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司法が原発を止める

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 井戸 謙一 ・ 樋口 英明 、 出版 旬報社
 元裁判官の2人が原発に関わる裁判の現状と問題点、そして司法の果たすべき役割を対話のなかで鋭く指摘している本です。とても読みごたえがありました。現役の裁判官に読んでもらえたらいいんだけどな…と思いながら読みすすめました。
 3.11まで原発は安全だと思い込んでいた。樋口さんはそう言います。今でも残念ながら少なくない日本人が原発は安全だと漠然と思い込んでいると私は考えています。
 原発は建物の耐震性だけが問題ではない。配電や配管の耐震性も必要。本当にそうなんですよね。ともかく冷却水をずっと送り込まないといけないのが原発なんですからね…。
最高裁は裁判官を集めて、ディスカッションという名のレクチャーをした。それは、行政の基準を尊重すればいいというもの。
最高裁判所の判決でも、規制基準の内容の合理性を判断せよとも言っているのに、その基準の適用のほうだけを問題とする下級審判決が多いが、それは間違い。
 基準の内容の合理性と適合判断の合理性の二つを判断しろというのが最高裁の判決なのに、一方は無視されている。これはおかしい。
規制基準は行政処分の審査基準なのだから、裁判所は、それに縛られることなく、それ自体の合理性を判断しなければいけないのに、それを怠っている裁判所がほとんど。
樋口判決は立証責任論がオリジナルであることと、説明が一般人にとても分かりやすいという二つの大きな特徴がある。
 私も、まったく同感です。すらすらとよく分かる流れの判決文でした。
自分の書いた判決が他の原発にも波及して全部を止めてしまうことになると思うと、裁判官には大きな勇気が必要となる。よほど肝のすわった人でないと、原発を止める理屈を判決文に書くのは難しい。残念ながら、多くの裁判官にはそこまでの勇気がなく、なんとかごまかして逃げようとします。
 先日の東京高裁の東電役員の責任を不問に付した逆転判決もそうでした。いろいろへ理屈をつけて、自分の責任のがれをする裁判官が圧倒的に多いのが現実です。
裁判官は、最高裁の結論に従うこと、最高裁が出すだろう、政府寄りの結論に従っておけばいいという教育を所内で受けている。勇気を奮い起こさせないようにしているわけです。  
樋口さんは、熊本地裁玉名支部の支部長をしていたことがあります。当時の熊本地裁の所長は簑田孝行さん(現弁護士)でした。
 井戸さんは裁判官懇話会などに積極的に関わっていましたが、樋口さんは関わっていませんでした。なので、福岡地裁柳川支部長をつとめた山口毅彦さんも知らないそうです。
 裁判官にも、かつては青法協の会員が300人ほどいたのですが、今では組織自体がありませんし、交流のための全国懇話会も消滅してしまっています。ほとんど最高裁の思うままの人事統制が効いているといえます。
そのなかで病理現象が生まれています。つまり、上のほうだけを見て、要領よく仕事をやっつける人ばかりが目立つのです。本当に残念です。
たまに自分のコトバで語る裁判官に出会うとホッとします。自分の頭で考えて、自分で把握したことしか判決には書かないというスタイルを貫く裁判官。前はいましたけれど、今はごくごく少ないように弁護士生活50年になる私は思います。
 井戸さんは、今は弁護士として、原発や再審に取り組んでいます。
 樋口さんは弁護士にならず、年に40~50回の市民向けの講演をして全国をまわっています。たいしたものです。
 原発は日本には必要ない。現に関東首都圏には原発の電気は供給されていない。これで日本は十分にまわっているわけです。なので、原発はなくてもいいのです。
 台湾も日本と同じく地震の多いところですが、原発全廃を決めています。日本もそうすべきです。
原発の危険性は核兵器と同じ。自国に向けられた核兵器である。原発は、ちょっとした攻撃にも耐えられない。ほとんど無防備。自衛隊も警察も原発を完全に防護することは不可能。原発は、その後始末の莫大な経費を考えたら、「安上がり」どころではない。とんだ金食い虫の典型。
 原発の運転の差し止めを言い渡した裁判官は7人。認めなかったのは30人以上。
 私は、この7人の裁判官こそが司法の使命を自覚した人たちだと考えています。自己の信ずるままに勇気をもって判決(決定)を書いたのです。
 2人の勇気ある元裁判官の対談を読んで、私も元気をもらった気がしてきました。学生のときセツルメント活動をしていたという共通点のある井戸弁護士に贈ってもらいました。ありがとうございます。今後ますますのご健闘を祈念します。
(2025年6月刊。1760円)

