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カテゴリー: ヨーロッパ

「イタリアの最も美しい村」全踏破の旅

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                            (霧山昴)
著者  吉村 和敏 、 出版  講談社
 イタリアの「美しい村」234村を4年半もかけて全部まわり、紹介した写真集です。
 すごいです。立派です。楽しい写真集です。そして、いかにも美味しそうなスパゲッティがひそかに紹介されていて、ああっ、これ食べたいと思わせます。さすがプロの写真家による写真集です。そして、それぞれの村の故事来歴がよく調べてあるのにも驚嘆しました。
 私はフランス語なら、なんとか話せますので、フランスの「美しい村」めぐりはしたいと思いますが、イタリアは言葉の障害があるので、行く気にはなれません。この写真集で、しっかり行ったつもりになりました。
 「美しい村」というだけあって、すごい写真が満載です。チヴィタ・ディ・バンニョレジョという村は、まさしく「天空の城」です。一本の狭い橋が小高い山にある村を結んでいます。ただし、この村の住人は、今や8人という寂しさです。
モラーノ・カラブロという村は、小高い丘に至るまで、ぎっしりと家が建ち並んでいて壮観です。
 トスカーナ州にあるピティリアーノという村も、緑の樹海の上にそそり立つ岩全体が村になっています。フランスで私も行ったことのあるレ・ボーのような村です。ちなみに、レ・ボーは、松本清張の本の舞台にもなっています。
 このピティリアーノ村は、まったく観光地化されておらず(レ・ボーは完全な観光地です)、三毛猫がけだるそうに寝そべっています。
 2009年に出版された「フランスの美しい村」に続く、イタリア版の写真集です。
 この本には、強く心が惹かれるのですが、私は一人旅はしたくありません。安全面という理由もありますが、なんといっても一人で食事をしたくないというのが最大の理由です。
 おいしい料理を、これは美味しいねと言いながら、その日の感想を気楽に心を許して話せる人と旅行したいのです。
 それにしても、著者の敢闘精神には深く感謝します。まだ50歳にもならない、なかなかのイケ面の著者であることに気がつきました。いつも、ありがとうございます。
(2015年3月刊。3800円+税)

スペイン無敵艦隊の悲劇

カテゴリー:ヨーロッパ

                               (霧山昴)
著者  岩根 圀和 、 出版  彩流社
 エリザベス女王の統治するイギリス艦隊がスペインの無敵艦隊を完膚なきまでに撃滅した「史実」は世界史を学んだものの一人として、忘れることができません。
 ところが、この本によれば、スペイン「無敵」艦隊なるものは自称でも、他称でもなかったというのです。イギリス軍がスペインから来た艦隊に勝利したあとの本で、「無敵」のスペイン艦隊をやっつけたと書いたところ、それが、あたかも自称ないし他称として広まったというだけだというのです。知りませんでした・・・。
 スペイン艦隊は、実際には、イギリス軍の艦船に初戦から敗退しているから、その意味でも、ちっとも「無敵」ではなかった。
 1588年のこの戦争で、スペイン王国フェリペ2世は、イングランドのエリザベス女王に宣戦布告していない。当時、スペインのリスボン港に大艦隊を終結させながらも、それをひた隠しにして出撃した。艦隊に乗船する兵士たちに目的地は知らされなかった。イギリスへ戦争しに行くと布告したら兵士を確保できないので、新大陸へ向かうという嘘の布令が出された。
 この海上戦において、イギリスは自力で勝ってはいない。むしろ、戦闘らしき戦闘は、ほとんどなかった。スペイン艦隊は、イギリスから打撃を被ったのではなく、飢え渇きと病気、そして悪天候による強風と嵐による難破のせいで、大損害を被った。
 スペインには、どうしてもイングランドへ艦隊を派遣せざるを得ない国内事情があった。その一つが、ドレイクをはじめとするイギリス海賊による傍若無人な掠奪行為が横行していたこと。
 イギリス女王の許可を得てスペイン船を掠奪しているイギリス海賊船が200隻をこしていた。
 スペインは、ドレイクなどの海賊船の出現で大あわて・・・。掠奪金の分け前にあずかって大いに国庫をうるおしているエリザベスとすれば、ドレイクにいい顔をしたくなるのも無理ないところだ・・・。
イギリスとスペインの艦船の大砲の威力を発揮していない。5時間かかって、500発の砲弾を打ち出した。イギリス艦隊は、ほとんどがカルバリン砲だった。
 カルバリン砲は、カノン砲よりも射程距離が長い。それでも600メートル。カノン砲は、砲弾を1500メートルも飛ばすけれど、有効な射程距離は、せいぜい450メートルだった。
 当時の鉄砲や大砲は、すべて滑空砲なので、命中率は悪い。
 お互い波動に揺れる船同士なので、照準器もないから、砲撃の命中率は0%に近い。
 この本を読むと、スペイン国王フェリペ2世がスペイン艦隊を派遣しようと熱心だったこと、スペイン「無敵」艦隊は出発当初から、いいかげんすぎる部隊として悪名高いものがあったことが分かります。
 1588年の戦闘について、7月22日に出港したスペイン軍艦船は、130隻、2万6千人だったところ、同年9月から帰ってきたのは、そのうちの半分の65隻、1万3千人ほどだった。
 イングランド艦船による「火船」攻撃は、スペイン艦船に被害をもたらすことはなかった。
スペイン「無敵」艦隊の実際を知り、驚き、かつ呆れました。まるで、戦前の帝国陸軍のように、現実に立脚せず、スペイン国王の頭のなかにある空理空論のみに頼っていたのです。これって、まるで、現代日本・・・?
(2015年3月刊。3500円+税)

