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カテゴリー: ヨーロッパ

ドイツ人の村、シラー兄弟の日記

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ブアレム・サンサール 、 出版 水声社
ドイツ人の村というから、ドイツの話かと思うと、フランス人作家によるフランス、アルジェリア、ドイツなどを舞台にした小説です。
アルジェリアの半砂漠地帯には、元ナチス将校たちが生活する「ドイツ人の村」が現実に存在しているとのこと。
この本では、父親がアルジェリアの小さな村で生活しているところを、イスラム過激派が襲いかかって、残虐な皆殺しを遂げたという展開から始まります。
ですから、両親を殺されたシラー兄弟は被害者なのですが、実は父はナチス親衛隊の将校として、アウシュヴィッツなどの絶滅収容所と関わりをもっていたのです。そのことを証明するような資料を入れたカバンを兄が発見したことから話は展開します。
兄は、その内容に衝撃を受け、父の生前の挙動を探りにドイツなどを歴訪し、次第にナチス将校としての亡父の犯した行為を自らの責任であるかのようにとらえ、苦しみはじめた。そして、ついに兄は自死を選択し、決意して実行する。
父は人間一人を殺したのではない。二人殺し、それから百人、次に数千人、さらに数万人を殺した。父は憎しみと隷属に浸り切っていて、父の頭に穿たれた穴は底なしだった。そして、終局を迎えたとき、父は自分の犠牲者たちに背を向けて逃げることを選んだ。それは、犠牲者たちを、もう一度殺すことに等しかった。これから、父と父の犠牲者たちの分の支払いを、私が間違いなく履行することにする。しごく当然のことにすぎない。父の犠牲者たちが、どうか私たちを赦してくださいますようにと願う。これこそ、私にとって一番大事なことなのだ。とはいえ、私の死は、何かの取り返しをつけるものではない。ささやかな愛のしぐさだ。
兄は日記にこのように書き、自死を実行した。
兄は銃を撃ちこむとか、橋から飛び降りるとか、電車に飛び込むといったスピーディーな方法を選ばずに、じわじわと死んでいった。自殺自体が目的ではなかった。兄が望んでいたのは罪を償うことで、だから、父の犠牲者たちと同じようにガスで死にたいと願った。自分が死んでいく過程をじっくり見つめた。それが父に代わって支払いたいと望んだ代価だった。絶滅収容所で亡くなった犠牲者たちに償いをし、父の子どもとして背負っている負債の重荷から弟を解放するために…。だから、自殺という言葉は、ふさわしくない。
アルジェリアに生まれた、日本の団塊世代と同じ世代の著者は、フランスでは著名の作家だそうです。この本を読んでいる最中に、NHKの特集番組でアウシュヴィッツ収容所の地中から発見されたゾンダーコマンドたちの通信文が紹介されていました。3人の氏名が判明し、その顔写真が紹介されていたのですが、なんとその一人は戦後まで生きのび、54歳でギリシャで亡くなったとのこと。その娘さんに対しては何も語らなかったそうです。いやはや、大変な経験をした(させられた)ゾンダーコマンドの人が生きのびていたとは驚きました。
(2020年4月刊。3000円+税)

