法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: ヨーロッパ

シェイクスピア

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 河合 祥一郎 、 出版  中公新書
ヒトゴロシの芝居をイロイロ書いた。シェイクスピアが生まれたのは、1564年4月23日ころ、亡くなったのは1616年4月23日。52歳で死んだことになる。1616年は、徳川家康が死んだ年でもある。
シェイクスピアは、生涯にわたって王族のカリスマ性に圧倒され、それを舞台でも表現しようとした。
シェイクスピアは、20歳の若さで三児の父親だった。当時のイギリスでは、劇の作者が誰なのかは、あまり問題にされなかった。それは江戸時代初期の歌舞伎の狂言作者と同じだった。そして、当時の台本は、何人かの書き手が共同で一冊の台本を書き上げることが日常茶飯事だった。
世の中の大きな流れにくみせず、少数派の見方も否定しないのがシェイクスピアの書き方。『ヴェニスの商人』には、当時蔑視されていたユダヤ人の視点も取り入れ、キリスト教徒たちの偽善性が暴かれている。
シェイクスピアは1604年、薬屋を35シリング10ペンスの不払いと10シリングの賠償金を求めて裁判に訴えた。シェイクスピアは、金銭に細かい人物だった。そして、当時のイギリスは、こんなことでも裁判沙汰にするほど訴訟が日常茶飯事だった。
シェイクスピアは1616年4月23日に亡くなったが、死の3ヶ月前に遺書を書いている。したがって、病死したと考えるのが自然だ。
シェイクスピアの演劇に幕は必要なかった。大掛かりな舞台装置は使われず、いわゆる場面転換もなかったからである。
張り出し舞台で、平土間には客席がない。つまり、客は立って観劇していた。
シェイクスピアの舞台は狂言と同じで、幕のない張り出し舞台で、女優も登場しない。女役は少年俳優が演じた。
シェイクスピアの劇をはじめ、エリザベス朝の演劇では、変装が頻繁に用いられた。76%もの劇で変装が用いられている。ただし、変装は基本的に喜劇的な手法であるため、悲劇では、あまり用いられない。
日常生活ではロゴス(理性)に支配されることが多いが、演劇は理性と対立する感性の世界においてその力を発揮する、そして、そこでもっとも重要となるのは想像力だろう。それは、ときに新たな現実そのものをも生み出す力さえ持っている。
さまざまな人々の生きざまを描いてきたシェイクスピアが最後に到達したのは、「信じる力」の大切さだった。いかに生きるか、それが問題だ。
久しぶりにシェイクスピアを読んでみたくなりました。
(2016年6月刊。820円+税)

