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カテゴリー: アメリカ

プラネット・グーグル

カテゴリー:アメリカ

著者:ランダル・ストロス、 発行:NHK出版
 グーグルの収入は2002年に4億ドル、2003年に14億ドル、2005年に61億ドル、
2007年に165億ドル。純利益のほうも、2002年の1億ドルから、2007年には42億ドルになった。収入の99%は、例のシンプルなテキスト広告によるもの。
 といっても、グーグルの規模はマイクロソフトには遠く及ばない。2007年にマイクロソフトは510億ドルの売り上げ額があったのに、グーグルは165億ドルでしかない。
 グーグルが業務につかっているコンピューターは100万台にも及んでいる。これが世界最大規模のスーパーコンピューターを形成している。
 グーグルの求めている人材は、単に高い教育を受けた人ではなく、きわめて高い教育を受けた人。採用した100人のうち40人は、博士号取得者だ。
 グーグルは16億500万ドルでユーチューブを買収した。
 グーグルは地球の全人口の3分の1をカバーする地域では、住宅や自動車までも認識できる写真を提供する。グーグルアースそしてストリート・ビューの出現だ。
 ユーチューブは、2007年末の時点で月に30万本の動画を提供している。そしてグーグルは、その運営によって、それなりの収入得たとは言っていない。
グーグルを使って個人情報を調べてみると、アメリカでは個人の純資産・政治献金・趣味などが簡単に見つかった。
 グーグルって、怖い存在なんですね……。
(2008年9月刊。2000円+税)

