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カテゴリー: ヨーロッパ

医系技官がみたフランスのエリート教育

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  入江芙美 、 出版  NTT出版
  九大医学部を卒業したあと、医師として活動するのではなく厚生労働省に入り、フランスに留学します。留学先はフランスのエリート養成機関であるENA(国立行政学院)です。
  日本の官僚は、毎年100人が2年間の海外留学に出かけます。私は、これはとてもいい仕組みだと思うのですが、残念なことに、その行く先80%がアメリカです。いつも戦争ばかりしているアメリカに日本の官僚が行っても、ろくなことを学んでこないように思います。そして15%がイギリスです。残る5%をフランスやカナダの国に行く。
  私は、もっとヨーロッパ各国に日本の官僚は行って学んでくるべきだと思います。とくにスカンジナビア三国なんて、必須ではないでしょうか・・・。
  フランス語を学んでいた著者は迷わずフランスを選択して出かけました。フランスと日本の一番の大きな共通項は、世界トップクラスの医療制度。いま、これを自民・公明の安倍政権が少しずつ壊しています。とんでもないことです。国民皆保険は、日本が豊かで安全・平和な国であるための前提条件です。アメリカは、これがなかなか実現できません。国民皆保険を提唱すると「アカ」呼ばわりされるとのこと。時代錯誤としか思えません。
  ENAは、フランスのグランゼコールというエリート校。グランゼコールの教育目標は、国のために働く優秀な人材を育てること。そこでは実践的な問題解決能力を養うことに重点が置かれている。
  ENAの創立は戦後の1945年10月。その卒業生には、オランド大統領をはじめ、ジスカール・デスタンやシラク元大統領、ジュペ・ジョスパン、ヴ・ヴィルパン元首相などがいる。
  ENAの学生には、給料が支給されている。ENAの授業料は無料。給料をもらうくらいですから、当然です。
  ENAの受験生の8割はシアンスポ(パリ政治学院)出身者。
ENAの卒業生は、卒業して10年間は行政で働く義務が課せられている。これは、民間への流出を防ぐための措置。
  ENAには外国人学生も多く、3分の1を占める。アフリカ出身も多い。逆に、アメリカやイギリスの学生は入っていない。
  
  今は違いますけれど、私も40年以上前の司法修習生のときには授業料がいらず、給料をもらっていました。これが廃止されたのは政策として、まったく間違っています。今では、借金して司法修習するしかありません。一刻も早く給費制を復活したいものです。
  ENAで鍛えられたのは、① 文書作成能力、②コミュニケーション能力、③交渉力、④国際性と幅広い視野、⑤人間力すなわち忍耐力や環境への適応力。
  なるほど、これらは必要な能力ですよね。
  ENA在学中の成績順に卒業時に入省先を選ぶ。これって、能力主義のフランスらしいやり方です。人気の高いポストは、国務院や会計院の監査官、財務監査官。
  フランスの試験はエンピツはダメで、万年筆かボールペン。なぜか?エンピツだと採点する試験官が改ざんできるから。
  ENAの女子学生は3割ほど。女性会社進出では、フランスはヨーッロッパのなかで後進国。ENAはパリではなく、ストラスブールにある。
  フランスの医師は1970年に6万人だったのが、年々増加し、2014年には22万人。人口10万人当たり330人。これは日本の240人を大きく上回っている。
  フランスでも医療の偏在は深刻。南高北低。年中、太陽の光が降り注ぐ地中海沿岸にすみたいというのがフランス人の一般的な願望。
  ENAでフランス人と対等にわたりあった日本人女性です。何年やってもうまくフランス語を話せない私からすると、うらやましい限りとしか言いようがありません。
 
             (2015年9月刊。2800円+税)

