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カテゴリー: ヨーロッパ

チェチェン化するロシア

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 真野 森作 、 出版 東洋書店新社
ポスト・プーチン論序説というサブタイトルのついた本です。
チェチェン共和国は、人口百数十万人、岩手県と同程度の面積。首長ラムザン・カディロフの独裁政治が長く続いている。
小さなチェチェンは、ロシアの命運を左右してきた歴史がある。プーチン、ロシア大統領が2000年に最高権力を握るときの鍵となったのがチェチェンだった。身近な場所でのテロに脅えていたロシア市民にとって、プーチンは「仲間のように気さく強い指導者」の登場だった。
チェチェンの首長カディロフはプーチンに個人的忠誠を誓い、見返りに首長の地位と地域統治のフリーハンド、連邦予算の投入を得ている。通算4度目のロシア大統領当選を果たしたプーチンにとって、大事なのは忠誠と安定であり、チェチェン内部がどうであろうと関係がない。
チェチェンでは、プーチンへの忠誠やロシアに対する愛国心が強調される反面、イスラム教とかカディロフへの個人崇拝が合わさった黒色の文化が形成されつつある。
チェチェン人は、コーカサス最古の民族の一つ。イスラム教を受容したのは17世紀以降で、比較的最近のこと。「スーフィー」と呼ばれるスンニー派のイスラム教新主義の進行が主流。歴史的にチェチェン社会は150ほどのテイブと呼ばれる民族、父系の血縁集団を基盤としている。
2002年10月のモスクワ劇場占拠事件(人質100人以上が死亡)、2004年2月のモスクワ地下鉄爆破テロ(40人以上死亡)、同年8月の旅客機2機の爆破テロ(90人死亡)、同年9月の北方オセアチア・ベスラン学校占拠事件(400人死亡)と、相次ぐテロ事件が起きた。また、現首長の父親のアフマト・カデイロフも2004年5月の爆弾テロで死亡している。
カデイロフ首長は、嘘や心にもないことを平気で語る。大言壮語や過激な脅し文句をよく口にする。存在感を誇示し、注目を集めることを好む。プーチンとの関係が生命線だと自覚しているため、忠誠心を露骨にアピールする。これって、関西で注目を集めている地域政党のリーダーたちによく似ていますよね…。
カデイロフは反対派を許容できない。狡猾(こうかつ)で、自分との競争相手は全部排除した。犯罪に対しては、犯人本人だけでなく、家族全員が罰せられる。
カデイロフは、自分の私的な親衛隊、カデイロフツィをもっている。武装した彼らは4万5千人もいて、治安当局とともに強権的な統治を支えている。
チェチェンには人権が存在していない。唯一の法律が首長カディロフの命令。
チェチェンは、全ロシアでもっとも失業者が多く、もっとも平均時給が低い地域だ。
チェチェン共和国の予算はロシア連邦中央の支援に依存している。共和国予算の8割がロシア連邦からの補助金で占められている。
チェチェンがらみでプーチン政権やカデイロフ体制を批判する政治家やジャーナリスト、活動家が暗殺されてきた。
チェチェンの民主化は、はるか彼方にあるようだというのが、本書を読んだ率直な感想です。
(2021年9月刊。税込2530円)

小説ムッソリーニ(下)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 アントニオ・スクラーティ 、 出版 河出書房新社
なぜか戦後日本ではムッソリーニは人気がない。悪玉としてヒトラーは一流の人物として評価されているのに、ムッソリーニは二流とみなされている。これは訳者があとがきに書いている文章ですが、そのとおりです。ムッソリーニについて日本人はよく知らない人が多いのではないでしょうか。ファシスト、黒シャツ党。そして、敗戦後、一時はナチス・ドイツから救出されたものの、結局は民衆のリンチにあって逆さま吊りで殺された。私もその程度の知識しかありません。
