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カテゴリー: ヨーロッパ

夜の記憶

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  澤田 愛子 、 出版  創元社
 私は残念なことにアウシュビッツに行ったことがありません。一度はナチス・ドイツの狂気の現場にたって実感したいと思っているのですが、その機会がありませんでした。
 この本は、日本人の女性教授がホロコースト生還者に体当たり取材した証言録を集めたものです。
 サイバー12人が、決して忘れてはならないとして、自分の体験を語っていますので、重味があります。ホロコーストとは、ユダヤ人の大虐殺を示す言葉です。イスラエルではホロコーストよりも、ヘブライ語で絶滅を意味するショアーが使われているそうです。私はみていませんが、記録映画『ショアー』がありました。
 ホロコースト・サバイバーとは、ホロコーストで生き残ったユダヤ人を指し示す言葉。収容所を生き残った人、ゲットーを生き延びた者、森林でパルチザン活動をしながら隠れていた者、あるいは民家に匿われたり、納屋など場所を転々と移動して逃げていた者、あるいはキリスト教徒になりすましながら生活して難を逃れた者、さらには地下組織に加わって反ナチ抵抗運動をして生き延びた者など、実に多様な人々がサバイバーにふくまれる。
有名なアンネ・フランクと幼稚園も小学校も一緒だったという人もサバイバーとして取材に応じています。
 アンネの最後の声は、本当に崩れきってしまった声だった。
 死の医師として有名なメンゲレの選別から逃れた体験談が次のように語られています。
 メンゲレがやってきたとき、心の中で絶対死なないぞと念じながらメンゲレをぐっと睨み返した。するとメンゲレは私と目が合ったにもかかわらず、私を選ぶことなく通り過ぎていった。
 メンゲレはいろんな基準で選別した。たとえば、やせすぎている人、傷のある人は、たいていガス室送りになった。そして、びくびくしている人もときどき選ばれた。
 収容所の中で生き延びるために大切だったことの一つに、シャワーを浴びるというのがあった。身の清潔を守るために、どんなに寒くてもシャワーを浴びるということはとても大切なことだった。
 収容所では伝染病や皮膚病に冒され得た者はまっ先にメンゲレに選別され、ガス室に送られた。収容所では皮膚病が流行っていた。その皮膚病に効く薬を手に入れるために、マーガリンやパンを交換に出した。二日間、何も食べなくても薬を手に入れるのを優先させた。
 収容所のなかで歌姫として有名になって生き延びた女性もいました。
みんなで歌っていたときに感じたのは、自分は親を奪われたけど、歌だけは奪われなかったという思いだった。そのとき、歌をうたったことによって、自分はまだ人間として生きているんだという気持ち、そして希望を持とうという意思が湧いてきた。そのときから、歌が私の希望になった。私は歌うまで、みんなの眼差しは死んだ人のようだった。でも、私が歌いはじめるとその眼がどんどん輝きを増していく。それをみて、私は歌がどれほど人々に希望を与えるのか、つくづく感じた。ゲットー、そして収容所と、私はずっと歌い続けた。
 本当に、決して忘れてはいけない歴史だと思いました。
(2005年5月刊。3200円+税)
 朝、さわやかなウグイスの鳴き声を聞きました。いよいよ春到来です。初めのうちは下手な歌ですが、そのうち、長く、ホーホケキョと澄んだ声を聞かせてくれます。
 まだまだ寒い日が続きますが、チューリップのつぼみが庭のあちこちに頭をのぞかせています。
 春到来で困るのは、花粉症です。、目が痛痒くて、鼻が詰まり、ティッシュを手離せません。夜、寝ているときに口をあけているので、ノドがやられてしまいます。

