著者:鈴木眞哉、出版社;平凡社新書
織田信長と戦った紀州(和歌山)の雑賀(「さいか」と濁らずに読むそうです)衆の話です。早くから大量の鉄砲を使いこなす集団として有名ですが、雑賀衆も内部は決して一枚岩ではなかったということが明らかにされています。
鉄砲は、一般には攻撃向きの武器と考えられているが、実際には防御に適した武器であった。鉄砲うちの熟達者は蛍、子雀、下針、鶴頭、発中、但中、無二というあだ名をもっていた。雑賀衆が本願寺側に参戦したため、織田信長は石山合戦で容易に勝てず、11年も足をとられてしまった。天下取りのプランがすっかり狂わされた。雑賀衆がいなかったら、信長は、とっくに「日本全国の王」になれただろう。
著者は雑賀衆の子孫のようです。なにかと常識の誤りを指摘する著者ですが、根拠が十分なので、なるほどそうなのかー・・・、といつも感心させられます。
戦国鉄砲・傭兵隊
