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カテゴリー: アメリカ

CIA裏面史

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 スティーブン・キンザー 、 出版  原書房
アメリカンのCIAで「毒殺部長」を長くつとめたゴットリーブのやっていたことを詳細に明らかにした本です。思わず寒気のするほど悪逆非道な行為を世界各地でしていたCIA工作員の親玉です。
ところが、ゴットリーブはユダヤ人移民の子で、大学生のころは社会主義者でもありました。
CIAに入ってからは、目的達成のためにはユダヤ人大虐殺をしていたナチスの科学者とも平気で手を組むのでした。また、ゴットリーブは脚を悪くしてびっこをひき、話すときにはどもってしまう(吃音)のです。そして、自家菜園を楽しみ、自然を愛する生活のなかで、子どもたちを暮らすのを楽しみにもしていたようなのです。ジキルとハイドではありませんが、残虐さと自然愛好家とを両立させていたといいます。映画『シンドラーのリスト』で、ナチスの所長たちが一方で平気で虐殺しながら、家庭では家族と一緒に音楽を楽しんでいた場面を思い出します。人間のもつ二面性ですね・・・。
ゴットリーブはCIAで20年間、史上類をみない組織的なマインド・コントロール研究を指揮した。そして、CIAの毒物製造主任でもあった。CIAを退職する前にすべての記録を破棄し、それを認めた以外、議会ではほとんど何も認めなかった。免責特権を行使し、どの裁判でも有罪にはならなかった。
54歳でCIAを引退し、ボランティア活動などをしたあと、80歳まで長生きした。
1969年代、ゴットリーブは、CIAの諜報員が使う道具をつくる技術支援部の部長に昇進した。ゴットリーブは、ワシントンで活気あるスパイ工房を運営し、世界中に散らばる数百人の科学者や技術者の仕事を監督した。
CIAはナチスの犯罪者が裁判で有罪にならないようにし、日本の七三一部隊の責任者だった石井四郎を確保してCIAに協力させた。
CIAのトップは、1950年代にマインド・コントロールは将来の決定的武器になると考えた。
人間の思考を操る方法を見つけた国こそが世界を支配すると信じた。
ゴットリーブは、ブロンクスの移民の子で、跛行と吃音のある32歳のユダヤ人だった。アメリカの上流階級の人々とはあまり交流しなかった。
CIAは、共産主義者が「洗脳」術を獲得したと大衆に信じ込ませているうちに、自らも、そのプロパガンダの虜になっていた。ということは、共産主義者による「洗脳」というのは幻だったということのようです・・・。
大麻もコカインも、そしてヘロインも「特殊な尋問」にはあまり役に立たないことが判明した。
ゴットリーブはLSDに注目した。
1951年、ソ連の協力者だと疑われた4人の日本人がCIAの医師によって覚醒剤その他を注射され、過酷な尋問のなかで「自白」した。4人は東京湾沖で撃ち殺され、遺体は船から投げ捨てられた。うひゃあ、怖いですね・・・。
CIAのトップは、ゴットリーブたちのやっていることをソ連がやっていることだと巧みに言い換えて発表して、世論を誘導した。
CIAのマインド・コントロール実験は過激になり、犠牲者が増えていった。そして、中国人もきっと自分たちと同じことをしているに違いないと誤った推測をした。ところが、朝鮮戦争で捕虜になっていた元アメリカ兵たちで、残留していたもと脱走兵たちがアメリカに帰国してきて判明したのは、「洗脳」はなかったということ。しかし、「洗脳」というコトバは、なんでも説明できる素晴らしく便利な概念だった。CIAは、すっかりこの幻想にとりつかれていた。CIA元局員は、CIAは自白を強要し、洗脳する。ありとあらゆる薬物をつかう。そして、ありとあらゆる拷問を用いる、と語った。
CIAの局員の多くは、祖国アメリカを破滅から防いでいるのは自分たちだと信じていた。
CIAはインドネシアを訪問する中国の周恩来を暗殺する計画を立て、実行した。周が乗るはずの飛行機は空中爆発したが、周は予定を変更していた。次に、バンドン滞在中の周を毒殺しようとした。
1960年にソ連上空を飛んでいたスパイ偵察機U2がソ連のミサイルで撃墜された。パイロットのパワーズは自殺用の毒物を使わなかった。
CIAはアフリカのルムンバ首相を暗殺しようとして失敗し、キューバのカストロ暗殺にも失敗した。ゴットリーブの役割は、殺害の手段をチームに伝達することにあった。
人間は、どこまでも他人に対して残酷になれるし、それを拒否してたちあがる人もいることがよくよく分かります。読みたくなんかありませんが、CIAの実態を知るには欠かせない本です。
(2020年1月刊。2700円+税)