「イエルサレムのマイヒマン」

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  ハンナ・アーレント 、 出版  みすず書房
 映画『ハンナ・アーレント』をみました。冒頭のマイヒマンが拉致され、トラックに連れ込まれるシーンは史実に即しています。
 アイヒマン逮捕には、有名なヴィーゼンタールは関わっていないようです。『ナチス戦争犯罪人を追え』(ガイ・ウォルターズ。白水社)はアインヒマンがイスラエルのモサド(秘密諜報機関)に拉致されるまでの苦労話を明らかにしています。
 アインヒマンは1960年5月11日、アルゼンチンで捕まり、1961年4月からイスラエルで裁判が始まり、1961年12月15日に終わった。そして1962年5月31日に絞首刑が執行され、6月1日には死体が焼かれて、その灰は地中海にまかれた。
 先の本では、ハンナ・アーレントとは違った評価がなされています。アインヒマンは優秀なオルガナイザーであり、決して凡庸ではなかった。アインヒマンは自慢屋だった。アインヒマンのナチズムは苛烈なものだった。
 モサドの人間も、アルゼンチンから連れ去るのを大変心配していたようで、やはり鉄の男たちも人間だったんだと思います。
 また、アインヒマンがイスラエルに連行されてからイスラエル警察による尋問調書が本になっています(『アインヒマンの調書』、岩波書店、2009年3月)。その本によると、アインヒマンは凡人と関わらない人物だった。
 アインヒマンは他人が苦しむのを見て快楽を覚えるサディストではなかった。
 アインヒマンは、ほとんど事務所のなかで自らの仕事に専念し、結果として数百万人の人間を死に追いやった。一官僚として、アインヒマンは死に追いやられる人間の苦痛に対し、何の感情も想像力も有してはいなかった。
 ハンナ・アーレントによる、この本は、初めアメリカの雑誌『ザ・ニューヨーカー』に5回連載され、大反響を呼びました。それは映画をみた人はお分かりのとおり、強い否定的な反応だったのです。
 まだ出版されないうちから、この本は論争の焦点となり、組織的な抗議運動の対象となった。
 著者のハンナ・アーレント自身もユダヤ人であることを表明しています。そして、ユダヤ人組織から強く批判され、抗議が集中したのでした。なぜか・・・。
 ナチスのユダヤ人絶滅作戦にユダヤ人指導者が協力したことを明らかにし、それを問題にしたからです。
 もし、ユダヤ民族が組織されず、指導者を持っていなかったとしたら、その犠牲者が600万人にのぼるようなことは、まずなかっただろう。ユダヤ人評議会の指示に服さなかったなら、およそ半数のユダヤ人が助かっただろう。
 ただし、アンナ・ハーレントは、ユダヤ人指導者のナチスへの協力の事実をあげることで、アインヒマンを許したり、その罪責を緩和させているわけではありません。
検事のあらゆる努力にかかわらず、アインヒマンが「怪物」でないことは誰の目にも明らかだった。検事も判事も、アインヒマンは執行権力をもつ地位に昇進してから、まったく性格を変えたとする点では一致していた。アインヒマンが大量虐殺の政策を実行し、積極的に支持したという事実は変わらない。政治とは子どもの遊び場ではない。政治においては、服従と指示は同じものなのだ。
 アインヒマンは、自分の昇進にはおそろしく熱心だったということのほかに何の動機もなかった。アインヒマンは、自分のしていることがどういうことなのか、全然わかっていなかった。まさに、想像力が欠如していた。
 自分の頭で考えることの大切さを強く印象づける映画でした。
(2013年12月刊。3800円+税)

三秒間の死角

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著者  アンデシュ・ルースルンド 、 出版  角川文庫
 スウェーデンのミステリー小説です。
 刑事マルティン・ベッグシリーズは読んだことがあります。『笑う警官』など、スウェーデン社会を背景とした警察小説はとても読みごたえがありました。
 解説には、これは警察小説であって、警察小説ではない、と書かれています。難しい表現ですが、この本を読むと、なんとなくうなずけるものがあります。
 共作者は、自らも犯罪をおかして服役した経験があるというのです。ですから、刑務所のなかの描写は真に迫っています。
ストーリーを小説にするわけには生きませんので、スウェーデンの刑務所を描写したところを紹介してみます。日本とは違った問題点があることが分かります。
 東欧マフィアの事情分野は三つ。銃の取引、売春、クスリ。スウェーデンには刑務所が56ある。それをマフィアが掌握する。おおぜいのヤクザものに借金を負わせて、意のままに操る。
 刑務所のなかには、クスリや酒に支配されている。クスリや酒の持ち主が、すべてを意のままに動かしている。刑務所のなかに大量のクスリを持ち込み、まずは値段を落とし、先行している連中を蹴落とす。そして、取引を独占してしまえば、値段を一気につり上げる。クスリが欲しいのなら、その値段で買え、いやなら注射を辞めればいいと客に言い渡す。
どの刑務所でも、毎日、毎時間、目覚めている時間のすべてが、クスリを中心に回っている。定期的な尿検査をかいくぐってクスリを持ち込み、使うこと。それがすべてだ。面会に来る家族に、尿を、検査しても陰性を示す尿を持ち込ませることもある。持ち込んだ尿が高値で売買されることもある。そして、尿検査で妊娠しているという反応が出てしまったことさえある。
 靴下を買うお金にも困っている連中にクスリを売りつける。彼らは借金を抱え、塀の外に出てもなお、借金を返すために働くしかない。彼らこそ、資本であり、犯罪のための労働力である。
ポーランド国内では、500もの犯罪組織が日々、国内資本をめぐって争いを繰り広げている。国をまたいで暗躍する、さらに大きな犯罪組織の数も、85に及ぶ。
警察が武装して戦闘に入ることも珍しくはない。毎年5000億クローナ以上に相当する価値の合成麻薬が製造されている現実を前にして、国民はひたすら首をすくめている。
 毎朝、看守のあける開錠からの20分間、午前7時から7時20分までの20分間に、すべてがかかっている。この20分間を生きのびることができれば、その一日は安泰だ。鍵が開き、「おはよう」の声がかかってからの20分間は生と死の分かれ目だ。計画的な襲撃は、必ず、看守たちが警備室に引っ込んでコーヒーを入れ、休憩しているあいだに行われる。区画に職員の姿がなくなる20分間。刑務所内で近年おきた殺人事件は、まさにこの20分の時間帯に起きていることが多い。
 規則でがんじがらめの日本の刑務所では、あまり収容者同士の殺人事件を起きているという話は聞きません。そこが、北欧と日本の大きな遠いように思われます。
 スウェーデンの刑務所と警察組織の一端に触れた気になる文庫本でした(上・下の2冊)。
(2013年10月刊。840円+税×2冊)