イスラーム国の黒旗のもとに

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 サーミー・ムバイヤド 、 出版  青土社
2014年夏、ISISがシリアとイラクの広大な領土を制圧したとき、大半の人はこれが短期的な現象で、そのうち消え去ると考えた。しかし、このテロリスト集団は支配を強化し、2014年9月以来のアメリカ主導の大規模な空爆作戦下で生きのびている。
ISISは、裁判制度や機能的な警察部隊、強い軍隊、洗練された諜報機関、国歌そしてアルカイダの黒い幕を基にした国旗といった、国家としての象徴をもうけることで政府を完成させた。石油収入により国庫を満たし、一国家にふさわしい機能を完成させている。
ワッハーブ主義の存在なしにサウジアラビアは誕生しなかったし、ISISが今日、シリアの町ラッカを支配することもなかった。
「サウジアラビアは、依然として、アルカイダや他のテロリスト集団にとって決定的な財政援助の拠点である」(2009年12月、アメリカのヒラリー・クリントン国務長官)
2014年半ばにアブー・バクル・バグダーディーが一躍有名になった背景には、そもそもアラブ世界のスンニー派共同体に傑出した指導者がいないことによる。スンニー派の世界には、自分たちが弱体化し、リーダーもおらず、犠牲となり、見放されたのだという雰囲気がある。
今日、シリアで活動しているジハード主義のグループは、決して新興の勢力などではない。彼らの思想的なルーツは、1940年代半ばに設立されたムスリム同胞国シリア支部にさかのぼることができる。
2011年に戦争が始まったとき、反体制運動を起こした若者の多くは、1982年に犠牲となった人々の子どもや孫たちである。
シリア政府としては、アメリカ軍を標的とする限りにおいて、ジハード主義者がイラクに渡航することにやぶさかではなく、むしろこれを奨励した。このとき、シリア政府は、フセイン政権の崩壊10年後に、ジハード戦士たちが自国を戦場にして戻ってくるとは想像していなかった。
ヌスラ戦線が兵士に支払っていた給料は最大で月400米ドル。これに対してISISは800ドルを支給した。2013年半ばまでに、ヌスラ戦線の兵士の7割がISISに移った。
ISISは、2015年半ば、シリアとイラクに3万5千人から5万人の兵士をかかえ、9万平方キロの領土と600万人を支配している。これはイギリスと同等の領土の所有、フィンランドやデンマークの人口よりも多い。
2010年5月、バグダーディーは、39歳にしてイスラーム国の新しい元首となった。
2011年初めまでに、旧バース党出身者は、バグダーディーの勢力の上位25人の司令官のうち3分の1を占めた。旧バース党の将校は、戦争、コミュニケーション、規律の点で経験を積んだ兵士であった。
ISISが支配する領土では、ヌスラ戦線以上に苛酷だった。
ISISの戦略は、テロリストの戦略と正規軍の歩兵作戦とを結合させた、高度に多角化したものだった。
キリスト教の文化と違って、ISISにとって黒は死や喪服ではない。黒は日常の色である。
ISISの警察の重要な職務は、パン屋が十分に営業し、日々の小麦を供給されているか、ということを確かめることにある。そして、DVDはISISにより厳しく禁止されている。公共の場での刑罰と斬首はISISの領土では一般的である。
ISISの旗の下に、シリアの戦場へ来た外国人は2万5千人前後。外国人戦闘員の平均年齢は25歳。60%が到着時には独身だった。生活基盤ができてから、地元社会の者と結婚する。ヨーロッパ人戦闘員は、シリアのジハードに多数参加している。1万6千人と見積もられている。ISISに参加する若者が週平均5人はいる。
ISISには女性もやって来る。全員がジハードを経験するために、戦うために来たのではない。その多くは、だまされて、やって来ている。多くは、結婚して子どもをうむために来た。
これらの人々がISISに参加した理由は、単にお金のためや、アブー・バクル・バグダーディーの長い剣の脅しのためではなかった。以前の社会がバラバラになって、彼らを振るい落し、腐敗した貧困と無知になかに放置しておいたために参加した。
ISIS(イスラーム国)の実態に迫った本です。とても参考になりました。著者はシリア人です。
(2016年10月刊。2600円+税)

