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カテゴリー: ヨーロッパ

アウシュヴィッツを破壊せよ(下)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ジャック・フェアウェザー 、 出版 河出書房新社
 アウシュヴィッツ絶滅収容所に志願して収容者の一人となったヴィトルトは、大変な苦労をさせられ、生きながらえたのが不思議な状況に長く置かれました。
 それでも、収容所内に抵抗組織をつくりあげ、外部の地下抵抗組織と連携して決起しようと試みたのです。しかし、外部のほうはいつまでたっても決起にGOサインを出しません。収容所内の抵抗メンバーは次々に消されていきます。どうせ殺されるのなら、その前に決起しようと考えるメンバーが出てくるのも当然です。でも、下手に決起したら、あとの反動が恐ろしすぎるのです。
収容所内でチフスが流行した。SS(ナチス)は、1日に100人もの病人をフェノール注射で殺害した。
 SSへの対抗のため、地下抵抗組織は、SSの制服にチフスに感染したシラミを散布した。ドイツ人からも発疹チフス患者が出た。嫌われ者のカポも標的となり、結局、死んだ。
 ヴィトルト自身もチフスに感染したが、仲間の看病によって、10日後ようやく立ち直り、生きのびた。
ヴィトルトたちのアウシュヴィッツの実情を伝える報告はイギリスそしてアメリカに届いたが、そのまま信じてもらうことが出来ず、すぐに救済行動を組織することはできなかった。
 アウシュヴィッツのことを真剣に考えてくれる人はほとんどいなかった。いやあ、これは、本当に不思議な、信じられない反応です。こんなひどいことが起きていることを知って、それでも何もしないというのは、一体どういうことなのでしょうか…、私の理解をまったく超えてしまいます。
収容所内の地下組織は分裂の危機に陥った。それはそうでしょうね。外の抵抗組織から見放されたも同然になったのですから…。
 ヴィトルトは、1943年4月、ついにアウシュヴィッツ収容所から脱出します。まずはパン工房に職人としてもぐり込むことに成功したのです。本当に運が良かったとしか思えません。8月、ヴィトルトはワルシャワに戻った。ヴィトルトがアウシュヴィッツ収容所の状況を組織や友人に話しても、信じようとしない人も多く、行動に結びつけることはできなかった。人々はヴィトルトの証言に共感できなかった。
 1944年7月、連合国軍は収容所の爆撃は困難で、コストがかかりすぎるとして、却下してしまった。
 ナチス・ドイツ軍が敗退したと考えたポーランドの人々は1944年8月、ワルシャワ蜂起を始めた。しかし、ナチス・ドイツ軍は盛り返した。そして、スターリンのソ連赤軍はワルシャワ蜂起を目の前で見殺しにした。スターリンは、ドイツ軍がポーランド人を叩きつぶすのを待って、そのあとソ連軍を投入するつもりだった。このワルシャワ市内の一連の戦いで、13万人以上が亡くなり、その大半が民間人だった。市内に隠れていた2万8000人のユダヤ人のうち、生きのびることが出来たのは5000人ほどでしかなかった。
 1945年5月、ナチス・ドイツが降伏した。そして、ポーランドを支配したのはスターリンのソ連だった。ポーランドはスターリン支配下の一党独裁体制となった。
 ヴィトルトは、ポーランドの秘密警察の長官の暗殺を企てたとして反逆罪で逮捕され、裁判にかけられた。1948年5月、ヴィトルトへの死刑が執行された。そして、ヴィトルトはポーランドの歴史から抹殺されてしまった。ヴィトルトの名誉が回復されたのは1989年にポーランドが民主主義国家になってからのこと。
世の中には、このように勇気ある人がいたことを知ると、人間もまだまだ捨てたものじゃないな、そう思います。それにしても、ナチスの残虐さとあわせて、スターリンのひどさを知ると、身が震える思いがします。
 アウシュヴィッツ絶滅収容所が忘れられてはいけないと思うとき、こんな勇気ある人がいたことも記憶してよいと、つくづく思いました。
(2023年1月刊。3190円+税)

