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カテゴリー: アメリカ

レッドムーン・ショック

カテゴリー:アメリカ

著者 マシュー・ブレジンスキー、 出版 NHK出版
 1957年10月4日、ソ連が世界初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げたと聞いたとき、アメリカ軍のメダリス少将は言った。
 「ロシア人にそんなことができるわけがない。衛星をつくって打ち上げるのが、どれほど難しいか、十分わかってるはずだ」
 メダリスはソ連の技術力を見くびっていた。共産主義は良質な日用品をつくるのには向かないが、科学における画期的な偉業を成し遂げるには理想的な環境だということを多くのアメリカ人は分かっていなかった。
 スプートニクの重さが83キロもあると聞いて、アメリカ軍の関係者は信じられない、間違いじゃないのかと思った。このとき、アメリカ軍で打ち上げが可能なのは、せいぜい1.6キロ程度でしかなかった。
 ホワイトハウスの公式見解は、スプートニクは騒ぎ立てるほどのものではない。しいて言えば、ナチスの技術の功績であり、ソ連の専門知識によるものではない、というものだった。
 しかし、アメリカ政府が共産主義国家の飛躍的進歩をどれほど軽んじようとしても、メディアの判断は違った。スプートニクは、大ニュース、それもショッキングで恐ろしい超ビッグニュースだった。
 アメリカ人は恐怖におののいた。スプートニクを宇宙へと打ち上げたミサイルは、アメリカは絶対に安全だという人々意識を粉々に砕いた。スプートニクに対するアメリカ国民の反応は、無関心から恐れに変わった。国中の人が屋根の上にのぼって夜通し空を見上げ、忌まわしい球体を一目見ようと待ち構えた。夜中の3時に隣近所が勢ぞろいし、心配そうに夜空を見上げていることが珍しくなかった。
 アメリカの記者はアイゼンハワー大統領に質問した。
 「ソ連は人工衛星を打ち上げました。彼らは大陸間弾道ミサイルの打ち上げにも成功したと言っています。どちらも我が国は所有していません。どうなさるおつもりですか?」
 これに対するアイゼンハワーの言葉はあまりによそよそしく、国中を覆っている不安とはかけ離れていた。
 ソ連のフルシチョフも、はじめ、スプートニクが政治の世界にこれほど大きな影響を及ぼすとは思っていなかった。
 10月5日の晩になって、ようやくアメリカに対して大勝利をおさめたことを理解しはじめた。一夜にして、世界にとってソ連が真の超大国となった。金属のボール一個で、ソ連は何十年と言葉を連ねても得られなかった名声を得た。
 スプートニクは、アメリカの同盟国に有形無形の衝撃を与えた。大陸間ロケット(ICBM)は、最終兵器と呼ぶには重大な欠陥があった。それをごまかすためのはったりがつかわれた。
 ソ連のミサイル(ICBM)は先制攻撃に弱く、発射台上にあるとき、アメリカの爆撃機に攻撃されたら、ひとたまりもない。しかし、示威効果は抜群だった。
 1957年11月4日、スプートニクは犬を乗せて宇宙へ飛んだ。生きた犬を乗せていたのだ。実のところ、テリアの雑種犬ライカは、打ち上げ直後に焼き殺されるようにして死んでいた。しかし、ソ連の公式発表では、犬は生きて地球を回っているということになっていた。
アメリカが人工衛星エクスプローラーを打ち上げたのは、1958年1月31日夜のことだった。そして、ソ連は、1961年4月12日、宇宙飛行士ガガーリンが軌道を周回した。ガガーリンの宇宙飛行の成功は、発展途上国に大きな反響を与えた。
 ところが、宇宙で大きな勝利をおさめたソ連は、軍事面で高い代償を支払うことになった。つまり、ICBMは失敗作だったのだ。というのも、アメリカが実用的なICBMを160機ももっているのに、ソ連はわずか4機しかもっていなかった。スプートニクの成功のかげでICBMの開発が遅れていたのだった。
 当時、小学生だった私もスプートニクとかライカ犬とか、ガガーリン少佐の宇宙旅行というのを聞いて胸躍らせた覚えがあります。ソ連って、すごい国なんだと思ったわけです。
 ところが、この本を読むと、アメリカもてんやわんやだったようですが、ソ連のほうは、もっとひどかったようです。それでも、いわゆる一点突破、一点豪華主義でスプートニクの打ち上げ、そしてガガーリン少佐の宇宙飛行には成功したということになります。
 宇宙競争の内実を知り、これって想像以上に政治と生々しく密接な関わりをもっている問題なんだ、と改めて認識させられました。430頁もの大部な本ですが、面白く読み通すことができます。
(2009年1月刊。2500円+税)