ゲットーの娘たち

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ジュディ・バタリオン 、 出版 図書刊行会
 ヒトラーのナチス・ドイツは600万人ものユダヤ人を虐殺しました。なので、ユダヤ人が抵抗もせず、みんな黙って殺されていったのではないか…、そんなイメージがあります。この本は、そんな既成概念を見事に打ち破ってくれます。
 ポーランドでもユダヤ人は大勢がナチスによって虐殺されました。ユダヤ人はゲットーに閉じ込められたので、ナチスに対抗(抵抗)するのには大変な困難がありました。それでもナチスと闘うユダヤ人はいました。そして、大勢の若い女性も立ち上がったのです。その状況を本書は生き生きと伝えてくれます。
 ポーランド系ユダヤ人女性のレジスタンスは、多岐にわたっていた。複雑な立案や入念な計画にもとづく大量の爆薬の設置もあれば、とっさの機略もあった。おしゃれな変装もあった。ほとんどの女性の目標は、ユダヤ人を救うことだった。
 ユダヤ人女性はゲットーで戦うだけでなく、森に逃げてパルチザン隊に加わり、妨害活動や諜報活動にも従事した。女性たちは、仲間のユダヤ人が逃げたり隠れたりするのを助けるために、救出ネットワークを構築した。
 ポーランドのユダヤ人レジスタンスは、軍事的成功の観点からは、ナチスによる死亡者数と救われたユダヤ人の人数を比較すると、ごくささやかな勝利しか成し遂げなかった。それでも、レジスタンスのための奮闘は、想像以上に大きく組織され、見事だった。ユダヤ人ネットワークは、ワルシャワに隠れていた1万2千人のユダヤ人同胞を財政的にも支えた。
1930年代、ワルシャワにはなんと180紙ものユダヤ系新聞が発行されていた。
ブントは労働者階級の社会主義グループで、ユダヤ文化を推進していて、もっとも大きなグループだった。
 西ヨーロッパだと、ユダヤ人家庭はたいてい中流階級で、広い意味でのブルジョア的習慣に束縛され、女性は家庭に縛りつけられていた。これに対して、東ヨーロッパでは、大半のユダヤ人は貧しく、必要に迫られて女性は家庭の外で働いていた。
ナチス・ドイツが侵攻してきたとき、ワルシャワの人口の3分の1に相当する37万5千人のユダヤ人がいた。彼らはワルシャワを故郷と呼んでいた。
 初期のレジスタンスに必要なのは文学だった。昔から本好きの民族であるユダヤ人は書くことでナチスに抵抗した。ナチスによる情報統制に対抗するため、あらゆる党派が地下出版社で、印刷して情報を提供した。読書は逃亡の一つの形であり、重要な知識の情報源だ。本を保存することは、文化と個人を救済する行動だった。
 強制収容所から逃げてきたユダヤ人の話は信じられなかった。人々を動揺させないよう、そんなことを人には話すなと命令された。ワルシャワのユダヤ人には恐怖と被害妄想がすっかり広まったので、レジスタンスがあっても、かえって罰せられるのではないかと心配した。
 クラクフには、戦前、6万人のユダヤ人が住んでいて、人口の4分の1を占めていた。
 女性たちは、さまざまな「運び屋」をつとめた。それは、作戦の中枢をなす特別な任務だった。彼女たちはユダヤ人以外に変装し、封鎖されたゲットーと町のあいだを移動して、人、金、書類、情報、武器をひそかに運んだ。その多くは、彼女たち自身が手に入れたものだった。
 運び屋は、変装の世界。そこでは、人間の価値は外見によって定められた。ユダヤ人がアーリア人の中で生きるためには、常に高度な計算と判断にもとづいた演技が求められる。それに危険を嗅ぎつける動物的な勘、誰が信頼できるかという直感が必要だ。
 運び屋には、いくつもの役目があり、戦争が進むにつれ、仕事の内容も変化していった。大半の運び屋は女性ではなくてはならなかった。割礼をほどこされるユダヤ人男性と異なり、ユダヤ人女性には目だった肉体的特徴はなかった。ユダヤ人には見えない外見の女性が運び屋として選ばれた。ユダヤ人は毎日、歯を磨き、たいていメガネをかけているが、ほとんどのポーランド人はそうではなかった。カトリックの祈祷の言葉の暗記も必要だった。
 運び屋は、偽(ニセ)の身分証、偽の身の上話、偽の目的、偽の髪の毛、偽の名前をもっていた。それと同じくらい大切なのが、偽の笑顔だった。
 ワルシャワのゲットーでは、合計500人のユダヤ人闘士たちが22の先頭グループに分かれた。20歳から25歳まで。この3分の1は女性だった。最終的に、ワルシャワ蜂起に100人以上のユダヤ人女性が戦闘部隊に加わって戦った。
レジスタンスのユダヤ人女性の話が埋もれてしまったのには、いくつもの理由がある。投資や運び屋の大半が殺され、その物語を伝えることができなかった。たとえ生きのびても、女性の語り手は、政治的そして個人的理由から沈黙した。
 戦後、ポーランドのユダヤ人として生き残ったのは30万人ほど。戦前の1割でしかない。
 読み終わったとき、大きな溜め息をついて、よくぞ、ここまで掘り起こしたものだと感慨深い思いをかみしめました。
(2024年12月刊。3600円+税)

