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カテゴリー: アメリカ

ハリエット・タブマン

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 上杉 忍 、 出版 新曜社
「モーゼ」と呼ばれた黒人女性の話です。奴隷でありながら、自ら逃亡したあと、今度は家族や黒人の仲間を次々に救出していったのでした。大変勇敢な女性です。
アメリカの20ドル紙幣の表面に肖像がのることになっていますが、トランプ大統領が横ヤリを入れているそうです。女性参政権100周年を記念した動きの一環です。
アメリカでは子どもたちは教室でタブマンのことを学ぶので、タブマンのことを知らない人は珍しいとのことです。アメリカでも1960年代になってタブマンの存在が知られるようになり、1986年のテレビドラマ『モーゼと呼ばれた女性』で一気にアメリカ全土で有名になったと言います。今では、アメリカの小学生は、ハリエット・タブマンについて学ぶことを通じて初めて黒人奴隷制を学ぶとのこと。
タブマンは、奴隷だったので学校に行くこともなく、読み書きができなかった。それで本人が書いたものはない。
所有者は奴隷を自由に売買することが出来た。そのとき、家族をバラバラにして売りに出すこともあった。また、奴隷主は、奴隷を「貸し出し」することもあった。
奴隷の身分から解放された自由黒人も存在した。自由黒人と黒人奴隷とが接触するなかで、逃亡奴隷に隠れ場所を提供したり、逃亡の手助けをする自由黒人が出現し、奴隷主の頭を悩ませた。
奴隷の逃亡が急増すると、奴隷主は、報奨金100ドルという広告を出して、発見しようとした。
タブマンの出生登録はないので正確な出生年月日は不明だが、恐らく1822年の2月か3月だと推定されている。タブマンが奴隷として生まれたのは、母親のリッツが奴隷だったから。このリッツの父親は白人だった。
黒人奴隷は、白人たちの世界と並存する秘密の世界をつくりあげていた。
タブマンは、そのなかで人並み以上の集中力をもって、コミュニケーション能力、具体的には口頭や身振りでのコミュニケーションの方法、暗号化された霊歌、表情、一瞥、歩き方、手の動かしかた、服装や欺く技術を身につけた。
クエーカー教徒は、その教義から奴隷を所有していなかった。それで、奴隷の逃亡を助けた。
タブマンは1849年に逃亡に成功し、その後は、南北戦争が始まるまで、何度も故郷のメリーランド州のイースタンショアに戻って、「地下鉄道」と呼ばれる支援運動によって、家族や仲間の逃亡を助けた。1830年から1860年までの30年間に年1000人から5000人、合計13万5000人の奴隷が逃亡に成功した。
タブマンは、周到な準備と緻密で考え抜かれた作戦によって、10回以上の作戦で一度も失敗しなかった。タブマンは銃を携行していたが一度も使っていない。
タブマンは、13回、70人を自ら救出した。このほか、50人に指示して逃亡させている。
「19回、300人」という数字は根拠のない誇大な数字だとされている。
タブマンは、慎重のうえにも慎重を重ね、情報収集を怠らず、十分な準備の下に作戦を実行し、成功させた。すべてはタブマンの単独指令にもとづいて運用された。
映画『ハリエット』が近く公開されるようなので、ぜひともみてみたいと思っています。
(2019年3月刊。3200円+税)

