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カテゴリー: アメリカ

アメリカの宗教右派

カテゴリー:アメリカ

著者:飯山 雅史、 発行:中公新書ラクレ
 アメリカ人と宗教というのが密接不可分のものだということを改めて認識させられました。アメリカでは州によって多数派の宗教が異なっているのですね。そして、そこそこの州は自分のところの多数派宗教を守るために連邦政府の介入を排除したいわけで、そのために憲法で政教分離がうたわれている。これって、初めて知りました。
 バージニア州では、イギリス国教会が唯一の公認教会だった。ピューリタンはマサチューセッツを拠点とした。クエーカーはペンシルバニアをつくった。バプテストは、ロードアイランドに移り住んだ。カトリックはメリーランドに住んだ。アメリカ独立のときの13植民地は、こんな状態だったから、合衆国憲法を定めるにあたって、「連邦政府は国教を樹立してはいけない」という項目が入ったのも当然だった。それぞれの州が長い歴史と犠牲の末に樹立した宗教政策に対して、連邦政府が干渉するなんて言語道断だった。それに対して、州政府が州内に公認宗教をもつのは違憲ではなかった。ううむ、なるほど、なるほど、ですね。
 会衆派はハーバードとエール大学。イギリス国教会(聖公会)はウィリアム&メリー大学とコロンビア大学、長老派はプリンストン大学を建設した。
 アメリカ国民の8割以上は、信仰は自分の生活にとって重要だと考え、同じくらいの人が何らかの教派に所属している。
 アメリカの宗教右派はこれまで3度にわたって隆盛を誇った。第一期は1980年代のこと。このとき共和党は奇妙な新興勢力が票を集めることを歓迎したが、あまり真剣に相手はしなかった。第二期は1990年代で、共和党はモンスターに成長した宗教右派のパワーに恐れをなし、ギングリッチの暴走をコントロールすることもできず、黄金の中間世帯からそっぽを向かれて支持率を落とした。第三の全盛期である2000年代になると、共和党は宗教右派を同志として受け入れ、赤い絨毯を敷いて厚遇したが、決して宗教右派の囚われの身になっていたわけではない。むしろ、共和党の集票マシーンとして、宗教右派のほうを手なずけた。ううむ、なるほど、このように荒廃を繰り返していたのですか……。ところで、今はどうなんでしょうか?
 かつて何十万人もの信徒を熱狂させたカリスマ的な宗教右派の指導者たちは高齢化して、力を失い、他界する人も出てきた。最強の選挙マシンだった「キリスト教連合」は指導部の内紛や分裂から、もはや弱小組織にすぎない。そして、オバマ候補に敗れ去ったが、共和党の候補者として、マケインの選出を許してしまった。マケインは宗教右派をこけにしてきた人物だとのことです。
 アメリカ人の70%は、死後の世界を信じている。フランス人は35%だ。悪魔を信じるアメリカ人は65%もいる。イギリス人は28%でしかない。
 アル・カポネの名前と結びついて有名な禁酒法の制定(1919年)は、カトリックへのプロテスタントからの嫌がらせという側面を無視できない。アメリカ新参者のカトリックは貧困層が多く、強い飲酒癖をもっていた。
 アメリカにおける「家族の崩壊」は、幻想ではなく、現実である。1994年の政府統計によると、母親と子供だけのシングル・マザー世帯は全世帯の3割近い。ワシントンの黒人でみると、9割の子どもが非嫡出子である。黒人社会では、親と子どもとおばあちゃんで暮らすのが「普通の家族」なのである。
 アメリカのカトリック教徒は6600万人もいて、単一の教派としては最大の勢力をもっている。そして、この膨大なカトリック票が共和党から民主党へ激しく揺れ動く、究極の浮動票なのである。民主党も共和党も、カトリックの意識にはぴったりはまらない。だから、選挙のたびごとに投票先が変わる。
 黒人教会は、もっとも忠実な民主党支持層である。ユダヤ教徒も、黒人有権者と同じくらい忠実な民主党支持層である。
 アメリカの宗教右派運動には、しばらく冬の時代が到来しそうである。宗教右派運動は絶頂期を過ぎて、今後は長期的にも下降線をたどっていくのでしょうか・・・・・・。 
(2008年9月刊。760円+税)

