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カテゴリー: アメリカ

世界終末戦争

カテゴリー:アメリカ

著者    マリオ・バルガス・リョサ  、 出版   新潮社
 ノーベル文学賞を受賞した作家の本です。1981年に書かれていて、2段組で700頁もある大長編です。登場人物も多いし、いくつもの異なった場面が断章として次々に登場してくるので、とてもわかりにくい本です。そして、その並べ方が物語の時間とは必ずしも一致しいていないため、読者は頭のなかで行ったり来たりさせられ、まごついてしまいます。私にとっては、とてもわかりにくい本でしたが、最後に訳者は、「とても分かりやすい小説」だとしています。本当でしょうか・・・。
 それはともかく、19世紀のブラジルで実際に起きた事件を顕在とした小説なのです。
 ブラジルには人類ないし肌の色をさし示す単語が300もある。1822年にポルトガルから独立して、ブラジル帝国となり、1888年の奴隷解放をへて、ブラジル共和国となった。
 ブラジルは植民地時代から一貫して海岸部だけで成り立つ国家だった。取り残された内陸部がセルタンウ(閑地)だった。そこに、原住民と白人そしてインディオとの混血者が大多数を占め、カプクロと呼ばれる。セルタンゥ人は、最近でも1958年そして1970年に異動を起こしている。この本は、それよりもずっと以前、1897年に起きたカヌードス反乱を取りあげている。
 民衆の代弁者としてたてまつられるコンセリェイロは1876年ころにはブラジルでよく知られる存在になっていた。ブラジルは、共和制になった1893年に迫害されるようになった。
 コンセリェイロとその信者は、ジャグンソ(反徒・盗人)と呼ばれるようになった。カヌードスという町に集まり、やがて住民は3万人にもなった。そこへ、新生ブラジル共和国が軍隊を派遣して鎮圧しようとした。1896年11月、鎮圧に向かった軍隊が、信者たちに敗北して逃げた。翌年2月のモレイラ・セザル隊は勇猛の名をほしいままにした精鋭の軍隊だったが、一日で壊滅してしまった。
 このようにして一年も続いた鎮圧戦によって信者たちは敗北した。しかし、この1年間にブラジル共和国政府は、7500人もの兵員を送り込んで、そのうち2600人もの死傷者を出した。これは近代軍としては敗北に近い結果だ。
 信者軍は、現地に無能な共和国の正規軍を、あらゆる手段を駆使して徹底的に悩ませ、やっつけた。つまり、ゲリラ戦に勝った。結論はともかくとしてまるで、アメリカによるベトナム戦争を想起させる展開です。
 決して読みやすい本ではありませんが、ブラジル史に興味のある人には必読だと思いました。
(2010年12月刊。3800円+税)

「フィデル・カストロ」 (上)

