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カテゴリー: アメリカ

二世兵士、激戦の記録

カテゴリー:アメリカ

著者   柳田 由紀子 、 出版    新潮新書 
 第二次世界大戦当時、アメリカにいた日系人がいかに行動したかを概観した新書です。
 明治18年(1885年)、日本政府は官約移民制度をはじめ、ハワイに日本人を送った。それ以降、9年間で3万人が3年契約でハワイに行った。出身地で多いのは広島、山口、熊本、福岡。私の父の出身地(大川市)からも移民が行き、成功して帰国すると、「アメリカ屋」と呼ばれました(今も、その子孫が八女にいます)。
 3万人の官約移民のうち1万4000人が日本に戻り、2000人がハワイで亡くなり、9000人近くがアメリカ本土に渡って、残る1万3000人がハワイにとどまった。残留率は4割。
 1941年12月の日米開戦のとき、ハワイには全人口42万人の4割15万8000人の日系人が生活していた。
 日米開戦により、アメリカ軍は2世兵によって第100歩兵大隊を編成した。「ワンプカプカ」と呼ばれた。「プカ」とは、ハワイ語でゼロのこと。アメリカは日系人を強制収容所に入れた。アメリカに忠誠を誓わない日系人が1万9000人近く、ツールレイク収容所に入れられた。
 戦争が始まると、日本では敵性語として英語が禁じられたが、アメリカは逆に必死になって兵士に日本語を教育した。この情報語学兵の中核になったのは日系2世兵である。
 アメリカの日本攻略の2本柱は、暗号解読と捕虜情報だった。
 アメリカ軍が獲得した5万人の日本人捕虜のうち、5000人の日本兵がアメリカ本土に送られた。
 ハワイ第100歩兵大隊は、ヨーロッパ戦線に送られた。イタリア戦線そしてフランスで目を見張る大活躍をして歴史に名を残した。上陸したとき1300人だった歩兵大隊が、激戦のあと、半分以下の521人までに激減してしまった・・・。
 モンテカッシーノの戦い、ビフォンテーヌの森の戦いが有名です。ナチス・ドイツ軍に包囲されたテキサス兵211名を救出するため、第100歩兵大隊は800名もの死傷者を出したのでした。
 決して忘れてはならない日系人の努力だと思いました。
(2012年7月刊。740円+税)

つながりすぎた世界

カテゴリー:アメリカ

著者   ウィリアム・H・ダビドゥ 、 出版    ダイヤモンド社 
 インターネットは便利ですが、その反面とても怖いものですよね。
 2008年9月に起きたリーマンショックは、世界を震撼させた。その中心地となったがアイスランドである。アイスランド人は、長いこと漁業という当たり外れの大きい職業を生業としてきたこともあって、もともと過剰に走る国民性だった。これはあてにならない気候から産まれた国民性だ。今回も、事態がどれほど深刻であっても銀行家たちは、どうにかなるさと一向にリスクをかえりみなかった。
 大恐慌が発生した1929年当時は、アメリカの人口1億2000万人のうち株式をもっていたのは、わずか150万人の富裕層に限られていた。証券市場の暴落によって直接的に損害を受けたのは、比較的少数にとどまった。もし、当時、インターネットがあったら、中流層まで職を失い、銀行が倒産するなど、被害はもっと拡大していただろう。
 今日では、インターネットのおかげで、株式所有は、はるかに分散している。一般的なアメリカ人は401Kや引退年金制度を通じて株式を保有している。10年前には、7000万人が株式を保有していた。2008年以降の株価暴落では、多くの米国国民が損失をこうむり、経済をまわす資産をもはや持っていなかった。
 個人情報が詐欺に悪用されたという事件が次々に発生している。今日では、収入を得たいと思っている高齢者の個人情報なら330万人分、がんやアルツハイマーなどを患っている高齢者のデータなら470万人分、55歳以上のギャンブル好きのデータは50万人が売り買いされている。
 2006年に有罪判決を受けた男性は、データベースに違法に侵入して、137件の検索を実行して、16億件にのぼるデータを盗み出した。
インターネットは思考感染を促す。ネオナチの集団はフェイスブックで会員集めをしていた。
 ネット上では、匿名で自分たちの教義や主義を広めることができる。
 インターネットの有用性は私も否定しません。でも、本当に必要な情報を、よくよくかみくだきながら取り入れることができるのか、いささかの疑問も感じています。つまり付和雷同型の、自分の頭で考えない人間を増やすばかりなのではないかということです。そこに根本的な疑問があるからです。
(2012年4月刊。1800円+税)