オバマ、勝つ話術、勝てる駆け引き

カテゴリー:アメリカ

著者:西川 秀和・池本 克之、 発行:講談社
 オバマ大統領が誕生することになりました。その大統領就任式には300万人がワシントンに集まるだろうと言われているそうです。アメリカが軍事優先の国家から少しでも平和志向の国へ変化することを願うばかりです。
 この本は、はじめヒラリー・クリントンより劣勢だったオバマがなぜ逆転勝利へ駆け上がることができたのか、その秘密を明らかにしています。読むと、なるほど、と思います。インターネットを使って膨大な資金カンパを集め、惜しみなくテレビCMなどに注ぎこんだという物量作戦もバックにあって支えたのでしょうが、やはりオバマ自身の演説のうまさは決定的だったようです。
 リーダーとなる者は、人の心を動かす言葉を持っていなければならない。とくに政治家は、自らの理想を、自らの信念を、人々に明確に伝えなければならない。まさに、言葉は人なのである。記憶に残る一言と明確なコンセプトがもっとも求められる。
 漢字が読めず、空気も読めない麻生さんは、首相として失格と言うだけでなく、そもそも政治家になったのが間違いなんですよね。
 オバマの演説には、信じること、希望など、人々に勇気と自信を与える言葉が随所に散りばめられている。不信に凝り固まった人々の心をほぐすためには、大ゲサでしつこいほど、そうしたポジティブな言葉を繰り返す必要がある。
 オバマは、ネガティブ・キャンペーンに対して反撃はできるだけせず、希望と連帯を前面に打ち出すことで勝利した。ネガティブ・キャンペーンに対していちいち反撃すれば、相手のペースに巻き込まれるし、きりがない。相手を落としめ自分を上げようとすると、心ある有権者は言葉に耳を傾けてくれなくなる。ネガティブ・キャンペーンが行き過ぎれば、いずれ自滅する。
 オバマは、過去の政治からの脱却と未来の新しい政治の導入を約束して多くの人々の支持を集めた。過去対未来という2項対立は、連帯を呼びかけるのに好都合なのだ。
 オバマが有権者に黒人の代表だと判断されたら、幅広い得票ができない。オバマは白人と黒人の連帯を訴えかけ、圧倒的な黒人票に加え、一定数の白人票も集めることに成功した。
 オバマとヒラリーの両者には政策の面で根本的な争点があまりないため、イメージ戦略の勝負だった。「経験のヒラリー」対「変化のオバマ」というイメージがすっかり定着した。
 変化、きっと私たちは出来る、そして過去対未来という人々の脳裏に強烈に刻まれるイメージ戦略で、オバマは支持層の急拡大に成功した。
 重要なことは何度でも繰り返す。どんなことでも一度聞いたくらいでは、記憶には残らない。訴え掛けるテーマがいけると思えば、くどいと言われようが中身がないと批判されようが、とにかく繰り返す。そうすれば、多くの人々に浸透する。
 ヒラリーは理性に訴えかけ、オバマは情勢に訴えかけた。
 多くの人々が今のままではダメだという漠然とした不安を抱いていたが、何をどうすればよいのか分からないでいた。そんなときには、まずは希望を与えることが大事だ。不安で心がいっぱいのときに理性に訴えかけても効果がない。オバマは情勢に訴えかける言葉で人々の不安を行動に変えさせた。人々の持つ不安を汲み取り、それを打ち消す力強い言葉の力を発揮することこそ、オバマの真骨頂だった。自分の思いを語るだけではダメ。人々が待ち望む言葉、そして人々が待ち望む物語を語らなくてはならない。
 そうなんですよね。不況のとき、ヒットラーのようなデモゴギーではなく、素直に現実を直視しつつも明日への希望を持たせる呼びかけのできる政治家が日本にもいてほしいですね。
 オバマのカリスマの秘密は、人々の心を代弁することに、そして人々に夢と希望を与える救世主というイメージをつくることに成功したことにある。
 オバマが人々の心をぐっと掴む演説のうまさに、日本人とりわけ弁護士は大いに見習うところがあると思いました。
 先週の日曜日、庭の一隅を半畳分ほど掘り上げ、水仙などの球根類を植えかえてやりました。掘り上げたところには近ポストに入れていた枯草などを埋め込みます。球根を植えているうちに陽が落ちてしまいました。夕方5時です。急に冷え込み、背中に冷気さえ感じるようになり、しばらく辛抱して夕方5時半まで頑張りました。庭仕事を終えて空を見上げると、天高く半月が煌々と輝いていました。
 今日は私の誕生日です。ついに還暦を迎えてしまいました。20代のころ、自分が60代になるなんて考えたこともありませんでした。先日、依頼者の方から、「まだ40代に見えますよ」と言われましたが、私の頭のなかはまだ20代のままなのです。といっても、身体の方は確実に老いを実感させてくれます。そこがつらいところです。
(2008年10月刊。1400円+税)

