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カテゴリー: ヨーロッパ

バカロレア幸福論

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 坂本 尚志 、 出版  星海社新書
50年もの長きにわたってフランス語を勉強してきて、すっかりフランスびいきの私ですが、日本人はフランスに学ぶべきところが本当に大きいと考えています。その一つがバカロレアです。
バカロレアとは、大学入学資格試験です。日本で言うと、高校卒業資格試験でしょうか。
バカロレアに合格すると、学生は基本的に自分の希望する大学の学部に入学できます。フランスの大学はすべて国立で学費は安く、年に2万5000円ほど。50年前の日本の国立大学の授業料はその半分、年に1万2000円でした(月1000円)。ただし、大学に入っても卒業するには、ちゃんと勉強しないとダメで、トコロテン方式のように卒業できる日本とは違います。そして超エリート層の入る「グランゼコル」と呼ばれる学校に入るのには、別の選抜試験があります。
このバカロレア試験では、初日に、哲学の試験を受けます。朝8時から昼12時までの4時間に、記述式の試験を受けるのです。本の持ち込みは許されません。
どんな問題なのか・・・。
①理性によって、すべてを説明することができるのか?
②芸術作品とは必ず美しいものだろうか?
③ルソーの『人間不平等起源論』からの抜粋について、説明せよ。
ええっ、こんな難しいテーマで4時間もかけて、何を書いたらいいのかしらん・・・。
日本の大学入試では、およそ考えられない設問です。
この本は、なぜフランスでこんな設問があるのか、その理由を説き明かし、さらに、その解法、つまり答案の書き方が説明されます。なるほど、論理的に考える力を養う試験だということがよく分かりました。フランスの高校では、3年生は文科系だと週8時間もの哲学の授業を受けるのです。これって、すごいことですよね・・・。
高校で哲学を教える目的は、哲学者を育てることではなく、哲学という知のモデルをつかって、自律的・批判的に思考する力を育てることにある。なので、哲学史の知識はあまり必要とされない。
バカロレア試験では、設問を分析する必要がある。これは、決断するという社会一般で役立つ能力を育てる目的もある。
小論文の議論は、必ずしも自分の考えを述べるものではない。哲学書を引用することが高得点をとるためには、必要不可欠。その意味で、哲学の勉強にも暗記することが求められる。
そして、自由に書けばいいのではなく、「型」を守って書く。持ち時間の半分は考える時間とする。書く前に、スタートからゴールまでの道筋を決めておく。哲学者の文章を引用し、使いこなす。
まるほど、たしかに、このような思考訓練を経ていると、あとの人生で議論したり考えるときに役立つと私も思います。
ちなみに、バカロレアの合格率は8割ほど(哲学分野では6割弱)。
幸福論をテーマとした関連で、いろいろ書かれていますが、日本人よりフランス人ははるかに幸せです。「世界幸福度調査」(2016年)によると、フランスは世界32位で、日本は53位でしかない。ちなみに、1位はデンマーク、2位はスイス、3位はアイスランド。
ところが、失業率はフランス9.4%、日本は2.9%。フランスの殺人発生率は日本の5倍。成人の肥満率は、日本は4.5%なのにフランスは15.6%。フランス人にとって、幸福は感じるものであると同時に考えるものなのです。
フランスの医療制度は日本よりすすんでいて、子育て支援は日本よりはるかに手厚い。フランスの出生率が向上するのも当然です。
フランスでは労働者のストライキが頻発していますが、市民は迷惑を受けながらも、明日は我が身だと考えて耐えています。フランスでは過労死は基本的に考えられません。バカンスをとるのも日本とは違って当然であり、それが美徳なのです。
頭の切り換えに役立つ本として、一読をおすすめします。
(2018年2月刊。900円+税)