ところで、ファッショとは何か…。イタリア語では「東」とか「まとまり」を意味する。要するに、集団、団体の意味。議会外の戦闘的な運動によって政治に変革をもたらそうとする勢力を指す言葉だった。ファッショは「細い木」を意味すると書いた本があるが、それは間違いだと訳者は断言しています。
1922年10月ころ、イタリア共産党はファシストに打ち負かされ、社会主義者と袂(たもと)を分かち、内部は分裂をかかえていた。共産党の多数派は「統一戦線」に反対していた。民主主義とファシズムは同意語だった。このころ、イタリア共産党のもっとも明敏な知性を有するアントニオ・グラムシは最悪の健康だった。
1922年11月、ムッソリーニの率いる国民ファシスト党の議席は35だけなのに、イタリア議会は議会の信用を失墜させたムッソリーニ政権を圧倒的に信任した。賛成306、反対116、棄権7だった。
公衆の前に姿をさらしているときは、常に頑強な専制君主のポーズを崩さないムッソリーニも、ひとたび私的な場にとじこもれると、苦悩にもだえ、ささいなことに腹を立て、ぐずぐずと煮えきらない態度を示すことも珍しくなかった。
ムッソリーニは、正規の王国軍とは別の特定政党に従属する第二の軍隊の創設を目ざした。
ここではムッソリーニ首相への忠誠のみが紐帯(ちゅうたい)となる。ただ、これはかつての仲間たちから不評だった。
1924年5月の選挙で、ファシスト党の名簿の得票率は実に65%。有権者は、われ先にとファシスト党に票を投じた。社会主義者は123議席から46議席へ大きく減らした。わずか共産党のみが15議席から19議席は増やした。ところが、ファシスト党の内部で抗争が起きて、勝利を台なしにしつつあった。
ムッソリーニは不安だった。政敵ジャコモ・マッテオッティを抹殺するしかない。ファシスト党のトップグループたちが白昼、路上でマッテオッティを拉致し、車に乗せて連れ去った。目撃者となった少年の話は具体的かつ詳細だった。ファシスト党の財務部長は拉致犯たちに2万リラを渡していた。マッテオッティ失踪は直ちに大きなニュースとなった。
議会でムッソリーニは憤りと恐れで一杯の議員たちに迎えられた。自分たちも一歩間違えば王国の首都の中心で、白昼堂々、暴行され、誘拐されるかもしれないという心理が議員たちを襲った。そして、政治的な立場に関係なく、広く怒りが共有され、ファシスト党の内部をふくめ、いたるところから抗議の声が上がりはじめた。いたるところで、怒りが沸騰した。
突然、ムッソリーニのまわりに空白ができた。義勇軍は動員をかけてもろくに反応しなかった。町では市民がファシストのバッジをはずした。それでも6月26日、上院はムッソリーニ政権を信任した。賛成225,反対21,棄権6。政府は圧倒的に信任された。これでムッソリーニは、なんとか事態を乗りこえられる、党をふたたび掌握できると思い直した。
8月、マッテオッティの無惨な遺体が森で発見された。ファシズムに背を向ける人々が増えた。はじめに動いたのは、ファシズムを支えていた大企業家たちだった。自由主義者たちも距離をおくことにした。
そこで、ムッソリーニは、議会は政権が必要と判断した場合にのみ召集されることになった。ファシズム独裁が始まった。
ファシズム独裁というのは、ドイツでもイタリアでも、むき出しの暴力、凶暴な集団による暴行が横行するなかで誕生する(した)ということがよく分かる本でした。
(2021年8月刊。税込3135円)

ヒトラー(その2)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 芝 健介 、 出版 岩波新書
1933年のヒトラー首相の誕生は、棚ぼた式に舞い込んだ僥倖(ぎょうこう)だった。1933年は権力安定には不安定な局面が続いた。ナチ大衆(ナチ党を支持する民衆)は、全国のユダヤ系商店や百貨店への攻撃を開始した。ナチ大衆の暴力が激化したが、それは、ナチ党機関紙や集会で煽動されたものだった。
1933年5月、左翼の抑圧、国会の屈服、ユダヤ人排除の次は諸政党の解体だった。7月にはナチ党以外の全政党が消滅した。また、ドイツにおけるカトリック教会の存続は認められたが、聖職者が政治に関わることは禁止された。
