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カテゴリー: アメリカ

アメリカ自動車産業

カテゴリー:アメリカ

著者  篠原 健一 、 出版  中公新書
 日本とアメリカでは労働現場の文化がかなり異なっていることを改めて認識させる本でした。
 アメリカでは長年続いたビッグ3の経営不振によって、2009年にGMとクライスラーが経営破綻した。ところが、アメリカ政府による500億ドルという巨額の公的資金の投入などによって、アメリカの自動車産業が再び復活しようとしている。
 自動車販売台数では、GMは世界トップに返り咲いた。2009年には748万台に落ち込んだが、2011年にトヨタが前年比5.6%減の795万台に落としたのに対して、GMは前年比7.6%増の902万台に達した。
 2013年は、トヨタが998万台、GMが971万台となった。フォルクスワーゲンは973万台。
 GMには、能力に応じて従業員が昇進を重ねていくという発想がそもそも存在しない。人的資源管理、人材開発・能力開発という考え方は、GMでは非常に希薄である。
 2009年、アメリカの就業者数1億1451万人のうち、6.8%の780万人が自動車関連産業による雇用者である。このように依然として、アメリカの雇用面における重要産業になっている。
 日本も同じで、日本の就業者6244万人のうちの8.8%、548万人が自動車産業関連に就業している。
 GMは、1990年代に入って子会社の販売金融会社GMACを通じて、ローン審査を甘くすることで、低所得者層が高額の自動車を購入できるようにした。しかし、それは信用リスクを高めた。錬金術のような仕組みによって、GMACは、2004年には28億ドルもの利益をあげた。ところが、金融バブルの崩壊によって、GMACは20億ドルもの損失を計上し、2009年のGM経営破綻につながった。
 アメリカのビッグ3では、長いあいだ、いかに職場労働から競争を排除するかについて、労使間で交渉されてきた。マニュアルどおりの働きが、必要かつ十分なのである。
同一労働、同一賃金を原則とするから20歳でも50歳でも、同じ職務にある限り、同じ賃金は支払われる。
アメリカの企業では外部採用が重視され、内部昇進は少ない。平等主義、非競争主義で秩序づけられた特徴をもつのが、アメリカのビッグ3工場での仕事だ。
 同じ職務に就いているのに、働きぶりによって賃金に格差が出ることについて、現場労働者は公平感に反すると感じる。
 アメリカでは能力主義は、もともとあまり用いられていない。労働組合員になると、なおさら能力主義は普及していない。
 アメリカには先任権というものがある。レイオフの必要が生じたときには、勤務年数の短いものから順番にクビを切っていく。景気が好転したときには、勤続年数の長いものから再雇用していく。ここには能力基準が介在する余地は一切ない。これがポイントだ。
 アメリカの工場の職長は非労働組合員であり、かつ労働者からの内部昇進はきわめて少ない。多くは外部から採用されている。ただし、職長といっても、収入面では必ずしも恵まれた職位とは言えない。
 このような日米の労働慣行の相違点をきちんと認識したうえで、日本企業は外国への進出などを決めるべきだと思ったことでした。
(2014年7月刊。780円+税)