ヤバい社会学

カテゴリー:アメリカ

著者 スディーン・ヴェニカテッシュ、 出版 東洋経済新報社
 シカゴに私も二度行ったことがあります。もう20年ほど前のことです。といっても、安全な中心地にしか行っていません。オバマ大統領はシカゴの下町で活動したことがあるようです。オバマはコロンビア大学を卒業して、この本の舞台あたりで地域活動に従事し、ハーバード・ロースクールを出たあと、もう一度シカゴに戻り、シカゴ大学で教えています。
 この本の著者は、シカゴ大学の院生として学びながら、社会学者としてギャングのなかに入って体験調査したのです。この本を読むと、それがいかに危険にみちみちたものか分かります。よそのギャングが車に乗って襲撃してくるし、ケガ人が出ても救急車も警察も来てくれないのです。私なんて、とても著者のような勇気は持ち合わせていません。著者は、蛮勇とも言うべき、向こう見ずの突進リポーターなのです。
 でも、無事に調査が終わってしまえば、これほど面白い体験社会学の本はありません。400頁の本を2時間以上かけて一日じっくり読みとおしました。アメリカのギャングの実情がよく分かる本です。
 著者がシカゴ大学に入ったのは1989年秋のこと。大学のすぐ外は危険地帯。そこはギャングの支配する町なのです。といっても、そこには何万人ものアメリカ人が住んでいるのですが……。
 住民の半分は働いていない。犯罪が横行し、ギャングが大手を振って歩き、生活保護を受ける人は増えるばかり。街角には、うちひしがれた黒人がたむろし、車の窓ふきやヤク売りに精を出し、物乞いをしている。
 ここには、2種類の白人がいる。黒人を見たら殴りかかる白人。そして、家の周りに黒人を見かけたら警官を呼び、警官が黒人を殴りつける。
 ギャングの支配する28棟もの高層アパート群に著者は入っていく。そこには、4400室の部屋があり、3万人が住んでいる。住民の9割が生活保護に頼って生きている。
 無法者資本主義の下で暮らす人びとは、麻薬中毒と暴力沙汰に囲まれて生活している。住民の15%は筋金入りの麻薬中毒であり、25%はときどきやる程度。
 ほとんどのギャングは売春商売には手を出さない。もうからないから。売春婦は扱いが難しいし、ものすごく手がかかる。しかし、ギャングは売春婦を直接に支配はしないけれど、「税金」はしっかり徴収する。売上の10~25%を取り上げるのだ。
 ポン引きのついている売春婦は、客から殴られることも殺されることも少ない。ポン引きのついていない独立系の売春婦は、4倍ほど客に殴られる回数が多いし、この2年間に3人が殺されている。収入の方も、独立系より週に20ドルは多い。ただし、どちらもヘロインやクラックをやる人の割合は高い。
 ギャングは月に1回、週末にバスケットボール大会を催す。だから掃除も行き届くことになる。ギャングのリーダーは、いつも手下やほかのリーダーたちに蹴落とされてナワバリを奪われるのを心配している。
 著者の取材相手となったギャングのリーダー(黒人)は、大学を出ていた。食えないためにギャングになった。ギャングは市会議員も1人1万ドルかけて雇っている。
 ギャングの親玉連中は、みんな同じような格好をしている。新品のジャージ、白いスニーカー、手首や首には、黄金が山ほど光っている。
 たとえば、このギャングには若いメンバーが250人いる。
 対抗するギャングとの抗争が数週間も続くことはない。商売が上がったりになるからだ。
 ギャングでは、担当地域の配置換えや組織変更が頻繁に行われる。原因は、出入りとかの大きい事件ではなく、基本的な経済原理だ。どこかのギャングが弱体化した。お客に十分なクラックを提供できない、やる気のある働き手を雇えない。そんなとき、ギャングの幹部はヤクを売る権利をライバルのギャングに譲ったりする。
 この団地に住む女性たちは、1960年代は公民権運動で戦い、1970年代には選挙で黒人候補を後押しした。コミュニティのために真剣に戦った。ところが、1980年代から90年代になると、ギャングや麻薬、そして貧しさのために暮らしぶりが悪化して、家族をつなぎとめるのに必死になった。住宅当局も警察も腐敗してあてにならず、女性たちは弱体化した。
 警察はギャングたちの稼ぎをねたみ、ときどきギャングを襲い、売上を強奪していった。うへーっ、すごいことが書かれています。
 そんな諸悪の根源であった低所得層の多く住む高層アパート群が取り壊され、ギャングたちも力を失っていくのでした。彼らは一体、その後どこに行ったのでしょうか。大変面白い実地社会学の本でした。
(2009年1月刊。2200円+税)

