法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: ヨーロッパ

フィンランド公共図書館

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 吉田 右子、小泉 公乃ほか 、 出版 新評論
フィンランドは教育の点で世界から注目されている国ですが、その躍進の秘密は公共図書館の充実にもあるようです。
私の住む町は、恐らく財政悪化による支出削減のあおりを受けたのだと思いますが、前にあった移動図書館、要するに自動車で地域を定期的に巡回するものです、がなくなってしまいました。そして、図書館は駅から少し離れたところにあり、交通至便とはいかないうえ、駐車場も少ないので、市民や子どもがどれだけ利用しているか、心配です。
この点、フィンランドでは、学校のカリキュラムとして公共図書館に行くことが組み込まれているとのこと、うらやましい限りです。子どものころから図書館に行く癖がついていることは大変良いことだと思います。
フィンランドでは、学校図書館をもたない学校も多い。そのかわりに、公共図書館の利用が授業時間に組み込まれているし、公共図書館も子どもたちを対象とした図書館サービスに徹底的に取り組み、学校と連携している。保育園や小・中学校では、クラス単位で図書館を頻繁に訪問している。こうやって、図書館が人々の日常生活に織り込まれている。
ヘルシンキ市には博物館、美術館が6館あるが、公共図書館は、なんと37館もある。ええっ、ウソでしょと思わず叫んでしまいました…。
フィンランドの公共図書館は、基本的におしゃべり、飲食も自由。図書館イコール静寂という感覚はない。そして、図書館を仕事場にしている人も多い。
図書館は、すべての利用者を歓迎することが基本姿勢。そのため、ホームレスやドラッグ中毒者も利用者としてやって来る。そこで、ときに警察に来てもらうこともある。それでも、図書館が精神を落ち着ける場になっていることを願って職員は仕事をしている。
たいしたものです。写真をみると、どこも広々としたオープン・スペースとなっていて、気持ちよく利用できそうな雰囲気です。
私は日比谷公園内にある図書館で仕事(モノカキ)をしたことがありますが、静粛が絶対条件でしたし、みんな一心不乱に「勉強」している雰囲気でした。
館内には1年以上借り出されていない資料は並んでいない。
フィンランドの公共図書館にはコンピューターゲームも備えつけてある。高額なゲームを購入できない家庭の子どものためだ。
盗難防止装置なしで本を貸し出している。これには著者たちも驚いています。
公共図書館は、生涯学習を約束する(保障する)場所だ。
いやはや、フィンランドが「読解力スキル」で世界一になっている理由をよくよく理解できました。日本でもぜひ、そうしてほしいものです。いい本です。あなたも、ぜひご一読ください。
(2019年11月刊。2500円+税)

「戦争は女の顔をしていない」

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 小梅 けいと 、 出版 KADOKAWA
独ソ戦を舞台とする原作(岩波書店)は、このコーナーで前に紹介したと思いますが、女性と戦争との関わりが深く掘りさげられていて刮目すべき衝撃作でした。そんな深みのある労作がマンガ本になって、視覚的イメージでつかめるなんてすごいことです。作画者に心より敬意を表します。
独ソ戦で、ナチス・ドイツと戦ったのは男性だけではなかったのです。大勢の女性兵士が参加していました。狙撃兵として名をあげた若い女性が何人もいますし、飛行機パイロットにも勇敢な女性飛行士たちがいました。ドイツ軍に捕まれば、もちろん男性兵士以上に性的虐待がひどいうえに殺されてしまいます。それでも、彼女らは最後まで戦ったのです。
もちろん、後方支援というか、傷病者を手当てする看護兵もいましたし、洗濯部隊までいたのです。洗濯機なんかありませんので、すべて手で洗います。石けんは真っ黒で、手が荒れてしまいました。
狙撃兵は2人1組で、朝も暗いうちから夕方暗くなるまで、木の上や納屋の上に登って気づかれないようカムフラージュしてじっと動かないで敵のドイツ軍を見張る。
食糧がなくなり、戦場にでた子馬を殺したときには可哀想ですぐには馬肉シチューが食べられなかった。
女性兵士には男物のパンツをはかされていた。生理用品もなかった。若い女性兵士にとって恥ずかしいという気持ちは、死ぬことより強かった。
戦後、かつての女性兵士が取材にこたえてこう言った。
戦争で一番恐ろしかったのは、死ではなく、男物のパンツをはいていることだった。
『独ソ戦』(岩波新書)も大変すぐれた本ですが、このマンガ本や原作を読むと、もっと独ソ大戦争の悲惨な実相がつかめると思います。一読を強くおすすめします。
(2020年2月刊。1000円+税)