テレジン収容所の小さな画家・詩人たち

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 野村 路子 、 出版  ルック
アウシュヴィッツに消えた1万5000人の小さな生命(いのち)というサブタイトルのついた絵本です。
アウシュヴィッツをはじめとする絶滅収容所で殺された子どもは1万5000人どころか、150万人といわれている。そんな子どもたちの怒り、悲しみ、夢、祈り、そして、生きたいという叫び・・・。生命のメッセージが伝わってくる。
ユダヤ人の子どもたちは、学校へ行くことを禁じられ、遊園地やプールからも締め出された。もちろん、これはヒトラーが叫び、権力を握って推進した政策ですが、それを支援したドイツ人大衆がいたわけです。いまの日本で、ヘイトスピーチをし、それに沈黙して、実は手を貸しているという人たちが少なくないことを考えると、おかしいことを権力者がしていると思ったら、すぐに抗議の声を上げないと大変なことになるということです。
いまの日本のアベ首相の手口はあまりにも恐ろしいと私は思うのですが、不思議なことに、年金を切り下げられている年寄りに支持する人がいて、非正規でしか働けず、明日への希望を失っている人が解雇の自由を促進しているアベ政権を支持しています。まさしく矛盾です。
収容所の食事。朝はコーヒーと呼ばれる茶色い水が1杯だけ。昼はピンポン球くらいの大きさの小麦粉の団子の入った、うすい塩味のスープ。夜は、同じスープと小さな腐りかけのジャガイモが一つか、かたいパンが1かけ。それが子どもたちの食事だった。
テレジン収容所の「子どもの家」にいた10歳から15歳までの子どもたち1万5000人のうち、戦後まで生き残っていたのは、わずか100人だけだった。
12歳の男の子の描いた絵があります。首を吊られた男性が描かれています。その男性の胸にはユダヤ人の印であるダビデの星が色濃く描かれています。
どうしてなのか、幼い彼にはその理由は理解できなかった。でも、胸にこの黄色い星のマークをつけさせられた日から、辛いこと、悲しいことが多くなったことだけは分かっていた。
この絵は、少年の大好きな父親が処刑される場面だったのかもしれない・・・。
テレジン収容所が1945年5月8日に解放されたとき、ドイツ軍が自分たちの蛮行を証明する書類を焼却していった焼け残りの書類の下に、子どもたちの絵があった。それを見つけた人が、トランク2つに詰めてプラハへ持ち帰った。子どもたちの絵が4000枚、詩が数十編・・・。それは、子どもたちがこの世に生きていた証だ。
今も、プラハの博物館に残されているそうです。ぜひ、現物をじっくり見てみたいと思いました。年齢(とし)とって涙もろくなった私は、涙なしには絵を見ることも、詩を読むことも出来ませんでした。私たちみんな、この事実を忘れてはいけないと何度も思ったのです。ヘイトスピーチなんて、許せません。
(1997年6月刊。2200円+税)
 土曜日は午前中のフランス語教室を終えて、午後から天神の映画館でフランス映画『アルジェの戦い』をみました。「アタンシオン、アタンシオン」(注意して下さい、注意)という有名なフランス語のセリフが流れてきます。アルジェリアが戦後、フランスから独立するまでにおきたテロや暴動、そしてフランス軍による拷問、弾圧を生々しく再現した映画です。
 実は、私は1967年(昭和42年)4月、渋谷の大きな映画館でこの映画をみたのです。大学に入ってすぐのことです。それまで九州の片田舎に住んでいて大東京に出て、何もかも目新しい生活を始めたとき、世界ではこんなことが起きているのかと、目を大きく見開かされました。
 この映画は前年(1966年)にベネチア国際映画祭でグランプリを受賞したのですが、「反仏映画」だという批判も受けました。フランス軍による活動家への拷問シーンはたしかに凄惨です。
 そして、昨年のパリ同時多発テロを思い出させる映画でもあります。相次ぐ爆弾テロ、車から連射して路上の罪なき市民を倒していくシーンなど、50年前の出来事が今よみがえってきます。
 暴力に暴力で対処してはダメなんだと独立運動の指導者の一人が語ります。革命を始めるより、続けることが難しいし、成功したあとが、さらに難しいともいます。アルジェリアは独立後、実際にそのような経過をたどります。 
 一見に値する貴重な映画です。ぜひ、時間の都合がつけば、ご覧ください。

