法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: ヨーロッパ

ヴィクトリア女王の王室

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  ケイト・ハバード 、 出版  原書房
19世紀イギリスのヴィクトリア女王の宮廷の実情が女王付きの女官の生活を通じて明らかにされている本です。
宮廷というのは、とんでもなく退屈な空間だったことがよく分かります。私なんか、とても耐えられそうにありません。
空想以外には何の退屈しのぎもなく、何時間もただひたすらじっと待機しているだけの状態が続く。「命令」を待つだけの終わりのない待機。頭ごなしの命令を受け入れるしかなく、義務にがんじがらめにされるだけ。宮廷は、毎日が同じことの繰り返しで、それが毎年続いていく。ウィンザー城の生活は、おだやかな退屈とともに進んでいった。
ヴィクトリア女王は、誰がどの部屋に泊まるのか、誰が馬に乗って、誰が馬車に乗るのか、さらには食堂に入るときにつくる列の順番まで決めていた。つまり、訪れる者たちのあらゆる行動を管理していた。
王室というのは息苦しい閉鎖空間だ。少人数で、互いを思いやる必要がそれほどなく、暇をもてあまし気味で、しかも家族や友人といった外の世界とは切り離されている。そこでは、ほんのわずかなゴシップの種にも飛びつき、むさぼる者が大多数だった。
ヴィクトリア女王は独立心の権化とも言える存在だった。女王が下す判断は本能的かつ断定的で、自分が愛する人々に対しては熱狂的に、ときには盲信的なまでに忠実だった。他方、自分が気に入らなかったり、それ以下の感情を抱いた相手に対しては、徹頭徹尾、冷ややかに接した。
女王に近づいたり離れたりする際の決まりがあった。ドレスの裾をどうやって持ちあげるかについても規則があった。離婚した女性は夕食には同席できなかった。
ヴィクトリア女王にとって、子どもたちは、人生にとってもっとも大きな喜びである夫・アルバートとの人生における障害物だという意識を捨てることができなかった。
エリザベス一世の時代、女官たちは、上から寝室付きの女官、私室付きの女官、女官、未婚の女官と、4つの階級に分かれていた。ヴィクトリア女王の女官は大部分が下流貴族の妻や未亡人や娘たちだった。
宮廷では、自由な意思と自主性は捨てる必要があった。そこでは、辛抱と自制心、そして寛容の精神が求められた。
イギリスの女王の宮廷生活の一端を知り、その恐ろしい退屈さを知って、身が震えてしまいました。可哀想な人生としか私には思えません。創意や工夫が許されない生活だなんて・・・。人間らしさが感じられません。
(2014年11月刊。2800円+税)