彼女たちの部屋

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 レティシア・コロンバニ 、 出版 早川書房
主人公は40歳の女性弁護士、ソレーヌ。富裕層の住むパリ郊外で生まれた。両親は、ともに法学者で、子どものころから頭が良くて感受性豊かで、真面目。学業では挫折を知らず、22歳で弁護士資格を取得し、パリの有名法律事務所に就職した。すべてが順調。
母になることを夢見ることもなく、山積みの仕事のため、週末もバカンスも放り出し、睡眠不足で、走り出したらとまらない特急列車のような日々を送っている。
ある日、依頼者(クライアント)が脱税の罪で裁判となり、判決の日、検察側の求刑どおり懲役(実刑)と数百万ユーロの賠償を命じられた。依頼者は、判決を聞いた直後、裁判所の建物の巨大な吹き抜けに身を投じて自殺してしまった。
ソレーヌのショックは大きく、路上でガス欠したように立ち往生した。入院先の病室で、カーテンを閉めきったまま何日も起きあがれない。光に耐えられない。そのうえ、交際していた彼との予期しない破局がやってきた。その墜落の衝撃はすさまじかった。もう元の法律事務所には戻れない。裁判所に入ることを考えただけで吐き気がする。
よい弁護士とは、心理カウンセラーであり、信頼できる相談相手である。ソレーヌは、身を引いて相手に意中を吐露させる術を身につけていた。ソレーヌはパリにある「女性会館」で代書の仕事をすることにした。ボランティアの仕事で、あくまでリハビリのつもりだ。
スーパーで買ったヨーグルトが2ユーロだけ高く払わされた。手紙を出して取り戻したいという依頼を受ける。冗談かと思うと真剣な顔つき。手紙を代書した。翌週、2ユーロが戻ってきたと、お礼を言われた。胸が熱くなった。法律事務所では莫大な金額の争いを担当し、もらった弁護料も途方もない金額だった。しかし、どれも心底からの喜びは感じていなかった。しかし、この2ユーロを取り戻したことを聞いて、ソレーヌはなすべきことをした実感、いるべきときに、いるべき場所にいるという実感をおぼえた。これまで飲んだ高価なシャンパンにまさるとも劣らない、おいしいお茶を味わった。
ソレーヌは、パソコンを使うのをやめて、紙とエンピツで書くようにした。そして、手紙を代書する。そのなかで言葉を取り戻した。人の役に立っているという実感は何ものにも代えがたいものがある。
ヴァージニア・ウルフは、書くためには、すこしの空間とお金がいる。それと時間だという。ソレーヌには、三つともある。では、なぜ、書かないのか…。
「女性会館」に来て、代書のボランティアをするうちに、言葉たちが戻ってきてくれた。もしかして、これがセラピーの意義なのかもしれない。人生の流れに、抜け出した地点から入りなおす。勇気がいる。だが、いまのセレーヌには勇気がある。
「女性会館」に入る前、その女性は15年間も路上生活を送った。外では何もかも盗られる。金も身分証も電話も下着も。歯のかぶせ者すら盗まれた。レイプもされた。54回。その女性は数えていた。襲われないため、髪を切って女に見えないようにした。女と分かれば、路上では生き残れにない。
言葉だけでは足りないときもある。言葉が無力なときは、行動に出なければ…。
パリに実在する「女性会館」が創立するまでの苦労話をはさんで、現代に悩みながら生きる女性弁護士ソレーヌの自分らしさを取り戻す話が進行していくのですが、ともかく読ませます。すばらしいです。
フランスの小説は、えてして抽象的で難解なストーリーが多いように思いますが、これはもちろん深みはありますが、言わんとすることはきわめて明快です。ぐいぐいと1920年代のパリと現代のパリの両方の話に思わずひきずり込まれてしまいました。
(2020年6月刊。1600円+税)

