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カテゴリー: アジア

女二人のニューギニア

カテゴリー:アジア

(霧山昴)

著者 有吉 佐和子 、 出版 河出文庫

 驚きと抱腹絶倒の滞在記、とありますが、掛け値しに、私もそう思いました。

有吉佐和子と言えば、私には、なんといっても『複合汚染』です。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』と並んで、環境汚染の深刻さを世間に知らせ、問題提起しました。

戦前の和歌山県生まれですが、幼少期をインドネシアで過ごしていて、世界各地を旅行しています。その有吉佐和子が、50年前のニューギニアに出かけ、そこになんと1ヶ月も滞在していたのでした。

何しに行ったのか…。作家だから、何かの取材のためかと思うと、全然そうではありません。では、何のためか…。要するに、単に面白そうだからといいうことで、親しい友人の誘いに軽い気持ちで乗ったのでした。未開社会をちょっとだけ覗(のぞ)いてみようという大層気楽な気持ちです。

50年前のニューギニアはまだ独立しておらず、オーストラリアの信託統治領でした。

ニューギニアは、オーストラリアの北にある、世界第二の大きな島。

著者と友人は、荷物運びの現地の人たちと一緒に歩いて出発します。

ジャングルに道はない。人の歩いた跡をたどっていく。すべったり、転んだりして、途中で着換えると、ジーパンのお尻がまるでボロ雑巾のようにビリビリに裂けてしまっていた。著者が覚えたてのピジン語で、「ミー・ハンガラップ」(私はこわれた)と言うと、同行する警備担当は「イエス・ユー・バーガラップ」と返した。いやはや…。

そして、著者は、歩き疲れて動けなくなり、現地の人にまず背中におんぶしてもらった。そして、その次は、ベッドを作って、それで運んでくれた。そのベッドとは…。

2本の手ごろの木を切ってきて、その間に著者を寝かせると、つる草を器用に巻きつけて縛り上げ、つまり仕留めた野豚を担ぐのと同じ要領でかついで「アイヤッ、アイヤッ」と掛け声とともに運んでいった。いやはや、なんという哀れな格好でしょうか…。こんな格好を写真に撮られないだけ幸せでした。

そして、ようやく、ついに相棒の住む御殿に到着した。そこは、本当に広々とした木造の高床式の家。オーストラリア政府が現地のシシミン族を学究調査する人類学者(友人のことです)の居住用に建ててくれたもの。彼女は、オーストラリア政府からすると、シシミン族に対するオトリのような貴重な存在なのだ。だから、彼女の警護のためのポリスも交代しながら常駐する。

 しかし、もちろん、電気も水道も何もない。自家発電機もない。浄水器は持参したけれどなぜか全然ダメ。そして、蚊や虫の大群。痒い、痒い。いやあ、たまりませんよね。

現地のシシミン族の女性たちは若者たちの「御殿」に踏み入るのを許されている。女性は上半身は裸で、腰のまわりは草を垂らすだけ。そして、来ると著者の身体にさわり、撫でさする。言葉が分からないから、追い払うことも出来ない。あきて出ていくのを待つだけ…。話が通じないし、友人の調査を妨害してはいけないのです。

女性は、男性と同じように、鼻があいていて、そこに細い青竹を真一文字にさしている。男と違うのは、片方の耳に、おそろしく太い竹をさしこんで飾りにしていること。

ニューギニアでは河鹿(カジカ)が鳴く。ただし、声は大きいし、数も多いので、すごい迫力。そして、ホタルも大きく、光が大きい。鬼ボタルと名付けたいほど。日本の10倍ほどの大きさで、黄色と紫とピンクと青の4種類の光がある。ええーっ、ホタルが4種類の光を出すなんて初めて知りました。それなら、私もニューギニアに行ってみたい…、って、もちろん嘘です。著者のような苦労をジャングルの中でする勇気はありません。