クルスクの戦い.1943

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  デニス・ショウォルター 、 出版  白水社
 独ソ「史上最大の戦車戦」の実相というのがサブ・タイトルです。1943年の7月から8月にかけて、独ソ両軍あわせて将兵200万人以上、戦車と突撃砲が6000両以上、航空機も4000機以上が激突していますから、史上最大の戦車戦というのは誇大でもなんでもありません。そして、この本では、そのうちの狭義の「クルスクの戦い」を主として扱っています。7月5日から12日までの「プロポフカの戦い」です。このとき、ドイツ軍は兵員7万、戦車・突撃砲300両で攻め、守るソ連軍は兵員13万、戦車・突撃砲600両でした。
 ヒトラー・ドイツ軍はその前の1943年2月までにスターリングラードでソ連軍によって壊滅的敗北を喫しています。ですから、一挙にドイツ軍が敗退していくかというと、そうではありません。高度に発達した戦車(パンター、ティーグル)や飛行機そして、練度と士気の高い軍人集団だったのです。
 ドイツ軍はスターリングラード敗戦の雪辱と失地回復を狙って乾坤一擲のツィタデレ作戦を展開します。クルスク突出部にいるソ連軍をドイツ軍が北と南の二方向から攻めて包囲殲滅しようとしたのです。結局、このドイツ軍の作戦は失敗し、ドイツ軍は退却していきます。ソ連軍は冬だけでなく、夏でもドイツ軍に勝てることを証明したのでした。
 でも、そのために払ったソ連軍の犠牲は、ドイツ軍のそれをはるかに上回っていました。
 クルスク戦における損害は、ドイツ軍が戦車などの装甲戦闘車両250両、兵員5万5000に対して、ソ連軍の犠牲は装甲戦闘車両2000両、兵員32万となっている。数字だけをみればドイツ軍が戦術的には勝っていた。しかし、敵の6倍の人的損害、8倍の装甲戦闘車両の損害を出しても変わることのなかったソ連軍の数量的優勢がクルスクの戦いの帰趨を決定した。
 これほどの犠牲を出してまでも、ソ連軍は戦い続けることができた。それはなぜなのか・・・。これは今もまだ完全に解明しつくされたとは言えない問題である。
 この本は、この狭義の「クルスクの戦い」の状況を、詳細に語り尽くしていて、その疑問を解明しようと試みています。
 ソ連では、戦争中に40万人もの戦車兵が養成された。そのうち30万人以上が戦闘で死んだ。これは、ナチのUボート乗組員の戦死率に匹敵する。しかし、その数は10倍も多い。
ソ連軍の戦車兵は「どうせ死ぬなら、なるだけ多くのヒトラー主義者を道連れにしてやろう」と決意していた。
ソ連軍は戦争をサイエンス(科学)として見たが、ドイツ軍はそれをアート(技芸)として解釈した。
 1942年に、ドイツ軍は東部戦線だけで、毎月平均10万以上の戦死者を出していた。そして、戦車5500両、火砲8000両、25万両の自動車を失った。さらに損失処理された2万機の航空機の3分の2はソ連で失われた。
 ドイツ軍の戦車設計は、防護と加力と対照的に機動性と信頼性を重視していた。ソ連軍のT-34戦車は、ドイツ軍の戦車のできることは何でもできるうえに、装甲が優れ、さらに強力な76ミリ砲を搭載していた。これに対して、ドイツ軍のパンター戦車は、納入台数250両と少ないうえに、重量45トンを支えるエンジンに問題があった。
 ティーガー戦車は航続距離が200キロ、時速32キロでしかなかった。しかも、ツィタデレ作戦の開始時には128両しか配備されていない。
 ドイツ軍の戦闘機訓練生は飛行時間の70時間で現場の部隊に配属された。それに対してソ連軍はわずか18時間にすぎなかった。
 ヒトラー以下のドイツ軍首脳部において、ツィタデレ作戦は、ギャンブルだという認識で一致していた。
 ティーガー戦車をやっつけるには、洗練された技能が必要だった。射程の近くに引き寄せて、その車体ではなく無限軌道に砲火を集中する、冷静な頭と確実に狙いを定めることが決め手となる。ソ連軍は、その両方を兼ね備えていた。
 ドイツ軍は戦闘開始初日の7月5日に装甲戦闘車両を500両以上も投入したが、その半数がその日の終わりまでに動けなくなっていた。
 クルスク戦のソ連軍戦車兵のなかには女性兵士も少なくなかった。T-34戦車の窮屈な操縦室に比較的らくに収まり、そしてそこから出るのも容易だった。操縦手だけでなく、車長や砲手にも女性兵士がいた。ソ連のT-34戦車の34両のうち、26両が撃破された。ドイツ軍は、ツィタデレ作戦の過程で38人の連隊長と252人の大隊長を失った。
 いやはや、実にすさまじい凄惨きわまりない戦場の実相が詳細に発掘・紹介されています。
 クルスク戦車戦に関心のある人には必読の本だと思いました。
(2015年5月刊。3900円+税)