ヒトラーは内閣の閣議を1938年2月に開かれたのを最後とし、開かなかった。法の制定は合議によらず、回覧方式となった。そして、ヒトラー自身は命令をサインして文書に残すのを避けた。
ヒトラーは、政権を握ると、国防費をみるみる増大させた。ドイツの国防軍の支出は財務省の予算統制から除外され、国民の眼から見えなくされた。国家支出総額に占める国防軍支出の割合は、1933年の41%。34年の18%、36年の39%、そして38年には50%へと急伸した。いやあ、これはたまったものではありませんよね。いま、日本の軍事予算は5兆円を軽く突破して6兆円へと近づいています。自民党タカ派は、これを10兆円にしろと要求しています。もちろん、福祉・教育予算を削るのとだきあわせです。「人材」育成はお金をかけずに管理・統制でやって、戦争のための武器・装備には湯水のようにお金をつぎこんでいる日本の現状と同じです。軍事予算の急増させていったため、1938年8月ころ、ドイツの国家財政は危機に瀕していた。ついに財務大臣がたまりかねてヒトラーあてに警告した。こんな国家破産を国民に見すかされないよう、ヒトラー政府は躍起となった。
そのとき、1938年11月、「水晶の夜」が発生した。ヒトラーは崩壊寸前の国家財政状態を、ユダヤ人と非占領地住民に背負わせて隠蔽することにした。つまり、ヒトラーによるユダヤ人絶滅策の推進と、オーストリアやポーランド侵攻は、軍字予算の野放図な増大による国家財政危機を乗りこえる方策でもあった。
ヒトラー・ドイツの戦争方式は「電撃戦」として有名です。機械化された機動部隊による、敵軍の抵抗を即刻粉砕するもの。空軍と陸軍(わけても装甲部隊)の一挙投入による速攻で、最短期間に勝利を得ようとする奇襲作戦というイメージが強烈です。しかし、近年では、実は、そのイメージほどのことはなかったとする研究成果が次々に発表されています。長期総力戦の準備がされないままヒトラーの指導により戦争に突入したのが、ヒトラー・ドイツ軍の実際だったというのです。ここでも、言葉のイメージにひきずられてはいけないようです。
ヒトラー52歳のときに始めた対ソ連攻撃のバルバロッサ作戦は、ボリシェヴィズムは殲滅すべきものと宣言したものだった。人種とイデオロギーにもとづく忌まわしくも犯罪的な絶滅戦争にドイツ国防軍は関わらされた。道義性をかなぐり捨てた無法の戦争だった。
ヒトラーは、戦前は神格化され、カリスマ的指導者像、総統神話だったが、敗戦後は、180度逆転して悪魔視されるようになった。そんなヒトラーが精神病にかかっていたというのは否定されている。
ヒトラーは、慢性の胃腸の不調、けいれんによる痛みをかかえ、また、足には、ひどい湿疹に苦しんでいた。ヒトラーにはお抱え医師がいた。ヒトラーが自殺する直前までの8年半のあいだヒトラーに投薬していた内科医のモレル医師だ。頭痛、不眠、耳鳴り、めまい、視力障害等をさまざまな病気と結びつけて思い悩む心気症的傾向の強かったヒトラーに、モレル医師は、ブドウ糖やホルモン、ビタミン等をふくんだ注射ですぐに効果を感じさせる治療法で好印象を与えた。
モレルは、麻酔剤、刺激剤、睡眠薬、催眠剤等を多用し、ヒトラーを薬漬けにしていった。ヒトラーの演説時には、メタンフェタミンなど、中枢神経を刺激する興奮剤も用いた。
ドイツ軍は、自軍兵士にメタンフェタミンの戦時覚醒錠剤を配布・服用させていたことも明らかになっています。ただ、この本では、モレル医師の薬調合は不適切であったことを指摘すると同時に、ヒトラーにはパーキンソン病の進行があったとしています。
ヒトラーには、私的(個人的)生活がないに等しく、ヒトラーから政治を差し引いたら、ほとんど、いや何も残らない。このようにヒトラー研究者たちは見ているようです。いわゆる家族生活がなかったのです。それに代わるものとして、ヒトラーを取り巻く「内部集団」があり、それが重要な「代替家族」機能を果たしていたと推測しています。まあ、人間的には、とても寂しい生活だったというわけです。
ヒトラーは日記をつける習慣がなかったし、私的な文書を残さないよう意識していた。
