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カテゴリー: アメリカ

Z世代のアメリカ

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 三牧 聖子 、 出版 NHK出版新書
 アメリカの大統領選挙の投票日も間近となりました。「もしトラ」が万が一にも実現したら、本当に世の中、お先、真っ暗ですよね。私からすると、トランプなんて、見かけ倒しのインチキ不動産ブローカーにしか思えないのですが、プアホワイトが熱狂的に信奉しているようですね、怖い現象です。
 さて、Z世代とは何か…。1997年から2012年のあいだに生まれた世代のことです。
 現在、アメリカの人口の2割を占めています。
 Z世代は、アメリカの強さよりも弱さを、その善なる部分より悪しき面を存分に見て育った世代。そして、戦争なんか、もうコリゴリという反戦感情を抱いている。
 アメリカによる「テロとの戦い」のために、過去20年間でアメリカが軍事作戦を展開した国は80ヶ国に及び、支出した費用は880兆円(8兆ドル)。そして、死亡した米兵は7千人。敵対する兵士や民間人を含む全世界の死者は90万人をこえる。
 トランプは、今後はただひたすら国益を追求する、「アメリカ第一」で行くと宣言した。トランプは、「例外主義」を放棄した大統領。
 Z世代は物心がついてから、ずっと、お金がものを言う政治を見せつけられてきた。
 アメリカの社会保障制度や政治システムに関して「誇りに思えない」と回答する割合が6割をこえている。これって、Z世代に限らない割合です。それもそうですよね。アメリカには国民皆保険制度が今もなく、それを主張すると、「アカ」呼ばわりされるのですから…。
 さしずめ、ヨーロッパはフランスもイギリスも、トランプからすると「アカ」の国になってしまうのです…。おかしな話です。
 「他国への軍事介入はアメリカをより安全にするか?」という問いに対して、「安全にならない」と回答した人が40%にのぼるとのこと。アメリカ人も良識のある人も少なくないのですね、ちょっぴり安心しました。
 ロシアのプーチン大統領にとって、トランプの主張するような、アメリカが「例外主義」を放棄して「アメリカ第一」を掲げて内向きになることは、周辺国に領土や勢力圏を拡張したいので、望ましいこと。だから、トランプはプーチンと仲が良いのですね。
 アメリカでは、上位10%の世帯が国の富の72%を保有し、下位90%の世帯は国全体の富の2%しか持たない。格差は広がり、ますます固定化している。
 トランプ大統領の下で司法の保守化がすすんだ。これは「永久保守革命」とも称される。
 2022年の中間選挙でZ世代の連邦議員が初めて誕生した。マクスウェル・フロストという。
 アメリカのZ世代の活躍ぶりを知ることができました。日本では、Z世代は団塊世代2世が該当するのでしょうか。アメリカに比べて少々、活力が感じられませんね…、残念です。でも、決してあきらめているわけではありません…。
(2023年7月刊。930円+税)