貧困と怒りのアメリカ南部

カテゴリー:アメリカ

著者:アン・ムーディ、 発行:彩流社
 アメリカ南部の黒人(今では、アフリカン・アメリカンと言われていますし、それが正しいと思いますが、ここでは黒人とします)が、公民権を獲得するまでの苦難のたたかいの最前線で活躍していた黒人女性の自伝です。アン・ムーディは1940年9月に生まれました。
 公民権運動の指導者はキング牧師だというのは正しくないという訳者あとがきが、この本を読むと素直にうなずけます。
 白人の女を見つめただけで、黒人の男は絞首刑にされた。エメット・ティルが殺された事件は、ミシシッピ州ではニグロの男が白人の女に口笛を吹くだけで罪となり、死によって罰せられることを示した。
 人というものを私が憎み始めたのは、15歳のころだった。エメット・ティルを殺した白人の男たちを憎んだ。しかし、私は、ニグロたちこそ憎いと思った。立ち上がって、殺人に対し何かしようともしないニグロを憎んだ。ニグロを殺す白人よりも、白人にニグロを殺されてなにもしないニグロに対する憎悪の方が強かった。人生のこの時期に、私はニグロの男たちを臆病者だとみなすようになった。
若い白人夫婦の家庭では、ニグロの少女を家において主婦が出かけることは少なかった。夫がニグロの少女に誘惑されることを心配したからだ。その反対のことは考えられなかった。 
白人男性が黒人奴隷(女性)を犯していたのが、いつも黒人女性が白人男性を誘惑したからだと白人女性も信じていたなんて、とんでもない笑い草ですよね。
 著者は大学生になって、黒人の公民権獲得運動に生命がけで挺身しました。KKKがダイナマイトと鉄砲で運動を圧殺しようとしていた時期のことですから、まさに生命をかけた闘いでした。
 ミシシッピのニグロの将来は年配の人々によって決まるのではないことが明確になっていった。彼らはあまりにもおそれ、疑い深くなっていた。長いあいだ閉ざされてきた心に新しい考えを吹き込もうとするのは絶望的に近かった。
 著者の顔写真もKKKのブラックリストに載った。著者はフリーダム投票に取り組んだ。黒人の投票は8万票だった。これは州の正式な選挙登録者数より6万票も多かった。しかし、ミシシッピ州には21歳以上の黒人有権者が40万人いたから、8万票というのはその2割でしかなかった。
 ミシシッピ州では、経済的に余裕のある白人家庭の子弟は、人種統合に対抗して用意されていた私立高校に通った。子どもたちを通学させる裕福な白人たちが公立学校の教育に全く興味を示さないので、公立学校の基本的資金源として必要な税金が減少した。公立学校は白人貧困層と黒人のための機関だからという理由で見捨てられた。
 アメリカ南部で黒人による公民権獲得運動が進行する過程と軌を一つにして成長していった黒人インテリ女性の自伝ですので、スリルもあり、大変興味深い内容です。白人の黒人に対する強烈な差別意識に今さらながら驚かされます。要するに、白人はインディアンを人間を思っていなかったのと同じく、黒人についても自分とおなじ人間だとは思っていなかったということなのでしょうね。
 アメリカ南部における公民権運動において、キング牧師は指導者の一人でしかなかった。キング牧師を中心として運動がすすんでいたわけでは決してない。
著者は、このことを再三再四強調しています。
 また、公民権運動は「非暴力」ですすめられたというイメージをともなっているが、現実には運動に従事していた人の多くは散弾銃などで武装していた。つまり、公民権運動は自衛のための武装をともなっていた。 
 公民権運動のすさまじい実態を改めて知ることができました。白人には黒人を殺す自由があったのですね……。アメリカのおぞましい真実の一端がここにあります。
(2008年6月刊。3500円+税)