熊の皮

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ジェイムズ・A・マクラフリン 、 出版  早川書房
アメリカはアパラチア山脈の自然保護区で働く管理人が密猟者とたたかう話(小説)です。
狙われるのは熊です。それもクマの胆をとって、中国に売りつけようというのです。これには驚きました。なんだか、ひと昔前のアメリカと中国とは逆の関係だったことを思い浮かべてしまいます。
野生動物やその身体の一部の密輸は、麻薬、偽造物、人身売買に次いで、世界で四番目に大きなブラックマーケットへ発展している。そこからは、毎年、数十億ドルの利益が生み出されていて、テロ組織や伝統的に違法薬物のみを扱ってきた犯罪組織がこぞってこの業界に参入しはじめている。
熊の胆は、通常、冷凍または乾燥の処理をほどこしてから売りに出される。ところが、冷凍した豚の胆のうと熊の胆のうを見分けるのは専門家でも難しい。乾燥した豚の胆のうに至っては、同じく乾燥した熊の胆納とまるで見分けがつかない。
主人公は、うっそうと木々が生い茂る森のなかにずんずんと入っていき、密猟犯を追いつめるべく森に溶け込み、森と同一化していくのでした。
大地の香り、朽ちゆく動物の死体の肉の腐敗臭、野生動物の体毛の感触、東部山岳地帯に特有の湿気と熱気。ひんやりと肌をなでるそよ風、かすかな木もれ日、夜の闇、虫の音や鳥のさえずりまでもが、じかに感じとれそうだ・・・。
自然を愛する著者の森に対する畏怖と敬意とがありありと伝わってくる本です。
(2019年11月刊。1900円+税)

マリリン・モンローの世界

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 亀井 俊介 、 出版  昭和堂
「セックス・シンボルから女神へ」というのがタイトルです。
マリリン・モンローは、ヘミングウェーとともにアメリカで「いちばん美しい二人」だと言われているそうです。というのは知りませんでした。
マリリン・モンローは、その肉体美によって注目され、「セックス・シンボル」と呼ばれた。しかし、マリリン・モンローは心の美しさも際だっていた。この本は、そのことがよく分かる本です。
マリリン・モンローは1962年8月、36歳で死んだ。しかし、今なお忘れられることがない。
マリリン・モンローが生まれたのは1926年、精神をわずらって崩壊状態にあった女性を母親とし、ロサンゼルスで生まれた父親にも見捨てられた。そのため、いろんな家を転々として育ち、孤児院に入れられたこともある。
マリリン・モンローは「すばらしい女優」になることを目指し、懸命に努力した。借金してまで演技の個人レッスンを受け、舞台劇を勉強するため演技学校に通い、学歴がないので文学書を読んだ。
マリリン・モンローは、実生活において、人間同士の本物の愛を求め続けた。それは愛情遍歴をくり返したが、あくまで無垢な心を守って妥協しないで生きた。
マリリン・モンローは、「セックス・シンボル」にだけ留まってはいなかった。
マリリン・モンローのセックスは、ごく自然で、人間的なものだった。それは、当時、一つの解放感をともなっていた。
「セックスは自然の一部です。私は自然と協調(go along with)していきます」と言ってのけた。その勇気が世間の喝采をあびた。
マリリン・モンローは、夫のアーサー・ミラーが「赤狩り」にあって苦しめられていたとき、女優としての名声を捨てる覚悟で夫を守った。ヒッピーのピースとラブの運動にも共鳴していた。
マリリン・モンローとオードリー・ヘプバーンという有名な女優二人がほぼ同じころに活躍していたことを知りました。この二人は、ともに、今に至るまで圧倒的な人気をたもっていますが、やっぱり違いますよね。でも、そこは、うまくすみ分けている気がします。
マリリンとオードリーは、ともにスター性とアイドル性をもっている。マリリンは「妖艶」、オードリーは「妖精」、二人とも「妖気」を漂わせている。二人は、スターとコメディエンヌを両立させている。男性にマリリンのファンが多く、女性にオードリーのファンが多い。
目を開けても閉じてもあでやかで、目を閉じた顔がこれほど雄弁な女優は他にいない。まぶたに純情、目尻に色気がにじみ、唇からは愛の言葉ばかりがこぼれる。このたおやかでデリケートな魅力こそ、マリリン・モンローの努力の結晶だ。
マリリン・モンローは12歳から2年間、アナ・ロウアーという50代の貧しい独身の女性に引き取られ、大変かわいがられた。このことがマリリン・モンローが決して人間嫌いにならなかった理由だった。
私は、このくだりを読んで、この本を読んで本当に良かったと思いました。
アナおばさんは、友だちにいじめられて泣いている少女(マリリン・モンロー)を抱きしめて、こう言った。
「本当に大切なことは、あなたがどんな人間なのかということ。だから、心配しないで。ただ、正直に自分であり続けさえすればいいの」
いやあ、いい言葉ですよね。不幸な生いたちの少女はこの言葉と温かいアナおばさんの抱擁で立ち直れたし、自信がもてたのですよね、きっと・・・。
マリリン・モンローは、「とにかく人を許す」性質を最後までもち続けた。
「私が本当に言いたいことは、世界が本当に必要としているのは、本当の意味での親近感だということです」
すばらしい本でした。ますますマリリン・モンローが好きになりました。
(2010年1月刊。2300円+税)