暴露

カテゴリー:アメリカ

著者  グレーン・グリーンウォルド 、 出版  新潮社
 アメリカは世界の憲兵を気取っていますが、誰も頼んでいるわけではありません。自分勝手に他人のプライバシーを暴きたてて、軍事力でおさえつけているにすぎません。
でも、軍事力で押さえつけようとしても、テロリストを根絶できるものではありません。とりわけ、9.11のような自爆攻撃の前には、いかに強大な軍事力をもっていても無力だということが立証されています。やはり、軍事力に頼らないで、まわりくどいようだけど、たとえば貧困や病気をなくす努力といったものが求められていると思います。
 この本は、アメリカが勝手気ままに全世界をスパイ(監視)していることを、CIA工作員だった人が内部告発したものです。
 アメリカのブッシュ大統領が指揮した違法な通信傍受は明らかに犯罪行為であり、傍受された人々に対して、ブッシュ大統領は説明責任がある。
 1970年代の半ば、アメリカのFBIは、50万人ものアメリカ国民について、「潜在的な反乱分子」とみなして、政治的信条だけを理由としてスパイ行為をしていた。このときの対象者には、マルティン・ルーサー・キング・ジュニア、ジョン・レノン、ジョン・バーチ・ソサエティ(反共主義者の団体)などが含まれていた。
市民の通信を傍受できる能力は、傍受する側に計り知れない力を与える。そして、その力は悪用される。
 エドワード・スノーデンから最初の連絡があったのは、2012年12月1日のこと。
 初めて会うとき、携帯電話をもっていることを知ると、スノーデンは、バッテリーを抜くか、ホテルの部屋に置いてくるように求めた。アメリカ政府は、携帯電話やノートパソコンを遠隔地から起動させて、盗聴器として使うことができる。だから、決して盗聴されないためには、携帯電話については、バッテリーを抜くか、冷蔵庫の中に入れておくこと。ええっ、そんなことも出来るのですか・・・。怖いですね。
スノーデンは、高校を中退したものの、テクノロジーに関しては天与の才能があった。2005年には、CIAの保安要員からテクニカル・エキスパートに格上げされた。大学を出た歳上の同僚より、スノーデンは知識も技能も明らかに優れていた。
 2006年、スノーデンは、CIAの請負の立場から、フルタイムのスタッフになった。
 スノーデンは、CIAを離れてNSAに戻り、NSAの請負企業である「デル」社の従業員として働き、2009年には日本に派遣された。
 スノーデンは、CIAでもNSAの請負企業でも上級サイバー工作員となるための訓練を受けた。他国の軍隊や民間のシステムに侵入し、情報を盗んだり、攻撃準備を整えたりするための工作員だ。日本で集中的に訓練を受けたスノーデンは、他の諜報機関から電子データを守るエキスパートになり、正式に上級サイバー工作員となる。そして、国防情報局(DIA)の合同防諜訓練アカデミーの中国防諜コースでサイバー防諜の講師をつとめた。
 2011年、スノーデンは日本での勤務を終えてアメリカに戻り、メリーランド州にあるCIAの施設内で仕事をした。年収は20万ドル。2000万円ということです。すごい高給とりですね。
やがて、NSAの極秘スパイ活動を明るみに出すと同時に、既存のジャーナリズムの腐敗した空気に光をあてたいと考えた。
 世界じゅうの大陸に住む10億人以上の人々がフェイスブック、Gメール、スカイプ、ヤフーを利用している。それらの企業がNSAの請負企業と秘密協定を結び、ユーザーの通信データへのアクセスを提供していたのだ。
 NSAは、アメリカ国防総省(ペンタゴン)の軍部直轄組織であり、世界最大の諜報機関の一つである。NSAの職員は3万人。ほかに6万人と業務契約を結んでいる。
NSAは2種類の情報を収集している。コンテンツとメタデータだ。コンテンツとは、文字どおり人々の電話通話を聞くこと。
 2010年、アメリカの監視対象国には、フランス、ブラジル、日本、メキシコが含まれている。
 日本政府は、それを知っても、アメリカ政府に何の抗議もしていません。まさに、アメリカの属国です。これで、安倍は独立国の首相と言えるのでしょうか・・・。
 NSAは、メタデータの収集だけでなく、Eメール、閲覧履歴、検索履歴、チャットの収集にまで手を伸ばしている。
 しかしながら、現在のアプローチでは、諜報機関は、大量のデータの海に溺れるだけで、データを効率的に分類することさえ、ままならなくなっている。
 NSAの監視プログラムは、過剰な量の情報を提供しているだけでなく、国家をかえって脆弱(ぜいじゃく)にもしている。大量監視は、テロの予見や阻止をかえって困難にしている。
 9.11のあと、実はいろいろ予兆があったことが報道されています。通信傍受や盗聴は、それなりの知的レベルの分析官がいないと、宝のもち腐れにしかならないのですね。
 それにしても、ネット社会はまったく個人のプライバシーを奪ってしまうのです。恐ろしい世の中です。
(2014年5月刊。1700円+税)