アメリカの宗教右派

カテゴリー:アメリカ

著者:飯山 雅史、 発行:中公新書ラクレ
 アメリカ人と宗教というのが密接不可分のものだということを改めて認識させられました。アメリカでは州によって多数派の宗教が異なっているのですね。そして、そこそこの州は自分のところの多数派宗教を守るために連邦政府の介入を排除したいわけで、そのために憲法で政教分離がうたわれている。これって、初めて知りました。
 バージニア州では、イギリス国教会が唯一の公認教会だった。ピューリタンはマサチューセッツを拠点とした。クエーカーはペンシルバニアをつくった。バプテストは、ロードアイランドに移り住んだ。カトリックはメリーランドに住んだ。アメリカ独立のときの13植民地は、こんな状態だったから、合衆国憲法を定めるにあたって、「連邦政府は国教を樹立してはいけない」という項目が入ったのも当然だった。それぞれの州が長い歴史と犠牲の末に樹立した宗教政策に対して、連邦政府が干渉するなんて言語道断だった。それに対して、州政府が州内に公認宗教をもつのは違憲ではなかった。ううむ、なるほど、なるほど、ですね。
 会衆派はハーバードとエール大学。イギリス国教会(聖公会)はウィリアム&メリー大学とコロンビア大学、長老派はプリンストン大学を建設した。
 アメリカ国民の8割以上は、信仰は自分の生活にとって重要だと考え、同じくらいの人が何らかの教派に所属している。
 アメリカの宗教右派はこれまで3度にわたって隆盛を誇った。第一期は1980年代のこと。このとき共和党は奇妙な新興勢力が票を集めることを歓迎したが、あまり真剣に相手はしなかった。第二期は1990年代で、共和党はモンスターに成長した宗教右派のパワーに恐れをなし、ギングリッチの暴走をコントロールすることもできず、黄金の中間世帯からそっぽを向かれて支持率を落とした。第三の全盛期である2000年代になると、共和党は宗教右派を同志として受け入れ、赤い絨毯を敷いて厚遇したが、決して宗教右派の囚われの身になっていたわけではない。むしろ、共和党の集票マシーンとして、宗教右派のほうを手なずけた。ううむ、なるほど、このように荒廃を繰り返していたのですか……。ところで、今はどうなんでしょうか?
 かつて何十万人もの信徒を熱狂させたカリスマ的な宗教右派の指導者たちは高齢化して、力を失い、他界する人も出てきた。最強の選挙マシンだった「キリスト教連合」は指導部の内紛や分裂から、もはや弱小組織にすぎない。そして、オバマ候補に敗れ去ったが、共和党の候補者として、マケインの選出を許してしまった。マケインは宗教右派をこけにしてきた人物だとのことです。
 アメリカ人の70%は、死後の世界を信じている。フランス人は35%だ。悪魔を信じるアメリカ人は65%もいる。イギリス人は28%でしかない。
 アル・カポネの名前と結びついて有名な禁酒法の制定(1919年)は、カトリックへのプロテスタントからの嫌がらせという側面を無視できない。アメリカ新参者のカトリックは貧困層が多く、強い飲酒癖をもっていた。
 アメリカにおける「家族の崩壊」は、幻想ではなく、現実である。1994年の政府統計によると、母親と子供だけのシングル・マザー世帯は全世帯の3割近い。ワシントンの黒人でみると、9割の子どもが非嫡出子である。黒人社会では、親と子どもとおばあちゃんで暮らすのが「普通の家族」なのである。
 アメリカのカトリック教徒は6600万人もいて、単一の教派としては最大の勢力をもっている。そして、この膨大なカトリック票が共和党から民主党へ激しく揺れ動く、究極の浮動票なのである。民主党も共和党も、カトリックの意識にはぴったりはまらない。だから、選挙のたびごとに投票先が変わる。
 黒人教会は、もっとも忠実な民主党支持層である。ユダヤ教徒も、黒人有権者と同じくらい忠実な民主党支持層である。
 アメリカの宗教右派運動には、しばらく冬の時代が到来しそうである。宗教右派運動は絶頂期を過ぎて、今後は長期的にも下降線をたどっていくのでしょうか・・・・・・。 
(2008年9月刊。760円+税)