ヒトラーは56歳で死亡していますが、スターリンと並んで大量の罪なき人々の明日を奪い、奪い尽くしたという点では、悪魔の所業をした「奴」(あえて人間とは言いません)として歴史の記憶の残すべき人物、忘れてはいけない人物だとつくづく思います。
(2021年10月刊。税込1276円)

ヒトラー

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 芝 健介 、 出版 岩波新書
私と同世代(団塊世代)の大学教授によるヒトラー論です。私もそれなりにヒトラーについて書かれた本は読んできたつもりですが、この新書には知らなかったことも多く書かれていて、その評価など、目を見開いて考えさせられることの多い本でした。さすがはナチス・ドイツ研究の第一人者と言われている学者だけのことはあります。
ヒトラーが実際に何をやったのか少しでも知った人ならヒトラーの再評価なんて絶対に考えられませんが、ヒトラーは悪い面だけでなく、良い面もあったという「バランス感覚」の乗りで考えている人が、今日ではドイツも含むヨーロッパでも日本でも少なくないとのこと。本当に歴史教育の大切さを実感させられます。
ヒトラーは人間の姿をした悪魔(サタン)の化身だ。条約を破って戦争を遂行し、民間人の女性や子どもを傷つけないと確約しながら、今やヨーロッパ中に何千という巨大な墓穴を掘り、ゲスターポ(秘密国家警察)による何百万という犠牲者たちの遺体をそこに埋めている。
これは11歳のユダヤ人少年が1943年9月に日記に書いていた文章。この少年は隠れ家を襲われ、絶滅収容所に送られる寸前、青酸カリを飲んで自殺した。
ヒトラーは生粋のドイツ人ではなく、オーストリア生まれのオーストリア人。ヒトラーは、1032年になったようやくドイツ国籍をとった。ドイツではプロテスタントが圧倒的だが、ヒトラー自身はカトリック教徒のままだった。ヒトラーの父アロイスは、婚外子であり、父方の祖父が誰なのか、今も不明のまま。
ヒトラーの名前は、実は、その前はミックグルーバーという、「下品で野暮ったい」苗字だったのを、父がヒトラーに改姓してくれた。
ヒトラーには、怠惰な生活スタイル、誇大妄想狂、規律に欠け、計画的に物事が進められない傾向がある。ヒトラーは首相になってから、討議をしだいに開かなくなっていたが、これも青年期以来の怠惰な生活スタイルによっているのではないか…。
ヒトラーは、十分な食糧と衣類と宿舎を提供してくれる場として、軍隊に入った。軍隊では、上等兵となり、連隊司令部つき伝令兵になった。これは前線の兵士に比べたら、より安全だった。
ヒトラーの演説の声は、ちょっとくぐもった調子のしゃべり方なのだが、よく聞きとれる声で、合点のいく気のきいたことを誰にもわかる生き生きした言葉で言いあらわす才能に恵まれている。これはヒトラーの演説を実際に聞いたジャーナリストの評価だった。
ヒトラーの演説が集会の呼び物になった。党の財政も左右した。
ヒトラーはミュンヘン一揆に失敗したあと逃亡し、一時、身を隠していたが、ついに逮捕され、裁判にかけられた。ヒトラーは、当初は沈黙し、食事も拒否した。しかし、裁判官はヒトラーに同情的で、ヒトラーが法廷で何時間にもわたって自分の政治的見解を披露するのが認められるという異例の厚遇だった。そのうえ、反逆罪なので、本来なら死刑判決しかなかったはずが、禁固5年という異常に軽い判決が宣告された。これはヒトラーが執行猶予中の身であったことも考慮すれば、まったくありえないほど軽い判決だった。なので、著者は、この判決の違法性は明白だと強調しています。
ヒトラーは要塞監獄に入れられたが、ヒトラー35歳の誕生日は、監獄なで盛大な祝賀パーティーが開かれた。いやはや信じられません。
ミュンヘン一揆前のナチス党の党員は5万5000人(1923.11)だったのが、一揆後は5千人ほどとなり、1926年に3万人超、1927年に6万人近くになった。
ヒトラーの個人的大スキャンダルとして、1931年9月に、同居中の若い(23歳)女性がヒトラー所有の拳銃で胸をうち抜いて自殺したことが紹介されています。ヒトラーは、交際相手の女性として20歳も若い女性をいつも選んでいたことも知りました。最後に結婚して共に死んだエーファ・ブラウンもヒトラーより23歳も若かった。