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著者  ローラン・ビネ 、 出版  東京創元社
チェコのプラハでナチスの最高級指導者の一人が暗殺された事件を扱った小説です。
 暗殺されたハイドリヒの生い立ちが語られています。
 ハイドリヒは、ナチスのエリート部隊である親衛隊(SS)の指導者になります。
 ハイドリヒは、陸軍中将に相当する親衛隊の集団的指導者に任命されたとき、まだ30歳だった。ハイドリヒが創設した組織のうち、もっとも悪魔的な「特別行動隊」は、特攻隊やゲシュタポのメンバーからなる親衛隊の特別部隊で、「敵性分子」を始末する任務をになう。共産主義者は言うに及ばず、あらゆる改草の有力者、反体制分子・・・。そして、すべてのユダヤ人。
 そして、このハイドリヒを暗殺するため、ロンドンから二人のパラシュート部隊員が送り込まれた。そして、それを支援する人々。さらに、仲間を裏切る人間もいた。
 この暗殺作戦に賛同しないレジスタンス指導者もいた。成功しても、その報酬が恐ろしいことになるからだ。
ハイドリヒの乗る車が市内にやって来た。暗殺犯が銃を撃つ。しかし、不発だ。別の男が爆弾を車に投げつけ、爆発する。しかし、ハイドリヒはケガをしただけ。
 やがて病院に運び込まれ、見かけ以上に傷は深刻だということが判明する。そして、容態が急激に悪化して、死に至った。
 その報復としてヒトラーは、リディツェ村を地国から消し去ることを命令し、大虐殺が始まった。
 しかし、このリディツェの虐殺によって、ヒトラーはもっとも得意とする分野で、惨憺たる敗北を喫した。国際レベルの宣伝戦争において、とり返しのつかない失敗を犯した。1942年6月のこと。
 緊張感あふれる小説です。少し、変わった構成で話は進行していきます。
(2013年8月刊。2600円+税)

ガガーリン

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著者  ジェイミー・ドーラン、ピアーズ・ビゾニー 、 出版  河出書房新社
1961年3月12日、ソ連の宇宙飛行士ガガーリン少佐は初めて地球の大気圏を離れ、無事に地球に帰還しました。
 私は小学生だったでしょうか・・・。ともかく、ガガーリン少佐の名前は、はっきり記憶しています。なにしろ、アメリカより早かったのです。ケネディ大統領はソ連に先をこされた悔しさで、この日は眠れなかったとのことです。
この本は、ガガーリンの生い立ち、そして宇宙飛行に成功し、その後、34歳の若さで飛行機事故で亡くなるまでを明らかにしています。とても読みごたえのある本でした。
 ガガーリンは、戦前の1934年3月生まれ。ドイツ軍のバルバロッサ作戦でソ連が攻めこまれたとき、ガガーリンの住む村もドイツ軍に占領されたのでした。スターリンの致命的な誤りによる悲劇です。
 農民の子、ガガーリンは、戦争が終わったあと、技術学校に入り、飛行訓練学校に入った。そして、秘密のうちに面接試験を受け、1960年1月に設立された宇宙飛行士訓練センターに入ったのです。
 大変な試練のときでした。たとえば、隔離部屋に入れられて監視者のほか会話ができず、本も雑誌もない生活を過ごすのです。目的を告げられずに、そんな生活を10日もしたら、頭が変になってしまうでしょう。
 この実験(テスト)の目的は、宇宙船での退屈で寂しい生活にどれだけ耐えられるかというのを見るものでした。ええーっ・・・、ひどい実験(テスト)ですね。
 宇宙船は、常に地球上空の同じ場所を飛ぶわけではない。だから、地球に帰還したとき、カプセルが船に落ちたり、外国領内に落下する恐れが十分にある。
このころの宇宙飛行士は、脱出シートのサイズの都合上、身長の低いほうが有利だった。
 宇宙服を明るい色にしたのは、雪原に降りたったときにも、見つけられやすいようにしたため。
ケネディ大統領は、ソ連が宇宙飛行士を打ち上げるのを知らないふりをしていたが、実はよく知っていた。しかし、宇宙への打ち上げが成功したあとのアメリカ政府スポークスマンは、次のように叫んだ。
 「いま、みんな寝てるんだよ。まったく、いったいなんだ!」
 ケネディ大統領は、宇宙分野を重視していなかったが、世界の反応をみて、考え直した。
 この3日後、ケネディは、キューバのピッグス湾への侵攻作戦の失敗も聞かされた。
 ソ連の宇宙ロケットの誕生いきさつとガガーリン少佐の個人的体験記の双方がミックスされて、大変読みやすくなっていると思いました。
(2013年7月刊。2400円+税)

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