シシミン語には、水を汲むとか穴を掘るという動詞はあっても、「働く」という概念的な言葉はない。だから、1日働いたら、いくらもらえるというようには考えない。なーるほど…。でも、きっと50年たった今は違うことでしょう。

著者は足を痛めて歩けないため「御殿」にいるしかなく、友人の仕事の邪魔もしてはいけない。それで暇をもてあましてパンツを11枚もつくったのでした。男性はパンツもはかないのです。

いったい、どうやって著者は日本に帰ったのか、心配していると、こんな山の中、著者たちが3日もかけて歩いてようやくたどり着いた「御殿」に、なんと迷い子のヘリコプターが降りてきて、著者はそれに乗って、町に戻ることが出来たのでした。ヘリコプターに乗って町に戻るまでの所要時間は、なんとたったの十数分。いやはや、文明の利器とは、恐ろしいものです。

1ヶ月間も暮らした「御殿」から日本に戻って、著者はマラリアを発症。危うく手遅れになるところでした。

50年前の著者は37歳で、まだ幼い娘を日本に置いての旅でした。そしてこれは1968年3月のこと。私が大学1年のときで、ようやく東京の生活に慣れたころになります。

有吉佐和子は『華岡青洲の妻』を刊行して印税がしこたま入っていて、次なる作品の構想を練っているとき、ニューギニア行きの話を聞いて飛びついたというわけでした。

いやぁ面白くて、恒例の人間ドッグで泊まったホテルで一気読みしました。再刊して、たちまち10刷というのは当然の面白さです。

                                   (2025年12月刊。990円+税)

2月1日早朝、ミャンマー最後の戦争が始まった。

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 フレデリック・ドウボミ、ラウ・クォンシン 、 出版 寿郎社
 ミャンマー(ビルマ)の軍事クーデターに対抗する民衆の姿をマンガで知ることが出来ました。
 日本に住んでいるミャンマー人は2021年12月には3万7千人だったのが、2年後の2023年12月には8万6千人となった。急増したのはミャンマー軍事クーデターによって、国外脱出を試みる若者が増えたから。
軍事クーデターが起きたのは2021年2月1日の早朝のこと。ミャンマー国軍のミンアウンフライン総司令官が前年11月の総選挙には不正があったと主張して起こしたもの。しかし、「不正」の確たる根拠は示されていない。
 その前の2017年8月、70万人以上の少数民族ロヒンギャがミャンマーでの迫害を逃れてバングラデシュへ移動した。
この本の作画を担当したラウ・クォシンは幼少期を京都で過ごしている。中国に渡り、今は香港から台湾に移り住んでいる。
 2020年11月の総選挙で勝利したアウンサンスーチーの率いる国民民主連盟(NCD)
による民主的な政権は短期間のうちに終わらされた。
クーデターの翌日、国民は鍋やフライパンを叩いて抗議した。ミャンマーには金物(かなもの)を叩いて悪霊(あくりょう)を追い払う風習がある。
軍事クーデターによって、2020年11月の総選挙で当選した多くの議員が逮捕された。アウンサンスーチーは2月1日に逮捕された。不法に無線通信機を所持していたという罪で3年の実刑判決が出た。アウンサンスーチーは、多くのミャンマー人にとって、一家の長であり、母親のような存在。彼女の父親であるアウンサン将軍は、独立運動のヒーロー。イギリス軍や日本軍と命をかけて戦った。
 デモ参加者はインターネットで連絡をとりあったので、軍はアクセス制限を始めた。
 ミャンマーの若者には、「ミルクティー同盟」の一員だと考える者もいる。これは、台湾・香港・タイの若者たちが中国とタイの政府軍の権威主義体制に反対してつくったオンライン組織。
 タイの民主化運動で三本指(親指と小指を除く)を立てるのが抵抗のシンボルとなったのがミャンマーでも広がった。
 中国政府は以前のようにビルマ軍を完全には支持していないが、見捨てたわけでもない。
 ビルマ民族の若者のなかに、カチン民族やカレン民族のゲリラを公然と支持する動きも出ている。ヒロンギャに対する認識を改めた人も少なくない。
ミャンマーは今、恐怖の中にあるのに、世界は、それをただ見ているだけ。
ビルマ軍幹部は、クーデターを非難した国連のミャンマー大使を解任できず、その後も任務についたまま。ビルマ軍よりも国民統一(NUG)のほうが正当なミャンマーの代表として国際社会に認識されている。
 自由選挙で軍の代表が勝利したことは一度もない。
 ミャンマーの置かれている実情を少しばかり知ることができました。
(2024年10月刊。2200円)

