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カテゴリー: 日本史(古代)

弥生の交易とものづくり。青谷上寺地遺跡

カテゴリー:日本史(古代)

(霧山昴)

著者 湯村 功 、 出版 新泉社

 青谷上寺地遺跡の読み方は、「あおやかみじち」です。いったいどこにあるかというと、鳥取市の北西沿岸部です。

 この遺跡からは多種多量の出土品があり、また保存状態がとても良いのです。なかでも驚くのは、弥生人の脳がそのまま出てきたということです。脳の表面のしわ、そして前頭葉が残っていたなんて、まさに奇跡的です。古代人の脳が見つかったのは日本では初めてで、世界でも4例しかないそうです。

ここでは、大量の人骨が散乱して出土しています。いったい、なぜ散乱していたのでしょうか…。

長さ13メートル、幅5メートルの範囲から大量の人骨が出土した。少なくとも109体分あり、そのうち頭蓋骨が32点出土したうち、3点に脳が残っていた。そして、人骨には傷を負っていたり、鏃(やじり)が刺さった状態のものも4点みつかった。殺傷痕人骨である。

ところが、争いによるものとも言いきれないというのです。儀礼や刑罰によるものかもしれないとのこと。謎なんですね。そして、結核による脊椎カリエス症例と認められる人骨もある。

これら大量の人骨は、相互に血縁関係のあるものは少なく、遺伝的に多様。集落の外部から来た人々だろう。そして、集落が、これで途絶したわけでもない。いやはや、いったい何が起きたというのでしょうか…。

保存状態が良いのは、低湿地であり、適度な地下水と粘土にパックされ、空気から遮断されたことによる。

この遺跡からは木製容器が1000点も出土しているのですが、それがまた見事な形をしています。花弁(かべん)高坏(たかつき)は、浮き彫り、飾り耳、透かしとか、いやはやたいしたものです。それも、刳りぬきによる成形なのです。水田で米づくりをするときの田下駄(たげた)も出土しています。そして、箱づくりの琴も見つかっています。

鉄器は中国・朝鮮からの渡米物と、在地で生産したものと二つある。鉄製工具も多様なものがあるガラス玉もたくさん出土している。中国の新(しん)王朝というのは、前漢王朝を倒した王莽(おうもう)の王朝ですが、そこで発行された貨泉も出土しています。

中国そして朝鮮と交易していて、その拠点であったこと、国内とも交流があったことを意味している。

日本海側は「裏日本」と呼ばれることがありますが、古代は、中国・朝鮮との交易をする表玄関として「裏」ではなく、まさしく「表」だったのです。

出土した人骨から復元した男女3人の顔がカラー写真として紹介されていますが、現代日本でよく見かける日本人の顔そのままです。

大変勉強になりました。90頁ほどのブックレットです。ぜひ手にとってみて下さい。

(2025年9月刊。1870円)

古代東アジア外交の玄関口・鴻臚館

カテゴリー:日本史(古代)

(霧山昴)

著者 菅波 正人 、 出版 新泉社

 六本松に裁判所が移る前は、城内に裁判所がありました。その隣には平和台球場があり、子どもを連れてナイター見物をしたこともあります。

 その平和台球場は今はありませんが、そこに鴻臚館(こうろかん)がありました。発掘が進み、今は立派な「鴻臚館跡展示館」が出来ています(なんと入場料は無料です)。

 鴻臚館は11世紀まではあったようで、そのころは大宋国商客宿坊と呼ばれていたとのこと。

鴻臚館跡からの出土品のなかに、アッパース朝時代のイスラム陶器がある。中国陶器にはないコバルトブルーです。青緑釉陶器の大型壺の陶器片が見つかっているのです。中国でイスラム商人による交易活動が盛んだったことを物語るものです。

 鴻臚館は全国に一つしかなかったのではなく、平安京・難波津(なにわづ)、筑紫に置かれていた。平安時代の初めから11世紀に焼失するまで、新羅や唐などからの外交使節や遣新羅使や遣唐使そして商人などが行きかう、東アジアと日本の結節点だった。

 鴻臚館跡が発見されたのは、平和台球場の改修工事のすすんでいる1987年12月のこと。最近だというのに驚きました。

朝鮮半島にあった新羅との交流は盛んで、遣新羅使の来朝は、779年までに51回、日本から遣新羅使としての派遣は24回に及ぶ。

この本を読んで驚いたのは、鴻臚館は丘陵の上にあり、その両側は入江となっていたということです。その入り江は水深が深いので、大型船の停泊が可能でした。両側を入り江ではさまれるという立地は、隔離性と防備性にすぐれ、外国からの施設を迎えるのにふさわしい場所だった。

 鴻臚館跡では、トイレ遺構も6基ほど見つかっている。いずれも堀の外側にあった。このトイレ遺構からのお尻をふくための荷札木簡が出土した。これらの木簡には、品物の人名や地名が書かれていた。木簡は用済みになったら、お尻をふくのに使われていたのですね。