ヴォロディミル・ゼレンスキー

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ギャラガー・フェンウィック 、 出版 作品社
 ご存知、ウクライナの大統領についての「本格評伝」です。サブタイトルは「喜劇役者から司令官になった男」。
 ウクライナは面積60万平方キロメートル、人口4400万人。人口は韓国より少ないのですね。でも、現在どれくらいの人が本国に残っているのでしょうか。若い男性は出国禁止になっているようですよね。それこそ総動員体制なのでしょう。
 ロシアは面積1700万平方キロメートルですから、文字どおりケタ違いに大きいです。人口は1億4500万人。日本の人口は1億2千万人ほどですよね。インドや中国と違ってロシアの人口は10億人とか、そんなに多くはないのですね…。
 ゼレンスキーの父親はサイバネティックスが専門。情報工学の教授で、母親はエンジニア。ユダヤ人の両親は、労働者階級のなかで地位を築いた知識人。
 ゼレンスキーは、大学の法学部に入学して卒業した。しかし、学生のころから仲間とともに劇団活動に励んでいて、座長となり、コントの台本執筆と演出、そして自らも出演した。
 友人はゼレンスキーについて、「彼のずば抜けた点は、人の心の動きを直観的に読みとる鋭さにある。人の心を正確に理解し、その行動の背後にあるロジックをやすやすと把握する」と語る。
 ゼレンスキーはオリガルヒ(ソ連崩壊後に生まれた新興の大富豪)の一人であるコロモイスキーと深い関係にある。コロモイスキーもユダヤ人。オリガルヒ同士は、みな顔見知り。ゼレンスキーは、コロモイスキーから4000万ドルの送金を受領したのではないかという疑惑があった。さらに、ゼレンスキーは、イタリアにも別荘を隠しもっていると報道された。ゼレンスキーは自らがユダヤ人であることを隠していないが、とりたてて強調してもいない。
 ところが、プーチンがウクライナ侵攻にあたって、ナチズムから国民を守るためと宣言したことから、ユダヤ人のゼレンスキーをナチスであるかのように決めつけることの当否が議論になった。
 ソ連時代のユダヤ人は無神論者を自称し、ユダヤ教徒であることを必死で隠した。
 現在のゼレンスキーは、ユダヤ人の血を引きながら、なおかつ抵抗するウクライナの顔であり、戦う愛国者の化身だ。
 ウクライナの議会で極右政党は450議席のうち1議席のみでしかない。
 ゼレンスキーが大統領になる前、テレビ局の連続ドラマでゼレンスキーは主役となって腐敗した政治に鋭く切り込んでいく主役を演じた。視聴者は2015年12月、史上最高の2000万人を記録した。ゼレンスキーは、2018年12月まで、政界進出の野心は一切ないと否定し続けた。ところが、12月末に突如として大統領選への出馬を表明した。
ゼレンスキーは、政治集会を開催せず、記者会見も開かず、ジャーナリストのインタビューに応じることもなく、他の候補者との討論会にも参加せず、巡業を続けた。ゼレンスキーへの支持はうなぎのぼりに上昇し、2019年1月、ついにトップを占めた。2019年4月、ゼレンスキーは73%の得票率で大統領に当選した。
 ドラマのおかげで、国民はゼレンスキーを自分たちに寄り添ってくれる人物だとみなした。エリート階層に属しているのは明らかなのに、国民はゼレンスキーを「ブルーカラー出身の富豪」とみなした。30歳未満の有権者の80%がゼレンスキーに投票した、40歳未満だと、70%前後だった。ゼレンスキーは言った。
 「私たちは腐敗に打ち勝つとウクライナ社会に約束した。だが、今のところ、取り組みは着手すらされていない」
 すでに衰弱していたウクライナ経済は、コロナウイルスの蔓延で深刻な危機に頻していた。
 もはやゼレンスキーは、自分に尽くしてくれた億万長者コロモイスキーと疎遠になるほかなかった。ロシア侵攻後の今、ゼレンスキーの支持率は80%から90%、ウクライナ軍は全国民の信頼を取り戻した。
 といっても報道によると、ウクライナ軍の汚職・腐敗はなくなってはいないようですね。国防大臣も更送されましたし…。ゼレンスキー大統領とは何者かを知ることのできる本です。
(2022年12月刊。1800円+税)

