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カテゴリー: アメリカ

FDRの将軍たち(下)

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ジョナサン・W・ジョーダン 、 出版 国書刊行会
 第二次大戦における連合軍側の合意形成過程にとりわけ興味をもちました。決して一枚岩ではなく、アメリカとイギリスの思惑の対立、アメリカ軍内部のさまざまな利害・思惑の対立がずっとずっとあったのでした。
 そして、ソ連(スターリン)をどうやって連合軍の陣営にひっぱり込むかでも、米英それぞれが大変苦労していたようです。たとえば、カチンの森虐殺事件では、大量のポーランド軍将校を虐殺したのはソ連(スターリン)だと分かっていながら、ソ連の参戦を優先させ、米英首脳部(FDRとチャーチル)は沈然したのでした。
 また、アウシュヴィッツ絶滅収容所でユダヤ人の大量虐殺が進行中であることを知りながら、収容所爆撃は後まわしにされました。戦争の早期終結のためには重化学コンビナート爆撃を優先させるべきだという「政策」的判断によります。
 指導者の人間性についてのコメントも面白いものがありました。中国の蔣介石について、チャーチルは中国国内を統一するだけの能力はなく、日本軍を倒すことより、内戦に備えての再軍備そして私腹を肥やすことにしか関心がないとして、とても低い評価しかしなかった。
 戦後日本で神様のようにあがめられたマッカーサーについては、アメリカの大統領を目ざす野心が強烈で、マーシャル将軍のような公平無私の姿勢がないとしています。
 FDR(ルーズヴェルト)は、戦後の中国を西側陣営にしっかり組み込むことを望み、そのため蔣介石たちをカイロ(エジプト)に招待もしていた。
 イギリスは蔣介石は、いざというときには頼りがいのない男だとみていた。
 ナチス・ドイツに攻め込まれていたソ連は、一刻も早くヨーロッパで第2戦線が開設されることを強く望んだ。そして第二戦線がヨーロッパに開かれたら、ソ連(スターリン)もドイツ降伏の日からまもなく(3ヶ月内に)対日戦に参加することを表明した。
 欧米では高い社会的地位につく者が、入隊した自分の息子を危険な戦場から遠ざけることはできない。これが暗黙の了解だった。立派ですね。なので、万一、自衛隊幹部の子弟が戦場で毎週のように死亡するという事態が現実化したら、日本社会はどのように反応するのでしょうか…。日本では、そんな事態になるよりも、裏に手をまわして危険な前線に送られないように、きっとなることでしょう…。
FDR(ルーズヴェルト)が死亡したとき、後継者となったハリー・トルーマンは、前の大統領(FDR)とは異なるタイプの人物だった。トルーマンは、短く、早口で、ざっくばらんな話し方を好み、世間話はせず、返答を避けることもしなかった。
 FDRはトルーマンに対して、スターリンやチャーチルとの秘密のやりとりを一つも明らかにしなかった。トルーマンは連合国の戦略も原爆の製造・販売について何もFDRから知らされていなかった。
 アメリカの原爆投下候補の町として京都が上げられていた。このとき司令官のスティムソンは京都をリストから外すよう命じた。しかし、部下のグーヴズは京都も対象にすべきだとして、直接に大統領に働きかけた。しかし、それは却下され、無事に京都は残りました。
6月6日のDデイ(「史上最大の作戦」の開始日)において、誰が最高司令官になるのかについても、アメリカとイギリスは激しく対立した。結局、アイゼンハウアーが最高司令官に就いた。
 とても興味深く、連休中に、喫茶店から動かず、必死で読みふけりました。
(2022年11月刊。3800円+税)

FDRの将軍たち(上)