 模様の入った軒瓦など、数々の出土品には圧倒されます。

(2025年8月刊。1870円)

渡来人とは誰か

カテゴリー:日本史(古代)

(霧山昴)

著者 高田 貫太 、 出版 ちくま新書

 古代、人々の従来は海を介した双方向的なものだった。倭の人々が韓の地に渡って青銅や鉄を入手していた。朝鮮半島から倭に渡ってきた人々が持ち込んだ青銅器や鉄器などが九州北部を中心として確認されている。

福岡市西新町遺跡にはカマドを備えた住居が多い。これは朝鮮半島から渡ってきた人々が使っていたと見るのが自然だ。

金海(キメ)大成洞108号墳には、碧玉でつくられた管玉やヒスイの勾玉(まがたま)を身につけた女性が葬られていた。倭王権の側が、高貴な女性に銅鏃などの贈り物をもたせて金官国へ送り出したと考えられる。

広開土王の碑文に書かれているほど倭の軍勢が大規模なものだとは考古学には考えにくい。広開土王の偉大さを引き立たせるために「強大な難敵」だと表現したのではないか…。

奈良県橿原市にある新沢千塚126号墳から出土したものは、優品のアクセサリーをフルセットで身につけていることから、新羅(しらぎ)の王族ないし有力な貴族の地位にあった者と考えられる。

滅亡の危機に瀕した百済の復興には倭の協力があった。百済園にあった朝鮮半島中西部の古墳からは、倭の甲冑(かっちゅう)が出土している。倭の甲(よろい)と須恵器が出土した。

5世紀の倭において、倭王朝が中国南朝から入手したものを、各地の有力者に配った。飯塚市の櫨山(はぜやま)古墳に葬られている死者は草葉の文様(三葉文)をモチーフとしている。三葉文の飾り帯は、新羅王権との政治関係が示されるもの。

6世紀の磐井(いわい)の乱は、岩井が新羅と手を結んでいたことに関連している。

倭による任那支配は架空のできごと。金官国、つまり任那を倭が支配していたという考古学的な根拠は何ひとつない。

5世紀に多くの渡来人が倭に渡ってきた。渡来人の故郷は多種多様であり、職業もさまざまだった。

葛城氏の有力者は、朝鮮半島から渡米人を招き入れ、最新の手工業生産の体制をととのえ、これを背景として、ヤマト王権の中で大きな実力をほこった。

馬が朝鮮半島から運ばれてきて、馬を飼う技術(ノウハウ)は5世紀になって渡来人によってもたらされた。

最新の知見に寄って渡来人の実像が明らかにされています。「任那日本府」なるものの存在を私も信じていたことがありました。日本列島に住む人々に当時はまだ国家といえるほどのものはなく、朝鮮半島に政府の出先機関を置くなんて、とても信じられません(ありえません)。面白く読みすすめました。

(2025年8月刊。1320円)

 日曜日、朝からフランス語検定試験(準1級)を受けてきました。この1ヶ月ほど、朝も晩も必死になってフランス語を勉強しました。なにしろ「過去問」だけでも30枚近くあるのです。そして「傾向対策」も復習しました。

 準1級はもう5回は合格しているのですが、昨年は1点差で不合格でした。ともかく上達を目ざすというより、能力低下を必死で防いでいるというところです。

 昨年までと違うのは、ネットのユーチューブでフランス語が視聴できるという点です。子供向けのレッスン、医師の健康講話そしてフランスの国会での討論などです。

 「不服従」のパノー議員の迫力ある意見にはいつも圧倒されます。

 自己採点では、4点不足でしたが、どうなりますやら…。

 3時間かけた試験の会場を出ると、秋空のいい天気でした。

魏志倭人伝の海上王都、原の辻遺跡

カテゴリー:日本史(古代)

