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カテゴリー: ヨーロッパ

驚くべき乳幼児の心の世界

カテゴリー:ヨーロッパ

                              (霧山昴)
著者  ヴァスデヴィ・レディ 、 出版  ミネルヴァ書房
 人間の赤ちゃんを観察する学問があるのです。それによって、人間とは、どういう存在なのかを知ることができます。私は赤ちゃんが大好きです。生命(いのち)の輝きをみていると、心が浮き浮きしてきます。
 赤ちゃんは、生まれてすぐからよそ見している顔より、自分を直接見つめる顔を好んで見たがる。赤ちゃんは相手が反応しないと、苦痛に感じる。
 母親がうつ状態で、反応が乏しいと赤ちゃんも、より起伏のない感情を示し、ひっこみがちな状態になる。そのとき、赤ちゃんは「無力感」を学習している。
 赤ちゃんは、予期できないこと、驚くことを必要としている。すべてが予測できるのは、赤ちゃんにとって退屈なのである。
 赤ちゃんは、他者のフンイキや表現におけるちょっとした変化に非常に敏感である。
 人間の赤ちゃんは、生後9ヶ月から12ヶ月で、他者から注目されていることに気がつくようになる。
 問題のある環境で育てられた子どもは、日常生活で笑いがほとんどない。
 1歳未満でも、赤ちゃんは他者との非言語的交流のなかで、ものを隠したり、だましたり、人の気をそらしたり、何かのふりをしたりする。
 だましのコミュニケーションは、最初の、またすべてに先行するコミュニケーションであり、他のすべての社会的コミュニケーションと同様に、基本的に対話的な過程を通じてあらわれるはずのものである。
 「赤ちゃん学」の今日における到達点を知った気がしました。
(2015年4月刊。3800円+税)

革命前夜

カテゴリー:ヨーロッパ

                               (霧山昴)
著者  須賀 しのぶ 、 出版  文芸春秋
 冷戦下のドイツが舞台です。
 いったい、誰を信用していいのか。誰は信頼できるのか、疑心暗鬼になってしまいます。主人公は、ドレスデンの音楽大学でピアノを学ぶ日本人留学生です。
 私は、久しくコンサートに行ったことはありませんし、自宅でクラシック音楽を聞くことも滅多にありませんので、バッハ平均律に深い思い入れをもつと紹介されても、さっぱり何のことやら分かりません。
 そこへ、ベトナムや北朝鮮からの留学生が登場し、ハンガリーからの留学生もいます。
 ヴァイオリン、オルガン、ピアノの奏者たちです。
 音楽のことは、正直いってよく分かりませんが、その雰囲気はよく描写されていると思います。なんとなく、オーケストラや室内音奏団のかなでる音楽を聞いている気分になってくるのが不思議です。
 でも、話のほうはシビアです。東ドイツが崩壊する前、ベルリンの壁が健在だったのに、それが、今にもこわれてしまいそうになっていく様子が小説としてよくとらえられています。
(2015年3月刊。1850円+税)

