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考古学者の多忙すぎる日常

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 角道 亮介・青山 和夫・大城 道則 、 出版 ポプラ社
 正確なフルタイトルは、「考古学者だけど、発掘が出来ません。多忙すぎる日常」というものです。ええっ、ど、どういうこと…。
 発掘調査よりも、研究室にこもって遺物を研究し、データを分析する時間のほうがはるかに長い。石器の使用痕を日本でこつこつと分析し、成果をスペイン語で書いていく。
 マヤ文明の交易、ものづくり、宗教儀礼と戦争という政治経済組織の一側面を9万点もの石器をこつこつと研究して実証明に検証し、英語、スペイン語そして日本語の論文に書き上げる。
 石器を分析する時間のほうが圧倒的に長い。石器の分析が忙しすぎて、発掘する時間がない。うひゃあ、現場で石器を掘り上げてからが大変なんですね…。
 「世界四大文明」というのは時代遅れの間違い。著者たちによって高校世界史の教科書から、時代遅れの「世界四大文明」という用語が消えた。世界四大文明とは、メソポタミア、中国、アンデスそしてマヤ文明。中学の世界史教科書では今も「大河のほとり」で発展したとしている。しかし、マヤ文明の諸都市は「大河のほとり」にはない。文明の誕生に必要なのは食料の確保であり、大河ではない。
マヤ文明には、鉄器、大型家畜、そして統一王朝がない。主要な利器は石器で、家畜は犬と七面鳥だけ。統一王朝もなく、ネットワーク型の文明。文字と暦(こよみ)、天文学を高度に発達させた。いやあ、そんなに違うものなんですね…。
考古学者になろうと考えている学生には、日本の発掘現場でアルバイトして経験を積むようにアドバイスしている。なーるほど、それは大事ですよね、きっと。
 エジプトのヒエログリフを読めたとしても、それだけでは就職先も仕事もない。ふむふむ、そうなんですか…。
発掘現場では蚊の大群に襲われる。トイレのときは悲惨。蚊の地獄。寝泊まりするのは、ジャングルの中のテント。コインランドリーも洗濯機もない。川の水で衣服を洗い、生乾きのまま服を着る。女性の調査員も含めて、プライバシーはまったくない。それを恥ずかしいと思っていては発掘調査はできない。野外調査のもう一つの大敵がマダニ。
 マラリアの予防薬は、欠かさず飲む必要がある。日本製の携帯用蚊取り器はあまり役に立たない。デング熱には予防薬はない。
 こんなに大変な苦労のともなう考古学ですが、ご本人たちは至って楽しそうです。やはり好きなことに一心不乱にうち込めるのがいいのですよね。
(2025年2月刊。1760円)

