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カテゴリー: ヨーロッパ

村の公証人

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ニコル・ルメートル 、 出版 名古屋大学出版会
 近世フランスの地方に住む公証人テラードたちの生活を記録した家政書を紹介した本です。ときはアンリ4世からルイ13世のころ、1600年前後ですから、日本では関ヶ原合戦(1600年)の前後にあたります。つまり戦国時代の末期で、江戸時代初期のころのフランスです。
 場所はフランスの中心部のバ・リムーザン地方、その北部のフレスリーヌの村です。
 主人公のピエール・テラード1世は1559年に生まれ、1628年に69歳で亡くなりました。
 ピエールは村の公証人であり、書記であり、魔術師(シャーマン)だった。
 ピエールは、文字を書く技量に熟達した。文字を自在に書くことで、農村の名士をして頭角をあらわした。そして、隣人やイトコたちに貸付を繰り返して所有地を広げていった。貸し付けたのは金銭だけでなく、穀物や家畜もあった。1601年4月から翌1602年12月までに114回の貸付けを行っていて、このうち77回はライ麦の貸付けだった。
 この当時、宗教戦争の終結は、多数の農民が借金の重圧に押しつぶされて没落する事態を生み、所有地の集積を促進した。借金で首が回らなくなった債務者たちは財産を失った。ただし、彼らは先祖伝来の所有地の上で暮らし、自分たちの土地を耕し、その地は依然として、彼らの家名を冠している。彼らは追い出されることはなかった。それでも所有者としての地位は喪失した。収穫物折半による土地賃貸借が、この地方ではあたりまえ。家畜と農具を提供するのは土地所有者。家畜は投資目的で運用する。土地は、3分の1が耕作地で、3分の2が雑草地や放牧地。牧畜は重要性が高い。高地の荒野では羊の群れだけが生きていけるので、ここでは羊が圧倒的に多い。
 ここでは狼との戦いは、ありふれた現実である。しかし、危険はそれだけではない。家畜伝染病も怖い。1頭のメス牛は、数頭のメス羊よりももうかる。ソバは、ライ麦のような麦角病はなく、貴重な自家消費用穀物だ。
 家名を安定化するため、兄弟経営団を更新する。災難をできるだけ避けるには、複数の人数が得策だという打算にもとづいている。
 女性は、慣習法によって、まったく自由に相続人を指定する権利をもっている。用益権を自らの手元に留保しながら、自分の全財産を一人の相続人に譲渡することもできる。
 農民の世界では、夫婦財産制が非常に普及していた。原則として、新婦(妻)は、遺言により持参金を譲渡できる。これが、家族集団内における新婦の力の要因となっている。
 新婦に持参金は、しばしば婚家の借金返済に充当される。そして、婚姻関係が解消されると、持参金は原則として「妻」側に返還される。
 新しい家庭の懐(ふところ)に入った持参金は、災厄の折に利用できる資本としての価値しかない。家族にとって新婦の持参金とは、危機的な財政難を立て直したり、それまでの債務の相殺を容易にしたり、ときには土地の購入に投資するのに、とりわけ有用だった。
 潤沢な持参金をそなえを娘であれば、相続人の妻の座は射程のなかにある。
 2番目の結婚から生まれた娘たちは母親の権利と父親の遺留分だけである。
 職業訓練は、子どもたちの出生順による。長男は文字を書く訓練をし、公証人の官職を継承して共有財産を管理しなければならない。次男も文字を書く訓練をし、長男の代わりを務める可能性と家族集団に奉仕すべく司祭になる可能性に備える。三男以下は、意欲と適性があれば文字を習うが、それは破局的な人口減少が起きたとき、自分に財産の相続権が生じるかもしれないからだ。娘たちは、文字の習得をしないが、この措置もタブーでなくなるのは遠くない。
 読み書きができることは、法律専門家になるためだけでなく、聖職につく条件でもある。司祭になるのは、個人の意向より、一家の決断が優先する。その全権は家長に委ねられている。
 公証人は、人口1000人から1500人につき1人の割合でいる。公証人は、家庭や村落における社会の安全装置だった。
 344頁もの大作ですが、近世フランスの公証人であり、農民である人の記録から、この当時のフランス人の生活の全体像が浮かびあがってくる気がしました。少々値がはりましたが、読んでなるほどと思いました。やはり、いつだって読み書きは必須なんだねと実感もしました。
(2022年5月刊。税込6380円)

