやすいために、よく見える。
 南極には、地球上の淡水の7割、氷の9割が存在している。南極大陸の氷が全部溶けて海に流れ出したら、世界の海水面は60メートルも上昇する。
うひょーっ、そうなれば、東京なんて、ほとんどが海面下ですね。まさに「日本沈没」です。といっても、すぐのことでありません。
 南極大陸に生活する人々の大変さはともかくとして、そこで撮られた写真の美しさ、不思議さに驚嘆してしまいました。ありがとうございます。著者に心よりお礼を申し上げます。
 
(2010年8月刊。1600円+税)

中世ヨーロッパ、武器・防具・戦術百科

カテゴリー:ヨーロッパ

 著者 マーティン・J・ドアティ、 原書房 出版 
 
 南フランスのカルカッソンヌにいった事があります。二重になった城壁がそっくり残っています。真夏でしたが、ちょうど雨が降り出し、膚寒さを感じるほどでした。やがて雨がやんで青空も見えてきて、いい写真が撮れました。場内のレストランで温かいカスレ(豆入りのシチューみたいなもの)を食べて身体を暖めました。もちろんワインも飲んで・・・・。この古城も、中世には騎士たちの攻防戦の舞台になったわけです。
シェイクスピアのヘンリー5世で有名なアジャンクールの戦いなど、ヨーロッパ中世の有名な戦場が図解されていて、大変分かりやすく、楽しめます。
 フランスは、勝てた戦闘を騎士たちの性急さで戦いをダメにした。一国一城の主から成る騎士たちを統率するのは王国といえども大変だった。
 その点、12世紀のイングランド王リチャード獅子心王は中世の指揮官としてはかなり異色の存在で、規律を重んじ、兵士たちに徹底させた。騎士たちは、近隣の領主より勇敢さに欠けると世間に思われるのは社会的破滅を意味していたから、彼らはみな恐ろしく向こう見ずだった。
 なーるほど、騎士が規律を守らなかったのには理由があるのですね。世間の目って、今も恐ろしいものです。
 馬はラクダの臭いや奇妙な姿におびえ、なかなか慣れることが出来なかった。ラクダに乗った兵士がいるのを見ただけで、騎兵部隊は逃げ出し、その戦闘力は落ちた。ラクダを馬が怖がったというのを初めて知りました。
戦場での戦いの推移が図示され、その当時の武器や武装が写真とともに図解されていますので、大変イメージが湧いてきます。
 騎士の多くは、自分たちが守るべきは貴族階級だけだと考えていたので、貴婦人に対しては親切で態度も丁寧だったが、農民に対しては、殴ったり、一般の女性を強姦しても、それが不適切だったという認識はなかった。
負けた敵に慈悲をかけるか。 その対象は貴族のみであり、それも思いやりというより、むしろ生け捕りして身代金目当てというのが多かった。
 モンゴルの弓騎兵は、中世を通してもっとも強力な戦闘部隊だった。替えのポニーを引き連れ、効率的に移動することができたので、かなりの距離を短時間でカバーすることができた。この戦略的な機動力のために神出鬼没の攻撃が可能だった。
真に有能な弓兵を養成するのは非常に難しく、その能力は高く評価された。弓兵は、ずっと希少価値のある存在だった。したがって報酬も良く、周囲から尊敬され、戦場でも指揮官から大切に扱われた。イングランドの弓兵は、だいたいヨーマン、つまり小規模な農場を所有する自由人だった。
 アジャンクールの戦いで、ヘンリー5世の弓兵隊は、持ち場の前に鋭い杭を打ち立てた。その杭を前へ移動させながら、軍をゆっくり進め、フランス軍に向かって攻撃を開始した。フランス軍の騎兵部隊は、イングランド投射兵部隊の前に、敗れ去った。フランス軍は100人の大貴族と諸候、1500人をこえるマン・アット・アームを失い、200人が捕虜にとられた。これに対して、イングランド側の死者は400人にすぎなかった。
 ヨーロッパ中世の戦闘の実情を知ることのできる便利な百科事典です。
(2010年7月刊。4200円+税)