否定と肯定

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 デポラ・E・リップシュタット 、 出版  ハーバー ブックス
映画の原作です。文庫本で580頁もあり、読むのに骨が折れました。あまりにシリアスなテーマだけに読み飛ばせなかったのです。
ナチスによる大量虐殺はなかった。これって日本軍による南京大虐殺なんてなかったというインチキ・プロパカンダとまるで瓜二つですよね。
アウシュヴィッツにガス殺人室はなかった。その証拠に、ガス抜きの煙突はなかったし、シラミを殺す濃度より低い濃度のシアン化合物毒しか部屋の壁から顕出できなかった・・・などと、まことしやかに語られるのです。それを「一流」として定評のある歴史学者が公然と言うのですから始末に悪いです。
シラミを駆除する毒性は人間を殺すより、はるかに高濃度でなければいけない。シラミの耐性は恐ろしく強い。それにひきかえ、人間はいちころで死んでしまう・・・。まるほど、そうなんですね。ガス室の煙突は、ちゃんと残っていて写真で確認できます。
リップシュタットの弁護団はアウシュヴィッツに出かけています。やはり現地に立ってみることは、法廷での弁論を支えるのですね・・・。
リップシュタットの代理人弁護士はインチキ学者を法廷で尋問するとき、わざと視線をあわせなかった。なぜか・・・。長いあいだ、人にじかに視線を向けつづけると、その相手とのあいだに絆(きづな)が生まれかねない。そんな絆なんて、まっぴらごめんだ・・・。もう一つは、インチキ学者の「業績」なんて、たかがしれている、そのことを態度で示すことだ。
アウシュヴィッツの焼却炉は、人間の脂肪を燃やして高温を維持するため、やせ衰えた死体とまだやせ衰えてない死体の両方を同時に火葬できる設計にする必要があった。やせ衰えた死体だけだと、絶えず燃料を補給しなければいけない。知りたくない知見ですね・・・。
もっとも過激な反ユダヤ主義者が、ユダヤ人の友人と親しくしている例は少なくなかった。そんな彼らは決まって、こう言う。ああ、この男は私の友人だ。例外さ。他のやつらとは違う。
イギリスでは名誉棄損の裁判では、訴えられた方が真実であることを立証しなければならない。立証責任がアメリカとイギリスでは正反対。アメリカでは立証責任は原告にあるが、イギリスでは逆に、真実であることを被告が立証しなければならない。
リップシュタットの代理人弁護団として、ダイアナ妃の離婚訴訟の代理人をつとめたイギリスの弁護士に依頼した。1時間5万円という料金の弁護士だ。
リップシュタットの弁護団は、アウシュヴィッツの生き残りの人々を法廷で証言させない。また、リップシュタット本人にも法廷で証言させず、沈黙して押し通すという戦術を貫いた。いずれも、日本人の弁護士には信じられない方針です。
アウシュヴィッツの生き残りの人々を法廷に立たせて、自分の体験していないことをいかに知らないか、インチキ学者の立場で責めたてさせ、悲しみ、辛さをかきたてたらまずいいという事情(情景)説明は、それなりに理解できます。でも、本人に沈黙を強いるというのは、どうなんでしょうか・・・。日本でも同じような作戦で法廷にのぞんだというケースがあるのでしょうか。私には心あたりがありませんので、知っている人がいたら、どんな状況でとった作戦なのか、ご教示ください。
もちろん、リップシュタットの側で、学者証人は何人も繰りだして、インチキ学者のインチキぶりを刻明にあばいていったのです。
リップシュタットの弁護団にかかった訴訟費用は200万ポンドという巨額でした。これはユダヤ人の組織と個人が多額のカンパで支えました。
結局、敗訴したインチキ学者は、この訴訟費用が支払えずに破産してしまったのでした。
戦前の日本軍は植民地を解放しただとか、国の近代化に大きく貢献したから、かえって感謝されるべきだいう声は、昔からほそぼそとですが、上がっていました。ところが、今では恥知らずにも声高で言いつのる人がいます。植民地の表通りだけがきれいになったとして、それを支配されている民族は喜ぶべきだなんて、そんな押しつけ論法はありえません。
かつての日本人は、貴重な血を無為に流させられてしまったのです。その反省なしに、今の日本の「繁栄」は続くわけがありません。
映画をみていない人にも一読をおすすめします。骨ある文庫本です。
(2017年11月刊。1194円+税)