ジェローム・ロビンスが死んだ

カテゴリー:アメリカ

著者:津野 海太郎、 発行:平凡社
 アメリカのアカ狩りの様子が分かる本です。
 映画「ウェスト・サイド・ストーリー」が上映されたのは、私が中学生の時でした。おそらく3年生だったと思います。新しい友人だった古田君が、「オレはもう3回見た」と言ったのを聞いて驚きました。私も1回は見たのですが、同じ映画を3回も見るなんて、私には考えられもしないことでした。そして、古田君は、ジェスチャー入りで歌をうたいはじめるのです。このシーンは、なぜか今でもよく覚えています。
 この本は、その『ウェストサイド物語』 の監督兼振付家だった人が、アカ狩りのとき密告者になった状況を描いています。「密告者」という点では、エリア・カザンが有名です。『波止場』や『エデンの東』の名監督として有名なのですが、密告者として、よぼよぼの老人になって死ぬまで非難を浴びていました。
 ロビンスは、1953年2月にワシントンの非米活動委員会室で証言し、5月にニューヨーク連邦裁判所の法廷で証言した。
「あなたが共産党員だったという情報は正しいですか?」
「正しいです」
「党員だった期間は?」
「入党申請したのは1943年のクリスマスのころ。初めて会合に出席したのは1944年春。最後に出席したのは1947年春です」
「グループにいた人の名前をあげてください」
 ロビンスは、その問いに答えて、次々と人の名前をあげていきます。これでは密告者と呼ばれても仕方がありません。
 非米活動委員会は、すべてのアメリカ人に、のっぴきならない場に追い込まれた左翼やリベラル派のぶざまなふるまいをリアルタイムで見せつけるのが狙いだった。
 アカ狩りの背景として、1948年6月にベルリン封鎖、1949年8月にソ連が原爆実験に成功、1949年10月に中華人民共和国の成立、1950年6月に朝鮮戦争の勃発があげられる。それまで戦勝気分もあって未来に対して楽観的だったアメリカ社会の空気が一変し、ソ連による原爆攻撃と共産主義による世界制覇への恐怖が広がった。機を逃さず、非米活動委員会は、共産主義者はソ連のスパイとみなし、すべて死刑ないし終身刑に処すべし、という法案を提出した。この脅迫に、ハリウッドの世論は屈してしまった。
 エリア・カザンは、アメリカでもっとも有名な監督だった。誰もが、彼こそはその影響力で非米活動委員会と戦えるだろうと思っていた。なのに、カザンは屈してしまった。
 ロビンスに対して、質問した下院議員は次のように問いかけた。
 「ここで証言して、ほかの人びとの名前を挙げた人をイヌとか密告者と呼んだ者がいる。もちろん、あなたは、他の人の名前をあげた以上、その部類に入れられることは覚悟していますよね?」
「はい」
 非米活動委員会は、彼らを地獄の底に突き落とすこと、その裏切りと自滅の現場をマスメディアを通じてアメリカ国民にしつこく見せ続けること、みせしめと宣伝と愛国イデオロギー教育、これが目的だった。
 ロビンスが若いころ、ナチスの反ユダヤ主義を恐れるアメリカのユダヤ人の多くが、スターリンのソ連に親愛感を抱き、そのうちの少なくない若者がアメリカ共産党に入党した。
1919年の結成当初から、アメリカ共産主義の中心にロシア系のユダヤ人移民がいた。
 1930年代のアメリカ社会で、ユダヤ人差別が比較的少ない場が2つあった。芸能界と共産党である。そして、ロビンスは同性愛者(ゲイ)だった。それこそがロビンスにとって最大の問題だった。ロビンスに対する脅迫の核心は、ゲイであることを暴露するということだったのだ。その当時、公然とゲイだと名指しされるのは、今考えるよりずっと致命的なことであった。
 非米活動委員会によるアカ狩りは、単なる反共キャンペーンというだけでなく、ニューディールの申し子世代に対する集団的リンチであった。それはニューディール時代に冷や飯を食わされた共和党や右派勢力による報復という性格をもっていた。いやあ、そんなこととはちっとも知りませんでした。そうだったんですか……。
 いまさらアカ狩りでもあるまいという気がする。しかし、9.11同時多発テロ以来のアメリカ社会の空気は、急速に変化し、自分と異なる人間の在り方に対して、またたく間に不寛容になっていった。これでは、とうていアカ狩りが過去のものになったとは言えない。
 なるほど、なるほど、そうなんですよね。「自由・平等の国」というイメージのアメリカですが、実際にはひどく民主主義に反することをたくさんやっています。日本にも乗り移ってきましたが、毛色の変わった人をすぐ異端視して排除しようとする不寛容な社会になりつつありますよね。日本で死刑賛成の人が増えているというのも、そのあらわれだと私は考えています。困ったことです。つい最近、国連は日本政府に対して、世論の動向にとらわれず死刑廃止に向かって行動するように、また、国民に対して死刑廃止の意義をよく普及するよう勧告しました。私も、まったく同感です。
(2008年6月刊。2800円+税)