アウシュヴィッツを破壊せよ(上)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ジャック・フェアウェザー、 出版 河出書房新社
 アウシュヴィッツ絶滅収容所に志願して潜入したポーランドの工作員がいることは前に本を読んで知ってはいました。 『アウシュヴィッツを志願した男』(小林公二、講談社)、『アウシュヴィッツ潜入記』(ヴィトルト・ピレツキ、みすず書房)を読みました。
この本は上下2分冊で、本人の手帳などをもとにして、とても詳細です。ともかくその置かれた困難な状況には圧倒されます。よくぞ、生きて収容所から脱出できたものです。もちろん、これはヴィトルト・ピレツキがユダヤ人ではなく、ポーランド人の将校だったからできたことではあります。ともかく大変な勇気の持ち主でした。
 この上巻では、ヴィトルト・ピレツキがアウシュヴィッツ収容所に潜入する経緯、そして収容所内の危険にみちみちた状況があますところなく紹介されます。
残念なことは、この深刻な状況をせっかくロンドンにまで伝達できたのに、受けとったロンドンの方があまりの深刻かつ非人道的状況を信じかね、また、イギリス空軍がドイツ・ポーランドへの爆撃体制をとれず、報復爆撃が一度も試みられなかったことです。
ヴィトルト・ピレツキは、1940年9月19日の早朝、ワルシャワにいてナチス・ドイツに逮捕され、収容所に連行された。それは自ら志願した行為だった。
 この本は、ヴィトルトの2人の子どもにも取材したうえで記述されています。収容所のなかでは、教育を受けた人々は真っ先に文字どおり打倒された。医師、弁護士、教授。
カポは収容者の中から収容所当局が任命した「世話係」。かつての共産党員が転向し、ナチス以上に残虐な行行為を平然と行った。
 カポは、収容所当局に対して、常に自分の非情さを証明しなければいけなかった。
 収容所内で生きのびるためには、息をひそめて大人しくしていること。目立たないことは何より重要な鉄則。自分をさらけ出さず、最初の一人にも最後の一人にもならず、行動は速すぎても遅すぎてもいけない。カポとの接触は避ける。避けられないときは、従順に、協力的に、人当たりよく接する。殴られるときは一発で必ず倒れる。
 収容所内では1日1000キロカロリーに満たず、急激な飢餓状態に陥った。
 この本のなかに、カポが収容者とボクシングをしたエピソードが紹介されています。少し前に映画をみましたが、その話だったのでしょうか…。
 ミュンヘン出身の元ミドル級チャンピオンで体重90キロ、筋骨隆々のダニング相手では、かなうはずもありません。ワルシャワでバンダム級のトレーニングを受けていたテディがダニングに挑戦した。ところが、試合では、ダニングの拳をするりとかわし、むしろダニングを打ち、ついにはダニングの鼻を血まみれにしたのです。ボクシングって、巨体なら勝つというのではないのですね…。ダニングは潔く、テディの勝ちを認めて、賞品のパンと肉を渡したのでした。テディはそれを仲間と分け合ったのです。
こんなこともあったんですね…。すごいノンフィクションです。一読をおすすめします。
(2023年1月刊。3190円+税)

極光のかげに

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 高杉 一郎 、 出版 岩波文庫
 日本攻戦後、50万人以上の元日本兵がソ連軍によってシベリアに連行され、強制労働させられました。その4年間のシベリア生活が淡々と記述されています。
 森の中から幼稚園の子どもたちが出てくると、「こんにちは」と挨拶する。「こんにちは、子どもたち」と返すと、次の子たちは「こんにちは、日本人」と言い、次々に握手していく。そして、山ぐみの小枝を差し出し、「おじさん、これあげる」「おいしいよ」と言う。保母さんはもらっていいと言うので、受けとった。やがて、遠ざかっていく子どもたちの合唱の声が聞こえてきた。ソヴィエトの民衆の民族は偏見のなさは、どんな頑(かたくな)なロシア嫌いをも感動させる。
 いい情景ですね。心が温まります。
ノドが乾くと、ロシア人はそこらあたりの雪をほおばったり、雪どけ水を飲む。それを真似すると、必ず下痢してしまう。ロシア人の野性的な生活力には、驚嘆するしかない。
 目の前に次々に立ち現れる人間がみなソ連の否定的な面を語る。
 ピオネールの幸い大きなネクタイをした子どもたちの前で、「同志スターリン、万歳!」と叫ぶと、ひとりの少年が「スターリンは良くないよ」と文句を言った。「なぜ」と尋ねると、「パンが少しだからさ」という答えが返ってきた。
 ユーモラスで、明るい、すぐに誰とでも友だちになる態度は、ロシアの民衆に独特なものだ。一般に古い世代のロシア人は底抜けに善良だ。
収容所のロシア人所長が言った。
 「きみたちがここでやっている民主運動は、全部、無意味だよ、無意味。そして、日本の港に上陸して1週間たったら、そのときこそ、民主運動の意義を本当に理解するだろう」
 収容所当局に迎合して進められている民主運動は一過性のもの、その本当の試練は日本に上陸したときにやって来るだろうというのです。まことにその通りでした。
 著者たちを護送するソ連の警戒兵は、小銃を地面に置き、その上にうつ伏せになって、銃を抱いて寝た。関東軍の形式主義ではなく、ソ連軍の実戦本位がこれひとつでも分かる。
ドイツ軍の捕虜になった経験もあるロシアの囚人は、自分の経験から一番人間らしい民族はイタリア人だと言う。毎朝、自分の方から先に挨拶するし、煙草はいかにもうまそうに吸うし、牛乳があれば大騒ぎだし、いつでも陽気で、女性たちに出会うと、決まってからかう。
 ドイツ人は、むやみに威張るし、世界で一番愚劣な民族だ。アメリカ人は決して労働しない。
オレたちは、まず、何より人間であればいい。ロシアの囚人と日本の捕虜が向きあってるんじゃなくて、ひとりの人間ともう一人の人間が向かい合ってるんだ。
世界で何人かの男が、とんでもない大間違いをしでかした。その間違いのおかげで、オレはヨーロッパに行って働き、キミはシベリアで働くというような馬鹿げたことになった。何人かのアホのほかは世界中、誰ひとりとして、こんな馬鹿げた結果を望みはしなかったのに…。
これは、ロシアで平凡に働く人々の口からよく聞かされた。いわばスラブ民族独特の人生哲学だ。書物からではなく、人生の中からしみ出してきた思想・哲学である。
4年間もの辛いシベリア抑留生活を、このように静かに深く掘り下げた本があったとは驚きです。
1991年5月に第1刷が刊行され、私は2022年3月の第13刷を読みました。
(2022年3月刊。970円+税)

