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カテゴリー: ヨーロッパ

心に入り込む技術

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   レオ・マルティン 、 出版   阪急コミュニケーションズ 
 元ドイツの情報局がドイツ・マフィアにスパイを潜入させる工夫を語っています。人間の弱点を巧みについた心理作戦が駆使されていて、大変勉強になりました。
コミュニケーションには、必ず意図がある。何かを言う、または何かをするのは、相手にそれを伝えるためだ。思考は必ず身体に表れる。
人と出会うとき、人は、とても繊細なアンテナを使って、相手の内面と外面が一致しているかどうかをチェックする。言葉や表情がうわべだけではないかどうかを感じとる。思考と行動が一致していれば、その人は調和を発散する。それは相手に好感を与え、信頼感につながる。この人なら信頼して大丈夫。そう、青信号に変わるのだ。
 犯罪学における成功の秘訣の第一は、相手に対する心からの興味である。
 圧力や脅しや強要によって、実りのある長期的な関係を築くことは出来ない。おカネは動機としては、あまり効果がなく、長期的な動機にはなりえない。おカネで情報を買えば、むしろ害になる可能性が大きい。
 安心感、愛情、称賛・・・、これが、誰もが望む基本的な欲求だ。
接触の段階は、初めて視線が出会ったときに始まる。細部の細部まで計画された接触の瞬間に、自然で無意識な印象を与えるのが肝心だ。そして、気持ち楽にして、ほほ笑む。そうすれば楽しい会話がもっと魅力的になる。屈託のない誠実な笑顔を見れば、相手は警戒を解くだろう。
 会話の初めに避けたほうがいいのは、陳腐な決まり文句、笑顔、政治である。無味乾燥で、退屈で、ぎこちないので、気楽で軽い接触に向かない。
 あれこれ質問すると、相手はいぶかしく感じる。
 なるべく人の名前は記憶する。そして、会話をうまく進めるポイントの一つは、共通の体験だ。身体をやや前に乗り出し、視線を相手に向け、適宜うなずく。相手の言った内容をときどき自分の言葉で要約したり、質問を入れたりして、理解していることを表明する。
 人間関係の根底にある前提は責任だ。自分は頼りになるパートナーだと最初から示すこと。一度だけ、これ見よがしに見せるのではなく、繰り返し示す。
 信頼関係を築くためには、やると言ったことは必ず実行する、要求されなくても、進んで約束し、それを必ず守る。
 組織犯罪の世界にいる人間には感情の動きを失ってしまった人間が多い。この世界で暮らそうとすると、そうなってしまう。結果として、顕著なエゴイズムと権力欲、冷淡と無情につながる。大切なのはビジネスだけ。何を犠牲にしようとかまわない。商売の邪魔になるなら。人命すら価値をもたない。
 価値体系は一夜にしてできたのではない。経験とともに生育し、徐々に適応してきた。社会的な境界をこえるたびに、境界の壁は低くなる。
マフィアから復帰した人たちは、心を揺さぶる体験がその価値体系を根底から変えたことによる。子どもの誕生、重い病気、親しい人の死など・・・。これらが方向転換を促し、その結果として思いがけず再び犯罪組織の外で生活することになる。
 相手が嘘を言っているのではないかと薄々感じても、相手の面目をつぶさないように気をつける。相手を面と向かって非難して、袋小路に追いつめられたように感じさせても、得るものは何もない。
 情報局と協働する情報提供者は、緊張度が極度に高い領域で活動している。
 犯罪組織の波にもまれた筋金入りの人間ですら、裏切りは身にこたえるのだ。その罪悪感を理性で追い払うことはできない。そして、罪悪感には大きな不安が伴う。
 そこで、相手に質問を投げかけて、その後しばらく、そっとしておくのが、もっとも効果的な方法だ。
 信頼関係は一方通行では成立しない。互いに相手をよく知り、相手が何を保障してくれるかを理解することが前提となる。
スパイ獲得大作戦の手法なのでしょうが、人間心理をよく衝いていると驚嘆したことでした。
(2012年9月刊。1600円+税)