キム・フィルビー

カテゴリー:ヨーロッパ

                                (霧山昴)
著者  ベン・マッキンタイアー 、 出版  中央公論新社
 イギリスの市場もっとも有名なスパイの一生を明らかにした本です。
ケンブリッジ5人組として、良家の育ちなのに共産主義を信奉し、スパイ・マスターの世界に入り、ソ連へ情報を売り渡していたのです。
 ところが、あまりにも最良の情報だったため、逆にソ連の情報当局が疑ったのでした。
 ちょうど、日本からのゾルゲ情報をスターリンが疑ったのと同じです。
 スパイが送ってくる情報は「ニセモノ」かもしれない。味方を撹乱させるためのものかもしれないというのです。生命を賭けて送った最良の情報がたやすく信じてもらえないというのは、笑えないパラドックスです。
 キム・フィルビーは、崇拝者を勝ちとる類の人間だ。フィルビーは、相手の心に愛情を、いとも簡単に吹き込んだり、伝えたりでき、そのため相手は、自分が魅力のとりこになっているとは、ほとんど気がつかないほどだった。男性も女性も、老いも若きも、誰もがキムに取り込まれた。キム・フィルビーの父親は著名なアラブ学者で探検家で作家だった。
 キム・フィルビーは、上司として最高だった。ほかの誰よりも熱心に働きながら、苦労しているそぶりは一向に見せなかった。
 1930年代にイギリスのケンブリッジ大学を猛烈なイデオロギーの潮流が襲った。
 ナチズムの残虐性を目にした友人の多くは共産党に入ったが、フィルビーは入党はしなかった。
 ソ連の諜報組織は、異常なほどの不信感にみちており、フィルビーら5人の情報が大量で、質もよく、矛盾した点のないことを、かえって疑わしく思った。5人全員がイギリス側の二重スパイに違いないと考えたのだ。
 フィルビーがモスクワに真実を告げても、その真実がモスクワの期待に反しているため、フィルビーの報告は信用されないという、とんでもない状況が生まれた。フィルビーは、おとりであり、ペテン師であり、裏切り者であって、実に傲慢な態度で我々(ソ連側)に嘘をついていると見られていた。
 そして、ソ連側のスパイ・マスターたちが次々に黙々とスターリンによって粛清されていった。フィルビーは、これを黙って受け入れた。
 キム・フィルビーは、国民戦線派(フランコ派)のスペインから、共産主義国家ソ連から、イギリスから、三つの異なる勲章をもらった。
 キム・フィルビーは、イギリス情報機関からアメリカに派遣されています。アメリカでも、もちろん有能なスパイに徹したのです。
 フィルビーにとっては、欺瞞が楽しかった。他人に話のことをできない情報を保持し、そのことから得られるひそかな優越感に喜びを見出す。フィルビーは、もっとも近しい人々にさえ真実を知らせずにいることを楽しんでいた。
 キム・フィルビーの流した情報によって、どれだけの人々が殺されたかは不明だと何度も強調されています。
 ソ連側のもとスパイの告発によってキム・フィルビーは一度こけてしまいましたが、証拠不十分だったので、再起することができたのです。そして、二度目は、ついにソ連へ亡命してしまいます。1988年5月にキム・フィルビーはモスクワの病院で亡くなりました。
 イギリスの上流階級に育った子弟が、死ぬまで二重スパイであり続けたという驚異的な事実には、言葉が出ない思いがしました。
(2015年5月刊。2700円+税)