カテゴリー:アメリカ

著者   イグナシオ・ラモネ   、 出版  岩波書店 
キューバのカストロが自分の一生をジャーナリストとの対話のなかで振り返っています。存命中に歴史と伝説のなかに迎えられる光栄に浴することのできる人物は、きわめて少ない。カストロはその一人であり、国際政治の舞台に残る最後の「聖なる怪物」である。
カストロは、世界でもっとも長く政権を担った国家元首だ。32歳だったカストロが当時のバチスタ政府軍を打ち破って1959年1月にハバナに入城したまさに同じ日に、フランスでドゴール将軍が第五共和制の最初の大統領に就任した。カストロは、それから、アメリカの10人もの歴代大統領と対峙した。
 アメリカは、キューバ体制の転覆を目ざして活動している組織に一貫して財政援助をしてきた。その総額は6500万ドルにもなる。2004年に8000万ドルの基金をつくり、また、2005年には240万ドルを支出した。フロリダ州内には、カストロ政権転覆を目ざすテロ組織の訓練基地があり、そこが対人テロなどをキューバに定期的に送り込まれている。アメリカ当局は、受動的ながら、これらのテロ組織と共犯関係にある。
 しかし、キューバ人の全員でなくとも大多数が革命に忠誠をちかっている。これが政治的現実である。それは愛国主義を基盤とする忠誠であり、アメリカの併合主義の野心に対して抵抗してきた歴史に根差している。
 カストロは、キューバ人を飢餓から解放しただけでなく、読み書きできないことからも、物乞い根性からも、犯罪からも、帝国主義への屈従からも開放した。
カストロが、私服を肥やすために地位を利用することのない数少ない国家元首の一人だということは、政敵の多くも認めている。
 一日の睡眠時間は4時間で、週7日間働いている。好奇心は無限で、思考し沈思し、常に警戒し、行動し、新たな闘争を開始する、永遠の反逆者である。カストロの文学上のお気に入りの英雄はドン・キホーテである。
カストロは、孤立した農村で、富豪だが保守的で教育のない両親から生まれ、選良の子弟専用のカトリック上流社会にあったフランコ派の学校でイエズス会士による教育を受け、大学の法学部でブルジョア階級の弟子と対等に付きあっていた。大学予科生のときにはスポーツマンで、最優秀スポーツマンとして表彰された。大学生になったころは政治的に無知だった。反逆精神と基本的な正義の観念をいくばくか抱いてハバナ大学に進学し、革命家になり、マルクス・レーニン主義者になった。それはいくつかの書物のおかげでもある。授業にはまったく出なかった。そして法学部の学生代表に賛成181票、反対33票で当選した。しかし、大学内では学生同士のケンカに見せかけて殺される危険が迫った。なるほど、若いときからたいした人物だったのですね。
 モンカダ兵営の襲撃要員として訓練したのは1200人で、そこで募集を打ち切った。みな若く、20~24才だった。襲撃当日はカーニバルの日だった。それを選び、夜明けと同時に制圧する計画だったので、成功するはずだった。しかし、現場で手違いが起き、結局、失敗した。
 カストロが革命戦争に勝ったのは、軍事戦術と政治戦略の両方のおかげだ。敵は相手が捕虜を殴らず、辱めず、ののしらず、とりわけ殺害しないが故に相手を尊敬する。カストロの革命軍は捕虜を拷問しないことも原則としていた。その手法は潜入して証拠をつかむというもの。肉体的暴力は有効に機能しない。敵の大物暗殺は問題を解決しないどころか、反動勢力は殺された人物を殉教者に仕立て、別の人物を後釜に据えてしまう。
大物の暗殺をせず、市民に犠牲者を出すことなく、テロの手段を行使しない。アフリカのアンゴラにキューバは5万5千人もの軍隊を送った。そして、南アフリカの侵略を食い止め、南アフリカのアパルトヘイトの崩壊にも貢献した。
カストロの語りに詳細な解説がついていて、とても分かりやすい本になっています。
(2011年2月刊。3200円+税)

フェイスブック

カテゴリー:アメリカ

著者    デビット・カークパトリック 、 出版   日経BP社
 
 エジプトをはじめとするアフリカ北部の民衆の立ち上がりはフェイスブックを手段としていると報じられています。実名で交流するソーシャルネットワークが民衆をつなぐ武器となっていることに驚かされます。
 この本は、そのフェイスブックを立ち上げ、今や26歳の若さで世界的大富豪となったマーク・ザッカーバーグを主人公としています。天才のようです。ザッカーバーグは、高校で数学、天文学、物理、古典で優等をとっていた。フェンシングチームのキャプテンでもあった。語学はフランス語、フブライ語、ラテン語、古典ギリシャ語が流暢に読み書きできる。父親は歯科医、母親は精神科医。ユダヤ人である。うひゃあ、すごいですね。信じられません。
 フェイスブックは実在する個人のアイデンティティにもとづいたネットワークである。フェイスブックのユーザーには1人あたり平均130人の友だちがいる。友だち数の上限は5000人となっている。
 フェイスブックは、グーグルに次いで世界で2番目に訪問者の多いサイトだ。5億人のアクティブ・ユーザーがいる。これは全世界のインターネット・ユーザー17億人の20%をこえる。アメリカのフェイスブックのユーザーは1億8千万人、全人口の3割以上。
カリフォルニア州に本拠を置くフェイスブックは、1400人の社員を擁し、2010年の売上高は10億ドルを超えた。
 20歳のザッカーバーグはCEOとして、断固たる決意と優れた戦略的見通し、そして少なからず幸運に助けられて、フェイスブック社の財政的支配権を完璧に握っている。ザッカーバーグは、何度となく巨額の買収申出を拒絶したのでした。
フェイスブックには毎月200億ものコンテンツが投稿される。フェイスブックはインターネット最大の写真共有サイトであり、他を大きく引き離す。ここには、毎月30枚の写真が投稿される。
ザッカーバーグは、同級生、同僚、友だちといった現実世界での知りあいとの交流を深め、スムーズにするためのツールになることを意図した。
 現実の世界で既に知りあいであるメンバー同士の情報共有のツールとして使われたとき、情緒的にも非常に強力な喚起力がある。だから、楽しみを支えることもあれば、苦痛を与えることもある。
 世界を見渡しても、これはもっともアメリカ製であることを感じさせないアメリカ製のサービスだ。
フェイスブックは75の言語で動作し、世界の人口の98%をカバーしている。フェイスブックは、市民と職員とのコミュニケーションを効果的にするツールとして規模の大小を問わず、多くの官庁に支持されてきた。
フェイスブックの社員の中核は20代である。平均年齢は31歳。会社の時価は3兆円とも4兆円とも言われ、ザッカーバーグの個人資産も6000億円を下らない。大変なIT長者です。
世の中が大きく動いていることを実感させられる本です。ちなみに私はフェイスブックを利用していませんし、今のところ利用するつもりはありません。しかし、いずれは私も利用せざるをえなくなるのでしょうか・・・?
(2011年2月刊。1800円+税)