現代アメリカ選挙の集票過程

カテゴリー:アメリカ

著者 渡辺 将人、 出版 日本評論社
 危機的状況にあるアメリカの建て直しを期待されて登場したオバマ大統領ですが、いろいろと難航して大変なようです。それにしても、日本がいつまでもアメリカ頼みというのは情けない話ですよね。もう少し対等な立場で交渉できるようになりたいものです。首都にアメリカの広大な基地があったり、何千億円もアメリカ軍人のために「贈与」したあげく、日本人女性がアメリカ兵から暴行され続けて、ろくに裁判にかけることも出来ないなんて、まさに屈辱的な状況が続いています。クリントン国務長官が日本にやってきて、アメリカ軍基地をグアムに移転するとき、日本は6000億円を負担することが正式に決まりました。大変な税金の無駄遣いです。例の中川前大臣の国辱もののふるまいの陰に埋もれてしまいました……。早く転換したいものです。
 この本は、アメリカの大統領選挙の実情をつぶさに紹介していて、大変勉強になりました。
 アウトリーチとは、外側の対象に向けて手を差し伸べていくという意味。選挙アウトリーチは、選挙戦の特定の局面に限定されるものではない。現職候補の日常の政治活動から始まり、キャンペーンでは「空中戦」と呼ばれるメディア戦略と、「地上戦」と呼ばれるフィールドでの動員戦略の双方にまたがって、支持層分析から票の取り込みをめぐって包括的に責任を負う活動である。
 アメリカの投票率は、先進諸国に比べて決して高くない。50%程度でしかない。
 アメリカ特有の作業として、有権者登録の促進と手助けがキャンペーンの過程で大切な作業となる。実際に投票所で投票してもらうための努力に選挙当日まで最善を尽くす。投票直前の電話説得(フォーンバンク)や、戸別訪問(キャンバシング)、当日の投票所までの車の送り迎え(ライド)、投票所までの沿道の案内と宣伝(ビジビリティ)、投票所の担当(ポール・ウォッチング)などに陣営はボランティアを投入する。
 このような投票率を上げるための選挙直前の動員作業を、総称してGOTV活動と呼ぶ。
 共和党は、基本的に黒人票を全面的にあきらめることと引き換えに、反黒人感情を持つ白人票の取り込みに成功した。かつて民主党の地盤だった南部は、共和党の地盤へと変貌をとげた。1932年から1986年のあいだに、深南部の民主党支持は、90%から
26%に転落した。
 オバマは、生い立ちからして典型的なアメリカの黒人社会には縁が薄かったにもかかわらず、あえて「黒人」になろうとしたことに特徴がある。
 オバマは、東海岸のアッパー・ミドル階級としての生活に甘んじることなく、あえてシカゴ南部のゲットーの苦悩や、黒人コミュニティの公民権運動の記憶を共有しようと努め、ウッズのように「脱人種」として無色透明でいることを選んだ黒人成功者とはやや違う道を選んだ。
 アメリカの総人口は1990年代に13%の上昇を記録し、依然として上昇傾向にある。2006年に2億9900万人とされている。その内訳は、白人69.1%、黒人12.1%、アジア人3.6%、ヒスパニック起源12.5%などとなっている。アメリカの国勢調査には、「人種」のほか「祖先」という欄まである。エスニック・バックグラウンドとは、みずから規定するものということ。「祖先」のなかではドイツ系としたものが一番多く、15.2%。
ユダヤ系は集団単位で民主党を支持しており、その民主党支持率は現在に至るまで高い割合を保っている。ユダヤ系は、アイルランド系やイタリア系のように経済的成功に比例して共和党に鞍替えするという傾向はまったくない。ユダヤ系の大多数は民主党支持のままリベラルな政策を好み続ける。ユダヤ系の少なくない人が、20世紀初頭の左翼政党の結党の駆動力となった。共和党に親しみを持つユダヤ系は若い層であり、高齢者層の民主党支持は9割を下回ることがない。
 プロテスタントに比べると、カトリックでは有権者人口では全体の4分の1を占めるに過ぎないが、共和党、民主党の双方に激戦州で拮抗した際に、勝敗を左右する重要な選挙民集団であると考えられている。カトリックは、共和党と民主党の両方に支持が分散しており、選挙や候補者、争点によって支持の方向性が揺れる。特定の党や候補者を半永久的に支持するということはしない。その裏返しとして、アウトリーチ次第で、いかようにも候補者への評価が逆転する可能性のある融通性の高い投票集団である。
 2004年の大統領選挙の結果、白人の年収3万ドル以下の層であっても、週に1度は宗教的な行事に参加する層は、共和党に圧倒的に多く投票した。
 年収15万ドルを超えている高所得の白人でも、宗教には一切関与しないと回答した人は圧倒的に民主党である。このように、教会によく通う低所得の人のほうが、同じように教会によく通う高所得の人よりも民主党寄りである。教会にまったく通わないというグループのなかでも、高所得者層のあいだでは共和党が支持を集めた。
 この集団・グループはこのような傾向をもっているから、こんな方法でやってみよう。そのように、きめ細かく分析対象をあげて、それぞれに最善と思われるアプローチで攻めていくのがアメリカの選挙運動です。それにしても、日本の戸別訪問禁止規定は、そろそろ廃止してもいいのではないでしょうか……。だって、戸別訪問が買収、供応の温床だというのですよ。それって、まったく根拠がないことではありませんか。
(2008年7月刊。3600円+税)