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ジョナサン・W・ジョーダン 、 出版 国書刊行会
 第二次世界大戦のとき、アメリカは豊富な資源にモノを言わせてとてつもない物量大作戦でのぞんだことになっています。
 ところが、FDR(ルーズベルト大統領)は、年間5万機の軍用機を製造するように求めたとき、周囲は「見果てぬ夢」と受けとめたというのです。だって、このとき、通常の生産ではせいぜい2000機ほどでしかなかったのです。1年に1万機なんてムリでした。そして、5万人のパイロットはいないし、5万人ものパイロットを養成する訓練所もないし、5万機の軍用機を飛行可能な状態にしておく整備工場もありませんでした。
 なので、年に5万機の軍用機だなんて、あまりに「とっぴな」生産日授設定だと思われたのです。ところが、FDRは、アメリカ国民は、自分たちの行為の意味を理解すれば、求められることは何でもやりとげる能力があると固く信じていたというのです。すごいですね、偉いことです。
 民主党内のニューディール派とリベラルな不戦主義者たちは、イギリスに対する軍事援助に反対していた。なるほど、その論理は今の私にも理解はできます。でも、実際問題として、そのままアメリカが何もしなかったとしたら、世界はどうなっていたでしょうか…。考えるだけでも恐ろしい気がします。
 そして、アメリカの軍隊には異人差別が厳然としてありました。50万人のアメリカ軍に、黒人兵士は1%の5千人にもみたない。そして、黒人将校はわずか2人だけ。黒人は、「ボーイ」のような扱いを受けていた。当時の陸軍省は、一つの連隊の中で黒人と白人の下士官兵を混在させることはしない、という方針でした。
 アメリカの将軍は、日本よりドイツのほうが手ごわい敵だと考えた。ドイツの第三帝国は経済的に自立していたが、日本はそうではなかったから。日本が敗北してもドイツの運命にはほとんど影響がないが、ドイツの敗北は不可避的に日本の負けにつながると考えた。
 FDRは、ヨーロッパの戦争に直接関与しないという公約で大統領三選を果たしたばかりだった。武器貸与法を成立させ、イギリスへ物資援助することでアメリカを戦争から遠ざける最善の方法だと考えていた。このころ、アメリカ国民の半数は、ドイツのUボートを攻撃することに反対した。1941年5月、8割近いアメリカ国民が参戦に反対しつつ、52%がイギリスへ軍需物質の輸送に賛成した。
 対日政策に関して、FDR政権内は二つに割れた。石油の禁輸は戦争を誘発してしまうと考えるアメリカ国民が半分はいた。
アメリカ本土の日系人は収容所に強制的に収容された。しかし、ハワイ諸島にいた14万人の日系人は、すべてを強制退去するのは不可能だったので、収容所に入れられることなく、島内、それも軍事施設の近くに住み続けることができた。
 1940年12月7日、日本軍がハワイの真珠湾を専襲攻撃したのを知らされ、FDRから聞いたキプキンズは「何かの間違いに違いない」と答えた。そして、FDRは、「まったく予期していなかった」と言った。このとき、FDRの目は生気を失い、その日は冗談も出なかった。
 アメリカの大統領が日本軍の真珠湾攻撃を知っていながら、わざと知らないふりをしてやらせたという陰謀説は今も根強いものがありますが、FDRの周辺の様子はとてもそんな余裕は感じられなかったというものです。私も賛同します。陰謀説は無理がありすぎます。
(2022年11月刊。3800円+税)

アマゾンに鉄道を作る

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 風樹 茂 、 出版 五月書房新社
 アマゾンに鉄道をつくる話だというので、ブラジルの話かと思うと、そうではなく、アマゾンの源流のあるボリビアでの鉄道づくりの話でした。
 1986年5月のことです。著者はまだ20代で、体重も50キロありませんでした。
 目的地のチョチスは、熱帯雨林とサバンナの境界にある、人口1000人もない小さな村。1979年1月の豪雨災害によって鉄道が打撃を受け、復旧したものの、本格的な復旧工事が必要だというので、国際入札があって大成建設と日建ボリビアが落札した。総額55億円の予算で、日本がJICAとODAを使った事業をすすめることになって、著者も現地に派遣されたのです。
 ボリビアは一つの国でありながら、実は二つの国。低地と高地で、気候風土、人種、文化、風俗がまったく違う。
 このアマゾンでは、初対面の男女は、口に軽くキスをするのが習慣。ここでは、10代半ばから、男と女は無数の短い恋愛を繰り返す。10代でも夫の違う子どもを2人か3人かかえている娘は何人もいる。アマゾンでは、男女は知りあうには易く、添い遂げるのは難しい。
 このチョチスは陸の孤島で、母系の強い社会。男性は単なるセックスの相手、子種のための存在、だから、遺伝子は遠いほどいい。そして、子どもは成長するのが速い。
 また、子どもは1歳から2歳で死ぬことが多い。兄弟7人いても半分以上は死ぬ。運がよく、強い者だけが生き残る。死はいつでも身近だ。そして、退屈な小村にあって、死は祝祭でもある。
 アマゾンには日系移民がいるから、日本の食材がつくられ、日本食が食べられる。
労働者の主食はイモのほかは牛肉。しかし、やけに固い。むしろ豚肉や鶏肉のほうが高い。牛の頭は、ここではごちそう。
 ボリビアは夜でも街を歩けて安全だった。総じて、ボリビア人は人がよい。
 2008年、22年ぶりにチョチスを再訪。2012年のチョチスの人口は635人。鉄道は立派に残っていた。しかし、貨幣に頼るようになった村人たちは、かえって貧しくなった。
22年前に知っていた人のうち3人が死亡、1人が刑務所にいて、行方不明が3人。男に逃げられた女性は数知れない。
 著者は最後に、アマゾンからの告発をのせています。やたらな開発なんてまっぴら。貧困は環境を破壊しない。環境を破壊するのはあくなき富の追求と、その結果としての環境破壊がもたらす貧困だ。
 まったく、そのとおりですね。アマゾンの鉄道をつくった経験と現在への思いにあふれた本です。大変面白く読みました。
(2023年2月刊。2200円+税)

