法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: ヨーロッパ

ロッシュ村幻影

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   井本 元義 、 出版   花書院 
 仮説アルチュール・ランボーというサブタイトルのついた本です。著者は私と同じ日仏学館で学ぶフランス語仲間です。
 会社を定年で辞めてフランスに何ヶ月間か住むという優雅な生活を過ごしています。そして、ランボー研究に精進しているのですから、すごいものです。
 パリでは、安い屋根裏部屋を借りて長期滞在するとのこと。料理なんかはどうするのでしょうか。自炊なのでしょうか。
 ランボーは、1891年11月、37歳の若さで亡くなります。
 ランボーを悩ませ走らせたのでは、それが歓びとして昇華されることがあっても、荒れ狂う言葉の群れとの葛藤だった。そして片方では、新たな言葉を吸い込もうとしている砂地のように乾いた脳の奥底があった。何千冊の読書をこなしても言葉は一瞬のうちに吸い込まれた。言葉は狂乱して止むことはなかった。輝いてリズミカルに跳びはねた。目ぼしいものを見つけると、遠い彼方の空間からも言葉が飛んできた。その音に共鳴して、さらなる言葉が襲来してきた。そして規則正しく配列して決して終わろうとしなかった。独りでに言葉が口をついて出してきた。単語そのものが音と色を放った。それらを詩にして紙に書きなぐったとしても収まることはなかった。それは激しい性欲に似ていた。満たされても満たされなくても、すぐに次の衝動は起こってきた。さらに激しくなって。
 ランボーはパリ・コミューンが成立する騒乱のパリに向かった。そして、1871年5月、パリ・コミューンが弾圧され兵士が虐殺されていくなか、ランボーはパリ脱出が成功した。
 ランボー自身の心理描写と著者の心象風景が混然とした小説風のエッセイでもあります。昨年(2011年)は、アルチュール・ランボーの没後120年だったとのこと。
 アフリカの闇に11年間もランボーが沈み込んでいた謎に迫ろうとする意欲にあふれた本でもあります。贈呈いただき、ありがとうございました。
(2011年10月刊。1800円+税)