ブラックアース(下)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ティモシー・スナイダー 、 出版  慶應義塾大学出版会
 ユダヤ人へのホロコーストの実情が刻明に掘り起こされています。
 ユダヤ人の大量殺戮は、何万ものドイツ軍が3年にわたって何百という死の穴のうえで何百万というユダヤ人を射殺していた東方では、ほとんどの者は何が起きているのかを知っていた。何十万ものドイツ人が殺戮を実際に目のあたりにしたし、東部戦線の何百万ものドイツ人将兵は、それを知っていた。
 戦時中、妻や子どもたちまでが殺戮現場を訪れていたし、兵士や警察官はもとより、ドイツはときに写真付きで家族に詳細を書いた手紙を送った。
 ドイツの家庭は、殺害されたユダヤ人からの略奪品で豊かになった。それは何百万というケースではなかった。略奪品は郵便で送られたり、休暇で帰省する兵士や警察官によって持ち帰られた。
 1940年6月にソ連に占領されたエストニアでは、1941年7月にドイツ軍がやってきたときに居住していたユダヤ人の実に99%が殺害された。これに対してデンマークでは、市民権をもつユダヤ人の99%が生きのびた。エストニアでは国家が破壊されたが、デンマーク国家は一度も破壊されなかった。ドイツの占領は、明らかにデンマークの主権をもとにして進められていた。デンマーク当局は、ユダヤ人市民をドイツに引き渡すのは、デンマークの主権を損なうことになると理解していた。
デンマーク人は、自国のユダヤ人をドイツではなく、スウェーデンに送り届けるために小型船隊を組んだ。ドイツ警察は、この企てを知ったが、留はしなかったし、ドイツ海軍も、眺めるだけだった。デンマーク市民は、同胞の市民を自分たちの国で救うのは犯罪ではないので、ほとんど身に危険を感じず、やってのけた。ドイツ警察が10月2日に急襲したときにも、デンマーク市民権をもった5000人のユダヤ人のうち481人だけしか捕まらなかった。
ドイツ当局は、収容所におけるユダヤ人の外見上は良好な状態を見せるプロパガンダ映画を製作するのに、デンマークからのユダヤ人を利用した。
なるほど、国家体制が残るっていうのは、こんな効果もあるのですね・・・。
国家が破壊された場所では、誰も市民ではなかったし、予想できるいかなる形の国家の保護も享受していなかった。ドイツの官僚制度はドイツのユダヤ人を殺害することはできなかった。ドイツのユダヤ人は、戦前からのドイツの地においては、ごくごく少数の例外を除いては、殺害されることはなかった。
 市民権、官僚制度、外交政策が、ヨーロッパのユダヤ人全員を殺害せよというナチスの衝動を妨げた。
伝統的にルーマニアは、フランスの従属国であり、ルーマニアのエリート層はフランス文化に自己を重ねあわせていたし、フランス語が広く話されていた。
ヒトラーは、ルーマニア陸軍を重要視していた。ポーランドの崩壊後、赤軍に対抗するのに使える東ヨーロッパにおける唯一のまとまった数の軍隊だった。
 ルーマニアは、1944年、ドイツに抗しながら終戦を迎えた。ルーマニアのユダヤ人の3分の2が生きのびていた。
 ハンガリーでは、1944年になっても、80万人がハンガリー領内で生きのびていた。ブルガリアの支配の及んだ地域に住んでいたユダヤ人の4分の3が生きのびた。
 イタリアは、反ユダヤなどの人種立法を通過させたが、ムッソリーニは、イタリアのユダヤ人を死の施設に移送することに何の関心も示さなかった。イタリアにいたユダヤ人の5分の4は生きのびた。
これに対して、領有者がかわった地域のユダヤ人は、たいてい殺されてしまった。
 フランスのユダヤ人は4分の3が生き残り、オランダとギリシャのユダヤ人は4分の3が殺害された。オランダは、国家のない状態に近かった。国の元首はいなくなったし、政府は亡命してしまった。
生きのびたユダヤ人は、ほぼ全員が非ユダヤ人から、何らかの援助を受けていた。ドイツ人は、ある状況では救助者となり、別の状況では殺人者となった。
 ホロコーストの実際が、とても詳細に分析されていて、大変勉強になりました。
 この本を読みながら、つくづく歴史を学ぶ意義は大きいと痛感しました。
 
(2016年7月刊。3000円+税)