シャドウ・ダイバー(上)

カテゴリー:アメリカ

著者:ロバート・カーソン、 発行:ハヤカワ・ノンフィクション文庫
 水深が20メートルより深くなると、判断力と運動能力が低下する。これは、窒素酔いとよばれている状態だ。深く潜れば、窒素の作用はいっそう顕著になってくる。沈没船のある水深30メートル以上になると、条件は著しく不利になる。
 もし、何かが起きても、ただちに海面へ泳いであがることはできない。深い海で一定の時間を過ごしたダイバーは、水圧に身体を慣らしながら、あらかじめ決められた時間をおいて、徐々に上昇していかなければならない。空気が足りずに窒息することが分かっていても、そうしなければならない。パニックに陥って、「太陽とカモメ」を目ざして一目散に浮上するダイバーは、ベンズとも呼ばれる減圧症を発症する危険がある。重症のベンズでは、身体に障害が一生残ったり、麻痺したり、死に至ることもある。重症のベンズの苦痛にもだえ苦しみ、悲鳴を上げる患者を目にしたことのあるダイバーは、長時間のディープ・ダイビングのあとで減圧せずに浮上するよりは、いっそ海底で窒息して死ぬ方がましだと口をそろえて言う。
 水深40メートルでは5気圧となり、ほとんどのダイバーの頭は正常には働かない。手先がぎこちなくなり、紐を結ぶといった簡単な作業にも苦労する。知っていることでも、苦労して思い出さなくてはいけない。
 さらに、50〜55メートルに降りると、幻覚を見ることもある。
 水深60メートル以上になると、窒素酔いによって、恐怖、喜び、悲しみ、興奮、失望などの感情を、いつものようにうまく処理できない。
 急速に浮上すると、気圧は急激に下がる。それによって、組織に蓄積した窒素ガスは、ソーダのボトルのふたをポンと開けたときのように、大量の大きな泡となる。この窒素の大きな泡が、ディープ・ダイバーの憎き敵である。血流の外側で大きな泡が生まれれば、それが組織を圧迫して、血液循環を妨げる。関節内部や神経のそばなら激痛を引き起こし、痛みは数週間、悪くすれば終生つづく。脊髄や脳で発生した泡は、身体の麻痺や致命的な発作の原因となりかねない。大量の大きな泡が肺に流れ込むと、肺機能が停止してチョークスと呼ばれる障害が起き、呼吸が停止する恐れがある。大量の大きな泡が動脈系に入り込むと、空気塞栓症という肺気圧障害を陽子お越し、卒中、失明、意識不明もしくは死に至ることもある。
 水深60メートルに25分間もぐったダイバーは、1時間かけて海面へ浮上する。まず水深12メートルで5分間停止し、ゆっくり9メートルまで上がって、そこで10分間待ち、そのあと6メートルで14分、3メートルで25分を費やす。減圧のための時間は、もぐった深さと時間で決まる。時間が長くなるほど、水深が深くなるほど、減圧停止の時間は長くなる。2時間もぐったとすると、なんと9時間もの減圧が必要になる。
 うひゃーっ、す、すごーいですね。ダイビングってこんなに危険な行為なのですね。そういえばスキューバダイビングを趣味とする私の姪っ子が沖縄に飛行機で行ったら、その日は海中に潜れないって言ってました。
沈没船を見つけて、そこに入り込んだダイバーは、死の危険と隣りあわせだ。出口を見つけられなかったら溺れて死ぬ。出口を見つけても、それまでに空気を使い果たしたら、適切な減圧をするための空気がもはやないことになる。
大西洋の沖の海底でドイツ軍のUボートを発見したダイバーの話です。ダイビングって、こんなに死の危険と隣り合わせのものだということを知って、大変驚いてしまいました。
 
(2008年7月刊。700円+税)