遊牧民、はじめました

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(霧山昴)
著者 相場 拓也 、 出版 光文社新書
 モンゴル大草原の掟(おきて)というサブタイトルのついた新書です。衝撃的な面白さでした。モンゴルの大草原で生活するということが、どれほど大変なことなのか、ひしひしと迫ってきました。
モンゴル草原の大地とは、人間にはあまりにも残酷な「失望の荒野」でもある。
 凍りつく大地と、実りの少ない草の原野である。そんな場所での生活は、生きるだけでも精いっぱいで、人間本来の野生の生存本能が試される。
 突然の生命の終わりや、命をつなぐための家畜群の全滅に向きあったとき、遊牧民が絶望しないための心理操作として、「自分の責任ではない」という単純明快な答えが用意されている。荒々しい自然と対峙したとき、巻き起こる災害に対処しなければならないとき、あらゆる不幸に対して、「自分のせいではない」と思えることこそが、草原の民の心の強さなのだ。うむむ、そういうことなんですか…。
モンゴルでは、酒は社会の悪しき潤滑油でもある。
 単調でエンターテインメントのない草原の暮らしでは、気晴らしや息抜きが少なく、心のゆとりを感じにくい。酒を飲むこと、来客と世間話をすることが数少ないストレス発散になっている。
 モンゴル人は、起きてほしくないことは、とことん口にしない。会話のなかで否定形を一切使わない返答は、自分の未来を否定しないためのモンゴル流の口頭技法。口に出して現実になることを恐れているため、未来や過去を否定しないような回避法が根底にある。
 モンゴル遊牧民の心持ちは、悲観を前提とした悲壮感に満ちた生。単調で、死と隣りあわせの遊牧生活に、南国風の楽観論が育(はぐく)まれることはなかった。
 遊牧民は、その歴史上、常に不知と暴力にまみれた社会だった。組織内や親族内でもめごとが発生したとき、「話し合い」による解決はほとんど実践されない。
 モンゴル人とのあいだで、一度でも人間関係に亀裂が生じると、それはもはや回復できないほどの破綻を意味している。
 遊牧民の社会には「末っ子」が家督を継ぐ末子相続という習慣が今でも連綿と受け継がれている。この末子相続は、親族間や氏族内関係を複雑にする原因にもなっている。
 末子は、両親が死ぬまで同じ天幕で共に暮らすのが通例。末子相続は、地域コミュニティの富の偏在を肯定的に推し進める。末子相続というシステムのもと、遊牧民は、「富や名声とは、努力で勝ち得るものではなく、親の経済力や生まれで決まる生来所与のもの」という強い感覚がある。末子への羨望(せんぼう)と、それに由来する闘争こそが遊牧民の戦いの根源に直結している。
モンゴル人と接していると、人間関係を長続きさせるのが不得意だと実感される。
 モンゴル人に対して、決して怒ってはいけないし、直接的に物事を伝えたり、批判してはいけないし、相手のへそを曲げさせてはいけない。
 モンゴル人は、本質的に好戦的な心を宿し、暴力行使へのハードルの低い人々である。
 遊牧民と親しくなるためには、手土産、酒盛りそして一芸披露が必要。
 遊牧民はとにかく話題に飢えている。情報ネットワークを重視する遊牧コミュニティでは、隣人・知人の行動はきわめて重要な判断基準になっている。遊牧民の日常会話のほとんどは家畜と人間(親戚・知人・隣人)、そしてお金の3つしかない。
遊牧民が移動するのは、自らの意思というより、家畜を養うための水と草を探し求めて、家畜によって移動させられているというのが実態。遊牧民は、自由気ままに草原を放浪して生きていられるほど、楽な稼業ではない。移動とは、単純に牧草資源を探し求めているわけではない。家畜とは遊牧民のすべてであり、すべては家畜から育まれる。
 モンゴル人の食文化では、ただ茹(ゆ)でただけのヒツジ肉がごちそう。調味料は塩を少々で、他には何もない。
 モンゴル人の住居である天幕は、入って右側が「女性の場」、左側が「男性の場」と決まっている。そして、出入口の扉は、かつての遊牧民の王国が征服を目論む侵攻方向と一致している。
 モンゴルの女性は、しっかりしていて、凛とした強さと、しなやかさで、男性優位のイスラームのコミュニティを生き抜いている。
 かつての遊牧民の社会では、人生は30歳にみたない程度で終わっていた可能性がある。
 遊牧民としてのモンゴル人の大草原での厳しい生活、そこから来る人間形成について、驚くばかりで、まったく目を開かされた気がしました。
(2024年9月刊。1100円)