癒されぬアメリカ

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 鎌田 遵 、 出版 集英社新書
アメリカ先住民社会の現状が詳しく紹介されています。
アメリカには300万人近い先住民が暮らしている。3億人をこえる人口の1%にもならない。部族は573。平均年齢は31.4歳で、全米平均の37.7歳より若い。25歳以上の人で、4年制大学を卒業しているのは18.5%。これは、全米平均の30.1%をはるかに下回る。貧困率は28.3%。
先住民は糖尿病の疾病率が高く、白人の2倍。そして糖尿病が原因の腎不全を患う先住民人口の割合は白人の5倍。
先住民は、強制的に定住させられ、極度の運動不足と、食糧難に陥った。そして、安価で高カロリーの食糧が政府から配給された。これらが原因だ。
先住民にとって、砂漠はスーパーマーケットのようなもの。風邪薬や食べもの、食器や家財道具などの日常生活に必要なものは、すべてここで手に入る。必要なものは、すべて砂漠で調達する。風邪の症状が出たら、砂漠に生えている雑草をそのまま口にする。
モハベ族の先祖たちは、白人の侵略者の要求に応じた。そうすれば、自分の世代はともかく、子や孫の世代は、白人と一緒に生きていけると思ったからだ。しかし、白人の要求は底なしだった。伝統文化の継承を禁じ、弾圧によって尊厳までも奪うとは、誰も予想できなかった。
モハベ族の人たちには死んだ人の悪口を言ってはいけないという不文律がある。自分の先祖と同じ場所にいる人を批判することになってしまうからだ。
先住民の居住地がドラッグ密輸の経路になっている。
先住民の12.3%がドラッグを使用していて、23.5%が過度の飲酒の問題をかかえている。
先住民の居留地内には、複数の女性ギャング組織があり、ときに抗争にまで発展している。
先住民が刑務所に収監される割合は高い。先住民の収監者は、1999年の5500人から2014年の1万400人に増えた。毎年平均して、4.35%ずつ増加している。ほかの人種の増加率1.4%より3倍以上も高い。
過去5年間に連邦刑務所での先住民の収監者は27%も増えた。
先住民の逮捕者は10万人のうち4268人で、黒人の5393人に次いで多い。これは白人の2386人よりはるかに多い。
先住民の10万人あたりの自殺者は21.5人で、ほかの人種よりも高い。
アメリカでは、現在、247の部族が全米29州の居留地でカジノの経営に参入している。520施設だ。カジノ経営によって、雇用機会は増加し、その収益で居留地のインフラ整備や少額金制度などが強化されている。
 居留地でのカジノ経営は、人種差別に苦しむ先住民の貴重な収入源になっている。また、部族が守り抜いた自治権の象徴でもある。
先住民のカジノ収益は、おもに居留地内の社会福祉事業や伝統文化の維持するものであり、それを通じて部族社会再建のために確立していた(はずだった)。
もともと居留地には、アルコールとドラッグの問題があった。でも、今はギャンブル依存症が深刻化している。
アメリカ先住民女性の46%はレイプ、家庭内暴力、交際相手からのストーカー被害のいずれかにあっている。先住民の女性がレイプされる割合は高く、その加害男性が先住民以外の人種である割合は86%と、とても高い。レイプの被害者が先住民だったとき、警察は動かない。
アメリカの先住民をインディアンと呼ぶのは、おかしい。インド人ではないからだ。
先住民であることを隠して、多くの人が生きている。
インディアンとも呼ばれているアメリカ先住民の置かれた状況は大変だということがよく分かる新書でした。
(2019年12月刊。1000円+税)

シークレット・ウォーズ(上)

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 スティーブ・コール 、 出版 白水社
9.11(2001年)以降、アフガニスタンとパキスタンを舞台として、アメリカのCIAがISIとともに展開した「見えざる戦い」を記述した本です。
CIAに対するアフガニスタン反政府勢力への支援は、パキスタンの主要スパイ機関、三軍総合情報局(ISI)を通じて行われていた。
アフガニスタン反政府勢力側の内部で仲間割れが起きたのは、それは勝利を予感して、もたらされるであろう利権をめぐって争いを始めたのだ。
インドに比べてパキスタンは人口も少なく、産業基盤も弱かった。このギャップを補おうと軍はインドによる軍事進攻への対抗策として核兵器を開発した。長年の悲願であるカシミール係争地域の獲得を狙って、ISIはイスラーム主義ゲリラに極秘裏に武器を与えて、訓練を施し、インド領カシミールへ潜入させ、警察署の爆破、誘拐、インド軍駐屯地を攻撃した。
およそ2万5千人から成るISIはパキスタン軍幹部の指揮下にあった。
9.11には、タリバンも、その他のアフガン人も加わっていなかった。ハイジャック犯はサウジアラビア人かその他のアラブ人だった。事件を企画したハーリド・シェイク・ムハンマドはパキスタン人で、クウェートに長年居住し、アメリカのノースカロライナ州の大学で学んでいた。ムッラー・ムハンマド・オマルが事前にテロの企てを知っていたかどうかは判然としていない。
9.11のあと、CIAのテロ対策センターは、2000人の常勤職員をかかえるまでになった。無秩序ともいえる急拡大だ。テロリズム分析室だけでも25人が300人へと膨れあがった。
アメリカは戦闘終結後のアフガニスタンについて、確固とした方針をもちあわせていなかった。ブッシュ政権は国家建設にも平和維持にもほとんど興味を示さなかった。
オサマ・ビン・ラディンとムッラー・ムハンマド・オマルは逃亡した。
アフガニスタンの各都市は地域有力者の手に委ねられることになり、その多くはCIAの協力者だったが、職権乱用、内部分裂、能力の欠如がはびこっていた。
アメリカは、ソ連軍と戦うㇺジャーヒディーンに対して、2000基以上の赤外線誘導式携帯型対空ミサイル、スティンガーを提供していた。そして、アフガン内戦が始まると、このミサイルを買い戻そうとした。CIAは、ISI職員などを通じてスティンガーを1基8万ドルで買い戻していった。
アフガニスタンでは、カネがすべて。政治もカネ、戦争もカネ、政府だってカネのため。
2003年に、ブッシュ大統領のもとの国家安全保障会議がアフガニスタンについて議論をしたのは2回のみ。これほどまでの無関心は、イラクに対する進攻と占領、戦後アフガニスタンの安定性に対する過信、加えてこれ以上の復興への関与は避けたいというブッシュ政権の希望があったから。
2004年7月17日、ネーク・ムハンマドはラジオでのインタビューに答えるため、衛星電話で通話をしていた。この通話はタスクフォース・オレンジをはじめとする組織によって、いとも簡単に傍受された。これを受けて、CIAのプレデター無人機が上空からヘルファイア・ミサイルを発射し、ムハンマドは殺害された。
恐ろしいことですね、電話で話していると場所を察知されて、上空からミサイルを撃ち込まれる世の中なんです…。でも、肝心なことは、こうやって暗殺しても、世の中の大勢は変わらないということです。
タリバンの自爆犯には若年者が多く、12歳とか13歳もいた。車を運転したこともない若者が爆弾を搭載した古いカローラに乗って、ためらうことなく路上で猛スピードで突っ込んでいく。タリバンは、自爆犯の遺族に2000ドルから1万ドルの見舞金を支給している。
タリバン政権が崩壊したあとのアフガニスタンでは、アヘンの原料となるケシの栽培が25%増加し、2006年には、生産量が一気に増えた。
2008年の1年間で、アフガニスタン戦争で死亡したアメリカ人は155人。前年より3割増。
2008年、タリバンによるIED攻撃は3867回にも達し、前年比5割増。
アフガニスタンで中村哲医師が殺害されてしまいましたが、それでも軍事力に頼らない解決を地道に探っていくしか、平和への道はないと私は考えます。
(2019年12月刊。3800円+税)