イラク米軍脱走兵、真実の告発

カテゴリー:アメリカ

著者:ジョシュア・キー、 発行:合同出版
 陸軍に入るとき、海外に送られることはないと徴兵担当者は固く約束した。きみはアメリカ本土で橋を建設し、夜は毎日、家族と一緒に過ごせる、と。ところが、実際に軍隊に入って練兵担当軍曹から言われた言葉は、次のようなものだった。
 お前らがサインした契約書に書いてあったことは、みんな大嘘だ。そんな約束は、すべて破られるだろう。
 うん、うん、そうなんです。軍隊って、どこの国でも大嘘つきなんですよね。
 アメリカ陸軍の将校と兵士にとって、イラク人は決して人ではなかった。イスラム教徒は決して市民ではなかった。ぼろ頭であり、砂漠のニガーであり、軽蔑すべき奴らだった。人権があるなんて、誰も微塵も考えなかった。
イラクでは、家宅捜索へ行くと、ほしいと思ったものは何でも盗んだ。だって、我々はアメリカの軍隊なのだから、何でも好きなことが出来るのだ。家宅捜索の後は、いつもアドレナリンのせいで興奮し、2時間以上続けて眠ることは決してできず、常にぼんやりと麻痺したような状態だった。
 ファルージャに派遣され、その2週間で10数人の市民を殺した銃撃音を聞いた。分隊が2人の市民を殺すのを見た。もう十分だと思えるほどの血と死を見た。このような暴虐を市民に対してふるうのは間違っていると考えた。それでもまだ、イラクにアメリカ軍がいるのは正しいと考えた。テロを根絶するために、イラクにいるのだと信じていた。
 イラクでもっとも恐ろしい任務は、小隊で行う徒歩のパトロールだ。パトロール中、まったく無防備で、敵にさらされていると感じていた。アメリカ兵に笑いかける人はなく、多くの人は憎悪を隠そうともしなかった。
 それは奇妙な戦争だった。アメリカ兵を狙って銃撃する者の姿も、迫撃砲も、アメリカ兵を目がけてロケット弾を飛ばす者の影も、まったく見えない。いつまでも敵が姿を現さないことで、アメリカ兵の恐怖といらだちは頂点に達した。そして、そのいらだちは、いつでも一般市民に向けることができた。
 戦場を知らない人には奇妙に思えるだろうか、イラクでは手榴弾はごく普通の日用品である。これというはっきりした敵がいないので、アメリカ兵は無力で抵抗できない市民に攻撃の矛先を向けた。自分たちの行為に対して責任を持たなくていいことは知っていた。恐怖でいっぱいで、眠りを奪われていて、カフェインやアドレナリンやテストステロンで興奮していた。上官は、いつも兵士に、イラク人は全員が敵だ。民間人もだと言っていた。
 2時間以上のまとまった睡眠をとれたためしはほとんどなかった。
 アメリカ兵自身がテロリストなんだということに、初めて気がついた。アメリカ兵はイラク人に対してテロ行為を働いている。脅かしている。殴っている。家を破壊している。アメリカ人は、イラクで、テロリストになってしまっている。もはや戦場に戻ることは良心の呵責に耐えかねる。そこで、著者は法務担当者に電話し、問いかけた。担当官は次のように答えた。
 君に出来ることは、次の2つのどれかしかない。一つは、予定されている飛行機に乗ってイラクへ戻ること。二つ目は、刑務所に入ること。このどちらかだ。
 この言葉を聞いて、著者はアメリカ軍に戻らないと決め、アメリカ国内で家族とともに潜伏生活を過ごし、インターネットで見つけたカナダの脱走兵支援事務所の援助を受けてカナダに入国したのです。すごい行動力です。
 この本を読んだあと、いま上映中の映画『リダクテッド』を見ました。イラクに派遣され、サマラの町の警備を命じられた兵士たちの日常生活が紹介されています。そして、イラクの人々を人間と思わず、ストレスもあって、15歳の少女をレイプしたうえで一家皆殺しにした実際に起きた事件を想像をまじえて再現しています。もちろん、許されない犯罪であることは言うまでもありませんが、そのような状況を作り出しているアメリカ政府の責任を厳しく弾劾しないことには、末端兵士を厳罰に処しても問題は何も解決しないと思わされたことでした。今のイラク戦争がいかに間違ったものなのか、すさまじい映像に圧倒されました。背筋の凍る映画というのは、こういうものを言うのでしょうね。でも、現実を直視するために、ぜひ多くの人に見てほしいものだと思いました。「リダクテッド」というのは、編集済みの、という意味だそうです。マスコミが報道するニュースは、すべて当局、つまり政府の都合のいいように編集されているということです。日本も、アメリカとまったく変わりません。イラク戦争の実情なんて、ちっとも放映されませんよね。 
(2008年9月刊。1600円+税)

