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カテゴリー: ヨーロッパ

ヒトラーと哲学者

カテゴリー:ヨーロッパ

                            (霧山昴)
著者  イヴォンヌ・シェラット 、 出版  白水社
 ヒトラーは、1923年11月、ミュンヘン一揆に失敗し、逮捕・投獄される。国家反逆罪で有罪となり、1924年の春からバイエルン州にあるランツベルク刑務所で過ごす。
 ところが、ヒトラーの部屋は高級食料品店の様相を呈していた。ドイツ中の支持者が貢ぎ物を送りつけていた。そして、看守からも優遇されていた。
 ある女性からのプラムケーキの差入れに対するヒトラーのお礼状が紹介されています。
 ヒトラーは学校時代の後半には、際立って能力に欠けると見なされ落第していた。ヒトラーは、学業に何の興味も示さない怠惰な生徒と思われた。
 ヒトラーは、行動の人として刑務所に入ったが、出るときには「哲人指導者」だったと自分では考えていた。
 ヒトラーは遅くに起床し、いつも怠けたり、うつらうつらして過ごした。集中して本を読むことが嫌いで、本一冊を読み通すのはまれだった。たいていは、本の出だしの部分を読むだけだった。
 ヒトラーは貪欲で、意地汚いところがあった。むら気をおこさずに働くことができない。実際に、彼は仕事ができない。アイデアが浮かんだり、衝撃を受けたりはする。熱に浮かされたように、それを実地に移すことを命じるが、あっという間に取りやめにされた。ヒトラーには、持続的に辛抱強く仕事することが、何なのか分からなかった。
 ヒトラーのやること、なすことは「発作」だった。ヒトラーの言う、子ども好き、動物好きは、ポーズにすぎなかった。
 1933年に、ユダヤ系知識人を学問の世界から追放する布告が実行されたとき、ヒトラーたちはほとんど抵抗を受けなかった。抗議行動は、まったく起きなかった。なぜか?
 多くのユダヤ人が追放されると、そのポストが空く、そこへアーリア系の大学人たちが、ハゲワシよろしく割り込んできたのだ。
 ナチは、比較的少人数のはぐれ者集団から始まったが、ほどなく普通の学歴をもった人間がどんどんメンバーに加わるようになった。ときがたつと、大学人のほとんどがナチ化された人間になっていた。
 ハイデガーのナチスに対する協力は、ヨーロッパ中の崇拝者たちを戸惑わせた。そして、ドイツ国内では、大きな影響力を発揮した。
 カール・ヤスパースがハイデガーに「あんな無教養な人間にドイツを統治させていいものかどうか」と問いかけると、ハイデガーは、「教養など、どうでもいい。あの人物の素晴らしい手を一度見たまえ」と答えた。なんと非論理的な答えか・・・。
 このハイデガーに、ユダヤ人の若き女子学生、アンナ・ハーレントも強く心が惹かれ、秘密の愛人となったのでした。
ハイデガーは、ヒトラーを礼賛した。ナチズム支持大会にハイデガーは出席して演説もしているのです。信じられない哲学者の堕落です。
 ミュンヘン大学の哲学教授クルト・フーバーは1943年7月、ギロチンで処刑された。
 学生を感化させることにかけては、フーバーに及ぶ者はいなかった。その一人がトップクラスの才媛ゾフィー・ショルだった。白バラ兄妹を感化した教授もまた、ナチスによってギロチンで処刑されたのです。
 フーバーは、左翼でもなければ、ユダヤ人でもなかった。保守的なナショナリストだった。フーバーは、いかなる類の暴力も激しく嫌っていたし、ヒトラーをドイツ社会の価値観を破壊する者だととらえていた。
 ハイデガーとは異なり、フーバーは、ヒトラーの話しぶりに惑わされることなく、そして大学にいる多くの同僚とは逆に、声を出した。フーバーがカントの講義をするのは、ヒトラーに抵抗せよと言う本当のメッセージを学生に伝えたかったからだ。
 白バラは、哲学に強い関心をもった学生活動家が主体となった、結束の固い小グループである。白バラは勇敢であるとともに、非暴力を貫き、自分たちにできる唯一の手段は言葉でもって抵抗した。
 クルト・フーバーが処刑されたあと、家族は遺族年金の支払いを拒否された。学生や友人たちが遺族へのカンパを募ったところ、ナチスは没収し、現行犯で逮捕した。そして、ギロチン使用料として、給与2ヶ月分に相当するお金の支払いを命じた。
 ハイデガーは、戦後、サルトルの後援で返り咲いたが、戦前のナチス礼賛について、まったく反省を示さなかった。
 ユダヤ人である、アンナ・ハーレントの葬儀は無宗教で行われた。
 いろいろ、深く考えさせられる本でした。
(2015年4月刊。3800円+税)