1932年7月の国会選挙で、ナチ党は230議席、得票率37.4%を占めた。
ブルジョア中道政党は、ナチスに支持基盤を奪われ消滅状態になった。他方、共産党は77議席から89議席(14.6%)と着実に上昇した。
1932年11月の選挙で、ナチ党は大敗した。ナチ党は、第一党の地位は保ったが、34議席を失い196議席となり(得票率33.1%)、ブルジョア政党が少し回復した。
また、社会党は12議席を失って121議席(20.4%)、共産党は12議席を増やして100議席(16.9%)の大台に乗せた。とりわけ、交通スト真最中の首都ベルリンで共産党は45万票(37.7%)を獲得し、第一党を占めた。
1932年12月、ドイツ国会はナチスの指示により、無期休会に入った。もちろん、社会党も共産党もこれに反対した。
そして、1933年1月にヒンデンブルグ大統領はヒトラーを首相に任命した。ヒトラーは首相になると、直ちに「ドイツ国民を防衛するための大統領緊急令」を発し、集会・出版の自由を制限した。また、政府転覆計画の阻止を口実として、ベルリンの共産党本部の家宅捜索を強行した。そのうえ、国会議事堂が炎上したことから、共産党員を一斉検挙し、社民党をはじめナチスの政敵2万5千人以上の身柄が拘束された。
3月5日、そのような状況下で国会選挙があり、ナチスは550万票ほど票を伸ばしたが、ナチ党単独では過半数をとれず、社民党が120議席(18.3%)と健闘した。さらに、ヒトラー政府は共産党の議席剥奪を宣言し、強制的に国会から排除した。
そして、3月に授権法(全権委任法)を制定し、政府が国会にかわって法律を制定できること、憲法に反してもよいこととされた。社民党は反対したが、賛成441、反対94で授権法は可決した。
憲法違反の法律を政府が国会にかけることなく制定できるというわけですから、まさに独裁国家です。ヒトラーの権力掌握過程は、私たち日本人も教訓として学んでおく必要があると思いました。
(2021年10月刊。税込1276円)

小説・ムッソリーニ(上)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 アントニオ・スクラーティ 、 河出書房新社
ヒットラーについては最近の中公新書をふくめて何冊も評伝を読みましたが、イタリアのファシスト党のドゥーチェ(総統)のムッソリーニについては初めて読みました。ただ、小説と銘うっていますし、「ファシズムの側から反ファシズムを描いた小説」ということなので、イタリアの戦前・戦後の歴史に詳しくないと、なかなか没入できない本です。それでも、なんとかガマンして読みすすめていくうちに、ファシズムというのは、むき出しの暴力をともなうものだということがよく分かりました。
私の大学生のころ、全共闘という学生集団があり、暴力肯定でむき出しの暴力を行使し、大学を支配下におこうとしました。東大では、その野望は結局、挫折しましたが、全国の大学のいくつかで暴力支配が実現してしまいました。その暴力支配は、絶えず内ゲバをともない、多くの死傷者を出しました。今でも全共闘を賛美する人が少なくありませんが、暴力肯定論は浅間山荘における日本赤軍の大量殺人に行きつくものだという真摯な反省が欠けていると私は考えています。
ムッソリーニは、ファシストになる前は、労働者を大切にしようと主張する社会主義者の新聞『アヴァンティ―』の主幹として活躍していた。知りませんでした。
ムッソリーニは、梅毒に冒されていたものの、屈強な体格の持ち主だった。
ムッソリーニは、プロレタリアート(労働者)の精神を把握し、解読することにかけて、その右に出る者はいないと仲間たちは公言していた。
ムッソリーニは、真摯で熱烈な絶対的中立論者だったのに、ほんの数週間のうちに真摯で熱烈な参戦論者に転向した。それで、ムッソリーニは社会党から除名され、プロレタリアートの兵隊を失った。