ふたつの戦争を生きて

カテゴリー:ヨーロッパ

 著者 ヌート・レヴェッリ、 岩波書店 出版 
 
 この本は、イタリアにおける第二次大戦での二つの戦争、ファシズムの戦争とパルチザンの戦争についての体験記です。歴史は風化させてはいけない。そう思わせる重味のある証言になっています。
軍の側の歴史書では、人間は常に単なる員数でしかなく、兵士は人的資源とされるだけ。しかし、それは魂のない歴史、価値の低いというより、まったく無価値の歴史、もっと言えば偽りの、誤った歴史でしかない。
 私は、あるとき、軍隊では動員された兵士の人数を数えるとき、決して○○人とか、○○○名とは言わない。あくまでも、○○とか○○○といった数字のみであらわす。そこには、「人」も「名」もない。このことに気がついて愕然としたことがあります。
 この本は、そうではなく、あくまで軍人も一個の人格ある人間としての動きが如実に描かれています。著者は、そのころ20歳だったのでした。私の20歳のころと言えば、東大闘争の真最中であり、無期限ストライキのなかで授業はなく、毎日毎日、集会とデモに明け暮れていました。全共闘の暴力と対峙してヘルメットをかぶり、スクラムを組んでいました。生命の危険を感じたことはありませんでしたが、同じクラスの友人(内山田明くんと言って純朴な好青年でした)が過労から急性白血病で病死することがありました。このほかにも精神的におかしくなって入院した学友もいました。
イタリアの田舎で生まれ育った著者にとってファシズムとスポーツは同じものだった。ファシズムは枠組みと組織と競技に勝つ機会を提供してくれた。お祭気分に浸っていた。イタリア中が制服だらけだった。リボン、メダル、バッジをつけた制服があふれていた。
農村社会にファシズムは容易に浸透しなかった。山の民はファシズムになじみが薄く、政治に無関心だった。戦争になってはじめて、目を開いた。
戦争に入って、企業は大儲けした。収賄罪が横行し、腐敗が目にあまった。
 イタリアの軍部はファシズムとは距離をおいていたようです。ドイツ国防軍にナチスと距離を置く高級軍人がいたのと似ています。
 将軍は、軍の準備不足はファシズムに責任があるのであって、軍にはないと将兵に告げた。イタリア軍に入った著者は、ソ連に侵入したドイツ軍の友邦軍としてソ連に侵入していったのでした。しかし、そこは零下20度から40度という酷寒の地でした。
イタリア軍は8万5000人がそこから帰国できなかった。ソ連の捕虜となった1万人は還ってきた。戦死したと確認されたのは1万1000人。6万4000人は行方不明者となった。退却中の死か捕囚のなかで死んだのかは不明。これに対して、ドイツ軍は300万人のソ連軍捕虜を飢えと苦役で死なせた。ソ連はドイツとの戦争で2000万人の死者を出した。
 イタリアのファシスト党幹部はロシア戦線に身を投じることもなく、戦後まで多くが生きのびた。
イタリアに帰還してから、著者はナチスドイツ軍と戦うパルチザンとなったのでした。
 パルチザンの多くは、軍隊経験がなく、銃を撃ったこともなかった。その手ほどきから始めた。ナチスとの戦いもすさまじいものがあったようです。
イタリアにおいても戦争の記憶の風化は深刻であり、レジスタンスの精神は忘れ去られ、反ファシズムの危機が叫ばれて久しい。そうなんですね・・・・。大切なことは後世にきちんと語り伝えられていく必要がありますよね。
(2010年7月刊。2800円+税)