史上最大の決断

カテゴリー:アメリカ

著者  野中 郁次郎・荻野 進介 、 出版  ダイヤモンド社
 ノルマンディー上陸作戦を描いた映画をみたのは、私が高校生のころだったでしょうか。
 1944年6月6日、Dデイの当日、ノルマンディー上陸作戦に参加した将兵は300万人。計画から実行まで2年2ヵ月。機甲12個と空挺3個をふくむ39個師団が参加した。13万3000人の将兵と、1万4000台の各種車両、1万4500トンもの補給資機材が、戦艦6隻、戦闘戦艦1070隻に護衛された6000隻もの艦船舟艇によって、波高き海峡を渡って、ノルマンディーの海岸に運び上げられた。さらに、2万機におよぶ戦闘機、爆撃機、輸送機が飛んだ。
 この当時、チャーチル65歳、スターリン61歳、ルーズベルト58歳、ヒトラー51歳。そして、アイゼンハワーは53歳。アイゼンハワーは、陸軍参謀総長だったクラス・マッカーサーのスタッフとして、9年間も仕えたことがある。
 ノルマンディー上陸作戦について、ドイツを欺くための作戦「ボディーガード計画」が大々的にすすめられた(フォーティチュード作戦)。
 6月のノルマンディー上陸作戦は、本番である7月のパ・ド・カレー上陸作戦のための牽制作戦にすぎないとドイツ軍を信じ込ませる作戦が実行された。そのため、架空のイギリス「第4軍」がスコットランドにつくり出され、その司令官として有名なパットン将軍が選ばれた。
 ノルマンディー上陸作戦にあたって、イギリスにアメリカ軍が集結した(ボレロ作戦)が、なんと152万人にも達した。これだけのアメリカ兵がいて、ドイツ側にノルマンディー上陸作戦がよく洩れなかったものです。
 アイゼンハワーは最高司令官として、将兵たちに直接接触した。26の師団と24の飛行場、5隻の軍艦、そして基地、工場、病院などを訪問した。
 アイゼンハワーは、兵士は作戦を指揮する人物に会うのが好きだし、彼らの士気もそれによって高揚する。その士気がなければ、戦場において勝利をおさめることは出来ない、と考えていた。
「総司令官は、重大な作戦用務もさることながら、前線の部隊の『感情』に絶えず触れなくてはならない。総司令官たるものは、作戦の責任を代表し、部下の権限が侵されることのないように努力すべきであるとともに、部下と感情的に溶けあっていなければならない。そうでなければ、広範かつ重大な作戦で必ずや失敗する。この部下との接触のため、絶えず前線を視察する必要がある」
 ノルマンディー上陸作戦の決行の前、ド・ゴール将軍には詳しい計画は伝えられていなかった。ド・ゴールは独裁者になる危険があるとして信頼されていなかったことと、使われていた暗号があまりにお粗末だったため、ドイツ軍に筒抜けになることを心配したからだった。
 Dデイは、当初は5月1日だった。月齢と潮の干満、そして日の出という3つの条件によって決められた。
 連合軍の気象予報組織はドイツ軍に比べて格段に優秀だった。アメリカの陸軍がグリーンランドに設置していた高層気象観測所が役に立った。
ドイツ軍が海中に機雷、そして海岸に地雷付きの障害物を山ほど設置していることが分かっているため、それが海面上に露わになる引き潮のほうが都合よい。引き潮のあと、推進力のある満ち潮に乗って、できるだけ速やかに上陸することだった。時間帯は、夜明けが選ばれた。敵を油断させるためだ。
 6月5日午前3時半、台風のような天候の下で、会議が開かれた。悪天候に切れ目ができ今日の午後1時から、今まで予期されていなかった好天が36時間続く可能性があると気象班の責任者が告げた。それを聞いて、アイゼンハワーが決行を決めた。5日の午前4時15分だった。
兵士はアイゼンハワーに「実は恐いです」と正直に答えた。それを聞いて、アイクは言った。
「そうとも、恐くない奴は大馬鹿野郎だ。ただし、コツがある。もし足をとめたら、その瞬間にスキができる。そうなると、やられる。肝心なのは、常に動き続けることだ」
 6月6日、Dデイ当日、午前1時半すぎ、真っ先にノルマンディー地区に降下したのは、アメリカ陸軍第101空挺師団だった。6600人のうち、予定された集結地点に集まったのは1100人だけだった。それでも夕方までに2500人となった。
5つの海岸のうち、もっとも激しい戦闘になったのは、オマハ海岸だった。高台から海を一望でき、守りやすく、攻めにくい場所だった。ここに、昼12時半までに1万8千人が上陸した。オマハ海岸で上陸しようとした3万4千人のうち2千人が死傷した。ドイツ側は1200人の死傷だった。
フランスにあるドイツ軍最高司令部はまもなく大陸への侵攻作戦が始まろうとしていることは把握していた。しかし、天候は6月10日まで悪化するばかりという予報だった。ロンメル将軍は、この悪天候を利用して、ドイツに帰国していた。
 アイゼンハワーは、Dデイ翌日、6月7日に、駆遂艦に乗って、オバマ海岸から上陸し、ノルマンディーで、司令官と会い、その日のうちにイギリスに戻り、今後の作戦計画を修正した。
 ヒトラーは、パ・ド・カレー上陸を信じていたため、ドイツ軍の対応が遅れた。
 ノルマンディー上陸作戦を総合的に検討した本として、大変興味深く読み通しました。「
(2014年6月刊。2200円+税)