テロの経済学

カテゴリー:アメリカ

著者:アラン・B・クルーガー、 発行:東洋経済新報社
 著者の研究の一つは、テロリストは必ずしも「貧しく、教育を受けていない人たちではない」ということです。私も、その点については、あまり異論はありません。ある程度の教育を受けた人の方が、世の中の不公正さに対する怒りを強く感じ、それを行動に移す確率も高いと思うからです。ところが、この本には、その視点が弱いように思いました。その点に不満はありますが、テロリストの実像について、科学的に実証しようとした点は評価できると思います。
 物質的な貧困や、不十分な教育がテロリズム支持とテロ行為への参加をもたらす重要な原因であるという仮説は、ほとんどの証拠において否定されている。
 それは、そのとおりかもしれません。しかし、ここには、格差、不平等の視点が欠けています。みんながおしなべて貧乏であれば、みんな我慢するし、我慢できるのです。しかし、腹ぺこの人の前に腹いっぱい食べて贅沢している人がいたら、腹ぺこの人の中に我慢できず暴発してしまう人が出てくるのは必至でしょう。
 アルカイダのメンバーの35%が大学卒であり、かつ、熟練を要する職業層の出身が45%もいる。ほとんどのテロ組織は、エリート集団出身者で構成されている。そういえば、ロシア帝政時代のテロリストたち(たとえばデカブリスト)は、みな大学生か大学出身者であり、その多くは貴族の子弟でした。
 ただし、アイルランド共和国軍(IRA)は、教育水準が低い。
 ほとんどの場合、テロリストは生きる目的をなくした人ではない。逆に、彼らは、そのために死んでもよいと思うほど、何かを深く信じている。
 テロ攻撃の88%は、実行犯の出身国で起きている。ほとんどの国際テロリズムが、実際は地域的なものである。事件の9割は、実行犯の出身国とテロ攻撃のおきた場所は同じだった。テロリストと、その犠牲者は同じ国の出身であることが多い。
 イギリス・ロンドンでのテロ攻撃に従事した7人の男性と1人の女性のうち、5人は医師であり、1人はエンジニアだった。
 日本語のタイトルは適切ではないように思います。テロリストについて分析した本ですから……。それにしても、自爆テロはなくす必要がありますよね。そのためには、若者たちが、なぜ、こんなにも自爆テロに走ってしまうのか、もっと真剣に考え、対策を講じるべきだと痛切に思います。
(2008年8月刊。2000円+税)