ソハの地下水道

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   ロバート・マーシャル 、 出版   集英社文庫  
 「シンドラーのリスト」と同じように、実話にもとづいた映画の原作です。まだ映画はみていませんが、ポーランドの小都市の地下水道に、子どもを含むユダヤ人11人がポーランド人の労働者に助けられて、ナチス・ドイツが撤退するまで14ヵ月も隠れていたというのです。すごい話です。早く映画をみてみたいと思いました。
 場所は現在のウクライナです。当時はポーランドの領内でした。ルヴフという小さな都市です。
 彼らは1943年6月1日に下水道に入り、1944年7月28日に地上へ出てきた。この間の14ヵ月を下水道で過ごした。どうやって・・・?
 ユダヤ人たちは地下室の床を掘り下げていき、下水道に出ようという作業が始まった。石灰岩のブロックを少しずつ削りとり、ついに縦坑が貫通した。下水道に通じることが出来た。そして、そこで下水道を管理しているポーランド人労働者と出会った。
 「力を貸すことはできるが、タダで、というわけにはいかない」
 「あんたらを密告すれば、ヒーローだ。ところが助けようとしても、もしそれが見つかったら・・・」
 「銃殺なんてものではない。女房も子どもも街頭の柱から吊されるんだよ」
こんなやりとりでも、結局、ポーランド人労働者は密告しませんでした。
ナチスがユダヤ人絶滅作戦を開始した。縦坑の存在を聞きつけたユダヤ人が続々と地下室に集まってきた。そして、次々に地下水道へ逃げ込んでいく。総数は400人から500人。でも、地下水道を流れる川におぼれ死んだり、我慢できずに地上に出て、次々に死んでいった。それでも100人は残った。いったい、100人もの人間が狭い都市の地下水道にいつまで隠れておれるものか・・・。
 ポーランド人は労働者のリーダーであるソハは4日目、70人以上の人間が地下水道にいる現実を知って、話したいと言ってきた。とても面倒みきれないのは当然だ。もっと人数を減らさなければ協力できないという。12人以下でないと無理だ。どうするか・・・。
 ヒゲルたちユダヤ人がポーランド人労働者のソハに支払ったのは、1日あたり500ズウォティ。当時の労働者の平均月収は200ズウォティ。下水道労働者だと150ズウォティ。だから、月収に等しい額を、毎日、ソハはもらっていたことになる。
でも、ソハは500ズウォティのなかから21人分の食料を危険覚悟で調達してこなければいけないのだ。
 本当にすごいことですよね。とてもお金ほしさだけでやったなんて思えません。恐らく、このユダヤ人グループのなかに2人の幼い子どもがいたのが良かったのでしょうね。
 ソハは、やってくると、子どもたちに自分の昼めし(パンやソーセージなど)を分けてやっていた。
 やがて、グループのなかにいさかいが起きます。そして一方のグループは、地下水道の暗闇から地上へ出ていくのです。もちろん地上に出たところで全員が殺されます。
 ところが、一人、地上に出て「取引」に成功する仲間もいるものです。ここらあたりが、人間の不思議なところです。地上の町と地下水道を行き来できる仲間もいるのでした。そのうえ、なんと、地下水道で出産する女性までいました。でも、赤ちゃんは無惨にも仲間に殺されてしまいます。その泣き声が困るからです。
なぜ、ポーランド人労働者がユダヤ人グループを1年以上も生命がけで助けたのか。お金だけでは決して説明がつかない。なぜなら、ユダヤ人たちはお金を途中で使い果たしてしまったから。
 ソハは、このとき、生まれて初めて他人から信頼の証を見せられたと感じた。それも、学があり、時代が時代なら、社会的名声もある紳士から、信用のおける人間だと思われた。これには、単なるお金以上の価値があり、それだけで、ヒゲルとその仲間たちが社会の追放者以上の存在に見えてきたのだろう。ソハにとって、ヒゲルとの関係はお金に代えがたい価値があるものだった。うむむ、なるほど、人間って複雑な存在ですよね。
 解放される寸前には、ロシア兵まで地下水道にやってきた。脱走ロシア兵だ。このロシア兵を逃したら、まだ残っているナチスにユダヤ人グループの存在がバレてしまう。ロシア兵を監視した。決して逃すわけにはいかない。
 このように最後の最後まで、地下水道では緊迫した状況が続いていきます。それでも、子ども2人をふくめて11人が助かるのでした。すごい実話です。ほっと胸をなでおろします。そして、ソハはどうなるのか、また、ヒゲルたちは・・・。ぜひ本書を読み、また映画もみてください。
(2012年8月刊。720円+税)