33人チリ落盤事故の奇跡と真実

カテゴリー:アメリカ

著者    マヌエル・ピノ・トロ 、 出版   主婦の友社
 
 チリ鉱山で、700メートルの地底に2ヶ月以上も閉じ込められ、全員が無事に救出された状況が描写されている本です。
サンホセの鉱脈は、1889年に拓かれてから100年以上たっている。坑道は地下800メートルの深さまで、らせん状のスロープになっている。100年もの間、作業員は量りきれないほどの銅や金を採取してきた。
 落盤事故から2週間たった。33人の居場所を探すために、砂漠の地面を掘る掘機を操作していた。ドリルがふっと何かをつき抜けた感触がした。そして、かすかな衝撃があった。急いでドリルを地底から引き揚げる。ドリルを見ると、先端あたりに赤い色がついているのが見えた。地底の作業員たちがドリルに色を塗ったのだ。ドリルの中身を引き抜くと、何かくくりつけたものが出てきた。湿ったビニール袋がくっついている。しかも中に紙が入っていた。くしゃくしゃの紙に文字が書かれている。
「我々33人は、避難所にいて、生きている」
 すごい感激の一瞬でした。しかし、問題はそこから始まります。どうやって救出するか。地底の人たちが耐えられるかです。
やがて地下700メートルの深さから映像が届き、電話で会話できるようになった。地下の気温は34~35度。湿度は80%をこえる。避難所は50平方メートルの広さで50人が収容できる。酸素ボンベで、食料、水が貯蔵されていた。乾電池もライトもある。地下には人工的な昼と夜がつくりあげられた。
 地下の作業員が四六時中、救出のことばかりを考えて過ごすようなことがないように、不安材料はなるべく取り除く。地下の作業員はグループに分かれ、仕事を割り振られてシフト制で働いた。これが士気を高め、雰囲気の改善につながった。
 家族との対面は1分間。そして絶対に落ち込ませないよう、明るく穏やかな話題だけにすることという条件がついた。
アルコールは地下の作業員には差し入れなかった。集団に深刻な精神的不安定をもたらす危険があるからだ。湿度のせいで、より早く汗をかくので、外の環境と同じ方法では、アルコールは身体に吸収されない。
33人の着る服は、特殊繊維のもの。非常に優れた通気性をもち、防水性があって汗を効果的に発散できるため、皮膚を常にドライに保てた。そして、抗カビ作用もあった。
2010年10月13日、70日ぶりに地上へ生還した。救出作戦は23時間に及んだ。
すごいですね。33人もの男たちが70日間も700メートルの地底に閉じ込められ、そして全員が生還したのですからね。勇気と知恵あふれたチリの人々に拍手を送ります。
(2011年2月刊。1500円+税)

国家対巨大銀行

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著者  サイモン・ジョンソン、ジェームズ・クワック、 出版  ダイヤモンド社
 