仮面の奇人・三木清

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 宮永 孝 、 出版 法政大学出版局
 三木清は、戦前に活躍した哲学者であり、法政大学の教授でもあったが、治安維持法によって2度も逮捕・投獄され、2度目は、日本が敗戦後したあとなのに、すぐに解放されることもなく、ついに獄死してしまいました。本当にむごいことです。
 本書は三木清という哲学者を奇人として、さまざまな角度から分析しています。 この本を読んで、三木清に対するイメージを一変させました。
三木清は、戦前の日本の哲学界と論壇のスターだった。
 著者は、法政大学社会学部で教えていますので、いわば三木清の後輩にあたります。三木の文体は独特な様式、奇異な文体であり、一読してすぐ分かるような文章ではない。発想があまり日本語的ではない。
 三木のパスカル解釈は、なまかじりのもので、それが十分に自分のものになっていない。三木は半解の徒であった。
戸坂潤によると、三木は「無から何を創り出すというような意味での独創家ではない」。三木は発明家というより、発見家、応用家である。
 大内兵衛によると、「三木は死して時代の英雄になった。三木が英雄になったのは、その死に方が英雄的であったから」だという。また、三木は西洋の哲学をよくかみくだいて身につける能力をもっていた学者であり、その教養を基礎として、広義の社会的な問題について、ひととおりの見識をもつ人であったと大内は評価している。
 三木は好きになった女性から、ことごとく袖にされた。愛する女性に受け入れてもらえなかったのは、単に顔かたちや容姿だけが理由ではない。人から嫌われる要素、悪い性格があったようだ。三木は慎み深さに欠け、常識では考えられない奇怪さ(ふしぎさ)があった。
 三木は、一種の天才的直観をもって問題点を掘りおこし、結論を導き出すことにすぐれていた。三木論文を構成しているものは、小さなテーマ(題目)の集合体であり、それが複雑に入りまじり、かつ、からんでいるために、大きな筋道が立たず、議論の大きな流れや一貫性がみられない。それが三木の論文を分かりにくくしている理由の一つになっている。
三木は三高の教師を経て、京大哲学科の教官になるはずだった。しかし、女性スキャンダルのため、こと志に反して私大(法政大学)に勧めざるをえなかった。三木にとって、それは大きな誤算だった。
三木清は世間では哲学者として通っていたが、実際は多面的な才子だった。
 三木は学校秀才にありがちな自信家であり、衒気(げんき)が強く、見栄っぱりだった。ときに、おごり高ぶり、他人(ひと)をはばかることなく批判した。その直言癖も三木の治らぬ病のひとつだった。
三木はひとつの哲学から次の哲学へと、旅を続ける哲学者だった。三木は、自分の哲学をもつという見果てぬ夢を追いながら、あの世へ旅立った不幸な哲学者だった。
 三木清は徴用通知を受け、フィリピンに派遣された。そして、フィリピンで三木は報道班員として活動した。三木は他人(ひと)からお金を借りることが平気な人間だった。要するに、三木は円満な人格者ではなかった。
 同じ法政大学の哲学の教授だった戸坂潤は、1938年11月、治安維持法違反で検挙され、1944年懲役3年の実刑となり、東京拘置所から長野刑務所に送られ、1945年8月9日に獄死した(45歳)。
 三木清は1927年4月、法政大学文学部哲学科の主任教授となった。1930年5月、三木は共産党にカンパしたことで検挙された。
 三木や戸坂の偉いところは、法政大学を追われたあとも法大生のために哲学会主催の課外授業を行い、また、講演などもしている。
 1945年3月、三木は特高に検挙された。6月、東京拘置所に入っていたときは疥癬(かいせん)所に入っていた。三木はもともと丈夫な体格で体重も60キロ以上あった。
 ところが、日本敗戦後の8月26日、全身にむくみがあらわれ、疥癬が腎臓をおかし、汚物まみれになってベッドからころがり落ちて死んだ。その遺体はあまりに悲惨だったので、娘も見ることができなかった。
 三木清という偉大な哲学者の等身大の人となりを知ることができました。
(2025年3月刊。3740円)
 

幕末女性の生活

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 村上 紀夫 、 出版 創元社
 江戸時代の庶民がどんな日常生活を過ごしていたのか、とても興味があります。
 日本人は昔からよく日記を書いていて、またよく残っています。残念ながらくずし字なので、私には原文は読めません。それでこうやって活字になったものを読むしかありません。
 この本では、4人の女性の日記が紹介されています。1人目は、和歌山城下で質屋を営む九代目六兵衛の妻。寛政3(1791)年と文政8(1825)年の日記2冊が残っている。家族で金魚の飼育に熱中していた。
 2人目は、やはり和歌山藩の学習館の校長の妻。天保8(1837)年から明治18(1885)年までの日記が残っていて、東洋文庫で活字化されている。大塩平八郎の乱、ペリー来航、ええじゃないか、なども記録されている。
 3人目は、医師の妻で、曲亭馬琴の息子嫁として、その執筆を助けた。安政地震、飼い猫の様子が紹介されている。
 4人目は、河内国の種屋を切り盛りしていた。夫との離縁、贈答品のやりとりなどが紹介されている。
 嘉永4(1851)年の元日、滝沢家に年始のあいさつにやって来たのは30人にのぼる。
 節分の日は、厄落としをする。路上に下着と銭を落として帰ることで厄を落とす。いやはや、聞いたこともありませんが、正岡子規の書いたものにも出てくるそうなので、明治にも続いていた風習。
 お盆は、旧暦の7月15日。なので、七夕から間もなくすると、お盆になる。このときのお供(そな)えは、三食だけではなく、おやつに「煮あんころもち」、夜には上酒、みりん、冷や奴が供えられた。つまり、帰ってきた祖霊は、三食に加えて、おやつと晩酌付きでもてなされた。
誕生日には、赤飯を炊いて、近所の人も招いて祝う。江戸時代には誕生日を祝う習慣が存在していた。
夏の夜は、子どもたちと一緒に花火をして楽しんだ。
 牛肉も猪肉も食べている。滝沢家では、「かすていら」を食べ、あひるの卵も食べた。
 そして、滝沢家では猫を飼って可愛がった。猫には赤い縮(ちぢみ)織りの絹でつくった豪華な首輪を付けた。猫が病気にかかったときには、猫のための薬を買ってきて飲ませている。
江戸時代金魚の飼育が流行した。金魚飼育のマニュアル本(「金魚養玩草」)まで刊行されている。庭を掘って池にして、和金魚やランチュウを飼った。10疋で銀60匁(もんめ)もした。
 日用雑貨の貸し借りはひんぱんだった。また、いただき物は、そのまま他に廻されていった。ミカンを持ってきた人は、借金の申し込みをした。それが本命だった。
江戸時代にも商品券があって、贈答品としても用いられた。板(かまぼこ)印紙、酒印紙、饅頭(まんじゅう)印紙、湯葉(ゆば)印紙がある。
 大塩平八郎の乱が起きたのは天保8(1837)年2月19日のこと。翌2月20日には和歌山にも伝わっていた。2月21日には、「町与力大塩平八」の仕業(しわざ)という情報が届いた。
 ペリー来航のあった嘉永6(1853)年には、甲冑(かっちゅう)の移動販売が始まっている。
慶応3(1867)年、10月、大政奉還になった。そのころ、京都の街では、「ヨイジャナイカ、ヨイジャナイカ」と、はやし立てて踊る集団が各地に出現した。
貴重な本だと思います。
(2025年3月刊。1980円)