裏切り(上・下)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 シャルロッテ・リンク 、 出版 創元推理文庫
 著者はドイツ在住のドイツ人なのに、イギリスを舞台とするミステリー小説です。文庫本で2冊の分量ですが、次々に起きる残虐な殺人事件の動機が不明なのです。被害者の1人は、イギリスのスコットランド・ヤード(警視庁)の独身女性刑事の父親の元警察官(警部)。いったいなぜ元警部が残虐な殺され方をしたのか…。その動機の解明は下巻の最後にまで先送りされます。
 途中で浮かびあがった犯人は典型的なDV男。我が子に無関心な両親から捨てられたという思いでいた女性が、DV男の見かけだけの優しさから、ついには隷従状態と化してしまいます。どんなに叩かれ、馬鹿にされても、この人なしでは自分は生きていけないという思いからDV男の言うなりについていくのです。それはまるで統一協会の信者のようです。他人の忠告もききめがなく、目が覚めることがありません。
 警察のなかの人間関係も寒々とした印象です。殺人犯人を検挙して成績をあげなければいけないので、とてもストレスがたまる職です。アルコールに頼ってついに中毒患者にまでなってしまう警部が登場します。
 ドイツでは2015年に160万部と、もっとも売れたミステリー小説だそうで、その評判どおりなのか、そこに関心があって読んだのでした。時間がつくれる方には一読をおすすめします。それだけの価値はあります。
 残虐な殺人の動機がこの本の最後で、やっと解明されます。なーるほど、…、そう思って初めからストーリー展開をたどると、あまり無理のない動機におさまっています。ネタバラシはしません。最後に、この本の末尾の文章を紹介します。
 「人は極限状態を体験したあとでは、決して元の生活を完全に取り戻すことはできない。いちど受けた損傷は、もう治らない。これからは、ひとつの重荷を背負って生きていかねばならない。その重荷は二度と降ろすことができないかもしれない。でも、どれほど辛かろうと、これは今なお私たちの人生なんだから…」
 最後まで、ハラハラしながら読ませますので、ドイツで大ベストセラーになったのも当然だと思いました。
(2022年6月刊。税込1320円)