イラク戦争は民主主義をもたらしたのか

カテゴリー:アメリカ

著者  トビー・ドッジ 、 出版  みすず書房
 アメリカのイラク侵略戦争は、まったくの間違いでした。サダム・フセインの圧制は、たしかにひどかったと思います。かといって、アメリカがイラクに侵攻して戦争を仕掛けてよいはずがありません。まさに、アメリカ帝国主義です。
侵攻の口実となった「大量破壊兵器」(核兵器も生物化学兵器も)なる物は、影も形もありませんでした。そして、イラクを支配してからも間違い続きでした。アメリカ軍が撤退したのも、イラク国民に追い出されたというのが実態でしょう。
 そして、何より、アメリカ軍の支配下で内戦が始まり、今や完全に内戦状態です。アメリカのオバマ大統領は無人機などで実態を収拾しようと必死ですが、しょせん武力に頼ってうまくいくはずがありません。
 まわりくどいようですが、武力に頼らない方法で取り組むしかないのです。アメリカの愚かさに日本の支配層が引きずられているのが、日本人の一人として本当に心配です。
イラクの人口は3200万人。隣に7200万人のイランがある。イラクには世界第3位の石油埋蔵量があり、1日800万バレルの石油が生産可能。石油輸出国として世界第二位。
 1990~1991年の湾岸戦争時代に、殺人を禁じる慣習が大きく変わった。国家による暴力の独占状態が揺らいだ後、犯罪行為が横行し、個人の利益に奉仕することを目的とした私的暴行の行使が広がった。
 あらゆるものが武力に従属されるなかで、自己表現と抗議の一形式として暴力を行使するという思考のしみついた世代が3世代にわたって育った。彼らは、いかなる法にも、社会規範にも縛られない。
 1990年代のイラクに対する国際的な経済制裁は、高等教育を受けた中産階級、イラクの近代性と進歩の案内役だった中産階級を縮小させた。そして、暴力の文化を助長した。
 イラク社会は戦争と国連の制裁によって高度に軍事化された。1989年、イラクの常備軍は兵力100万、火器420万という規模になった。軍事化が進んで、民間人も鉄砲をもち、320万の鉄砲が普通の人々の手に渡った。
 2003年、アメリカ軍の前にイラク軍があっけなく崩れ去ると、治安維持機関の管理していた420万の鉄砲が社会の隅々にまで出回った。犯罪の世界だけでなく政治においても、過度の暴力が横行するようになった。
 2003年5月、文民行政官ブレーマーがイラク国軍の解体を決定したことにより、訓練を受けた40万人もの元国軍兵が武装した状態で街頭に放り出され、失業の憂き目にあった。
 戦争と制裁、占領軍の無能力、それによって生じた略奪の波。それらが重なりあって、イラクは2003年、崩壊国家と化した。国家が突如として機能を停止し、全土に安全保障の真空が生じた。乱れに乗じて略奪をはたらく者がはびこり、暴動に関与する勢力が拡大し、ついにイラクは全面的な内戦的な内戦状態に陥った。
2005年以降、イラク内務省の傘下にある特別警察突撃隊(国家警察)は、暗殺集団と化した。
 2007年、アメリカのイラク政策は大きな転換点を迎えた。しかし、政策は軍事作戦が中心で、他の分野は、すべて隅に追いやられた。
 2006年6月、アルカイダの指導者ザルカーウィーがアメリカ軍によって殺害されたあと、組織は求心力を失った。組織幹部に対するアメリカ軍の攻撃の精度が高まるにつれ、若くして経験の乏しい、より暴力的な分子が上層部を占めるようになった。
 身元の割れた民兵組織幹部のケータイを押せば、人物相関図を埋めていくことができる。こうして得た「高価値目標」の殺害をアメリカ軍の特殊部隊が担った。
 2012年3月までに、アメリカ軍とイラク政府がイラク国家の再建のために投じた金額2000億ドルは、さまざまな機関を通じて投下された。しかし、アメリカは復興計画の調整に失敗しただけではない。一貫性のある基本計画が作られたことは一度としてなかった。そして、復興活動がうまくいかなかったのは、治安状況が悪化したことにもよる。
 さらに、各省大臣が自分の出身政党の職員を自由に採用することにより、公務員の水準が低下し、人員が大きく膨れあがった。2005年に120万人だった公務員が2008年には230万人になった。汚職の蔓延が行政機関を脆弱にしている。政治家は、ほとんど監視を受けることなく公金を使い、極秘で働いている。その結果、公共下水道を利用できるイラク国民は26%。安全な飲用水を使えるのは、人口の25%、760万人にすぎない。
 いま、イラクで内戦が起きているわけですが、これは、アメリカ軍の無謀なイラク侵略戦争がもたらしたものだったのです。民主主義を守るためと称して、イラクから平和と民主主義を奪い去ったわけです。アメリカの戦争責任はまことに重大です。日本は、ここから教訓を引き出すべきです。武力によっては、ほんの一時の「平和」しかありえないということを・・・。
(2014年7月刊。3600円+税)