マヤ文明の戦争

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 青山 和夫 、 出版 京都大学学術出版会
 マヤ文明は、中央アメリカのユカタン半島あたりで、前1000年ころから、スペイン人が侵略する16世紀前半まで、2500年ほど続き、盛衰があった。マヤ文明は、日本でいうと縄文時代晩期から室町時代に相当する。
マヤ文明は「戦争のない、平和な文明」だったとか、「都市なき文明」と誤解されてきたが、実際は、戦争はしばしば起こり、「石器を使う都市文明」だった。マヤ文明の大都市には数万人の人々が住み、国家的な宗教儀礼のほか、政治活動や経済活動もかなり集中し、彩色土器や石器を生産していた。マヤ支配層は、文字、暦、算術、天文学を発達させ、ゼロの文字も発明している。
マヤ文明は、大河がなく、大型家畜もいないので、小規模な灌漑(かんがい)、段々畑、家庭菜園などの集約農業と焼畑農業を組み合わせていた。家畜は七面鳥と犬だけ。文字の読み書きは、王族・貴族の男女の秘儀だった。専業の戦士はおらず、王・王族、支配層書記を兼ねる工芸家は、戦時には戦士となった。マヤ文明は、統一王朝のないネットワーク型の文明で、中央集権的な統一王国は形成されなかった。戦争の痕跡が次々に発見され、戦争を記録した数多くの碑文が解読された。戦争は頻繁にあり、戦争が激化して多くの土地の中心部は破壊された。
戦闘では初めに弓で大量の矢を放ったあと、石槍を手にもって接近戦を展開し、あくまで高位の捕虜を捕獲しようとした。地位の高い捕虜自身が政治・経済的に重要な価値を有し、捕虜を受け戻すための高価な品々、貢納や政治的な主従関係を勝ちとることにつながった。遺跡にはたくさんの壁画が残っていて、捕虜を足で踏みつけるようにして勝者の王が立っている絵が多い。
この本で驚嘆するのは詳細な出来事が年表としてまとめられているということです。もちろん、これはマヤ文字を解読しなければできません。でも、マヤ文字って、要するに絵文字です。人物の顔などが入っています。
たとえば、ヤシュチラン遺跡では130以上の石像記念碑が発見されていて、少なくとも359年から808年まで20人の王が君臨した。こんなことが碑文を解読して判明しているのです、すごいです。
いろんな王朝がいて、初代の王も9代目の王も名前が分かっています。コパン遺跡の祭壇化には、初代王、2代目王、15代目王、16代目王が彫られています。王には、女王もいます。彫像の捕虜にも名前がついていて、捕虜には、その目印として紙の耳飾りがついていた。パレンケ王朝11代目のパカル王は、683年8月に亡くなるまで、なんと68年もの長さの治世を誇った。
マヤ人は、20進法を使った。これは、手足両方の指で数を数えるもの。コパン王朝の人々の人骨を分析すると、8世紀になると農民だけでなく、貴族の多くも栄養不良に陥っていた。環境破壊が進行していた。人口過剰と農耕による環境破壊が要因となって、その結果として戦争が激化し、王朝が衰退した。人骨の分析でこんなことまで判明するのですね…。すごいものです。
数百人のスペイン人が侵略戦争でマヤ人の大群に勝利できたのは、第一に、優秀な通訳による情報戦に長(た)けていたこと。第二に、マヤ人内部の群雄割拠の状況をうまく利用したこと。第三に、マヤ人の戦争は、接近戦で高位の敵を捕虜にするもので、スペイン人のように戦場で大量の敵兵を虐殺するのが戦争とは考えていなかったこと。なので、スペイン総督を捕虜にしようとしていた。第四に、マヤ人はウイルス感染で次々に病死していったこと。マヤ人の人口は100年間のうちに5~10%に減少した。90~95%のマヤ人が死滅した。
ただし、今もマヤ人は生きていて、今ではむしろ増加している。そして、キリスト教を信仰するようになっても、自己流に解釈し、マヤ諸語とともにマヤ文明は生き続けている。マヤ人の心まではスペイン人は支配できなかった。
500頁もの大著ですが、大変興味深い内容なので、3日3晩で読了しました。学者って本当に偉いですね。心から敬意を表します。
(2022年11月刊。6500円+税)