レーニン、権力と愛(下)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者  ヴィクター セベスチャン、 出版  白水社
 私はソ連にもロシアにも行ったことがありません。レーニンの遺体は、その意思にさからって防腐処置をほどこして、公開展示されています。この処置には実は莫大なお金を要するようです。まったくもったいないお金のムダづかいだと私は思います。レーニンの霊魂が安らかに眠れることを願います。
 下巻は、いよいよロシア革命に突入します。1916年ころ、ロシアの自殺率は3倍に増加した。主として28歳以下の若者を襲った。ロシアの特高警察オフラーナは、大衆の気分に気がついて、政府に対して繰り返し警告した。体制が懸念すべきは、もろもろの革命グループではなく、人民である。いまや怒りは、政府一般ではなく、皇帝に向けられている。
皇帝は閣僚と参謀本部の助言に逆らって、軍の指揮を自らとっていた。これは、状況が悪くなったとき、野戦司令官に責任を負わせることができず戦争遂行に対する責任を自ら負うことになる。皇帝は、街頭示威行動について聞いてはいたが、その深刻さを理解していなかった。
 1917年2月に起きた二月革命は、完全に自然発生的、怒りの発露だった。このとき、ボリシェヴィキは、ロシア国内にせいぜい3000人と弱体で、ほぼ一文なしだった。
 レーニンは封印列車でスイスからドイツ経由でロシアに戻ってきた。ペトログラードの市民はレーニンを鳴物入りで歓迎した。レーニンは興奮していて、最後の2日間は眠っていなかった。しかし、すぐさま2時間に及ぶ演説を始めた。雷鳴のような演説で、聴く人々の心を打った。
 二月革命は、突如として、ロシアにかつてなかった。そして、それに人像もない、政治的自由をもたらした。
 レーニンは、1917年に巨額の資金源を手にして楽観することができた。ボリシェヴィキの党員は3月初めに2万3千人だったのが、7月までに20万人に達していた。
 ボリシェヴィキの運勢を大きく上向かせたのは、敵の無能ぶりが大きな要因だった。
 戦争で疲弊したロシアに戦争を継続するよう最大限の圧力をかける連合諸国の政策は、レーニンにとって利益となった。
 8月には、レーニンと「売国奴ボリシェヴィキ」に対する憎悪キャンペーンが最高潮に達した。
 歴史をつくるのは個人ではなく、広範な社会的・経済的権力だとするマルクスの観念の間違いを証明するものがあるとすれば、それはレーニンの革命である。レーニンは、策略と道理、怒鳴り声、威嚇、そして静かな説得をない交ぜにして使った。
 レーニンが3ヶ月のあいだ潜伏していたとき、党員になったばかりのトロツキーがボリシェヴィキの表の顔となった。トロツキーは、ロシア国内ではレーニンより、はるかに知名度が高く、はなばなしく脚光をあびていた。レーニンにはオフィスがいるが、トロツキーには舞台がいると言われていた。
レーニンは、トロツキーに大いに頼った。この二人は個人的には決して近くなかったが、両者のあいだに政治的な違いほとんどないことを、二人とも認めていた。
レーニンは、暴力の快楽を味わうことはしなかった。レーニンは他の多くの独裁者が好む軍服ないし、それに準ずるものを身につけることはなかった。
レーニンは、ろくに食事をとらず、健康にあまり気をつけていなかった。会議は午後5時に始まり、ほとんど休憩なしに6時間から7時間かけて降りてきた。
レーニンは、1918年7月に皇帝一家の殺害を副官だったスヴェルドロフに対して口頭で命じた。レーニンは王殺しに罪悪感はなかった。ロシア国内の世論を気にする必要もなかったことになる。
殺害される前、ロマノフ一家は、何人かの廷臣、6人の侍女、2人の従女、3人の料理人とともに元知事公邸で快適に暮らしていた。当時、ロシア皇帝はあまりに不人気だった。1918年に、レーニンの車は1日に3度も撃たれた。
レーニンの遺体をこれまで見たのは少なくとも2000万人。苦しいなかで、ロシア革命は社会主義を目ざすことになった。その結果をまったく全否定していいとも思われないのですが・・・。
(2017年12月刊。3800円+税)