ルポ・つながりの経済を創る

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 工藤 律子 、 出版 岩波書店
いま日経新聞は「太陽の門」というスペイン内乱を扱った小説を連載中です。あとで政権を握ったフランコ軍は初めのうちは反乱軍でした。作者の赤神諒はペンネームで、弁護士です(もう弁護士の仕事はしていないのかも…)。
スペイン政府派のほうは国際義勇軍が支援していましたし、そのなかにヘミングウェーもいたのでした。フランコ独裁政権が樹立すると、知識人をはじめとする多くの反ファシズムの人々があるいは銃殺され、あるいはフランスなど国外に逃亡していきます。
そんな知識しかないスペインでは、いま市民運動が大きく盛り上がっているようです。
「もういい加減、真の民主主義を!」
今の日本にも必要なスローガンです。モリ・カケ、桜…。すべてをあいまい、うやむやにして「アベ政治」を継承する。とんでもないことです。もう、いい加減にしてよ。そう絶叫したい気分です。
スペインでは2011年5月15日の市民デモは空前の盛り上がりを見せた。そして、これが市民運動「M15」(5月15日運動)の始まりだった。
15Mの精神を受け継ぐ市民政党「ポデモス(私たちはできる)」は、2015年12月の総選挙で第三党(69議席)になり、同年5月の地方議会選挙でマドリード、バルセロナ、サラゴサ、バレンシアなどの市政を担当することになった。そして、2018年6月のPSOE新政権では、閣僚20人のうち女性が11人を占めた。
すごいですね。日本にも女性大臣はいますが、森雅子って人は弁護士とは思えませんし、稲田朋美とか片山さつき、高市早苗って、女性そして弱い者の権利を守るという視点がまったく欠落していますので、何も期待することができませんよね…。
ポデモスが市政を担当して、何が、どう変わったのか…。
マドリード市は、市民による社会活動に助成金を出している。すごいですね。
「時間銀行」とは、人々が銀行、つまりグループをつくり、そこに自分がメンバーに提供できるサービスを登録し、お金ではなく「時間」を単位に、必要なサービスをメンバー間で提供しあう仕組みだ。スペインには280あまりの時間銀行があり、そのうちの100行ほどがとりわけ積極的に活動している。日本にも時間銀行の支店がある。日本では、「世代間のつながり」が時間銀行を利用する目的の一つとなっている。
最近ふえている中東やアフリカからの難民を積極的かつ具体的な形で巻き込んでいる時間銀行もある。たとえば、難民にとって必要なスペイン語の習得を時間銀行によるボランティアが活躍している。
マドリードには「モラ」という地域通貨がある。生ゴミや使用ずみの食用油のリサイクルを推進している。生ゴミや使用ずみ食用油をもっていくと、いくらかの「モラ」をもらえる。これは、「モラ」利用者が開くバザーで使える。
スペインでは、いま労働者協同組合が活発に活動を展開していて、拡大中だ。全国に2万の組合が存在し、組合員数は25万人をこえる。
たとえば、ある協同組合には50人の労働者がいて、そのうち20人が障がい者だ。そして、ワインとオイルをつくっている。保育園から、小・中・高そして大学まで擁する労働者協同組合もある。ここでは、教科書をつかわず、教員が自由に教えている。そして、協同組合を支える法律事務所まである。
スペインではすでに市民相互の連帯で変えていく新しい試みがいろいろと進行中のようです。日本だって負けてはおれませんよね。
自助、自立、そして共助。なんでも自己責任だというのなら政治は必要ありませんし、税金だって納めるのがバカバカしい限りです。自助できない状況になったら、とりあえず共助、公的援助を当然のように受けられる。そんな世の中の仕組みにしなければ、あまりに息苦しく、辛い社会(世の中)になってしまいます。
7年も続いたアベ政治の致命的欠陥は、友だち優先の露骨な政治をすすめたため、真に相互援助して助けあうという温かい関係がすっかり台なしにされてしまったことだと思います。なんでも自己責任と片付けられ、すぐに自粛警察が登場してくるようでは、この世の中、息が詰まるばかりです。
(2020年4月刊。2000円+税)