(霧山昴)
著者 松見 裕二 、 出版 新泉社
 魏志倭人伝に邪馬台国が登場しますが、その途中に「一支(いき)国」があります(正確には、原文は「一大国」と書いています)。もう一つ「伊都国」のほうは、三雲・井原遺跡が該当するとされています。
 この「一支国」は壱岐島(いきしま)とみられていて、そこに原(はる)の辻遺跡があります。
 私も前に壱岐に行ったとき、この遺跡に関わる「一支国博物館」を見学しました。
壱岐島は博多港(福岡市)から高速船に乗ると1時間で着きます。倭人伝によると、対馬国が「千戸あまり」に対して、「一支国」は「三千家あまり」となっています。「戸」と「家」と使い分けがされていますが、1万人ほどの人口だとみられています。
原の辻遺跡は100ヘクタールの範囲あるとされていて、まだ全部の発掘調査はなされていません。集落を取り囲む環濠が堀りめぐらされているが、幅は2メートル、深さも1~2メートルという小規模なもの。防衛というより排水機能に重点がある。
 ここには国内最古の船着き場の遺跡がある。渡来人が最先端の中国式技術「敷粗朶(しきそだ)工法」によってつくられている。しかし、これは実用的なものではなく、セレモニースポットとみられている。
 ここで、人面石が発掘された。目の上には、細い線で刻まれた眉(まゆ)が描かれ、目と目の間には鼻も表現されている。口は裏面まで貫通している。偶像崇拝の祭器として使われたのではないか…。
 「一支国」は国境の島として有事に備えた武器や防具が多数出土している。
 ガラス製のトンボ王も副葬品として出土している。クド石と呼ばれる石製支脚が大量に発見されている。
 カラカミ遺跡からは鉄製品が数多く出土した。鉄の加工を得意とする鍛治専門集団が集落内に存在していた。ベンガラの焼成炉も発見されている。
 また、イエネコの骨が出土した。渡来人がネズミの害から防ぐため、大陸から連れてきたとみられる。ペットではないだろう。ネコは古墳時代からと考えられていたが、それより500年も古く、弥生時代からヒトとともにいたことになる。
 イエネコの骨もネズミの骨も発見されたのでした。
 原の辻遺跡はまだ85%も未調査であり、そこに「王墓」が見つからないか、期待されています。ぜひ、新しい博物館に行ってみましょう。
(2025年3月刊。1870円)

継体大王と地方豪族

カテゴリー:日本史(古代)

(霧山昴)
著者 若狭 徹・埼玉県さきたま史跡の博物館 、 出版 吉川弘文館
 継体大王とは不思議な存在です。「万世一系の天皇」という神話を疑わせる存在でもあります。
 このころ、まだ天皇とは呼ばれず、大王でした。有力豪族集団のなかで、それらに支えられつつも、頭ひとつ飛び抜けた存在だったのです。私はまだ行っていませんが、このさきたま史跡には、ぜひ一度現地に行ってみたいと思っています。埼玉県行田(ぎょうだ)市にある有名な古墳群です。ここの稲荷山古墳からは文字を刻んだ鉄剣が発見されましたが、そこに「ワカタケル大王」という雄略天皇の名前が刻まれていたのでした。
 そして、最大の古墳である二子山(ふたごやま)古墳はレーダン調査によって、継体大王のころにつくられたことが判明したのです。
 継体大王の当時といえば、八女市にある全長132メートルの岩戸山古墳が有名です。ここは、筑紫君(ちくしのきみ)一族の本拠地であり、熊本県南部の八代地域を地盤とする火(肥)君(ひのきみ)一族とともに大和政権に抗して、磐井(いわい)の乱を起こしましたが、あえなく敗れてしまいました。でも、子孫が根絶やしされたのではないようです。
 磐井は、北部九州の有力豪族であったが、王権に反発して新羅(しらぎ)と謀(はか)り、朝鮮半島との交易を担う外港を封鎖した。同じく北部九州の火君とも連合して、新羅征討軍を率いた近江(おろみ)毛野臣(けなのおみ)を阻んだ。
 また、このとき胸肩(むなかた)君一族は、筑紫君一族とは距離を置いたそうです。
 そして、継体大王が死んでまもなく、武蔵国造である笠原直(かさはらのあたえ)一族で反乱が起きたのでした。一族内部で、国造の地位をめぐる抗争が勃発したのです。
 継体大王は5世紀的な手続きにのっとって即位した5世紀的な大王。その前の倭の五王と本質は変わらない。
 政権継承の安定化のため、継体大王は初めて大兄(おおえ)制を敷いた。これは、王位継承者を事前に指定する制度。
継体大王の墓と推定される奈良の今城塚(いましろつか)古墳には、埴輪(はにわ)が大量に樹立されていたとのこと。内側と外側に二重に円筒埴輪列があって、墳丘に2000本、内堤に4000本、あわせて6000本もの円筒埴輪が樹立されたとみられている。しかも、大型品は高さが80~90センチ、超大型品となると、高さ130センチというのです。数といい、高さといい、すごいです。そして、人物から家や鳥や動物など、レパートリーもさまざま。人物埴輪は全身像というのも、すごいです。
継体大王は、地方の有力豪族たちに支えられていたというのを初めて認識しました。ところが、九州の磐井も、武装国造も反乱したのです。結局、どちらも押さえ込むことが出来て、天皇(大王)制は続いていったのでした。
 継体大王のころの日本の状況をさらに深く認識できました。
(2025年2月刊。2300円+税)
 日曜日、庭に出ると、なんとジャーマンアイリスが今にも咲きそうで驚きました。ああ、もう5月が近づいていると感じました。青紫色の華麗な花です。アイリスの黄色い花も咲いています。チューリップはまだ咲いています。今はピンクの花が優勢です。スノードロップの白い花の近くにシャガの白い花びらも見えています。足もとに土筆(つくし)を見つけました。
 夕方6時半まで明るいので、がんばって庭の手入れをしました。

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