「カサブランカ」、偶然が生んだ名画

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 瀬川 裕司 、 出版 平凡社
 映画「カサブランカ」は、史上屈指の人気作品の一つ。
 酒場で、ナチスの将校たちがナチ賛美の歌をうたって気勢をあげるのを、くやしそうに下をうつ向いて指をかんでいた男たちが、誰かがフランスの愛国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌うと、その場にいたナチス将校以外の全員が立ち上がって歌い出し、ついにナチス将校を圧倒するという感動的な場面は忘れようがありません。
著者は18歳のときに初めて観たあと、なんと1年間で10回以上も観たとのこと。ええっ、どうしてそんなことが可能だったのでしょうか、それほどロングラン上映されていたのですかね…。
 この本は映画「カサブランカ」が出来あがるまでが、これでもかこれでもかと言わんばかりに、きわめて詳細にその経過をたどっています。
 まず、脚本です。その原作を誰が書いたのか、そして、それにもとづいた脚本は誰が書いたのか…。原作を書いたのは、バーネットとアリスンという男女。そして脚本は、何人もの手が加わっている。アメリカ映画って、すごい人数が関わってつくられるということを知りました。
 まずは、マッケンジーとクライン。そして、エプスティーン兄弟。次いで、ハワード・コッチ。それからケイシー・ロビンスン。これら脚本家全員が、映画が完成して高く評価されたあと、あの高く評価された部分は自分のアイデアだと主張したというのです。それぞれ、すごいプライドです。
 そして、1942年5月から撮影開始。ところが、脚本はまだ完成していなかった。それでも、ハンフリー・ボガードとイングリット・バーグマンは初日から撮影に参加した。
 この夏、ワーナー映画のスタジオでは、ほかに6本の映画の撮影が進行していた。「カサブランカ」は、そのなかで高額の資金が投入された作品ではなかった。製作費103万ドルだったが、別に264万ドルとか150万ドルというのもあった。
 「カサブランカ」が全国公開されたのは1943年。そして翌1944年にアカデミー賞作品賞を受賞した。
 リック役のハンフリー・ボガードはギャングや悪徳弁護士など悪役専門の俳優だったそうです。ところが、戦争が始まってからは、ナチを倒すタフな男の役を演じるようになりました。戦後は、ハリウッドの赤狩りに反対する委員会のメンバーとして活動しています。
 そして、イルザ役のイングリッド・バーグマンは、「カサブランカ」を代表作とは認めないと高言していたとのこと。ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」こそ代表作だとしたのです。
 それにしても、この映画に関わった主要メンバーの多くがユダヤ系というのには改めて驚かされます。ハリウッドに多いのは「アカ」と「ユダヤ」だという「非難」はあたっているのですね…。もちろん、こんな「非難」は間違っています。能力ある人は、誰であろうときちんと評価すべきなのです。
 よくもまあ、ここまで調べ上げたものだと驚嘆しながら読了しました。
(2024年5月刊。3400円+税)

原爆(上)(下)

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ディディエ・アルカント(文)、ドゥニ・ロディエ(絵) 、 出版 平凡社
 フランスの真面目なマンガ本です。映画「オッペンハイマー」と同じく、アメリカの原爆開発の過程をマンガによって視覚的に明らかにしています。日本の物理学者である仁科(にしな)芳雄な登場するのは意外感がありました。日本の原爆研究・開発がそれほど進んでいたとは思えないのですが…。
 それより驚いたのは、「森本」という架空の人物が登場し、その息子2人が戦死するという状況も描かれていることです。この「森本」は、今も銀行の階段に黒々とした「影」が残っていますが、その「影」の持ち主、つまり原爆が投下されたときに銀行の階段に腰をおろして休んでいた人物とされていることです。なるほど、そうなんですよね。原爆投下によって一瞬のうちに何万人もの人々が蒸発したように亡くなったわけですが、その人たちはみんなみんな、それぞれの人生を過していたわけです。それが原爆によって一瞬のうちに消滅させられたのです。
 原爆開発にはナチスも取り組んでいました。そして原料となるウランの争奪戦も水面下で激しくたたかわれていました。
 アフリカのベルギー領コンゴがウランの原産地です。ノルウェーの山中にドイツは「重水」の生産工場があるので、連合国軍は特殊部隊を派遣して爆破しようとしましたが、悪天候のせいで見事に失敗してしまいました。
 下巻では、いよいよ原爆の人類初の爆発実験の様子が描かれます。映画でも緊張の瞬間でした。放射能汚染の怖さを誰も知りませんから、ゴーグルで目を保護するくらいで、防護服を着た人は誰もいません。
 実験があったのは1945年7月14日未明のこと。実験が「成功」したとき、アメリカ軍の将校はこう言った。
「我々は戦争に勝つ。日本に1.2発落とせば、終わる。よくやった」
8月6日に広島、そして8月9日に長崎に原爆が落とされ、日本は8月15日に無条件降伏しました。なので、原爆が日本敗戦の決め手になったのは間違いないでしょう。でも、多くの日本人は「新型爆弾」と呼ばれた原爆のことを十分に知らされず、また、広島・長崎の惨状も共有化されませんでした。
それは戦勝国アメリカ人にとっても同じです。原爆の悲惨さ、そのケタ外れの威力について認識を深めることはありませんでした。各戸の地下室に「シェルター」をつくる動きがあらわれたのは、その象徴です。原爆は「シェルター」をつくったくらいで被害を回避できるというものではありません。ところが、政府・当局は、それを知ったうえで、知りながらも「核シェルター」づくりを現在でも推奨するのです。おかしなことです。
映画「オッペンハイマー」には、原爆投下による広島・長崎、悲惨な状況が一切描かれませんでした。しかし、この本には銀行の階段に腰かけていた「森本」をはじめ、都市全部が消滅した状況が視覚化されています。マンガ「はだしのゲン」はとてもよく描けたマンガだと思います。ところが、子どもには残酷すぎると称して読ませないところ(学校)もあるとのこと。信じられません。大判のずっしりしたマンガ2冊です。図書館に備え置いて、誰でも見れる、読めるようにしたいフランス産のマンガ本です。
(2023年7月刊。(3800円+税)×2)