KGBの男

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ベン・マッキンタイアー 、 出版 中央公論新社
KGB(ソ連のスパイ機関)の大佐が自らすすんでイギリスのMI6(スパイ機関)に志願して二重スパイとなり、ソ連の機密情報を流し続けていた。ところが、CIAの幹部でソ連のスパイになった人物(エルド・リッチ)がKGB内のスパイをソ連側に通報したことから、このKGB大佐は疑われ、ついにソ連脱出を決意した。イギリスのMI6は、このための予行演習を重ねていて、鉄路と自動車でKGB大佐をフィンランドに送り込み、逃げ切ることができた。
「冷戦史上最大の二重スパイ」というのがサブ・タイトルですが、CIA長官をはじめとして、各国のスパイ機関に対して、KGBそしてソ連首脳部の思考方法・思考回路を教え、その対応を伝授したということです。そのため、単なる裏切り者だったら大嫌いなはずのサッチャー首相からも高く評価され、ついにはイギリスで叙勲までされたのでした。今もイギリスの郊外の一軒家で、24時間の警備対象となりながら、本人は静かに暮らしているとのことです。
妻子を見捨てた格好でソ連を脱出したため、結局、ソ連が崩壊したあと、脱出から6年後に妻子と再会しても、関係修復とはならず、最愛だった妻とは別れて孤独な生活を余儀なくされたといいます。スパイという存在は、生き延びるのも大変ですが、生き延びたとしても昔のままの人間関係はありえず、親しかった人々からは「裏切り者」として今も白い目で見られているとのこと。うむむ、なかなかに難しい選択ですね。
堂々480頁もある大作です。私はずっとカバンに入れて持ち歩き、裁判の合間と電車の中で読みふけって、4日間でついに読了しました。なにしろ、この本に書かれている脱出劇は小説ではありませんので、手に汗にぎる状況でハプニング続出なのです。トランクのなかに袋をまとって隠れているわけですが、犬が臭いをかぎつけたら万事休すです。犬の鼻をそらすために匂いのある菓子を投げ与えたり、赤ちゃんのオムツを放り投げたりもしたのでした。
オレーク・ゴルジェフスキーはKGBの大佐でロンドン支局長、46歳だ。ところが10数年前からイギリスのスパイ機関MI6に情報提供するスパイだった。
ゴルジェフスキーの父も兄もKGB。KGB一家のなかで育った。
イギリスに情報を提供するときには隠れ家でじっくり話したとのこと。いやあ、こんなことを「定期」的にしていて、よくもバレなかったものですね。そして、10数年間も、よくぞ精神の平穏が保持できたものです。驚嘆します。
イギリスのスパイ機関のトップにいたキム・フィルビーも長いあいだソ連に情報を提供していたのでした。
ゴルジェフスキーが任務地の変更でモスクワに戻ったとき、イギリスのMI6は、まれにみる自制心と克己心から、モスクワではスパイとしての情報提供をしなくてよいとゴルジェフスキーに告げた。
うひゃあ、日本の忍者でいう「草」になれというのですね…。
ゴルジェフスキーにイギリスのスパイだという疑いがかかったとき、KGBはスターリン時代と違って、すぐに処刑するのではなく、証拠を集め、裁判を開き、正式な手順を踏んで判決を言い渡す必要があった。このためゴルジェフスキーは助かったのでした。そして、時間が稼がれてイギリスのMI6と連絡をとるのに成功し、逃亡することにしたのです。
ずっと、その前、ゴルジェフスキーは、担当の取調官の取調の過程で、自白剤を飲ませられてもいます。なんとか、この危機は切り抜けることができ、脱出のルートへ歩み出すことができたのです。モスクワのド真ん中でイギリスのMI6と接触して「危急避難」のメッセージを発したわけですが、この接触方法も考え抜かれた末のものだったようです。
スパイ人生の末路は哀れのようです。でも、時代が必要な仕事だと要請したのも間違いありません。読み終わったとき、ふーっと思わず深呼吸してしまいました。
(2020年6月刊。2900円+税)

