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カテゴリー: アメリカ

天空の帝国、インカ

カテゴリー:アメリカ

著者  山本紀夫  、 出版  PHP新書   
 いま、日本人が一番行きたい世界遺産として、マチュ・ピチュ遺跡をふくむインカ帝国がある。
 本当にそうですよね。私も行きたいと思いますが、高山病そして言葉、なによりその遠さに怖じ気づいてしまいます。先日は、大雨で土砂崩れが起きて途中の列車が不通になりましたよね・・・。ですから、私は、本と写真でガマンするつもりです。
 マチュ・ピチュの発見は1911年のこと。いまからちょうど100年前だ。
 マチュ・ピチュは第9代インカ王のパチャクティの私領(郊外の王宮)であることが分かっている。そこに居住していたのは、せいぜい750人ほど。インカ帝国が栄えていたのは、日本でいうと室町時代。インカ帝国はアンデス文明を代表するが、その最盛期は15世紀からわずか100年ほどでしかない。
 アンデス高地の住人は低地に行くのを好まない。低地には蚊がいるし、蛇もいる。肉などの食べ物もすぐに腐り、ハエがいてウジがわく。それにひきかえ、高地は健康地だ。
 インカ帝国にとってきわめて重要な作物が二つある。その一つはトウガラシであり、もう一つはコカである。インカ時代、コカは生産も消費も国家がコントロールしていた。
ジャガイモの起源地はチチカカ湖畔を中心とする中央アンデス高地である。
 インカ時代、トウモロコシは酒をつくる材料として大量に利用されていた。
インカ時代、灌漑技術はすすんでいた。それにスペイン人は驚いていた。そして、インカでは大規模に階段耕作していた。
インカ帝国の生活を大いにしのぶことができる本でした。
 それにしても、もっと近ければ、ぜひ行ってみたいところですよね。
(2011年7月刊。720円+税)

アフガン諜報戦争(上)