マイ・ストーリー

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ミシェル・オバマ 、 出版  集英社
オバマが「チェンジ」を唱えてアメリカ大統領に当選したときは、私も大いに期待しました。これで、アメリカという国も少しはまともな民主国家に変わっていくのかな・・・、と思ったのです。
そして、オバマ大統領のプラハでの演説にも拍手を送りました。
しかし、残念なことにアメリカという国の内外からの圧力・抵抗にあって、オバマ改革はあまりみるべき成果をあげることなく退陣していき、その反対極のトランプというとんでもない男が大統領となって、金持ち優先のひどい政治が続いています。
それはともかくとして、本書はオバマ大統領の妻ミシェル・オバマの自伝ですが、意外に面白くて一気に読了しました。
黒人の世界からプリンストン、ハーバードという超有名な大学を出て、シカゴの大ローファームに入り、そのままいたらパートナー昇格まちがいないという状況から、シカゴ市政にかかわるように転身するのです。そして、教育担当として受けもったのが若きオバマ弁護士でした。この二人の出会いと、その後の活動あたりが本書のヤマ場だと思います。
もちろん、夫のオバマが大統領選にうって出て、家族を巻き込みながら、怒涛の日々を過ごしていく様子も面白いのですが・・・。
ミシェル・オバマはプリンストン大学のとき、白人の友人はほとんどいなかった。いつも身構えしていたから・・・。大学では、いつも勉強していた。自分は、どんな困難でも乗りこえられるという自信がついた。時間をたっぷりかけ、必要なときには助けを求め、やるべきことを先送りせず、きちんとこなしていれば、ハンディのすべてを帳消しにできると思えた。
ハーバードで3年間、憲法を学んだが、強い情勢は沸いてこなかった。
シカゴの一流法律事務所に入り、エリートの仲間入りをした。25歳にしてアシスタントがつき、両親が稼いだことのない額を稼ぐようになった。親切な同僚はみな高学歴で、ほとんどが白人。アルマーニのスーツを着て、ワインの定期便を申し込んだ。仕事が終わるとエアロビクスの教室に通い、余裕があるから、車はサーブ。
もう十分かな?そう、十分だと自問自答していた。
そんなとき、オバマ青年が目の前にあらわれた。バラク・オバマは初日から遅刻した。ときにこれといった印象はなかった。オバマは28歳、ミシェルは25歳だった。
オバマは白人でも黒人でもあり、アフリカ人でもアメリカ人でもあった。
オバマにとって、本は神聖なものであり、心の安定剤だった。
この点だけは私にも共通しています。
オバマは、自分の弱みや恐れを見せることを怖がらず、何ごとにも真摯であることを大切にしていた。
オバマは、「ハーバード・ロー・レビュー」の編集長になった。103年の歴史のなかで初めてのアフリカ系アメリカ人編集長だった。ところが、オバマは企業法務は自分の価値観にはあわないと考えた。
オバマは大統領になってから、アメリカ中の有権者から届く1日に1万5000通のなかから通信担当スタッフが選んだものを毎日10通ずつ読んだ。そして返事を書いて送った。
いやあ、これは実にいいことですよね・・・。
ただ、私は、オバマ大統領の最大の失策の一つがオサマ・ビン・ラディン暗殺を指示したことです。テロリスト集団を根絶やしにするには、そのトップを暗殺すればいいというのではいけません。テロリスト集団のトップなるものは、代わりがいくらでもいるのです。
なぜ人々がテロリストに走るのか、その根源を考え、そこにメスを入れるべきです。
中村哲氏のように、あくまで平和的手段でしか真の平和は長い目で見たとき実現しないと思います。
オバマ大統領による暗殺指令はノーベル平和賞が泣いてしまいました。残念です。
(2019年11月刊。2300円+税)

