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力道山

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 斎藤 文彦 、 出版 岩波新書
 力道山(りきどうざん)というプロレスラーがいました。ともかく強いのです。狭いリングのなかで、いかにも悪役という外人レスラーが反則技ばかりするため、それこそ一時はタジタジとなりつつも、ついに堪忍袋の緒をふり切って得意技の空手チョップを繰り出し、とうとう悪漢レスラーをやっつけてしまうのです。胸のすく思いとは、このことでした。もちろん、生のリングを見ているのではありません。まだ全部の家庭にはなかった時代、わが家のテレビを見ていたのです。
 力道山は、日本におけるプロレスの父である。
 力道山のプロレスは、戦後そのものであり、昭和そのものであり、テレビそのものであった。力道山はプロレスラーであると同時に、「力道山」という、ひとつの社会現象であった。
 力道山が現役のプロレスラーのまま殺害されて亡くなったのは1963(昭和38年)12月のこと。私は15歳、中学2年生でした。
小売酒屋の主(あるじ)だった父がプロレスの大ファンで、私も一緒にみていましたが、父は力道山になりきったようにして、画面をくい入るように見て、肩をいからせ、かけ声を茶の間で上げていたのを思い出します。
 まさしく、力道山はヒーローでした。
 力道山が生まれたのは、今の北朝鮮であり、両親ともに朝鮮人。当時の朝鮮は、日本の植民地支配下にあった。美空ひばりも同じく朝鮮人でしたが、二人そろって戦後日本の輝けるヒーロー、ヒロインでした。
 若き力道山にとって、相撲とりになることが貧困からの脱出を意味していた。本名は、金信洛。三男で末っ子。戸籍上は百田光浩。ところが、生年月日のほうは、大正11年、12年、13年。7月4日、7月14日、11月14日と、確定していない。
 力道山がプロレスラーとしてデビューしたのは、1951年10月28日。1ヶ月にもならないトレーニング期間だった。
 プロレスでは、殴る、蹴る、地獄突きといった反則をする悪役、憎まれ役をするプロレスラーがいたけれど、力道山は、一度もこんな憎まれ役を演じることなく、ベビーフェイスで正統派のポジションを維持した。
日本テレビの正力松太郎オーナーはテレビを通じたプロレスの父でもあった。
1954(昭和29)年2月、蔵前国技館を借り切ってプロレスの国際大試合が3日間連続で開催された。この初日、新橋駅前の西口広場に特設された街頭テレビに2万人をこす見物客が押し寄せた。その写真が紹介されていますが、まさしく、黒山(くろやま)の人だかりです。大変な熱狂ぶりでした。まさしくスター誕生の瞬間だった。このあとも全国を巡行して、興行総収入は8千万円をこした。これって、大変な巨額ですよね。
力道山を主役としたプロレスブームは社会現象となり、プロレス中断を独占していた日本テレビは1953年8月の開局から、1年足らずの1954年上半期に黒字経営に転じた。
子どものころ熱中して見ていた私は、プロレスは毎回、真剣勝負だと信じ切っていました。それがショーだったというのは、東京で学生生活を始めたあと、それを知らされて驚いたのでした。純朴そのものでした。
著者はプロレス・ライターだそうです。そんな職業があるとは知りませんでした。
ともかく、力道山が戦後の社会現象であることは間違いありません。でも、いったいなぜ殺されたのでしょうか…。
(2024年12月刊。960円+税)