ザ・ボーダー(上)

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ドン・ウィンズロウ 、 出版  ハーバーBOOKS
アメリカと南米の麻薬カルテルの暗躍ぶりを、これでもかこれでもかと延々と詳細に書きつづっている小説です。文庫本なのですが、上巻だけでも765頁、ほとほと疲れてしまいます。
アメリカには、メキシコや南米各国から、麻薬がとうとうと流れ込んでいるようです。
アメリカの国務省とCIAはメキシコ政府と麻薬カルテルの協力関係の維持を消極的にせよ支持する。これに対して、司法省と麻薬取締局は断固としてカルテルのヘロイン密輸を阻止したい。
アメリカでは、麻薬取締法の厳しさから、暴力をともなわない違反者にも最低30年の刑そして終身刑を科した。その結果、200万人以上が、その大半はアフリカ系アメリカ人とヒスパニック系アメリカ人が刑務所暮らしをしている。
ドラッグマネーがアメリカから毎年メキシコだけでも何百億ドルも流出している。その多くはメキシコ国内の投資に流れる。メキシコ経済の7~12%は、ドラッグマネーで成りたっていると言われている。同時に、アメリカにまた戻ってきて、不動産や投資に注ぎ込まれるお金も少なくない。いったん銀行に預けられ、その後、合法的なビジネスに使われる。これが麻薬戦争の裏に隠された薄汚い真実だ。「ヤク中」が腕に注射を1回うつたびに全員がもうかる仕組みになっている。全員が投資家であり、カルテルなのだ。
刑務所や監獄は、答えではない。刑務所のなかでもヤクを続ける。むしろ有効なのは、薬物裁判所か・・・。逮捕したら、判事が強制的にリハビリ施設に送り込むようにしたらいい。
メキシコ人は、テキサス経由でニューヨークにヘロインを持ち込み、たいていはアッパー・マンハッタンかブロンクスにあるアパートメントや自分の家にいったん保管する。そのあと、工場でダイム袋に小分けして売人に売る。売人はたいてい組織のチンピラで、買ったヤクを市内で売りさばくか、州北部やニューイングランドの小さな町に運ぶ。ヤクを卸すカルテル側の人間が工場にいることはめったになく、彼らはヤクを持ち込むときだけ現れ、すぐにその場を立ち去る。工場で働いているのは、ヘロインを小分けする地元の女や、日銭めあての下っ端マネージャーだ。
このようにしてヤクは次から次に流入する。
メキシコの警察がカルテルに手なずけられているのは、すぐにお金になびくからではない。それだけの支配力をカルテルはもっている。賄賂は、もらうか、もらわないかではない。もらうか、もらわないなら一家皆殺しなのだ。このやり方なら、買収した警察官であっても信用できるし、裏切られることはない。
しかし、ニューヨークのギャングは警官を殺したり、ましてやその家族を脅したりはしない。正気のギャングなら、そんなことをしたら、怒れる3万8千人の警官を敵にまわすことになる。もし生きて逮捕されても、アイルランド人やイタリア人の検事やユダヤ人の判事から州で最悪の刑務所に送られ、死ぬまでずっとそこで過ごすことになる。もっとまずいのは、ビジネスが立ちいかなくなることだ。
そんなわけで、黒人のギャングもラテン系のギャングも警官を殺そうとはしない。それよりビジネスを大事にする。なので、メキシコ人もニューヨーク市警の警官の買収には慎重になる。警官が裏切らないという保証がないからだ。
今では、ドラッグはマンハッタン島の中央と南部の核家族世帯や近隣の労働者世帯のほか、多くの警官、消防士、市役所職員にも広がっている。
マンハッタンやブルックリンでは、ドラッグの商売は主にギャングの仕事で、公営住宅やその周辺での売買は、黒人とラテン系のギャングが仕切っている。そこに新規参入の余地はない。
まあ、あきれてしまうというか、心底から震えるほど恐ろしい現実世界が展開していく本です。
(2019年7月刊。1296円+税)