アメリカはなぜ戦争に負け続けたのか

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ハーラン・ウルマン 、 出版  中央公論新社
著者は1941年生まれで、アメリカ国防大学特別上級顧問、ヨーロッパ連合軍最高司令官管轄下の戦略諮問委員会のメンバーもつとめました。アメリカの海軍士官学校を卒業し、ベトナム戦争にも従軍していて、まさしく軍事専門家です。
冷戦が終結した1991年から現在までの26年間、あわせて19年にもわたって、アメリカは大がかりな武力衝突や武力介入に、つまり戦闘に従事してきた。
アメリカは、過去72年間のうち、その半分以上の37年間は戦争状態にあった。その戦績はそれほど目覚ましいものではない。朝鮮戦争は引き分けだった。ベトナム戦争は不面目な敗北に終わった。
この60年間で唯一明白な勝利と言えるのは1991年の第一次イラク戦争(湾岸戦争)だけ。
第二次湾岸戦争は、ブッシュ大統領が指揮をとったが、これは南北戦争以来最大の戦略的誤ちであった。この第二次湾岸戦争のあと、イスラル国(IS)の興隆につながり、現在もまだ戦闘が続いていて、収束の目途もたっていない。
ベトナム戦争の真最中、海軍基地での講義のなかで退役陸軍中佐がこう言った。
「神はすべての善良な人間を敵側に置いたのではないかと思うよ・・・」
いやあ、これはすごい言葉です。
こんな戦争にアメリカが、いかに超先進的な兵器を有していたとしても敗北するのは必至ですよね・・・。
ベトナム戦争のとき、北ベトナム軍の総指揮をとっていたボー・グェン・ザップ将軍は、アメリカ軍の至近距離の戦闘にもちこむよう指示した。アメリカ軍の優れた空軍力と兵器を無効にしようという作戦だ。
アメリカがベトナム戦争でみじめに敗北したのは、北ベトナムの持久力と国内の統一への意思と熱意を理解できなかったことによる。北は、負けないことで、勝利をつかもうとした。北の政府は、アメリカ軍よりも長く持ちこたえることが勝利への鍵だと理解していた。
敵の文化を知ることは成功の必須の条件だ。戦争においては、敵とその戦略をよく知らなければいけない。
ISとの闘いは、組織に対するものではなく、思想と運動に対する戦いであることを理解しなければならない。
ISは自爆テロを実行する子どもたちをリクルートすることで対応している。子ども兵士が武装組織に取り込まれることは、過去にもあった。常備軍を倒すより、思想と運動を混乱させ、破壊することのほうが、はるかに難しい。
戦後アメリカの「失敗」の主因は、あくまで最終的判断を下す大統領の資質にある。
アメリカのような戦争が大好きな国と平和憲法をもつ国が対等平等の関係であるはずもなく、アベ首相はいつだってトランプ大統領の舌先三寸で動かされてきました。嫌ですね・・・。
アメリカの戦争の敗北の本質を考えさせられる本です。
(2019年8月刊。3200円+税)

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