アウシュヴィッツを志願した男

カテゴリー:ヨーロッパ

                              (霧山昴)
著者  小林 公二 、 出版  講談社
 アウシュヴィッツ収容所に自らすすんで入り、そこを脱走したポーランド軍大尉がいたなんて、信じられません。そんなこと、まったく知りませんでした。
 そして、収容所内で抵抗組織をつくりあげ、脱走に成功してからもナチス・ドイツ軍と戦ったのです。ところが、戦争後、ポーランドがソ連の支配下にあるなかで、今度はポーランド政府から反逆罪で死刑を宣告され、銃殺されて歴史から抹殺されたのでした。幸い、今は名誉を回復しているのですが、その子どもたちは苦難の戦後を歩かされたのです。いやはや、本当に歴史の現実は苛酷です。
 アウシュヴィッツ収容所に1940年9月21日、自ら志願して潜入し、あげく948日後の1943年4月27日、脱走に成功したポーランド軍大尉がいた。ヴィトルト・ピレツキという生粋のポーランド人である。3年近くもアウシュヴッツ収容所で生活していたピレツキは、その収容所内の様子を生々しく語っている。
 収容所には、家族からの送金も認められていて、それは月30マルクだった。あとでは40マルク。収容所内には売店があり、タバコ、サッカリン、マスタード、ピクルスなども買うことができた。家族からの小包は衣料品ははじめから認められていたが、食料小包も1942年のクリスマス以後は解禁されていた。そうだったんですね・・・。
 はじめ、アウシュヴィッツ収容所はポーランド軍捕虜の収容所だった。そこで、収容所内の実態を探るために、誰かが潜り込む必要があるということになり、マッチ棒を使って、くじ引きで人選が決まった。それを引き当てたのがピレツキだった。
 ナチスは、知識人を毛嫌いした。だから、収容者が教師だとか弁護士だと名乗ったら、死へ直行させられた。カンボジアでも、そうでしたね・・・。
 手先の器用なピレツキは、木工職人と自称した。1940年9月当時は、ユダヤ人はアウシュヴィッツに送り込まれていなかった。
 収容者をふくめて収容所を実際的に管理していたのは、実は収容者自身だった、常時10万人以上の収容者を管理・行政部門をふくめて8000人のSS(ナチス・ドイツ)でコントロールするのは不可能だった。もちろん、管理体制のピラミッドの上部にSSが君臨していた。
 ピレツキがアウシュヴィッツ収容所に潜入した目的は四つ。
第一に、収容所内に地下組織をつくること。
 第二に、収容所内の情報をワルシャワにある抵抗勢力(ZWZ)司令部に届けること。
 第三に、収容所内の不足物資を外から調達すること。
 第四に、ロンドンのポーランド亡命政府を通じてイギリス政府を動かし、アウシュヴィッツを解放すること。
 強制収容所で生き残ろうと思えば、いい人間なら友人になること。どんな親切も受けとり、そして、それを次の機会に返すこと。利己主義では、命をつなぐことができない。利己主義にこり固まった収容者は、間違いなく死んだ。相互の友情の絆ができれば、互いに助けあい、生きる確立は格段に高まる。
収容所の家族から送られてくる小包は、1人週5キロまで1個と決められていた。大きいものは没収され、250キログラムまでだと、個数制限がなかった。食料に関しては月1個だった。昼夜交代24時間体制で「小包班」の収容者が分別作業にあたった。死亡した収容者あての小包は生きている仲間へと名札をつけ換えられて渡された。
 ピレツキの地下組織は脱走を禁じていた。脱走者が出たら、10人が連帯責任で殺されたから。コルベ神父の死も、脱走者の身代わりだった。
 収容所の所長であるヘスは家庭では子煩悩だった。殺して奪った子どもの着ていた上等な服を我が家に持って帰り、子どもたちを喜ばせた。
 こうなると、人間の残酷な心理の奥深さに、ぞぞっとしてきますよね・・・。
 アウシュヴィッツ収容所から802人が脱走し、300人が成功した。なかには、所長ヘスの車を奪って、SSの制服を着用した四人組が成功したというのもある。1942年6月29日のこと。
 ピレツキの場合には1943年4月に脱走に成功した。小包部門から、パン工房に移ってからの脱走だった。
 ピレツキはナチス・ドイツ軍に対するワルシャワ蜂起に参加します。敗北した蜂起ですが、生き延びることができました。そして、ナチス、ドイツが敗北したあと、ソ連軍の占領下のポーランドで、今度は国家叛逆罪で逮捕され、拷問にかけられ、裁判で死刑を宣告されるのです。死刑の執行は、1948年5月25日夜9時30分。
 ピレツキの名誉が回復されたのは、1990年10月1日のこと。なんと40年以上もたっていました。まだ、ピレツキの奥さんが存命していたのが救いです。二人の子どもは、今も生きているとのことです。
 知らないことって、本当に多いですよね。それにしても、ポーランドって、大変な歴史を背負っているのですね・・・。
(2015年5月刊。1700円+税)

『サウンド・オブ・ミュージック』の秘密

カテゴリー:ヨーロッパ

                               (霧山昴)
著者  瀬川 裕司 、 出版  平凡社新書
 映画『サウンド・オブ・ミュージック』をもう一度ぜひみてみたいと思わせる本です。
 この映画の出だしは素晴らしいですよね。森のあいだに平らな草原が開けている風景。そして木々に囲まれた平地に、小さな人影が見える。そして、ジュリー・アンドリュースが登場し、両手をあげて歌いはじめる。
 この本によると、ヘリコプターからカメラをまわして映像をとったそうですが、十数回もとり直しがあり、そのたびにプロペラの強風を受けてジェリーは、地面に倒れていたとのこと。
 たしかに、それだけの圧倒的な迫力がある冒頭シーンです。
 このとき、ジュリーは、白樺のなかで歌をうたう。ところが、この白樺は、映画のために一時的に植えられたものだった。歌詞にあわせるために・・・。
 小川が見え、ジュリーが小川に沿った走る場面がある。この小川も、映画制作スタッフが牧草地を掘り、シートを敷いて水を入れたもの。水の表面のさざ波も、人工的なもの。
 いやはや、映画人は細かいところまで苦労しているのですね・・・。
映画では少女のように見えるジュリーは、実年齢は28歳。モデルになった女性は21歳だった。
 ジュリーがギターをかかえて、丘の上にある広い草原で子どもたちと一緒に歌うシーンがある。実際の場所は、急斜面のなかの、そこだけが平らな場所になっているところに、カメラを低い位置にすえてとっている。まさしく映画の魔術だ。
 オーストラリア人は、映画『サウンド・オブ・ミュージック』を嫌っているそうです。というのは、映画のなかでうたわれる「エーデルワイス」という曲が、本当のオーストラリア愛唱歌ではないから。
 ジュリーは、実母が夫以外の男性との不倫によって生んだ娘だった。母が離婚した相手の義父からジュリーは性的虐待を受けていた。このことは本人が告白している。
 それでも、ジュリーの、圧倒的な歌唱力、演技力、そしてなにより愛らしさに、心底から惹かれてしまいます。
 トラップ一家は、実際には、鉄道でイタリアに行き、ロンドンからアメリカに行った。つまり、山ごえなどしていない。それでも、トラップ・ファミリーとしてアメリカでコンサート活動をしたのは事実でした。
 この映画の魅力を解説し、ロケ地に実際に行ってみるなど、映画の登場人物の紹介など、ワクワクさせられます。この本を読んで映画をみると、面白さが倍増します。
(2014年12月刊。780円+税)