樹木医がおしえる木のすごい仕組み

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 瀬尾 一樹 、 出版 ペレ出版
 わが家の庭にもたくさんの木があります。紅梅・自梅は、今年は梅の実が豊作でした。ナツメの木はトゲが要注意です。サルスベリは前ほど勢いがありません。香りが弱まりました。モチの木は巨木になりました。グミの木は1本は枯れてしまいました。枯れたのは、マツのほかにもハナミズキもがあり、サクランボの木とキウイは切り倒してしまいました。酔芙蓉の木も枯れたのか切り倒してしまいました。あと、シュロがぐんぐん伸びています。私の背をとっくに越してしまいました。
木の年輪の幅が広くなっている方が南というのは俗説なのだそうです。年輪幅が広くなっている部分は「あて材」として、傾いた幹や枝を持ち上げようとしているのです。
 幹の内側の古い部分は心材と呼ばれていて、細胞は死んでいて。水も通していない。ただし、ここに抗菌物質が蓄積しているため、腐るのには時間がかかる。
木の幹にくっついている「こぶ」には外敵に対抗する物質が多く含まれているので、切らないほうがよい。
幹から生えるキノコの多くは、枯れ枝や幹の内部を食べて育ったもの。根元から出ているのは「ひこばえ」、幹の途中から出ているのは「胴吹き」と呼ぶ。
河口のアングローブは、塩分が入ってくるのを最小限に抑えたり、塩分を排出したり、体内の一部に塩分をため込んだり、種類によって違う方法で対処している。
 高山でかわいい花畑をつくっているチングルマは花ではなく立派な低木。
老木が倒れて、その周囲に太陽光が当たるようになると、多くの植物が育ってくる。暗いところでは育たないアカメガシワの木の種が土中で休眠している。
 気にしがみついて生きる着生植物は、樹皮に水を留めておく力があまりないため、乾燥に耐える力が必要となる。
 木の病気の原因で多いのはカビのような菌類。クリスマスの時期に登場する紅い花のポインセチアは、その多くが最近による病気にかかったもの。わざと病気にかけることで、観賞価値を高めている。うひゃあ、そ、そうなんですか…。知りませんでした。
 世界で一番大きな木は、北アメリカに自生するセンペルセコイア。私は小学校を卒業するとき、メタセコイヤの若木をもらいました。すぐに枯らしてしまいましたが、これも大きくなるようですね。
 日本で一番大きい木は鹿児島県の「蒲生の大クス」だそうです。樹高30メートル、幹回り24メートル。樹高だけだと、京都のスギの木で62メートルもあるとのことです。ソメイヨシノは50年から60年が寿命といわれていますが、100年をこえて生きているソメイヨシノも存在するそうです。
 世界的には長寿なのは、アメリカの松の仲間が4900年。そして、ポプラの仲間は、クローンとして8万年前から存在するとのこと。こうなると、寿命って何…、という不思議な気になります。
(2025年3月刊。1900円+税)