西ネパール・ヒマラヤ最奥の地を歩く

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 稲葉 香 、 出版 彩流社
 リウマチの持病をかかえながら、本職は美容師という著者が僧侶の河口慧海(えかい)と同じチベット文化圏を足で歩いた体験記です。
 文章もさることながら、その写真の壮大さ、気高いと形容するほかないヒマラヤの山並みには思わず息を呑むほど圧倒されます。そして、人々とりわけ子どもたちの生き生きとした笑顔に魅せられます。
 西ネパールの北西部に位置するドルポはチベット文化圏。標高4300メートルの高地に村が点在し、人々が伝統的な生活を営んでいる。東西南北、どこからドルポに入ろうとしても、5000メートル以上の峠を越えなければいけない。ここには富士山より低い場所はない。
 耕作できる土地は少ないが、それでもジャガイモ、小麦、ヒエ、ソバ、大麦をつくっている。家畜のヒツジ、ヤギ、ウシ、ヤクを夏の間は山の高地に放牧し、冬になると高度の低い村に連れてくる。また春になったら高地へと戻る。遊牧民の暮らしだ。
 高所に強いヤクは、厳しい環境で生きのびることができ、毛は機織(はたお)りで衣類や毛布となり、皮はなめして活用し、乳はヨーグルトや硬い乾燥チーズとなる。そして乾燥した糞は、料理と暖をとるための貴重な燃となる。
 村で出会った修行僧に河口慧海を知っているかと訊くと、「あそこにいるよ」という答えが返ってきた。古寺の内に仏像があり、それが河口慧海師だという。あとで著者が調べてみると、それは河口慧海の「チベット旅行記」に出てくる住職の像だった。それがいつのまにか現地では河口慧海の像になっていた。それにしてもチベットの山奥の寺に河口慧海と思われている仏像があるなんて驚きです。
 ちなみに河口慧海の「チベット旅行記」を読むと、もともとろくな食事もとらないうえ、正午を過ぎたら何も食べないまま山中を歩きまわったようです。まさしく超人的なのですが、この本によると著者と同じリウマチを持っていたそうです。いやはや、とんだ共通項があるのです。著者はスマホを使わず、紙の地図で行動しています。ところが、ヒマラヤの人たちは地図を見ないし、持たない。もちろんスマホに頼ることもしない。
 山と一体化して歩いている。
著者は、2007年から2016年までのあいだに、4回にわたってドルポ内部を横断した。すべて夏から秋のこと。では、冬のあいだはどうなっているのか探検しよう…。すごい発想ですね。
 3ヶ月間、冬のドルポを体験したのです。野外は氷点下20度。著者が泊まった家は、チベットスタイル。つまり、天井があいている家。壁も扉もあるけれど、上部は吹きっさらしの状態。なので、窓が開きっぱなしの環境で厳冬期を過ごした。とくに寒いのは、山に太陽が沈んだ夕方4時から夕食の時間まで。ドルポでは燃料も水も貴重なので、暖をとるためだけに燃料を使うことはない。暖がとれないで氷点下3度に耐えなければいけない。家の中でじっとしている氷点下3度はとにかく寒く、手足がキンキンに冷えた。いやあ、これはきついですね、よくぞ耐えましたね。いったい3ヶ月間、じっとして何をしていたのでしょうか…。
私としては、食事のこと、そしてトイレのことなども知りたいのですが、何も書かれていないので、もどかしさがつのりました。それにしてもたいした女性です。その行動力、バイタリティに対して心より敬意を表します。
(2022年1月刊。2200円+税)