ドレスデン爆撃1945

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 シンクレア・マッケイ 、 出版 白水社
 都市住民への無差別空爆を世界で初めて始めたのは日本軍。そしてアメリカ軍も1945年3月10日の東京大空襲で、一夜にして10万人以上の死傷者を出しました。日本の木造家屋を焼き尽くすために焼夷弾を念入りに開発・改良して実行に及んだのです。それを指揮したアメリカのカーチス・ルメイ将軍は戦後、日本より勲一等を授与されました(その名目は航空自衛隊の育成に貢献したこと)。罪なき日本人を10万人以上も殺傷した「敵」軍に勲章を授与するという日本政府の神経が信じられません。アメリカのやることなら何でもありがたがる、自民党政府の奴隷根性がよくあらわれています。
 さて、この本は同じ1945年2月13,14日に英米空軍の猛威爆撃によってドレスデンが灰燼(かいじん)に帰した前後の状況を描いたものです。
 ドレスデンはドイツ南部の都市、オーストリアに近い。しかし、かつてのナチス・ドイツの領土としては、中心部に位置する。そして、ヒトラー・ナチスの政策を早い段階で熱狂的に受け入れていた都市でもある。
 終戦のわずか数週間前、1945年2月13日の一晩に、英米空軍の爆撃機796機が飛来して、「地獄の門を開いた」。この地獄の一夜で、2万5千人もの市民が殺された。
 ソ連軍のドイツ進攻によってアウシュビッツ強制収容所が解放され、ユダヤ人の大量虐殺の事実が明るみに出たのは、この少し前の1月27日のこと。
 ドイツの戦争遂行意思をなくすためには、産業施設に限定することなく、都市の破壊、労働者の殺害そして、共同体生活を崩壊させること。イギリスの爆撃機軍団のサー・アーサー・ハリス大将は、そう主張した。
 爆撃は、まず照明弾投下機が一番に飛ぶ。一番に濃線色の照明弾を投下すると、明るい白色の棒状の焼夷弾が滝のように落ちていく。後続機が、赤い照明弾を落とす。そして、橙色、青、淡紅色がそれぞれ違った目標の目印となる。航空機乗組員は、みな志願兵だった。しかし、みな神経がずたずたになっていく。そして出撃中毒にもなる。
 爆撃機はドレスデンの3千から4千メートル上空から、木造建築の内部と周囲に火をつける目的で、2種類の殺傷兵器を投下した。まず重さ1.8トンのブロック・バスターあるいはクッキー爆弾。路上にいた者は、みな爆発で発生した火で瞬時に炭化し、着衣を焼き尽くされ、裸の遺体が地面に残される。
 第一波の爆撃機244機とモスキート9機は、15分間のうちに、880トンの爆弾を投下した。その57%が高性能爆弾、43%が焼夷弾。そして、1.8トンの投下地雷弾などによって建築物が破壊された。数十万の焼夷弾が、さまざまな装置で点火されて次々に投下され、床板、家具、木造梁(はり)、衣類の只中で、ますます燃え盛る炎に燃料を注いだ。
 第二波の爆撃機は552機。1.8トンの「クッキー」、その他の爆弾と焼夷弾、総計1800トンが炎の届いていない地域に投下された。
 この前、B17爆撃機による精密爆撃は、望まれていたほど精密な結果をもたらさなかった。目標から何キロも離れたところに落下した。
 このドレスデン爆撃について、ナチスのゲッペル宣伝相は「テロ爆撃」と非難した。そして、大量の市民を無差別に死に追いやっていいのかという論理的問題として大いに議論となった。ハリス大将は、イギリス王室からの勲章授与には応じたが、政府からの表彰は回辞した。
 イギリス空軍は、5万の搭乗員が戦死した。30回の作戦飛行から生還できた者は3人に1人もいなかった。ドイツ空軍との空中戦は、まさしく死闘だったのですね。
 イギリス空軍の航空機乗組員12万5千人のうち、5万5千人以上が戦死した。
 アメリカ軍の航空兵2万6千人がヨーロッパ戦線で死亡した。猛烈な対空砲火と、零下の気温にさらされ、また酸素不足と凍傷にも苦しみながら任務を遂行していた。
 この精神的重圧をやわらげるため、基地内に楽しく、くつろいだ雰囲気をつくり出す努力が尽くされた。食事はいつも豊富で、故郷で供される種類のパンが提供された。パブに入り、ダンスホールにも行けた。
 ドレスデンの死者は13万5千人をこえ、20万人に達するともみられている。
 ドレスデン爆撃は犯罪なのか…。1960年代のイギリスでは、とりわけ芸術界で、ドレスデン爆撃は邪悪で、恥ずべき出来事だという見解が定着した。
 東京大空襲だって、広島・長崎の原爆投下と同じように戦争犯罪だと私は考えています、カーチス・ルメイ将軍はやはり犯罪をおかしたのであり、日本政府による勲章授与は大きな間違いだと私は考えています。いかがでしょうか…。
 380頁もの大作を久しぶりの北海道行きの飛行機のなかで必死の思いで読みました。
(2022年8月刊。税込4730円)
 
 庭の一隅にフジバカマを4株植えて、花が咲いています。小ぶりの可愛らしい花です。アサギマダラ(チョウチョ)を招こうとしているのですが、まだ来てくれません。九州を縦断飛行中に立ち寄ってくれることを期待しているのですが…。
 チューリップの球根を植えつけはじめました。毎年500本近く植えています。
 いま、エンゼルストランペットが花盛りです。黄色いトランペットがたくさんぶら下がっています。キンモクセイがようやく咲き出しましたが、今年は匂いがまだ弱い気がします。

スコットランド全史

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 桜井 俊彰 、 出版 集英社新書
 スコットランドの歴史を「運命の石」を軸として説明する新書です。
 「運命の石」は、エディンバラ城の宮殿2階に安置されている、重さ152キログラムの直方体の石。サイズは、670×420×265ミリメートル。何の装飾もない。 この「運命の石」が、1996年7月イギリスからスコットランドの700年ぶりに返されたのでした。
イギリスとスコットランドは、伝統的に違いがあるようです。スコットランドアは伝統的に親フランスで、イギリスのEV離脱には一貫して反対した。
 ふえっ、スコットランドって、親フランスなんですか、知りませんでした。
スコットランド人は、ヨーロッパ文明の母体であるギリシアの亡命王子と、その妻であるエジプトのファラオの娘の末裔(まつえい)。いやぁ、これこそ、ちっとも知りませんでした・・・。
 スコットランド人は、ピクト人、ブリトン人、アングロサクソン人、ヴァイキング、ノルマン人などが、時期を違えてやって来て、時間をかけて混じりあうことで、形成された。スコットランド人という単一の民族がはじめから住んでいたのではない。
 それが、イングランドとの13世紀終盤に勃発したスコットランド独立戦争のなかで、自分たちはスコットランド人だというアイデンティティ国家意識をもつようになった。なるほど、そういうことなんですね・・・。
 スコットランドの初めにいたピクト人については今もよく分かっていないようですが、身体中を彩色したモヒカンカットとして映画で描かれたとのこと。ふむふむ・・・。
 スコットランド女王メアリとエリザベス1世女王との確執。そして、やがてメアリによるエリザベス暗殺計画とその発覚、ついにはメアリの処刑に至る話は有名です。
この話も、スコットランドとイングランド、そしてフランスとのつながりの中で考えるべきものだと改めて認識されられました。さらに、処刑されたメアリの息子のスコットランド王ジェイムズ6世が、イングランド王としてジェイムズ1世になったというのです。世の中は、分かったようで分かりませんよね。
 国王の戴冠式にずっと使われ続けてきた「運命の石」なるものがあることを初めて知りましたが、それだけでも、本書を読んだ甲斐があるというものです。
(2022年6月刊。税込1040円)

