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カテゴリー: ヨーロッパ

百年戦争

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 佐藤 猛 、 出版 中公新書
ジャンヌ・ダルクが活躍したのは百年戦争のとき。
この戦争は14世紀(1337年)から15世紀(1453年)まで続いた。日本でいうと足利尊氏が室町幕府を開くころからの100年になる。
前半はイングランド軍が圧勝し、後半はジャンヌ・ダルクの活躍によりフランス軍が最終的に勝利した。戦乱のなかで、イギリスとフランスの貴族が没落し、教会は権威を喪失して、やがて宗教改革の嵐が到来する。百年戦争を通じて、中世という時代が終わった。
イギリスとフランスの両王家は婚姻関係でつながっていた。
当時のヨーロッパでは、識字率は低く、支配階級でも少なかった。
百年戦争は、フランス王国の支配をめぐる戦いであると同時に、地方の独立をめぐる戦いでもあった。百年戦争は、1337年、イングランド王エドワード3世がフランス王フィリップの王位継承に異議を唱えて始まった。当時のフランス王家には、日本の皇族典範のような法典も、明確な王位継承順位もなかった。百年戦争は、決して「イギリス人とフランス人」のあいだの戦争ではない。百年戦争の根本原因は、イギリス大陸をめぐる積年の封建的主従関係の存在だと考えられている。フランス王の王位継承というのは開戦の口実にすぎなかった。
百年戦争は、ヴァロワ王権に対するフランス地方貴族の大反乱を有していた。
終結したのは1453年。フランス軍はイギリス軍からボルドーを取り戻し、イングランド軍は大陸から全面撤退した。
このころ、イングランド王国の人口は500万人。フランス王国は1700万人。約3倍の国力があった。イングランドの3倍の人口をもち、2倍の兵力を有するフランスがなぜイングランドに連敗したのか…。
フランスでは、統一国家と言える状況にはなかった。
戦争のさなかの1348年にはペストが大流行した。人口が増加し、食糧不足のもとでのペスト流行だった。ペストは、パリの人口の4分の1を、ブリテン島では人口の4分の1から5分の2を奪った。
教皇庁は、ローマからアヴィニヨンに逃れていて、教会は大分裂の時代だった。
英仏のあいだで休戦が成立すると、兵士たちは報酬がもらえないので、より一層、略奪に明け暮れた。
フランス王は、軍資金を調達するため、聖職者・貴族・平民と言う三つの身分代表を集めた三部会を招集して、課税の承認を求めた。
1355年、パリの三部会は、3万人の兵士を雇うため3.3%の消費税と増税を承認した。
中世ヨーロッパの戦争では、敵軍兵士の殺害よりも、捕虜をとることが優先された。身代金が目的だ。身分の高い者の身代金は高額だった。ジャン2世の身代金は300万金エキュ、うち60万金エキュの支払いによってジャンの身柄は釈放される。そのあと、毎年40万金エキュの分割払いとする。完済まで、フランスから王権が人質としてイギリスに渡る。
ジャンヌ・ダルクの登場は、1429年なので、百年戦争終結(1453年)直前になります。1431年に異端審問の末、処刑されたのでした。
百年戦争を概観できる手頃の解説書です。
(2020年4月刊。税込1012円)