第二次世界大戦 1939-45(中)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  アントニー・ビーヴァ― 、 出版  白水社
 第二次世界大戦が進行していくなかで、ヨーロッパ戦線と日本を取り巻く太平洋戦線とが結びついていて、独ソ戦と独英戦も連結していたことを改めて認識しました。
よくぞここまで調べあげたものだと驚嘆するばかりです。世界大戦の激戦が、双方の陣営の動きに細かく目配りされていますので、総合的な視野でとらえることが出来ます。
1940年夏に起きた中国の百団大戦は、日本軍を震えあがらせた。それまで中共軍を見くびっていた日本軍は考えを改めされられた。
ところが、この百団大戦について、毛沢東は心中ひそかに恨んでいたというのです。日本側の支配する鉄道や鉱山に相当の打撃を与えたけれど、共産党側にも多大の犠牲を強いた作戦であり、結局、国民党に漁夫の利を得させたから。
スターリンは、毛沢東とは、日本軍という眼前の敵と戦うことより、国民党から支配する地域への蚕食にむしろ関心を示す男だと悟った。
そして毛沢東は、党内に残るソ連の影響の残滓を払拭するのに努めていた。
共産党は阿片の製造・販売に手を染めていた。1943年にソ連は、中国共産党がアヘン販売した量は4万5千キロ、6000万ドルに達するとみた。
1939年8月のノモンハン事件におけるソ連軍の勝利は、日本に「南進」政策への転換をうながし、結果的にアメリカを捲き込むうえで、一定の役割を果たしただけでなく、スターリンが在シベリアの各師団を西方に移動させ、モスクワ攻略というヒトラーの企図を挫くことにもつながった。
 独ソ不可侵条約の締結は、日本に激震を走らせ、その戦略観に多大の影響を及ぼした。日独間の相互連絡は欠如していた。日本は、ヒトラーがソ連侵攻を開始するわずか2ヶ月間に、当のスターリンと日ソ中立条約を結んだのである。
 日本は1941年12月の真珠湾攻撃を事前にドイツに伝えてはいなかった。ゲッペルス宣伝相によれば晴天の霹靂であった。ところが、この知らせを受けたヒトラーは至福の歓喜に包まれた。アメリカが日本軍の対応に忙殺されたら、太平洋戦争のせいでソ連とイギリスに送られるべき軍需物資が先細りなると期待したからだ。
 しかし、米英軍のトップは、「ジャーマン・ファースト」(まずはドイツを叩く)方針が合意されていた。これをヒトラーは知らなかった。
 1941年12月11日、ヒトラーはアメリカに宣戦布告した。ただし、ドイツ国民の多くは、宣戦布告したのはアメリカであって、ドイツではないと考えていた。ヒトラーのアメリカに対する宣戦布告は、ドイツ国防軍のトップに何ら助言を求めることなくヒトラーの独断でなされた。
 しかし、当時、ヒトラー・ドイツ軍はモスクワを目前にしながら一時的撤退を余儀なくされていた。この時期にあえてアメリカ相手の戦争を始めるというヒトラーの判断は、軽率のそしりを免れない。アメリカの工業力の凄みを一顧だにしない総統閣下に、ドイツの将軍たちはみな狼狽した。
ヒトラーはいきなり対米戦争を決断した。おかげでドイツ海軍は、いくら攻撃をしたくても、肝心のUボートが当該海域に一隻もいないという状況に陥った。
ヒトラーの反ユダヤ主義は、もはや強迫観念の域に達していた。ヒトラーは、真珠湾攻撃がアメリカの国民感情に与えた衝撃の大きさを見誤った。
アメリカで自動車を大量生産していたフォードは、1920年以降、極端な反ユダヤ主義を信奉し、ヒトラーは、フォードに勲章を贈りその肖像画を飾っていた。
ユダヤ人がガス室で流れ作業のように陸続と殺されているなんて話をドイツ市民の大半は当初信じなかった。しかし、いわゆる「最終的解決」のさまざまな局面において、多くのドイツ人が関与し、また産業界や住宅供給面で、ユダヤ人資産の没収の役得にあずかった人々があまりにも多かったため、ドイツ国民の半数には至らぬまでも、かなりの数のドイツ人が実際には今、何か進行しているのか、相当正確に把握していたことは確かである。
 衣服に必ず黄色い星印のワッペンを付けることが義務化されたときには、ユダヤ人に対してかなりの同情が寄せられた。ところが、ひとたび強制収容が始まると、ユダヤ人たちは、仲間であるはずの市民から、人間と見なされなくなっていく。ドイツ人たちは、ユダヤ人の運命をくよくよ考えなくなった。これは単に目をつぶるというより、事実の否定によほど近い行為だった。
 ドイツ人の医師たちが、ユダヤ人の死体に加工処理を施して、石鹼や皮革に再生させようとした。身の毛もよだつ真実でも、それを語るのは作家の義務である。そして、それを学ぶのは、市民たる読者の義務なのだ。
日本軍がインドネシアを占領すると、オランダ人とジャワ人の女性は日本軍のつくった慰安所に無理やり放り込まれた。慰安所での一日あたりのノルマは午前が兵士20人、午後が下土官2人、そして夜は上級将校の相手をさせられた。そうした行為を無理強いされた若い慰安婦が脱出を測ったり、非協力的だったりすると、当人はもとより両親や家族にも累が及んだ。
日本軍が強制的に性奴隷とした少女や若い女性は10万人に達すると推計されている。
 占領国の女性を日本軍将兵のための資源とする政策には、日本政府の最上層部の明確な承認があったはずである。
アメリカ陸軍は、ヨーロッパ本土でドイツ国防軍を相手として、いきなり頂上決戦にのぞむ前に、どこかで実戦経験を積んでおく必要があった。連合軍総体としても、海峡越えの侵攻をいきなり試みる前に、敵前強襲上陸作戦にどのような危険がともなうか、アフリカで具体的に学べてよかった。
 1942年11月のガダルカナル島の戦いで日本軍がアメリカ軍に惨敗した。気象条件は天と地ほども違うが、ちょうどスターリングラードの戦いと同時期だった。日本軍の無敗神話につい終焉が訪れた。太平洋戦争に心理的転換点をもたらした。
 スターリングラードの戦いにおいて勇敢なソ連軍兵士のなかでも、もっとも勇敢だったのは、若き女性のパイロットたちも若い女性兵士たちだった。彼女らは夜の魔女と呼ばれた。そして、狙撃兵にも女性兵士が活躍した。
 第二次大戦の実際を知るには必読の本だと思いながら、520頁もの大部の本を読み進めました。
(2015年7月刊。3300円+税)