ジェーンの物語

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(霧山昴)
著者 ローラ・カプラン 、 出版 書肆侃侃房
 映画のほうは見損なってしまいましたので、本を読みました。アメリカの1970年代初め、まだ妊娠中絶が違法とされていたころ、シカゴの女性たちが「ジェーン」と名づけられた非合法の組織をつくって、中絶を援助した実話を掘り起こして紹介した感動的な本です。
 4年あまりの活動期間に1万1000人の女性を援助して中絶を成功させたとのことです。そして、この「ジェーン」に関わった女性は100人超です。本当に大変なことだったと思います。警察に摘発されてブタ箱(警察署の留置場)に入れられた女性も7人いますが、結局、裁判にはなりませんでした。アメリカの連邦最高裁のほうが、中絶を違法とする州法を無効と判断したからです。
4年あまり活動して「ジェーン」は解散したのですが、中絶は違法とされていたので、記録は意図的に残していない。捜査の手が入ったときに芋づる式に検挙されることを恐れたから。それを著者がインタビューして明らかにしていったのです。
当初の中絶費用は600ドル。1ドル100円としたら6万円です。けっこうな値段ですが、それは、ともかく、安全に中絶してくれる医師を確保するのは大変でした。
 「ジェーン」が依頼していた「医師」は、実は医師免許をもっていないというのが、途中で判明しました。それでも、腕はいいので、続行しました。そして、やがて、その「医師」から中絶技法を学んで、「ジェーン」の女性たち自身が中絶手術をするようになったのです。
中絶を依頼してくるのは、若い人から年輩まで、そして白人も黒人も、いろいろ、裕福な女性も貧困層もいました。なかには、妻や娘を送り込んでくる警官たちもいたのです。決してオトリ捜査ではありませんでした。
 中絶反対派は、「赤ちゃん殺し」と叫びますが、「ジェーン」に関わった女性は、「胎児は人間ではない」と考えました。それより、目の前の女性を助けることにしたのです。
「ジェーン」は決して中絶を推奨したのではありません。
中絶の最初の段階として、過剰出血を防ぐため、エルゴトレートを筋肉注射する。スペキュラムを膣に挿入し、子宮の入口を筋肉でできた子宮頸部を露出させ、膣と子宮頸部を殺菌剤のベタジンでぬぐう。次に、子宮頚管の周囲に麻酔薬のキシロカインを注射して子宮の拡張がもたらす痛みを鈍らせる。子宮頚管の硬く締まった筋肉を拡張させ、柔軟な金属でできているゾンデで子宮頚管の向きを確認してから、拡張器を子宮の開口部である子宮頚管に挿し込み、子宮内に器具を挿入できるようになるまでゆっくりと拡張する。いずれも注意深く慎重にやる。拡張が終わったら、小さなスポンジ鉗子を子宮に入れ、胎児と胎盤を少しずつ取り出す。取り除けるものを取り除いてから、中空のスプーン状のキュレットを使って、子宮内膜をきれいに掻き出す。鉗子とキュレットを代わるがわる用いて、この手順を繰り返す。子宮壁がきれいになって中絶が完了すると、キュレットが子宮膜をこする音は、親指で口蓋をこするのと同じような音になる。
この中絶のプロセスで痛みを伴うのは、ほぼ空になった子宮が収縮して器具にあたる最後だけ。中絶には魔法のようなものはなにもない。その手法は非常にシンプルなもの。
中絶したあと、出産後と同じように、ホルモンレベルの急激な変化がうつ病の引き金になる可能性があるようです。でも、それ自体が生命の危険をもたらすわけではありません。
この本の「ジェーン」に関わった女性は、どうやら私とほとんど同世代(戦後生まれの団塊世代)か、少しだけ上の女性たちのようです。その勇気と行動力に圧倒されました。
いったい、日本はどうなっているのでしょうか。そう言えば、ごく最近、フランスでは、憲法に女性は中絶できる自由のあることが明記されたのですよね。すばらしいことですね。
自民党や公明党はいまだに選択的夫婦別姓すら認めようとしませんし、憲法改正に躍起になっていて、国民の権利を制限する方向の議論しかしません。本当に残念です。
読んで勇気の出る、いい本です。ご一読をおすすめします。
(2024年4月刊。2500円+税)