フランス・プロテスタントの反乱

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   カヴァリエ 、 出版    岩波新書 
 カミザール戦争の記録というサブ・タイトルのついた部厚い文庫本です。
 南フランスに行ったのは、私がまだ50代のときでした。弾圧された異端キリスト教徒として有名なアルビジョワ派の本拠地であるアルビにも行きました。この本は、その南フランスで起きたカトリック教徒によるプロテスタント弾圧のなかで、反乱に立ちあがったプロテスタントの動きを紹介しています。いつの話かと思うと1700年ころのことです。フランス大革命が起きたのは1789年ですから、わずか80年か90年ほど前のことなのでした。
 この本を読むと、キリスト教って本当に寛容な宗教なんて言えないよね、とついつい思ってしまいます。だって、同じキリスト教徒なのに、ローマ教皇の支配下にあるかないかだけで、残酷な殺しあい延々と続けるのですからね。これって、宗教の嫌らしさそのものですよね。
カミザール戦争とは何か。本のオビには、次のように書かれています。
 18世紀初頭、南フランスのセヴァンヌ地方でプロテスタントの農民が宗教の自由を要求して蜂起し、国王軍と戦った反乱について、その指揮官であったカヴァリエが遺した回想記。農民が10倍をこえる正規軍を敵にまわして、いかに戦ったかを生きいきと伝える。
 セヴァンヌ地方というのは、南フランスのマルセイユに近い地方です。
 1598年、アンリ4世がナント王令を発布し、フランスにおける宗教戦争に終止符をうったのでした。ところが、その孫に当たるルイ14世(太陽王と呼ばれました)は、1685年、ナント王令を廃棄し、国内のプロテスタントの徹底的な弾圧に転じたのです。ところが、新教徒人口の密度の高いセヴァンヌ地方では弾圧も抵抗も苛烈だった。2000人ほどの農民が、2万5000をこえるフランス国王の派遣した正規軍と2人の元師を敵にまわして2年あまり、いかに戦ったかカヴァリエは記録した。セヴァンヌの蜂起がなかったら、プロテスタントはフランスで存続しえなかったであろう。
 セヴァンヌ戦争は、プロテスタントたちが未曾有の固い決意をもって、自分の子どもをカトリックのプロパガンダから守ったことを明らかにした。セヴァンヌ戦争は、政治とは無縁で、単に信仰の自由の擁護のみが惹起した戦いだった。
 ルイ14世によるナント王令廃棄のあと、監獄ガレー船はプロテスタントで一杯になった。死刑台と絞首台は、プロテスタントの血で汚れた。これほど恐ろしい残虐行為は、プロテスタントの敵にとって不利になり、それだけプロテスタントに有利になった。というのは、それまではプロテスタントの仲間に加わる気などなく、静かに自分の家で暮らしていた人たちが、もはや誰ひとり安全ではないと知って、ためらうことなくプロテスタントの戦列に加わったからである。そこで、プロテスタントの軍営は人数が増え、強力になった。
フランスの山岳地帯において、第二次大戦中のナチス・ドイツ軍に対するレジスタンス運動さながらの抵抗闘争を展開していたプロテスタントたちの実情がよく伝わってくる本です。
 私も、一度、ナント王令が出たナントに行ってみたいなと思っています。
(2012年2月刊。1320円+税)