高齢者が働くということ

カテゴリー:アメリカ

著者  ケイトリン・リンチ 、 出版  ダイヤモンド社
 アメリカはマサチューセッツ州のボストン郊外に針を製造する小さな会社がある。従業員40人は全員パートタイム。その従業員の2人に1人が74歳以上。従業員は10代から90代まで。30代、40代、50代の従業員もいる。
 従業員には医療給付も退職給付も支給されない。時給は9ドルからのスタート。勤務時間は従業員自身が決める。午前3時半から7時間はたらく従業員もいれば、午後3時にやってきて、4時間だけ働く人もいる。
 工場は2階にある。階段が19段ある。この階段をのぼること(のぼれること)が、ここで働くための暗黙の前提条件になっている。
ここでは互いに協力しようという意識、力をあわせて働き、共通の目標を目ざそうという意識が広く行きわたっている。
 かつて社会的地位の高いホワイトカラーの仕事をしていた従業員たちが、現在の自分の立場を単なる労働者だと認識している。
 ただし、大企業で長く働いてきた人は採用しにくい。
この会社は、2008年制作の映画「年年生活者株式会社」で紹介された。
 これだけ高齢者が多いのに、作業がちゃんと行われて業績もよい。低賃金にもかかわらず、誰もが社長を慕い、とても熱心に働いている。
 そうですよね。定年後も、自分の好きな時間に、思うように働きたいという気持ちは私にもよく理解できます。特殊な針を製造しているという有利な面もあることでしょう。それにしても、99歳の超老婦人が生産現場で働いているなんて、とても信じられません。
働くことの意味、そして、高齢者にとって働くことは人生を意義あるものにすることなんだと思わせる良書でした。
(2014年4月刊。2400円+税)

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