カテゴリー:アメリカ

著者    スティーブ・コール 、 出版   白水社
 1980年代後半から1990年代初めにかけて、ソ連占領軍やアフガンの共産主義者と戦う盟友として、アメリカのCIAはマスードとそのイスラム・ゲリラ組織に月20万ドルもの現金および武器などの物資を注ぎ込んでいた。
 そうなんです。今、アメリカが敵とするアフガニスタンのイスラム・ゲリラ組織は、元はと言えばアメリカが大金を注ぎ込んで育成したものなのです。
 1986年、CIAはアフガニスタンの戦場にスティンガー・ミサイルを持ち込んだ。CIAの供給を受けたアフガン反乱軍は、1986年から89年にかけて、スティンガーによって多くのソ連軍ヘリコプターと輸送機を撃墜した。そして、ソ連軍が撤退したあと、テロ組織やイランのような敵対国が出回っているスティンガーを買い付け、アメリカの民間旅客機や軍用機に向けて使うのではないかとCIAは思い悩んだ。
 戦争中、CIAは2500近くのミサイルをアフガン反乱軍に提供した。その多くが反過激派イスラム指導者とつながる司令官たちに渡ってしまっていた。イランも数基を手に入れた。
 そこで、ブッシュ(父)大統領とクリントン大統領は、CIAに対して可能な限りスティンガーを現在の所有者から買い戻すよう命じた。
 1990年代中頃、CIAがスティンガーの買い戻しに支出した金額は、同時期にアメリカ政府の他部局がアフガン人道支援に注いだ総額に匹敵した。スティンガー買い戻しは、空の安全を向上させたかもしれないが、アフガンの町や村を破壊している軍閥に多額の現金を与えることにもなった。
 ウサマ・ビンラディンの父親のムハンマド・ビンラディンは1930年代から40年代にかけて、建設業をつくり上げた。家を建て、道路をつくり、会社やホテルを建設し、サウジ王室との関係をもつくりあげた。ビンラディンは何人もの妻をめとって、50人の子どもをもうけた。
 サウジアラビアのサウド国王そしてファイサル国王のもとで、ビンラディンの建設会社はサウジ有数の請負業者になった。友人であり、事業上のパートナー、政治的盟友だった。
 ファサル国王はムハンマド・ビンラディンを公共事業相に任命した。国王の後援によって、ビンラディン家は王室の明白な支援を手にし、建設事業で数十億ドルの富を確実に得た。
 1992年にアフガニスタン国内に存在した個人用兵器は、インドとパキスタンの合計よりも多かった。過去10年間にアフガニスタンに運び込めれた兵器数は、世界中のどの国より多かったという推定もある。ソ連はアフガニスタン共産革命の当時から、360億ドルから480億ドル相当の軍用物資を送り込んだ。同じ時期にアメリカ、サウジアラビア、中国が送った支援の総額は60億ドルから120億ドル相当だった。
 海外でのCIAのスパイ作戦や準軍事作戦は秘密裡に執行され、アメリカの国内法廷の検討対象にはならない。CIA工作員は、情報収集のために常習的に海外大使館に忍び込んだ。CIAはアメリカの敵の内部情報を得るために、軍閥や人殺しにお金を払った。CIAがこうして集めた情報は、アメリカの法廷では証拠として使えないことが多かった。
 タリバンの軍事力が成長するにつれて、タリバン指導者とサウジアラビアとの接触の幅と深さも成長した。サウジ情報当局は、パキスタンのISIと密接な直接の関係を保っており、ベナジル、ブット文民内閣との接触を省略することができた。
 1996年1月、CIAのテロ対策センターは、ウサマ・ビンラディンを追跡する新しい部門を開設した。CIAは、これまで一人のテロリストのために、こんな編成をしたことはなかった。
 タリバンがカブールを占領したころ、反ソ戦争中にCIAが配布したスティンガー・ミサイル2300発のうち600発が行方不明のままだった。CIA担当者は、イランは100発のスティンガーを買い入れたと推定した。
 売り手が売り惜しみするので、スティンガー・ミサイルは一式で7万ドルから15万ドルまではね上がった。タリバンがカブールを占領したあと、CIAはタリバン指導部からスティンガーを直接買い戻す方針を決めた。当時の相場でCIAがタリバンの所有するスティンガーを全部買い取ると、タリバンは800万ドル近い現金収入を保つはずだった。
 1996年秋に、アメリカがタリバンを味方と見ていたのか敵と見ていたのかは明確ではない。アフガニスタンにおけるアメリカ、とりわけCIAの暗躍がよく描かれています。しかし、アメリカには民衆の平和と安全、福利の向上のためにはどうあるべきかという視点がまったく欠落しています。アメリカはすべてを軍事力に頼ろうとしていますが、それでうまくいくとはとても思えません。
(2011年9月刊。3200円+税)