ムシェ、小さな英雄の物語

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  キルメン・ウリベ 、 出版  白水社
 1937年、スペインのバスクから2万人の子どもたちが海路、フランス、ソ連、イギリスそしてベルギーへ旅だった。スペイン内戦からの疎開だ。この2万人のバスクの疎開児童は、その後、どうなったのか・・・。
 この本は、バスクの少女・カルメンチュのベルギーにおける里親となったロベール・ムシェの人生を追跡しています。
 ロベールは、より良い世界のためにすべてを捧げた。当時は、そういう人間が必要とされた。戦争のなかで、もっとも人格に優れた人たち、心優しい人たちが命を落とした。
 ところが、英雄であることは、裏の、陰の側面をもっている。それは、後に残された者の苦しみ。夫と父親を亡くした苦しみを、生き残った人々に残した。そして、その後の社会の担い手になるのは、その生き残った人々なのである。
 ロベールはレジスタンス活動をしていくなかで、ついにナチスに捕まり強制収容所に入れられた。そして、強制収容所のなかで、ロベールは若い弁護士と知りあった。収容所内でもレジスタンス活動はあり、政治犯たちは囚人たちを目立たないようにして保護していた。
ロベールの収容所での役割は、希望を広めること。この地獄も終わりが近いことを伝えることだった。
ナチスの目的は、囚人たちに死の脅威のほかには何も考えられなくなるように仕向けること、苦悶と屈辱を味わわせることだった。それに対して、レジスタンス運動のグループは、言葉を用いて、口伝えで情報を広め、士気を高め、希望をよみがえらせることでナチスと闘った。言葉こそがささやかな武器のなかで、もっとも強力なものだった。この秘密裡の活動を通じて、ロベールは生き返った。人々に勇気を与える役目をこなしながら、愛する妻子のもとに帰れると知ったことで、生きる喜びがふたたび湧きあがってきた。
 ロベールには、人生で何より大切なことが二つあった。それは、愛と正義。この二つの目標を持つことで、ロベールはその長く厳しい冬を耐え抜いた。
 著者は1970年にバスクで生まれています。親の世代に何がバスクで起きたのかを調べて小説風の読み物に仕立てたのです。
 バスクを旅だった2万人の子どもたちの多くが再びバスクに戻ることはなかったようです。
 有名なゲルニカの虐殺が起きたころのスペイン内戦にからんだ話でした。まったく知らなかった話です。
(2015年10月刊。2300円+税)
今年は国際的にも、日本でも大変な年でした。フランス大好きな私にとって、パリの同時多発テロはショックでした。空爆でISを「退治」できるはずがありません。暴力の連鎖がひどくなるばかりです。アベ首相の安保法によって自衛隊が海外へ戦争しに出かけることが可能となり、日本の平和が危なくなってしまいました。安保法を運用させない、その廃止を目ざして新年もがんばります。
今年よんだ本は540冊になりました。そして、40年前の修習生活をようやく小説化することができました。春までの出版を目ざしています。私がこの本で訴えたいことは、裁判官にもっと勇気をもってもらいたいということです。夫婦別姓の最高裁判決は自民党への気がねのしすぎです。福井地裁の原発容認は電力会社に屈服してしまっています。残念です。
新年もどうぞ、ご愛読ください。