シハーディストのベールをかぶった私

カテゴリー:ヨーロッパ

                              (霧山昴)
著者  アンナ・エレル 、 出版  日経BP社
 「イスラム国」にヨーロッパの若い男女が吸い込まれているのはショッキングな出来事です。
 インターネットをつかった勧誘がすすみ、現実世界とはかけ離れた仮想社会の空理空論に青年男女が惑われているのです。日本でいうと、かつての(今も?)オウム真理教のようなものなのでしょう・・・。
 インターネットばかり見ていると、その仮想社会が現実のように見えてしまい、ひとたびシリアに入国したら、もう逃れる術はないのです。なにしろ、自爆テロが推奨される「社会」なのですから・・・。その要員に、おだてられて、なりかねません。
ノルマンディー出身の女の子は、たった一人でインターネットを見ているうちに、人生すべての答えを見つけたと思った。数週間後、キリスト教からイスラム教へ改宗し、イスラム過激派の部隊に参加するために旅立った。
「資本主義っていうのは、この世の堕落の源なんだ。キミがテレビを見ながらお菓子を食べ、CDを買い、店のショーウィンドーを眺めているとき、イスラム教徒だけの国を建てて幸せに暮らすというささやかな夢を抱いた仲間たちが、毎日たくさん死んでいる。オレたちが命をかけているというのに、キミたちは一日中、どうでもいいことばかりに時間を費やしている。キミは、美しい心の持ち主なのに、不信心者の世界で生きている。そのままだと、キミは地獄で焼かれてしまうんだ」
女性は誰にも1センチであっても肌を見られてはいけない。ベールは顔を見せてしまうから不十分だ。だから、ブルカを着て、その上にベールをかぶらなければならない。
 「自爆戦士は、もっとも有能な連中だ。信仰心があり、勇気がある。アッラーのために自爆できる人間は、栄誉とともに天国へ旅立つ。
 自爆戦士は、自分の命を犠牲にする覚悟のある戦闘員である。ISでは、もっとも弱いものは物資補給などの兵站業務を担当し、『その次に弱い者たち』が自分自身を吹き飛ばす。その仲間は、日に日に増えている」
 フランス人の若い女性ジャーナリストが、年齢を20歳と偽って、「イスラム国」の幹部(フランス人)とスカイプで会話して、侵入しようとした顚末が記されています。
 インターネットだけの接触なのですが、身元がバレないように気をつけながらスカイプで会話していく様子がリアルに伝わってきます。そして、その身に危険が迫ってくるのにハラハラドキドキさせられるのです。そこには、バーチャルではない、怖い現実があります。
(2015年5月刊。1800円+税)