オバマの戦争

カテゴリー:アメリカ

著者  ボブ・ウッドワード  、 出版  日本経済新聞出版社  
 アメリカのイラク侵略戦争は、まったく間違った戦争でした。たとえフセイン元大統領が圧制をしいたとしても、軍事力によって力づくで抑えこむなんて最低です。おかげで、あたら有為のアメリカ人青年が何千人もイラクで亡くなりましたし、なにより、その何十倍もの罪なきイラク人が殺されてしまいました。
 そして、アフガニスタンへの進出です。アメリカは、いつまで世界の憲兵役を気でるつもりなんでしょうか。軍事力に頼らず、平和外交こそを強めて欲しいものです。ノーベル平和賞が泣きます。そのオバマ大統領も、この本によると、アメリカを抑えこむのには苦労しているようです。軍人というのは、とかく強がりを言いたがり、また、最新兵器を欲しがります。軍人まかせにしておくところ、ろくなことにならないのは、戦前の日本で立証ずみなのですが・・・・。
 取材するとき、先方がオフレコだということがある。他の情報源から同じ情報を得られないときには使ってはいけないということを意味する。ほとんどの場合、他から情報が得られたから使うことができた。なるほど、オフレコって、そういうものなのですね。別に裏付けを取ればいいのですね。
 連邦ビルのなかに、秘密保全措置をほどこした密室がある。枢要区画格納情報施設と呼ばれる。盗聴を防ぐために設計された部屋で、窓はない。監禁部屋のようで、閉所恐怖症を起こしそうになる。そんな部屋になんか入りたくありませんよね。
 パキスタンは、アフガニスタンにおけるアメリカの同盟国だが、表裏がある。嘘は日常茶飯事だ。パキスタン軍の統合情報局(ISI)には、6重ないし7重の人格がそなわっている。
 北朝鮮の指導者たちは狂信的だ。その政権と交渉しようとすると、ブッシュ政権の轍を踏むことになる。交渉、いい逃れ、危機拡大、再交渉のくり返しになる。北朝鮮は口先ばかりで、嘘をつき、危機を拡大させれば、交渉を決裂させると脅し、また交渉しようとする、そういう仕組みになっている。
 アルカイダ幹部を無人機で殺せば、アルカイダの計画・準備・訓練能力に甚大な打撃を与え、テロ対策上は大勝利とみなされる。しかし、無人機による攻撃は戦術的なものであり、戦況全体を変えることにはならない。たとえ大規模空襲を行っても、戦争には勝てないというのは、第二次大戦やベトナム戦争で得た最大の教訓である。
 アフガニスタンのカルザイ首相は、情報によれば、そううつ病と診断されている。気分がころころ変わる。
 アフガニスタン国民のことをアメリカ軍はほとんど理解していないことが分かった。恐怖を広めて威圧するタリバンのプロパガンダが住民にどれほど影響を与えているか、軍には判断できていなかった。
 42カ国の連合軍の兵士たちは、一般のアフガニスタン人と隔離するように造られている基地で生活している。住民との接触が不足しているため、街で何が起きているのか、把握できていない。現地人の通訳をたくさん確保しなければならないが、数十億ドルと兵士十数万人を投入してもなお、十分に確保できていない。
アルカイダは、タリバンに寄生しているヒルだ。タリバンの力が強まれば、ヒルの力も強まる。
タリバンの組織内は決して一枚岩ではなく、いくつものレベルから組織は成り立っている。筋金入りの主義者は上層レベルで5~10%、これは撃滅する必要がある。次が中級で、15~20%。主義に打ち込んでいる理由はさまざま。説得は可能かもしれないが、なんとも言えない。タリバンの70%は下っ端の兵隊であり、食べるための手段だったり、外国人を国外へ追い出せるという理由から参加している。読み書きもきちんとできない教育程度の低い若者たちだ。
 アフガニスタンにとっては、パキスタンの演じる役割が決定的だ。パキスタンがアフガニスタンのタリバンの指導者たちをかくまい、安全地帯を提供しているあいだは、アフガニスタンでの成功は不可能だ。
 アフガニスタンは、イラクより数百倍も困難だ。民族もさまざまなら、文化も多様で、識字率ははるかに低く、地形が険しい。
 アフガニスタン政府が犯罪組織にひとしいことは、アメリカ政府も分かっている。しかし、アメリカ軍は治安を改善し、主導権を取り戻さなければならない。腐敗とアフガニスタンの警察も、鎖の輪のもろい部分だ。アメリカの存在そのものがアフガニスタンに腐敗を招いている。
開発プロジェクトを扱う民間業者は、すべて保護してもらい、道路をつかわせてもらうためにタリバンに賄賂を使っている。つまり、アメリカと、その連合軍のお金がタリバンの資金源になっている。そのため開発、道路の往来、兵員が増えると、タリバンの実入りも増える。
アフガニスタンの警官の80%が読み書きができない。そして、麻薬中毒もあたりまえ・・・・。イラクとは違って、石油などの国家的権益がほとんどからんでいないアフガニスタンは、ブッシュ政権下の8年間なおざりにされ、アフガニスタン戦争は「忘れかけている戦争に」なっていた。
政府が軍人のいいなりになっていいことは一つもないように思います。
(2011年6月刊。2400円+税)