ニュルンベルク裁判

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                               (霧山昴)
著者  芝 健介 、 出版  岩波書店
 
 日本の戦犯を裁いたのは極東国際軍事裁判(東京裁判)です。安倍首相は戦前の日本がした侵略戦争を間違った裁判と認めようとはしません。国際的にみて、とりわけアメリカが許すはずのない特異な歴史観です。「間違っていない」のだから、反省しないし、謝罪もしないのです。本当に狂っているとしかいいようのない日本の首相です。これでは真の平和友好外交など、できるわけがありません。
 この東京裁判と対比されるのがドイツの戦犯を裁いたニュルンベルグ裁判です。
 300頁もの大部な本書を読んで、初めて裁判の実際を私は知りました。
 終戦前の1944年9月の時点で、アメリカとイギリスのトップレベルでは、主要戦犯については、裁判なしで即決処刑という見解が有力だった。1943年11月のテヘラン会談で、スターリンは、ドイツ国防軍のランク上位の将校5万人を銃殺したらいいと発言した。
 1945年2月のヤルタ会談において、戦争犯罪の法的追及という大筋が決定された。
 ヒトラーたちが裁きの論理をひっくり返してしまうのではないかと連合国側は心配した。
 ソ連もフランスも、自国の国民がこうむった厖大な塗炭の苦しみの経験をふまえ、他の戦争犯罪のカテゴリーでは規定できない犯罪行為として、「人道に対する罪」をもって裁くことに異議を唱えなかった。
 ニュルンベルグ裁判は、1945年10月18日、起訴状が提出されて始まった。11月20日に被告人がほぼそろって開廷された。
 誰を被告とするかについて、アメリカ案は、軍・経済界の指導者も加えることにしており、これにソ連とフランスが賛同した。
 「人道に対する罪」としては、ユダヤ人絶滅対策と並んで、オーストリア首相ドルフス、社会民主党指導者ブライトシャイト、共産党指導者テールマンの虐殺もあげられている。
起訴状の読み上げだけで2日を要した。
 開廷して10日目の11月29日、強制収容所の解放時の状況をうつしたフィルムを法廷で上映した。この映画のとき、かのゲーリングは両肘をついたままあくびをした。
 1946年3月から、ゲーリングは満を持して被告人弁論にのぞんだ。弁護人の質問とゲーリングの長広舌は、3日間も続いた。したたかなゲーリングは、戦後ドイツで実施・展開されている、ナチに対する予防検束の途方もない規模は、ナチ時代のそれどころではないと、法廷をまぜ返した。
 1945年11月から始まり、9ヶ月間続いた審理は、1946年8月末にようやく終了した。
 裁判所は、ヒトラーはひとりでは侵略戦争を遂行できなかった。諸大臣、軍幹部、外交官、企業人の協力・協働を必要としたのであって、彼らが目的を知り協力を申し出た事実が存在する以上、ヒトラーの立てた計画に自らを関与させたものである。
 このように、しごくもっとも論理で裁判所は判断しています。
 1946年10月1日、判決文の朗読は終了した。ゲーングなど12人(1人は欠席)に絞首刑を宣告した。3人については無罪判決を下した。死刑執行は2週間後の10月15日深夜だった。ゲーリングは、執行直前に自殺した。
 その後、継続裁判が続いた。たとえば、法律家裁判がある。ナチ司法体系において高位を保護した裁判官・検事・法務官僚たちが被告とされた。
 ヒトラーの命令は、国際共同体の法に違反したのだから、総統みずからも、ヒトラーの部下たちも保護しえない。このように書かれている。
 行動部隊裁判は注目すべきものであった。ドイツ軍支配下のソ連地域で100万人が行動部隊の犠牲になった。この被告たちは、ありふれた意味での悪漢・無頼漢の類ではなかった。文明の恩返しに浴さない野蛮人ではなかった。むしろ、十分な教育を享受していた。オペラ歌手としてコンサートを開いていたり、聖職者だった者もいる。よき出自をもち、教養ある被告が多かった。そして、被告のほとんどは、「上からの命令」という弁明をくり返した。14人の被告に対して死刑が宣告された。
 これらの裁判で有罪とされた被告は5~6万人に上る。西側で有罪とされた被告5025人のうち806人に死刑が宣告され、486人が処刑された。
 ソ連占領区では、有罪宣告された4万5000人の3分の1がシベリアへ強制労働へ移送された。死刑宣告数は不明。
 ところで、歴代の西ドイツ政府は、ニュルンベルクの裁判の判決を公式には受け入れなかった。国連安保理によるボスニア法廷、ルワンダ法廷が開かれ、ニュルンベルク原則が再び脚光を浴びるようになって、ニュルンベルク裁判が戦勝国による裁きだったという議論が根拠を失った。
 1945年秋、敗戦の衝撃がまだ生々しかったときのドイツでは、ナチ犯罪を訴追することは政党とする人が8割近かった。しかし、1950年には、38%にまで下落した。やがて、過去の「忘却」ないし「駆逐」への願望が圧倒的になった。しかし、1950年代後半に、過去は清算されていないという批判も芽生えてきて、過去に向きあうドイツ人が増えていった。
 ドイツでも、ニュルンベルク裁判に対する見方がいろいろ揺れ動いていたことを今回、初めて知りました。それだけ重たい負の遺産であるわけです。それでも、しっかりそれを見つめることからしか、将来は開けません。これは「自虐史観」というものではありません。しっかり未来を見すえるために必要なことなのです。
(2015年3月刊。3200円+税)