戦地からのラブレター

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ジャン・ピエール・ゲノ 、 出版  亜紀書房
第一世界大戦の最前線で死んでいった兵士が家族に宛てた手紙が集められた本です。涙なくして読めませんでした。まことに戦争とはむごいものだとつくづく思いました。まだ10代、20代、せいぜい30代と若いのに、むなしく無惨に殺されてしまうのです。
そして、前線の兵士たちは、国の指導者、そして戦争をあおり美化するマスコミ・ジャーナリストを呪います。本当に、その気持ちがよく分かります。
戦争は4年も続いたが、全戦死者の実に6分の1が最初の2ヶ月で死んでいった。夏のわずか5日間で14万人もの死者。なかでも、熾烈を極めた一日、1914年8月22日だけで、なんと2万7千人が戦死した。
最初の夏(1914年)、まだ皆、甘く考えていた。激戦は長く続かないだろう。ウィルヘルム二世(ドイツ帝国皇帝)は、早々に兵を引くに違いないと思っていた。激しいプロパガンダ合戦は始まっていたが、ほとんど人たちは、そんなものに関わっていなかったし、兵士たちは、この先に何が起こるのか分からず、ただ不安を抱えたまま、家族や職場に別れを告げた。
兵営や塹壕の腐臭が、僕らの抵抗が、僕らの苦痛が正義や幸福をつくるとは思えない。
名誉とか軍の義務とか、犠牲とか、そんなものは見かけ倒しにすぎず、戦争というのは、結局、なかに隠された骸骨のことではないのか。
戦争という娼婦は、その戦争を支える多くの連中の快楽によって出来ている。
「隠そうとしても無駄だから言っておく。今ぼくらは危険な状態にあり、惨劇が予想される。でも、落ち込んだりしないでくれよ。どうせ、皆、いつかは死ぬんだ」
わずか5ヶ月間で100万人のフランス兵が死んだ。当初の召集兵の4分の1だ。
「ぼくらは、まるで一人の人間のように一丸となって進む。そう、ぼくらは、このとき、殺すこと、皆殺しにすることだけしか考えないけだものになっていた」
「人は知るべきだ。この酷すぎる事実を知るべきだと思う。神の力って、どんなものなんだろう・・・」
「わが軍と敵軍、どちらの歩兵部隊も疲弊しており、最初に仕掛けたほうが、先に死ぬのは目に見えている。実際、皆、重機で倒されているのだ。もはや、人と人との戦闘ではなく、人が機械に挑んでいる」
「新聞に書かれているような快進撃なんて、ありはしない。新聞は国民を奮い立たせようと嘘を書くペテン師だ。あんな記事を信じてはいけない。兵士を消耗させるだけなのが戦争だ。戦争はペテンだらけだ。ぼくらはあらゆる業種からかき集められた労働者で、上の奴らは安全な後方で爆弾をつくっている。上の奴らだけが大金を手にし、ぼくらの受けとる俸給はごくわずか。ぼくらはお人好しだな。要するに馬鹿なんだ」
「軍隊に規律なんてない。まるで囚人や奴隷のような扱いだ。若い将校は出世のことしか考えていない。攻撃で手柄を立てるが、陣地を護ることで手柄を立てるが、それしか考えていない。どっちみち、下っ端の兵士が犠牲になる。将校には計画性がない」
そして、映画にもなっていますが、最前線にいたドイツ軍とフランス軍がクリスマス休戦をしたのです。お互いの塹壕を訪問しあい、煙草や葉巻を交換しあった。
「こっちも泥だらけなら、向こうも泥だらけ。ぞっとするほど汚くて、ああ、あいつらもきっともう嫌になっているんだなと思った」
「敵兵もフランス兵もひきつった死に顔は同じだ。はぎとられ、暴かれ、まざりあい、風が吹きつける戦場に散らばっている。弔ってくれる新しい者も聖職者もいない。朽ち果てていく死体には敵も味方もいない」
「戦争が2年も続いているうちに、人々が徐々に利己的になり、戦争に無関心になってきたのを感じる。ぼくたち兵隊のことなど忘れてしまったかのようだ。故郷に帰っても、まるで無関心の人がいる。おまえ、まだ生きていたのかと驚かれる」
「ドイツ兵捕虜の手紙を読んだ。彼らの手紙はぼくらの手紙と同じだった。みじめな生活。和平を心待ちにする思い。あらゆる行為の馬鹿馬鹿しさ。つらい思いは、みな同じだ。あいつらも、ぼくたちと同じ人間なんだ。不幸せな人間であることに変わりはない」
「新聞は腐りきった財界人と政治家の言いなりだ。戦争支持者と残酷な勇者を讃えるばかり」
「ぼくらは獣によりさがっている。まわりの兵を見ていて、そう思うし、自分についてもそう感じる」
『聞け、わだつみの声』を思い出しましたし、第二次大戦で生き残った日本兵の手記を読んでいる思いがしました。
そして、いま、日本の自衛隊が遠いアフリカまで出かけていって、ついに「戦死」者を出そうとしています。とんでもない事態です。愚かな財界人と政治家たちの金もうけのためにアフリカの地で、日本の平和とは関係なく「戦死」させられる若者の生命がいとおしくてなりません。今に生きる貴重な本だと思います。
(2016年10月刊。1900円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.