土地は誰のものか

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 五十嵐 敬喜 、 出版 岩波新書
 2014年、空き家等対策特別措置法が制定された。日本全体で空き家は2018年時点で849万戸あり、空き家率は13.6%。今後、空き家はますます増えて、まもなく1000万戸に達するとみられている。
 たしかに私の住む住宅団地にも空き家が何軒もあります。すぐ下の隣家も老夫婦が亡くなられて何年も空き家です。
空き家が倒壊する危険のある家屋でありながら解体されずに放置されているとき、所有者が承諾しないため強制取り壊しとなる行政代執行は、全国で年14件、所有者が不明のための略式代執行は年間40件ほど。つまり、ほとんど危険家屋も放置されているわけです。
私の住む街でも、前より減りましたが、いかにも危険だ、台風が来たら通行人等に危険を及ぼす心配がある空き家がまだまだあります。
 2018年、所有者不明土地の利用円滑化特別措置法が制定された。「所有者不明」とは、所有者がすぐには分からないのが3分の2、所有者は判明しても連絡がとれないのが3分の1.
 今、私は所有名義人の相続人が多数いて、うち1人はアメリカ在住、もう1人は生死不明(大正生まれなので、恐らく死亡していると思われるものの、戸籍上は存命だけど、その家族は不明)というケースをかかえて四苦八苦しています。
 このような「所有者不明の土地」は、410万ヘクタールあり、日本全体の10%を占める。これは九州と沖縄を足したほどの面積。これが2040年には720万ヘクタールに増えると予測されている。これは北海道と同じ面積。
 相続した土地の国庫帰属制度がある。2021年に制定された。ところが、とても要件が厳しく、厳重な審査を経なければいけないので、利用(申立)も認容も、とても少ない。
 重要施設周辺の利用状況調査と利用規制等に関する法律が2021年に制定されている。これは自衛隊の基地周辺に外国人や外国法人が土地購入するのを防ぐというもの。この法律については、立法事実(その必要性)の欠如、そして、構成要件があいまい(たとえば「機能を阻害する行為」というのはどんなものか不明)なので、日弁連は反対する会長声明を出した。
 マンションの老朽化が進んでいる。空洞化と老朽化が進むと、マンションは、いずれ廃墟になってしまう。
 タワーマンションだって、やがて老朽化したとき、莫大な修理・修繕費を住民が負担できず、速く逃げ出したものが勝ちということになることでしょう。
日本では、土地と建物がそれぞれ所有者の異なることは多い。なので、借地権で建物を所有するのは、あたりまえのこと。
 ところが、諸外国では、土地と建物とは原則として一体の不動産とみられている。
 ヨーロッパでは石造りの建物は、内装はしばしば変更されるが外観は何百年も継続している。そこには、土地と建物との分離という発想は生まれにくい。
 フランスに行ったとき、パリの石造りのプチホテル、そして、オンフルールという港町のホテルに泊まったとき、外装は何百年もたった石造りだけど、内装は近代的で便利なものでした。
日本では木造の建物は30年から50年で取りこわされる。築100年という建物には、滅多にお目にかからない。
 イギリスの「グリーンベルト」は、都市の膨張を防ぐために、都市の周辺を緑地帯で囲む計画があって、実施されている。日本では、ほとんど無規制のまま都市化の波が周辺の農地を覆い尽くしていますよね。
 また、日本では、地域の中に児童相談所や保育園・老健施設が建設される。そして、葬祭場が立地するとなると、猛烈な建設反対運動が起きる。これは、何より自分の所有する土地の「商品」としての価値が下がることに対する反発。
 そこで、著者は、「現代総有」という考えを提唱しています。簡単なことではありませんが、日本人も土地所有について、改めて考え直す必要があると痛感します。
それにしても、マンションという商品は、購入したとたんに「死」が始まるという指摘には、はっとさせられました。マンションの建て替えは、現行区分所有権のもとでは、ほとんど不可能なことを多くの人が気がついていない。それとも途中で売り逃げしたらいいとタカをくくっているのか…。でも、それも簡単に、誰でもやれることではないだろうに…。
 幸い、私は庭つきの家に住んで、ガーデニングも野菜づくりも楽しめていますが、考えさせられる新書でした。
(2022年2月刊。990円)