それをお金で買いますか

カテゴリー:アメリカ

著者   マイケル・サンデル 、 出版    早川書房 
 価値あるものがすべて売買の対象になるとすれば、お金を持っていることが世界におけるあらゆる違いを生みだすことになる。これが、この数十年間が、貧困家族や中流家庭にとってとりわけ厳しい時代だった理由である。
 貧富の差が拡大しただけではない。あらゆるものが商品となってしまったせいで、お金の重要性が増し、不平等の刺すような痛みがいっそうひどくなった。市場には腐敗を招く傾向がある。
かつては非市場的規範にしたがっていた生活の領域へ、お金と市場がどんどん入り込んできている。たとえば、行列に入りこむ権利だって、お金で買える。ええーっ、行列に割り込む権利をお金で買うですって・・・。ほら、飛行機に乗るとき、ファーストクラスだと優先搭乗できるようなものですよね。
 罰金と料金の違いは何か?罰金は道徳的な非難を表しているのに対し、料金は道徳的な判断を一切ふくんでいない。スピード違反の罰金に収入に応じて上がるシステムをとっている国がある。フィンランドがそうだ。時速40キロの超過の罰金が21万ドル(2100万円)だった金持ちがいる。うひゃあ、すごいですね。
 イスラエルの保育所で実験があった。子どものむかえに遅刻した親から罰金をとることにしたら、遅刻する親は減るどころか、かえって増えてしまった。遅刻の発生率は2倍にもなった。親たちは、罰金をみずから支払う料金とみなしたのだ。お金を払うことで迎えの時間に遅れないという道徳的義務がいったんはずれると、かつての責任感を回復させるのは難しくなった。うむむ、難しいところですよね、これって・・・。
 従業員保険というものがある(これは日本にもあります)。会社が従業員の同意をとらずに(今では同意が必要だと思います)生命保険をかけていて、従業員が死亡すると、その遺族ではなく、会社に死亡保険金が入るというものです。そのとき、遺族には会社規定のわずかな見舞金が交付されます。会社は死亡保険金の一部を遺族に渡すのです。
 この従業員保険は、今ではアメリカの生命保険の全契約高の3割近くを占めている。アメリカの銀行だけで、1220億ドルもの生命保険となった(2008年)。このように、生命保険は、今や遺族のためのセーフティーネットから企業財務の戦略に変質している。つまり、従業員は生きているより、かえって死んだほうが会社にとって価値があることになる。そんな条件をつくり出すのは、従業員をモノとみなすことだ。会社にとって価値が、労働する人々としてではなく、商品先物取引の対象として扱っている。かつては家族にとっての安心の源だったものが、今や企業にとっての節税策になっている。うへーっ、これって許されることでしょうか・・・?
 お金をもらってタバコをすうのを止めようとした人の9割以上が、そのインセンティブがなくなった6ヵ月後にはタバコをすい始めた。金銭的インセンティブでは、一般に長期的な習慣や行動を変えることなく、特定のイベントに参加させることにのみ効果を発揮する。人々にお金を払って健全でいてもらおうとしても、裏目に出る可能性がある。健康を保つ価値観を養えないからだ。
なーるほど、なるほど、さすがは名高いハーバードの教授の話ではありました。
(2012年5月刊。2095円+税)

それでも、読書をやめない理由

カテゴリー:アメリカ

著者   デヴィット・L・ユーリン 、 出版    柏書房 
 1946年2月、ナチス・ドイツのヘルマン・ゲーリングはニュルンベルグ裁判のときに裁判官に向かってこう言った。
 もちろん、民衆は戦争など望んではいない。しかし、政治的な判断を下すのは、結局のところ国の幹部であり、国民を引きずりこむのはどんな国でも造作のないことだ。民主主義政権であれ、ファシズムの独裁政権であれ、議会統治であれ、共産主義独裁政権であれ、やり方に変わりはない。国が攻撃を受けそうだと国民に告げ、平和主義者を非国民呼ばわりして国を危険にさらすものだと非難する。これだけでいい。これは、どんな国でも効き目がある。
 なーるほど、今の日本でも通用している手法ですね。尖閣諸島を守れ、北方領土を守れ、北朝鮮のテポドンが脅威だと言いつのるマスコミには、本当にうんざりしています。
本を読むとき、初読と再読の違いは、次のようなもの。初読は疾走、再読は深化。初読は世界を閉め出して集中し、再読はストーリーを熟考する。初読は甘く、再読は苦い。しかし、再読のすばらしい点は、初読をふくんでいることである。
うむむ、そうも言ええるのでしょうね・・・。
読書には、余裕が必要だ。読書は、瞬間を身上とする生き方から私たちを引き戻し、私たちに本来的な時間を返してくれる。今という時の中だけで本を読むことはできない。本は、いくつもの時間の中に存在する。まず、私たちが本と向きあう直接的な時間経験がある。そして、物語が進行する時間がある。登場人物や作家にも、それぞれの人生の時間が進行している。誰しもが、時間との独自の関係を背負っている。
 本に集中することで、私たちは知らずしらずに内面生活という領域へ戻っていけるのだ。有史以来、今日ほど人の脳が多くの情報を処理しなければならない時代はなかった。現代人は、あらゆる方角から飛び込んでいる情報処理に忙しく、考えたり感じたりする習性を失いつつある。現代人が触れる情報の多くは表面的なものばかりだ。人々は深い思考や感情を犠牲にしており、次第に孤立して他者とのつながりを失いつつある。
 人と人との心の内面に結びつくようなふれあいは、たしかに少なくなっていますよね。
読書とは没頭すること。読書は、もっとも深いレベルで私たちを結びつける。それは、早く終わらせるものではなく、時間をかけるものだ。それこそが読書の美しさであり、難しさでもある。なぜなら、一瞬のうちの情報が手に入るこの文化の中で、読書するには、自分のペースで進むことが求められるからだ。
読書の最中には、私たちは辛抱強くならざるを得ない。一つひとつのことを読むたびに受け入れ、物語るに身をゆだねるのだ。
さらに私たちは気づかされる。この瞬間を、この場面を、この行を、ていねいに味わうことが重要なのだと。
世界からほんの少し離れ、その騒音や混乱から一歩退いて見ることによって私たちは世界そのものを取り戻し、他者の精神にうつる自分の姿を発見する。そのとき、私たちは、より広い対話に加わっている、その対話によって自分自身を超越し、より大きな自分を得るのだ。
 インターネットが万能であるかのような現代でも、活字による書物を読むことの意義はとても大きいと主張する本です。スマホに無縁な私にとって、共鳴するところの多い本でした。
(2012年3月刊。1600円+税)