ヴェルサイユ宮殿に暮らす

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:ウィリアム・リッチー・ニュートン、出版社:白水社
 ヴェルサイユ宮殿には私も2度ほど出かけたことがあります。まさしく豪華絢爛たる玉の宮殿です。しかし、実際にそこに住む人々にとっては、とても快適とは言いがたいところだったようです。
 太陽王と言われたルイ14世の公式な食事はいかにも豪華である。ポタージュ8種、アントレ10種、ロティ4種、アルトルメ8種、サラダ2種、果物4種、コンポート6種。うむむ、なんという種類の多さでしょう。いかにルイ14世が大食漢といえども、この全部を食べきれるはずはありません。食卓の残りは、官僚から下っ端の雇われ人にまで順々に回されていった。
 ルイ13世の狩猟用の館を、国王と宮廷の宮殿へと変貌させるには、7000万リーヴルがかかった。そのうち3900万リーヴルは城館と庭、そして、ヴェルサイユの町への水利のために費やされた。
 入浴は、衛生のためというより官能的な行為と思われており、ルイ14世が「国家の広間」の下に豪華な湯殿をつくらせたのも、寵愛する女性たちとの生活のためだった。
 お風呂はあまりなかったようです。
 ルイ14世時代のヴェルサイユには274個の椅子型便器があった。問題は排泄物の処理だった。「母なる自然の汚物」を処分する場所は、ほとんどなかった。トイレの数は、そもそも宮廷に出仕している者とその召使いたちを含め、城館の人数に見あったものとはほど遠かった。
 1780年には、城館の区域に29の汲み取り槽があり、その悪臭はひどいものがあった。年に一度の大掃除が、城館からネズミを一掃するチャンスだった。
 ルイ15世の時代になって、国王の私的な居室の中に水洗式のトイレが設置された。
 照明は、ろうそくの明かりによる。ろうそくには2種類あった。白ろうそくは、食卓や寝室用で、黄ろうそくは、質の劣るろうで出来ていた。黄ろうそくは、牛脂や羊脂の燭台のような臭いや煙は出さなかったが、白ろうそくよりも早く燃え尽き、溶け崩れも多かった。1739年に開かれた大舞踏会で使われたろうそくは、2万4千本以上だった。
 マリー・アントワネットの居室の照明予算は、冬が1日あたり200リーヴル、夏が1日あたり150リーヴルだった。年額では20万リーヴルをこえる。そして、その大部分は王妃付きの2人の女官頭が懐に入れていた。
 宮殿では、使用人が何でも窓から捨てていた。それは、不潔さとひどい臭気のもとになっていて、あまりの悪臭に我慢ならず、住居を出ようとする公爵夫人たちがいた。
 王族たちも、宮殿の不潔さに不満を口にしていた。
 うへーっ、なんということでしょうか・・・。
 ヴェルサイユ宮殿には226の居室があり、そこに1000人以上もの人々が詰め込まれていた。なんということでしょう。広大な庭に比して、宮殿のほうには1000人もの人々が生活できるとは、とても思えません・・・。
 ヴェルサイユ宮殿を生活の視点から眺めてみると、こうなります。
(2010年7月刊。2400円+税)

マダガスカルがこわれる

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:藤原幸一、出版社:ポプラ社
 アイアイのいる島、マダガスカルの原生林が消滅寸前だというのです。もちろん、犯人は人間です。現地の人々が生きていくために、森を切り開いています。その結果、野性の動物も植物も生息地を奪われてしまいます。そうなんです。あのバオバブの木も次々に立ち枯れていき、また、種子が発芽して子孫を増やしていくことが出来ません。
 マダガスカルの豊富な自然な写真によくうつっているだけに、その深刻さも、ひしひしと伝わってきます。
 バオバブが本来生息する乾燥した生態系に水が引かれたことから根腐れが起きて、バオバブの木が立ち枯れている。
 マダガスカルの主食は日本と同じ米。ここにも棚田がたくさんある。しかし、森林破壊によって水田の維持が難しくなっている。マダガスカルはずっと米と輸出国だったのに、1970年以降は米の輸入国である。
 マダガスカルの人口は1999年に1572万人だったのが、2009年には、2075万人にまで激増した。10年間で人口が1.3倍に増えた。世界最貧国の一つであり、国民の60%が1日1ドル以下の生活費で暮らしている。
 こんなマダガスカルの貴重な自然をぜひとも保存・維持してほしいと思わせる本です。
(2010年5月刊。1800円+税)

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