ナチスの「手口」と緊急事態条項

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 長谷部 恭男、 石田 勇治 、 出版  集英社新書
自民党の憲法改正案のなかに緊急事態条項が入っています。災害等の非常事態のときには、国民の基本的人権の保護を停止して、国家権力が好き勝手に国民を統制できるようにしようというものです。
これは、ナチス・ヒットラーが国民を統制する手法でした。麻生大臣がヒトラーの手口の学べといったのには根拠があるのです。では、この緊急事態条項を導入すると、どんな危険が国民にふりかかってくるのか、それをドイツの例をひいて説明しています。
まずもって、コトバの魔術(マジック)に惑わされてはいけません。「基本的人権に関する憲法上の規定は、最大限に尊重されなければならない」と書いてあると、それは、「場合によっては、基本的人権が制限されることになる」ということなのです。つまり、「最大限に」というのは、「できる限り」、つまり「できないときもある」ということです。
ヒトラーのナチス政権は、スタートしたときの議席は国会の3分の1でしかなかった。連立与党をあわせても4割を少しこえた程度だった。1930年9月の選挙で、ナチ党は18.3%、共産党は13.1%の票を獲得した。そして、1932年7月の選挙で、ナチ党は37.3%と倍増した。ただし、共産党も14.3%へと伸ばした。ところが、1932年11月の選挙では、ナチ党は33.1%へと後退した。これに対して、共産党は16.8%へ躍進した。
ヒトラーが首相に任命されたのは、1933年1月30日。首相になったヒトラーには3つの道具があった。ひとつは大統領緊急令。ふたつ目は突撃隊と親衛隊。三つ目は大衆宣伝組織。
2月にヒトラー政府は、大統領緊急令をつかって言論統制をはじめる。2月末の国会会議事業炎上事件をきっかけとして、大統領緊急令を出した。これによって、共産党の国会議員をはじめとする急進左翼運動の指導者たちが一網打尽にされた。このときの放火はヒトラーの下にある突撃隊の一派がひきおこしたものだということが明らかになっている。
ヒトラーは、授権法を制定した。これは、憲法の変更をふくむ立法権を政府に与えるというもの。とんでもない法律です。これで国会はなくなったわけです。ヒトラーが首相になって授権法が制定されるまでの、わずか50日間、ナチ党以外一切の政党を禁じてナチ党独裁ができるまで半年。ヒトラーが「総統」になるまで1年半。あっというまに独裁体制ができ上がった。
内外の不安をあおって、強いリーダーに権限を集中させ、政府の権限を驚異的なまでに拡大させたのが、まさにナチ・ドイツだ。
アベ首相のような人物が独裁的権限を思う存分ふるえるようになったら、まさに日本は一挙に戦前のような暗黒社会に転落してしまうでしょう。
そうならないためにも、憲法「改正」論議の行方をしっかり見守っていきたいものです。
(2017年8月刊。760円+税)

5時に帰るドイツ人、5時から頑張る日本人

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(霧山昴)
著者 熊谷 徹 、 出版  SB新書
ドイツでは、1日に10時間をこえて働くことが法律で禁止されている。また、ドイツは、日曜・祝日の労働も法律で禁止している。
有給休暇は法律で最低24日としているが、実際には年30日の有給休暇を認める企業がほとんど。そして、有給休暇の100%消化は当然のことで、2~3週間のまとまった長期休暇もあたりまえにとっている。
電通の社員(高橋まつりさん)の過労自殺など、ドイツでは考えられもしないこと。
こんなに休んでいるドイツなのに、経済成長率は、2013年以降、右肩上がりになっている。そのうえ失業率がEUのなかで一番低い。
日本の残業規制は1年あるいは1ヶ月を単位としているので、ドイツに比べると、はるかに甘い。
日本政府の「働き方改革」は、ジェスチャーにすぎず、実際には、労働者のためではなく、使用者(資本)の利益優先、つまり「働かせ方改革」でしかない。
ドイツでは、病気やケガのために有給休暇を消化するなんて、ありえない。
ドイツは、日本とちがって労働組合は依然として強力な存在であり、徐々にストライキが増えている。
これに対して、日本はストライキが世界でもっとも少ない国になっている。1974年にストライキが9000件をこえていたのに、2011年にはわずか57件でしかない。今では、まったくの死語になってしまっている。
余裕があってこそ良質な仕事ができる。
日本人は勤勉だとよく言われますが、上からの命令で大人しく従っているだけでは、創意工夫もなく、過労死につながり、やがては企業社会自体が消滅してしまうこと必至です。
日本人に大いに反省を迫る本でした。ご一読をおすすめします。
(2017年10月刊。800円+税)

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