クレプトクラシー,資金洗浄の巨大な闇

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ケイシー・ミシェル 、 出版 草思社
 世界最大のマネーロンダリング天国、アメリカというサブタイトルのついた本です。
 ウクライナ、赤道ギニア、ハイチなどの独裁者から押し寄せる違法な超大金を洗浄するシステムがアメリカでものすごく活用されているということを今さらながら強く認識させられる本でした。
 アメリカは世界最大のクレプトクラシーの避難地となっていて、今や史上最大のマネーロンダリングの国だ。世界中に張りめぐらされた犯罪ネットワークに関係する、何兆ドルもの資金が手品のようにクリーンで合法的なお金に一瞬で変わり、実際に使えるようになる。
 アメリカはクレプトクラシーの世界が出現するために手を貸し、その過程で利益を受けている。アメリカでは、匿名のペーパーカンパニーが次々に設立されていて、その背景に誰がいるのか、まったく分からない。ペーパーカンパニーとは、ブラックボックスにも似た汚いお金を変換させる魔法の装置だ。洗浄されたお金は、捜査官も解明できない。アメリカでは幽霊会社を設立するのは、許しがたいほど簡単、容易だ。必要な時には、「ノミニ―」と呼ばれる人間が選ばれる。ノミニーは、ペーパーカンパニーの取締役、株主そして共同経営者という登記できる、名目上の第三者。当局の質問に対しては、会社に関わっているのは自分だけだと主張する(できる)。
アメリカでは、連邦ではなく、州政府が法人誘致をめぐって、互いに競い合っている。ニュージャージー州には、企業が殺到した。登記のために駆け込んでくる企業のおかげで、州の財政はありあまるほど潤沢となり、州民に対しては減税するようになった。同じくデラウェア州でも登記した企業から毎年15億ドルもの収入を得て、売上税・資産税を課していない州にとって巨大な財政支柱になっている。年間22万5000件超の企業が設立され続けている。
 チリの悪名高い独裁者ピノチェトも隠れ資産をもって私腹を肥やしていることが明らかにされた。
 ウクライナでも独裁者がせっせと私腹を肥やしていた。ウクライナの銀行、プリヴァトバンクの融資先の99%は内容のない幽霊のような企業だった。
 トランプ前大統領は、自分の不動産を通じて、何十億ドルもの資金洗浄してマネーロンダリングに関わっていた。トランプの所有する物件はどれも、過去数十年にわたって、アメリカに流入していきた汚いお金の大洪水のおこぼれに預かってきた。トランプの物件の最終的な所有者のうち、身元が公表されているのは、ごくわずか。怪しい買い手の大半は、アメリカで登記したダミー会社を徹底的に利用して、アメリカの不動産を購入していた。大統領に就任したトランプは、アメリカ政府が築いてきた反腐敗という壮大な砦を破壊するような行為を始めた。腐敗に対する規制、先例と伝統をトランプはあくことなく破壊した。
トランプ大統領に快く思われるには、トランプのホテルに宿泊するのが一番だと気がついた首相や大統領もいた。
 ウクライナのゼレンスキーというユダヤ人の俳優が世に出たのは、テレビドラマを通じてウクライナの大統領を数年かけて演じカリスマ性を獲得した。クレプトクラットであるコロモイスキーの支援も受けてゼレンスキー大統領は誕生した。でも今なおウクライナは腐敗とは無縁ではない。
 世界中の汚い大金がアメリカに集中している仕組みがあることを認識しました。それも気の遠くなるほどの大金です。世界中の多くの人が食うや食わずの生活をしているというのに、なんということでしょうか・・・。
(2022年9月刊。税込3,080円)

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