10の国旗の下で

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 エドガルス、カッタイス 、 出版 作品社
 戦前、日本が植民地として支配していた満州に生きたラトヴィア人の自伝です。ハルビンに生まれ育ったのでした(正確には、1923年2月、現在のモンゴル自治区で生まれた)。父親は満州の鉄道で働く技師。そして1926年からハルビンに勤めたのです。ソ連は東清鉄道の一部をロシアの遺産として引き継いでいました。
 ハルビンには、日本敗戦後の1950年代半ばまで外国人が数多く居住していた。ロシア正教会が26、ユダヤ教のシナゴーグが2、イスラム教のモスクが1、カトリック教会が2、ルーテル教会が1、それからアルメニア・グレゴリア教会もあった。ハルビンで中国人と結婚する白人はほとんどいなかった。いずれもロシアからの移住者の寄付によって建設された。こんなにあったのですね。
1929年、東清鉄道をめぐってソ連と中国が衝突した。しかし、中国軍はソ連の軍事力にかなわなかった。
 1931年9月、8歳の著者はYMCA(学校)に通うようになった。英語は毎日の必修。
1931年9月、柳条湖事件が起きて、満州事変が始まった。中国人は義勇軍を結成して日本軍と戦った。敵(日本軍)の銃弾を避ける呪文(じゅもん)を記した赤い紙片を自家製の酒に浸して飲み込んだ中国人たちが、日本軍の機関銃や戦車に体当たり攻撃していき、たちまち死体の山を築いた。
 1932年2月。著者はハルビンで初めて日本軍の兵士を見た。3月から、著者は「満州」に住むことになった。1934年3月、満州帝国が成立した。
このころ、ハルビンには、白系ロシア人とソビエト・ロシアの核をなす鉄道員という、相反する大きなコミュニティがあった。
 日本人は、満州に埋葬しなかったので、日本人墓地はない。
日本人は娘に花子と名づけるのをやめた。花子は、中国語で物乞いの女を意味したから。
1935年、ソ連は所有していた東清鉄道の一部を満州国政府にわずか1億4千万円で売却した。鉄道から手を引いたソ連は、以後、満州での影響力を失った。
 このころ、ハルビンは建設ラッシュだった。ハルビンのタクシー運転手のほとんどはロシア人だった。ロシア人も日本人と同じく、子どもを大切にし、教育を重視した。ロシア人のお祝いは、クリスマスと復活大祭。
ユダヤ人は、満州にも、上海や天津などの都市に数千人規模で居住していた。日本人はユダヤ人を迫害しなかった。
 満州に移住したラトヴィア人の大多数は、第一次世界大戦時とロシア革命後の難民になった。満州の大学を卒業したあとの職として公務員が人気だった。著者は、北満学院で働くようになった。
 1945年8月15日。日本の降伏から数時間すると、ハルビンの大通りに中国の国旗がはためきだした。ロシア人も自警団を組織して武装した。やがてソ連軍が進駐してきた。
 大半の中国人は、ソ連軍を心底から歓迎した。時計は、ソ連兵によって夢のまた夢のようなもので、時計に対して常軌を逸した渇望があった。
日本の手先になっていたと告発(密告)された白系ロシア系は一斉に弾圧された。
 1945年末に、ハルビン工業大学が再開された。授業はロシア語だった。著者は、ここで中国語を教えた。
 1946年6月、ハルビンの近くを蔣介石の国民党軍を支配した。
 1948年には毛沢東の人民軍が反撃して、電灯がともった。
1948年末、共産党が満州の支配を固めると、モスクワから研修生がやって来た。
1949年4月、蔣介石は台湾に逃げ出した。国民党の軍人も役人も汚職にまみれていた。
 10月1日、中国が成立した。著者は中国で10年間働いたとき、納税の義務はなかった。
 1950年6月、朝鮮戦争が勃発した。ソ連から派遣された確かな知識をもつ学者たちが、中国の発展に寄与したことは間違いない。
1953年3月、ソ連でスターリンが死んだ。
そもそもラトヴィアは「バルト三国」の一つ。それがどうして中国にまで流れてきたかというと、ソ連に支配されていたから。そんなラトヴィア人の若者が満州でずっと育って戦中・戦後を生きのび、その目で見たハルビンの様子が紹介されています。満州の一断面を知ることができました。
(2024年11月刊。2900円+税)