狙撃兵、ローザ・シャニーナ

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  秋元健治 、 出版  現代書館
  ナチス・ドイツ軍と果敢に戦うソ連赤軍の女性狙撃兵の活躍ぶりを紹介したドキュメンタリーノベルです。史実にもとづき、兵士の書いていた日記も紹介していますから、迫真の描写です。なにより驚くのは、これがソ連の従軍記者(グロスマン)によるものと思わせるほどの描写で一貫していることです。日本人が翻訳したのではなく、執筆した本なのです。
  私は、ソ連軍の女性兵士の活躍ぶりを描いた『戦争は女の顔をしていない』(群像社)、そしてベトナム戦争のときに最前線で戦っていた女医の日記を再現した『トゥイーの日記』を思い出しました。まだ読んでいないという人には、ぜひとも本書とあわせて、この2冊も読んでほしいと思います。戦争の非情さ、二度と戦争なんかしてはいけないということが、惻々と伝わってきます。
  独ソ戦時の1943年、ソ連赤軍には、2000人以上の女性襲撃兵がいた。
  狙撃兵は、歩兵部隊の戦術において効果的に運用された。狙撃の標的となるのは、第一に指揮官。次に機関銃射撃兵、そして狙撃兵自身の最大の脅威となる敵の狙撃兵である。
  1944年5月、東欧戦線においてドイツ軍の劣勢は確実になっていた。しかし、装備や練度でまさるドイツ軍の反抗戦はすさまじく、ソ連赤軍は戦線維持や攻略戦に勝利したとしても、その戦死者はドイツ軍よりも多かった。
  ソ連赤軍では、2000人以上の女性狙撃兵が任務についた。そのうち戦後まで生きのびたのは500人だけ。従軍した女性狙撃兵の7割以上が戦死した。
  ソ連の記録によれば、大戦中の赤軍に49万人の女性兵士がいて、そのうち9万5千人が戦死した。
  劣勢となったドイツ軍は、ソ連赤軍の制圧地域に狙撃兵を送り込み、赤軍の将校やその他の兵士に対する狙撃を活発化させた。広範な地域に潜伏する敵の狙撃兵に対する有効は手段は狙撃兵しかない。カッコーと呼ばれたドイツ軍の狙撃兵は、よく訓練されていて、優秀だった。ドイツ軍の狙撃銃は、命中精度や耐久性が高かった。
  本書の主人公は、3冊の日記を残しました。当時のソ連赤軍は、兵士が日記をつけるのを厳しく禁止していたにもかかわらず・・・。よくも、そんな日記が残っていたものです。
  日本軍は、兵士が日記をつけるのを禁止していませんでした。それで、戦闘で倒れた日本兵の日記をもとにアメリカ軍は情報分析することができました。
  ソ連赤軍が日記を禁止していたのは、なぜでしょうか。文字の読み書きができない兵士が多かったということもあるのでしょうか・・・。
  日本人にしては、よく調べて小説になっていると、驚嘆しました。
  それにしても、ヒトラーもスターリンも、人間の生命をなんとも思っていなかったことに改めて怒りを覚えてしましました。日本のアベ首相も勇ましいことを言っていますが、本当に私たち国民の生命を尊重しているとは思えません。
(2015年10月刊。2500円+税)