睡眠の起源

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 金谷 啓之 、 出版 講談社現代新書
 私は眠りはいいほうです。年齢(とし)とともに寝るのが早くなりました。前は夜12時まで起きていましたが、ちょっと前に午後11時なり、今では午後10時半には布団に入るようにしています。眠ると、朝はすっきり目が覚めます。
 夜しっかり眠れないという依頼者が少なくありません。そして、借金返済のためにダブルワークして毎日4時間しか寝ていないという人がいて、心配です。また、三交代労働などで深夜労働の人も少なくありません。私はコンビニが全部24時間営業しているのも問題だと考えています。すぐに全廃できないというのなら、いくつか例外的に開けておけばいいと思うのです。
 脳のないヒドラも、ときに動きを止めて休む状態がある。眠っているような状態だ。ヒドラの睡眠をコントロールする遺伝子は、他の動物と共通している。ヒトが眠るのと同じように、脳のないヒドラも眠っている。
 ヒトの脳はとても軽く、豆腐のように軟らかい臓器で、体重の2%を占めているだけ。
 ヒトの体は40兆個もの細胞で出来ている。ヒトの脳には、1000億個以上の神経細胞が存在する。
 睡眠は、ノンレム睡眠の時間が圧倒的に長い。レム睡眠は、鮮明な夢をみることが多い睡眠だ。
 断眠は、脳のはたらきに大きく影響する。断眠させると、ラットは2~3週間で死んでしまう。断眠は脳にダメージを与えるだけでなく、全身に及ぶ。ひどい場合は死に至る。
 拷問の一手法が眠らせないというもので、効果的だといいます。
 睡眠は貯蓄ができない。
植物のオジギソウは、体内時計によって葉を開閉させている。
ショウジョウバエの2万個以上ある遺伝子のうち、時計遺伝子と呼ばれる一連の遺伝子は体内時計に関与している。
 ヒトの体のあらゆる組織に、時計遺伝子による体内時計のしくみが備わっている。脳のなかの思考叉(しこうさ)上核と呼ばれる領域が全身の体内時計の中枢だ。
 睡眠は、睡眠圧と体内時計という二つの成分によって調節されている。
 ヒドラは老化の兆候をほとんど示さない。1400年以上生き続けている個体がいる。ヒドラが眠るというのなら、睡眠に脳は必要なのかという疑問が生じる。
 海に浮かぶクラゲは昼寝をしている。
 ナルコレプシーの患者は、発作のように突然眠ってしまう。
吸入麻酔薬は100%、必ず効く薬だ。ところが、なぜ効くのか分からないまま、今日も服用されている。また、植物にも作用する。
 眠りって不思議ですよね。意識がある状態が一瞬で不思議な世界に入りこみ、朝になると、また体が動き出すのですからね…。大いに考えさせられる新書でした。
(2024年12月刊。990円)

井上ひさし外伝

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 植田 紗加栄 、 出版 河出書房新社
 井上ひさしは私のもっとも尊敬する作家の一人です。井上ひさしが映画をたくさん見ているというのは知っていましたが、教師から3つの条件を課されたというのは初耳でした。映画館で「婦人警官」から補導された。この時間に高校生が映画館にいるのはおかしい。これは不良に違いない。仙台南警察署まで連行された。そして警察官は学校に電話して問い合わせた。すると、担任の教師はこう言った。
 「あ、そいつは映画を毎日見ることになってます」
 信じられない展開です。担任の藤川武臣先生は、高校生の井上ひさしが午後から授業をサボって映画を観ることを許していたのです。ただし、条件を3つ課した。その1、映画の半券と詳しい筋書きをレポートとして提出する。その2、友だちのノートを借りるなどして単位取得に必要な試験を受ける。その3、東北大学に進むのはあきらめる。
 校長の許可も得ずに担任がこんな条件で生徒のサボりを公認するなんて…。大人しく目立たない性格のせいで、午後の教室に井上ひさしがいなくても級友の目は惹かなかったというのです。いやはや、信じられませんよね。
 井上ひさしは上智大学の仏文科に入っていますが、フランス語はカナダ人神父の直伝で、上手だったようです。翻訳もしているとのこと。そして、「キネマ旬報」や「映画の友」によく投稿し、しばしば掲載され、その報償金も映画代に充てたのでした。高校3年間に観た映画は、なんと、750本とか1000本というのですから、常人にとても真似できません。
遅筆堂として有名な井上ひさしの信条と勇気について、著者は次のように紹介しています。これまた、常人にはとても真似できないすごさです。
 いい物語をつくらないと観客に放り出される。初日の開幕に間に合わず、世間の非難を浴び、金銭的損失を出しても、いかにいい脚本にするか、それだけを目指して書く。それが脚本と向きあうときの井上ひさしの基本姿勢。いかに初日が迫ろうとも、それまで書いた原稿が良くないと判断すると、それを惜しみなく捨てることのできる意志と勇気を井上ひさしは身につけていた。
 この強い意思こそが、再演打率の非常に高い作品を生み出してきた。
 映画大好き人間の井上ひさしは、「ミーハー井上」でもあったというのもすごく身近に感じられる話です。井上ひさしは山田洋次監督の「寅さん映画」と同じように「美空ひばり映画」も好きだった。洋画ではターザン映画のような能天気な映画が好きだった。私も子どものころ、美空ひばりもターザン映画を観ています。深く考えさせるというのではなく、ハラハラドキドキの楽しい映画なのです。
 そして、気に入らない映画は、けなすことなく、触れないで無視してしまう。私も、このコーナーには面白くないと思ったら紹介しません。けなす文章なんか書きたくもありません。時間がもったいないのです。
井上ひさしが愛したのは映画と音楽。音楽はとにかくジャンルが幅広い。そしてタバコ。残念ながら井上ひさしは肺がんにかかっています。
 中学生の3年間で600本もの映画を観たという井上ひさしは、世界一の映画ファンだというコメントが最後に紹介されています。まったく異議ありません。
(2025年1月刊。3520円)