土と生命の46億年史

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 藤井 一至 、 出版 講談社ブルーバックス新書
 恥ずかしながら知りませんでした。私の身近にありふれている土。私の自慢の庭は、黒々、フカフカの土で埋め尽くされています。だから、すぐに雑草がはびこってしまいます。
全知全能にも思える科学技術をもってしても、作れないものが二つある。それは、生命と土。いやあ生命のほうは、そう簡単に人間が作りだせないとは思いますが、土ならつくるのは簡単じゃないの…、とついつい思ってしまいます。ところが、土は作れないというのです。
そもそも、土とは何なのか…。土は人間には作れない。なぜ、どうして…。
 土とは、岩石が崩壊して生成した砂や粘土と生物遺体に由来する腐植の混合物である。ここで重要なのは、腐植は生物、つまり動植物や微生物に由来するということ。
 これは、地球上に生命が誕生する40億年前まで、いや陸上に植物が上陸する5億年前まで、地球上に腐植はなかった、なので、土も存在しなかった。うむむ、そ、そうなんですか…。
土は主として酸素とケイ素とアルミニウムから出来ている。生命はアミノ酸の集合体。
 ところが、環境中にアミノ酸はごく微量しか存在しない。
粘土がなかったら生命誕生はなかった可能性がある。粘土と砂は、生物のすみかにもなる。
 4億年前に登場した根は土にエネルギー(炭素源)を吹き込む。
 動物は、土と植物に関わりあいながら進化し、土壌の発達に関わってきた。
リンを岩石から取り出す能力は、植物と微生物にしか備わっていなかった。炭素と窒素とリンの循環に余剰が生まれるまで、多くの動物は上陸できなかった。
 ミミズは、4億年ものあいだ生き延びている。ミミズの上陸は画期的だった。ミミズの通路やフンによって団粒が増え、4億年前の硬くて浅い土を透水性や通気性の良いフカフカした土へと変貌させた。
 恐竜の巨大化は、背の高い針葉樹やイチョウを食べ、分解しにくい葉を腸内でゆっくり発酵・消化するのに好都合だった。
 巨大化した恐竜は温暖な環境に適応したスタイルであったので、寒冷化に対応できず、絶滅した。巨大隕石だけでなく、チョーク、石油そして土という身近な存在が恐竜の絶滅に関わった。
鉱物と植物・微生物との相互作用が土をつくる。
 土も変化を続ける。土にも寿命がある。
 成分の50%が鉄であるラテライトは、いわば土の墓標だ。土の最後の姿であり、もはや土ではないので、食料生産は出来ない。
粘土の電気がなくなると、栄養保持力が低下し、肥沃な土ではなくなる。
 人間の身体のリンの4割は、クジラなどの骨の化石に由来している。骨の主成分は、リン酸カルシウムだ。
 生命のない惑星に土はない。土のないところにジャガイモは育たない。
 月に基地をつくっても、土がないので、植物を育てることは出来ない。地球から持っていくには、土は重すぎる。
地球上には1兆種類もの土壌微生物が存在する。しかし、99%の土壌微生物は実験室では培養できない。いやあ知りませんでした。
ジャガイモを先日、大量に収穫し、これからサツマイモをどこに植えつけようかと思案中なのですが、土がこんなにも貴重なものだったとは、恐れ入り屋の鬼子母神でした。
(2025年3月刊。1320円)

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