タコ・イカが見ている世界

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 吉田 真明・滋野 修一 、 出版 創元社
 私はタコもイカも大好きです。もちろん、食べるのが…。イカは呼子ですよね、やっぱり。予約していかないと、何時間も待たされてしまう店ですが、ともかく美味しいのです。イカ刺しも美味ですが、最後のイカのテンプラなんか、思い出すだけでもヨダレがしたたりそうです。
 そんなイカもタコも、実は賢い生物で、切られる痛みも分かっているのではないかと想像されています。なので、欧米では、研究倫理が厳しく、要するにむやみに殺してはいけないというルールが確立しているそうです。日本では、ちょっと無理かな…。
 アオリイカは群れをつくる。異性との駆け引きが興味深い。オスは体と腕全部の模様を変化させてメスに近づき、アプローチする。と同時に、近くにいるライバルとなるオスに対して威嚇する。威嚇の対象は1匹ではなく、多数。つまり、アオリイカのオスは、眼でオスかメスか、攻撃するか守るか、愛のシグナルを送るかを判断している。
 タコやイカの寿命は一般に1年ほど。最大のダイオウイカは全長10メートルをこえるが、一番小さいのは1センチほどのヒメイカ。
 イカは新鮮で活きのよい餌しか食べないという美食家であり、また大いに食い散らす大食漢。
イカやタコを頭足類というが、間違った呼称だ。タコの「頭」は頭ではなく、頭から足や腕が生えているわけではない。タコの「頭」は、人間の頭とは別物。
タコ・イカには、もちろん肛門があるが、外からは見れない。胴体の中に肛門の開口部がある。
 オウムガイは、頭足類の祖先。タコ・イカが出現したのは、恐竜が栄えていた中生代。
 タコ・イカにも貝殻の名残(なごり)がある。プラスチックのように見える透明な軟甲や、タコのスタイレットという釘状の骨が、それ。
タコやイカは3つの心臓をもっている。サブ心臓が2つある。タコやイカの脳は9個ある。うち8個は、腕神経節と呼ばれる。腕を制御する神経の塊。タコの腕には、脳と同じ数の神経細胞がある。
 イカもタコも知能が高い。眼と視力が良い。他者をじっと見つめて、考える時間が長い。敵か味方か、異性か、慎重に判断する。
 体全体に知的な表現力がある。色素で変化自在の模様をつくり出す。
 学習力と記憶力がある。1日に3回、シンボルを提示すると、3日間も記憶でき、長期では50日も記憶できる。学習のやり直しもできる。
 タコもイカもアルコールに酔い、麻酔がきき、眠る。ドラッグ(MDMA)をタコに投与すると、タコは穏やかになる。
チャットGPTとタコの脳は、実は似ている。ええっ、ど、どういうこと…。
 人間だけが賢い生物だなんていうのが、単なるひとりよがりだと思わせる本でした。
(2025年4月刊。1980円)

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