「弱さ」から読み解く韓国現代文学

カテゴリー:韓国

(霧山昴)
著者 小山内 園子 、 出版 NHK出版
 「カンニチホンヤクをしています」と著者が自己紹介しても、すぐには分かってもらえなかったのが、今では、ああ「韓日翻訳」とすぐ分かってもらえ、韓流ドラマのように韓国文学も大勢のファンをつかまえている状況になっています。先日、ノーベル文学賞をもらったハンガンの作品は私もいくつか読みましたが、どれも読ませました。この本には登場しませんが、「コンビニ」を舞台とした本もとてもよく出来ていました。
 韓国では8月15日は「光復節」として国民の休日になっている。1945年8月15日は、日本は終戦(敗戦)記念日だけど、韓国では奪われていた国の主権を取り戻した日。
 ところが、8月15日はただちに「光」が示す、自由や公正さや平和が朝鮮半島に住む人々の手に戻ったのではなかった。その後、朝鮮戦争もあり、理不尽としか言いようのない死も数多く生まれたのが歴史の現実。
韓国社会には、「作家は社会に声を上げるべき」という考えが非常に強い。作品を通じて社会にコミットする文学を「参与文学」と呼ぶ。
日本で2018年以降、爆発的に韓国の本が読まれるようになったきっかけの本がチョ・ナムジュの『82年生まれ、キム・ション』。日本で29万部も売れた。韓国社会に一大センセーションを巻き起こした。
 私は読んでいませんが、『椅子取りゲーム』(孔枝泳)という本があるそうです。小説ですが、実在の事件を素材にしています。2009年4月、韓国の大手自動車のメーカーであるサンヨン(双龍)自動車が従業員の整理解雇を発表し、労働組合はそれに反対して全面ストライキに突入した。労働争議は2ヶ月も続き、結局、警察が鎮圧した。この争議が終結したあと、22人もの労働者とその家族が自殺したというのです。これには腰を抜かすほど驚きました。
 著者は、全斗煥軍部政権のころに大学生であり、大統領選挙の不正に抗議する学生デモに参加して逮捕もされています。
 「椅子取りゲーム」というのは子どものころのゲームの一つです。日本にもありますよね。会社による整理解雇の対象になっているかどうなのか、従業員は疑心暗鬼の状況に陥っているのです。韓国の労働争議には、会社から雇われて労働者を襲う「用役」という武装集団がいる。雇用関係で雇われた「傭兵」に近い存在。権力と市民労働者が衝突するとき、権力側の武力装置としてよく登場する。
韓国の労働運動では長い歴史をもつ戦術として「高空籠城」というものがある。たとえば、高さ70メートルの煙突の上にのぼって抗議するというもの。ずいぶん以前、三池大争議が終結したあと、三池労組が縮小していく過程で、労組の書記が労働組合をつくって、労働争議の一形態として、同じく旗の掲場台(塔)にのぼったということがあったのを思い出しました。
 韓国の小説には、臭いに関する描写が多用されるという特徴がある。
 セウォル号事件は2014年4月16日に起きました。これは、本当にひどい事件でした。船内放送に素直に従った高校生たちが300人ほど亡くなったのです。本当に心が痛みます。生きていたら、もう30歳、元気に働いて、子どももいる年頃ですよね。
サムスンの法務担当だったキム・ヨンチョル弁護士が巨額の裏金の存在を告発した事件があった(2007年)そうです。知りませんでした。創価学会の顧問弁護士だった人の事件を思い出しました。こちらも巨額の裏金の告発もあったように覚えています(確か…)。
 日本では「親ガチャ」と言いますが、韓国では「銀のスプーン」「泥のスプーン」と呼ぶそうです。親の財力や家庭環境をスプーンの素材で表現するというわけです。それにしても泥で出来たスプーンなんて、すぐに溶けてなくなるでしょうに…。
 ソウルの地下鉄に車イスの障害者数十人が朝のラッシュアワー時に乗り込む「デモ」を敢行したそうです(2022年春)。たちまち地下鉄の電車は遅延し、市民の足に影響が出たそうです。そうやって移動する権利の実現を目指して行動したというわけです。すごいですね。韓国の状況を多角的に捉えることが出来る本でした。
(2024年11月刊。1700円+税)