教養としてのフランス史の読み方

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 福井 憲彦 、 出版 PHP
フランスのルーツは複雑。フランス人のルーツはケルト系ガリア人であると同時に、ラテン系ローマ人であり、ゲルマン系フランス人であるとも言える。
フランスは、その国土の形からエグザゴン(六角形)とも称される。アメリカのペンタゴンは五角形でしたか…。
フランスは、フランク王国が出発点となっていて、ラテン語のフランクスは、非常に勇敢な、大胆な人々という意味。
フランスでは、中世までは属人原理で人は動いていた。属人原理では、もし君主がだらしないと思ったら、見限って別の君主につくということが可能だ。
カペー王朝は1328年まで、15代341年間もの長きにわたって続いたが、その大きな要因は歴代の王が直系の跡継ぎ(男子)に恵まれたことにある。これをカペー王朝の軌跡ともいう。ちなみに、カペーとは、一種のあだ名であり、修道院長として羽織っていたコートを意味する。
フランスでは長子相続が原則となったことから、相続にあぶれた人たちの受け皿となったのが一つは教会と修道院であり、もう一つが国王や領邦君主のもとで騎士として仕えることだった。
1906年、最初の十字軍が行われた。このころ、ヨーロッパよりもアラブ・イスラム圏の方は経済的にも文化的にも優位にあった。当時のヨーロッパには輸出する産物はほとんどなかった。ヨーロッパにとって、地中海の東は富の豊かな地域だった。なので、所領のない騎士たちは、領地の獲得と一攫千金を夢み、富を求める商人たちも同行していた。
キリスト教会が庶民への布教に力を入れるのは10世紀以降のこと。それまでは支配者である貴族層の宗教だった。
フランスの王家とイングランドの王家は、王家そのものの血統だけでなく、そこにさらにフランス人の王女が嫁ぐという形で、複雑につながっている。
百年戦争は、フランスにとっては、イングランドとの戦争というだけでなく、内戦でもあった。すなわち、相続争いにからんだ王位継承と勢力範囲の拡大争いだった。
フランスの王権強化は必ずしもスムーズに進行したわけではない。
1643年、ルイ13世が40歳で亡くなったとき、ルイ14世はまだ5歳に満たない幼児だった。母が摂政となり、イタリア出身のマザランが宰相となった。そしてフロンドの乱が起きて、マザランは国王一家とともにパリを脱出して、郊外に逃れた。この嫌な記憶から、長じたルイ14世はヴェルサイユ宮殿を築いて住むようになった。
ルイ14世は、1661年に宰相マザランが亡くなり、22歳にして実権を握った。そして、貴族改めを実施した。ルイ14世の統治期間は54年間に及び、そのうち31年間は戦争をしていた。ルイ14世は、戦場に自ら足を運び、兵士を鼓舞した最後の国王だった。
ルイ14世は戦争に莫大な経費をつぎ込んだが、同じくヴェルサイユ宮殿の建設と宮廷社会にも莫大な資金をつぎ込んだ。実は、これは、ありあまる富をつぎ込んで壮麗な宮殿をつくったのではない。苦しい財政のなかで、莫大な借金をしてつくりあげたものだ。それは、王権の強さを象徴的に示すものが必要だったから。人の心をつかむには、文化的かつ象徴的なもので王権を示すことが必要であるとルイ14世は考えたことによる。
ルイ14世の治世において、実際の経済状態は決して良好ではなく、借金によって支えられていた。それは国内の金融家たちからの借金だった。たとえば徴税業務を請け負う人々だった。ところが、ルイ14世はナントの王令(勅令)を廃止して、ユグノーを弾圧したため、20万人もの大量のプロテスタントが国外に亡命した。これによってフランス経済は大きな打撃を受けた。ユグノーには非常に優れた技術者や職人・承認が数多く存在していたからだ。
ルイ14世は絶対王制といっても、限界があった。戦争のための特別税にしても、諸侯の合意を得ながら徴収されていた。したがって、ルイ14世が亡くなったとき、フランスの財政は危機的な状況に陥っていた。ルイ16世は、ルイ15世の孫にあたるが、兄が2人いたので、王位に就くとは思われていなかった。そのため、王になるための教育をまったく受けていなかった。フランスの国庫は、すでにひどい赤字状態にあった。
ルイ16世は無能な王だと言われるが、帝王教育を受けておらず、国政に強い関心をもっていなかったのは事実。
ルイ16世は、自分の考えにもとづいて行動するのではなく、周囲の圧力に負けて決断していた。優柔不断の態度をとり続けたため、ついに国民から「裏切り者」と断罪されてしまった。
フランス革命における民衆の暴力性は、王制下の暴力的なやり方を見てきた民衆が、それにならっただけのことで、民衆だけが野蛮で暴力的だったわけではない。
大学生のとき以来ずっとフランス語を勉強していながら、ちっともうまく話せませんが、フランスに関心を持つ身として、とても面白くフランス史を勉強することができました。
とりわけ、「太陽王」と呼ばれたルイ14世と民衆によってギロチンにかけられたルイ16世についての記述は知らないことばかりで、目が洗われる思いがしました。
(2019年12月刊。2000円+税)

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