ジェローム・ロビンスが死んだ

カテゴリー:アメリカ

著者:津野 海太郎、 発行:平凡社
 アメリカのアカ狩りの様子が分かる本です。
 映画「ウェスト・サイド・ストーリー」が上映されたのは、私が中学生の時でした。おそらく3年生だったと思います。新しい友人だった古田君が、「オレはもう3回見た」と言ったのを聞いて驚きました。私も1回は見たのですが、同じ映画を3回も見るなんて、私には考えられもしないことでした。そして、古田君は、ジェスチャー入りで歌をうたいはじめるのです。このシーンは、なぜか今でもよく覚えています。
 この本は、その『ウェストサイド物語』 の監督兼振付家だった人が、アカ狩りのとき密告者になった状況を描いています。「密告者」という点では、エリア・カザンが有名です。『波止場』や『エデンの東』の名監督として有名なのですが、密告者として、よぼよぼの老人になって死ぬまで非難を浴びていました。
 ロビンスは、1953年2月にワシントンの非米活動委員会室で証言し、5月にニューヨーク連邦裁判所の法廷で証言した。
「あなたが共産党員だったという情報は正しいですか?」
「正しいです」
「党員だった期間は?」
「入党申請したのは1943年のクリスマスのころ。初めて会合に出席したのは1944年春。最後に出席したのは1947年春です」
「グループにいた人の名前をあげてください」
 ロビンスは、その問いに答えて、次々と人の名前をあげていきます。これでは密告者と呼ばれても仕方がありません。
 非米活動委員会は、すべてのアメリカ人に、のっぴきならない場に追い込まれた左翼やリベラル派のぶざまなふるまいをリアルタイムで見せつけるのが狙いだった。
 アカ狩りの背景として、1948年6月にベルリン封鎖、1949年8月にソ連が原爆実験に成功、1949年10月に中華人民共和国の成立、1950年6月に朝鮮戦争の勃発があげられる。それまで戦勝気分もあって未来に対して楽観的だったアメリカ社会の空気が一変し、ソ連による原爆攻撃と共産主義による世界制覇への恐怖が広がった。機を逃さず、非米活動委員会は、共産主義者はソ連のスパイとみなし、すべて死刑ないし終身刑に処すべし、という法案を提出した。この脅迫に、ハリウッドの世論は屈してしまった。
 エリア・カザンは、アメリカでもっとも有名な監督だった。誰もが、彼こそはその影響力で非米活動委員会と戦えるだろうと思っていた。なのに、カザンは屈してしまった。
 ロビンスに対して、質問した下院議員は次のように問いかけた。
 「ここで証言して、ほかの人びとの名前を挙げた人をイヌとか密告者と呼んだ者がいる。もちろん、あなたは、他の人の名前をあげた以上、その部類に入れられることは覚悟していますよね?」
「はい」
 非米活動委員会は、彼らを地獄の底に突き落とすこと、その裏切りと自滅の現場をマスメディアを通じてアメリカ国民にしつこく見せ続けること、みせしめと宣伝と愛国イデオロギー教育、これが目的だった。
 ロビンスが若いころ、ナチスの反ユダヤ主義を恐れるアメリカのユダヤ人の多くが、スターリンのソ連に親愛感を抱き、そのうちの少なくない若者がアメリカ共産党に入党した。
1919年の結成当初から、アメリカ共産主義の中心にロシア系のユダヤ人移民がいた。
 1930年代のアメリカ社会で、ユダヤ人差別が比較的少ない場が2つあった。芸能界と共産党である。そして、ロビンスは同性愛者(ゲイ)だった。それこそがロビンスにとって最大の問題だった。ロビンスに対する脅迫の核心は、ゲイであることを暴露するということだったのだ。その当時、公然とゲイだと名指しされるのは、今考えるよりずっと致命的なことであった。
 非米活動委員会によるアカ狩りは、単なる反共キャンペーンというだけでなく、ニューディールの申し子世代に対する集団的リンチであった。それはニューディール時代に冷や飯を食わされた共和党や右派勢力による報復という性格をもっていた。いやあ、そんなこととはちっとも知りませんでした。そうだったんですか……。
 いまさらアカ狩りでもあるまいという気がする。しかし、9.11同時多発テロ以来のアメリカ社会の空気は、急速に変化し、自分と異なる人間の在り方に対して、またたく間に不寛容になっていった。これでは、とうていアカ狩りが過去のものになったとは言えない。
 なるほど、なるほど、そうなんですよね。「自由・平等の国」というイメージのアメリカですが、実際にはひどく民主主義に反することをたくさんやっています。日本にも乗り移ってきましたが、毛色の変わった人をすぐ異端視して排除しようとする不寛容な社会になりつつありますよね。日本で死刑賛成の人が増えているというのも、そのあらわれだと私は考えています。困ったことです。つい最近、国連は日本政府に対して、世論の動向にとらわれず死刑廃止に向かって行動するように、また、国民に対して死刑廃止の意義をよく普及するよう勧告しました。私も、まったく同感です。
(2008年6月刊。2800円+税)

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