 アメリカ人は寡頭制などというものは、よその国で起きることだと考えたがる。アメリカの政治は世界でもっとも進んでいるかもしれない。だが、寡頭制のほうも、もっとも巧妙である。
 1998年にアメリカの金融業界でもっともホットだったのは、デリバティブ取引である。トレーダーとセールスマンは、顧客の「身ぐるみを剥がした」ことを自慢しあっていた。この連中がやっていたのは、顧客には理解できない複雑な商品を仕組んで売ること。それが少しも顧客のためにならなくても、ウォール街の大手銀行は誘惑に勝てなかった。首尾よく規制が回避されると、金融業界は利ざやを確保するためにますます複雑なデリバティブを発明していった。
巨大で強力な銀行は、一段と巨大で強力になって危機からよみがえった。アメリカの巨大銀行は巨大化する一方だ。1983年に全米最大手だったシティバンクの総資産は
1140億ドルで、アメリカのGDPの3.2%に相当した。2007年には、このシティバンクの対GDP比を銀行9行が上回っている。2009年には、バンカメの総資産はGDPの16.4%、JPモルガン・チェースは14.7%、シティグループは12.9%に達していた。
2008年の潤汰で生き残った大銀行は、以前にも増して強大になっている。バンカメは、2009年9月に2兆3000億ドルの資産規模になった。2009年6月の時点で、アメリカの銀行によるデリバティブ契約の95%をわずか5行で扱っている。2009年上半期にゴールドマン・サックスは、給与として114億ドル一人あたり75万ドルを準備した。大変な超高給とりたちです。
韓国の危機は、1990年代に起きた新興市場危機の典型だと言える。有力者とコネをもつ大企業が低利の借り入れで急速に勢力を拡大した。資本主義経済で企業の無責任な行動を防ぐはずの力は働かず、株主は強い発言権をもつ創業者に対しては、ほとんど無力だった。貸し手は、主要財閥の重要性から考えて政府が破綻を容認するはずがないとの前提で、無節操に貸した。民間部内と政府は癒着しており、財閥に恐れるものは何もなかった。
 クリントン政権でもブッシュ政権でも、ウォール街からたくさんの大物が政府の主要ポストに就いている。多くのゴールドマンOBが財務省の顧問をつとめた。ウォール街とワシントンの間にある回転ドアは、金融業界の大物を政府の主要ポストに就ける役割を果たしただけではない。大物銀行経営者と政府高官の間に個人的なつながりができ、その太いパイプを通じてウォール街の価値観を政治の場に吹き込むことが可能になった。
 国内で最も有力な投資銀行の元共同会長が財務長官に就任したという事実自体が政権はウォール街に友好的だというシグナルを発信していた。
この20年間というもの、ウォール街の友人仲間は、日の当たるところで堂々と行動することができた。なぜなら、ウォール街の価値観が、ワシントンで、ニューヨークで、そしてヨーロッパの主要都市でも、政治エリートから熱狂的な支持を得ていたからだ。
過去20年間で、一般市民の目から見ても金融は変わった。あまり信用されない退屈な職業から、現代アメリカ経済を支える輝かしい主役へと変身した。
一流大学や業界紙やシンクタンクや政治の中枢では、金融業界はアメリカン・ドリームに残された最後の希望の星だった。一生懸命に働き、万人を豊かにするような新しい商品を開発し、そして自分も大金持ちになる、そんな夢だ。
アメリカ連邦政府は、サブプライムローンを規制しなかったばかりか、先頭に立って旗振りをした。2000年代には、頭のいい大学生が大金を稼げると現実的に期待できるのは、投資銀行かヘッジファンドに就職することだった。
住宅バブルの崩壊によって、2008年8月までに110万の雇用失われた。その後の1年で、さらに580万人が職を失い、経済成長率はマイナス4%にまで落ち込んだ。失業率は2009年10月に10.2%となった。本来の労働力人口の6人に1人が失業している。
正しい解決策ははっきりしている。大きくてつぶされないような金融機関をつくらないこと、既にできているものは分割することだ。メガバンクの解体・分割なしに健全な経済運営は不可能なのだ。
日本でも巨大銀行の横暴さには目にあまるものがあります。なんでもアメリカ礼賛、アメリカの悪いところまで真似するようでは困ります。町にある身近な信用金庫やJAが成り立つような金融行政であってほしいものです。
(2011年1月刊。1800円+税)

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