格差は作られた

カテゴリー:アメリカ

著者:ポール・クルーグマン、 発行:早川書房
 今度、ノーベル賞(経済学)を受けた学者の本です。たまたま読みました。ブッシュ政権を強い口調で批判しています。はっきり言って反政府系の硬骨漢です。こんな学者によくぞノーベル賞が授与されるものです。いえ、批判(非難)しているのではなく、ノーベル賞選考委員会をほめているのです。
第2次大戦後のアメリカでは、富裕層は少数で、中産階級と比べるときわめて裕福というわけではなかった。貧困層は富裕層より多かったが、それでもまだ相対的には少数だった。アメリカ経済には驚くほどの均質性があり、ほとんどのアメリカ人は似たような生活を送り、物質的にも非常に恵まれていた。
 経済が平等であったことに加えて、政治も穏便だった。民主党と共和党の間に外交や国内政策で広いコンセンサスがあった。
 ところが、1990年代に入ると、アメリカは政治的に中道で中産階級が支配的な国へと成長していくのではないことが徐々に明らかになっていった。小数のアメリカ人が急激に裕福になっていく一方、ほとんどの人々が経済的には、まったくか、ほんの少ししか向上していなかった。政治が両極に分裂し始めていた。
 今日、所得格差は1920年代と同等の高い水準にあり、政治的な分裂はかつてないほど進んでいる。共和党は右傾化し、所得の不平等が広がるのと同時に、今日の厳しい党派主義が生まれている。
 急進的な右派が力を得たことで、ビジネス界は労働運動にたいして攻撃を仕掛けることができるようになり、労働者の交渉力は劇的に減退した。経営陣の給与に対する政治的社会的抑制力は消えうせ、考慮特赦に対する税金は劇的に軽減され、そのほか実に様々な手段によって不平等と格差は助長されてきた。
 すべて諸悪の根源は、アメリカの人種差別問題にある。今でも残る奴隷制度の悪しき遺産、それはアメリカの原罪であり、それこそが国民に対して医療保険制度を提供していない理由である。
 うむむ、な、なーるほど、そういうことだったのですか。アメリカに国民皆保険制度が今なお存在しておらず、民間の営利会社である保険会社が保険制度を担っている本当の理由がやっと分かりました。
 先進諸国の大政党のなかで、アメリカだけが福祉制度を逆行させようとしているのは、公民権運動に対する白人の反発があるからなのだ。
 第二次大戦前のニューディール政策が始まると、富裕層は、所得税率が今35%なのに対して、63%から79%へと大幅に上昇した。最高時は91%にまでなった。法人税も14%だったのが、45%以上にまで上昇した。これによって富の集中が弱まった。
 ニューディール政策は、金持ちの資産の多くを税金でもっていった。ルーズベルト大統領は、その階級からは「裏切り者」だと見られていた。逆に、ニューディール政策の下で組合員の数と影響力は増大した。
 アメリカで起きたベトナム反戦運動は、1960年代そして1970年代初めのアメリカ社会に重くのしかかっていた。1973年に徴兵制度が終わり、ベトナムからアメリカ軍が撤退したあと、驚くほどのスピードで消滅した。反戦運動家はほかの事に関心を移し、過激な左派主義は重要な政治勢力として根付くことは無かった。
 レーガンは、共産主義の脅威に対する大衆の被害妄想をくすぐることに成功した。
 アメリカ人は自国を危うくするものは非常に簡単に運動力によって排除できると思い込んでいる。自制を唱えるものは、よくて弱腰、悪くて国家への反逆。
 保守派は、一般大衆の感情にアピールするための二つのことを発見した。その一は、白人の黒人解放運動に対する反発と、共産主義に対する被害妄想であった。
 1970年に平均的な労働者の給料の30倍だったCEOの所得は、今日では300倍以上にも跳ね上がっている。1970年代、大企業のCEOは平均120万ドルの給与を得ていた。ところが、2000年に入ると、その報酬は年900万ドルを平均とするまでに上がった。これにより、今や平均して307倍になっている。
 アメリカの経営者には羞恥心というものがないのでしょうか。まさに自分さえ良ければということです。これでは、他人からも馬鹿にされてしまいます。ところが、今、日本の経営者もアメリカの経営者にならおうとしています。あの御手洗日本経団連会長(キャノン)も、自分のことしか考えていません。いやですね。口先では偉そうなことを言うのですからね。
 一人当たりの医療保険額で一番低いのはイギリスで、アメリカはその2.5倍。カナダ、フランス、ドイツと比べて2倍も高い。
 アメリカ国民全員に健康保険を与えるとしたら、当然のことながら、黒人、ヒスパニック、アジア系などの非白人を含むことになる。それを税金によって一番多く負担するのは、アメリカの富裕層である。そのほとんどは白人だ。一般の白人にとってはそれはとうてい受け入れられない。一部の白人は、黒人と同じ病院を使用することに猛反対した。
 今日でも、白人と黒人とが同化した教会はアメリカ全土で10%に満たない。え、えーっ、そうなんですか。博愛精神って、フェアプレイの精神と同じく今も生きる名言だと思いますけどね・・・・・・。 
(2008年6月刊。1900円+税)

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