トレブリンカ叛乱

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  サムエル・ヴィレンベルク 、 出版  みすず書房
ナチス・ドイツの絶滅収容所の一つであるトレンブリンカ収容所で1943年8月2日に叛乱が起き、100人ほどが収容所からの脱走に成功した。その一人が語った内容が本書になっています。よくぞ生きのびたものです。
ここは効率よく、よどみなく動く最高級の死の工場なんだ。衣服を脱ぐと、男たちは隣接する収容所に連れていかれる。砂の土手を走り抜く。そこはもうすでに、死の収容所だ。そこで彼らはガス室に詰め込まれる。ガスで息絶えると、屍体は深く掘った窪みに投げ込まれる。そこがいっぱいになるとすぐ、次の窪みを掘る。屍体は、町ごとに一緒に埋められていく。
著者は他の囚人から次のように言われた。
「おまえはアーリア人に見える。話し方も大丈夫だ。絶対にユダヤ人らしくない。ここから逃亡し、おまえが見たこと、まだ見てはいないことを世界に知らせなければけない。それが、おまえの務めだ」
この言葉を著者は実行したのです。
「身体検査をするので、服を脱ぐように」、「野戦病院」という標識こそが、トレブリンカの謀略に抵抗しようとする人々を欺く仕掛けなのである。          
収容所一帯には、腐敗した屍体から出る、きつい刺激的な吐き気をもようしそうな臭いが漂っており、それが鼻孔から浸透し、肺を満たし、唇をつつむように広がっていく。
歯医者と呼ばれる囚人たちは、屍体の口をあけ、金歯を引き抜く。
ユダヤ人の最後の家財を整理する仕事がある限り、担当する囚人の生命を延ばす。
そして、カポは、ドイツ兵に仕事を急いでやっているように思わせた。囚人たちは、SSがいなければ、どんな場合も、過度にスピードを出して働こうとはしなかった。カポは耳をそばだてて、SSが近づいてくるのをいつも注意していた。
  20歳くらいの可愛い女性がいた。名前は、ルート・ドルフマン。大学の入学許可を得たばかり。自分を待ち受けていることが何か、ちゃんと気がついていて、隠そうともしない。彼女の美しい目は、恐怖も、苦悩も一切、示していない。ただ悲嘆、無限の悲哀を表していた。  
「どのくらい苦しまなければいけないの?」
「ほんのちょっと、一瞬だよ」
重たい石が彼女の心からころがり落ちたようだ。われわれ二人の目から涙があふれた。
青酸カリの錠剤をもっていて、いざというときにはそれを使おうと考えている人でも、最後に自分を待ち受けるものが何かを信じようとしなかった人がいることを知らなくてはいけない。素裸になってガス室まで死の道をSSの棒でたたかれ走ってきたとき、青酸カリは衣類の中に入ったまま広場に置かれている。つまり、毒をのみ干そうという精神力も勇気も出せなかったのだ。
うむむ、なんと重い決断でしょうか・・・。
このにおいは、われわれの体、存在そのものの一部になってしまっていた。それは、我々家族、我々の愛した者たちが残したすべてであり、ガス室で虐殺されたユダヤ人の最後の形見である。ひとたび我々の身につくにおいとなると、松の枝のからまった鉄条網を通り、周囲数十キロを流れて、収容所の存在や、そこからもれてくるものを説明していた。
著者はトレブリンカ収容所の脱走に成功したあと、1949年8月のワルシャワ蜂起に参加します。ワルシャワの人々がナチス・ドイツ軍に抵抗して立ちあがったのです。ソ連軍はワルシャワ市の対岸まで来ていたのですが、ポーランド軍を見殺しにしています。
蜂起軍は降伏するのですが、著者は生還してイスラエルに渡ることができたのでした。手に汗を握る話が続いていきます。よくぞ生きのびたものです。
(2015年7月刊。3800円+税)

ヴァイマル憲法とヒトラー

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  池田 浩士 、 出版  岩波書店
 ヒトラー・ドイツと向きあうことは、「第三帝国」の12年3か月間とだけ向きあうのではなく、そのあとに来た歴史と向きあうことでもある。
 ナチス・ドイツが行った残虐行為や侵略戦争は、ヒトラーとナチスという、一人の独裁政治家と一部の「狂信者」たちとによってなされたものというのは、間違った歴史観である。
ヒトラーは、クーデターや暴動によって政権を奪取したのではない。首相を任命する権限を持つヒンデンブルク大統領を威嚇して指名を取り付けたのでも、政界その他の有力者を強制あるいは買収して首相の座に就いたのでもなかった。ヒンデンブルク大統領から合法的に首相として指名を受けた。
  ヒトラーは、合法的に、民意によって政権の座に就いた。これは歴史的事実である。
ヴァイマル憲法下のドイツの国会議員選挙は、有権者の意思をできるだけ的確に反映することを重視した仕組みになっていた。20歳以上のすべての国民が有権者で、男女の差別はなかった。ちなみに、日本では女性の参政権は戦後はじめて与えられた。
ヴァイマル時代の国会選挙の投票率は高く、低くても70%台後半、高いときには80%台半ばだった。
  1932年3月の大統領選挙では、現職のヒンデンブルクが1865万票、次いでヒトラーが
1134万票、共産党のテールマンは498万票だった。
1928年から1933年までのドイツでは、失業率の上昇とナチ党の得票率の増大はぴったり対応している。1932年の国会選挙では、それまで投票に行かなかった無党派層がナチ党に投票している。失業者の票を吸収したのはナチ党ではなく共産党だった。失業率のむしろ低い地域でナチ党は躍進した。それは自営業の人々が、明日は我が身という心配からだった。いま失業者となって飢えている工業プロレタリアートではなく、同じ道をたどるだろう中間層と職人階層、そして自営農民たちが、迫りくるものについての不安や危機感からナチスを支持して投票した。共和国の民主主義政治そのものへの不信と反感を、この現実にもっとも激しい攻撃を浴びせるナチスへの支持として表現した。
 ヒトラーが首相になったとき(1933年1月30日)、7歳から32歳までの世代は、ナチ党の誕生から「第三帝国」の崩壊までの時代に、観客ではなく、もっとも中心的な共演者だった。
 1933年3月の国会選挙で、ナチ党は得票率44%、288議席にとどまった。しかし、当選した81人の共産党議員を除外した。そして、社会民主党の120人の議員のうち94人しか国会には出席できなかった。そして、「全権委任法」が成立した。この法律は、国会から立法権を奪い、行政府であるはずの政府が立法権をもつとした。
 国会での審議抜きで、すべての法律が政府によって決定された。ヴァイマル憲法の制約からヒトラー政府は解放されてしまった。
ヒトラー政権下では死刑が横行した。1942年から44年までの2年間だけで4951人に死刑判決が下った。軍事裁判によって死刑を執行された人は2万人にのぼる。ナチス・ドイツの死刑は軍国日本のそれより70倍以上も多かった。
ヒトラー時代は良かったという人がいる。しかし、現実にはヒトラーは社会的差別をなくしてはいない。労働者の賃金は下がり、職員の給与は上がっている。
 ヴァイマル憲法とヒトラーとの関係について、日本人である我々も正しく認識すべきだと改めて思いました。
(2015年6月刊。2500円+税)