大脱走

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                               (霧山昴)
著者  サイモン・ピアソン 、 出版  小学館文庫
 1963年の映画『大脱走』は、私の若いころにみた忘れられない映画の一つです。スティーブ・マックィーンの格好いいオートバイ姿を思い出します。
 この本は、3度目の大脱走を敢行したロジャー・ブッシェルの実像を紹介したものです。実話だったのですね。しかも、捕虜収容所からの3度目の脱走だったとは、驚いてしまいます。
 映画の主人公でもあるロジャー・ブッシェルは、イギリスの空軍少佐でしたが、イギリスの弁護士でもありました。
ロジャー・ブッシェルは、ケンブリッジ大学卒の法廷弁護士だった。ロジャーたちは、11ヶ月かけて、収容所から外へ通じる3つの地下トンネルを掘りあげた。
 このとき、200人の捕虜が脱走する計画だった。そのため、偽造パスポート、コンパス、地図、食料、民間人の服、ドイツ軍の軍服を身につけていた。
 ロジャーは、9カ国語を話せた。フランス語も、ドイツ語も得意だった。すごーい、ですね。
 イギリス軍では、脱走マインドが軍隊のなかに植えつけ、育てられていた。脱走は将兵の義務である。軍人は、捕虜となっても、現役の戦力であり続けるのだ。日本とは、大変な違いですね。
トンネルの立坑は、振動音を記録するマイク音を拾えない深さまで掘られ、寝台や羽目板からはずしてきた木の板を支柱にして、頑丈にし、電灯で照らされ、換気システムも取りつけられていた。
 掘削はチームでおこない、安全と思われたときだけ作業することになっていた。安全が最優先だった。
 トンネルは、三つ。三つあれば、一つが発見されても、残りの二つに頼ることが出来る。
 トンネルを照らすための電力は、建物の二重壁のあいだを通っているドイツ軍の配線を分岐させることによって得られた。リード線は、二重壁の中を通り、そのあと床下から立坑へと通っていた。昼は電気が止められ、その代わりにマーガリンに詰めたランプが使われた。それは1回に1時間だけ灯り、毎夜、点検のために携行された。
 立坑が完成してからは、作業は朝の点呼のあとに始まり、夕方の点呼の数分前まで続けられ、そのあとトンネル掘削者の二番目の交代組が地下にもぐり、門限の直前まで作業した。この作業は三交代制だった。各作業員は6人だった。
 立坑と三つの部屋を掘るために3つのトンネルから、それぞれ12トンずつの砂が出た。さらに、トンネルを3フィート掘るたびに1トンの砂が出た。これを「ペンギン」となって、散布場所までもっていく。
この脱走プロジェクトに何らかの役割で参加していた600人のうち500人が脱走への参加を希望したが、定員は200人だった。最初の30人は、ドイツ語を自由に話せるなど、脱走成功が高いと脱走委員会が認定した人たち。残りは、さまざまな投票によって決められた。
 「みんなを国に帰すだけが目的じゃない。ドイツ兵のとんまどもの顔に泥をぬるうことにもなるし、脱走兵の捜索にドイツ軍の兵力を使わせることにもなるんだ」
 実際にトンネルから脱走したのは76人だった。それでも大戦中の脱走としては最大規模のものとなった。そして、大半のものが捕まり、銃殺された。それでも、3人の航空兵はイギリスに帰還することができた。
33歳で生涯を閉じたビッグXの壮絶な人生を知ることができました。
(2014年2月刊。924円+税)
 明日(13日)の土曜日は、午後2時から福岡市民会館(大ホール)で、弁護士会主催の安保法制に反対する市民集会とパレードが企画されています。雨は降らないようですので、ぜひ近くの方はお出かけください。
 それにしても、安倍政権の暴走ぶりはひどいものです。3人の憲法学者が国会で一致して違憲と明言したのは当然ですが、これを安倍政権は無視して強行採決にもち込もうとしています。こんな憲法違反は許せません。

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