「イタリアの最も美しい村」全踏破の旅

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                            (霧山昴)
著者  吉村 和敏 、 出版  講談社
 イタリアの「美しい村」234村を4年半もかけて全部まわり、紹介した写真集です。
 すごいです。立派です。楽しい写真集です。そして、いかにも美味しそうなスパゲッティがひそかに紹介されていて、ああっ、これ食べたいと思わせます。さすがプロの写真家による写真集です。そして、それぞれの村の故事来歴がよく調べてあるのにも驚嘆しました。
 私はフランス語なら、なんとか話せますので、フランスの「美しい村」めぐりはしたいと思いますが、イタリアは言葉の障害があるので、行く気にはなれません。この写真集で、しっかり行ったつもりになりました。
 「美しい村」というだけあって、すごい写真が満載です。チヴィタ・ディ・バンニョレジョという村は、まさしく「天空の城」です。一本の狭い橋が小高い山にある村を結んでいます。ただし、この村の住人は、今や8人という寂しさです。
モラーノ・カラブロという村は、小高い丘に至るまで、ぎっしりと家が建ち並んでいて壮観です。
 トスカーナ州にあるピティリアーノという村も、緑の樹海の上にそそり立つ岩全体が村になっています。フランスで私も行ったことのあるレ・ボーのような村です。ちなみに、レ・ボーは、松本清張の本の舞台にもなっています。
 このピティリアーノ村は、まったく観光地化されておらず(レ・ボーは完全な観光地です)、三毛猫がけだるそうに寝そべっています。
 2009年に出版された「フランスの美しい村」に続く、イタリア版の写真集です。
 この本には、強く心が惹かれるのですが、私は一人旅はしたくありません。安全面という理由もありますが、なんといっても一人で食事をしたくないというのが最大の理由です。
 おいしい料理を、これは美味しいねと言いながら、その日の感想を気楽に心を許して話せる人と旅行したいのです。
 それにしても、著者の敢闘精神には深く感謝します。まだ50歳にもならない、なかなかのイケ面の著者であることに気がつきました。いつも、ありがとうございます。
(2015年3月刊。3800円+税)

スペイン無敵艦隊の悲劇

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                               (霧山昴)
著者  岩根 圀和 、 出版  彩流社
 エリザベス女王の統治するイギリス艦隊がスペインの無敵艦隊を完膚なきまでに撃滅した「史実」は世界史を学んだものの一人として、忘れることができません。
 ところが、この本によれば、スペイン「無敵」艦隊なるものは自称でも、他称でもなかったというのです。イギリス軍がスペインから来た艦隊に勝利したあとの本で、「無敵」のスペイン艦隊をやっつけたと書いたところ、それが、あたかも自称ないし他称として広まったというだけだというのです。知りませんでした・・・。
 スペイン艦隊は、実際には、イギリス軍の艦船に初戦から敗退しているから、その意味でも、ちっとも「無敵」ではなかった。
 1588年のこの戦争で、スペイン王国フェリペ2世は、イングランドのエリザベス女王に宣戦布告していない。当時、スペインのリスボン港に大艦隊を終結させながらも、それをひた隠しにして出撃した。艦隊に乗船する兵士たちに目的地は知らされなかった。イギリスへ戦争しに行くと布告したら兵士を確保できないので、新大陸へ向かうという嘘の布令が出された。
 この海上戦において、イギリスは自力で勝ってはいない。むしろ、戦闘らしき戦闘は、ほとんどなかった。スペイン艦隊は、イギリスから打撃を被ったのではなく、飢え渇きと病気、そして悪天候による強風と嵐による難破のせいで、大損害を被った。
 スペインには、どうしてもイングランドへ艦隊を派遣せざるを得ない国内事情があった。その一つが、ドレイクをはじめとするイギリス海賊による傍若無人な掠奪行為が横行していたこと。
 イギリス女王の許可を得てスペイン船を掠奪しているイギリス海賊船が200隻をこしていた。
 スペインは、ドレイクなどの海賊船の出現で大あわて・・・。掠奪金の分け前にあずかって大いに国庫をうるおしているエリザベスとすれば、ドレイクにいい顔をしたくなるのも無理ないところだ・・・。
イギリスとスペインの艦船の大砲の威力を発揮していない。5時間かかって、500発の砲弾を打ち出した。イギリス艦隊は、ほとんどがカルバリン砲だった。
 カルバリン砲は、カノン砲よりも射程距離が長い。それでも600メートル。カノン砲は、砲弾を1500メートルも飛ばすけれど、有効な射程距離は、せいぜい450メートルだった。
 当時の鉄砲や大砲は、すべて滑空砲なので、命中率は悪い。
 お互い波動に揺れる船同士なので、照準器もないから、砲撃の命中率は0%に近い。
 この本を読むと、スペイン国王フェリペ2世がスペイン艦隊を派遣しようと熱心だったこと、スペイン「無敵」艦隊は出発当初から、いいかげんすぎる部隊として悪名高いものがあったことが分かります。
 1588年の戦闘について、7月22日に出港したスペイン軍艦船は、130隻、2万6千人だったところ、同年9月から帰ってきたのは、そのうちの半分の65隻、1万3千人ほどだった。
 イングランド艦船による「火船」攻撃は、スペイン艦船に被害をもたらすことはなかった。
スペイン「無敵」艦隊の実際を知り、驚き、かつ呆れました。まるで、戦前の帝国陸軍のように、現実に立脚せず、スペイン国王の頭のなかにある空理空論のみに頼っていたのです。これって、まるで、現代日本・・・?
(2015年3月刊。3500円+税)