ギデオンのトランペット

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 アンソニー・ルイス 、 出版 現代人文社
1963年3月、アメリカ連邦最高裁判所は、貧困のため弁護人を雇えない人は、その人のために弁護人が付せられない限り、公正な事実審理は保証されえないと判決した。つまり、被告人には弁護人の援助を受ける権利があることを明示したのです。
そして、9年後の1972年に、連邦最高裁は、たとえ軽罪事件の被告人であっても、現実に自由の剥奪(拘禁刑)の結果をもたらす場合には、弁護人の援助が憲法上必要であると判断した。
次に、弁護活動の質が問題になりました。おざなりの、ただ弁護人が法廷にいるだけでない、効果的な援助を受ける権利が被告人には保障されなければならないという判決にすすんでいったのです。アメリカでは、そのため州が公設人弁護人事務所を設立しています。
日本でも、ときに手抜き弁護が問題になることがあります。記録を読まない、公判当日に被告人に法廷で会うだけの弁護人、そういう弁護人が今でもたまにいるようで、残念です…。
クラレンス・ギデオンは1962年1月、アメリカ連邦最高裁に書面を送った。自分の事件で訴訟救助を求めたい、自分の刑事裁判で、弁護人を求めたのに裁判長が却下したという内容です。このときギデオンは51歳。ギャンブラーの白人男性で、前科がいくつもあった。容疑は窃盗目的の不法侵入罪。店内からビールなどを持ち出すために店内に侵入したというものだった。
それまでの連邦最高裁の判例では、弁護人が要求されるのは、弁護人なしに審理がなされたら、「基本的公正の否定」に値する場合に限るとして、「特別な事情」が必要だとされていた。
ギデオンの事件は、それを打ち破る可能性があった。連邦最高裁はギデオンの求めに応じて、エイブ・フォータス弁護士を弁護人として任命した。
フォータスはユダヤ人の52歳の弁護士で、30人の弁護士をかかえる、支配階層ではない法律事務所に所属していた。
ギデオン事件では、ベツ事件で示した連邦最高裁判決にいう「特別な事情」のないことは明らかで、それでも弁護人がいたら有益だったことは明白だった。
ギデオン事件で、被告人・弁護側が勝ったら、刑務所が空っぽになってしまう。こんな「予想」がたてられた。
これは、もっとも強烈な感情的反対論だった。
当時、2500人の弁護士がアメリカ連邦最高弁護士会員になるための会費として25ドル(今は200ドル)を支払わなくてはいけなかった。
今から57年も前のアメリカ連邦最高裁判所が弁護人なしの刑事法廷はありえないとする画期的な判決を示したのです。それを直後に本にまとめたものを、今回、田鎖麻衣子弁護士(二弁)が翻訳しています。アメリカの判決の変遷のところは、前提となる知識のない私には少し難しかったのですが、それでも、一人の男が連邦最高裁判所に書面を送ったことから、弁護人がつくようになったというのは真実です。その過程を学ぶことのできる貴重な本です。
今では、日本は被告人国選弁護制度だけでなく、被疑者国選弁護人制度までありますので、あとは弁護人の質の問題になっているのでしょうね。
私は被疑者弁護人(国選)になったら「毎日面会」を心がけています。出張のため行けない日もありますので、「原則として毎日面会」をしています。
現代人文社から贈呈を受けましたが、大変勉強になりました。ありがとうございます。
(2020年3月刊。3600円+税)

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