シチリアの奇跡

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 島村 菜津 、 出版 新潮新書
 シチリアの産業界でマフィアに支払うみかじめ料について公然と語るのは完全なタブーだった。
 私は、これは現代日本でも同じだと考えています。大型公共工事で、暴力団に「寄付金」、「地元対策費」「周辺調整金」など、様々な名目で今なおゼネコンはみかじめ料を支払っているのではありませんか…。そして、建設業者の談合はなくなっていないのではありませんか…。
イタリアのマフィアが最初に管理したがるのは選挙。これはマフィアの武器でもある。これまた日本でも似たような状況ではないでしょうか。暴力団と合わせて統一協会の動き(策動)もありますし…。
シチリア島のマフィアは、3200人から6800人と推定されている。人数に2倍もの開きのあるのに驚きますが…。
シチリア島のパレルモ県には1540人のマフィアがいて、15の縄張りに82の組織がある。といっても、組織は3人から10人ほどで、最大でも30人という。シチリア島の人口は480万人なので、5000人のマフィアがいたとしても、1000人に1人でしかない。なのに、シチリア島といったらすぐにマフィアを連想してしまうのは、島民にとっては心外なこと。
この本は、マフィアから取り上げた土地をオーガニックの畑に変え、ワインやオリーブオイルを作るという意欲的な試みを紹介しています。
マフィアはシチリア島でも、キリスト教民主党とともに成長した。シチリア島では、戦後、共産党と社会党が共闘した人民ブロックが90議席のうち29議席を獲得し、農民運動も盛り上がったので、島はほとんど共産化した。これにブレーキをかけたのが、1947年5月1日のメーデー集会を山賊が襲って、11人が亡くなった事件だった。
マフィアはただの殺人集団ではない。表面的には平和な時期にこそ、マフィアは活動している。マフィアは、暴力を行使することで、経済活動を行う組織だ。恐喝、みかじめ料、誘拐の身代金、公共事業の不正入札、違法薬物の密輸、選挙活動への介入など、その活動は多方面に及ぶ。そして、巨万の富を手に入れると、それを資金洗浄することで、金融業界に介入する。純然たる経済組織でもある。
マフィアが人を殺すのは、組織の掟を裏切った者や組織の利益を阻止する者への罰であり、暴力は、その経済活動を動かす燃料だ。
現在のシチリアでは、あからさまな暴力は、すっかり影を潜(ひそ)めた。しかし、マフィアによる闇(ヤミ)の経済規模は1380億ユーロ。国家予算の7%に相当する。その収益の中でみかじめ料が占める割合は16%(2011)。個人商店は月に2万8千円から7万円(200~500ユーロ)、スーパーは月70万円(5千ユーロ)、建設業界で140万円(1万ユーロ)。
そんなマフィアから押収した土地でワインやオーガニックのオリーブオイルをつくって販売しているというのです。
さらに驚いたことに、マフィア大裁判の裁判官の1人であるサグートという女性判事が、なんと、反マフィア法を悪用したとして詐欺の疑いで捕まり裁判中だというのです。いやはや…。そして、この摘発には、盗聴大国イタリアがあるのです。警察の盗聴によって、個人のプライバシーまで、すっかり暴かれてしまうようです。これも、日本も同じ状況なのでしょうか。
シチリア島の現実の一断面を知った思いがする本でした。
(2022年12月刊。820円+税)

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