インカ帝国

カテゴリー:アメリカ

著者   島田 泉・篠田 謙一 、 出版   東海大学出版会
 私もふくめて、多くの日本人が一度は行ってみたいと思っているのが、インカ帝国最後の都、マチュピチュでしょう。とは言っても、はるか彼方にあって、遠すぎます。そこで、せめて活字の上でインカ帝国をしのびたいと思って読みはじめました。
悪らつなスペイン人侵略者たちによってたちまち崩壊されたインカ帝国。文字がなく、キープというひもを使った記録がどの程度有効なものだったのか、謎は深まるばかりのインカ帝国の実相を少しだけ知った気分になりました。
インカ帝国は、自然環境の面でも社会文化的な面でも、モザイクのような性格をもっていた。
インカ道は軍事遠征の途上で敷設され、広大な帝国のほぼ全域に通じており、その統延長は2万5千キロメートル、海岸部と高地に2本の幹線道路が並行して走り、その間は何十本もの横道で結ばれている。それらの道路上に設置された行政センターや倉庫その他の帝国の施設が、インカ帝国のインフラ設備の基盤となっていた。
 キープの情報の解読は難しい。文字で書かれた使用説明書は今もってひとつも見つかっていない。インカ時代に存在した組織に関する生きた知識や技術は、植民地化で消え去ってしまった。
 1533年まで、神の地位をもつ一族がアンデスを支配していた。首都には、インカすなわち「太陽の子たち」が君臨していた。
南北アメリカ大陸の先住民は、全体としての遺伝的多様性は小さいが、地域集団同士の間の遺伝的な違いは大きい。
 インカの外交は、表面上は寛容であったが、厳格で無慈悲な支配が裏に存在した。進んで独立をインカに明けて渡さず、インカが太陽の子であることを認めなかった人々は軍によって壊滅させられ、貢納に従事させられた。
 インカは、征服した社会から何人かを戦争捕虜とし、その他多くをクスコへと連れて行き、恒久的な使用人ないし、奴隷として用いた。
インカ帝国の3分の2が3000メートル以上の高度に居住し、青銅器時代に相当する技術を用い、効率的な水上輸送手段や車輪をもつ運輸具がない状況で、困難は計り知れないものがあった。
基本的な納税単位は結婚した夫婦だった。一般的には、召集されると、世帯あたり1回2~3ヵ月の労働奉仕を負担した。軍事奉仕だと、長いあいだ家を離れる必要があった。
 インカにとって、農地と同じように重要だったのが、リャマとアルパカの群れだった。
 インカは、民族集団の特殊技能を利用して、それぞれ特殊な任務を与えた。たとえば、ルカナス族は輿の担い手、コリャ族は石工、チュンビビルカ族は踊り手として取り立てられた。また、チャチャボヤ族、カニャリ族、チュイェス族、チャルカス族は兵士として傑出していた。チリャシンガス族は食人の習慣をもっていたことから重宝された。
 近年、キープの記録能力については、多くのことが分かってきた。
 クスコは、インカ帝国における最高権力、権威の中心だった。ここで、「唯一のインカ」(サパ・インカ)であるインカ王が后であるコヤと王宮で統治した。クスコにおける行政装置に配置されたのは、10人から12人いたインカ王の直系の、あるいは傍系の子孫だった。インカ王はクスコで統治したが、帝国の広大さのわりには、その期間は驚くほど短い。
十進法による労働税システムがあった。労役は、双分制と五分組織に従って十進法の集団単位で組織化された。つまり、各地の共同体での10人の労働者が5つ集まると、50人の労働者集団となり、同規模の集団と組になって100人の労働集団となる。
 インカの王は、娯楽や儀礼のための施設だけではなく、自分が休息に訪れるための宮殿を王領につくった。
 この本を読むと、ますますインカ帝国をこの目で見て偲びたいと思ったことでした。でも、やっぱりやめておきましょう。
(2012年3月刊。3500円+税)

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