三重スパイ

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                                (霧山昴)
著者  小倉 孝保 、 出版  講談社
 新幹線内でガソリンをかぶって焼身自殺した71歳の男性がいました。51歳の女性がそのあおりをくらって亡くなられました。本当に痛ましい話です。
 私は安倍内閣が強引に成立させようとする安保法制法案が成立したら、日本国内の至るところで、自爆テロの危険があるようになることを今から心配しています。
 イギリスでもフランスでも地下鉄や新聞社などで自爆テロが発生しました。
 アメリカと一緒になってイラクやアフガニスタンへ日本の自衛隊が出かけていったとき、その報復として日本が自爆テロ攻撃の対象とされないなんて考えるのは甘すぎるでしょう。身内が理不尽に殺されたら、仕返しをしたくなるのが人情というものです。
 政治は、そんなことを防ぐためにあるはずなのですが、自民・公明の安倍内閣は戦争してこそ平和が得られるというのです。まるで間違っています。
 この本は、アルジェリアでイスラム原理主義勢力がはびこるのを嫌って、イギリスへ渡った男性が無意味な殺し合いをやめさせるためにフランス、そしてイギリスの諜報機関のスパイになったという実話を紹介しています。このアルジェリア人の男性は何回も殺されかかっていますが、テレビで顔を出していますから、今も生きているのが不思議なほどです。
 モスクでは、ビデオを見せられる。激しい戦闘の様子や、イスラム戦闘員の遺体が写っている。
 「こうやって殉職者になって天国に行くんだ。きみたちも、欧米の不信心者と戦えば、天国が拘束されている」
 「きみたちの今ある生命は本当の命ではない。ジハードで死んだあとに、きみたちの本当の命が息を吹き返し、そこから人生が始まるのだ」
 「殺せ、不信心者を殺せ。アルジェリア兵を殺せ。アフリカ人を殺せ。殺せば、おまえたちは天国に行ける」
 メッセージは明確だ。生き方に迷っている若いイスラム教徒にとって、「おまえの進むべき道はこっちだ」とはっきり指示してくれる人間が必要だった。言い切ってくれることで、迷いが吹き飛ぶ。
 モスクは、ありあまるエネルギーに火をつけてくれる刺激的な場所だ。イスラム信仰心にあつい者は酒も麻薬にも手を出さない。恋人をつくったり、酒に酔って夜のパーティーに出かけることもしない。ひたすらコーランを読んで、それを実践しようと心がける。
酒に酔って、パーティーに明け暮れる西洋文明は、腐り切った汚れた社会だ。
 ビデオを見て、洗脳されて若者の心を「戦って天国に行け」という訴えが射貫いた。若者は、やがて自分も欧米人を相手に実践に参加して、殉職者になることを夢見るのだ。
 これは、戦前の日本の軍国少年育成と同じ話ですね・・・。
 宗教を盲信してしまうことによる恐ろしさ、殺し合いが日常化してしまったときの怖さが、じわじわと身に迫ってきました。そんな世の中にならないように、日本はもっと恒久平和主義を世界にアピールすべきなのです。
 安倍政権の積極的「戦争」主義は根本的に間違いです。この本を読んで、ますます私は確信しました。
(2015年5月刊。1800円+税)

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