キッチンの悪魔

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 マルコ・ピエール・ホワイト 、 出版  みすず書房
33歳のイギリス人シェフがミシュランの3つ星レストランを誕生させる苦労話が語られています。
祖父も父も、兄弟もみんなシェフ。イギリス労働者階級の出身からはいあがったのでした。
気にいらない客がいたら追い出してしまいます。お金はいらないから、とっとと出ていけというのです。それも無言でテーブルセッティングを片付け、しまいにはテーブルクロスまではがします。
三ツ星を獲得したあと、著者は目標を見失い、しばらく茫然自失としたあと、別の料理店で再起していくのでした。
三ツ星レストランにミスは許されない。一貫性がなければ、一つ星から二つ星、二つ星から三つ星には消してなれない。毎日毎日、毎食毎食、とても高い基準を保つというのは、極限中の極限の状況だ。
昔はシェフに想像力は求められなかった。シェフがレシピを逸脱して冒険するなんてことはめったになかった。
一流のシェフは自然に敬意を払う。
350人規模のパーティーが開かれることがあった。それでしばやくてきぱきと料理をつくる要領を学んだ。手に働きをインプットし、超高速でナイフを扱えるようになった。
料理人の世界でいじめられたが、子ども時代に厳しく育てられていたおかげで、ある男性中心のいじめ社会から別の男性中心のいじめ社会に飛び移ったにすぎないと思えば、なんとかなる。叱責されるのは、痛くも痒くもなかった。
一流のレストランをつくるためには、皿に乗せるものだけでなく、壁にかけるものにもこだわらなければならない。
何をするにしても、目の前の作業に集中し、完璧にこなさなければならない。
料理は自己表現の手段だ。味覚は、人それぞれだ。なので、テーブルには塩もコショウも置いておく。
さすがに、食べる前からウースターソースをどぼどぼかける人、マヨネーズを何にでも書ける人がいますが、それはやめてほしいとシェフでない私は思います・・・。
不安を振り払い、ほかのシェフたちを押しつけて、ストーブを自分のものにするには自信がいる。料理をするためには、みんなを押しつけて進むくらいのずうずうしさが必要だ。
著者の厨房では私語厳禁。生きた厨房が奏でる音は、どことなく美しい。食材を切る音、金属どうしの当たる音、肉の焼ける音、そのことに気づかせてくれる。
この本には、優秀なシェフとして日本人が登場し、また経営の相談にも乗ってくれる著者に忠実な日本人(イシイ)も登場し、なんとなくうれしくなります。
私は一つ星レストランで食事をしたことはありますが、まだ三つ星はありません。いつかはきっとと思っているのですが・・・。
(2019年11月刊。3000円+税)

ジャンヌ・ダルク

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 竹下 節子 、 出版  講談社学術文庫
神の声を聞いてオルレアンの少女として立ち上がり、フランスを救ったジャンヌ・ダルクの話です。聖女になったのも当然だと考えていましたが、実は火あぶりの刑になったということは、キリスト教の信者にとって火葬されて灰になるということは、魂も閉じ込められたまま燃やされてしまうから魂までなくしてしまうということ。つまり、地獄よりもおそろしい虚無になる。火葬は、魂を悪魔に売り渡してしまったことが確かな異端にのみ許される見せしめでなければならない。
このように火刑になったジャンヌ・ダルクは、天国へ行く魂がない。聖造物となる肉体もないから、本来なら聖女になるチャンスはないはず。では、なぜ聖女になれたのか・・・。
キリスト教以前のヨーロッパには火葬があったし、民衆のなかには火葬の禁忌が必ずしも絶対ではなかったことが背景にある。
そのうえ、ジャンヌは、火刑にされる前に最後の聖体拝領が許され、フランシスコ会の聴罪僧がジャンヌの告解を聞いて罪の赦免を施している。司教がジャンヌにキリスト者として死ぬために必要な手続きを認めた。これがジャンヌの復権裁判、聖女とされる審議のときに有利に働いた。
では、なぜジャンヌは火刑に処せられたのか・・・。
ジャンヌは、いったん許された。ところが、再び男装した。問題とされた男装は、もともと馬に乗るために貸与されたものだった。また、戦場生活や牢獄生活では必需品だった。ジャンヌにとって、女の服を着て、一生、男の看守に乱暴に扱われたりするくらいなら、死んだほうがましだった。
ジャンヌは、牢獄に詰問にやって来た司教に、もう男装を手放すつもりはないと断言した。司教は「戻り異端」のジャンヌに、ためらうことなく死刑判決を下した。
オルレアンの勝利は、戦術よりも心理的要因に負うところが大きかった。神の言葉を掲げた軍を率いたジャンヌの存在は、それだけでひとつの奇跡のように受けとめられた。ジャンヌが擁している神よりも強い味方はいない。勝利と正義の二つを同時に保証してくれるからだ。
ジャンヌが魔女として火刑にされてからも、オルレアン市民のジャンヌへの評価は変わらなかった。一緒に戦ったジャンヌの男兄弟二人は、貴族になって大きな発言力をもち続けた。母親は、オルレアンから終身年金を受けた。トゥーレルが解放された5月8日は今も毎年、町の最大の祭りが続いている。
ジャンヌ・ダルクの活躍したオルレアンの町には、まだ言ったことがありません。ぜひ行ってみたいと思いました。
(2019年6月刊。960円+税)