FIFA、腐敗の全内幕

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  アンドリュー・ジェニングス 、 出版  文芸春秋
  71歳の調査報道記者が世界サッカーを統括する国際サッカー連盟(FIFA)を食い物にする、汚いヤミ取引の内幕を暴露しています。
  スイス警察がFIFAの最高幹部7人を逮捕した。その容疑は、1億5000万ドルの横領。
  著者のジェニングスは、1980年代には汚職警察、タイの麻薬取引そして、イタリアのマフィアを調べ上げた。そして、ここ15年は、国際サッカー連盟(FIFA)に焦点を絞っていた。
  FIFAをマフィアと呼ぶのは冗談ではない。FIFAを牛耳るブラッター会長のグループは、組織犯罪シンジケートを共通する要素をすべてそなえている。強くて冷酷なリーダー、序列、メンバーに対する厳しい掟、権力と金という目標、入り組んだ違法で不道徳な活動内容。
ブラッター会長は6つのサッカー連盟を支配している。
ブラッター会長は、ワールドカップが稼ぎ出す何十億ドルもの大金を背景に、巨大な権力を握っている。その権力をつかって209の国と地域を買収する。そして、相手は彼が権力の座を確保できるように喜んで投票する。潤滑油となっているのは、ほとんど無審査の「開発育成交付金」であり、現金で売られる莫大な数のワールドカップ・チケットだ。
  チケットは闇マーケットに流れ、表に出ない無税の利益になる。ブラッターが見返りに求めるのは、投票場での忠誠と会議での沈黙だけ。
  連盟や協会の多くの代表にとって、ブラッター会長は自分たちのお金で買うことのできる最高の会長だ。そんなブラッターを交代させる手はない。ブラッターよ。永遠なれ!
  こんな巨大な国際組織の中で反対意見はめったに聞こえてこない。FIFAは本質的に反民主主義の組織なのである。
  FIFAは2010年に2018年と2022年の開催地を同時投票で決定した。大会の開催地を一度に2回分決めたことは、かつてないこと。10年先のスポンサー権やテレビ放送権の価値を正確に予測することは誰もできないのに・・・。
  ブラッター会長の世界では、「沈黙の掟」を破ることこそ、組織犯罪で最大の罪である。
  この「掟」を破った理事は永久追放される。
ブラッター会長は、役員会の内容をすべて規則によって「極秘」とした。それによって、FIFAのお金を自由に使える。最高級のホテルで贅沢三昧をし、チャーター機で王様のような旅をした。給料、ボーナス、必要経費、車、住宅手当など、あらゆる項目で、自分と家族そして愛人のためにFIFAからお金を絞りとった。
  ブラッター会長は、ほかの役員の同意を要せず、自由に小切手を切ることができた。
  そして、FIFAのお金を、どんな相手にも渡せた。FIFAの規約では、ブラッター会長は、世界のいかなる国の法律の制約も受けないと定められている。
  この本を読むと、サッカー試合って、まるで汚物まみれにしか見えなくなります。スポーツによって健全な精神が養われ、育つどころではありません。早くなんとかしてほしいものです。
(2015年10月刊。1600円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.