シルクロード全史(下)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ピーター・フランコパン 、 出版 河出書房新社
17世紀から18世紀にかけてイギリスは最大級の成功をおさめたが、その理由はいくつもある。ほかのヨーロッパ諸国に比べて社会や経済の不平等が少なかったこと、最下層の労働者たちのカロリー摂取量が大陸と比べてはるかに多かったこと、経済成長にともなって労働の効率が格段に上がったこと、生活様式の変化も重要だった。
イギリスには、独創性に富む人材が多く存在した。出生率がヨーロッパの大半の国よりも低かったのは、一人あたりの収入に重大な影響を与えた。大陸に比べて、少ない人数で資源や資産を分けることができた。そして最強の切り札は、海に取り囲まれているという地理的条件。守るべき陸上の国境がないため、イギリス軍事費は、大陸の国々に比べて非常に低く抑えることができた。
第二次世界大戦の前、イギリスは戦争という脅しでドイツを牽制し、東の隣国への攻撃をふみとどまらせようとした。ところが、ヒトラーは、最強の手札が配られたと瞬時に判断した。それは並はずれた度胸が必要なゲームだった。
1932年に、ソ連の輸入品の50%近くがドイツからだった。それが6年後には、5%以下にまで落ち込んだ。スターリンとヒトラーの利害が一致したのは、ポーランドを分けあうということだった。スターリンは、すでに「ポーランド軍事組織のスパイ網の一掃」を名目に、ポーランドの内政に干渉し、数万人を逮捕し、5分の4以上は銃殺していた。
ソ連社会は、スターリンの圧制の下、数年間にわたって自滅の道を突きすすんでいた。
1917年の革命の英雄たちをはじめとする大勢の人々が、ヴィシンスキー検察官の下で、ファシストの犬、テロリスト、ならず者、害虫などと罵(ののし)られ、そして殺された。知識人や文化人が虐(しいた)げられた。101人の軍高官のうち、10人を残して全員が逮捕された。91人のうち9人以外は銃殺された。このなかには5人の元帥のうちの3人、大将2人、空軍幹部全員、各軍管区のすべての長、ほぼすべての師団長が含まれていた。赤軍は崩壊した。この状況のなかでスターリンには一息つく時間が必要だった。ヒトラー・ドイツの不可侵条約の提案は天の恵みだった。
なあるほど、そういうことだったのですか…。
一方のヒトラーにとって、最大の弱みは国内の農業だった。ドイツは食糧自給ができないため、輸入に大きく頼っていた。餓死する国民をひとりも出さないためには、ウクライナの穀倉地帯が「必要」なのだ。ロシア南部とウクライナの農業は、急成長していた。
ヘルベルト・バッケはヒトラーに対して、カギはウクライナにあると強調した。ゲッペルスも、ソ連を攻撃する狙いが小麦とその他の穀物を中心とする資源であると理解していた。戦争の開始は、穀物とパンのためであり、豊富な朝食と昼食、夕食のためだと明言した。目ざすべきは、ドイツとヨーロッパのすべての人々を養ってあまりまるほどの、黄金の小麦がゆらめく東の広大な農地の占領だった。
切迫した現実があった。ドイツでは、食糧をはじめとする必需品が急激に不足していた。ソ連からの穀物輸送だけでは、慢性的な供給不足を解消できなかった。1941年の夏には、ベルリンの店は品薄で、野菜が売られている店はめったに見かけないとゲッペルスは日記に書いた。ドイツ民族が食べていくためには、数百万人が餓死することは避けられない。次のようにナチスの内部文書に明記された。
「すべてはソ連南部の小麦畑の獲得にかかっている」
ソ連侵略の前に出された、ヒトラー・ナチスの軍隊の内部指令は次のとおりだった。
「完膚なきまでに、敵を全滅させる。あらゆる行動において、鉄の意思をもって、無慈悲かつ徹底的であらねばならない」
スラブ民族への侮蔑、ポルシェビズム(共産主義)への憎悪、そして反ユダヤ主義で一貫していた。
ヒトラー・ナチスがソ連領内に進攻する徴候はたくさんあり、スターリンに届いていた。しかし、スターリンは、まだヒトラーが牙をむく段階には至っていないと、ひとり合点していた。
チモシェンコ元帥(国防人民委員)、ジューコフ将軍(ノモンハン事件のときのソ連軍最高司令官)の二人が、ドイツへの先制攻撃を提案したとき、スターリンは、「頭がおかしくなったのか」と言ってとりあわなかった。
ドイツ軍はソ連領土内に侵攻して華々しい成果をあげた。しかし、それも束の間、今では必要な量の食糧すら確保できなくなっていた。
大量のロシア人捕虜が餓死したのは、ナチス・ドイツの自国民優先(ファースト)からだった。
スターリンのソ連には、やがて、ロンドンとワシントンから、戦車や航空機、兵器そして物資が投入されるようになった。流れが決定的に変わったのは、1942年の夏、ドイツ軍のロンメルが、アフリカ北部のエル・アラメインで大敗したこと。スターリングラードでも、1942年秋にはドイツ軍が苦境に立たされていた。
イランの共産化を阻止するため、アメリカのCIAは、イランの各方面に気前よく大金をばらまいた。イランの武器のほとんどは、アメリカの防衛産業から購入されている。まさしく、他人の殺しを金もうけのために利用しているわけ…。ああ、嫌ですね、嫌です。よく調べてあることに驚嘆しました。大変勉強になりました。
(2020年11月刊。税込3960円)