100年の残響

カテゴリー:アメリカ

著者    栗原  達男  、 出版   彩流社
 西部の写真家、松浦栄。こんなサブタイトルのついた写真集です。
 松浦栄は、明治6年(1873年)に東京は向島で生まれ、27歳のとき単身アメリカに渡った。シアトルに上陸し、西部にあるオカノガン峡谷で町の写真家となった。1913年、惜しくも39歳の若さで独身のまま病死した。
 松浦はインディアンと親しくつきあうためにチヌーク語(フランス語、英語、インディアン語の混合語)までマスターした。
 100年前、すでにアメリカの人々は野球場でプレーしていた。インディアンの居住するティピが近くに林立する中で、人々が野球に打ち興じている写真があります。
 今はさびれ果てた小さな町ですが、当時は銀山景気にわいていたようです。
 当時、すでに絵ハガキが売られていたのには驚きました。そして、フランク松浦のとった写真が、今、町のあちこちで建物の壁を大きく飾っています。町の人々にとっても100年前の風景はなつかしいものなのです。なんと100年前の建物がそのまま残っています。
 メインストリートで人々が大勢あつまって競馬を楽しんでいる写真があります。屋根の上にまで見物する人々が鈴なりです。インディアン一家が8人の子どもと一緒におめかしして馬車に乗って出かけている、そんなのどかな光景も撮られています。
 ビリヤード店の外側に男たちが18人もずらりと並んで腰かけている様子は壮観です。
インディアンの住むティピ(テント)が円形にずらりと囲むキャンプ地の遠景写真は一見の価値があります。それだけインディアンの人々と仲良くなっていたのでしょうね。
 100年前のアメリカ西部の様子を伝える貴重な写真集です。
(2011年7月刊。3800円+税)

ゲーリー家の人々

カテゴリー:アメリカ

著者   フランク・J・ウェブ   、 出版  彩流社  
 アメリカ奴隷制下の自由黒人というサブタイトルがついています。1857年にイギリスは、ロンドンで出版されていた本です。著者はアメリカ・フィラデルフィア生まれの自由黒人。
 自由黒人とは、奴隷ではないが、アメリカ市民でもなかった。自由黒人は、アフリカから奴隷として連れてこられた人々やその子孫のうち、主人からの解放によったり、自らを買い上げたり、または法律の施行などにより、奴隷の身から開放されたアフリカ系の人々をさす。1790年に実施された初の国税調査によると、黒人の総人口は76万人ほど、うち自由黒人は6万人だった。70年後の1860年には49万人になっていた。
 自由黒人の多くは、白人と黒人との婚外婚による混血だった。白人たちは一滴主義を説き、かなりの量の白人の血が流れていても、一滴でもアフリカ系の血が流れていれば、黒人扱いをし、自分たちの同胞とは認めなかった。また。また母が奴隷である場合は、その子どもは父の人種にかかわらず奴隷とし、黒人と呼んだ。一滴でもアフリカ系の血が混じった兄弟は、白人社会の市民として受け入れられなかった。
 だから、見かけはまったく白人であり、話していても白人そのものであっても、黒人という人たちがいたわけです。この本は、そのことにともなう悲劇も描かれています。
 自由黒人に対する憎悪は、やがて彼らを擁護する奴隷制度廃止論者である白人への迫害としてもあらわれた。1834年8月、白人暴徒たちがフィラデルフィアの黒人地区に行進し、さまざまな暴力をはたらいた。この本は、この暴動事件を背景にして展開していきます。
1852年、ストウ夫人が『アンクルトムの小屋』を出版し、大ベストセラーになった。
この『ゲーリー家の人びと』は、アメリカ社会が見て見ぬふりをしてきた自由黒人の日常を初めて描いている。この本はアメリカではなくイギリスで出版され、イギリス国内ではなかなかの評判をとったが、アメリカでは何の反響もなかった。
人間を奴隷として使って何ら恥と思わないアメリカ市民がついこのあいだまでいたのですよね。そして、不当な差別がまかり通ってきました。その意味では、オバマ大統領の誕生は画期的です。しかし、オバマさんも次期再選へ向けては苦戦しているようですね。イラク、アフガニスタンへの侵略戦争は許し難いものですが、国内経済の立て直しに四苦八苦しているようです。
『リンカン』伝を読んだばかりなので、アメリカにおける黒人差別歴史の深刻さを再認識させられました。
(2011年1月刊。3500円+税)

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