魏志倭人伝の海上王都、原の辻遺跡

カテゴリー:日本史(古代)

(霧山昴)
著者 松見 裕二 、 出版 新泉社
 魏志倭人伝に邪馬台国が登場しますが、その途中に「一支(いき)国」があります(正確には、原文は「一大国」と書いています)。もう一つ「伊都国」のほうは、三雲・井原遺跡が該当するとされています。
 この「一支国」は壱岐島(いきしま)とみられていて、そこに原(はる)の辻遺跡があります。
 私も前に壱岐に行ったとき、この遺跡に関わる「一支国博物館」を見学しました。
壱岐島は博多港(福岡市)から高速船に乗ると1時間で着きます。倭人伝によると、対馬国が「千戸あまり」に対して、「一支国」は「三千家あまり」となっています。「戸」と「家」と使い分けがされていますが、1万人ほどの人口だとみられています。
原の辻遺跡は100ヘクタールの範囲あるとされていて、まだ全部の発掘調査はなされていません。集落を取り囲む環濠が堀りめぐらされているが、幅は2メートル、深さも1~2メートルという小規模なもの。防衛というより排水機能に重点がある。
 ここには国内最古の船着き場の遺跡がある。渡来人が最先端の中国式技術「敷粗朶(しきそだ)工法」によってつくられている。しかし、これは実用的なものではなく、セレモニースポットとみられている。
 ここで、人面石が発掘された。目の上には、細い線で刻まれた眉(まゆ)が描かれ、目と目の間には鼻も表現されている。口は裏面まで貫通している。偶像崇拝の祭器として使われたのではないか…。
 「一支国」は国境の島として有事に備えた武器や防具が多数出土している。
 ガラス製のトンボ王も副葬品として出土している。クド石と呼ばれる石製支脚が大量に発見されている。
 カラカミ遺跡からは鉄製品が数多く出土した。鉄の加工を得意とする鍛治専門集団が集落内に存在していた。ベンガラの焼成炉も発見されている。
 また、イエネコの骨が出土した。渡来人がネズミの害から防ぐため、大陸から連れてきたとみられる。ペットではないだろう。ネコは古墳時代からと考えられていたが、それより500年も古く、弥生時代からヒトとともにいたことになる。
 イエネコの骨もネズミの骨も発見されたのでした。
 原の辻遺跡はまだ85%も未調査であり、そこに「王墓」が見つからないか、期待されています。ぜひ、新しい博物館に行ってみましょう。
(2025年3月刊。1870円)

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