アンネ、私たちは老人になるまで生きのびられた

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   テオ・コステル 、 出版    清流出版
 オランダに住むユダヤ人のアンネ・フランクとクラスメートだった人たちが65年たって集まったのでした。アンネと同じ中学校に通ったのです。
 このユダヤ人中学校の建物は今もあり、現在は理容美容専門学校として使われている。ユダヤ人中学校の生徒たちは、半数が戦争を生き残ることができた。しかし、オランダのユダヤ人全体でみると、その数はわずか2割だ。裕福であること、コネがあること、頼られる友人がいることが、ある程度までは生き残る助けになった。
アンネはアンネ・フランクという呼び方が好きだった。
アンネが自分の家で開いた誕生パーティーのときには、アメリカの映画の「名犬リンチンチン物語」が上映された。
 アンネには、いつも男の子の友だちがたくさんいた。アンネは胡椒みたいな、おしゃまな女の子だった。教室でのアンネは、教師から指名されなくても平気で勝手に発言するような、生意気な女の子だった。
  アンネはとても活発な子だった。いつも人の輪の中心にいたがっていた。注目を集めるのが大好きだった。正直なところ、アンネは、どこにでもいる普通の女の子だと思っていた。アンネは、正直で一風変わった女の子。アンネは大人っぽくて、しっかりしていた。
あの年代の女の子が、友だちから引き離され、植物や動物からも引き離され、実際すべてのものから引き離されて、大人ばかりに囲まれた環境に身を置くと、いろいろなことが一気に成長するもの。あの特殊な環境のせいでアンネは急速に成長せざるをえなかった。だから、作家としての才能も一気に花開いた。アンネの文章は美しく、とても十代の少女が書いたものとは思えない。
 イギリスに亡命したオランダの政権の教育大臣は、ラジオで日記のような証言記録を残すことを呼びかけた。アンネは、呼びかけに答えて日記を書きはじめた。
 強制収容所ベルゲン・ベルゼンで、アンネはチフスと想像を絶する飢えに苦しみながら4ヵ月のあいだ生き抜いた。そして、1945年3月、解放のわずか数週間前に亡くなった。15歳だった。
 「アンネフランクのクラスメート」というドキュメンタリー映画がつくられたようです。みてみたいものです。読んでいるうちに、なんとなく元気の出てくる、いい本でした。
(2012年8月刊。1600円+税)

ロッシュ村幻影

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   井本 元義 、 出版   花書院 
 仮説アルチュール・ランボーというサブタイトルのついた本です。著者は私と同じ日仏学館で学ぶフランス語仲間です。
 会社を定年で辞めてフランスに何ヶ月間か住むという優雅な生活を過ごしています。そして、ランボー研究に精進しているのですから、すごいものです。
 パリでは、安い屋根裏部屋を借りて長期滞在するとのこと。料理なんかはどうするのでしょうか。自炊なのでしょうか。
 ランボーは、1891年11月、37歳の若さで亡くなります。
 ランボーを悩ませ走らせたのでは、それが歓びとして昇華されることがあっても、荒れ狂う言葉の群れとの葛藤だった。そして片方では、新たな言葉を吸い込もうとしている砂地のように乾いた脳の奥底があった。何千冊の読書をこなしても言葉は一瞬のうちに吸い込まれた。言葉は狂乱して止むことはなかった。輝いてリズミカルに跳びはねた。目ぼしいものを見つけると、遠い彼方の空間からも言葉が飛んできた。その音に共鳴して、さらなる言葉が襲来してきた。そして規則正しく配列して決して終わろうとしなかった。独りでに言葉が口をついて出してきた。単語そのものが音と色を放った。それらを詩にして紙に書きなぐったとしても収まることはなかった。それは激しい性欲に似ていた。満たされても満たされなくても、すぐに次の衝動は起こってきた。さらに激しくなって。
 ランボーはパリ・コミューンが成立する騒乱のパリに向かった。そして、1871年5月、パリ・コミューンが弾圧され兵士が虐殺されていくなか、ランボーはパリ脱出が成功した。
 ランボー自身の心理描写と著者の心象風景が混然とした小説風のエッセイでもあります。昨年(2011年)は、アルチュール・ランボーの没後120年だったとのこと。
 アフリカの闇に11年間もランボーが沈み込んでいた謎に迫ろうとする意欲にあふれた本でもあります。贈呈いただき、ありがとうございました。
(2011年10月刊。1800円+税)