イーグル・クロー作戦

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ジャスティン・ウィリアムソン 、 出版 鳥影社
 1979年11月、イスラム革命の真っ只中にいたイラン国民は、その怒りの矛先をテヘランのアメリカ大使館に向けた。
 アメリカは、それまで何十年もイランとは友好的な関係にあった。しかし、イスラム革命によって、パーレビ国王を追放したイラン革命は、ホメイニー師が帰国してクライマックスを迎えた。イランを脱出したパーレビ国王は、病気治療名目でアメリカに入国することができた。そのことでイラン国民のアメリカへの怒りは頂点に達した。
 1979年11月4日、アメリカ大使館がイラン人に古拠され、66人のアメリカ人が人質となった。アメリカは直ちに人質救出作戦を立案した。そして、アメリカの砂漠で救出訓練を開始した。1980年4月24日、アメリカ軍の救出部隊がイーグル・クロー作戦を開始した。
 しかし、ヘリコプターの1機が機械的不具合で不時着し、作戦から離脱。ハブーブ(砂嵐)のため、ヘリコプターの操縦士たちは空間識失調となった。そして、アメリカのヘリコプター同士が接触して炎上した。アメリカ軍将兵が現場から離脱するに際して、ヘリコプターを破壊する余裕はなかったので、すべての情報が置き去りにされた。ジミー・カーター大統領は4月25日の朝、国民に対して救出作戦の失敗を報告した。
 その結果、カーター大統領の支持率は60%から30%未満へと急落した。
 この救出作戦には沖縄を拠点とする第1特殊作戦飛行隊も参加していた。そのことを知って沖縄と日本でアメリカ軍基地への反対運動が強まった。
 アメリカ人の人質は1979年11月17日にまず13人が、そして1981年1月20日に残る52人が解放された。444日間も拘束されていた。
 失敗した救出作戦のとき、8人のアメリカ兵が死亡した。
 この作戦が失敗した要因の一つは、情報の漏洩を警戒しすぎたこと、敵を欺騙することを優先させたことから、ヘリコプターの安全確認が十分できず、友好国の特殊部隊からの支援を受けられず、結果として、全部隊をまとまりのある組織につくり上げることができなかったことにある。
 アメリカは、ベトナム戦争のときにもハノイにある捕虜収容所からの救出作戦にも失敗しています。それほど、救出作戦って、難しいのですね…。
(2024年2月刊。2200円)

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