スペインのユダヤ人

カテゴリー:ヨーロッパ

著者    エリー・ケドゥリー 、 出版    平凡社 
 中世ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害史です。
 1492年、ユダヤ人はスペインから追放された。まもなく、ポルトガルからも追放された。そのころ、ユダヤ人は、イベリアの諸国王の中で卓越した地位を得ていた。資金の提供者として、また徴税官として財政面で中心的な役割を担った。社会生活全般に関与し、都市でも農村でも、追放される直前まで、あらゆる生活の場にユダヤ人はいた。
1492年3月、フェルナンドイザベルによってユダヤ人追放令が出された。
 15世紀のスペインにはコンベルソがいた。コンベルソとは、宗教的理由による迫害と、まさに追放を逃れるために改宗した人々である。
ユダヤ人追放令は、1391年。暴動に始まる一連の事件の最終結末だった。恐怖と迫害のなかで、多くのスペインのユダヤ人がキリスト教に改宗した。
 スペインの異端審問所の判決は大変に厳しかった。有罪であるとされたコンベルソには死刑が言い渡されることがあった。そして、有罪判決は、有罪とされた人物の財産を国益のために没収することを意味した。
 1481年から1488年のあいだに700人以上のコンベルソが火焙りとなり、5000人以上が教会と和解した。スペインの異端審問が廃止されたのは1834年のこと。1808年までに、3万2000人の異端者が火刑になったと推定されている。その大部分がコンベルソであったと思われる。
火刑になると分かっていても、自分の信仰は捨てなかった人が、こんなにいたのですね・・・。驚きます。それにしても25年間で3万2000人の火刑だなんて、1年間にすると1280人。1ヵ月に100人以上だなんて、いくらなんでも大変な火刑ですよね。
ポルトガルの王は、ユダヤ人を一括して強制的に改宗したことにした。だから、ポルトガルのユダヤ人全体が一気に新キリスト教徒になった。こうした緊急避難的な改宗のために、ポルトガルでは、ユダヤ教の知識・伝統・社会的ネットワークが、禁圧と秘密主義の被いの下に生き残った。
16世紀末から、アムステルダムに、ポルトガルのユダヤ人たちが定住し、なんの妨げもなくユダヤ教が許された。ポルトガルからオランダに逃れてきた隠れユダヤ教徒は、新キリスト教徒として1世紀以上も暮らしたあと、真のユダヤ教にもとづくユダヤ人共同体をアムステルダムに再建することができた。
ユダヤ人がスペインの国庫と金融業の大半を支配したというのは誤解である。しかし、その一方、最有力のユダヤ人が他の追随を許さない技術力と才覚をもっていたことも事実である。金融業の才覚のまったくないユダヤ人もいたし、キリスト教徒の金融業者もたしかに存在した。
 ユダヤ人は、生まれながらにしてキリスト教徒以上の金融業者として才覚を有していたわけではなかった。しかし、親族関係に支えられて金融業に携わったので、一度この業務に習熟すると、その才能は代々継承されていった。
 「奴隷」としてのユダヤ人は、しばしば王権の保護下に置かれ、ユダヤ人共同体は内政面での広範な自治権を保障された。
 15世紀初めのスペインのアラゴン王の宮廷にはユダヤ人の用人たち、金融家。占星技術士師、ライオン使い、医者がいた。15世紀のスペインにおいて、都市ではユダヤ人の徴税請免人や医者はごく普通の存在だった。
 1492年以前から、側近にユダヤ人の財務官や医者を抱えていた国王は、1492年以降も改宗したユダヤ人を顧問官に置き、1508年には、行政におけるコンベルソへの信頼を公然と表明している。反ユダヤ主義はイベリア社会で持続した。だが、追放令の目的は、ユダヤ人を排除することではなく、彼らを強制的に教会のメンバーに入れさせることだった。コンベルソの企業家たちは、新世界、アフリカ、そして極東に支店を置き、香料、砂糖、コーヒー、カカオ豆、奴隷プロゲード、刺繍製品その他を輸入し、取引した。
コンベルソは、どこにいっても異端審問所に追いかけられた。異端審問所は、メキシコシティー、リマー(ペルー)、コロンビア、ブラジルそしてゴアに裁判所をもっていた。
イベリア半島からのユダヤ人追放令のもっとも恐るべき結果は、コンベルソの増加にあった。多くのユダヤ人は流涙の民になるより残留を選択した。スペインのキリスト教徒は、異端審問所を介して改宗者を以前の宗教であるユダヤ教から完全に引き離そうと努めた。
 しかし、コンベルソは、このあと3世紀にわたって、常にフダイサンテ、つまり隠れユダヤ教徒として多くの人々から疑惑の目で見られた。
 1494年から1530年にバレンシアで有罪判決を受けた1997人のうち909人(45.5%)は死刑が宣告され、うち754人は実際に処刑された。多数のフダイサンテが現実に存在していた。
 また、貴族のメンバーで、コンベルソの先祖をもたない者はほとんどいなかった。
 キリスト教徒とユダヤ人との意外に微妙な関係を知ることができる本でした。
(1995年12月刊。2816円+税)
 一日ゆっくり神田の書店街を歩いてきました。今回は、古書店はざっと眺めるだけにして、新書を売る大きな店に入りました。福岡にも、もちろんありますが、あまりにも大きな書店に入ると、大量の本に圧倒されて、かえっていい本にめぐりあわないことがあります。神田の裏通りにある本屋は独特の並べ方をしていて、ここには何かいい本に出会える、そんな期待をもたせてくれます。
 いい本は背文字で訴えてきます。それが手積みされていて、表紙まで見れたら、強烈な自己アピールを感じます。そのオーラを感じたらすぐに手を伸ばし、手にとってみます。写真があったら、それを眺め、目次をみて、ぱらぱらと本文をめくってみます。
 感じるときには、もう手放せません。勘定場に直行します。あのとき、買っておけばよかったなんてあとで後悔しないようにするためです。