ガザ、西岸地区、アンマン

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 いとう せいこう 、 出版 講談社
「国境なき医師団」が活躍している現場を見に行く本の第2弾です。
空港の手荷物検査のときは、ノートパソコンなどは硝煙反応をみて、爆発物でないか調べるとのこと。そして、パスポートに、イスラエル入国のスタンプがあるとイランへの入国は無理。逆も同じ。いやはや、国が対立していると、そうなるのですね…。
そして、「国境なき医師団」(MSF)は、誘拐されたときに備えて、「プルーフ・オブ・ライフ」を書かされる。自分しか知らない自分の情報のこと。私だったら、何を書いたらいいのでしょうか…。すぐには思いつきません。
ガザに入る前には、両祖父にアラブの名前が入っていないかまで調べられる。
パレスチナ人の多くはガザ地区とヨルダン川の西岸地区に押し込められている。ガザ地区ではイスラム原理主義組織ハマスが支配し、西岸地区はパレスチナ自治政府の力の下にいる。この両者は対立している。
写真を外で撮ってはいけない。MSFの施設内には一切の兵器が置かれていない。誰であれ、丸腰でしか入れない。
MSFの患者には、ペインマネージメント専門の医師があたる。痛みは、精神面よりきていることが多い。痛みに苦しんでいる患者にVRゴーグルでCGを見せる。南の島の風景で、蝶や鳥が優雅に飛んでいる。
デモに参加して足を撃たれると、銃弾は出口を大きくえぐる。そして同時に傷口から外界のばい菌が入りこむ。菌が骨に感染すると、簡単に骨髄炎を起こす。抗生剤で治療するが、長期にわたる必要がある。つまり、足を一発撃たれるとは、肉をえぐられ、骨を粉々に砕かれて短くされ、感染症で体内を冒されるということ。
毎週金曜日の抗議デモで500人ほどがイスラエル兵士に撃たれている。
ドローンが一日中、上空を飛んでいる。ガザは、いつでも厳重に監視されている。
ドローンは、いくら落とされても訓練された軍人が傷つくわけではない。遠距離から正確に打つロケット弾・ミサイルと組み合わせると、ピンポイントで攻撃ができる。
イスラエルは、入植者のほとんどが公務員。個人に武器をもたせて地域に家を建てさせる。これも戦争のひとつの形態ではないのか…。
アラブの世界の全部が常時、戦争状態にあるのではない。のんびりしたアラブがあり、その裏では空爆があって銃撃もある。大やけどする大人も子どももいて、メンタルケアが必要な子どもたちもいる…。
「国境なき医師団」って、すごい活動をしているんですね。改めて心より敬意を表します。
(2021年1月刊。税込1650円)