キム・フィルビー

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                                (霧山昴)
著者  ベン・マッキンタイアー 、 出版  中央公論新社
 イギリスの市場もっとも有名なスパイの一生を明らかにした本です。
ケンブリッジ5人組として、良家の育ちなのに共産主義を信奉し、スパイ・マスターの世界に入り、ソ連へ情報を売り渡していたのです。
 ところが、あまりにも最良の情報だったため、逆にソ連の情報当局が疑ったのでした。
 ちょうど、日本からのゾルゲ情報をスターリンが疑ったのと同じです。
 スパイが送ってくる情報は「ニセモノ」かもしれない。味方を撹乱させるためのものかもしれないというのです。生命を賭けて送った最良の情報がたやすく信じてもらえないというのは、笑えないパラドックスです。
 キム・フィルビーは、崇拝者を勝ちとる類の人間だ。フィルビーは、相手の心に愛情を、いとも簡単に吹き込んだり、伝えたりでき、そのため相手は、自分が魅力のとりこになっているとは、ほとんど気がつかないほどだった。男性も女性も、老いも若きも、誰もがキムに取り込まれた。キム・フィルビーの父親は著名なアラブ学者で探検家で作家だった。
 キム・フィルビーは、上司として最高だった。ほかの誰よりも熱心に働きながら、苦労しているそぶりは一向に見せなかった。
 1930年代にイギリスのケンブリッジ大学を猛烈なイデオロギーの潮流が襲った。
 ナチズムの残虐性を目にした友人の多くは共産党に入ったが、フィルビーは入党はしなかった。
 ソ連の諜報組織は、異常なほどの不信感にみちており、フィルビーら5人の情報が大量で、質もよく、矛盾した点のないことを、かえって疑わしく思った。5人全員がイギリス側の二重スパイに違いないと考えたのだ。
 フィルビーがモスクワに真実を告げても、その真実がモスクワの期待に反しているため、フィルビーの報告は信用されないという、とんでもない状況が生まれた。フィルビーは、おとりであり、ペテン師であり、裏切り者であって、実に傲慢な態度で我々(ソ連側)に嘘をついていると見られていた。
 そして、ソ連側のスパイ・マスターたちが次々に黙々とスターリンによって粛清されていった。フィルビーは、これを黙って受け入れた。
 キム・フィルビーは、国民戦線派(フランコ派)のスペインから、共産主義国家ソ連から、イギリスから、三つの異なる勲章をもらった。
 キム・フィルビーは、イギリス情報機関からアメリカに派遣されています。アメリカでも、もちろん有能なスパイに徹したのです。
 フィルビーにとっては、欺瞞が楽しかった。他人に話のことをできない情報を保持し、そのことから得られるひそかな優越感に喜びを見出す。フィルビーは、もっとも近しい人々にさえ真実を知らせずにいることを楽しんでいた。
 キム・フィルビーの流した情報によって、どれだけの人々が殺されたかは不明だと何度も強調されています。
 ソ連側のもとスパイの告発によってキム・フィルビーは一度こけてしまいましたが、証拠不十分だったので、再起することができたのです。そして、二度目は、ついにソ連へ亡命してしまいます。1988年5月にキム・フィルビーはモスクワの病院で亡くなりました。
 イギリスの上流階級に育った子弟が、死ぬまで二重スパイであり続けたという驚異的な事実には、言葉が出ない思いがしました。
(2015年5月刊。2700円+税)

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