手錠、牢獄、それでも足りないときは腹に打ちこまれる銃弾。民衆のために用意されているのはいつもそれだけ。そして、暴力の担い手は、ブルジョワ、地主、企業家だ。広場に集まった群衆は、暴力の犠牲者となることにかけては、もはや熟練の域に達している。
この上巻は1919年に始まり、1921年までのイタリアの状況を活写しています。
1920年12月、フェッラーラ県のエステンセ城前の戦闘で3人のファシストが社会主義者に殺された。この戦闘はファシストが仕掛けたものだったが、社会主義者の側も防衛のために爆弾を持ち込んでいて、それが警察に摘発されていたことから、ファシストは、社会主義者に責任を押しつけることに成功した。
1921年当時のイタリアでは、暴力について、尽きることなく議論していた。政治闘争に暴力を持ち込むなという点について、ムッソリーニの主張は明快だ。
ファシストは、そうせざるをえない場合においてのみ、暴力を行使する。ファシストは、そうするよう強いられた場合にかぎり、破壊し、粉砕し、放火する。それがすべてだ。
ファシストの暴力は騎士道精神にもとづいたもの。暴力は、個人的な復讐という性質ではなく、国家の防衛としての性質を有する。
どこでも、警察を軍が盾(たて)となって、ファシストの敵の労働者協会の拠点を蹂躙するファシストを援護した。警察権力はもう、投獄をちらつかせファシストを脅すようなことはしなかった。それどころか、ファシストは、軍の車に同乗し、120丁の小銃と3ケースの手りゅう弾を提供されていた。
社会主義者が真摯に武装解除するのであれば、そのときこそ、ファシストもまた武器を捨てるだろう。ファシストにとって、暴力とは異議申立であって、むごたらしく、だが不可避な営みとして、この一種の内戦を受け入れている。ムッソリーニは、このように語った。
いまや、ポレジネ地方の哀れな農村では、夜中に誰かが戸を叩き、「警察だ」という声が聞こえたなら、それは死刑執行を意味すると認識されている。
ファシズムとは、行き過ぎること。ファシストたちは、週末になると、近隣の農村に出かけていき、労働者会館、組合事務所、そして赤の役場を襲撃する。殴り、破壊し、広場で旗を焼いた。
ファシズムとは、教会ではなく訓練場であり、政党ではなく運動であり、綱領ではなく情熱である。ファシズムとは、新しい力である。暴力のスペクトルのなかに光の性質を正しく浮かび上がらせる。無差別殺人とは、ファシストではない者たちが、アナーキスト、共産主義者が行使する、暗がりのなかの暴力だ。ファシズムの暴力は光だ。
わずか2.3ヶ月のうちに、9つの労働評議会、1つの生活協同組合、19の農村同盟が破滅させられた。社会主義勢力の瓦解は、とどまるところを知らなかった。いまや各地で、農村の大衆は赤旗をおろし、ファシストの組合に加入していた。
農村運動の指導者たちは、すさまじい速度で進行する崩壊を前にして、なすすべもなく立ちつくしていた。そして、次のように呼びかけた。
「家から出てはいけない。挑発に応じてはいけない。沈黙すること。臆病にふるまうことは、ときとして英雄的な行為なのだ」
ひまし油の利用。ファシストの脅しに屈しない社会主義者を見つけると、その口にじょうごを突っ込み、通じ薬に用いられるひまし油を1リットル、無理やり胃に流し込む。そして、車のボンネットに縛りつける。それで屁をひり、糞をもらす姿を、村中の住人にさらすのだ。ひまし油を飲まされた人間は、殉難者になる資格を喪失する。恥辱が同情を吹き払ってしまうからだ。公衆の面前で糞をもらした人間に、崇拝の念を抱く者はいない。嘲笑にはすぐれて教育的な効果がある。その効き目は長く続き、人格の形成に影響を与える。排泄物は血よりも広く、国家の未来に拡散していく。
いやあ、これはひどい。ひどすぎます。こんなファシストの蛮行は絶対に許せません。
暴力が渦を巻き、新たな犠牲者の血が流され、家屋に火がつけられた。ファシズムは、暴力的であることをやめるやいなや、そのあらゆる邪悪な特権を、そのあらゆる力を失うだろう。
ファシズムの本質がよくよく分かる本です。
(2021年8月刊。税込3135円)

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