ソハの地下水道

カテゴリー:ヨーロッパ

著者   ロバート・マーシャル 、 出版   集英社文庫  
 「シンドラーのリスト」と同じように、実話にもとづいた映画の原作です。まだ映画はみていませんが、ポーランドの小都市の地下水道に、子どもを含むユダヤ人11人がポーランド人の労働者に助けられて、ナチス・ドイツが撤退するまで14ヵ月も隠れていたというのです。すごい話です。早く映画をみてみたいと思いました。
 場所は現在のウクライナです。当時はポーランドの領内でした。ルヴフという小さな都市です。
 彼らは1943年6月1日に下水道に入り、1944年7月28日に地上へ出てきた。この間の14ヵ月を下水道で過ごした。どうやって・・・?
 ユダヤ人たちは地下室の床を掘り下げていき、下水道に出ようという作業が始まった。石灰岩のブロックを少しずつ削りとり、ついに縦坑が貫通した。下水道に通じることが出来た。そして、そこで下水道を管理しているポーランド人労働者と出会った。
 「力を貸すことはできるが、タダで、というわけにはいかない」
 「あんたらを密告すれば、ヒーローだ。ところが助けようとしても、もしそれが見つかったら・・・」
 「銃殺なんてものではない。女房も子どもも街頭の柱から吊されるんだよ」
こんなやりとりでも、結局、ポーランド人労働者は密告しませんでした。
ナチスがユダヤ人絶滅作戦を開始した。縦坑の存在を聞きつけたユダヤ人が続々と地下室に集まってきた。そして、次々に地下水道へ逃げ込んでいく。総数は400人から500人。でも、地下水道を流れる川におぼれ死んだり、我慢できずに地上に出て、次々に死んでいった。それでも100人は残った。いったい、100人もの人間が狭い都市の地下水道にいつまで隠れておれるものか・・・。
 ポーランド人は労働者のリーダーであるソハは4日目、70人以上の人間が地下水道にいる現実を知って、話したいと言ってきた。とても面倒みきれないのは当然だ。もっと人数を減らさなければ協力できないという。12人以下でないと無理だ。どうするか・・・。
 ヒゲルたちユダヤ人がポーランド人労働者のソハに支払ったのは、1日あたり500ズウォティ。当時の労働者の平均月収は200ズウォティ。下水道労働者だと150ズウォティ。だから、月収に等しい額を、毎日、ソハはもらっていたことになる。
でも、ソハは500ズウォティのなかから21人分の食料を危険覚悟で調達してこなければいけないのだ。
 本当にすごいことですよね。とてもお金ほしさだけでやったなんて思えません。恐らく、このユダヤ人グループのなかに2人の幼い子どもがいたのが良かったのでしょうね。
 ソハは、やってくると、子どもたちに自分の昼めし(パンやソーセージなど)を分けてやっていた。
 やがて、グループのなかにいさかいが起きます。そして一方のグループは、地下水道の暗闇から地上へ出ていくのです。もちろん地上に出たところで全員が殺されます。
 ところが、一人、地上に出て「取引」に成功する仲間もいるものです。ここらあたりが、人間の不思議なところです。地上の町と地下水道を行き来できる仲間もいるのでした。そのうえ、なんと、地下水道で出産する女性までいました。でも、赤ちゃんは無惨にも仲間に殺されてしまいます。その泣き声が困るからです。
なぜ、ポーランド人労働者がユダヤ人グループを1年以上も生命がけで助けたのか。お金だけでは決して説明がつかない。なぜなら、ユダヤ人たちはお金を途中で使い果たしてしまったから。
 ソハは、このとき、生まれて初めて他人から信頼の証を見せられたと感じた。それも、学があり、時代が時代なら、社会的名声もある紳士から、信用のおける人間だと思われた。これには、単なるお金以上の価値があり、それだけで、ヒゲルとその仲間たちが社会の追放者以上の存在に見えてきたのだろう。ソハにとって、ヒゲルとの関係はお金に代えがたい価値があるものだった。うむむ、なるほど、人間って複雑な存在ですよね。
 解放される寸前には、ロシア兵まで地下水道にやってきた。脱走ロシア兵だ。このロシア兵を逃したら、まだ残っているナチスにユダヤ人グループの存在がバレてしまう。ロシア兵を監視した。決して逃すわけにはいかない。
 このように最後の最後まで、地下水道では緊迫した状況が続いていきます。それでも、子ども2人をふくめて11人が助かるのでした。すごい実話です。ほっと胸をなでおろします。そして、ソハはどうなるのか、また、ヒゲルたちは・・・。ぜひ本書を読み、また映画もみてください。
(2012年8月刊。720円+税)