シルクロード全史(上)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ピーター・フランコパン 、 出版 河出書房新社
世界史をひもとくと、知らないことだらけです。
ローマでは、剣闘は長いあいだ代表的な娯楽だったが、キリスト教徒が命の尊厳を貶(おとし)める見世物に強い嫌悪感を示したことから、廃止された。
「血なまぐさい光景は我々を不快にする。ゆえに剣闘士の存在を全面的に禁止する」
うむむ、これはいいことですね…。
ところが、アフリカの奴隷貿易については、キリスト教徒の多くが人間を奴隷として扱うことに道徳的な嫌悪感を示すことはめったになかった。売り手も買い手も、商品である人間の感情など考えもしなかった。それはキリスト教徒だけでなく、ユダヤ人もイスラム信徒も同じこと。
ヴァイキングの社会にとって、奴隷は欠かせない要素であり、経済の要(かなめ)だった。マルセイユは奴隷売買は盛んなところだった。地中海とアラブ世界では、奴隷があまりにも広く浸透していたため、イタリア人の挨拶するときの「チャオ」は、もともとは、「こんにちは」ではなく、「私はあなたの奴隷です」という意味だった。うひゃあ、ちっとも知りませんでした。
卓越した戦略と、戦場での駆け引きの巧みさにより、ムハンマドと信者たちは、圧倒的勝利を重ねた。ムハンマドは、620年代にユダヤ人に助けを求めた。ユダヤ人は、アラブ人をローマの支配からの解放者として歓迎した。
ジンギスカンの武力行使は技術的に高度であり、戦略としても巧妙だった。要塞化された標的を長期的に包囲するのは難しく、費用もかかる。大規模な騎馬軍を維持するには、放牧も必要とする。馬たちは周囲の草をすぐに食べ尽くしてしまう。
モンゴル人は、占領した都市の一部では大規模な資金を投じてインフラを整備した。
オランダの成功を支えたのは、高度な造船技術。
話が急にあっち、こっちへ飛んでいくので、ついていくだけでも大変ですが、内容は豊富で、感嘆するばかりの本でした。
(2020年11月刊。税込3960円)

古代ローマ帝国軍マニュアル

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 フィリップ・マティザック 、 出版 ちくま学芸文庫
強大なローマ帝国の軍隊の実際を知ることのできる文庫本です。図解と再現写真があって、古代ローマ帝国軍の具体的なイメージをつかむことができました。
残念なことに、私は古代ローマ帝国軍に入隊できないことも分かりました。身長173センチ以上だというのです。もう少しで170センチあると思っていた私なんですが、年齢(とし)をとると身長が縮んでしまうのですね。今では残念ながら165センチを切ってしまいました。いやはや…。
ローマ軍団の最後尾にいるトリアリイというのは「3列めの古参兵」が直訳です。つまり、歴戦の古参兵なんですが、これは前の2段階の戦列が崩れたあと、戦列を維持するための兵集団で、このトリアリイの出番というのは、あとのあい崖っぷちの事態を意味している。なーるほど、ですね…。
古代ローマ帝国軍の1軍団の定員は6000人だけど、これは最大人数であって、実際には4800人ほど。それでも多いですよね。
ローマ帝国軍における騎兵は予備戦力であり、歩兵隊の両側を固めていた。馬は人間より分別があるので、敵の歩兵や騎兵が密に並んでいるところには突っ込んでいこうとはしない。敵の部隊が敗走をはじめたようなときに騎兵隊が出動する。騎兵隊は、およそ控えの戦力として待機している。馬は疲れやすい。敵を追撃するとき、また退却する味方を援護するために必要となる。
1個軍団に、百人隊長が60人ほどいる。
ローマ帝国軍の敵であるゲルマン人による猛攻は4分で終わる。なので、5分後まで生きのびるのがコツ。なるべく長く戦闘を避けていると、ゲルマン人は内輪もめを始める。
ユダヤ人は誇り高く、頑固だ。独自の長い歴史と伝統があるため、なかなか友好関係にならない。問題なのは、味方のユダヤ人と敵のユダヤ人との区別がつかないことにある。
ダキア人は恐ろしく人数が多く、強暴だ。
パルティア軍の貴族戦士はずばぬけた乗馬技術をもった。パルティア軍と戦ってみても、それはムダな努力でしかない。
古代ローマ帝国の旅行ガイドブック本の翻訳もした訳者が、分かりやすいコトバで訳文を刊行してくれました。なんとありがたいことでしょう。
(2020年12月刊。税込1485円)

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