イランの地下世界

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(霧山昴)
著者 若宮 總 、 出版 角川新書
 イランの現実に大きく目を開かされる本です。ええっ、ほ、本当なんですか…って、思わず問い返したくなる記述が満載で、びっくり驚天のオンパレードでした。
イランの町で女性はスカーフなしで歩くのがあたりまえになっている。
 チャドルに身を包んだ女性は、出世のため、職場でも礼拝や断食を欠かすことはない。逆に言うと、礼拝も断食も、すべて出世のための道具にすぎない。
彼氏・彼女らは、欺まんにみちた「ヤクザ」でしかない。イスラム体制を支えている人間が、例外なく体制に忠実で、なおかつ敬虔(けいけん)であるとは限らない。
80歳を過ぎたハメネイは最高指導者として権力集中に熱心で、自らの周囲はすべて身内で固めている。
 コーランでは、女性の価値は男性の半分だと明確に規定されている。ええっ、本当なんですか…。
 棄教したり改宗した元ムスリムを「モルタッド」という。イランでも増えているが、もちろん隠しておかなければならない。
 イラン人は今や古代ペルシア帝国へ憧(あこが)れを抱いている。子どもにつける名前もアラビア語風ではなく、ペルシア語のほうが流行だ。
イランでは、簡単に豚肉が食べられる。マリファナの入手も簡単。
 失業率は高い。若年層では14.4%にもなっている。
イランでは、男女ともに、浮気性の人が多すぎるほど。
 イランの人々は、衛星放送をよく見ている。
 スマホの普及がイラン人を世界とつながらせている。イラン政府は、銀バエのように揉み手でロシアのご機嫌をとる。
 イラン人一般の対中感情は決して良くはない。
 イラン人は日本をよく思っているが、その中心に、1980年代に日本に大挙してやって来たイラン人労働者がある。ただし、イラン人は日本の外交には失望している。アメリカには決して逆らえないからだ。
 イラン人は、誰もがおめでたいほどの自信家で、知らないことでも「知っている」と言う。
ひところ、上野公園や代々木公園などに多くのイラン人が集まっているのが報道されました。今や激減したと思っていたのですが、イランに帰国してから、日本の良い思い出を今も抱いているというのに、意外感がありました。他国の人に親切にするというのは、ちゃんと見返りもあるのですよね。ヘイトスピーチなんて、絶対やめてほしいです。
(2024年6月刊。960円+税)
 今年はお盆明けからセミの鳴き声が聞こえません。ツクツク法師もまだ鳴いていないので、異変が起きたようです。35度以上になると、セミは鳴かないと聞きました。今の猛暑は地球全体がおかしくなっているのではないかと心配です。
 台風も関東・東北が直撃され、いつもの沖縄・九州にやってきません。いったいどうなっているのでしょうか…。

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