アンネ・フランクはひとりじゃなかった

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 リアン・フェルフーフェン 、 出版 みすず書房
 アンネ・フランクの『アンネの日記』は、私も、もちろん読んでいます。残念なことに、アンネの隠れ家の現地には行ったことがありません。アウシュヴィッツ収容所にも行っていません。本当に残念です。
 この本は、アンネたち一家が隠れ家に潜む前の生活を紹介しています。立派な高層アパートに住み、大きな広場で、アンネたちは自由に伸び伸びと走りまわり、遊んでいたのでした。そんな楽しそうな息づかいの伝わってくる本です。
 1939年6月12日、アンネが10歳の誕生日を迎えた日に、広場で8人の友だちとうつっている写真が表紙になっています。女の子たちは、みな屈託ない笑顔です。まだ、オランダにまでナチスの脅威はきていなかったのでした。
 アムステルダムには、高さ40メートル、13階建ての超モダンなマンションがあった。それは「摩天楼」と呼ばれていた。そして、その周囲に4階建ての中層アパートが立ち並んでいる。そこにアンネ一家は住みはじめた。
 大勢のユダヤ人がドイツから逃げて住むようになった。広々としたメルウェーデ広場でアンネは友だちと遊んだ。
 ナチスによるユダヤ人迫害が強まり、1935年には、アムステルダムは、ヨーロッパで最大級のユダヤ人居住地となり、6万1千人に達した。その大部分は労働者階級だった。
 1937年の時点でも、オランダのユダヤ人は、ドイツのような迫害がオランダで起きるはずがない、そんなのは、「まったくバカげた考えだ」と言っていた。
 1938年の末、戦争が起きるかもしれないと考え、オランダ国民は念のためにガスマスクを用意した。1万個以上のガスマスクが売れた。
 1940年5月10日、ドイツがいきなりオランダの「中立」を侵犯して攻めてきた。戦争だ。
 1942年、アンネ・フランクは、恐ろしい話を知らないまま、楽しさいっぱいで13歳の誕生日を迎えた。
そうなんです。子どもは、戦争なんて知らないで、そんな心配をせずに毎日を楽しく過ごすのが一番です。でも、ロシアのウクライナ侵略戦争は、それを妨害しています。
 オランダからユダヤ人4万人が強制・絶滅収容所に送られた。1943年6月20日、ユダヤ人一斉検挙で、この地域のユダヤ人たちが広場に集められている様子をとった写真があります。この日、アムステルダムだけでも捕まったユダヤ人は5500人もいたのでした。
そして、ユダヤ人一家が退去させられると、そのあとすぐに「ヘネイケ隊」と呼ばれる集団が入りこんで、目ぼしい家財道具を運び出して、私腹も肥やすのです。
戦後まで生きのびたアンネの父・オットー・フランクは、ひどく弱ってしまい、体重はわずか52キロだった。そして、隠れ家に残されていたアンネの日記を手渡されたのでした。日記を読むと、自分の娘として知っている少女とはまったく異なるアンネがそこにいた。知人は、「少女の書いた日記って、そんなに面白いものなのかね…」と疑問を口にしたという。
いやあ、そうなんですよね。でも、「アンネの日記」を読んで心を動かさない人がいるでしょうか…。私は、ベトナム戦争のときに書かれた『トゥイーの日記』(経済界)も、ぜひ多くの人に読んでほしいと考えています。これまた、すごい日記なんです。ぜひぜひ読んでみてください。
(2022年6月刊。税込4620円)

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