フランス・プロテスタントの反乱

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著者   カヴァリエ 、 出版    岩波新書 
 カミザール戦争の記録というサブ・タイトルのついた部厚い文庫本です。
 南フランスに行ったのは、私がまだ50代のときでした。弾圧された異端キリスト教徒として有名なアルビジョワ派の本拠地であるアルビにも行きました。この本は、その南フランスで起きたカトリック教徒によるプロテスタント弾圧のなかで、反乱に立ちあがったプロテスタントの動きを紹介しています。いつの話かと思うと1700年ころのことです。フランス大革命が起きたのは1789年ですから、わずか80年か90年ほど前のことなのでした。
 この本を読むと、キリスト教って本当に寛容な宗教なんて言えないよね、とついつい思ってしまいます。だって、同じキリスト教徒なのに、ローマ教皇の支配下にあるかないかだけで、残酷な殺しあい延々と続けるのですからね。これって、宗教の嫌らしさそのものですよね。
カミザール戦争とは何か。本のオビには、次のように書かれています。
 18世紀初頭、南フランスのセヴァンヌ地方でプロテスタントの農民が宗教の自由を要求して蜂起し、国王軍と戦った反乱について、その指揮官であったカヴァリエが遺した回想記。農民が10倍をこえる正規軍を敵にまわして、いかに戦ったかを生きいきと伝える。
 セヴァンヌ地方というのは、南フランスのマルセイユに近い地方です。
 1598年、アンリ4世がナント王令を発布し、フランスにおける宗教戦争に終止符をうったのでした。ところが、その孫に当たるルイ14世(太陽王と呼ばれました)は、1685年、ナント王令を廃棄し、国内のプロテスタントの徹底的な弾圧に転じたのです。ところが、新教徒人口の密度の高いセヴァンヌ地方では弾圧も抵抗も苛烈だった。2000人ほどの農民が、2万5000をこえるフランス国王の派遣した正規軍と2人の元師を敵にまわして2年あまり、いかに戦ったかカヴァリエは記録した。セヴァンヌの蜂起がなかったら、プロテスタントはフランスで存続しえなかったであろう。
 セヴァンヌ戦争は、プロテスタントたちが未曾有の固い決意をもって、自分の子どもをカトリックのプロパガンダから守ったことを明らかにした。セヴァンヌ戦争は、政治とは無縁で、単に信仰の自由の擁護のみが惹起した戦いだった。
 ルイ14世によるナント王令廃棄のあと、監獄ガレー船はプロテスタントで一杯になった。死刑台と絞首台は、プロテスタントの血で汚れた。これほど恐ろしい残虐行為は、プロテスタントの敵にとって不利になり、それだけプロテスタントに有利になった。というのは、それまではプロテスタントの仲間に加わる気などなく、静かに自分の家で暮らしていた人たちが、もはや誰ひとり安全ではないと知って、ためらうことなくプロテスタントの戦列に加わったからである。そこで、プロテスタントの軍営は人数が増え、強力になった。
フランスの山岳地帯において、第二次大戦中のナチス・ドイツ軍に対するレジスタンス運動さながらの抵抗闘争を展開していたプロテスタントたちの実情がよく伝わってくる本です。
 私も、一度、ナント王令が出たナントに行ってみたいなと思っています。
(2012年2月刊。1320円+税)

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