ウィーンびいきのウィーン暮らし

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 服部 豊子 、 出版  ブロンズ新社
私もウィーンには一度だけ行ったことがあります。いかにも古都らしいたたずまいの町で、音楽好きの人なら、ぜひ一度は行ってみたいと思うところだと実感しました。
ウィーンは、古代ローマ人が1世紀の初めから500年間も支配した。その後は、東方の騎馬民族アヴァ―ル人やハンガリーのマジャール人に占領されたり、フランケン王国に属したりしたあと、10世紀から13世紀までパーペンベルグ王朝が治めた。10世紀末にオーストリアの名で国家が成した。その後は大帝国となったものの、第二次大戦後の1918年にハプスブルグ王朝が終了すると、オーストリアは小国となり、第二次大戦中はナチスの支配下に組み込まれた。
ウィーンは、周辺の数多い国々から人々が集まって来て成り立った町なので、さまざまな個性がその個性を保ちながら融合し、ウィーン気質をつくっていった。
昔、ウィーンでは、料理人はチェコ人、馭者(ぎょしゃ)はハンガリー人、土木労働者はイタリア人と言われていた。19世紀末のウィーンの10人に1人はユダヤ人だった。
多くのウィーン人は音楽や演劇をたいそう好む。
ウィーンではオペラ舞踏会のほかに舞踏会がたくさんあるので、ウィーンはダンスが上手で、まさに「ウィーンは踊る」だ。
モーツァルト、シューベルト、ヨハン・シュトラウス・・・、みなウィーンで活躍した。
ベートヴェンもシューベルトもウィーンの中央墓地に眠っている。
オーストリアでは白ワインが90%を占めている。軽く新鮮な香りが特徴で、わずかに酸味のある辛口。
ウィーンのシェーンブルン宮殿は1805年と1809年にナポレオンに占領された。この本には、いまいましくも・・・と書かれている。このシェーンブルン宮殿はマリア・テレジアの好みで、特徴ある褐色がかった黄色に塗られている。
ヨハン・シュトラウスは親子二代にわたって19世紀の100年間、音楽(ワルツ)をかなでた。このワルツ熱は、保守反動の官僚制を固守していたメッテルニッヒにとって、人々の政治に対する関心をそらすために好都合なものであった。
なーるほど、そういう面もあるのですね・・・。
父シュトラウスは、ラデツキー将軍とその兵士にささげた「ラデツキー行進曲」を作曲し、息子シュトラウスは、1848年の三月革命のとき勇敢に戦う革命軍に感激して「革命マーチ」を作曲した。
ベートヴェンはナポレオンを尊敬していたので、「第三番」「英雄」を捧げた。しかし、ナポレオンが皇帝になったことを知ると、痛く失望し、楽譜の表紙に書いていたナポレオンの名を強く擦り消したために、紙に穴が開いてしまった。
19世紀の目ざましい経済発展を担ったことで富を得たユダヤ人たちは、法を尊重し、道徳的かつ知的で、貴族文化をよく吸収していた。合理的な文化社会を築くことによって、社会は民主的秩序が整えられていくものと考えていた。しかし、底辺の層は資本主義経済を握っていたユダヤ人に対する嫉妬や反感から、反ユダヤ的キリスト教社会主義などが広まっていった。反ユダヤ的、汎ドイツ主義が出現していったのだ。
このあたりが、日本人にはもうひとつぴんとこないところです。
香り高い文化と音楽の町・ウィーンを堪能できる本でした。人間ドッグでこもったホテルで読んだ本です。
(2003年7月刊。2000円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.