ネゴシエイター

カテゴリー:ヨーロッパ

著者    ベン・ロペス 、 出版    柏書房 
 さすが、交渉のプロは目のつけどころが違うなと感嘆しながら読んだ本です。テーマは身代金目的の誘拐事件で、犯人といかに冷静に交渉するか、というものです。
 誘拐事件は、毎年2万件が報告され、当局に通報されるのは1割のみ。
誘拐事件の半数以上がラテンアメリカで起きている。メキシコでは毎年7000件の誘拐事件が報告されている。実際には、もっと多い。コロンビアでは1日に10件の誘拐事件が発生している。
 ラテンアメリカで救出作戦によって無事に生還する人質は21%。誘拐事件の7割は身代金の支払いで解決している。力ずくでの人質救出は10%のみ。誘拐は、ウィークデイの午前中、被害者の自宅ないし仕事場あたりで起きる。
 誘拐の被害にあうのは地元の人間であって、海外居住者や旅行者ではない。
ロンドンでは、誘拐に備える保険の保険料が年間1億3000万ドルにもなる。ブラジルは、年間の誘拐発生件数が世界第3位。サッカー選手の家族が狙われるようになった。
 ネゴシエイター(交渉人)には、破るべからず大切な二つの黄金律がある。一つは銃を使わないこと。二つ、自分自身で交換をおこなわないこと。
現場に出た交渉人は待つことに耐えなくてはならない。誘拐犯がもつ最強の武器の一つが待たせること。誘拐犯が再び連絡してくるまで、何週間もかかることがある。数ヶ月あるいは数年ということもある。たいていの場合、待つのは拷問に等しく、コンサルタントに大きなプレッシャーがかかる。しかし、どんなときにもどっしりかまえていなければならない。少なくとも、そう見えるようでなくてはいけない。
交渉人は話し上手でなければならないと思われている。しかし、もっと重要なことは、聞き上手であること。電話で、向こうの言うのに耳を傾けることだ。
睡眠を奪うことは、誘拐犯が使用できる、きわめて効果的な拷問手段だ。
 人質は、たいてい、もっとも基本的な人間の機能を奪われる。そして内に秘めた不屈の精神をくじかれる。もし、誰かを手なずけたければ睡眠を奪うのが、何よりてっとり早く、有効な方法だ。
個人富裕層を狙った誘拐は、かなり高度な計画が求められる。犯罪者たちは、時間をかけて標的となる人物の習慣や日課、警備状況などの情報を集める。
交渉人として事件を担当することを合意して最初にすることは何か?それは、小便である。合意した瞬間から、次はいつ小便するチャンスがあるか分からないからだ。
スケジュールはサディスト的にすさまじいものになり、全エネルギーと時間を事件の解決に集中させることになる。交渉人のいる部屋は、危機管理室となり、一般人の立ち入り禁止、鍵がかかり、無期限で24時間つかえ、電話とインターネットがつながっていて、コンピュータープリンターそれから、たくさんの電源ソケットがあり、誘拐犯との会話はすべて録音できることが必要だ。さらには、防音装置のあることが望ましい。
 生存確認のもっとも良い方法は、電話で人質と話すこと。人質しか答えを知りえない質問する。
 決して、こちらから電話を切らない。常に誘拐犯が電話を切るのを待つ。彼らが切り忘れる可能性があり、いつの間にか犯人たちの個人的な話が聞こえてきて、交渉の場で優位に立てるかもしれないからだ。
 交渉人は、ふつうは誘拐犯の言い値の10%にまで下げさせる。時間は交渉人の味方である。
 誘拐犯との交渉を指揮官にさせてはならない。その下位にいるものなら、「まずボスに相談しなければ・・・」と言って牛歩戦術を使える。
なーるほど、誘拐犯との交渉にあたる交渉人が職業として成り立つ理由がよく理解できました。
(2012年7月刊。2200円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.