イスラーム国

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  アブトルバーリ・アトワーン 、 出版  集英社インターナショナル
 「イスラーム国」は、今や単なるテロリスト集団ではなくなってしまいました。
  日本人が人質となり殺害されてしまいましたが、今後もありうると本書は日本人に警告しています。
遠く離れた日本にまで、イスラーム国の脅威が及ぶことはないと楽観するのは禁物だ。イスラーム国は、世界でもっとも大きい脅威の一つであり、まったく新しいタイプの脅威である。その理由は、三つある。一つは、イスラーム国が経済的に自立した組織であること。モスルのイラク中央銀行から615億円(5億USドル)を強奪し、石油販売で1日246億円の収入があり、イラクとシリアの半分を占める支配地域の住民1000万人から税金を徴収している。
  二つ目は、兵器を自給していること。2700をこえる戦車、装甲車、軍用車両を所有している。三つには、支配地域を統治する能力を有していること。
  「イスラーム国」は今や「国家」に近い組織になっている。アルカーイダとは異なるイデオロギーや形成過程と目標をもつ組織である。
  「イスラーム国」が他ジハード組織と異なるのは、自らのイデオロギーにもとづき社会を根底から変革すること、変革のためには残忍な行為もいとわず、むしろ敢行すること、西欧による植民地支配を区別して考えないこと、にある。
  イラク旧政権の将校たちが、「イスラーム国」の中枢部を担っている。
  「イスラーム国」の戦闘員は12万人に達し、さらに増え続けている。
  「イスラーム国」は「電子軍」と呼ばれる、高度な技術をもったサイバー集団を有している。イスラーム国は、「身代金ビジネス」をすすめ、2014年の1年間に24億円を上回るお金を手にした。
「イスラーム国」による過剰な暴力は、意図的かつ計画的なものである。残虐行為は、脅迫であると同時に、抑止ともなる。人々への脅迫は、それ自体が武器である。
  イスラーム国の戦闘員10万人のうちの30%以上が外国人である。外国人戦闘員の出身国は80ヶ国にものぼる。ヨーロッパ人のなかではフランスが多く6%、次いでイギリス人の4.5%を占めている。
  「イスラーム国」がアルカーイダなどの組織と異なるのは、広報宣伝をインターネットのみならず、街頭でも堂々とおこなうこと。人生経験に乏しい若者にとって、その宣伝は、とても魅力的なものにうつった。
  「イスラーム国」はインターネットを通じた広報宣伝に加え、モスクの行事やムスリムの移民コミュニティ内のグループを通じてリクルートを行ない、ラディカルな思想を広めている。
  「イスラーム国」のメディアは、これまでに例を見ない高いクオリティを斬新さをもっていて、欧米諸国のメディアを圧倒した。この心理戦は、ときに実戦よりも重要な意味をもつ。
  「イスラーム国」の実体を知りたいという方は、強く一読をおすすめします。
(2015年8月刊。2400円+税)

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