チェ・ゲバラ、ふたたび旅へ

カテゴリー:アメリカ

著者:エルネスト・チェ・ゲバラ、 発行:現代企画室
 チェ・ゲバラがキューバ革命戦争に参加する前、南アメリカから中部アメリカを旅行した時の日記が再現されています。いかにも青年らしい無鉄砲な旅の日記です。
 旅は、1953年7月に始まります。
 ありとあらゆる種類の失敗をやりつくし、相変わらず無駄な期待ばかりさせられている。ぼくは間違いなく楽観的運命論者タイプだ。最近はぜん息に悩まされて過ごしている……。
 怠惰という、ぼくの悪癖がたいして改善されないまま、また一日が過ぎた。
 チェ・ゲバラは1955年7月末、メキシコ・シティでフィデル・カストロに出会いました。このときのことを日記に次のように書いています。
 政治的な出来事といえば、キューバ人革命家のフィデル・カストロに出会ったこと。若くて聡明で、非常に自信家であり、普通では考えられないような勇敢さをもった青年だ。お互いいに気があったと思う。
 この本には、旅行中にゲバラ自身が撮った写真、そしてゲバラの写った写真がたくさん紹介されています。ゲバラのとった写真を見ると、ゲバラが中南米の古代歴史に深い関心を持っていたことが分かります。また、写真のゲバラは本当に好青年です。眼が輝いています。知的魅力にあふれています。幼いころからのぜん息もちだったので、それが悩みだったようです。
 母親への手紙のなかで、ゲバラは次のように書いています。
 知ってのとおり、ぼくはいつでも思い切った決断をするのが好きで、……。ぼくのアメリカ嫌いは1グラムも減っていないけど、ニューヨークぐらいはよく知っておきたいですね。それでどういう結果になるかなんてぜんぜん恐くないし、絶対、入国するときと同じくらい反ヤンキー主義のままで出てきますよ(もし入国できればの話だけど)。
 次は、友人に対する手紙です(1956年10月)。
 だいぶ前に、何人かの革命キューバ人青年たちに、ぼくの医学の知識で運動を支援してくれないかと誘われたので、引き受けました。なぜって、今さら言うまでもないことだと思うけど、これこそぼくがやりたかった仕事なんです。
 先日、福岡でチェ・ゲバラを描いた映画の第一弾を観ました。キューバ革命戦争に従事し、山の中のゲリラ戦が次第に勝利していき、ついに町に攻め込み、ついに首都を開放していく過程をたどっています。戦闘場面が多く、ゲバラの内面の紹介が少ない気はしましたが、困難なゲリラ戦のなかでも本を読んで学習を忘れないゲバラはさすがでした。
 そして、印象深いのは、キューバ解放後、ニューヨークの国連本会議場での演説シーンです。「祖国か死か」と叫んで演説は終わるのですが、そのあと、中南米各国代表から批判されます。それに対して、ゲバラが一つひとつ冷静に的確な反論を展開していくのです。見事なものです。すごいなと思いました。
(2008年9月刊。933円+税)

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